『圓窓五百噺を聴く会』の客席から

第159回〜164回/第155回〜166回/第168回-1/第168回-3

第168回 圓窓五百噺を聴く会 NO.2


客席から 聞いたり 見たり


2001・3・9(金)
名古屋・含笑寺
その498 古典落語  堪忍袋
その499 創作落語  救いの腕
その500 創作落語  五百羅漢
居合わせて その1『 噺家・圓窓という 祈りの結晶 』
文 あきら
五百噺達成の瞬間に立ち会うことが出来て幸せでした。


その498[堪忍袋]
 マクラでは、師匠とたくみさんが曲を作ってた頃のエピソードで夫婦喧嘩の話を振
っていました。
 そう言えば、あの当時はよくこのマクラを聞きました。懐かしいなぁなんて思いな
がら、色々思い出しているうちに本題へ。


 この噺は、師匠の最初の師であった柳枝師匠の持ちネタということでした。
 古典落語の中では軽い方じゃないかと思うのですが、お馴染みの長屋での夫婦喧嘩
から始まります。本題に入ると瞬く間に長屋が現れ、そこに生きている人が動き出し
てきます。
 ストーリも面白いですが、長屋の住人になったような、そんな空間に居るのがもっ
と心地良かった。


その499[救いの腕]
 唯川恵さんの小説を元に作られたという噺。
 設定を江戸時代に変えて演じておられましたが、やはり原作からくるのでしょうか、
そこはかとなく現代の香りがしてきます。
 女性の噺家さん達にハッパをかける意味もあったとの事ですが、本当によく出来て
いると思いました。
 この噺は、情景が目に浮かぶのはもちろん、土手に咲く桜の匂いや、川のせせらぎ
と冷たさが伝わってきました。
 最後、誰しも”太い腕"”自分の夫だと思ったときに夢落ちで落として、なんだと思
った瞬間、やっぱり夫だったという2段落ちが良かったです。


その500[五百羅漢]
 最後は[五百羅漢]に決めていた、とお伺いしていました。
 この噺は、師匠の師である圓生師の持ちネタと同じ題名でありながら、中身はそっ
くり作り変えられたとの事でした。
 元の[五百羅漢]は、ストーリの概要しか知りませんが、師匠の[五百羅漢]は親
子の愛や迷子の子供のために必死になる夫婦の愛を描いたすばらしい作品だと思いま
す。
”薬缶の口飲み”が、親を探すための伏線として、あのような形で使われるとは思い
ませんでした。
 新しい[五百羅漢]として、後の噺家さん達にも伝えていって欲しいと思いました。


 余談ですが、NHKテレビの花村さん(圓窓五百噺のドキュメント番組を制作した
人)から番組のタイトルについてメールで相談されたときに、候補の中に〔満願〕と
いうのを入れたのです。
 五百噺が師匠にとって何だったのかを考えるときに、僕的には噺家・三遊亭圓窓を
創り上げるための、師匠自身の祈りだったんじゃないかと思いました。
 そして、最後の会の出し物を再確認すると、柳枝師匠の持ちネタである古典落語、
小説を元にした創作落語、圓生師匠の古典を改良して自分のものとして作り上げた噺
が並んでいる。この3つは五百噺を通じて作り上げられた噺家・圓窓という祈りの結
晶だと感じたのでした。
 てな事を言っていると師匠から「そんなもんじゃぁないよぉ」と言われそうなんで
すけど、、、。〔満願〕っての、どうやらボツになりそうだし、、、。(笑)
 今度、師匠ご自身に、じっくりこの辺の話しをお伺いしたいなぁ。
 師匠、28年ご苦労様でしたというと、残ってる"コミカレ圓窓五百噺"とかの気
持ちが萎えちゃうので言いませんが、これからもよろしくお願い致しますよ。







