一日一句
8日
焼鳥の串揃え置く占い師 圓窓
9日
雨漏りのしみありありと納め札 圓窓
圓窓
先日、弥助さんから「露伴の『五重塔』の落語化は?」との問合せがあった。
予定に入れたのは20年前。(笑)
まだまだ、、、、でした、。
読んだのは噺家になってまもなく、、、。
肝心なことはほとんど忘れている。(笑)
さきほど、サイトの青空文庫から拾ったが、A4で53枚。
こんなに長かったかなぁと振り返る。
これから、、、、です、、。
圓窓
一日一句 7日
路地出るや泣き出しそふな冬の空 圓窓
圓窓
一日一句
4日
借りし傘すぐ柄漏りして冬に入る 圓窓
5日
着膨れの親子止りをる坂の中(ちゅう) 圓窓
6日
着膨れの人着膨れに煙草の火 圓窓
圓窓
---
今日は何の日小咄「三越呉服店創立の日」
05年12月06日
# 1904年 三井呉服店を継承し三越呉服店設立。
$ 「三井さんがやっていた越後屋という呉服屋だから、三越さ」
「それが日本一のデパートになったんだね」
「そうさ」
「呉服屋が洋服もやるようになったんだ」
「そういうことだね」
「呉(五)服と洋(四)服で九服だ」
「なんだい、それは」
「靴でなくてよかった」
「?」
「窮屈(九靴)になってしまうからさ」
圓窓
今日は何の日小咄「官位十二階の制定の日」
05年12月05日
# 603年。聖徳太子が冠位十二階の制度を制定
$「出世をすると、上のほうへ上っていくんだ」
「そうだろうな」
「出世する人は大変だろうな」
「エレベータもない時代に12階へ行くんだもん」
圓窓
今日は何の日小咄「血清療法の日」
05年12月04日
# 1890(明治23)年、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法の発見を発表した。
$「人類のためにはすごい発見なんだぞ」
「どうして?」。
「その当時は難病だったし、それも破傷風とジフレリアだよ」
「で、療法(両方)というんだ」
圓窓
愚者さんへ。
>> 以前からどなたかに訊いてみたかったことです。
落語家さんは落語家同士以外でも講釈師や浪曲家、あるいは上方落語家からも稽古をつけて頂けることが(またはそれの逆も…)あるそうですが、そのような場合、最終的に講談の形式のまま釈台や張扇を叩いたり、浪曲ならば曲師の三味線に併せて試演したり、あるいは上方落語は大阪弁で口演して上げてもらうことになるのでしょうか?
「落語にアレンジさせてもらいますよ」ということで稽古に入りますので、こっちは浪曲を覚える、講釈をまねするということはほとんどないと思います。
あたしのアレンジは、浪曲「叩き蟹」「戴き猫」
講釈「徂徠豆腐」「鼓が瀧」「有馬の秀吉」
狂言「座禅の遊び」「萩褒め」
などかな、、、、。
圓窓
以前からどなたかに訊いてみたかったことです。
落語家さんは落語家同士以外でも講釈師や浪曲家、あるいは上方落語家からも稽古をつけて頂けることが(またはそれの逆も…)あるそうですが、そのような場合、最終的に講談の形式のまま釈台や張扇を叩いたり、浪曲ならば曲師の三味線に併せて試演したり、あるいは上方落語は大阪弁で口演して上げてもらうことになるのでしょうか?
かなり多くの人情噺や怪談は元々は講釈ネタだったり、圓窓師匠も演じられる『ねずみ』という噺も先代・三木助師が浪曲から移殖したものと聞きました。他の芸種から来た咄も少なくないように思われますが…。
以前からどなたかに訊いてみたかったことです。
落語家さんは落語家同士以外でも講釈師や浪曲家、あるいは上方落語家からも稽古をつけて頂けることが(またはそれの逆も…)あるそうですが、そのような場合、最終的に講談の形式のまま釈台や張扇を叩いたり、浪曲ならば曲師の三味線に併せて試演したり、あるいは上方落語は大阪弁で口演して上げてもらうことになるのでしょうか?
かなり多くの人情噺や怪談は元々は講釈ネタだったり、圓窓師匠も演じられる『ねずみ』という噺も先代セ位攴Z佞ヘ俺覆C薜椰C靴燭發里畔垢C泙靴拭B召侶歇錣C虱茲尋瑤眈C覆C覆い茲Δ忙廚錣譴泙垢汳泪
今日の出来事・4日
落語っ子連の望年会。スナック・純子。
発表会のビデオを見ながら反省や歓談。
来年の出し物として、[平林][時蕎麦]などが、、、
圓窓
今日は何の日小咄「カレンダーの日」
05年12月03日
# 全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定。
1872(明治5)年12月3日が太陽暦の採用によって1873(明治6)年1月1日となった。
$「なんで、カレンダーは団扇扇子と一緒なんだい?」
「風でカレンダーがめくられるからだろう」
圓窓
一日一句
一日一句
2日
紙屑の風に追わるる師走かな 圓窓
3日
待ち人の来たらず影の薄らひて 圓窓
今日の出来事・3日
「足立区立淵江中学校・開かれた学校作り協議会」の主催の講演会。
タイトルが「落語的家庭教育すすめ・圓窓講演」。 110分はやった。
この生徒、土曜だったのでほとんどいなかったが部活のテニス部の子達が校庭に何人か。
遠くにいる我々を見つけたのだろう。大きな声で「こんにちは」と挨拶をしてくれるではないか。
いいことだ。
「落語も大きな声を出さなければならない要素が多分にある」と講演。
いい学校であり、いい生徒であり、、、、、、、嬉しい。
圓窓
今日は何の日小咄「日本人宇宙旅行記念日」
05年12月02日
# 1990(平成2)年、TBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功した。
$「秋山さんは興奮したろうね」
「当然さ。足が地についてなかったんだから」
圓窓
でぇしょやの弥助 さん へ。
>> 初氷しまひ忘れし猫の皿 圓窓
この皿が高麗のなんとかいう名器で、
圓窓師匠の家の猫が時々売られていく、
などという話はありませんかねぇ、、、(笑)。 弥助
ありません。(笑)
売れていれば、楽なんですが、、、。
圓窓
>初氷しまひ忘れし猫の皿 圓窓
この皿が高麗のなんとかいう名器で、
圓窓師匠の家の猫が時々売られていく、
などという話はありませんかねぇ、、、(笑)。
今日は何の日小咄「映画の日」
05年12月01日
# 映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定。
1896(明治29)年11月25日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日を記念日とした。
この日は入場料の割引等が行われる。
$「映画館も昔は毎日のように満員だったんだがね」
「今は……」
「まったく……」
「栄耀映画(栄華)だね……」
圓窓
一日一句 1日
着膨れのつぶやき相手石地蔵 圓窓
圓窓
一日一句 30日
初氷しまひ忘れし猫の皿 圓窓
圓窓
でぇしょやの弥助さんへ。
>> ごはごはと焼芋包む新聞紙 圓窓
焼きいもを包むのは「しんぶんがみ」ではないでしょうか?(笑)
そういえば、そうだね、、、。(笑)
>> こんどは、字余りでは、、、?(笑)
どっちにしろ、新聞の字のほうが多い。(笑)
圓窓
>ごはごはと焼芋包む新聞紙 圓窓
焼きいもを包むのは「しんぶんがみ」ではないでしょうか?(笑)
こんどは、字余りでは、、、?(笑)
今日は何の日小咄「シルバーラブの日」
05年11月30日
