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ありし日の天声人語

  「新聞との接点」  三遊亭 圓窓

    あたしは長いこと読売新聞を読んできていた。
    子供の頃より家がそれを取っていたので、疑うこともなく、それの線上に、
   野球は「ジャイアンツ」、お菓子は「紅梅キャラメル」に血道をあげて育って
   きた。
    高卒から噺家になり、所帯を持って実家を離れ、さすが、「ジャイアンツ」
  「紅梅キャラメル」との縁はなくなったが、その新聞の書体やデザインに目が慣
   れてしまったので、なんとなくそれを取り続けてきた。
    しかし、限界がきた。読売オーナーの数重なる横暴さには呆れ果て、決別と
   相成ったのが、何年か前。
    爾来、朝日新聞の購読を始めた。
    ところが、いろいろあって、今は、取っているのは、スポニチのみ。理由は、
   何大新聞と比べると、罪がなくていいから。(笑)


    何年か前のありし日。図書館にある朝日新聞でこんな「天声人語」を読んだ。





ありし日の「天声人語」

 かなり前のことだ。ある芝居を見に行った。現代劇で、舞台は洋風の居間。そこで
数人の人が話をしている。突然、上手の壁にかかっていた薄い時計が傾いた。ぐらり。
おや、と思うまもなく、がたんと落ちた。
 明らかに、舞台をつくった際の時計のかけ方が悪かったのだ。それは、すぐに見て
とれた。舞台上の人たちは、一瞬、音のした方に目をやったが、無視して会話を続け、
劇は進行した。内心では道具係の失敗に腹を立てていたかも知れない。
 当方は、しかし、その出来事の後、どうしても落ち着かなかった。終わって劇場を
出る時、知った顔にでくわした。当時、この欄を書いていた深代惇郎さんだ。期せず
して時計の話になった。あの時、どうして俳優たちは時計を無視したのだろう……。
 俳優も観客も、舞台がつくり出した空間と時間の中で呼吸をしている。時計が落ち
る。「おや、地震かな」でもいい、「こりゃ何の前兆だろう」でもいい、自然なせり
ふと所作が出ぬものか。居間の時計が落ちて、反応しないことがあるだろうか。無視
はおかしい、と意見が一致した。
 つむぎ出される言葉と、舞台、音楽。現実とは異なる独自の世界をつくり出し、そ
こに観客を引きずり込むのが芝居の面白さだ。昔の話を思い出したのも東京の紀伊国
屋ホールで「書き下ろし一人芝居」を見たからだ。
 地人会の公演で、井上ひさし、矢代静一、山田太一各氏の作品を金内喜久夫、越谷
友子、新橋耐子の諸氏がそれぞれ独演している。三つの話の中身は言わぬことにしよ
う。精密な計算と、当意即妙。一人で、ひとつの世界を繰り広げる。
 複数の俳優のやりとりとは違う。せりふを受け取る観客に緊張が生まれ、観客の想
像力が芝居の重要な一部となる。観客を引きずり込む力は格段に強い。近年、一人芝
居が盛んなのは、その力の大きさが刺激的だからだろう。
1992・9・5





  「あるある、困った状況」  三遊亭 圓窓


    寄席の場合は芝居の舞台装置に類する物がほとんどないので、そのような物
    質的な事態発生はほとんどないのだが、客席から声が掛かることがある。
    出囃子に乗って高座に出たときならなんら邪魔にはならないが、お辞儀をし
   て噺に入ってから声を掛けられると、往生する。マクラの内なら、中断をして
   苦し紛れにやりとりもできるが、決して演者は喜んで応対しているわけではな
   い。ましてや、噺の本題に入ってからやられると、中断はしたくないので、無
   視を続けることが往々にしてある。
    無視も続けられるとなると、やむを得ず中断をして、「出てってください。
   他のお客さんにも迷惑をかけますので」と言って、退席を願うことがある。他
   のお客からの拍手が沸きあがること必至である。


