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窓門リレー旬報




『 独演会も よろしく 』

2000・12・11〜20(十二月中席(なかせき))
 報じ手 吉窓


2000(平成12)12月11日(月)
 お通夜に行く。近所の寿司屋の旦那が亡くなった。享年64。
 落語会のチラシをよく張らせてもらっていた。二ヶ月前に寄った時は元気だったの
に……。肝臓を患っていたそうだ。まだ若いだけに残念。


2000(平成12)12月12日(火)
 本日、〔大江戸線〕が全線開通。近所に〔落合南長崎駅〕がある。歌舞伎座へ行く
のに、〔築地市場駅〕まで早速乗ってみた。乗車中は地下でわからないが、下車する
と「こんな所へ出るのか」と驚く。
 ちなみに、上野鈴本、新宿末広亭へは、家から西武線、山手線と乗り継ぐより、こ
の線を使った方が運賃が安い。足代もばかになりませんからね。


2000(平成12)12月13日(水)
 娘の小学校で展覧会があって、女房と出かける。
 児童たちの絵や工作品を見たが、上級生でもつたないもの、下級生でもすばらしい
ものがあって楽しい。我が子のですか? う〜ん、実にどうも。


2000(平成12)12月14日(木)
 林家正雀兄に[田能久]を教わる。
 正雀兄は鳴り物を入れてこの噺をやっている。とても面白かったので、稽古をお願
いした。これからは鳴り物入りのネタも増やしていこう。


2000(平成12)12月15日(金)
 女房が忘年会に出かけたので、娘とファミレス・CASAで夕食。
 キャンペン中とかで黄色いマフラ−を土産に一本くれた。
 帰り道、このマフラ−を娘と奪い合う。


2000(平成12)12月16日(土)
 忘年会の司会で、足立区の西新井へ。
 どう行けば運賃が安いか考えた末、池袋から西新井行きのバスに乗る。運賃は20
0円也。
 帰りは東武線、千代田線、山手線を乗り継いで470円。ずいぶん違うもんだ。


2000(平成12)12月17日(日)
 秩父宮ラクビ−場で大学選手権を観戦。
 カップルも多いが、ワンカップ片手に観戦の、あたしのようなおじさんもチラホラ。
慶応大と大東文化大が二回戦進出を決めた。


2000(平成12)12月18日(月)
 今宵は、〔酔鼓連〕と〔本牧五人会〕の忘年会がかち合ってしまった。
 場所はどちらも上野で、〔酔鼓連〕の方が1時間早く始まるのでかけもちする。
 深夜2時まで痛飲。飲みすぎには気を付けましょう。


2000(平成12)12月19日(火)
 今日は代演のかけもち。それも浅草演芸ホ−ルの昼の部と夜の部。
 この寄席は昼夜お客の入れ替えをしない。出番は4時間以上あいてるが、同じお客
がいないか、妙に気になる。昼が[山号寺号]と踊り[かんちろりん]。夜は[都都
逸親子]と踊り[並木駒形]。


2000(平成12)12月20日(水)
 立川談幸兄に[探偵うどん]を教わる。
 以前、速記本で読んで気になっていたネタだが、演じ手がいなかった。つまり消え
ていく作品になりかかっていたが、先頃、談幸兄がやるの知った。
 この[探偵うどん]と[田能久]を来年1月25日、池袋演芸場の独演会でやりま
すので、乞うご期待!
 みなさま、どうぞよいお年を。

2001・1・31 UP






『 第3弾 舞 台 落 語!! 』

2000・12・1〜10(十二月上席(かみせき))
 報じ手 圓窓


2000(平成12)12月1日(金)
   恒例の国立演芸場企画公演。第3回 圓窓の舞台落語『芸沢山曲手質屋(げい
  だくさんまげてななつや)』昼席15:35。8日の夜席は20:35。
   新宿末広亭 夜席19:30。
   国立演芸場は半分ほどの入り。少ないな。この舞台落語は源が[音曲質屋]と
  いう音曲噺。'84年3月に名古屋の〔圓窓五百噺を聴く会〕で演っているから、
  その頃にあたしが掘り起こしたもので、NHKのテレビでも素噺として演った記
  憶がある。ちゃんとした音曲師のいなくなった今日では、音曲噺としての演り手
  もないことになる。
   その噺では、毎月7日、芸事を質物とする評判の質屋があって、大勢がその芸
  を入れにくる。今回の国立演芸場ではその大勢は出演者一同が日替わりで勤める
  ということで、”餡子入り落語”といってもいい。高座だけでなく舞踊や手妻が
  舞台を目一杯に使うので、あたしは”舞台落語”と造語した。「歌舞伎界に衝撃
  を与えた舞台」と冗談に言っているが。
   出演は圓窓の噺に、吉窓 窓輝 馬桜 馬生 世之介 菊春 三三 久美子(
  奇術)春水(講釈)の踊り。馬の助(百面相)市馬(歌謡浪曲)左橋(動物物真
  似)が熱演し、口演時間も1時間になんなんとする。
   新宿末広亭[戯れ地蔵]。この噺はNHKラジオの公開録音〔真打登場〕で宮
  城県の矢本町へ行ったとき、会場のコミュニティーセンターの隣の図書館があの
  矢本町へ行ったとき、会場のコミュニティーセンターの隣りに図書館があったの
  で、録音前にそこを尋ねて、土地の昔話の本を紹介してもらっていくつか読んで
  みた。中に落語になりそうなのがあったのでコピーしてもらい(1枚10円で計
  30円)、楽屋でアレンジして、[権兵衛狸]のマクラとして高座で演ってみた。
  来年1月7日に放送されるはず。


2000(平成12)12月2日(土)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]。
   今回、馬桜から「二つ目は三三が一人なので、窓輝さんも踊りに参加させたら、
  どうでしょう」と言われたこともあって、総踊りの一員として舞台に立たせた。
   窓輝は噺家になったと同時に、踊りのお師匠っさん(菊千代の母親)に付いて、
  なんとか体を動かしている。しかし、「人前で踊るのは絶対にやだッ」と言い続
  けてきており、寄席の高座でも踊ってなかった。で、今回は半ば無理矢理にとい
  う形だったが、当人にはいい勉強になったことだろう。
   新宿末広亭[戯れ地蔵]


2000(平成12)12月3日(日)
   新宿末広亭[七つ屋物語]。銀座の学校の望年会があるので、昼席へ。
  国立演芸場の噺のマクラをまとめて、一席として演ってみた。質屋の雑学、小咄、
  まつわる人情などなど。
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   銀座の学校の望年会。15:00の開宴だが、国立演芸場をはねてから行った
  もんで、遅刻。11月のはな、傘下の落語倶楽部の長があまりにも低レベルなの
  で、母体の大日本印刷鰍ノきつく言って、長を降ろしたのがきっかけとなり、1
  1月9日に予定してた落語望年会も開催できなくなった。
   企業としてもカルチャー部門を抱えているのならその品位を落とさないように
  チェックも必要である。大企業として文化を会員任せにするのは短所も出てくる。
   よくある話だが、トップが立派なことを言っているわりには、下劣なテレビ番
  組の提供社になっている大企業もある。
 「売り上げが上がれば、なんでもいいんだ」という多くの日本の企業の姿勢は恥ず
  べき行為であると思う。せめて、銀座の学校というカルチャー集団を育ててきた
  大日本印刷鰍ェその一社になってもらいたくはない。


2000(平成12)12月4日(月)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   あたしにだけでなく、餡子出演の若手に声がかかるのは嬉しい。「声だけじゃ
  ないよ。あとで、きっと、ご祝儀も出ますよ」という冗談も言えて楽しい舞台と
  なる。
   新宿末広亭[戯れ地蔵]
   一文オペラ(カンツォーネ稽古会)。18日にこのグループの発表会を兼ねた
  食事会が六本木のイタリアンレストランである。歌に自信のある人は家族を連れ
  て乗り込むとか。あたしは世間をはばかって、単身で潜り込む。”サンタルチア”
  と”出船”。「歌詞は暗記してください」とのこと。そりゃ、無理だよ。


2000(平成12)12月5日(火)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   前日の深夜、Eメールで200人あまりに国立演芸場の宣伝をしたせいか、客
  席に仲間がチラホラ。早くから手を打っておけばいいものを、それがなかなかで
  きないのが、あたしの短所。
  新宿末広亭[戯れ地蔵]


2000(平成12)12月6日(水)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]。
   桐朋短大の団体で満員だったが、中入りで帰ったようで、客席は半分。総じて、
  今の若者には落語は歓迎されない傾向にある。それも入りの減少に繋がっている。
  でも、この公演で最初の大入り袋。
   満員御礼になったら、「アンコールとして、去年の総踊りの”並木駒形”を付
  けよう」と提案したので、今日は餡子が一本増えた。その分、客は大喜びだろう。
  三〇分の予定が1時間近くかかった。
  新宿末広亭17:45。[戯れ地蔵]
  踊りの稽古。”深川”も”奴さん”も、まだまだ。


2000(平成12)12月7日(木)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]。二度目の大入り。
   小学校のYさんが聞きに来てくれた。大入り袋を記念に上げる。「去年は娘が
  もらちゃって」と恐縮する顔に小学校の頃の面影があった。近くの蕎麦屋へ誘っ
  て、二人で天ザルを食う。
  「会社も定年。今は女房と旅行したり、絵画にふけったりで」
  「絵、見せておくれよ」
  「見せるほどのものじゃないよ」
  「同期で他にもカルチャーにいそしんでいる者もいるでしょう。みんなと展示会
  でもやったら」
  「いいね」
   思い出だけの会話は好きじゃないので、Yさんとはいい談笑になった。
   勘定は彼が「払う」と言い張ったので、馳走になる。「大入り袋が効いたかな」
  と腹の中でニタリ(笑)
   新宿末広亭[戯れ地蔵]。
   楽屋で扇橋と一緒。自作の”朝時雨 思案半ばの 床ばなれ”を添削してもらっ
  たところ、「”床ばなれ”は句になじまない言葉。朝時雨を下五に持ってったほ
  うが安定する」と言いながら、”目覚めゐて 思案半ばの 朝しぐれ”と直してく
  れた。さすが、光石。
   十六酔和尚がご婦人を引き連れて「食事でも」。末広亭の裏の銀座アスターへ。
  アスターに言わせれば「末広亭が裏です」と反論するだろうが。


2000(平成12)12月8日(金)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   新宿末広亭[戯れ地蔵]
   国立演芸場 夜席[芸沢山曲手質屋]。
   この寄席は基本的には昼の興行だが、十日興行の内の金曜の一日だけは昼間、
  働く勤労者のために夜席もある。
   永田町で下車して、国立演芸場へ向かう夜の歩道を歩いていると、後ろからう
  ら若き女の声。
  「師匠。これからですか?」
  「はい」
  「上野から急いで来ました」
  「寄席の掛け持ちのお客さまとは、嬉しいですね」
  「いえ。上野鈴本の従業員です」
  「あッ、そうそう、どっかで見掛けた顔だと思ったら・・・・」
   あたしのとんだ早合点。しかし、たとえ従業員であっても、寄席で働く者が他
  の寄席の状況を覗きに来てくれるというのは、めったにないことだけにありがた
  い。経営者が来てくれると、なおありがたいのだが…。
  「面白かったです。お客さん、入ってますね」と言う彼女に、「鈴本と比べて、
  どっちが入ってる?」と訊く必要もなかった。
  HP「だくだく」へ見聞読を載せているただしろうさんより、Eメール。
  「昨日、昼席。もと(女房)、と一緒に拝見。
   落語たっぷり。トリの[芸沢山曲手質屋]まで充実の一日でした。
   窓輝さんの[壷算]。ツボを押さえて、聞きごたえがありました。クスグリの
  呼吸がよく、笑いました。あとは、盛り上げる勘所ですね。それと、客を呼び返
  す道具屋の番頭の台詞。もうちょっと気を入れて呼んでもらえると、面白味が増
  したと思います。
  [芸沢山曲手質屋]。みんな楽しく、堪能しました。馬桜さんの踊りと物真似で
  幕を明けましたが、中で、圓窓師匠との歌右衛門の掛け合いは面白く、これは師
  匠の勝ち。馬の助さんの百面相も貴重です。最後の総踊りも賑やかに結構でした。
  お客も多く、どうか毎年、続けて頂きたいものだと思います」
   無銭さんより、かねてから捜査していた〔漱石と落語の謎を解いた、謎の女〕
  の行方について、Eメールが来ていた。
  「師匠が妙齢の女性とおっしゃるので、候補者として上げた四番目の北大落研現
  役会員も違いました。こうなれば、最後の手がかり、”千葉さんがチケットをお
  売りになった方”を虱潰しに捜すしか方法がないようです」


2000(平成12)12月9日(土)
  国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   毎日新聞のKさんが人を誘って駆けつけてくれた。「我が社も演芸担当者を置
  くようにしなくては」と言ってくれたが、実現すればいいなァ。
  新宿末広亭[戯れ地蔵]