# シルバーラブの日1948(昭和23)年、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻された。その後2人は結婚した。川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから「老いらくの恋」が流行語になった。
$「おじいさん、さっき一緒に歩いていた人は誰です?」
「ばあさんは焼きもちをやいているな。人のことを妬く歳か。自分の骨を妬く歳だぞ」
圓窓
ごはごはと焼芋包む新聞
あっ、一字たりない、、、、。
ごはごはと焼芋包む新聞紙 圓窓
圓窓
一日一句
26日
短めに秘めし言の葉初時雨 圓窓
27日
道普請ヘルメット照る小春かな 圓窓
28日
ごはごはと焼芋包む新聞 圓窓
29日
虚ろなる富士ひょっこりと西武線 圓窓
圓窓
今日の出来事・29日
日大へ。
講義。「蕎麦清」
蕎麦の話で60分くらいはあった。
ついでに、100人弱の学生だったが、挙手でアンケートを取った。「蕎麦、うどん、ラーメン」の中から好きなものはという。蕎麦が11人、うどんが15人、ラーメン40人。やはりラーメンが多かった。
圓窓
今日は何の日小咄「議会開設記念日」
05年11月29日
# 1892(明治23)年、前年の大日本帝国憲法発布を受けて初の帝国議会が開かれた。
$「議会って、なにをするところ」
「ああだこうだと丁々発止やるところさ」
「なんでそんなことをするの?」
「前に年に憲法発布されたから」
「剣法……? そうか。だから、丁々発止をしたがるんだ」
圓窓
渡邊稔さんへ。
>> はじめまして。落語好きの者ですが、ひょんなことから、コンピュータ・スクールで日比野興一さん(先生)と知り合いました。
日比野さんはあたしのこのサイトを立ち上げてくれましてね、、それ以来の管理者です。
助かってます。
>> 近々、師匠のお話を拝聴すること楽しみにしています。これからもお付き合いよろしくお願いします。
お体大切に一層のご活躍をお祈りします。
仕事は大小いろいろありますけど、、、
東京の落語会ですと、2月18日、マリオン落語会に出演しますよ。
「写経猿」と演ります。
圓窓
今日は何の日小咄「太平洋記念日」
05年11月28日
# 1520年、ポルトガルの航海者マゼランが、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過して太平洋に出た。
天候が良く平和な日が続いたため、この海を"Pacific Ocean"(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名附けた。マゼラン自身はフィリピンで原住民に殺されたが、彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。
$「船乗りは気が荒いってね」
「ところが、世界一周した船員達は性格ががらっと変わって、大人しくなった
しい」
「どうして?」
「角が取れて丸くなった」
圓窓
今日は何の日小咄「ノーベル賞制定記念日」
05年11月27日
# 1901(明治35)年、ノーベル賞の第1回授賞式が行われた。
ノーベル賞は、スウェーデンの化学者ノーベルが遺言で、自らの発明したダイナマイトで得た富を人類に貢献した人に与えたいと書いたことから創設された。ノーベルの遺産を元にした基金168万ポンドで、毎年その利子が、物理学・化学・生理学医学・文学・平和事業の5分野に貢献した人に贈られている。1969(昭和44)年に経済学賞が追加された。
毎年ノーベルの命日の12月10日に、平和賞はオスロで、その他の賞はストックホルムで授賞式が行われる。
$「国道41号の富山市―岐阜県高山市間をノーベル街道と制定したとか」
「その道はこれまでのノーベル賞受賞者12人の内、4人にゆかりの地が点在している」
「新しいところでは島津製作所フェロー田中耕一さん」
「東京大名誉教授の小柴昌俊さん(76)」
「小学1年から中学1年まで富山県大沢野町。1987年に生理学・医学賞を受けた米マサチューセッツ工科大教授、利根川進さん(63)」
「小学3年から高校3年まで高山市で。2000年に化学賞を受賞した筑波大名誉教授、白川英樹さん(66)」
「頭脳が並んでいるね。この道は富山湾のブリを岐阜県飛騨地方や長野県に運んだ通称、ブリ街道なんだって」
「道理で、偉い人たちが出るわけだ」
「どうして?」
「ブリは出世魚だもの」
圓窓
円窓師匠の今後の出演予定をお知らせ頂ければ幸いに存じます。よろしくお願いします。
はじめまして。落語好きの者ですが、ひょんなことから、コンピュータ・スクールで日比野興一さん(先生)と知り合いました。
円窓師匠のお知り合いと云うことで驚くとともに大変嬉しく、師匠を身近に感じました。
近々、師匠のお話を拝聴すること楽しみにしています。これからもお付き合いよろしくお願いします。
お体大切に一層のご活躍をお祈りします。
今日は何の日小咄「ペンの日」
05年11月26日
# 1935(昭和10)年、日本ペンクラブが創立された。
ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の団体である。ペン(PEN)は、文字を書く道具としてのペンをあらわすとともに、Pは詩人(Poets)と劇作家(Playwrights)を、Eは随筆・評論家(Essaists)と編集者(Editors)を、Nは小説家(Novelists)をそれぞれ
$「言論の自由はいいことです。これが無くなったら最悪です」
「しかし、ペンの暴力も最悪だぞ」
「確かに……」
「覚えがあるかい?」
「朝帰りしたとき、女房にペンでつっ突かれたことがある」
圓窓
今日は何の日小咄「OLの日」
05年11月25日
# 働く女性の異業種間交流サークル「OLネットワークシステム」が1994(平成6)年に制定。
1963(昭和38)年、初めて「OL」という言葉が女性週刊誌『女性自身』11月25日号に載った。
以前は、職場で働く女性のことを「BG(business girl)」と呼んでいたが、この言葉がアメリカの隠語で「商売女・娼婦」という意味があることがわかり、1963年9月12日にNHKが放送禁止用語とした。これに代る言葉を『女性自身』が募集し、「OL(office lady)」という言葉を1963年11月25日発売の号から使い始めた。
$「呼称をBGからOLになって変えたのはいいことです」
「でも、心配ことが……」
「なんです」
「アメリカのBGもOLと呼称を変えたらどうしよう……」
圓窓
今日は何の日小咄「オペラの日」
05年11月24日
# 1894(明治27)年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)奏楽堂で、明治以降日本で初めてのオペラが上演された。
演目はグノー作曲の『ファウスト』第1幕で、オーストリア大使館職員が出演し、ドイツ海軍軍楽隊長で『君が代』を編曲したフランツ・エッケルトが指揮をした。
$「社長の奥さんはオペラを習ってんだってな」
「ああ、そうだよ」
「あたしはそれを知らずに『オペラ大好きです』と、言っちゃったんだよ」
「よけいなことを言ったね」
「『発表会があるから』って、その切符を買わされてさ」
「とんだ災難だね」
「寄席の木戸銭と違って高いね。万だよ、万。それも五枚も」
「あああ、可哀相に……。仕方ないだろう。高いオペラを楽しんできなよ」
「その前にオケラになっちまったよ」
圓窓
今日は何の日小咄「手袋の日」
05年11月23日
# 日本手袋工業組合が1981(昭和56)年に制定。
これから手袋が必要になる季節に向けて、祝日の勤労感謝の日を記念日にした。
$「日取りの決め方が安直だね」
