紙芝居[寿限無]の実録レポート

三流亭 まどべ

 その時、あたしはめまいがしていた。
 うるさい、うるさい、うるさい・・・・。頭の中を騒音が共鳴しあって、本当に、
何かにつかまっていないと立っていられないほどだった。

 ここは鹿児島県下有数の学習塾。
 今日は夏休みの授業の受け方や宿題のやり方などについて説明する、『オリエンテ
ーション日』だ。しかし、小学生は合計30数名在籍しているというのに、今日集ま
ったのは8名。親も子も「説明なんかどうでもいいわ、とにかく勉強を教えて」とい
うことなのか、こういう行事の参加率は低い。
 そして、そのわずか8名が、とにかく今、うるさいのだ。
 講師が一言説明する。
 「で、この宿題を朝提出して・・・」
 すると、その講師の声にかぶせるようにして、子どもが次々にたたみかける。
 「帰りじゃいけないのぉ!?」「いいんだよぉ!」「忘れたらどうなるのぉ!?」
「僕は宿題なんかやらないよぉだ!」「先生、もう一回言ってぇ!」
 そして、何も聞いていない女の子はボーッと自分の爪を眺めている。
 講師は気にせず話を続ける。
 「宿題はちゃんと出してよぉ。そうよ、忘れちゃだめよぉ。はい、この黄色い紙に
夏休みの目標を書きましょう」
 「こんなのもう学校で書いたよぉ」「疲れたよぉ」「どの紙なのぉ?」「先生、紙
がありませぇ〜ん」「目標って何?」
 うりゃーーーーっ!!!! いい加減にせいっ!!! 人の話はしっかり聞けぇぇ
ぇぇ!!!
 心の中でこう叫ぶあたしは、大声でどなってガキどもの頭を殴り回りたい気持ちを
抑えるのに必死だった。説明の担当があたしじゃなくてよかったよ、子どもたちにと
っても、塾にとってもね。


 そう、あたしは説明の担当じゃあない。このオリエンテーションのためにわざわざ
やってくるかわいい(?)子どもたちへのプレゼントとしてのミニイベントを企画し
て、その時が来るのを教室の後ろで待っているのだ。
 そのミニイベントとは他でもない、我らが窓門会の18年度更新プレゼントとして
いただいた[寿限無]の紙芝居を打とうというのだ。
 でも、でも。こんな、人の話にいちいち文句を言い、チャチャを入れるガキどもが、
10分ぐらいかかる[寿限無]の話を最後まで聞いていられるとはとうてい思えない。
途中で無駄話でもされた日には、あたしは読む気力を持ち続ける自信がない。あぁ、
いやだ、いやだ。
 皆さんはご存知だろうか。今、中学校のテストに「聞き取りテスト」というのがあ
る。英語の聞き取りではない、日本語の、つまり国語のテストの中に「聞き取りテス
ト」というのがあり、「今の話を聞いて次の問に答えなさい」という問題があるのだ。
つまり、裏返せば、人の話が聞けなくなっている子供が増えているということなんじ
ゃなかろうか。
 塾での授業中、私も思う。私の説明が、指示が、耳から入っていかない子どもが多
い。同じことを何度も何度も繰り返し言わなければ十数名の子どもに伝わらない。「
本を閉じて」の一言でさえ。今の子ども・・・という言い方は本当に年寄り臭くて好
きじゃないけれど・・・今の子どもは日本語が、言葉が通じないとしばしば思う。
 そんな奴らに、あたしの秘蔵の紙芝居[寿限無]を語るなんて・・・ああ、いやだ
いやだ・・・。


 それでも時間はやってくる。
 講師が言う、「はい、説明はこれでお終いです。じゃ、これからまどべ先生の登場
でぇす!」
 あぁあ・・・・・
 しかしこの静けさは・・・。そう、あたしは歳だけは他の講師よりもくっていて、
そのぶん子どもを冷たく叱れる、厳しいおばさん先生なのだ。あたしの前でさっきみ
たいにくっちゃべったらタダじゃおかないよ。ピキピキ(眉間に青筋が立つ音)!
 とは心の中で思いながらも、調子のいいあたしは表紙を見せて言う。
 「じゃじゃ〜〜〜〜〜ん! 今日は[寿限無]の紙芝居を見てもらいまぁす。寿限
無の名前を全部言える人、いるかなぁ?」
 「はぁい」「はぁい」
 おや、二人もいるのかい?
 「んじゃ、言ってみて。はい、せぇの!」
 「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ・・・・」
 おいおい、ほんとに言えるんかい。言えたよ。最後まで、よどみなく。子どもたち
の間で寿限無が流行ってるって噂は本当だったんだね。あぁ、あたしが言って自慢し
ようと思ったのに、一本取られた。まぁいい、誉めてやろう、
 「おぉっ! すごいっ!」
 さっき、うるさかったガキがつぶやく、
 「僕知らない・・・」
 ふん、てめえなんかが知っててたまるか。いやいや、ここは大人になって、
「うん、普通は知らないんだよ。でも知ってるって、麻衣ちゃんはすごいね。じゃ、
その『寿限無』って名前がどうしてできたか知ってるかな? 今日はそのお話でぇす。
 紙芝居[寿限無]、始まり始まりぃ〜!」