2000(平成12)12月10日(日)
   国立演芸場[芸沢山曲手質屋]
   楽日ということで、インターネット関係者が意外と駆けつけてくれた。幼児を
  抱えて、という人もいて感激。
   HP「だくだく」で知り合ったAさんが、デジタルカメラで舞台を撮ってくれ
  た。もちろん、寄席側の許可を得たので腕章を着けて堂々と。後日、Eメールで
  送ってくれるとのこと。それも、HP「だくだく」に載せられる。あたしのして
  いることは、みんな大勢の人のおかげだ、感謝、感謝。
   千秋楽なので、近くのインド料理店で打ち上げ。踊りを指導してくれた山崎の
  師匠を交えて歓談。
  新宿末広亭[戯れ地蔵]
   窓門会の会員でもありギタリストでもある無弦さんより、Eメール。
  「今日は国立演芸場での[芸沢山曲手質屋]をすっかり堪能いたしました。耳に
  も目にも楽しい上に、よき時代の香りも味わった気がしました。
   師匠は実像も、芸のうえでも、名伯楽でいらっしゃる。
   普段は日曜は生徒に教える時間はとらないのですが、今日に限り抜けられず、
  師匠の直前の奇術の時に、駆け込んだ次第です」
  ヨーガス長屋の楽女さんからも、Eメール。
  「面白かったです。上席の楽日(今日)行きました! 音曲入りってえのは、初
  めてでしたので、これも楽しめました。
   あの百面相は、昔からある芸なのでしょうか? 紙切りのように面白かったで
  す」
   今回は圓窓関連としては、踊りとしては初の舞台となった窓輝の晴れ姿(?)
  を見ようという窓門会のみなさんの駆け付けや、Eメールの案内状を受け取った
  方々のご足労もあり、盛り上がりました。
   窓輝も来年は一人で踊れるよう、今から稽古に励むつもりでいます。
   つきましては、このあたしも来年こそ、噺だけでなく踊りにも参加する覚悟で
  す。(笑) 「隠れ稽古はなんのためだ」と怒られましたので、、、、、。(笑)
   国立演芸場からは「来年もこの第4弾の企画を」との約束を貰いましたので、
  張り切らざるを得ません。よろしくお願いいたします。
   いつだったか、落語協会の事務のNさんが見聞に来てくれた。出演者にとって
   これまた嬉しいことの一つ。
  「Nさん。どうだった?」
  「面白かったです」
  「この入りをどう感じた」
  「他より入ってますね」
  「じゃ、この企画は間違ってなかったってことだよね」
  「ええ」
  「他の寄席でもやろうよ。働きかけてよ。国立演芸場側も『どうぞ、演ってくだ
  さい』と言ってるし。あとは、他の寄席側が『国立で演ったものをうちでできる
  か』という意地を捨てること」
  「そうですね」
  「今年で3回目だから、一作目、二作目のアンコール公演ってことで。それに踊
  りを教えている山崎の師匠だって、『どんどん踊ってくれなくちゃ、教えた意味
  がないわ』と檄を飛ばしているんだ(笑)」
  「任せて下さい」

2000・12・30 UP






『 初めて 寄席で踊ることになる 』

2000・11・21〜30(十一月下席(しもせき))
 報じ手 窓輝
2000(平成12)11月21日(火)
 落語協会機関誌〔ぞろぞろ〕の原稿を何とか書き終えた。
 今回は"お宝拝見・古今亭志ん五師匠編"の担当で、原稿を協会に送ったところ、
志ん五師匠にもチェックしていただくとのこと。
 原文がどれだけ残るだろうか・・・?


2000(平成12)11月22日(水)
 池袋でナイキのシューズを購入。
 色合いが気に入って手に取ったところ、そのまま接客され買ってしまった。青系の
エアなんとかというシリーズで、1万9千円プラス5%。店員さんによると定価より
随分と安いそうだが・・・。
 大事に履けばいいか。


2000(平成12)11月23日(木)
 いとこの彩子ちゃんが撮影助手をした映画をお台場まで見に行った。
 タイトルは〔独立少年合唱団〕。リーダー格の少年が突然声が出なくなるが、一致
団結してコンクールに挑む話。
 お台場ということでカップルが目立ったが、大変感動した。


2000(平成12)11月24日(金)
 喜せん兄さんの会に遊びに行く。
 まずまずのお客の入りで、終演後、兄さんはお客さんと一緒に行ってしまったので、
同じく遊びに来ていたさん光兄さんにごちそうになった。
 兄さん、どうもありがとうございました。


2000(平成12)11月25日(土)
 実家の愛犬"マメ"が死んでしまった。
 何でもよく食べる犬で、子供の頃、嫌いなおかずを食べてもらったことを思い出す。
 合掌。


2000(平成12)11月26日(日)
 中野区にある保善寺にて落語会。
 出演は師匠と自分で、お客さんはそこの檀家の方。この会への出演は3回目で、毎
回ご住職からご自身の書かれた本をいただくのだが、今回は日本の行事についての本。
 勉強させていただきます。


2000(平成12)11月27日(月)
 来月の国立にそなえ、踊りの稽古に協会に行った。
 そこで、一緒に前座をやった後輩が二つ目になった、その披露目中に廃業したこと
を知る。
 前代未聞の出来事に驚いた。


2000(平成12)11月28日(火)
 長野落語会へ師匠と吉窓師の3人で。
 十数年続いている伝統ある落語会への出演に恐縮しつつも[壷算]を熱演。ウケは
いまいち。400名様以上の大入りで、持っていった師匠の落語グッズが売り切れ、
帰りの荷物が助かった。
 戸谷代表、金井さん、世話人のみなさま、大変お世話になりました。

2000(平成12)11月29日(水)
 お昼に長野から帰京。
 一度、家に帰ってから、協会へ出掛け、2階で踊りの稽古。
 疲れ果て、9時に寝る。


2000(平成12)11月30日(木)
 明日の本番を控え最後の稽古。
 11月だけで5度目の稽古。やっと手ごたえ。何とかなるだろう。気合充分。しか
し、高座で踊るのは初めてのことで、不安も充分。
 12月上席は、ぜひ国立演芸場へ!!

2000・12・30 UP






『 長男が 合唱団の指揮者に 』

2000・11・1〜10(十一月上席(かみせき))
 報じ手 窓里
2000(平成12)11月1日(水)
 毎年依頼されている東京国際大学で、講演と落語一席。今年の学生は、良く聴いて
くれて、反応もいい。


2000(平成12)11月2日(木)
 市議会会派の"平成13年度予算要望書"を、市長に提出。


2000(平成12)11月3日(金)
 川越市後援の"菊花展"に行く。姪の七五三のお祝いをする。


2000(平成12)11月4日(土)
 長男・篤史が"中学校音楽祭"全員合唱の、指揮者に選ばれ、見事に(?)つとめる。


2000(平成12)11月5日(日)
 従兄の結婚式。あんなに小さかった奴が所帯を持つなんて……。時の経つのは早い。


2000(平成12)11月6日(月)
 シ−ハイル(盲人スキー)の嶋先生の絵の個展に。視力障害者のための凹凸の出る
[エニボス印刷]の絵画は、これから広めていかなければ。


2000(平成12)11月7日(火)
 夜、知人と飲む。久しぶりに深酒となる。


2000(平成12)11月8日(水)
 今月13日に行われる"川越料理組合100周年パ−ティー"のリハ−サル。私は司
会。川越にはまだ現役の芸者衆がいる。


2000(平成12)11月9日(木)
 市立美術館建設委員会。建物は平成14年オ−プン予定。


2000(平成12)11月10日(金)
 地元の方々から出されている要望を行政側と協議。住みやすい街づくりを、めざし
ていかなければ。
2000・11・25 UP






『 過労死するほど 仕事はねぇ 』

2000・10・21〜31(十月下席(しもせき))
 報じ手 吉窓

2000(平成12)10月21日(土)
 池袋演芸場で独演会。演目は[猫の災難]と[文七元結]で、ともにネタおろし。
 開演前、食事をしていなかったため、たっぷり一時間はある[文七元結]の後半で、
声がかすれてきて、もう噺はフラフラ。
 長講の時は体力を付けとかないといけません。
 でも、出来はともかく、演りがいのある噺だ。また、どこかでやろうっと!


2000(平成12)10月22日(日)
代演で池袋演芸場の昼席へ。
三代目林家正楽の襲名披露中。その口上は、落語協会理事が並ぶのが通常だが、本日
は皆様ご多忙で、志ん駒、小燕枝の両師匠。大喜利のような受けをねらわず、かえっ
てシンプルで良い口上だった。
あたしは時分の高座で受けをねらい、[都々逸親子]をやったが、すべってしまった。


2000(平成12)10月23日(月)
 落語協会の事務所二階で踊りの稽古。その踊りは、12月上席に国立演芸場で、師
匠円窓の企画公演があり、その噺の中に挿入される。馬桜、馬生、春水、窓輝と他の
メンバ−も来て稽古に熱が入る。


2000(平成12)10月24日(火)
 身の回りの整理をしていたら、今年のカレンダ−が数本出てきた。広い家じゃない
から、今更かけてもしょうがないので、処分することにした。
 止め金の部分はスチ−ル製なので、燃えないゴミ。分別のためにはずしたら、右手
の親指の腹を切ってしまった。血をなめながら作業を続けた。
 皆さんも古いカレンダーには気を付けましょう。


2000(平成12)10月25日(水)
 落語協会の仕事で茨木の水戸へ。居酒屋の座敷で落語会。メンバ−はあたしと二つ
目の柳家三三(さんざ)君。
 楽屋で着替えていると、三三君が「ああっ!」と叫ぶ。なんと、着物を忘れたとい
う。羽織と長襦袢だけ着ての高座は間抜けなもの。あたしの着物を貸してやる。
 こういう事はたまにあるんですよね。
 あたしは先方の希望で[目黒のさんま]。
 打ち上げでいただいた、さんまの寿司が美味いのなんの。帰りの電車を気にしなが
ら、口に放り込む。


2000(平成12)10月26日(木)
 二つ目の春風亭朝之助君に[そば清]を教える。
 師匠直伝のネタで、あたしもよく高座にかける。ところが稽古だと、つっかえてし
まう。緊張感がないせいか……。なんとか、終わって、やれやれ。


2000(平成12)10月27日(金)
「お昼は適当に食べてね」と、女房が捨て台詞を残して出かけてしまった。
 あたしは料理は大の苦手だが、意を決して"野菜いため"をつくるが、味がうすい。
塩、胡椒はかなり入れたつもりだが……。料理はあたしの落語より奥が深そうだ。


2000(平成12)10月28日(土)
 今日は池袋演芸場から上野鈴本へ代演のかけもち。土曜日の昼でお客の入りはいい
し、得意の(?)[近日息子]と[動物園]をそれぞれかける。
 楽屋は風邪っ引きが多い。うつらないように気を付けないと。


2000(平成12)10月29日(日)
 朝から女房と娘は外出。あたしもヒマなので、天皇賞の馬券を買いに行く。
 金がないのに幾通りも考えて5千円も買っちゃった。大丈夫かな、と思ったが、な
んとか元はとれて、ほっと一息。ああ、疲れた。ギャンブルはほどほどにしましょう。


2000(平成12)10月30日(月)
 未明に起きて、"サッカ−・アジアカップ"決勝、日本対サウジアラビアを観る。
 スポ−ツを観ていると、なぜか評論家になってしまう。「なにやってんだ。そうじ
ゃない!」なんて、自分じゃ出来ないくせに……。
 応援の甲斐あって日本が優勝。余韻にひたっていると、朝刊がコトッとポストに。
さぁ、寝よう。


2000(平成12)10月31日(火)
 娘の同級生のお父さんが急死。お通夜に行く。詳しい事はわからないが、まだ40
代の働き盛り。
「あんたも働き過ぎに気をつけてよ」と、女房。
「心配するねえ、働き過ぎるほど、仕事ねえやい!」と、あたし。

2000・11・24 UP





『 風邪との闘いに 奇蹟が 』

2000・10・11〜20(十月中席(なかせき))
 報じ手 圓窓
2000(平成12)10月11日(水)晴れ、曇り。
  中席 浅草演芸ホール 昼13:45
  秋だというのに暑いくらい。大汗を流して歩く。
   学友のHさんがふいに浅草演芸ホールへ。
  「日大の芸術学部にいて、落研で活躍していた」
   おいおい、あたしより派手だな。
  「大阪の広告代理店にいて」
   そういえば昔、彼に近鉄の広報誌への原稿を頼まれたことがある。
  「おふくろが俳句を35年もやってるんで、つられてやってる」
  「あたしも最近になってやっと興味を抱いたんだが、教えておくれよ」
  「とりあえず、Eメールでやりとりしよう」
   役者のKさんの母親が亡くなったとのことで、志木の斎場の通夜に。普段から
  おとなしい人柄だった彼だけに、見ただけで涙。
   落語協会のHPへ、Uという未知の人よりEメール。
  「いつも新宿末広亭で気になる点がありますので、書かせてもらいます。
    1.なぜ末広ではビールを売っていないのか?
    2.客が素面なのに、なぜ芸人は赤い顔をして口上をするのか?
    3.祝いの席だから芸人の気持ちもわかる。ならば披露目の時くらいはビー
      ルを売れ!
    4.3が無理なら「自分の出演が終わるまで、芸人は酒を飲むな!」が私の
      結論です。
                                    U」

   そこで、代表して、あたしが返事。
    「1.答 「それを買って泥酔してしまい、観賞態度を乱す人がいるからで
         す」(笑)
     2.答 「ことによると、生まれつきなんじゃないですか、その芸人は?
        (笑)酒を飲んでいるとしたら、顔に出る芸人なんでしょうね、き
         っと」(笑)
     3.答 「お客さまのレベルを芸人以下にさせたくないのです、寄席とし
         ては。客席が楽屋みたいになっちゃいますから」(笑)
     4.答 「40年前から注意をしてんですが、一向に、、、、」(笑)
   以上、圓窓からのお答えです。
   あまりむきに立腹なさらないほうがいいですよ。
   聞く落語が楽しくならなくなりますから。
   ときには洒落、ときには真面目。これでいきましょう、、、。
                                   圓窓」
   早速、返信メールがありました。


  「円窓師匠。早速の御返信ありがとうございました。
   落語を楽しむのに怒っていてはしょうがないですね、師匠の返信に感激致しま
  した。
   ついでに、素人の天狗連で落語を人前でしゃべってます。芸のことで質問させ
  てください。
   小三治師の「一眼国」を聞くことができました。ずーーーっと正蔵師のテープ
  を聞いていましたので、とても新鮮でした。
   円窓師匠のお考えをいただければ幸いです。


    1、代官所でのお調べの場面で、代官が江戸を知らないことを強調したいと
     思いましたが、落ちのインパクトを下げる邪道でしょうか?
    2、円生師匠の影響でしょうか、代官は厳粛な態度(佐々木政談風)でやろ
     うと思ってましたが、小三治師のは、くだけた感じがしました。どちらが
     よいのでしょうか?