「?」
「指の数で5月5日とか、10月10日とかにすればいいのに」
「決め手に欠けたかな」
圓窓
今日の出来事・26日
町内の地蔵堂句会。
倅の自転車を借りて出かける。
漕ぎが楽でいい自転車だ。
圓窓
一日一句
24日
煮凝りの膳に置かれて震へけり 圓窓
25日
匙きても口への字なり風邪の子 圓窓
圓窓
今日の出来事・25日
ソバリエのほしさんに「市原へ行くのだけどいい蕎麦屋はありますか?」とたずねたところ、「花月庵はどうでしょう」と案内をもらった。
ところが、あたしの仕事先は八幡宿駅近く。その蕎麦屋まではちと距離がある。
帰りの電車時刻までには間に合いそうもないので、あきらめた、、、、。
今度、こういうときはあらかじめ計画を練って行こう、、、、。
圓窓
今日の出来事・25日
市原市教育センターで講演と落語。
学校の先生方が現場から離れて、教育全体を考えるために集っている部署とでもいうか、、、。
「落語の中の教育論」を語らしてもらった。
Y先生が窓門会に入ってくださった。これを縁にこっちから学校へ落語の授業に出向かなくちゃ、、、、。
圓窓
今日の出来事・24日
桐蔭学園のメモリアルホールで桐蔭寄席。
司会、玉置宏。喬太郎[蛸]、権太楼[壷算]、
圓窓[蕎麦清]、たい平[紙屑屋]。
控え室に何冊か置いてあったのが学校長の著書。
「桐蔭学園・世界への飛躍・鵜川昇著」
買わせてくださいと、事務の方に言うと、「どうぞ、読んでください。差し上げます」てなことで、いただいてしまった。
「能力別教育」に唸ってしまった。
お返しに、落語掲載の教科書を贈呈す。
帰り、あざみ野駅に隣接する、AZAMINO TOKYU MALL内に蕎麦屋があったので、飛び込む。
「朝日屋」。ひやしかき揚げ・895円
店内は名所提灯がずらり
圓窓
。
# 蕎麦屋。前座とばったり。
一日一句 23日
木枯らしや路地の奥まで訪ねくる 圓窓
圓窓
今日は何の日小咄「大工の日」
05年11月22日
# 日本建築大工技能士会が1999(平成11)年に制定。
11月が「技能尊重月間」であること。「十一」を組み合わせると「士」となり「建築士」にふさわしいこと。
22日は大工の神様とされる聖徳太子の命日(622年2月22日)であること。
「11二二」を組み合わせると、11はニ本の柱をあらわし、ニは土台と梁あるいは桁を表して軸組合の構造体となり、11月22日が大工との関係が密接であることから。
$ 音楽を聞きながら仕事をする大工が増えてきた。
「なにを聞いてますか?」
「ベートーベンしか聞かねぇな」
「?」
「それも交響楽さ」
「??」
「中でも運命さ」
「???」
「大工(第九)さ」
圓窓
今日は何の日小咄「歌舞伎座開業記念日」
05年11月21日
# 1889(明治22)年、東京・木挽町(現在の東銀座)に歌舞伎座が開場した。
元々木挽町には江戸三座のひとつ・森田勘彌座があったが、1841年の天保の改革の時に浅草に移され、それから半世紀ぶりのことだった。当時の建物は戦災で焼失し、1951(昭和26)年に復興された。
$ 見に行く人たちも歌舞伎調子で、
「申しもうし 花の歌舞伎座 いずくにぞ?」
「おぅさ この花道を まっつぐ行きねぇ」
「して あとどれほどの 道のりじゃ?」
「なぁにはほんの七五丁(調)さ」
圓窓
今日は何の日小咄「ホテルの日」
05年11月20日
# 1890(明治23)年、帝国ホテルが開業した。
$「紀宮さまの婚礼の披露宴を挙げたのは?」
「帝国ホテルさ。11月15日」
「遅刻した人はいなかったってね」
「そうだとも、定刻ホテルさ」
圓窓
一日一句
20日
拾ひたるマフラーじきに落としけり 圓窓
21日
山茶花の盛りを置いて居を移す 圓窓
22日
凩や意地を立たせて路地を出る 圓窓
圓窓
でぇしょやの弥助さんへ。
>> あああ、20日は何かあったはずだと思っていたら、落語っ子連だった、、、、。
すっかり忘れて、お得意さん回りなどしていまし
た。。。
午前中10時半からリハーサルをしました。
あたしは4席聞いて、本番で四席聞いて、批評して、、、、、、。
疲れましたね、、、、。
でも、高座も客席も真剣だったので、嬉しかったですよ。
「落語」「好き」ということがしみじみ感じられました。
圓窓
あああ、20日は何かあったはずだと思っていたら、落語っ子連だった、、、、。
すっかり忘れて、お得意さん回りなどしていました。。。
いい素人衆の落語を聞くのは楽しい。
悪い素人衆の落語は、プロを気取ったり、プロを小ばかにしたりして鼻持ちならないことがある。
落語っ子連には悪はないから嬉しい、、、。
今日はそれを証明したようだ、、、。
圓窓
今日の出来事・20日
第4回 落語っ子連発表会。オフィス樹。40人。
まど里、高座には上らないが前座として高座かえしを勤める。
清女[饅頭怖い]、まど女[十徳]、無弦[町内の若い衆]、広池[ぞろぞろ]。
圓窓[萩褒め]。
まど女の実家より和菓子、守山柿の提供。
聞き手の子達に圓窓グッズのプレゼント。
まど女が携帯をなくしたと大騒ぎ。結局、カバンの底にあったようだ。
圓窓
でぇしょやの弥助さんへ。
>> いよいよ、寒くなりました。
今日からストーブをつけました。
火の元に気をつけてくださいよ。
圓窓
いよいよ、寒くなりました。
今日からストーブをつけました。
一日一句
18日
脱ぎ置きし皮ジャンちぢんで坐りけり 圓窓
19日
凩に押されて橋を渡りけり 圓窓
圓窓
今日の世間話
05年11月17日
女に振り回された。と言っても、女性専用車のこと。
千川から永田町での乗り換えに便利と最後車に乗ったのが、朝9時10分すぎくらいだろう。発車してまもなくアナウサーの声「後ろの車両は女性専用車です」と。
ああ、そうか、10月31日から始まったのだ。しかし、どうせ朝のラッシュ時だけのことゆえ、サラリーマンではない小生は気にも止めずにいた。それにしても9時過ぎまでその時間帯とは想像もしてなかった、今日まで。
次の要町で下車。それをやり過ごして次の列車へ。後ろから2両目に乗った。
と、走っていると、アナウス「9時20分になりましたので、女性専用車は解除いたします」と。
ああ、これからは男も堂々と乗れるのか。
まもなく永田町。エスカレーターを上って、降りて半蔵門線。電車がきていたので、急いで最後部に乗る。発車。男はあたしのほかに一人いる。すぐにアナウス「後ろは女性専用車です。前の車両へ移動してください」と。
なにを言ってんだ。20分すぎてんのに。あの車両は勘違いしている。よくあることだ。次の停車駅の名を間違えたり、行き先名を間違いえたり。やつの時計は遅れているのか。
こっちはニタニタしながらいると、車掌が車内のドアーを開けて厳つい顔をして近づいてくるではないか。
「移ってください」。
「9時20分に解除になった、と聞いたよ」と言うと「9時30です」と言う。
「有楽町線から乗り換えてきた。確かに9時20分に解除のアナウスがあった」
「いえ、930です」の一点張りなんだ。優越感満々、威圧的な口調で。貼り紙を見ると、なるほど、「半蔵門線は9時30分まで」のようなことが書いてあった。
そうか、線によって時間が違うんだ。痴漢がちがう、という洒落にも通じる。
なら、車掌は「線によって時間帯は違います」くらいのことをやさしく言えないのかなぁ、、、。(笑)
圓窓
去年11月から女房の父親と同居している。
そんなことで、女房の弟、妹がくるようになった。
マージャをしにくるのだ、、、、。
それを義父は楽しそうに見ている。
今日はあたしも仲間に入った。
麻雀は何年ぶりだろう、、、、、。