居合わせて その2『 もっと ききたかったのに ざんねん 』
文 よしだ さちか
家族で新幹線で聞きに行きました。
娘の書いた感想を代打ちしました。

吉田あきら)
 3月9日のさいごの500ばなしは、とてもおもしろかったです。
 でも、もっとききたかったのにざんねんでした。
 さいごの500話で一番おもしろかったのは、かんにんぶくろの話です。きいたあ
とに、こんどやなことがあったら、同じふうにやろうかとおもいました。
 あと、えんそうししょうさんがいってた、「わらうかどには、ふくきたる」という
話は、学校のこうわちょう会でこうちょう先生がちょうれいだいにたってみんなにお
しえてました。
 それから2番目におもしろかった話は、そうきさんが話したつぼざんです。
 わたしは、さいしょ3円でかったからとくしたと思ってたけど、おとうさんにおし
えてもらってわかりました。むかしといまは、ぜんぜんかわってると思いました。





居合わせて その3『 遠方より集まれり メーリス”浮世床” 』
文 無銭
 圓窓師匠五百噺達成 おめでとうございます。
 噺の中身については 他の方にお譲りして、名古屋にお出でになれなかった方に含
笑寺とインターネットのオフ会の雰囲気をお伝えいたします。


 会場は五百噺達成をお祝いしようという熱気に溢れ、会が終わって振り返りました
ら、玄関で立ち見の方もいらっしゃったようです。
 入り口で渡されたお土産袋には、最近の新聞記事と、教科書、そして色紙(もちろ
ん直筆、数種類がありました)と手拭い。まだまだあります、納屋橋の紅白まんじゅ
う。
 新聞記事はモテさんの手仕事。饅頭は28年前に東海ラジオのワイド番組に一緒に
出演していた蟹江篤子さんからの差し入れと聞く。
 これで2000円の入場料では、足が出てますよ、きっと。
「今までのほんのお礼で」と圓窓師匠はおっしゃるのでしょうが、本当に圓窓師匠ら
しいお土産袋でした。


 圓窓師匠が立ち枕で、「今まで他の弟子は連れてきてましたが、まだ連れてきてい
なかった弟子の窓輝を連れてきました。私の三男坊です」と窓輝さんが一席演ること
を紹介。「俺の背中を見ておけ、の意味もあります」とのこと。
 プレゼントは、窓輝さんにちなんで会場の三男坊の方へ。もてさんに背中を叩かれ
た男性が手をおずおずと上げる。もてさんの「ルームメイト」だそうです。


 窓輝さんは[壷算]。
 圓窓師匠の[堪忍袋]。
 中入り。記念撮影(笑)のあとで関山先生のお話、関山先生も万感胸にこみ上げる
ものがおありなのを、ありありと拝見致しました。
「三遊亭圓窓という噺家のこれからを見守ってほしい」「心の応援をお願いします」
のお言葉が胸を打ちました。
 五百噺は圓窓師匠にとって、大きな区切りではありますが、通過点であって、終点
ではないと思いました。


 高座にかけられる噺はせいぜい三五〇くらいだろうと言われる中で、五百の噺を演
ずるという課題をみずからに課して、しかも二八年かけてそれを成し遂げた噺家さん、
そしてそれを支えた人達がいた、素晴らしいことと思います。
「二八年でやります」と言う人は他にもいるかも知れませんが、それを成し遂げる人
は圓窓師匠以外にいないと思います。
「これからの二八年は長いが、振り返る今までの二八年は短い」という言葉も出まし
たが、決して短いものではありません。
 考えついて、それを成し遂げたことに最大の讃辞を惜しみません。


 圓窓師匠の[救いの腕][「五百羅漢」で五百噺達成!!!
 関山先生の音頭の三本締めで、お披楽喜。


 圓窓師匠は翌日、九州でのお仕事があり、最終の新幹線で東京へお戻り、本当にお
疲れさまです。


 五百噺という大偉業達成の夜、「名古屋で盛大にパーティー」とどなたもがお考え
になるところを、お仕事のため急いで東京へ、実に圓窓師匠らしいと思いました。あ
えてお仕事をお断りにならなかったのではないでしょうか。


 遠方より集まったメーリングリスト〔浮世床〕の面々は、圓窓師匠抜きで、予定通
りの祝賀会兼オフ会へ突入。
 出席は、もてさん、仮名さん、あきらさんご家族、くぼたさん、無弦さん、日比野
さんご夫妻、たくみさん、弥助さんと無銭。
 初めての方も、そうでない方も、打ち解けてわきあいあい。
 あきらさんともてさんは なにやら片隅で密談をしていた。