   くだらない質問で恐縮です。
   返信がなくとも円窓師匠をうらむことはありません。
                                    U」


   こういう書き方されると、困るんだよね。(笑)
  「返信がなくとも円窓師匠をうらむことはありません」と言っても、そうはいか
  ないよ、人間は。なきゃぁ恨むさ。(笑)
   明日にでも、返信しよう。どうも、あたしは気が弱い。


2000(平成12)10月12日(木)
   早速、Uさんへ返信。
   1.答 「あたしはその噺、自分の勉強会で一、ニ回しか演ってませんので、
       しっかりしたことを言う自信がありませんが、『強調したい』という
       のは、聞き手のことを思ってですか? すでに落ちに『知らない』と
       いうことは含まれてますので、不必要だと思います」
   2.答 「前者は歌舞伎様式の判事で描いてます。物の本によると、大岡越前
       守はヒゲを抜きながら、しかも、被告の目は見ないようにして裁きを
       進めた、とあります。
        後者の演り方は、様式美を採用しない方法として、これもいいので
       はないかと、思います。
        あたしも裁き物はいくつかやりますが、中間を心がけていますが」


   『くだらない質問で恐縮です。返信がなくとも円窓師匠をうらむことはありま
   せん』と書いてありましたが、あたしは常識、良識のある人には返信するのを
   モットーにしてますので、返信しました。
    落語のライブはどんどん楽しんでください。              
                                   圓窓」
  後日追記
   この上記に対するUさんから音信は平成12年11月1日現在なし。
   なんだ、このUてぇ人は。(笑)
   「くだらない質問で恐縮です。返信がなくとも円窓師匠をうらむことはありま
   せん」って、書いたのは、どういう意味なんだ!(笑)
   「返信をいただいても、礼状は出しません」と正直に書いておけ!(笑)
   「返信がいらねぇのなら、質問するな!」と絶叫したくなるよ、まったく。(笑)


  日芸連の寄り合いで、新宿へ11:00。さしたる議題もなし。
   脳腫瘍で入院中のTさん、退院。職場復帰までにはまだ時間はかかるようだが、
  まずはめでたい。
   今月24日に生まれて初めて、句会なるものに参加することになった。角川春
  樹さん指導の〔はいとりがみ句会〕。つまり、俳句を取る会、ということで〔は
  いとりがみ句会〕。
   その日の兼題(宿題)の連絡があった。〔馬酔木〕〔夜長〕〔南京豆〕〔鰯雲
  〕〔松茸〕。だが、ちょっと可変しい。他の四つは秋の季語だが、〔馬酔木〕だ
  けは春の季語。
   句会ってそういう色取りで兼題を出すのかな、と思いつつ、友人にこの話をす
  ると、「〔あけび〕の間違いじゃないかな。それだったら、同じ植物で秋の季語
  」と言う。なるほど、〔あけび〕を〔あしび〕と聞いたか。
   念のために、恐る恐る、問い合わせのファックスを送ると、句会の事務から「
  失礼しました」というファックスがあった。
  「〔あしび〕と耳で聞いたので、〔馬酔木〕と記しました。でも、ほんとは〔蘆
  火〕だったのです。〔あしび〕という季語は春と秋にあるのです。すみません」
   なぁんだ、そうだったのか。そこで、真似事の狂歌をファックスで送信。
    転びてもすぐ起き上がる赤達磨 今日悪し日とも明日は良き日に
   あしび、を無理やり入れたんだが、、、、。


2000(平成12)10月13日(金)
  浅草演芸ホール[]
   夜は踊りの稽古。深川、奴さんと数は増えたが、ものにはならず。まったくも
  って、恥ずかしや。


2000(平成12)10月14日(土)
  浅草演芸ホール[]
  〔うらら〕って春の季語だが、〔秋うらら〕となると、秋の季語となる、とは先
  日やっと覚えた知識。今日はそれかな、と思ったのだが、この時期になってもま
  だ使えるのか。風があるが、季語の〔秋風〕か。近頃、道を歩いていても自然を
  意識するようになった。俳句のせいかな?


2000(平成12)10月15日(日)
   浅草演芸ホール[]。正楽襲名の口上も。
   そこへ協会の事務所からから「上野鈴本演芸場へ出演のはずの三木助がまだ来
  ない。どこにいるか、探してもわからない。浅草演芸ホールを終えたら、代バネ
  を」の電話。
  上野鈴本へ回って、高座で「そういうわけで」とマクラで謝ると、客席から黄
  色い(褐色がかってはいるが)声。「圓窓さんでよかった!」と。思わずあたしも
  「あなたでよかった!」と。
  どこの楽屋でも松坂選手のスピード違反、免停中の運転違反、駐車違反、身替
  わり出頭が話題。
 「身代わりだなんて」 
 「パリーグは指名代者制だから、いいんじゃないの」


 「50キロオーバーで捕まったそうだ」
 「いつもの150キロを出せばよかったのに」


 「西武のオーナーは悪に対して厳しいね」
 「包み隠さずさ」


 「松阪は今、テレビ局の噂の女の所に隠れているそうだ」
 「アナがあったら入りたいのさ」


2000(平成12)10月16日(月)
  浅草演芸ホール[]
 「NHKTVのデジタル番組で火鉢をテーマに45分の番組があり、その中で落
  語と火鉢の関連を撮影したい」との意向で打ち合わせ。しっかりした女性のディ
  レクターで話し合いの進行もいい。


2000(平成12)10月17日(火)
  浅草演芸ホール[火鉢あれこれ]。番組の撮影のためにマクラに無理やり火鉢
  を突っ込んで、それを撮影。ところが、火鉢の肝心な小咄を一つ抜してしまった、
  あああ、、、。
   噺家の川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)の妻は俳句をたしなむ人で、朝日俳
  壇でも天に抜かれるほどの腕前。
  「彼女を師として俳句勉強会つくらない?」と伯楽へ持ち掛ける。近頃、俳句を
  はいている彼も「ようがしょう」と乗る。
   メンバーは今のところ圓窓と伯楽の二人。「いやなヤツは入れないように」「
  だから彼女の亭主は入れない」「川柳さんじゃないか、その亭主は」。そんな会
  話を川柳さんのいる前でやる。川柳さんはニコニコ顔。酒を飲まなければ、いい
  噺家なんだがなァ。
  地下鉄のポスターに飯田橋に新たにオープンするのか、したのか〔印刷博物館〕
  の案内。”家康と印刷”というテーマの展示があるらしい。覗きたくなる。


2000(平成12)10月18日(水)
  浅草演芸ホール[]。
  3時から春樹事務所の人とHPに関する相談。春樹事務所のHPとあたしのH
  P「だくだく」をリンクさせるばかりでなく、あたしも春樹事務所のHPに落語
  関連のページを担当して新境地を拓こうという企画。
  コミカレ。ちょっと風邪ぎみなり、悪化しそう。声に表れているので、窓樹を
  助に頼んで乗りこむ。
   圓窓[火鉢物語]、窓樹[近日息子]。江戸の古書を研究している学生のFさ
  んが講義してくれて、古書漁りの裏話が聞けて面白かった。


2000(平成12)10月19日(木)
  朝9時30分。新宿末広亭の二階の楽屋で、窓輝に火鉢の出てくる噺の稽古風
  景を撮影。昨日はなんとか声は出たのだが、今日はまるっきり駄目。仕事に使え
  る声ではない。いまさら、代演も頼めない。エーイ、ままよ、やっちまえ!
  撮影の合間に浅草演芸ホールへ回って、自分の出番。ところが、高座で声が出
  ない。そこで、あたしのあとの出番で楽屋にいたさん八を呼び出して「一人で何
  人もの声を出す男ですので、あたしの代りに物真似をやらせましょう」と救助を
  頼む。快く引き受けた彼に感謝。
  また新宿末広亭に戻って下の楽屋で火鉢の回りに座って、談笑場面を。芸術協
  会の公演なので気を遣いながら、録画。やはり声が出ない。持病とはいえ、つら
  い。番組に迷惑を掛けてしまった。  
  今日、三ケ所の仕事はなんとか終えたが、ますます声は出ない。熱はあるし、
  喉は腫れぼったい。明日から、青森、札幌、東京と三日間の仕事が続く。明日は
  NTT主催の90分の講演と落語の仕事。医者の薬はちゃんと飲んでるが、罹っ
  た病い、出切るまではフルコースの症状はあるのだろう。
   夕方、仕事は終えたので、すぐに帰宅して蒲団を被って早めに寝る。
   いろんなことを思案する。明日の仕事、声が出るわけない。去年の11月、頼
  まれた友人の婚礼の司会。当日の朝になって声が出なくなり、正雀に代りに行っ
  てもらった苦い体験がある。嫌な思い出が頭の中を駆けずり回ると、明日、声が
  出なくて、客に謝っている場面が……。これがまた、駆けずり回る。もう、神に
  祈るしかないだろう。奇蹟でも起らない限り、絶望だ。
 「神様。どうか、あたしの手を握って、熱を、腫れを取り去ってくださいまし」奇
  蹟を信じたわけではないが、そうつぶやくと、そのまま、眠りに入って、大汗を
  かいた。


2000(平成12)10月20日(金)
  翌朝、喉は軽くなった気もするが、半ば、諦めながら、9時50分発の羽田に
  向かう。寄席はすぐにでも休めるが、外の仕事はそうもいかない。でも、昨日よ
  り、ずーっと楽。神様が手を握ってくれたのかしら。
   青森に着いて、講演と落語[ぞろぞろ]の1時間30分。
   なんとか、やれた。奇蹟は起きたのだ。神様に感謝。
   一端、帰宅して、明日は札幌で落語ライブ。窓輝と一緒だが、心細いから、ま
  た窓樹に助を頼み、同行してもらう予定。できたら、神様の同行も願いたいほど。


   浅草演芸ホールの出し物のメモを紛失してしまったので、無記入になりました。
  だらしがなくて、すいません。

2000・11・12 UP






『 自 転 車 盗 ま れ た 』

2000・10・1〜10(十月上席(かみせき))
 報じ手 窓輝
2000(平成12)10月1日(日)
 家賃を払った時点での9月は約5万円の黒字になった。
 欲しい物がいくつかあったが、先を考えて貯金に回す事にした。
 これが自由業のつらいところ。


2000(平成12)10月2日(月)
 マンションの敷地内に止めていた自転車が盗まれた。気が付いたのだが、昼。
 原因はカギの取り忘れ。朝、ベランダから見たときはあったので、午前中の犯行だ
ろう。
 犯人が通勤や通学に使用する可能性があるので、暇にまかせて最寄の駅周辺を探す
ことにしよう。
 これが自由業のいいところ。


2000(平成12)10月3日(火)
 神宮球場で今シーズン最後のヤクルト対中日を観戦。
 優勝チームも決まり、スタンドは当然ガラガラ。レフトスタンドの観客を数えてみ
ると、ざっと300人ほど。
 ファンは正直というが、強いときだけ応援するのは真のファンではない。
 試合は、中日のサヨナラ負け。行かなきゃよかった!


2000(平成12)10月4日(水)
 機関誌〔ぞろぞろ〕の編集会議に出席。
 会議といっても、師匠や兄さん方の中で発言する度胸もなく、メモをとる程度。
 出席者が少なかったので"お宝拝見"のコーナーを担当することになった。
 取材先は未定。


2000(平成12)10月5日(木)
 2月上席に国立演芸場でやる、うちの師匠の企画物の中で踊る〔さわぎ〕を猛稽古。
 踊りは褒められなかったが、持っていたバッグを褒められた。
 稽古日は本番まで、あと5日間だけ。褒められるようになるだろうか?
 次回の稽古にはバッグは持っていくのはよそう。


2000(平成12)10月6日(金)
 引っ越してから1年近くになるが、いまだに開けてないダンボールが5箱ある。
 必要な物だけ持ってきたはずだが、中を開けるとアイロンやジューサー、それに大
量の食器。ヘルスメーターにプラモデル。何を録画したか覚えてないビデオテープ。
雑誌・・・。
 全部なくても困らないものばかり。


2000(平成12)10月7日(土)
 10日ぶりに洗濯をしてみた。
 干してたたむ作業がめんどくさく、つい、溜めがちになってしまう。
 100円ショップで買った洗剤を使ってみたところ、水溶けが悪く、全然落ちなか
った。下手な噺家みたいな洗剤・・・・。


2000(平成12)10月8日(日)
 JR池袋駅に東上線北池袋駅、地下鉄の要町駅と4日間探したが、ついに盗難され
た自転車は見つからず、12,800円で新しいのを買った。
 カギは前と後ろの2ヶ所。名前も大きく書いたので、もう大丈夫だろう。


2000(平成12)10月9日(月)
 実家に行くと、愛犬マメが庭の隅で固まったままほとんど動かないので、慌てて動
物病院に連れて行く。
 心臓と足腰がかなり弱っているらしい。
 子犬のときに拾われて16年目で、人間だと80歳ぐらいになるらしいから無理も
ないが、もうちょっと頑張って、天寿を全うしてほしいものだ。


2000(平成12)10月10日(火)
 ドラゴンズ70勝65敗の2位で、今シーズンの全日程終了。
「故障者が多く戦力的に苦しい中での2位は、力量があるということ」と、星野監督。
 まったくその通りで、故障した選手の復活や不振だった選手の復調で、来年も十分
に優勝を狙えるはず。
 頼むぞ、ドラゴンズ。

2000・10・14 UP






『 最初で最後の 犬の散歩 』

2000・9・21〜30(九月下席(しもせき))
報じ手 窓 樹
2000(平成12)9月21日(木)
 錦糸町の蕎麦屋で三遊亭金時兄が、隔月でやっている落語会。 [寝床]を。
 お客の中に大相撲の敷島関がいた。両国が近いからかな。


2000(平成12)9月22日(金)
 今晩は、かっぱ橋の寿司屋で一席、[寝床]。女将さんが酒豪で、つられてこっちも
酩酊した。それだけのこと。


2000(平成12)9月23日(土)
 腕時計をなくす。はずした覚えはないから、池袋に買い物へ行く途中、落としたか?