    この同時期、芝落語会の世話人の永井進さんもこの「天声人語」を読んでい
   た。
    そして、「天声人語」宛に、感想の手紙を送ったようだ。




「落語会で、こんな状況を目撃」  永井 進


「天声人語」御中
 前略 ワープロのお便りにてごめんください。
 九月五日(木)の「天声人語」(舞台のハプニング)を読んで次のことを思い出し
 ました。
 あれは、六本木の俳優座劇場が老朽化して、改築となる少し前だったと記憶してい
ます。三遊亭圓生一門の落語会が九月に三夜連続で開かれました。私が行った夜はあ
いにく台風の接近で風雨が強く、一門の三遊亭圓窓さんが『宮戸川』の老夫婦の会話
を演じている時に、高座の傍らで雨漏りが始まりました。客の注意は落語を離れて、
そちらへ殺がれて行きました。会場にはなんとなく「きまずい」空気が漂い始めまし
た。
 その時、圓窓さんは、すかさず夫の声で言いました。
「これはどうしたことだ。婆さんや、家主にちゃんと言っときなさい。高い店賃取っ
てるんだから、屋根ぐらいはきちんと直しておけと」
 客はどっと笑って、再び演者の噺の方に引き寄せられていったのです。「きまずい
」空気も一掃されましたし、雨漏りがその後どうなったか、私の記憶には全く残って
いないことをみると、私たち客の気持ちはひたすら高座に魅きつけられていったのだ
と思います。
 この機転、この芸の力、それ以後、圓窓さんがますます好きになりました。
 昨夜から涼しくなりましたが、ご自愛の上、ますますのご健筆をふるわれるようお
祈り申し上げます。                           草々
永井 進
1992・9・6





   「思い出した、あの一夜」  三遊亭 圓窓


    あの晩の客席に永井さんがいたんですね。
    油断も隙もならないなぁ。(笑)


    実は、あたしは勘違いをしていた部分がある。
    あの落語会の会場を、新宿の末広亭だと思っていて、人にも末広亭のことと
   して話をしてきた。末広亭も俳優座同様、古さと痛みではいい勝負をしている
   建物なので、そういう錯覚へ移行してしまったのであろう。
    考えてみると、末広亭へは悪いことを言ってしまったことになる。でも、末
   広への改築の願いは常々持っていたので、それも錯覚に拍車をかけたのではな
   かろうか、とも思っている。


    と、上記の永井さんの手紙を読んだ天声人語子が、嬉しいことに後日の「天
    声人語」に反応を示した。





また ありし日の「天声人語」

 落語が好きな永井進さんは、その時のことを細かく覚えている。十年近く前のこと
である。高座は三遊亭円窓。はなしは『宮戸川』だった。
 その番、外はどしゃ降り。風もひどい。台風が近づいていた。『宮戸川』には若者
たちの恋物語も出てくるが、老夫婦のやりとりが聞きどころだ。会話が佳境に入ろう
とする時、何と、高座の傍らで雨漏りが始まった。客の関心が落語を離れ、雨漏りに
向う。気が散る。何となく気まずい雰囲気が会場に漂い始めた。
 その時、すかさず夫の声で円窓が言った。『これはどうしたことだ。ばあさんや、
家主にちゃんと言っときなさい。高い店賃取ってるんだから屋根ぐらいはきちんと直
しておけと』。客は爆笑。再び演者のはなしに引き寄せられていった。
 「気まずい雰囲気も一掃され、雨漏りがどうなったか、全く記憶にないのです」。
客の気持ちを高座にひきつける芸の力と機転。その即妙の言葉が忘れられないという。
永井さんは東京女子学園で社会科を教えているが、日本史の授業で、ときどき落語を
聴かせる。
 江戸時代の身分制度の学習に、例えば『妾馬』を聴く。酔った八五郎の独白を聴く
うちに教室は静まり返る。当時の人々の生活や心情を理解する助けになるそうだ。永
井さんは愛好家の集まり『芝落語会』でも活動している。
 落語界は低迷、などというが、この夏から秋にかけて、大名跡襲名の話題が多い。
桂文楽が二十二年ぶり、三笑亭可楽が二十九年ぶり、桂文枝が三十五年ぶりに復活し、
さらに六十九年ぶりに快楽亭ブラックも継がれることになった。
 英国人で本名ヘンリー・J・ブラック。明治から大正にかけ、べらんめえで高座を
わかしたという人だ。こういう機会に、はなし家たちに願いたいことがある。古典を
大切に語り継ぎ、芸を磨いてもらいたい。テレビで面白いことを言うだけでは寂しい。
1992・9・17





  「あの俳優座が、動いた」  三遊亭 圓窓


    上記の「天声人語」には、会場である俳優座の名は明記してないが、まもな
   くか、後年かは忘れたが、その俳優座が新装改築されたことを聞いたとき、あ
   たしは、別の意味で快哉を叫んだ。
    天声人語子と永井さんの思いが通じたのではないか、と。それも、時計のご
   とき道具ではなく、芝居小屋ごと新しく変えたんだから、大したものである。
    その後、末広亭に部分的な手直しはあったが、全面的な改築には及んではい
   ない。
    仮に全面改築となると、現行の建築法が厳しくてキャバシティーの減少を迫
   られる。となると、木戸銭も歌舞伎座並みでなければ採算はとれない。金額が
   馬鹿高になれば、客は遠のく。だから、残念ながら、全面改築は不可能なのだ。


    てなことで、「天声人語」の影響力は大きい。
    スポニチに「天声人語」レベルのコラムが載ることを夢見ている一人である。
2005・9・10