居合わせて その4『 受付の人の 暖かい一言 』
文 篠田美樹
 昨夜、含笑寺での"圓窓五百噺を聴く会"へ行きました。
 私は昨日、財布を家に忘れてきてしまい、会社の人から1000円だけ借りて、走
って含笑寺へ行きました。
 もう師匠の声がしているし、早く中へ入りたいと焦って1000円を出すと、「本
日は2000円です」と言われたので、ガ〜ン。
 私のポケットにも鞄の中にも、もうお金はありません。
 会社が近くなので「すぐ取りに行ってきます」と言うと、受付の方が、「せっかく
来てくれたんだから、中に入って見ていきなさい」と言ってくださり、凄く嬉しかっ
たです。私が逆の立場だったら、そんな言葉はとっさに出てこないと思いました。
 でも、中に友人がいましたので、1000円借りて、2000円払って、圓窓グッ
ズを頂きました。
 受付の方の、その一言で、何だか暖かい気持ちになり、大勢の方の熱気もあり、昨
日は全然寒さを感じずに落語を聴くことができました。
 昨日の噺は3つとも、楽しく、切なく、温かく色々な気持ちで聴く事が出来、満足
しました。
 五百噺は終わりになりましたが、"三遊亭圓窓"の落語をまだまだ聴き続けたいで
す。





居合わせて その5『 終始 淡々の 師匠 』
文 「お多賀さん」出身の堀川
圓窓師匠。
「五百噺」達成おめでとう ございます。
 そして ありがとう ございました。
 歴史的な"場"に居る事が出来 感動いたしました。
 終始 淡々と 最後の一席が終わるまで これが”おとな”なのかなぁ〜と・・・
 記念品まで 頂きまして一生の宝物としたいと おもいます。
 東京にも数多くの友人も居りますので 落語の情報など ぜひこれからも おねが
いい いたします。
 これからも ますますのご活躍を お祈りいたしております。





居合わせて その6『 まるごと放送したいくらい 』
文 名古屋NHKテレビ 花村芳輝
 圓窓師匠へ。
 この度は本当にお世話になりました。
 そして、五百噺のゴール、本当におめでとうございます。
 今日の師匠はめちゃくちゃよかったです。
 会の雰囲気が寄席でもなく、お客さんと師匠が一緒の家族の集まりのような会でし
た。
 カメラマンもとてもいい雰囲気の会だとびっくりしていました。
「日本の話芸」なんかでこの会を取りあげてやればいいのにと言っていました。
 私は途中で何度もお客さんから、「何分番組ですか?」ときかれ、「20分です」

答えると、一席すら全部入らないじゃないかと怒られました。
 今日の落語の会をまるごと放送するものだと勘違いされていたようです。(本当は
まるごと放送したいくらいですが・・・)
 これから、がんばって編集いたします。20分ですので、番組はあっという間に終
わってしまいますが、いつも編集は大変です。
 いろいろと撮らせて頂いたのですが、放送から落ちてしまうところがあるかもしれ
ません、申し訳ございません。
 今回は、師匠からいい話をたくさん聴いてしまったので、どの話を放送に出すか、
本当に迷います。とにかく精一杯、がんばります。(今回はいい番組ができそうな気
がします!)


 それから、師匠に御礼をせねばなりません。
 実はドキュメントの番組は、いろいろと師匠にあれこれさせながら、ご出演料は微
々たるものです。
 なんてったって、NHK(日本放送協会)は出演者の間では、日本薄謝(はくしゃ
)協会と言われ続けていますので・・・。
 ちなみに、我々職員にとっては、日本薄給(はっきゅう)協会なんです・・・。
 とにもかくにも、師匠の口座(高座ではない)、銀行に、ご出演料といいますか、
放送権料として振り込ませて頂きます。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 本日は本当にお疲れさまでした。


 番組のタイトルをどうしようかずっと悩んでいます。
 またご相談させていただくかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
(圓窓注: 花村さんは名古屋NHKテレビのデレクターで、圓窓五百噺達成前後の
圓窓のドキュメントタッチの番組「for you」を制作者です)