まだ買って3年、くやしい!


2000(平成12)9月24日(日)
 外出中、腕時計がないと不便。世の中、見まわしても意外と時計は目に付かないも
んです。古い時計を引っ張り出し、電池交換して代用。


2000(平成12)9月25日(月)
 石川県の加賀市の料理屋で落語会、[阿武松]。
 六代目横綱の阿武松は、石川県出身だが、お客のほとんどが「へぇ−、はじめて知
りました」。地元って、そんなもん。


2000(平成12)9月26日(火)
 朝、小松空港より帰京。最近、機内サ−ビスの飲み物は、声をかけないとくれない。
アナウンスによれば「お休みの方が多いため」。なるほど、みんな寝ている。


2000(平成12)9月27日(水)
 区営の体育館のトレ−ニングジムへ。あらゆるマシ−ンがあり、消費エネルギ−ま
でわかる。
 プロレスラ−のル−・テ−ズ(故人)は「マシ−ンでは筋持久力はつかない。私は
腕立てと腹筋だ」と力説していた。でも、マシ−ンの方が楽しみながらでて、いい。


2000(平成12)9月28日(木)
 西武の松坂投手と日本テレビの柴田アナが交際宣言。
 野球選手って、どうして女子アナが好きなんだろう? しかも年上の。それとも女
子アナが、玉の輿をねらっているのかな、、、。


2000(平成12)9月29日(金)
 カミさんの友人が里帰りのため、うちで犬を預かる。ヨ−クシャテリアという小型
犬。躾はちゃんとしてあるし、あまり吠えないのでかわいい。


2000(平成12)9月30日(土)
 朝8時、犬の散歩に近所の公園に行く。犬の散歩ラッシュの時間帯らしく、飼い主
たちが犬自慢をしている。
 私も声をかけられる。「こちら初めてですか、よろしく!」「こちらこそ」と返事
をしたものの、今日は、最初で最後。

2000・10・21 UP






『 大雨 台風 通夜 火事 議会 』

2000・9・11〜20(九月中席(なかせき))
 報じ手 窓里
2000(平成12)9月11日(月)
 朝から市役所へ、川越市議会9月定例会開会中。


2000(平成12)9月12日(火)
 昨日より大雨。市内で28棟が床下浸水の被害。委員会開催。


2000(平成12)9月13日(水)
 議会開会。本日は私が議会で質問。平成14年度〔お祭り会館〕完成が明らかにさ
れる。


2000(平成12)9月14日(木)
 議会開会。他の議員の質問を聞く。夜、知人と久しぶりに遅くまで飲む。


2000(平成12)9月15(金)
 地元の敬老会に来賓として出席。午後、市内の敬老会で落語家として一席。


2000(平成12)9月16日(土)
 本日も敬老会で、落語一席。終演後、皆さんと懇親会。


2000(平成12)9月17日(日)
〔町づくりについてのセミナ−〕を聞きに出かける。台風が来ているので、水害
が心配。


2000(平成12)9月18日(月)
 議会開会。夜は料理屋で、仕事の打ち合わせ。明日も議会があるので、早々に帰宅。


2000(平成12)9月19日(火)
 議会は、時間が延びて6時散会。その後、知人の通夜、しかも二件。


2000(平成12)9月20日(水)
 文教常任委員会開会。夕方、市役所近くの知人宅が火事。ケガ人はいなかったのが
なにより。

2000・9・24 UP






『 世 界 四 大 文 明 を 見 る 』

2000・9・1〜10(九月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓
2000(平成12)9月1日(金)
 今日から小学校は二学期。眠そうな目で娘は登校。「夏休み気分を一新して、しゃき
っとしろよ」と我が子を見送り、親はそのまま寝床へ。こっちはまだ夏休み気分?


2000(平成12)9月2日(土)
 娘を連れて上野の国立博物館へ〔エジプト・インダス文明展〕を見に行く。五年生
には世界史はまだ難しいよう、、、。でも、なにか印象に残るはず。


2000(平成12)9月3日(日)
 東京会館で〔三代目 林家正楽襲名パ−ティー〕。四百名ほどのお客で賑わっていた。
色物ながら40日間、寄席でトリをつとめる。周囲も認める実力者ということだ。お
めでとうございます。また、お酒ごちそうしてください。


2000(平成12)9月4日(月)
 林家正雀兄と北海道の苫小牧へ。小さなライブハウスでの落語会。ここのマスタ−
と初めて会ったのは、今から十七年前。お互い髪がふさふさしていた当時の写真を見
て笑い合う。


2000(平成12)9月5日(火)
 今日は苫小牧市内の沼の端中学校で、学校寄席。生徒さんたちの挨拶の元気のいい
こと。すれ違いざまに「おっは−!」。若者の間で、はやっているらしいが、とまどっ
ちゃうよ、おじさんは。夜の便で帰京。


2000(平成12)9月6日(水)
 踊りの稽古で、落語協会の事務所へ。ここは住吉踊りではなく、日舞の小唄ぶりな
どを教えてくれる。お師匠さんは、元芸者なので色っぽい。えっ? なんの稽古してる
んだって、、、。もちろん、踊りですよ。


2000(平成12)9月7日(木)
 10月の独演会に[猫の災難]を出した。その噺を教わりに、上野鈴本へ柳亭小燕枝
師匠を訪ねる。地下の和室でみっちり40分稽古。足がしびれた。まだまだ修業が足
りん。


2000(平成12)9月8日(金)
 夜、両国寄席に出演。両国駅のホ−ムがやけに混み合っている。大相撲がハネた直
後か。人をかきわけながら寄席を目指す。


2000(平成12)9月9日(土)
 今日は世田谷美術館へ〔メソポタミア文明展〕を見に行く。今秋は世界四大文明展
を各所で開催している。これで三つ見たから、残るは横浜でやってる〔中国文明展〕
だ。


2000(平成12)9月10日(日)
 町内の長崎神社の祭礼。毎年、神輿を担いでいる。町内の付き合いとはいえ、日頃、
肉体労働をしていないから、きついのなんのって、、、、、くたくただ。ああ、もうペン
を持つのもままならなくなりました。
 この辺で、吉窓旬報はお開き、イヨ−ッ〜チョン。

2000・9・14 UP








『 捜してた 角川源義の西行のこと 』

2000・8・21〜30(八月下席(しもせき))
 報じ手 圓窓
2000(平成12)8月21日(月)晴れ、曇り。
  八月下席 上野鈴本 夜18:15。新宿末広亭 夜20:30。
  携帯電話でのメールの方法を会得したので、自宅のpcへメモを送信している。
  これがなかなか便利。帰宅してそいつを整理すると、HP「だくだく」への道に繋
  がる。
  今日は一文オペラ(歌曲稽古会)があるので、新宿末広亭は昼の13:00へ。
 [権兵衛狸]。
  夜の上野鈴本は早上がり[権兵衛狸]。
  一文オペラへ。弁護士の塩谷夫妻が来てて賑やか。妻は音大出とか。
  トラブル発生。友人が巨大ファイル(旅行先での写真一枚)をmlへ送っちま
  ったようで、あたしはダウンに1時間37分かかった。(大笑い)
   落語フアンは長い名前(寿限無)は喜ぶんだが、ファイルは、どうも、、、。


2000(平成12)8月22日(火)晴れ、残暑厳しい。
  残暑の中、部屋の片付けを。クラーは点けないので、汗まみれ。おかげで、紛
  失物が二、三出てきた。やれやれ。
  上野鈴本[権兵衛狸]。
  新宿末広亭[権兵衛狸]。残暑で疲れたか、とちってばかり。この噺も続けて
  演っているが、今のところ面白くなりそうもない。
  携帯メールでコピーの機能をマスターしたので、一段と携帯が便利になったが、
  目の疲れがちと辛い。
  落語協会に来るEメールもいいが、妙な抗議が飛び込んできて往生することも
  ある。あたしが応対したんだが、今日で同一人物の3通目。「静岡の落語会で馬
  風師匠が前回と同じ漫談をやったのはけしからん」「漫談ではなく古典を演れ」
  というもの。もののわからない堅物のようなので「主催者にお問い合わせを」と
  最後のメールを出す。


2000(平成12)8月23日(水)晴れ、曇り。傘を持ってでかける。
  昼は汗だくの中で雑用。おかげで体重も七五キロを維持している。一日ニ食に
  して、腹が減ったら、水をがぶがぶと飲むことにしている。駒形茂兵衛だよ、こ
  れじゃ。
  上野鈴本[権兵衛狸]。
  新宿末広亭[浅草・招き猫]。
   この寄席、グッズとしてTシャツを売り出した。前が寄席文字で新宿末広亭の
  千社札。後ろが英語でSuehirotei。3000円。上野鈴本、浅草演芸
  ホールもスタッフ用のTシャツはあるが、グッズとしては新宿末広亭が業界初。
  HP「だくだく」で宣伝しよう。


2000(平成12)8月24日(木)東京、曇り加減。盛岡、晴れ、湿気なし。
  早目に起きて事務雑務。途中、映画のビデオテープを返しに。
  小金馬に頼まれて盛岡へ。夜の公演なので一泊予定。主催は岩手日報社で販売
  拡張のための演芸会。落語は圓窓、小金馬。講釈の琴柳、漫才の和才・洋才。
   13:25発 15:46盛岡着。自宅へメールのしがいがある。合間あいま
  に本を読もう。関容子の〔芸づくし忠臣蔵〕を持参している。涙ながらに読んで
  いると仙台に着く。芝居のセンダハギを連想。読んでる本は忠臣蔵における役者
  の心得をエッセー風にまとめたもの。淀五郎に挿入したいところ多々ある。
   盛岡着、車で五分のところにある教育会館ホール入り。
   夜八時に高座に上がって五十分。体重が75キロに落ちたせいか、痺れがきれ
  なかった。出し物は圓窓[ぞろぞろ]。小金馬[お花半七]。講釈の琴柳[五貫
  裁き]、漫才の和才・洋才。
   終わって打ち上げは北海道料理。「おいおい。ここはどこなんだ。こちとら江
  戸っ子だ 蝦夷っ子じゃねぇ!」って、大笑い。
   同行の小金馬から、隅取りという文字を教わる。つまり反転文字。ペンで線と
  点だけでちょこ、ちょこと白地をつぶして白でなるべく太字を浮き立たせる。漢
  字、仮名、英語なんでも書ける。工夫をする部分も必要で面白い。


2000(平成12)8月25日(金)
  楽しい旅だった。携帯メールで自宅のpcへメモを送信しているので、帰宅し
  てからの日記の編集が楽になった。
   旅にでると、太る。現地に着くと車の迎えがあり会場まで。楽屋からはハバカ
  リと高座まで歩くだけ。終わって車の迎えで食事の店から、ホテルへ。あとも翌
  日の駅まで車。顎足付きいうやつで、食事も手銭でないので、つい食べてしまう。
   帰りは上野で下車。変更している新宿末広亭の昼15:00へ。時間があった
  ので、紀伊国屋でNHKのテキスト(葵三代)と春樹事務所の俳句の本(辻井喬
  著命あまさず)があったので、買う。主人公は俳人の石田波郷の小説。しかし、
  俳句は一つも記さないという変わった物。
  新宿末広亭[権兵衛狸]。
   楽屋で志ん五と「右朝の具合は?」「治療が長引けば生活費も考えなくては」
  と話し合う。あたしの弟子ではないので、差し出がましいことも出来ないし。
  上野鈴本演芸場[権兵衛狸]。楽屋のテレビのニュースを見て驚いた。ロシア
  の原潜事故の抗議している人にいきなり麻酔注射。「いつものことだ」という声
  あり。怖い、怖い。
  銀座の学校へ11月の落語会の件で打ち合わせに。落語倶楽部の連中、3人来
  ていてなんとか手応え。
  ビデオ屋へ。捜している〔グリーンカード〕はなかったが 他の二本はあった。
  〔美女と野獣〕は意地っ張りの女の子が好感持てて、なかなか良かった。


2000(平成12)8月26日(土)晴れ。
  朝、力仕事。長男が廃車したオートバイ(10年間自宅前に置きっぱなし)ス
  クラップに出す。業者(友人)が一人で来たので手を貸さなければ、トラックに乗
  らないのだ。業者はそれをつぶして鉄屑としてロシアに輸出している。ロシアは
  それで原潜をつくるのか。沈むわけだ。
  E子さんの手話リサイタル。いろんな手話があって面白かった。和服を着て日
  舞的な振りで、三味線に合わせてその歌詞を手話で。コーラスを手話で。
   クリスチャン仲間の協力もあって、会場は神田のYMCA。ステージのない部
  屋なので見にくい。誰が出てきても頭しか見えない。子供たちも出てきたときに
  は、なにも見えない。首を伸ばして見るはめになって少々疲労。
   でも、知ってる賛美歌があったので、小声で口ずさんだ。
  一緒に手話を見た、演劇制作の北川さんから本を借りる。事はじめに川柳が添え
  てあるのが珍しい。
  上野鈴本演芸場[銭たれ馬]。
  地下鉄銀座線が事故のため全線不通。他の線で新宿へ。幾多の方法があるので
  遅れる心配はない。今晩は隅田川の花火大会。浴衣の女の子が多い。今は「両国
  の花火」とは言わなくなった。
  新宿末広亭[権兵衛狸]。売店で買い占めたのか、常連Fさんより缶の飲料水
  二十本の差し入れ。
  HP「だくだく」の掲示板に小学5年生(まりのちゃん)から書き込みがあった。
 「生の落語が聞きたくて、この夏、鈴本へ行きました。夏休みの自由研究に落語に
  ついて調べることにしました。もう夏休みも終わろうとしています。もし良かっ
  たら、質問に答えて下さい。
   1 圓窓さんは、500ものお噺を語るのが目標とのことですが、一つのお噺
    を高座で演じる前に、どのくらいお稽古されるのですか?
   2 どんな風にお稽古されるのですか(一人でされるのですか)?」


