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笑涯楽習の薦め その一

文 圓窓
松壽仙の本「主治医」に連載
転載の許可済み
『 こ の 造 語 を広辞苑に載せよう 』

                    

 学校の勉強が嫌いで噺家になったあたしは、落語を深く理解するためには学問が不
足していたことを遅まきながら自覚した。噺家になって、まだ前座の頃、恐々と日本
の古典文学書を手にするようになったのも、生涯学習ということなのだろう。
 十年ほど前から流行り出したその言葉は、今や全国どこへ行っても耳目にするが、
あたしには、どうも、その漢字が気に食わない。
 まず[生涯]。人間は「生きる」という言葉が好きで多用するのか。あるいは、生
の不安から確認のための多用なのか。あたしはいささか食傷気味になって「言われな
くても、見せられなくても、わかっているよ、生きてるこことはッ」と、その字を消
したくなる。
 そこで[生]の字を変えて[笑涯]としよう。いいじゃありませんか、笑って命終
えるのは。
 次に[学習]です。この字も気に入らない。
「学べ」「習え」と、なぜに同じような言葉を重ねるか。「お前たちは一度ではわか
りそうもないからだッ」と威圧的に言わんばかりの字が[学習]なのだ。だから、ま
すます勉強が、学校が嫌になってしまったのは、あたしだけではあるまい。[学]の
字も変えましょう。音楽の[楽]の字のお世話になって、[楽習]。「楽しく習う」
という[楽習]です。これならば、なんとか付き合えそうでしょう。
[笑涯楽習]。あたしはこの字を多くの人に使ってもらいたいのだ。いずれ、国民の
過半数が使用するようになれば、広辞苑に載るようになるはずです。そこで、まずは
松壽仙の愛飲家のみなさんから、この[笑涯楽習]という字を認知をしてください。
認知は親と子供だけの問題じゃありません。
 さぁ、仮にそうなると、文部省も黙ってはいられないでしょう。学校でも生徒に[
笑涯楽習]という字を教えるようになる。その結果、子供たちは大きく明るく育ち、
良き社会人になるはずです。
 [笑涯]については、次号に詳しく書きます。

2000・6・15 UP








文 圓窓
                    松壽仙の本「主治医」に連載中
                           転載の許可済み
         
『 広 辞 苑 に 載 せ よ う 』

 学校の勉強が嫌いで噺家になったあたしは、落語を深く理解するためには 
学問が不足していたことを遅まきながら自覚した。噺家になって、まだ前座 
の頃、恐々と日本の古典文学書を手にするようになったのも、生涯学習とい 
うことなのだろう。
 十年ほど前から流行り出したその言葉は、今や全国どこへ行っても耳目に 
するが、あたしには、どうも、その漢字が気に食わない。
 まず[生涯]。人間は「生きる」という言葉が好きで多用するのか。ある 
いは、生の不安から確認のための多用なのか。あたしはいささか食傷気味に 
なって「言われなくても、見せられなくても、わかっているよ、生きてるこ 
ことはッ」と、その字を消したくなる。
 そこで[生]の字を変えて[笑涯]としよう。いいじゃありませんか、笑 
って命終えるのは。
 次に[学習]です。この字も気に入らない。
「学べ」「習え」と、なぜに同じような言葉を重ねるか。「お前たちは一度 
ではわかりそうもないからだッ」と威圧的に言わんばかりの字が[学習]な 
のだ。だから、ますます勉強が、学校が嫌になってしまったのは、あたしだ 
けではあるまい。[学]の字も変えましょう。音楽の[楽]の字のお世話に 
なって、[楽習]。「楽しく習う」という[楽習]です。これならば、なん 
とか付き合えそうでしょう。
 [笑涯楽習]。あたしはこの字を多くの人に使ってもらいたいのだ。いず 
れ、国民の過半数が使用するようになれば、広辞苑に載るようになるはずで 
す。そこで、まずは松壽仙の愛飲家のみなさんから、この[笑涯楽習]とい 
う字を認知をしてください。認知は親と子供だけの問題じゃありません。
 さぁ、仮にそうなると、文部省も黙ってはいられないでしょう。学校でも 
生徒に[笑涯楽習]という字を教えるようになる。その結果、子供たちは大 
きく明るく育ち、良き社会人になるはずです。
 [笑涯]については、次号に詳しく書きます。
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