勝てなかった、、、、、。
圓窓
今日は何の日小咄「一茶忌」
05年11月19日
# 俳諧師・小林一茶の1827(文政10)年の忌日。
$「一茶というから、茶道の人かと思ったよ」
「俳諧の人だよ」
「ハイカイ(徘徊)? それでいろんな所を歩きまわったんだね」
圓窓
今日は何の日小咄「土木の日」
05年11月18日
# 土木学会、日本土木工業協会等が建設省(現在の国土交通省)の支援で1987(昭和62)年に制定。
1879(明治12)年に工学会(日本工学会の前身)が設立され、また、「土木」を分解すると「十一」「十八」になることから
$「今日の日にしたのは、土木を分解すると、十一、十八になるからだってさ」
「落語の[平林]みたいな決め方だね」
「橋が落ちるのはそのせいかな」
圓窓
今日は何の日小咄「将棋の日」
05年11月17日
# 日本将棋連盟が1975(昭和50)年に制定。
江戸時代、将棋好きの8代将軍徳川吉宗が、この日を「お城将棋の日」とし、年に1回の御前対局を制度化した。
$ 将棋指しが弟子によく言う言葉がある。
「将棋は歩の使い方ひとつだぞ。いいかい」
その将棋指しが腰痛で入院して退院のとき、医者に言われた。
「このあとは、歩き方ひとつですよ」
圓窓
今日は何の日小咄「幼稚園の日」
05年11月16日
# 1876年、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属幼稚園を開設。初の官立幼稚園 。
$「官立幼稚園が出来たのは今から130年前だ」
「そんなに古くからあったのかい?」
「そうなんだよ」
「親たちは送り迎えをしたのかね」
「しただろうな」
「バスかい?」
「まさか」
「じゃ、なにで?」
「駕籠さ」
「まさか」
(備考:近くに駕籠町があった)
圓窓
今日の世間話 051119
『饅頭屋の修行』
学友のTから依頼された仕事の打ち合わせ。
うっかり忘れて自宅でごろ寝をしていて、電話で起こされて急いで池袋の巴里へ駆けつける。40分の遅れ。
Tは「著作権促進会議の理事長」。
他に担当者が二人。
その一人が「友人が脱サラで饅頭屋を開こうと、今、会津で修行しています。その修行先の品ですが、お土産に」と言ってくれたのが饅頭。
「岩井庵」とある。
「いずれ八王子で饅頭屋を開業したいそうで」
「いつ頃でしょうか」
「一年二年では無理だと思いますが」
「やはり、饅頭(何十)年先でしょうね」
圓窓
夕方、帰宅して隣町の高松の「一久」へ自転車で捜しながら蕎麦を試し食い。
住宅地にあるこだわりの蕎麦屋。
ソバリエ推奨の店。
せいろ。7なにがし円。細くて硬さがあって、あたしにはいい。
圓窓
今日の出来事・18日
池二小へ行って、広池君にに稽古。[ぞろぞろ]。
彼のおおらかさが間と調子を生かすときと殺すときがある。
広池君のの母親から「田舎からのもらい物ですが」と、柿を貰う。
「冬に夏期とは……?」という洒落は言わなかった、、、、、。(笑)
圓窓
圓窓
今日の出来事・17日
世田谷区の消費生活課の主催の講習会で、講演。
「話し方教室」
まず、笑顔、絵心、、、、、と。
圓窓
今日は何の日小咄「七五三の日」
05年11月15日
# 男の子は数えで3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年に、成長を祝って神社に参詣する。3歳は髪を伸ばす「髪直」、5歳は初めて袴をつける「袴着」、7歳は本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解」をそれぞれ祝う意味がある。
$「今年、七五三の祝いなんだ」
「誰?」
「七つ五つ三つの3人」
「二つ違いなのか。たいしたもんだね」
「来年もあるんだよ。二つ違いの七つ五つ三つの三人の祝いが」
圓窓
今日は何の日小咄「パチンコの日」
05年11月14日
# パチンコ業者の集まりである全国遊技業協同組合連合会が1979(昭和54)年に制定。
1966(昭和41)年、全国遊技業協同組合連合会が発足した。当時は、インベーダーゲームの進出でファン離れが起きたため、人気挽回をねらって制定された。
「パチパチ」の語呂合せで8月8日にするという案もあったが、8月は2月とともに「ニッパチ月」と呼ばれて客の数が減る月であるため、ボーナス期を控え客の増加が見込まれる11月を記念日とした。
$「なんでこの日になったの?」
「ボーナス期を控え客の増加が見込まれるから11月を記念日とした」
「ボーナス期を狙ったんだ」
「そう」
「泥棒もそうだってさ」
圓窓
一日一句
15日
天井のしみ見付けたり吸入器 圓窓
16日
また一人きて燃えさかる焚火かな 圓窓
17日
顔引くも手はそのままの焚火かな 圓窓
圓窓
せこ金ゲンシローさんへ。
>> もう金輪際、電車でも寄席でも、他人に席を譲るもんかと思った、特に礼儀知らずの年寄りには…。こっちが若僧(?)だと思ってバカにするんじゃねぇよ!(そうは言っても50近くになりますが…)
体験談、ありがとう。
人ごみの中で不愉快な思いをすることは、誰にでも度々あると思います。
あたしにもあります。また逆に人を不愉快にしているのではないかと、ふと反省をすることもあります。
世の中、いやな人ばかりではないと思います。
席を譲るという好意は捨てないでください。真から感謝する人もどっさりといると思いますので、、、、。
圓窓
今日は不愉快な体験談ですが、先日、新宿の老舗席S亭でのことです。週末で大入り満員状態したが、最前列で中入り前「色物(マジック)」の開演中にトイレへ行きました。(休憩時間にはトイレが混むので、アタシはこの時間に済ませることにしていますが、座席の脇にはビニール傘とカバンを置いてありました…)戻って来たら、知らないお爺さんがドッカリと着席して見物していました。
まぁ、相手は老人でもあるし、場内は立ち見が出るくらい混雑しているし、シートの上にカバンを乗せて行かなかったアタシの不手際かも知れないし、…と、殊勝なことを考えて、カバンの中からペットボトルだけ取り出しに、そこの席まで行ったら、当のお爺さんがバツ悪そうに腰を上げた始めたので、そのまま立ち上がろうとする彼を押し留めて、仕方なく下手の通路で立ち見することにした。
やがて昼夜の部の入れ替え時間に観客が帰り始めると、その爺さんは一言の礼も告げないで、しかも他のオバサンに席を譲って帰って行ってしてしまった(ようだ)。
たまたま来場していた知人に反対側の桟敷席から手招きされたので、そちらへ移ろうと元の最前列の席へカバンと傘を取りに行くと、オバサンが驚いて「あ〜らゴメンナサイ!?先程のお爺さんが『どうぞお座りください』と言ってくれたもので、それにしてもカバンと傘が置いたままだったので、妙だと思っていたんですけれど…」と恐縮していた。
以前に、某師匠の著書に「電車内で席を譲った時には、遠ざかって欲しい。気兼ねするから…」とあったので、俺は気を利かして、お前ぇさんが退出してから席が空くのを待っていたけれど、開演前には、結構長い時間、外で並んで座席を取ったんだぜぇ。混雑していたから、老人に立ち見は気の毒と思って追い立てなかったんだぞぅ!!一言くらいお詫びや礼を述べてもバチは当たらないじゃねぇか!?もう金輪際、電車でも寄席でも、他人に席を譲るもんかと思った、特に礼儀知らずの年寄りには…。こっちが若僧(?)だと思ってバカにするんじゃねぇよ!(そうは言っても50近くになりますが…)
圓窓師匠も客席がトラぶっていたら芸に集中は出来ませんでしょう、携帯の着メロでもシラける場合がありますからねぇ…??