  「小学生が読んでいるとは」と想像すると、嬉しくなる。たぶん、親の影響だろ
  う。それに「生の落語が聞きたくて」と書いたように、「見る」ではなく、「聞
  く」とちゃんと言葉を使っているところは、テレビに侵されていない証拠。憎い
  ほど嬉しい。喜んで返事を出す。
  自宅でビデオ〔秘密の花園〕を見る。子供の多く出る映画。我侭な人間が多く
  出てくるが、お互いに理解し合って最後には素直になっていくのが、温かくてい
  い。


2000(平成12)8月27日(日)晴れ。
  ヨーガス長屋。〔電話で抱きしめて〕。日比谷シャンテシネ。一回目は10時。
  日曜の朝の地下鉄、乗客の六割は居眠り。メール打つ者、我一人。それも長くは
  続かず、途中で打ち上げて、あと寝る。
   目をつむっていると左右から「5番がいい」「6番だ」の声。降りる地下鉄の
  出口番号の確認かなと思いきや、その連中は後楽園で下車。馬券を買う連中だっ
  たのだ。
   映画館のチケットは指定席だったが、朝が早いせいか、ガラガラ。
   映画は好きなメグ・ライアンだったので、退屈はしなかったが、感動すること
  もなかったというレベルの作品。三人姉妹が父親の面倒を看ようと、大騒ぎを起
  こすのだが、三人兄弟で育ったあたしには考えられないほど、映画の三人はよく
  喋る。男と女の違いなのか。我々三人兄弟の一生の会話以上も映画では喋ってい
  た。
   ヨーガス長屋に久し振りに清女が亭主と共に参加。6人だったが、賑やか。も
  う一本、なにか見ようかなと思ったが、疲れ気味なので帰宅して、寝る。
  目が覚めたところへ窓輝が「[垂乳根](圓生物語で窓輝のやる噺)を聞いて
  ください」と来た。寄席へ行く時間が迫っていたので、半分しか聞けなかったが、
  八五郎が大工ではなく、現代っ子の口調なので、イライラする。
  上野鈴本[松竹梅]
   携電はいつもマナーボタンにしてある。電源を切らなくてもポケットなら音は
  浮き世の野暮?には聞こえない。ところが、楽屋の膳の上に置いたもんで、ガガ
  ガガガ! マナーボタンでも堅い物の上では音が響くことを知る。
  新宿末広亭[寄席の話芸]の漫談。高座で「成人式は着物に金をかけるが講演
  を聞かない」とマクラを振って、ふとひらめいてたので、下りてから都々逸にま
  とめてみた。
    成人の娘呉服を着飾ると 記念講演これも聞かざる
    成人の娘呉服を着飾ると さらに重ねて講演聞かざる
   さて、どっちがいいか。
   新宿末広亭の客席の中の盲人が、しん平のウルトラマンのカッポレに手拍子を
  叩いて喜んでいたのが印象的。
   新宿末広亭の楽屋を出たとたんに打ち上げ花火の音。反射的に空を見上げたが、
  新宿では空はビルの乱立で真上しか見えない。結局、音だけ。
  パソコンに、まりのちゃんの書き込みがあった。
  「圓窓さん、ありがとうございました。良い自由研究になるように、頑張ります。
  できれば、一句書いていただければ、嬉しいです」
   なんと、句を所望とな。「直ぐにはできない。あとでね」と返信。
   添えて、こんな書き込み。
  「はじめまして。まりのの父親です。お忙しい中、子どもの質問にお答えいただ
  いて、ありがとうございました。近くに落語会があると、出かけるようにしてま
  す」
   やはり、親の影響であるような事柄の書き込みには、喜びが溢れていた。そし
  て、お父っつぁんの川柳があって、「怪談も 三回目には ゾットもせず」。
  [湯屋番]の本歌取りだろう。本歌が「そっと出し」だから、「ゾッとせず」と、
  もの字をとったほうがすっきりしていいのではないか、と思ったりして。


2000(平成12)8月28日(月)晴れ。
  昨夜、携電に充電するの忘れた。バッテリーが心細く、やはり途中でプツン。
  携電メールの使えない一日って長い。
  上野鈴本、記録忘れ。
  新宿末広亭、記録忘れ。


2000(平成12)8月29日(火)晴れ。
  上野鈴本[権兵衛狸]
  新宿末広亭[権兵衛狸]
  圓生物語、やっと完売。やれ一安心といったところ。
  HP「だくだく」のボードへ書き込んでくれた、まりのちゃんから「句を付けて」
  なんて、おねだりされているので、掛け持ちの地下鉄の中で苦吟。なんとか、で
  きました。
    夏休み耳の親子の落語好き
   まりのちゃんが「聞く」という言葉を使っていたので、それに応えたいと、耳
  を擬人化してみた。わかるかな。


2000(平成12)8月30日(水)晴れ。
  新宿末広亭 昼席へ。[権兵衛狸]
  上野鈴本[権兵衛狸]。
  晩、我がサイト師のHさんが我が家へDVDのインストに来てくれる。何事も
  一発ではいかないのが日比野さんの個性。今日も盛んに首をひねる時間があった。
  でも、完了。綺麗な画面には感動すらする。
  HP「だくだく」へ書き込んでくれた、まりのちゃんで思い出したことがある。
  27年前、〔圓窓五百噺を聴く会〕がスターとしたときのこと。10歳くらいの
  可愛い女の子が母親と一緒に来てて、質問コーナーでその子は「500席を1回
  ごとに3席ずつするそうですが、3席で割ると2席余りますが、それはどうする
  んですか?」と発言。大人はそんなことまで考えないですよ、あたしだって。会
  場の本堂は大爆笑。その子は今どこで、どうしていることか。逢いたい。


2000(平成12)8月31日(水)夕立あり。晴れ、曇り。
  インターネットlook AtのIさんに山形を紹介するため、上野の喫茶店
  ドリームへ。落語の動画のHP。付加価値として落語グッズも、という話。協会
  としても損する話ではないと思って。
  角川春樹さんに招待され、池袋の吉泉で食事。俳句の本をどっさり貰う。俳句
  は「まず、いい俳句の読書をしてください」の言葉を受ける。もっともと思う。
  圓窓「お父さんの源義さんは西行法師の論評か論文を出したと聞いていて、その
    本を捜しているんですが」
  春樹「本は出していませんが、西行の名を入れて句集を出しました」
  圓窓「そうでしたか…?」
  春樹「その句は歳時記に載ってます」
   あたしが、貰ったその本をあわてて開くと、
   春樹さん、春の西行忌のところをめくって、「これです」と指で示す。
     花あれば西行の日と思ふべし  源義
   これ、あたしは始めて知った句。頭をガーンとやられた。西行をテーマにして
  創作をしたことあるので、西行関係の本は読んでいたが、この句は素通りをして
  しまった。
   後日、こんな短歌もどきを、
    源義の句に西行の涙見る 一緒に泣けてありがたきかな  まるまど
 
2000・9・9 UP





『 扇橋師匠に 稽古を付けていただく 』

2000・8・11〜20(八月中席(なかせき))
 報じ手 窓輝
2000(平成12)8月11日(水)
 谷中全生庵に恒例の圓朝祭。喬之助兄と朝之助兄にごちそうになる。前座のときよ
りも、今、ごちそうになる方がありがたい。
 両兄さん、ごちそう様でした。


2000(平成12)8月12日(木)
 ドラゴンズのあまりの不甲斐なさに、ついに東京中日スポーツの購読をやめた。勝
った試合の翌日だけコンビニで買うことにした。中日の新聞で巨人が一面になるのに
は腹が立つ。


2000(平成12)8月13日(金)
 山手線で、たまたま乗った車両の広告のすべてがポケモンだった。5枚ほどなくな
っていたが、どんな人間が盗っていったのだろう?
 小中学生かアニメファン、子供にせがまれたいい大人かもしれない。もっとも、宇
宙戦艦ヤマトだったら、自分もやってしまうかも。


2000(平成12)8月14日(土)
 鈴本演芸場の地下和室にて、扇橋師匠に[弥次郎]を教えていただいた。大好きな
噺なので,早く覚えて演ってみたい。


2000(平成12)8月15日(日)
 母と葛飾区立石にある祖父の家に行った。叔母夫婦も来ていて大変にぎやかであっ
た。
 今年で92歳の祖父だが、食欲はあるし散歩にも出かけ、ボケてもいない。
 まずまず元気な様子にひと安心。


2000(平成12)8月16日(月)
 『稲川淳二の超こわい話』というビデオを借りる。
 自身の恐怖体験を語るだけなのだが、その表情やリアルな口調、音響なども手伝っ
て十分に恐かった。
 よく次から次へと恐い目にあう人だと思いつつ、照明とテレビを付けて寝た。


2000(平成12)8月17日(火)
 半額チケットがあったのでサンシャイン60の展望台へ行った。夜景はきれいであ
ったが、客はカップルばかり。バカバカしい。


2000(平成12)8月18日(水)
 東京ドームで巨人対中日戦を観戦。
 7対3の完勝だが、9回表に3点入るまでは1点差のイヤな展開だった。でも、ど
んな内容で誰が勝ち投手だろうと、とにかく勝てばいい。
 ゲーム差を考えるとかなりきついが、もし3連勝すれば・・・・。


2000(平成12)8月19日(木)
 期待した自分がバカだった。ヒットは打つがチャンスに打てない。暴投で2点も取
られ、ヒットの数は巨人を上回るも、3対1の負け。
 足取り重く帰宅すると、友人から来週のヤクルト戦の誘いの電話。勝っても負けて
も応援するのが本当のファンだと。そりゃ、そうなんだけど・・・。


2000(平成12)8月20日(金)
 3日連続で東京ドーム。3点を先制され、諦めかけた7回に、井上が上原から逆転
ホームラン。5対3で勝ち、ゲーム差7.5に。
 絶望的な数字ではあるが、最後まで応援する。

2000・9・6 UP






『 初めて演った 真景累ヶ淵 』

2000・8・1〜10(八月上席(かみせき))
報じ手 窓樹
2000(平成12)8月1日(火)
 寄席文字の右楽氏、東京かわら版の大友氏、落語好きの建築家三谷氏で、〔演芸ネ
ットワ−ク〕という会社を設立した。早速、長野市で落語会がはじまった。二つ目の
会で、すでに二回行われたが、まずまずの評判。今後の方針を話し合うため、新宿に
集まる。「持続すること」がみんなのまとまった意見。


2000(平成12)8月2日(水)
 おとといの落語協会〔夏の寄り合い〕、昨晩の新宿と深酒してしまった。酒を抜き
にプ−ルへ行く。


2000(平成12)8月3日(木)
 知り合いの銀座のスナックの引っ越し手伝い。すぐ近くへ移転なので、台車でボト
ルやグラスを運ぶ。暑い、暑い! そのあとのビ−ルのうまいこと。


2000(平成12)8月4日(金)
 小唄の稽古。帰りがけに、饅頭を「そおっと食べてね」とすすめられる。恐る恐る
食べると、中に梅が丸ごと入っている、それも種まで、、、。なるほど、そおっと食
べないと歯をやられる。


2000(平成12)8月5日(土)
 両国寄席[「あくび指南」。入りは悪いが、よいお客。


2000(平成12)8月6日(日)
 近所のプ−ルに行く。ここは、初級者用、中級者用、徒歩用と三つのレ−ンにわけ
てある。中級者は、25メ−トル流れを乱さず、泳ぎ切ることが出来る人だが、やた
ら遅く、途中足をついて、流れを乱すおじいさんがいる。追い越しは禁止だし、監視
員に注意してもらうように言うと、「俺はダイビングの免許を持っている」と訳の分
からぬことを言うそうだ。そこで一言「ダイビング免許? もぐりじゃないの」


2000(平成12)8月7日(月)
 10日からはじまる落語会の打ち合わせ。会場は居酒屋。落語は飲み食いしながら
だと聴いてもらえない。「では、落語が終わってから、酒と料理を出しましょう」と
主催者。快諾してもらえるのは、ありがたい。


2000(平成12)8月8日(火)
 日暮里・サニ−ホ−ル〔五人廻しの会〕。今回は怪談特集。私は[真景累が淵・豊
志賀の死]。円朝ものは初挑戦だが、あら筋が面白いので、またやりたいと思う。
 お客も大入りで、全体的に評判も良かった。たまに企画物はやるべきだ。


2000(平成12)8月9日(水)
 連日の暑さで、ベランダの植木が枯れそう。なにか対策を考えねば、、、。


2000(平成12)8月10日(木)
 近所の居酒屋で落語会。今日が初回で、28名の大入り。[お菊の皿]。「落語は
好きだが、寄席まで行くのが億劫」というお客が多いのには、おどろいた。

2000・9・9 UP





『 全国若手市会議員の会総会で仙台へ 』

2000・7・21〜31(七月上席(かみせき))
 報じ手 窓里
2000(平成12)7月21日(金
 市役所にて会議。昼食後、市民の方と懇談会。


2000(平成12)7月22日(土)
 午前中、腰痛防止のため整体を受ける。夕方、代議士の当選報告会に出席。


2000(平成12)7月23日(日)
 朝7時30分より、地元小学校の[少年・少女スポ−ツ大会]に出席するが、暑さに
まいる。


2000(平成12)7月24日(月)
 仙台へ、[全国若手市会議員の会総会]。この会から国会議員、県会議員に当選した
メンバ−もいるからすごい。次は自分だ!