居合わせて その7『 達成の場に居合わせた幸せ 』
文 無弦
 お師匠様
 夏目漱石は小さんに対し、同時代に生まれ合わせた幸せ、という意味の賛辞を呈し
ましたが、この度の五百噺達成の会に居合わせた私もまさしくそのような性質の幸せ
を感じました。
日比野さんのお引き合わせで、よくも間に合った! という不思議な感慨と・・・・。
 師匠のこれからのご展望やいかに!? とは皆の声援、願い、でありましょう。





居合わせて その8『 3日連続の感動 』
文 無弦
 金曜日、師匠が数時間で与えてくれた感動が更に2日間続きました。
 次の日の土曜日、大阪の人と飲んで「五百噺」で話題沸騰。
 さらに日曜日、大阪の別の人と飲んで「五百噺」で話題沸騰。
 特に日曜日会った人はかつての大御所のテープを数本持っている人で、とても詳し
く約2時間ほど「関東の落語と関西の落語の比較」まで話題が盛り上がる状態でした。
 結果として、今度そこで飲んだメンバーが「5月に東京の寄席に行く」という約束
が出来てしまいました。
 睡眠不足が3日間続きましたので、今日は早く寝そうです。
とにかく楽しい名古屋でした。


 再度、師匠、達成おめでとうございます。
 そして有難うございました。





居合わせて その9『 素敵な時間の共有 』
文 富士コーヒー・近藤
「五百噺」お疲れ様でした。
 大口を開けて笑うことなんて本当に久しぶりでしたが、素敵な時間を皆様と共有で
きて大変幸せに思います。
 ちょっと大げさですかね(笑)。





居合わせて その10『 窓輝さんの中日ファンの謎 』
文 弥助
 さて、当日、圓窓師匠の口から、窓輝さんがなぜ中日ファンなのか、という謎が明
かされました。
 実際に中日球場(いまは名古屋ドームですが)のグラウンドに立ったとなれば、ファ
ンであっても不思議ではないですね。
 東京生まれの東京育ちであれば、巨人、ヤクルト、日本ハムなどのファンになるの
が一般的だと思いますが、そういうわけだったんですね。
 私は埼玉県生まれの埼玉県育ちですが、西武のファンではないのです。所沢に行く
より東京ドームに行く方が便利なので、もっぱら日ハムの試合を見に行きます。
 ヤクルトもひいきなのですが、去年は神宮、大学野球しか見に行きませんでした。
今年はマメにいってみたいです。





居合わせて その11『 風邪をうつしてしまったか 』
文 仮名
無銭さんとモテさんが風邪をひかれたご様子、なんだか責任を感じています。。。
 私、名古屋に行く前から咳が少々。それをおして出かけたのが、皆様にひろがって
しまったのでは、、、、、
 感動の五百噺完結編から帰ってきて、こちらへ顔を出さなかったのは、レポートを
したくなくて逃げていたいからではなく、いたいけなお兄さま方をいじめた反省から
四国へお遍路に出ていたからでもなく、体調不良でパソコンに手を乗せる気力がなか
ったせいでありました。
 うつしてしまったのでしたら、どうぞどうぞお許しくださいませ。。。よよよ、、、
そして、どうぞどうぞ、お大事になさってくださいませ。





居合わせて その12『 Eメール座談会 』
談じ手 圓窓・あきら・無銭
あきら「五百噺達成の瞬間に立ち会うことが出来て、幸せでした。師匠はレポートを
  とおっしゃいますが、文才が無いので、困ってます」
圓窓「このML浮世床には文才は必要ではありません。(笑) いつものキー裁きでい
  いのです]
無銭「もっと文才がなく、キーを打つ指も覚束ないのが、私です」