 「チャカチャンチャンチャン♪♪♪」
 あたしもほんとにお調子者だねぇ。しかし、こいつらにマクラは理解できんだろ。
 すぐに本題に入っちゃおっと。
 「オギャーッと赤ちゃんが生まれます。で、七日たちますと、お七夜といいまして、
名前をつけることになる。・・・」
 この「お七夜」をゆっくり大きな声で読んでやるのは、あんたらのためなんだよ。
わかってるか、おい。
「『おっかぁ、今帰った・・・』。・・・、『親父同様よろしくお願ぇいたしますっ
て・・・』」
 ううん、この江戸弁の舌の回り具合が、聞くと言うとじゃ大違い、なかなか難しい
もんだねぇ。
「『どうでぇ、ライオン太郎ってぇのは』」
 ううん、うけないぞ。
「『お経の文句の中には、おめでたい縁起のいい言葉が・・・』『じゃあ、これから
お寺へ・・・』」
 おい、ここも「経文」「旦那寺」ってぇ言葉を易しくして言ってやってんだ。感謝
しろよ。
「『こんちは。ごめんください! 和尚さん、いますか』『おお、これは、これは八
五郎さん・・・』」
 ううん、ここの上下(かみしも)の顔の向きを師匠に教わったことがあったな。ま、
いいや、どうせ紙芝居で顔は隠れておりますよっと。
「『寿限無というのがあるが、どうじゃ。寿、限り無し、と書いて、寿限無』」
 ここも当然大事なところだからゆっくり読まねばね。聞いてるか、おい。
 ん? それにしても、奴ら、静かにしてるね。しわぶき一つ聞こえないよ。
 よそ見でもしてんじゃないだろうね。それとも寝てる? あたしは紙芝居の文字を
追うのに必死で、ついでに紙芝居に顔を隠してるから奴らの顔は見えないんだよ。静
かにされると、怖いよぉ。
「子供に長ぁ〜い名前を付けました」
 おっと、ここで《Eを途中まで抜く》とあるじゃないか。ううん、どこまでなんだ
か、瞬時に判断できないよぉ。うぇ〜〜ん。もういい、全部抜いちゃえ、えいっ!
「『チーン・・・、お焼香・・・。なんまいだぁなんまいだぁ・・・』」
 おい、この「なんまいだぁ」も書いてないけどサービスだぞ、ガキども。
「『おいッ。うちの子はまだ死んだわけじゃねぇんだぞッ』」
 あらら、また《Fを途中まで抜く》とあるよ。いや〜〜〜〜ん! また、全抜きだ
ぁい、えいっ!
「朝早く、近所の子どもたちが迎えに来ました。『寿限無、寿限無。五劫の擦り切れ
・・・。』
『おやまぁ、鉄ちゃんたち、朝早いんだね。うちの寿限無、寿限無。五劫の擦り切れ
・・・・。
ちょっと待っててね』『こぉれ! 寿限無、寿限無。五劫の擦り切れ・・・しょうが
ないわね、まったく・・・』『ちょいと、お前さん、寿限無、寿限無。五劫の擦り切
れ・・・』」
 ほぉれほぉれ、寿限無の長さと立て板に水のあたしの読み方(???)に、あんた
たち息を飲むのがわかるよぉ。お前たちとは気合が違うんじゃい。ざまぁ見ろ!
「『おじちゃ〜ん! もう、学校は夏休みになっちゃったぁ!』 おなじみ、寿限無
のお話でした」
 しーーーーーん。
 おい、拍手しろ、拍手。
 パチパチパチ・・・。拍手ありがとう、同僚の先生・・・・。


 その先生の声が響く。
「じゃあ、時間がありそうなので、立体恐竜の工作をしてみようかぁ」
「何、それぇ!」「はさみ忘れたぁ」「つまんねぇのやりたくなぁい」
 また始まったよ。うるせぇ!
 ちっ、しょうがないから、こいつらの工作の面倒まで見るか。ふんっ。
 と、背後から小さい声。
「センセ、センセ。紙芝居おもしろかった」
 えっ!? ありがとよ、悠樹ちゃん。チュ!


 かくして、紙芝居の初実演は終了したのであった。
 次の公演のご用命は、メールにて三流亭まどべまで、どうぞ。(笑)
2005・8・15 UP