2000(平成12)7月25日(火)
 地方分権にむけた講演会。青葉城の石垣修復事業を視察。


2000(平成12)7月26日(水)
 仙台からJRとバスを乗り継いで2時間、豊米町へ町並み視察に行く。仙台へ戻り
牛タンを食べて帰宅。


2000(平成12)7月27日(木)
 自分で発行している[議会レポ−ト]郵送、2千通以上。1回の印刷代と郵送料は、
約20万円。もちろん自己負担。


2000(平成12)7月28日(金)
 息子の中学校野球部が市の大会決勝に進むが、1対2で負ける。我が子は途中から
出場する。3年生なので最後の試合。よくがんばった!


2000(平成12)7月29日(土)
 地元の盆踊り大会に行く。議員は、これに出るのが一番大事。


2000(平成12)7月30日(日)
 今日は川越市の夏祭り、今年は浴衣姿で出席。


2000(平成12)7月31日(月)
 川越市総合計画審議会へ。落語協会の夏の寄り合いは出席できず、残念。

2000・8・12 UP





女房と娘に 孝行す 』

2000・7・11〜20(七月中席(なかせき))
 報じ手 吉窓
2000(平成12)7月11日(火)
 今日から10日間、鈴本夜席。トリは林家正雀兄。思えば、前座時分から二つ目後
半まで、この兄さんの芝居噺、怪談噺のお手伝いをずいぶんしたものだ。おかげで、
ツケの打ち方がかなりうまくなった。


2000(平成12)7月12日(水)
 歌舞伎座の昼の部を観劇。今月は[市川猿之助奮闘公演]、まさに奮闘。年齢を考え
ると、頭がさがる。


2000(平成12)7月7月13日(木)
 住吉踊りの稽古。8月中席の浅草演芸ホ−ルでの踊り公演まで、あとわずか。稽古
場にも緊張感がただよってきた。


2000(平成12)7月7月14日(金)
 今日は、我が女房の誕生日。一緒になったとき、あたしより二つ年上だった。不思
議ですね、いまだに二つ違い。
 今年は娘の小学校のPTAの役員になって、飛びまわっている。ご苦労なことだ。
バ−スデ−ケ−キの食いっぷりを見ると、まだまだ長持ちしそうだ。


2000(平成12)7月7月15日(土)
 トリの正雀兄が「中日だから一杯どうですか?」と出演者に声をかけた。鈴本のビ
ルの中にできた居酒屋『高田屋』に行く。オ−プンして三日目の今日まで半額セ−ル。
なかなかシャレた料理が多い。


2000(平成12)7月16日(日)
 娘が月食を見たいと言い出す。普段は9時には床につかせているのだが、特別に1
0時過ぎまで、ベランダから月を見せる。


2000(平成12)7月17日(月)
 関東甲信越地方は、今日、梅雨明け。日差しが一段と強くなった。寄席より豊島園
のプ−ルへ行きたい気分。


2000(平成12)7月18日(火)
 古今亭志ん駒師匠のお客さまにごちそうになる。メンバ−は志ん駒、朝馬、才賀、
歌る多、あたし。『かに道楽』で夏のカニ三昧。ああ飲んだ、食った、、、。どなた
か落語家にごちそうしてやろうという奇特な方はいませんか?ぜひ名乗り出てくださ
い!


2000(平成12)7月19日(水)
 娘は今日から夏休み。通知票を見ると、担任が理科の先生だが、理科の評価が厳し
い。まあ、うちの子ならこんなもんだろう。ボチボチやってくれよ!


2000(平成12)7月20日(木)
 近所の区民プ−ルへ娘を連れて行く。娘の小学校では5、6年生になると、夏休み
の臨海学校で遠泳がある。体力によってランクはあるそうだが、、、。娘よ、お前の
おじいちゃんは漁師だったんだぞ。自信をもって泳ぎなさい! ああ、今日も暑い、
暑い。

2000・7・29 UP





『 " 圓 生 物 語 "の支度中 』

2000・7・1〜20(七月中席(なかせき))
 報じ手 圓窓
2000(平成12)7月1日(土)曇り。
  上席 浅草演芸ホール 夜18:00 上野鈴本 夜19:30。
  浅草演芸ホール 昼15:30へ変更。[仏相撲]
  上野鈴本 昼17:50へ変更。[仏相撲]
  吉窓を誘って、新宿のシアタートップスで劇団〔ラッパ屋〕の”ヒゲとボイン”
  を見る。コメディーだが、なかなかしっかりした本だし、役者もしっかりしてい
  たので、ちょいとホロリと出来た。終演のロビーで作家の鈴木聡さんから挨拶さ
  れたので、「コメディーって難しいのに、しっかりした芝居だったのが嬉しい」
  と話す。小屋を出て、TADAで一杯。


2000(平成12)7月2日(日)雨、曇り。
 
 浅草演芸ホール[銭たれ馬]。
   楽屋にて。権太楼へ話す。理事会へ提案したマイクの一件(近頃の前座の声が
  小さいので修行のため、前座はマイクを使わせないで高座を勤めさそうという企
  画)の結果(様子を見ようということ)を話す。ついでに、協会の会計報告の文
  書化と打ち上げの自制を決めたことを話す。
 「何年か前には却下された事項が今はすんなり決まるようになったよ」「広報誌の
 〔ぞろぞろ〕やなになで若い編集委員が主張するようになった、その影響もある」。
  上野鈴本[銭たれ馬]。
   楽屋で大笑い。すい平の出し物が松本幸四郎。娘の松に父親の幸四郎が「松、
  もっとこうしろ!」と教えたという話。
   楽屋の世間話に「圓楽師匠がダイエットで20キロ減量」と。ダイエットをす
  るような人じゃない。そりゃ、病気だ。
   となると、先月の28日に〔圓生物語〕の顔付けの草案を圓楽兄へ送ったとこ
  ろ、かみさんの名で「申し訳ありませんが、今年の9月3日は予定に入っており
  ませんので、はずしてください。吉川和子」と不可解な返信が来たのがわかる。
   だったら、「体調を崩しましたので」でもいいから、理由を添えてもらいたか
  った。「9月3日は予定に入っておりませんので、はずしてください」だけでは
  誰も承知はしないよ。


2000(平成12)7月3日(月)曇り。
  浅草演芸ホール[松竹梅]
  上野鈴本[松竹梅]。落ちを変えてみたが。


2000(平成12)7月4日(火)曇り。
  寄席は休み。
  漫才のこうたさんの紹介の仕事で塩尻へ。真言宗の伝道大会で講演。
   インターネットをやっている坊さんを紹介してもらい、レポを頼む。
   土地の石屋の清水さんがまとめ役。相撲のファンでもあるという。


2000(平成12)7月5日(水)曇り、ときどき雨。
  窓門会の小窓情報の作成。
  浅草演芸ホール[夕立屋]。
  上野鈴本[鬼の通い酒]。
   トリのたい平は声をやられているよう。
   新前座が急激に増えて、それらがなれるまで、諸先輩が気を遣うことにもなる。


2000(平成12)7月6日(木)曇り。
  中元配達の宅急便で寝てはいられない。
 〔圓生物語〕の事務関連作業でpcの前に座りっきり。
  浅草演芸ホール[洒落番頭]。
  上野鈴本[洒落番頭]。
  シャロン・ストーンのビデオを2本見る。


2000(平成12)7月7日(金)曇り、のち、雨。台風が近付いている。
  猫が車に轢かれるのを目の当たりで見てしまった。町内のパーマネント屋のか
  みさんちのミケという猫。徐行している小型トラックの下から、急に猫が下半身
  を引きずるように前足2本だけで、あたしの足元を突っ走って行った。直ぐに店
  に知らせてやった。医者にみせたが、肺までやられていたので、自宅へ戻った頃
  には死んだという。4メートル幅の交差点。その角店のパーマネント屋は猫好き。
  複数の猫を飼っているが、そういう環境なので車に轢かれて死なせる数も多いと。
  上野鈴本15:30[飛ぶ鉄鉢]。
  浅草演芸ホール 昼 代バネ16:15[飛ぶ鉄鉢]。
   帰ろうとすると、雨。寄席の若旦那が傘を貸してくれる。それも、いい傘。経
  営者の温かさが伝わってきて嬉しい。
  踊り稽古。楽しいし勉強になるのだが、自宅での稽古がまるっきりないのが、
  致命傷。未だに〔黒田ぶし〕


2000(平成12)7月8日(土)曇り、風あり。
  行きの地下鉄の車中で〔我輩は猫である〕を終読。といっても乱暴な流し読み
  で、ほとんど筋はわからない。結末が、猫がビールを飲んで水瓶に落ちて死ぬの
  には驚いた。猫好きには辛かろう。
  浅草演芸ホール[後生鰻]
  上野鈴本[後生鰻]
  シャロン・ストーンのビデオを三本借りる。


2000(平成12)7月9日(日)曇り、風あり。
  朝日新聞の俳壇のエッセイに「涼しさや鐘をはなるるかねの声 蕪村」の句が
  紹介されてたが、なるほど、いい句だ。


2000(平成12)7月10日(月)
  野鈴本 早上がり13:45
  浅草演芸ホール 早上がり15:45
  上から会。猿之助公演の通し狂言〔宇和島騒動〕。歌舞伎って面白いのは、あ
  るときは本物を避けて、それがあるつもりで演技し、またあるときは、本物を使
  い、客を驚かしたりする。本物の蕎麦を食べたり、本水で雨を降らせたりして、
  客を多いに喜ばせる。
   この狂言は滝の水が本水。舞台から遠く離れた三階席のそのまた後ろの大向こ
  うまで、その香や涼気が漂ってくるから不思議だ。
   いつだったか、舞台の雨を観て小屋を出たら、外は本物の夕立の真っ最中。思
  わず歓声をあげたことがあった。
2000・7・20 UP







『 イチロー選手よ ドラゴンズへ来て! 』

2000・6・21〜30(六月上席(かみせき))
 報じ手 窓輝
2000(平成12)6月21日(水)
 中日対巨人戦をテレビで観戦。16対3で中日惨敗。年に何試合かはこんな負け方
もあるだろうが、やはり腹が立つ。
 相手は強打者の揃った巨人だが、中日の投手陣が弱気すぎる。ホームランを警戒し
て外角球ばかりで、それもストライクが入らない。攻めて打たれるのは仕方がないが、
逃げてばかりのピッチングはやめてほしい。次の対巨人戦に期待。


2000(平成12)6月22日(木)
 池袋演芸場にて年に一度の一門会。窓樹兄さんとリレー落語[花色木綿]を熱演す
るが、「まだ声が小さい。語尾が消えて陰気になる」との師匠の指摘に、反省。
 ご来場いただいたお客様、ありがとうございました。


2000(平成12)6月23日(金)
 昨日の会に来てくれた友人から、誘いの電話。中学時代の同級生で家も近いので、
久しぶりにゆっくり話す。会の感想は「まあ、よかったよ」の一言で、あとは中学時
代の話や他の同級生の事ばかり。好きだった村田さん(美人だった人)はまだ独身ら
しい。関係ないけど。


2000(平成12)6月24日(土)
 ドラゴンズ、連敗を3でストップ。1点差の危ない内容だったが、勝てばいい。
 それにしても福留がまったく打てない。一軍にいるということは、まだ期待されて
いるのか、下に一軍へ上げる選手がいないのか・・・。あの守備なのだから、せめて
3割は打ってほしいものだ。


2000(平成12)6月25日(日)
 踊りでお世話になっている山崎のお師匠が、浅芽流を創設され、家元になった。記
念パーティーが東京会館にて。
 お師匠様、声をかけていただき、ありがとうございました。誠におめでとうござい
ます。


2000(平成12)6月26日(月)
 特別区民税と都民税を納めに豊島区役所へ。
 ついでに池袋をウロウロ。夕方になって女の子に声をかけられ、逆ナンパかと思っ
たら、キャバクラの客引きだった。2〜3分、話をして「また今度」と断ると、名刺
と飴玉をくれた。名刺は捨てたが、飴は食べた。


2000(平成12)6月27日(火)
 近所で「子猫ゆずります」という貼り紙を発見。マンションでなければ絶対もらう
のだが・・・。貰い手は見つかるだろうか?