このところ午前中からの外出が続いた。
今日は夜のコミカレだけなので、のんびりと休養気分。
圓窓
今日の出来事・15日
日大へ。[寿限無]
もう、朝、寒いよ、、、。
圓窓
今日の出来事・14日
学芸大付属世田谷中学校の一学年160人へ落語の授業。。[ぞろぞろ]。なにを隠そう国立である。
会場は「武道場」。そのに設置されたホワイトボードは書けるけどなかなか消えない。使いにくい。
国立だから小泉さんに抗議をすればいいのかしら、、。(笑)
小学校の国立は筑波大付属小になんどか行っている。学芸大の付属小は世田谷、小金井、竹早、大泉と4箇所にある。吉窓の娘は大泉だった。
親はともかくも娘はすごいんだろう。(笑)
圓窓
05年11月13日
今日は何の日小咄「漆の日」
# 日本漆工芸協会が1985(昭和60)年に制定。
平安時代のこの日に、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が、京都・嵐山の法輪寺に参詣した時に漆の製法を菩薩から伝授したとされる伝説から。この日は、以前から漆関係者の祭日だった。
$「漆工芸を初めてみたとき、その素晴らしさに魅せられた」
「そういう人はよくいるよ」
「で、漆工芸を習っているんだ」
「偉いね」
「今ではすっかり病み付きになってしまった」
「漆の場合は、かぶれる、というんだよ」
圓窓
今日の出来事・13日
20日の発表会へ向っての落語っ子連の最終稽古。
Mさん、久々の参加。まだ読む段階だが、声が張れるようになってきた。20日は、前座の仕事をやってくれるとのこと。受付も頼むことになりそう。
MDさんが4つの目覚ましを無視、無聴していたらしい。遅刻して12時に顔を出した。その意欲を買おう。
圓窓
終って、マーミアンへ。
一日一句
12日
北風の路地に突っ込み天へ抜け 圓窓
13日
冬ざれや戸を開ける手をこすりけり 圓窓
圓窓
今日は何の日小咄「洋服記念日」
05年11月12日
# 東京都洋服商工協同組合が1929(昭和4)年に制定。これとは別に、全日本洋服協同組合連合会が1972(昭和47)年に制定。
1872(明治5)年、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止された。
$「吉原の花魁連中がこぞって洋式の礼装にしたってぇ噂だが……」
「どうだかなぁ……?」
「だって、わちき(和式)はいやでありんす、って」
圓窓
一日一句 11日
山寄りの村を湿して初時雨 圓窓
池袋第二小で教育研究会。遠く北は釧路から参加した人もいた。
圓窓
4年一組の児童は落語の予習をしていて、その結果をそれぞれが「お笑いかわら版」というタイトルでレポートを作っていた。
それがかわいい出来上がり。
だから、今日の本習ではすでにレベルアップしていた。参観の大人より、上だろう。
圓窓
今日は何の日小咄「電池の日」
05年11月11日
# 日本乾電池工業会(現在の電池工業会)が1987(昭和62)年に制定。
乾電池の+−を「十一」にみたてて、「電池についての正しい知識と理解を広め、常に正しく使ってもらおう」という日。
$「お父さん。電池を買ってよ。切れてちゃった」
「オモチャはお父さんが買ってやったんだから、電池は自分で買え」
「そういうもんなの?」
「そう、そういうもんさ。貰ってばかりいると、身に付かないぞ」
「どうして?」
「お父さんもな、親から貰った田地(電池)はとうに手放してしまった」
圓窓
池袋第二小の校長に「昨日は和邑という蕎麦屋へ行きました」と言うと、「知ってます。あたしは元、雑司が谷小学校にいましたから、通いました」というではないか、、。
世間は狭い、、、、だから、側になるのかな、、。
圓窓
今日の出来事・11日
今年で三度目、池袋第二小学校へ。
16・17年度 豊島区教育委員会教育研究会。研究校・豊島区立池袋第二小学校。
ここで4年児童への落語の授業と教員への講演。
4人のグループで[ぞろぞろ]の読み聞かせがあった。女の子がおじいさん役を、男客の役を、役になりきってよくやっていた。声もまあまあでていた。これで三年目の授業なので、教科書にはない落語のライブをしようかなと思ったが、面白く脱線をしたのでライブは小咄だけという結果になってしまった。そこで、後日に改めて口演を約束する。
教員への講演では、親を教育したい、と強めに言った。[十徳]も。
打上げにも参加。駅近くの長寿庵。日本蕎麦屋なのにレストラン並みのメニュー。「らーめんサラダ」の旨いこと。(笑)
圓窓
今日の出来事・10日
江戸蕎麦学の面々の内、三人と初会合。
蕎麦をたぐる。
雑司が谷の和邑(わむら)。
久しぶりにいい蕎麦をたぐる。
練馬区の九品院に残る蕎麦食い地蔵の話の落語化。
この際、民話に残る蕎麦を落語化しようという話もでる。
そのほか、面々から蕎麦に関する薀蓄を聞きながら、湯桶をあけた。
馳走になってしまった。
来年の2月4日に九品院で催されるので、噺もこれからこねて、打たなくては、、、、、。
圓窓
一日一句
9日
もつれたる話に煮凝りまた落とす 圓窓
10日
少年の顔に戻して吸入器 圓窓
圓窓
今日は何の日小咄「エレベーターの日」
05年11月10日
# 日本エレベーター協会が1979(昭和54)年に制定。1890(明治23)年、東京・浅草の「凌雲閣」に設置された日本初の電動式エレベーターが一般公開された。
因みに、デパートだけに限ると、最初にエレベーターを設置したのは白木屋(今の居酒屋ではないよ)。エスカレーターは三越。
$「凌雲閣の天辺でお茶会をひらいたそうだ」
「この際だてんで、小さな子達を連れてきた人がいて、子の面倒をみたり、お茶をやったりで、大変だったそうだ」
「?」
「茶会、茶会、茶会(高い高い高い)」
圓窓
今日は何の日小咄「太陽暦採用記念日」
05年11月09日
# 1872(明治5)年、明治政府が、それまでの太陽太陰暦(旧暦)をやめて太陽暦(新暦)を採用するという詔書を布告し、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とすることになった。
$「暦って、お日さんとお月さんのお世話になっているんだ」
「そういうことだね」
「暦の切り替えは明治5年か……」
「130年前だよ」
「月日の立つのは早いもんだね」
圓窓
でぇしょやの弥助 さんへ。
>> 代書屋稼業をしておりますと、
言われたとおり字を書くてぇのも、
これでなかなかタイヘンで。。。
だんだんと疲れてくると、
間違って書くようなことがあります。
朝、昼、夜、
いつ間違いが多いのか調べてみましたら、
どうも、五時(誤字)がいけなくて、、、。
あたしもそうです。
毎朝のように「字が違っているよ」って、起こされていますよ。
誤字起き、ってヤツで、、、、。
圓窓
代書屋稼業をしておりますと、
言われたとおり字を書くてぇのも、
これでなかなかタイヘンで。。。
だんだんと疲れてくると、