[堪忍袋]について


あきら「マクラでは、師匠とたくみさんが曲を作ってた頃のエピソードで、夫婦喧嘩
  の話を振っていました。そう言えば、あの当時はよくこのマクラを聞きました。
  懐かしいなぁなんて思いながら、色々と思い出しているうちに本題へ」
圓窓「そうなんだよ。マクラをなににしようかな、と思いながら高座に上がって、ポ
  ッと思い出して、ひょいと出たマクラ」
無銭「その場でポッと思い出して振るマクラ……。原稿を書いて、必死に覚えて、そ
  れでも出ない、受けないマクラ。本職との違いをまざまざと感じます。かくも素
  人は悲しいもの。勉強し直して参ります <(_ _)> 」
あきら「この噺は、師匠の最初の師であった柳枝師匠の持ちネタということでした。
  古典落語の中では軽い方じゃないかと思うのですが、お馴染みの長屋での夫婦喧
  嘩から始まります。本題に入ると瞬く間に長屋が現れ、そこに生きてる人が動き
  出してきます」
無銭「わたしがどうのこうの言う問題じゃぁありません。実に結構でした。手慣れた
  高座でした」
圓窓「いいえ、一五年ぶりに演りました」
無銭「え!!」
圓窓「それに、二度目です、高座にかけたのは」
無銭「え、え!!!」
無銭「それにしても、特に夫婦のお互いの心、情愛が実に良く描かれていました」
圓窓「寄席で連中がしょっちゅう演っている噺でもない。演ってみて、疲れてなんと
  なく損したな、という感じになってくる噺」
無銭「主題、内容ともに落語らしくて面白いとは思うのですが、圓窓師匠好みの噺で
  はないと言うことでしょうか?」
あきら「ぼくは好きなんだけどなぁ」


[救いの腕]について


圓窓「ニ段落ち、という捕らえ方か……。気がつかなかった。そういう感じ方もある
  んだ、というあたしにとっての発見です。ありがとう」
無銭「すみません、生ぁ言わせていただきますm(_ _)m。
   私は、途中から、そう、もう一度向島へ行った辺りから、『亭主が命の恩人だ
  な』と気づきました。(笑)
   夢の部分も起こされる寸前に『あっ、ひょっとして』と思いました。
   夢と気付かずに噺に引きずり込まれてはいたのですが、一瞬、そう思いました。
   落語に夢はときどき使われる手法ですので、やっぱり夢だったと思ったときに
  はその満足感(笑)で亭主命の恩人説は頭からすっかり消えていました。
   で、一気呵成のオチに。十分に納得しました。
   で、演出方法ですが、『命の恩人』と気付かせない方が良いのか、そうだと思
  わせておいて、夢でどんでん返しとするのが良いのか。お客の察し方はどちらが
  多いでしょうか? またどちらが受けと満足度が良いでしょうか?
   いずれにしても、亭主が無口なのはとっても良いです。
   まともな日本語(笑)を話すのは最後のオチだけと言うのは、実に決まってい
  ます」


[五百羅漢]について


圓窓「圓生のこの噺は、"禿頭ーー薬缶ーー羅漢"という繋がりで進行してます。あた
  しは、禿頭は削除して、"薬缶ーー口飲みーー畳屋ーー羅漢"という流れです。
   あの日、演ってて時間がなくなってきたでしょう。新幹線に乗れなくなったら、
  なんてことを考えて、カットした場面があるんです。
無銭「よく高座で噺をしながら、そんなことが考えられますね。こっちは仕事で頼ま
  れた講演のネタ本を思い出すだけで必死だというのに」
圓窓「親子が対面して抱き合って、そのあと、親子で薬缶から口飲みして霧を吹くと、
  大小の虹が立つ。ここをカットしちゃいました。演りたかったんですが」
無銭「そうなんです、唯一、私が不満だったのはそこです。
   私も、私の隣にいたご年配のお客さんも、畳屋で『ああ』と薬缶を合点しまし
  た。しかし、畳屋と薬缶と口飲みの関連がわからない人も多いと思います。
   この三者を結びつけるには畳屋さんに薬缶の口飲みと霧吹きを実演(笑)して
  いただかないとならないと思います」
圓窓「二つの虹の端が重なって、『まるで親子が手を繋いでいるようだ』と八百屋が
  言う。で、あとの落ちに入っていくのですが」
無銭「そこまで用意なさっていらっしゃるのですね。綺麗な情景ですね、感服しまし
  た」
圓窓「おっと、藩の秘密を喋ってしまった。(笑) 5月6日の東京での”圓窓五百噺
  達成記念会”ではそうやろうと思ってます。」
無銭「ご案じ召さるな、口外無用にしておきましょう(笑)」
あきら「あたしは口は堅いんですが、話好きなもんで……」

2001・6・3 UP