2000(平成12)6月28日(水)
 〔故事・世界の名言集〕という本を買った。ごくまれに打ち上げの席などで色紙を
頼まれるので(過去2回)、何かいい言葉はないものかと考え中。
 ついでに〔ファーブル昆虫記〕も買った。小学生の時に図書室で読んだが、もう一
度じっくり読みたくなったので買ってしまった。児童向けの本はわかりやすくていい
ので、読んだら甥っ子にでもあげようか。


2000(平成12)6月29日(木)
 吉窓師匠に[動物園]を教えていただいた。前座が演っているのを見て、自分も演
りたくなったのだが、ライオンの仕種が意外に難しいことに気がつく。
 夜は中日の試合がないので、稽古に集中。


2000(平成12)6月30日(金)
 前からの約束で友人の家に行く。BSチャンネルで中日の試合を見るためだ。ドラ
ゴンズのことなら毎日だって書ける。番記者になりたいぐらいだ。そういえば、イチ
ロー選手も子供の頃、中日ファンで、今でも好きらしい。フリーエージェントで中日
に来ないだろうか?
 中日が勝ったので、友人に食事をおごる。
2000・7・10 UP







『 ゴルフもやってます 』

2000・6・11〜20(六月中席)
報じ手 窓樹
2000(平成12)6月11日(日)
 郵便受けに、呉服屋のチラシが入っていた。丸洗、シミ抜き等の値段が安い。場所
も江古田で近い。行ってみると店員も親切、次からもここに頼もう。


2000(平成12)6月12日(月)
 夜、川崎で落語会。[権助魚]。小学生も数人来ていたが、ちゃんと笑ってくれた。
子どものお客は大事にしないと、なにしろご贔屓が長いもんで、、、。


2000(平成12)6月13日(火)
 玉の輔兄に稽古を頼まれる。[小間物屋政談]。他人に教えると自分の勉強にもな
る。この噺、まだ改良の必要あり。


2000(平成12)6月14日(水)
 巣鴨信用金庫で落語会。お地蔵様の縁日に、毎月やっている。さすがにお年寄りが
多いが、ほぼ満員。今年の9月で100回を迎える。


2000(平成12)6月15日(木)
 区営のプ−ルに行く。高座で足がしびれるようになったので、減量のため。週に3、
4回、泳がないと体重は減らないらしい。


2000(平成12)6月16日(金)
 先日、文楽師匠に教わった[狸賽]を聴いてもらう。つぼを振る仕草を直していた
だいた。稽古のあと聞いた、先代の想い出ばなしは、ためになった。


2000(平成12)6月17日(土)
 全日本プロレスの選手が大量離脱のニュ−スを聞く。馬場さんが亡くなり、三沢選
手が社長になった時、こうなる予感がしたが、、、。馬場夫人との意見の相違が原因
らしい。


2000(平成12)6月18日(日)
 東京都民ゴルフ場へ。河川敷の広くて平らなコ−スなので、44・47。本コ−ス
だと、こうはいかない。


2000(平成12)6月19日(月)
 朝6時に起きて、〔全米オ−プンゴルフ〕の決勝ラウンドを観る。タイガ−・ウッ
ズが二位に史上最多の15打差をつけて優勝。まだ24歳。20代で四大メジャ−制
覇も夢じゃない。


2000(平成12)6月20日(火)
〔五人廻しの会〕のチラシ用の写真撮影のため、落語協会の事務所へ。カメラマンは、
事務員の北村氏。協会誌〔ぞろぞろ〕の写真も担当するほどの腕前。出来上がりが楽
しみ。


2000・6・25 UP







『 保育園の質問 ソフトボールの練習 』

2000・6・1〜11(六月上席)
 報じ手 窓里
2000(平成12)6月1日(木)
 川越の市長と会談。街づくりについて話し合う。


2000(平成12)6月2日(金)
 夕方、両国寄席。鳳楽、金也両師匠と雑談。楽屋ばなしは面白い。


2000(平成12)6月3日(土)
 地元の皆さんと、道路建設に伴う話し合い。良い解決策が見つかればいいのだが。


2000(平成12)6月4日(日)
 5時半起床。町内会のソフトボ−ルの練習。この時期は、雨で中止になることが多
いので、貴重な晴れ間。


2000(平成12)6月5日(月)
 市役所にて道路建設の説明を聞く。市全体の事を考えると、作らねばと思う。


2000(平成12)6月6日(火)
 6月定例会が今日から開会。市長より議案上程。今回は小学校・保育園建設等の大
工事が予定。


2000(平成12)6月7日(水)
 昨日、上程された議案を会派で研究。


2000(平成12)6月8日(木)
 埼玉県知事選挙告示。投票日は衆議院と同じ25日。


2000(平成12)6月9日(金)
 議会閉会。保育園建設について、私が登壇し質問する。合わせて周辺道路の整備要
望。


2000(平成12)6月10日(土)
 知事選挙の公選ハガキの宛名書き。こんなことまでするのだから、川越を良くして
もらわないと。


2000・6・25 UP







『 おかげさまで 林家彦六賞 』

2000・5・21〜30(五月下席)
 報じ手 吉窓
2000(平成12)5月21日(日)
 浅草の三社祭へやっしゃのお手伝い。ここは、神輿の担ぎ手にクリカラモンモンの
お兄さんが多い。迫力ありますよ!


2000(平成12)5月22日(月)
 やっしゃの稽古で鈴本へ。昨日の反省と次回の湯島天神に備えて、二時間みっちり
叩く。


2000(平成12)5月23日(火)
 朝、かみさんが未開封のジャムのびんをあけた途端に、
「いててっ!」
「どうしたの?」
「腕が痛い!」
医者へ行くと、
「腱鞘炎ですね」
 と言われたらしい。
 かみさん曰く、
「だから、あなたがあければよかったのよ」
 皆さん、ビンのふたをあけるのは男の仕事だそうです。
 ちなみに、かみさんの腕はあたしより太い。


2000(平成12)5月24日(水)
 月曜日から二泊三日で、箱根へ移動教室に行ってた娘が夕方帰宅。土産は寄せ木細
工の組み立てパズル。やり始めると、かなりはまる。


2000(平成12)5月25日(木)
 長野の戸倉上山田温泉へ。一行は、むかし家今松、、三遊亭歌ご、あたし。年2回
開催している落語会。前座の歌ご君は、となりの上田市出身。さかんに売り込んでい
た。来月、二つ目昇進だもんな。どんどん売り込め!


2000(平成12)5月26日(金)
 今年度の[林家彦六賞]、おかげさまで、あたしが選ばれました。その授賞式で日本
橋のたいめい軒へ。賞状を読むと「故彦六師の精進にのっとり、芸道修行につとめ、
活躍された」とある。なんだか、こそばゆい気もするが、ありがたくいただく。酒も
うまいし料理もおいしいし、ありがたい、ありがたい!


2000(平成12)5月27日(土)
 今日は、お江戸日本橋亭で〔本牧五人会〕。奇数月の第四土曜日にやっている。メ
ンバ─の一人の古今亭右朝兄が、声帯を痛め欠席。我々は喋る商売だけに声が出ない
のは、シャレにならない。右朝兄のかわりに、あたしが二席つとめる。


2000(平成12)5月28日(日)
 湯島天神祭り。クライマックスで13基の神輿が、やつしゃを叩いてる我々の前を
通過する。なかなか壮観だ。打ち上げで飲むビ─ルがうまい。


2000(平成12)5月29日(月)
 NHKの〔生きもの地球紀行〕という番組が好きで、今日が放送日。最近、ナレ─
タ─が変わった。前の柳生博、宮崎美子が良かったせいか、今度の人はいまイチだ。
先代が良いと、当代が酷評されることはよくある。


2000(平成12)5月30日(火)
 池袋演芸場の〔二つ目勉強会〕をのぞいてみる。二つ目になりたての者と、真打に
近い者では、やはり差がある。後輩の高座を聴いてると「自分もうかうかしていられ
ないぞ」と思う。その刺激を受けただけでも、のぞいた価値がある。


2000(平成12)5月31日(水)
 新宿で洋画〔グリ─ンマイル〕を観る。3時間あまりの長編だが、あっという間に
過ぎた。死刑囚と看守の心の交流を描いたドラマだが、電気イスのシ─ンは目をそむ
けた。
2000・6・15 UP







『 日本国憲法を見直す感動 』

2000・5・11〜20(五月中席)
 報じ手 圓窓
2000(平成12)5月11日(木)曇り
 中席 上野鈴本 夜18:15。新宿末広亭 夜20:20。
 上野鈴本[夕立屋]。この噺は小咄として演られているものに、あたしが肉付けし
てなんとか一席物と脚色した作品。4年前に出版した〔おもしろ落語図書館〕へ載せ、
近くは協会のHPにも〔読む落語〕としてUPしたもの。HP「だくだく」にも、〔
創作・架空落語〕としてUP。厳密にいうとあたしの創作というわけではないが、脚
色したことを買ってもらって、創作のグループにした。怒る人もいるかもしれないが
…。
 上野鈴本の楽屋で、出入りする芸人、老いも若きもがみな病気の話。若手の横目家
助平が「高血圧で薬を飲んでます」とか、誰やらが「大腸炎でやっと退院しました」
とか。「寄席じゃないね、病院だね」の言に、みな賛成の意。
 新宿末広亭[夕立屋]。ここでも、この噺。しばらくこの口演は続けるだろう。楽
屋入り、いや、病室入りの前に、毎度のこと、桂花ラーメンで腹ごしらえ。
 寄席のあと、窓門会会員へ配布するチラシを事務局の和田さんへ渡しに三鷹へ。
 帰宅すると、窓輝が「旬報の原稿を持ってきました」と待機していた。字もろくに
書けなかったやつだが、いろいろ原稿を書かされているうちに、なんとか形になって
きたようだ。先月5日の最初の勉強会のことも反省もこめって書いてあった。


2000(平成12)5月12日(金)晴れ。

 名古屋の東山会館で講演。良き青少年を育成しようという千種区の婦人会の総会。
そういうボランテアに携わる人々の苦労はよくわかるので、喜んで参加。そのの料理
も旨し。
 圓窓五百噺を聴く会[小言念仏][袈裟斬り地蔵][猿後家]。
 小島氏と食事。白川で一泊。


2000(平成12)5月13日(土)
 上野鈴本 昼15:45代演[夕立屋]
 上から会。歌舞伎座へ。
 その客席でカルトモ(カルチャー友達)に会う。ML仲間のO夫妻とヨーガス長屋
のT夫妻。
 O氏曰く、
「師匠はえらいよ。こうして、いろいろ文化に顔を出して」
「いえね、先輩」
 とあたし曰く。O氏はあたしの高校の大事な先輩の一人。
「あたしはね、先輩。師匠(圓生)を亡くして以来、あたしになにか小言を言ってく
れる人がいなくなったのが怖くて、こうして、みなさんと付き合って、連句を教わっ
たり、いい映画の見方を指導してもらったりしてんですよ。つまり、みなさんを師と
仰いでいます、はい。『もう怖い者はいねぇ!』と豪語して、わがままいっぱいの者
も世の中にはいますがね。あたしにはそれはできません」
 上野鈴本[夕立屋]
 新宿末広亭[夕立屋]


2000(平成12)5月14日(日)晴れ。
 群馬県の白沢村主催の敬老会へ。チャーリーカンパニーとあたしの二本。世話人が
控え室の窓から指差して「あの山を越えたところが小渕さんの選挙区の中之条町です
よ」。


2000(平成12)5月15日(月)
 上から会で歌舞伎座の昼の蔀。源氏物語。「あんなの淫乱物語じゃねぇか」と言っ
た人がいたっけ。寝てしまう。
 上野鈴本[夕立屋]
 新宿末広亭[夕立屋]
 夜、野暮用で友人の医者の家へ。止めた車が駐車違反。医者の家へ行ってチュウシ
ャ違反とはどういうことだ。ましてや、いい看護婦がいるというのに。


2000(平成12)5月16日(火)
 上野鈴本[夕立屋]
 新宿末広亭[夕立屋]
 青年劇場の〔真珠の首飾り〕の再演を観る。新宿・朝日ホール。思えば、一昨年の
初演の折り、隣りに小渕外相が座っていた。その小渕さん、首相になったが、故人と
なっては…。上演中、ほとんど寝てましたがね。
 あの当時の元日本憲法のモデル案を作ったGHQの関連者はほとんど亡くなって
いて、生存者は三人とか。そのうちの二人の夫婦(ゴートン夫妻)が紹介され、客席
も盛り上がる。ゴートン婦人は当時22歳。人権に関する部門を担当し、現在憲法の
24条は彼女の尽力によることが芝居の場面にもあり、女権を強く組みこむように力
説した場面は感動的であり、また、そのことが挨拶にもあり、改めて感動。
 挨拶に立った作者のジェームス三木、離婚問題で世間を賑わしたが、作力はたいし
たもの。感服す。つづいて、土井たか子「ゴートンさんは結婚したが、あたしはまだ、
一人」と言って笑わす。ゴートン夫人「アメリカの憲法より素晴らしいんです。そん
ないいものを押し付けるもんですか」と明るくコメント。
 当時の日本がいくらか想像できる。その頃の日本人にいい憲法を作るセンスなどは
あるわけない。明治憲法の焼き直し程度であったろうことは、あたしでも推察できる。
GHQのおかげ、と言っても過言ではない。感謝こそすれ、押し付け憲法だなんて、
おこがましい。
 やはり、良いものは何度みてもいい。


2000(平成12)5月17日(水)
 新宿末広亭昼13:40の早上がり。[夕立屋]。
 上野鈴本17:45の早上がり[夕立屋]。
 コミカレ。左橋はあたしが入るまでつなぎがてら[青菜]。あと[お花半七]。あ
たしは[小言念仏][夕立屋]。左橋の[お花半七]がきっかけになって、大蛇さん
と〔木曾殿とーーー〕の句の真意まで話し合う。いじれ、HP「だくだく」の古文教
室にUPを考えるほど、面白い談義なり。


2000(平成12)5月18日(木)
 上野鈴本[夕立屋]
 新宿末広亭[夕立屋]


2000(平成12)5月19日(金)
 歯医者へ。その医師へ「あたしのカルチャーで講演してくれる?」と頼む。なにし
ろ、小中学の同級だから、頼みやすい。
 浅草演芸ホールへ回って、自分の写真と略歴を届ける。ついでに、翁蕎麦へ行って、
大もり。ちょうど小遊三が新入りの弟子と一緒で、彼らはザル蕎麦。
 上野鈴本[夕立屋]
 新宿末広亭[夕立屋]
 ビデオ屋で〔ラマンチェの男〕を借りる。