間違って書くようなことがあります。
朝、昼、夜、
いつ間違いが多いのか調べてみましたら、
どうも、五時(誤字)がいけなくて、、、。
今日の出来事・9日
拙宅の水道の配管に漏水があるようだ。
月々の水道料がいつもの月の倍以上になってきてしまった。
今、水道局にその箇所の点検をやってもらっている。
「漏水ですね」
「この家ももう築30年以上たってますから」
「やはり老衰ですね」
圓窓
一日一句 8日
無住寺の裏の渋柿たわわなり 圓窓
季節はもう冬だよね、、、、、。
圓窓
今日は何の日小咄「レントゲンの日」
05年11月08日
# 1895(明治28)年、ドイツの物理学者・レントゲンがX線を発見した。
レントゲンは、真空管に高電圧をかけて実験をしている時に、真空管の外に置かれた蛍光紙が明るく光ることに気附いた。真空管と蛍光紙の間に1000ページもの厚さの本を置いてもこの光は透過した。そこでレントゲンは、この光に「正体不明」という意味で「X線」と名附けた。
後の研究で、X線は、波長がたいへん短い電磁波であることが判った。波長が短いため体を通り抜けることができ、体の部位や状態によってその通り抜け方が違うことから、体の内部の様子を撮影することができる。
$「アキラ。このテストはどうしたたの! バツばっかりじゃないか!」
「バツじゃないよ」
「バツじゃないか!」
「先生はボクの胸の内がわからないのに、X線をくれたんだよ」
圓窓
今日の出来事・8日
日大へ。
[鼓ヶ瀧]を。
4年生向けのレポートの提出を要請する。
テーマは「自分にとって落語のメリットはあったのか、なかったのか」
圓窓
弥助さんへ。
>> 勘違いコタツで母の手を握り 詠み人知らず
その母が握り返したってぇじゃありませんか(笑)
圓窓
冬は冬で楽しみがありますよ(笑)。
勘違いコタツで母の手を握り 詠み人知らず
一日一句 7日
朝刊の届きたる音冬に入る 圓窓
もう冬、、、やだなぁ、、
風邪がはやりそうで、、、。
圓窓
今日は何の日小咄「鍋の日」
05年11月07日
# 食品メーカー・ヤマキが制定。この日が立冬になることが多いことから。
$「釜の日はないのかな」
「昔からあるさ」
「いつ?」
「毎月、月末さ」
「由来は?」
「月々の尻にあたるからさ」
圓窓
今日の出来事・7日
「豊島区障害者団体連合会・創立20周年記念の集い」で講演と落語[ぞろぞろ]。
会場は東池袋の「かんぽヘルスプラザ東京」。
会長のTさんから帰り際、「120%の成果でした」と反応を貰う。
講演の中で「昔から落語は聞くもの、見るものではない」と話を進めると、聾唖者から手話通訳を通して、「我々は見ているが……」と反応意見があった。 なるほど、落語の実演をしているあたしの脇で女性が手話通訳をしている。それを見て落語を鑑賞しているいるわけだから、「見る」ということだろうが。
そこで、「手話は、話なんです。それを見るということは、「聞く」と同じことをしているわけです」と答えたが、理解してもらえただろうか。
終ったあと、懇親会にも出席して、教科書と紙芝居を計3点だがプレゼントした。
区や都の議員さんも列席していた。
頑張ってもらいたい方々でもある。
圓窓
一日一句 6日
山茶花の押し合い圧し合いなほ咲きぬ 圓窓
最寄の駅まで花を見ぬことはない。
圓窓
今日は何の日小咄「アパート記念日」
05年11月06日
# 1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパートが完成した。東京・上野の「上野倶楽部」で、5階建て70室の木造アパートだった。
$「これが話題のアパートだ」
「江戸の長屋を重ねただけじゃねぇか」
圓窓
今日は何の日小咄「電報の日」
05年11月05日
# 電報を申しこむ時の電話番号「115」から。
$「電報は使わなくなったね」
「使っても祝電か弔電だね」
「浅草にいくと、まだまだのこっているね」
「?」
「伝法(電報)院がある」
「やはり、弔電とのつながりかい?」
圓窓
今日は何の日小咄「王貞治引退し助監督に」
05年11月04日
# 1980年巨人の王貞治選手が現役を引退し助監督に。
$「チームの一本足の王さんが引退してて、このあとは?」
「巨人の助監督になるそうだ」
「じゃ、今度は監督の右腕一本になるんだな」
圓窓
テレビドラマの「火災調査官・紅蓮次郎」が良かったので、原作のコミック本を読もうと、町内のコミック本屋へ行ったが、それはなかった。残念、、、、。
代わりに普通の本だが、「お天気用語辞典」を購入。
圓窓
一日一句 5日
寄鍋の自慢小匙に一杯半 圓窓
仕上げの雑炊のほうが好きなんです。 圓窓
今日の会場は伊勢崎市東。昔の東村。
ルートは、関越から北関東道で伊勢崎ICで下りよ、と言われていたので、窓輝に運転させて、高速へ。
いよいよ北関東道。
ひょいと、ナビを見ると、カーソルは道なき道を動いているではないか。
「ああ、川に飛び込んだ!!!」
車はちゃんと道を走っている。
カーナビがあまりにも古すぎた。
早く言えば、車と同い歳。
圓窓
ああ、またちがった、、、。
「芭蕉が主観、蕪村が客観」がただしい。
圓窓
中村草田男の著「蕪村集」を読んでいるうちにわかった。
「芭蕉は客観、蕪村は主観」とあたしが勝手に思っていたことであって、書には「芭蕉が主観、蕪村が主観」と記してある。
語彙も哲学的になってきて、わからなくなった。
蕪村に「糞」の句がいくつかあったが、、、。
圓窓
今日の出来事・5日
伊勢崎市東で文化祭の一環で、「ふるさと寄席」。
圓窓[蕎麦清]、窓輝[釜泥]、くれない組。
文化祭の展示室を回って作品を鑑賞していたら、なぜか豆腐屋のチラシをもらった。
「三代目茂蔵」。
その製品は地元の酒屋に置いてあるという。
帰りに寄っていろいろと1000程買う。
主がお礼だと地酒「あずま太鼓」をくれるではないか、、、。
帰路の車の中で、豆乳プリン、一口がんも、生揚げを食す。旨し。
あと、熟睡。
圓窓
芭蕉と蕪村の違いを少しでも知りたくて、図書館で蕪村に関する本を借りる。
中村草田男の著「蕪村集」。
芭蕉は客観、蕪村は主観。二人は対照的ではあるが目指す所は一致するらしい。
圓窓
一日一句 4日
両の手は赤子あやすやう阿波踊り 圓窓
季節に合わないが、雑誌に「阿波踊り」ってぇのがあったもんで、、、。
圓窓
東京都の教育委員会から電話で、「小学校の教員になる予定の学生を対象に講演をしてくれないか」と。
もちろん、、やりましょう、と、、、、、。
圓窓
夢楽師とは、つながりはなかったが、、、。
また一人、、、、、逝ってしまった、、、。
圓窓
一日一句 3日
ああんああ声試しつつ吸入器 圓窓
古い吸入器を探し出す季節に、、、。圓窓
でぇしょやの弥助さんへ。
>> 歌で覚えた頓珍漢なこととして、
ずーっと、
「おおいら岬」という岬があると、
信じていました、、、。
あたしは幼少のころラジオドラマで「それは誤解です」なんてぇのを聞くと、「五階に住んでいる人なのかなぁ」と思ってました。
圓窓
>灯台
歌で覚えた頓珍漢なこととして、
ずーっと、
「おおいら岬」という岬があると、
信じていました、、、。
「おいら、岬の灯台守は、」と、
てんを打って区別するのが正しいのでしょうね。
今日は何の日小咄「ハンカチ−フの日」
05年11月03日
# 日本ハンカチーフ連合会が1983(昭和58)年に制定。
フランスのルイ16世の王妃マリー・アントワネットが、国内のハンカチはすべて正方形にするようにという布告をルイ16世に出させたことから、マリー・アントワネットの誕生日11月2日に近い祝日を記念日とした。
$「ハンカチの正方形は……?」
「アントワネットが言い出したらしい」
「でも、名前はマリーって、丸いよ」
圓窓
一日一句 2日
日向ぼこ運ぶや午後の西武線 圓窓
昨日の日大の帰りでした、、、、。 圓窓
一日一句 1日
合併の橋を渡りぬ初時雨 圓窓
寒々しい、、、、。圓窓
今日は何の日小咄「阪神タイガース記念日」
05年11月02日
# 阪神タイガース記念日タイガース後援会等が制定。1985(昭和60)年、日本シリーズで阪神タイガースが西武ライオンズを破り、38年ぶり、2リーグ化後初の日本一になった。
$ 今年の日本シリーズで阪神はロッテに完敗。
「ロッテの選手はみんなガムを噛んでいた。あれに負けた。完全に噛まれたね」
「ロッテの親会社の商品だからね」
「タイガースも商品をベンチに現せばよかったんだよ」
「なにがあるの?」
「ベンチを阪神電車の中のような作りにすればいいんだよ。立っている選手は吊り革に掴まってさ」
圓窓
今日は何の日小咄「灯台記念日」
05年11月01日
# 灯台記念日海上保安庁が1949(昭和24)年に制定。
1869(明治元)年、神奈川県横須賀市に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が起工された。制定当初は、洋式灯台の導入が文化の先駆けの意味が強かったことから、11月3日の文化の日に先駆けて1日を記念日としたとされていた。しかし、1970(昭和45)年の『灯台百年史』の編纂の時に、観音埼灯台の起工日が11月1日であったことが判明し、これが灯台記念日の日附の由来とされるようになった。
海上保安庁でも「文化の日先駆け説」と「観音埼灯台起工日説」の両方を併記して広報して来たが、後者の方が一般的に紹介されるようになってたことと、1948(昭和23)年に灯台80周年記念行事が行われていたことが判明したことから、2000(平成12)年より、由来を後者のみとし、実施回数も明治元年からの通年表示とすることになった。
$「由来が二つあったとは知らなかった」
「まさに灯台許暗し、だったんだね」
圓窓
今日は何の日小咄「日本茶の日」
05年10月31日
# 1192(建久2)年、臨済宗の開祖・栄西が宋から帰国し、茶の種子と製法を持ち帰った。
$「栄西って、お坊さん?」
「禅宗のね」
「膳(禅)にはお茶が似合う」
圓窓
今日は何の日小咄「初恋の日」
05年10月30日
# 島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の中棚荘が制定。1896(明治29)年、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として初恋の詩を発表した。
毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等のイベントを行っている。
$「初恋は甘い感情が行ったり来たりするものさ」
「そういう感情をハガキにしたためて応募するらしい」
「じゃ、ハガキも往復がいいのかな?」
圓窓
一日一句 31日
山茶花や膝から下りる猫重し 圓窓
降りると軽くなるから重さを感じる、という、、。 圓窓
29日の地蔵堂句会は欠席者が多くて、(あたしもその一人)投句句会になった。
投句率は抜群だったので一安心、、、、。
欠席投句なないと、寂しいものなので、、、。
圓窓
日大の所沢校舎への講義に車で通おうと考えている。
もちろん、自ら運転して。
30日、落語っ子連の帰りにそのテストをしてみた。
川越街道をどんどん、どんどん行って、所沢インターのほうへ右に曲がった。
帰路、「資料館」を方からて、、、、、、。
資料館って、どんなものなのか、いつか寄ってみよう。
圓窓
今日の出来事・30日
落語っ子連の特訓。
Mさんの首の振り方がスムーズになってきた。
Kさんは声の幅があるので、明るさがあっていい。
圓窓
すいかずらさんへ。
>> 10月16日「五七五好夢枕屋(めいくごのみゆめのまくらや)」ご口演ありがとうございました。大盛況でした。企画段階で故鴻司氏が出演を楽しみにして「僕は踊りは得意だから」と艶っぽい指先を作った時の景が浮かびます。
あの日、先生とお会い出来なかったのが、無念で、無念で、、、、。
>> 昨日の鴻司氏の野辺送り、ごく近しいお身内だけのあたたかいお見送りでした。
私の好きな鴻司氏の句は、
ゆつくりと歩いてをれば後の月 鴻司
先生はゆっくりと冥土の道をあるいているのでしょうね、、。
圓窓
10月16日「五七五好夢枕屋(めいくごのみゆめのまくらや)」ご口演ありがとうございました。大盛況でした。企画段階で故鴻司氏が出演を楽しみにして「僕は踊りは得意だから」と艶っぽい指先を作った時の景が浮かびます。昨日の鴻司氏の野辺送り、ごく近しいお身内だけのあたたかいお見送りでした。
私の好きな鴻司氏の句は、
ゆつくりと歩いてをれば後の月 鴻司
今日の出来事・29日
はいとりがみ句会の吉田鴻司先生が死去。
鴻司先生は業界の長老で、源義先生の直弟子。
北海道に師弟の句碑と建てたばかりだった。
あたしははいとりがみ句会に入ってからの短い期間であったが、常に温かい雰囲気の人物であった。
あたしの好きな鴻司先生の句は、
海よりの風が大好き猫じゃらし 鴻司
合掌。
圓窓
Yさんの兄さんのこと。
名古屋で文化関連の活動をしている。
来年、その文化活動の中に落語を入れたいので、という企画の打ち合わせもする、、、、。
話し好きというか、おしゃべり好きというか、、、とにかく多趣味で、写真を撮りましょう、ということになった。
能書きはいろいろとあるが、なかなかシャッターはおりない、、、、、、。
そうしたのかな、とカメラを点検していると、フラッシュが「パッ!」
「タイマーの設定にしてあった、」、、、と。
圓窓
Yさんのお母さんのこと。
元気、元気、、、、、、。
20年ほど前、あたしの母ともこの店で会合を開いたことがあったそうな。
そんな写真を見ながら、しばし、回顧談。
圓窓
今日の出来事・29日
小学校の級友Yさんから「母の米寿の祝いに顔を出しませんか」と誘われていた。
雑司が谷の鬼子母神前の割烹「大倉」へ。
乗ったタクシーの運転手が「あの大倉はすごいですよ。真ん前にあった共同便所をどかしたんだから、、、」と感心して言った。
着いたとき、「ここが共同便所のあった跡です」と。
おいおい、こっちの目的地は大倉なんだぞ。
店の前にはYさんのお兄さんがあたしを迎えに立っていた。
圓窓
05年10月29日
今日は何の日小咄「大日本史を幕府に献上した日」
# 1720年、水戸藩が『大日本史』250巻を幕府へ献上 。
「水戸黄門漫遊記」の誕生は「大日本史」の作業をヒントにしたとか。
$「水戸の御老公を先頭にしてやったんだろうね」
「他の人はその後を付いて行ったんだね」
「そう。黄門(肛門)のあとについただけさ」
圓窓
今日は何の日小咄「速記記念日」
05年10月28日
# 1882(明治15)年、田鎖綱紀が東京・日本橋で初の速記講習会を開催した。
その年の9月19日に、『時事新報』紙上で発表された自ら考案した速記法で、その速さから田鎖綱紀は「電筆将軍」と呼ばれた。1888(明治22)年に、講習会の7周年記念会を開いた時にこの日を「速記記念日」として定めた。
現在では日本速記協会が中心となり、ひろく国民に速記に関する関心を啓発する催し等が行われている。
若林が酒井と組んで速記した当時の人気落語家・三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」の口述速記本は、講談落語速記本流行の火付け役となりました。この本にも速記符号を併載していましたが、これら講談落語本は当時のベストセラーとなり、速記のPRに大きな効果があったわけです。
$「当時の噺家の喋っている噺をその場で書き取ったんだ」
「そうとう早かったのかい」
「早いのなんのって」
「負けず嫌いの噺家の一人が負けずに早口で喋ったらしい」
圓窓
今日は何の日小咄「松蔭忌」
05年10月27日
# 松陰忌長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰の1830(文政13)年の忌日。安政の大獄で捕えられ、この日に処刑された。
$「塾って、学校だね」
「大学かもしれないな」
「長年開いていたの?」
「ううん。初め、吉田松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けた。ついで、久保五郎左衛門がその名を継承し、子弟の教育にあたった。安政4年(1857)11月5日、松陰がこれを引き継ぎ、野山獄に再投獄されるまでの約1年間、多くの門弟に接し指導激励を行なったんだ」
「たった一年?」
「うん」
「短期大学だったんだ」
圓窓
今日は何の日小咄「サーカスの日」
05年10月26日
# 1871(明治4)年、東京・九段でフランスの「スリエサーカス」による日本初のサーカス興業が行われた。
$ 親が子供に、
「言うことをきかないと、サーカスに売っちゃうぞ」
と、子供が親に、
「暮らしは綱渡りのくせに……」
圓窓
今日は何の日小咄「民間航空記念日」
05年10月25日
# 1951(昭和26)年、戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が、一番機の「もく星号」で東京〜大阪〜福岡間の運航を開始した。
$「紙飛行機?」
「いいや」
「鉄の飛行機?」
「いいや、木製さ」
圓窓
一日一句 28日
小障子を客に開けさせ山紅葉 圓窓
弥助さんへ。
>> 私の家のテレビも30年間がんばっています。
チャンネルをガチャガチャ、ではなく、
もっと前のグルグル回すタイプです(笑)。
映るんなら買え変えることなしですよ。
圓窓
私の家のテレビも30年間がんばっています。
チャンネルをガチャガチャ、ではなく、
もっと前のグルグル回すタイプです(笑)。
今日の出来事・27日
義父のためにはばかりを和式から洋式にしようと、、、、。
ま、洋式のほうがあたしも助かるので、、、、。(笑)
近くの工務店を紹介してもらった、、、、。
そこから見積もりにきた者が、、、、なんと我が次男の中学の同級生。
もう40歳になったのか、、、、。
今のこの家も30年以上はたっている、、、。
圓窓
今日の出来事・27日
NTTが光ファイバーの機材を交換にきた、、、。
なんで交換なのか、よくわからないが、、、
無料だって、、、、、。
圓窓
今日の出来事・26日
久しぶりにはいとりがみ句会に出席。
緊張した、、、、、。
腰痛のお見舞いや心配をいただいたので、お礼に「落語掲載の教科書」をプレゼント。
圓窓
一日一句
26日
シンデレラもどきの靴で捨てられず 圓窓
27日
追われしか追いしか急ぐ雲に雁 圓窓
圓窓
一日一句 25日
秋深し揃へて置きぬ不用靴 圓窓
捨てたい靴の多いこと。
でも、捨てると、履く靴がなくなる。
圓窓
でぇしょやの弥助へさん
>> フランス革命軍は、
マージャンで勝利を占っていたため、
發・白・中の三色を旗印にしたと、
世界史の時間に習ったような気が、、、(笑)。
その当時、巴里を「ポン」と言った、、、、。
そんな馬鹿な、、、、。(笑)
圓窓
フランス革命軍は、
マージャンで勝利を占っていたため、
發・白・中の三色を旗印にしたと、
世界史の時間に習ったような気が、、、(笑)。
一日一句 24日
だうだうと音逞しきとろろ汁 圓窓
今日の出来事・24日
打ち合わせ。
噺[ぞろぞろ]を通しての江戸文化と教育、というテーマの出版物をという企画。
企画中は楽しい、、、、、。
圓窓
今日は何の日小咄「トリコロール記念日」
05年10月24日
# トリコロール記念日 (フランス)1794年、フランス国民公会が、現在フランスの国旗となっている青・白・赤の三色旗(トリコロール)を国家の象徴と定めた。
フランス革命の時、市民軍はパリ市の色である赤と青の帽章をつけた。革命が全国に広がって市民軍は国民軍となり、その総司令官に任命されたラファイエットは、「市民と王家が協力して新しい国を作るべき」として、帽章に王家の色である白が加えられた。王政は1791年に廃止されたが、この3色を使った三色旗は国民軍のシンボルとなった。
$「フランス人って、よく寝るんだって?」
「?」
「三食(三色)昼寝好き」
圓窓
今日は何の日小咄「電信電話記念日の日」
05年10月23日
# 電気通信省(後の電電公社、現在のNTT)が1950(昭和25)年に制定。
1869(明治2)年9月19日(新暦10月23日)、東京〜横浜で公衆電信線の建設工事が始まった。
$「電話はモシモシだよね」
「携帯は文字文字になった」
圓窓
参加している句会を休んでいたが、そろそろ出席しようと、、、、、。
溜りにたまってしまった、句報を制作しなくては、、、、。
ま、ゆっくりやろう、、、、。
圓窓
今日の出来事・23日
落語っ子連の稽古。
[十徳]と[饅頭怖い]を聞いてやる。
両氏とも女流、、、、、、。なかなかやる、、、。
メンバーの一人が実家の名古屋で「饅頭屋」を開いているということで、発表会の当日、お客にその饅頭をプレゼントする予定。
いかがですか?
圓窓