2000(平成12)5月20日(土)雨。寒い。
 窓門会のメンバーのこんの字に招待されて国立能楽堂の金剛会へ。能は久し振り。
半蔀(はしとみ)と鞍馬天狗。やはり謡の文句が理解できないのですぐ眠くなる。わ
かるという客は稽古をしている連中だから、理解できるんだ、という言い訳的な思考
に到達してしまう。
 こんの字の持っていた本からの〔羽衣〕のコピーがあったので読んでみたが、志ん
生がやってたのを思い出す。これが民話だと、筋がちょっと違って、漁師は羽衣を盗
ったことを言わずに箪笥に隠して、天女と所帯を持つ。そして、何年か経って天女が
その羽衣を見つけるというようなストーリーだったが。脚色してみようか。
 上野鈴本[夕立屋]。Eメールで「行きます」と言ってた熊本のチャッキーが楽屋
を尋ねてこないので、そのまま、新宿末広亭へ。
 新宿末広亭[夕立屋]。あたしの前が津軽三味線の元九郎。青森訛りの「なにしろ
日本代表だからね」がいやに受けている。その後へ上がって、「小咄の肉付けを頼ま
れ、断わりませんでした。なにしろ、あたしも日本代表だからね」とマクラに振って
バカ受け。
 楽屋で小朝門下の前座・アリスがやめたことを楽屋で聞く。「自分から申し出たそ
うで」と。あ太郎がやめたばかりではないか。一つの連鎖反応か。
 高座を下りると、なんと、チャッキーが友人と楽屋へ顔出し。「上野鈴本の楽屋へ
顔出しするのが遅くなって、『師匠はもう新宿末広亭に向かった』ということでした
ので、後を追っ掛けて来ました」と。
 三人で新宿駅地下のビヤホールへ。昼間は〔ラマンチャの男〕を見たそうな。あた
しはその映画をビデオで見ている最中。
2000・5・27 UP







『 寝たり起きたりの黄金週間 』

2000・5・1〜10(五月上席)
報じ手 窓輝
2000(平成12)5月10日(水)
 二人会の感想を書いた手紙が3通届いた。聞き手あっての噺家であるから、お客様の感
想や意見というものは本当にありがたい。まだまだ修業中ですので、よろしくお願いしま
す。


2000(平成12)5月9日(火)
 テレビが入荷したとの知らせで再びさくらやへ。14インチのテレビデオが2万4千8
百円とは安いと思う。3割引だそうだ。
 電池やテープ、写真のフィルムの現像などすべてさくらやと決めている。ポイントをた
めてステレオを買うつもりだ。


2000(平成12)5月8日(月)
 発熱してしまった。窓を開けて眠ったのが原因らしい。パブロンとポポンSを飲んで、
一日中、横になっていた。
 それにしても黄金週間は、二人会はやったものの、寝たり起きたりと、一般の人と同じ
過ごし方をしてしまった。


2000(平成12)5月7日(日)
 友人三人と新宿で会う。居酒屋で三人から「独身で好きなことをやってるお前がうらや
ましい」と言われる。
 こっちは定収入とボーナスのある友人らがうらやましい。


2000(平成12)5月6日(土)
 映画「ボーンコレクター」を鑑賞。事故で脊髄をいため寝たきりになった捜査官をマル
コムXのデンゼル・ワシントンが演じていた。
 リアルでスリリングな展開に大満足。やはり映画はサスペンスにかぎる。


2000(平成12)5月5日(金)
 内部事情があって、日本橋亭での、あ太郎とのニ人会が、天どんと二人会に変更。黄金
週間の中、32名のお客様に自分もびっくり。どうもありがとうございました。
 それにしても天どんの評判が意外とよかった。協会内の圓生一門の弟分は彼しかいない
ので仲良くしていこうと思う。第二回を計画中。


2000(平成12)5月4日(木)
 連日、東京ドームへ。昨年、活躍した関川????がまったく打てない。バンチと岩瀬
の好投で3対1の接戦をものにする。途中、立見に疲れてしまい、モニター前のベンチで
観戦。
 今期、観戦したゲームは、神宮と東京ドームの4試合で2勝2敗。


2000(平成12)5月3日(水)
 巨人対中日戦を東京ドームで観戦。どうも後楽園球場の時から、自分が見に行くと中日
の勝率が悪くていけない。案の定、先発の山本が3本のホームランを打たれてKO。大敗
してしまった。
 それにしても私設応援団というものはなんとかならないのだろうか? 大きな旗を横に
おいていくつもの席を占領するので、彼らのおかげで大勢の人が立見しているというの
に・・・。


2000(平成12)5月2日(火)
 月末の『二ツ目勉強会』に[持参金]をネタ出ししたので久しぶりにさらってみた。二
年ほど前、右朝師匠から教えていただいた噺で、ノートを見るとその時の稽古風景を思い
出す。
 もっと早めにさらって、昨日やればよかった。


2000(平成12)5月1日(月)
 テレビが壊れたので買いに行った。
 NHKとテレ朝がよく映らないだけだが、6〜7年は使ったのでまぁいいだろう。
 気に入った物が現品しかなく、少し考えて入荷を待つことにした。テレビとビデオの録
画再生ができればいいわけだから、他のいろいろな機能の付いた物は使いこなせないと思
ったからだ。
 現品しか残ってないところを見ると、同じ考えの人が随分いるのだろう。
 夜は八王子で落語会、[真田小僧]がうけた。

2000・5・20 UP





『 上野鈴本の早朝寄席 』

2000・4・21〜30(四月下席)
報じ手 窓樹
2000(平成12)4月30日(日)
 鈴本演芸場の早朝寄席、「山崎屋」。早朝といっても10時から。二つ目が四人出
て500円。毎週日曜日にやってますので、ぜひお出かけください。


2000(平成12)4月29日(土)
 更埴市の生蓮寺で落語会。今年で2回目、「お菊の皿」をやる。お寺は本当にやり
やすい。


2000(平成12)4月28日(金)
 寄席をつとめ、夕方から長野へ行く。明日の仕事が早いため、前乗りする。桜が見
ごろだった。


2000(平成12)4月27日(木)
 末広亭の後、夜は某会社のパ─テイの司会。役員の挨拶で不景気という言葉の多い
こと……。


2000(平成12)4月26日(水)
 高座を終えて、文楽師匠の出番まで待って、稽古をお願いする。来月の上旬につけ
てくださることになった。


2000(平成12)4月25日(火)
 師匠のトリまで残り、「桂花」でラ─メンをご馳走になる。最近、末広亭界隈は飲
食店が増えたせいか、この店は並んで待つことがない。


2000(平成12)4月24日(月)
 今日から五日間、末広亭昼席。「権助魚」をやる。数は少ないが良いお客さま。


2000(平成12)4月23日(日)
 最近、大沢在昌の小説に凝っている。ハ─ドボイルドもの。読んでいるうちに日が
暮れる。


2000(平成12)4月22日(土)
 かみさんと長瀞に行く。桜はまだ散っていなかった。


2000(平成12)4月21日(金)
 池袋演芸場の『歌武蔵・扇好の会』を聴きに行く。先輩、後輩を問わず他人の噺は
勉強になる。打ち上げに誘っていただき、遅くまでご馳走になる。

2000・5・5 UP





『 お決まりの宴会が続く 』

2000・4・11〜20(四月中席)
 報じ手 窓里
2000(平成12)4月20日(木)
 障害者施設運営委員会に出席。ボランテイアで参加している某施設の相談を聞く会。
運営していくのは、とても大変なこと。


2000(平成12)4月19日(水)
 整体院に行く。週に一回うけると、身体の調子が良い。


2000(平成12)4月18日(火)
 美術館建設委員会に出席。


2000(平成12)4月17日(月)
 6時起床。入浴、朝食後、川越に帰る。午後、総合計画審議会に出席。


2000(平成12)4月16日(日)
 川越市議会野球部の親善試合のため、秩父の山中へ。練習と試合で三時間半、疲れ
た。夜はお決まりの宴会。今夜は当地に宿泊。ちなみに全額自腹。公費は使っていま
せん。


2000(平成12)4月15日(土)
 息子の所属する中学野球部の父母会の総会。閉会後はお決まりの宴会。


2000(平成12)4月14日(金)
 某自動車会社の総会で、安全をテ─マに一時間の講演。閉会後は、お決まりの宴会。


2000(平成12)4月13日(木)
 地元の春まつりに出席。セレモ─ニ─の後は、お決まりの宴会。


2000(平成12)4月12日(水)
 市役所の議員控え室に来客。色々と相談を受ける。少しでもお役に立てれば……。


2000(平成12)4月11日(火)
 川越市議会臨時議会。終日、地方税法改正に伴う会議。
2000・4・29 UP




『 踊りを教えたり 教わったり 』

2000・4・01〜11(四月上席)
 報じ手 吉窓
2000(平成12)4月10日(月)
 鈴本演芸場の地下で、やっしゃの稽古。やっしゃとは、祭囃子のこと。毎年、湯島
天神の夏祭りにお手伝いに伺っている。本番までひと月あまり。握るバチにも気合い
が入る。


2000(平成12)4月9日(日)
 昨日、町内会から連絡があり、「本日、お花見の会が哲学堂公園である」とのこと。
池袋の出番がすんでから駆けつけたら、桜は満開で天気も良好。公園内は混み合って
いて、わが町内会の宴会場所を探すのにひと苦労。


2000(平成12)4月8日(土)
 池袋の高座を終えて、夜は両国寄席へ。〔楽太郎、吉窓、窓里三人会〕。客席数5
0の小さなホ─ルだが、とりあえず満員。

2000(平成12)4月7日(金)
 かみさんに用事を頼まれる。通販で届いた洋服が気に入らないので返送してくれと
のこと。ペリカン便なら着払いができるというので、近くのコンビニへ行ったんだが、
「ペリカンは扱っておりません」。じゃあ他へ、と当たったが、なんと五軒目でやっ
とペリカン便を扱うコンビニに出っくわす。ファミリ─マ─ト、セブンイレブン、サ
ンクス、ロ─ソンはクロネコヤマトなんですね。皆さんも気をつけましょう。

2000(平成12)4月6日(木)
池袋演芸場へは南長崎の自宅から歩いて通っている。時間は約30分。立教大学の裏
をぶらぶら歩いていると、塀ごしに若者の歓声が聞こえる。新学期だなあと、春を感
じる。


2000(平成12)4月5日(水)
 今日は、あたしが住吉踊りの稽古。踊りもみっちりやるとくたびれる。


2000(平成12)4月4日(火)
 池袋の昼席。あたしの3本あとの古今亭志ん駒師匠がおりるのを待って、一緒に師
匠のお宅へ稽古に伺う。いえ、あたしが教わるんじゃなくて、踊り〔桃太郎〕の手順
を教えに、つまり出稽古です。この節、落語より踊りの方が評判がいいもんで……。


2000(平成12)4月3日(月)
 同期の富蔵、左橋、菊輔の諸兄と 池袋で、飲む。新婚5ヶ月の左橋さんは嫁さん
同伴で参加。なんと17歳年下という、かわいらしいかみさん。ああ、うらやましい。

2000(平成12)4月2日(日)
 親戚の娘さんの結婚披露宴に出席。場所は向島の料亭。粋なお座敷で60名程の宴
会。あたしも小噺と踊りで祝福。


2000(平成12)4月1日(土)
 今日から10日まで、池袋演芸場の昼席。初日は[長屋の花見]。桜が散ってしま
うと、このネタはピンとこない。今がやりどき。

2000・4・29 UP




『 ボケ増進旬間? 』

2000・3・21〜31(三月下席)
報じ手 圓窓
2000(平成12)3月31日(日)晴れ
 協会のHP作成委員会へ。ノートPCの購入相談もする。
 石さんと会って、歓談の相談。もう、何年の付き合いだろうか。でも、一度もあた
しの生の高座を聞いてないという人。
 踊りの稽古。足がいけないので、見学だけ。稽古場はオフィス樹へ移っている。


2000(平成12)3月30日(木)晴れ
 浅草演芸ホール[飛ぶ鉄鉢]。はねて、吉窓、窓輝、前座らを連れて、翁蕎麦へ。
窓輝のやつ曰く「師匠がお金を払わずに帰ったという蕎麦屋って、ここですか?」。
そうだよ、思い出させるな。
 女房の姪っ子から電話で「合格しました!」。姪っ子は遠回りしたが、頑張り通し
て正看護婦の国家試験に合格。あたしの親戚で国家の試験に受かった者は、未だ嘗て、
彼女一人。以前、「合格したらグッチを買ってね、おじちゃん」と言われたとき、「
ああ、いいとも、グッチだろうが、ズックだろうが」と言ったんだが……。まさか、
ズックってわけにもいかないだろう。そうそう、昨日、読み打ちを送ってくれた清女
さんも苦労人の看護婦。


2000(平成12)3月29日(水)晴れ
 ビデオ〔慕情〕を見る。ホールデン演ずる主人公に爪を噛む癖があり、恋人に「そ
の癖がなくなったら、あなたは本当にあたしのものになるわ」言われる場面で、死ん
だ柳家菊語楼にも同じ癖があったと思い出し、吹き出す。
 浅草演芸ホールへ。地下鉄千川駅への途中で、定期を忘れたことに気が付く。とり
に戻る時間もないので、悔しいが切符を買って乗り込む。昨日のコートのポケットへ
入れたままなのだろう。コートを替えたばかりに、この悲劇。
 千川から飯田橋で乗り換え、また日本橋で乗り換えて田原町へ出て見た。時間を計
るのを忘れた、と思ったら、時計の代わりにも使っている携帯電話も忘れてる。近頃、
忘れ物多し。蝉じゃないが、多ーしんつくづく、嫌になる。
 浅草演芸ホール[飛ぶ鉄鉢]。
 サイト師の日比野さんから紹介があって、18:30、原宿のカフェレストラン〔
登芽木〕へ。もうサイト師は来ていて、店の主夫妻を紹介され、店の名は〔とめこ〕
と読み、それが奥さんの名前と知る。講演依頼の打ち合わせが目的であったが、その
店が南無の会の発祥の会場であったと聞かされ、興奮。また、薬師寺との繋がりもあ
るとのこと、またも興奮。カレーは旨し。ヨーガス長屋に入会してくれるとのこと、
ありがたし。
 帰宅して、ビデオ見る。〔イングリッシュ・ペンシェント〕。ペンシェントとは、
患者という意味か。
 夜中のEメールで清女さんに頼んだおいた読み打ち(窓輝の原稿)が届く。編集し
てサイト師に添付ファイルで送信


2000(平成12)3月28日(火)晴れ
 上野鈴本14:45の代演[飛ぶ鉄鉢]。
 浅草演芸ホール[飛ぶ鉄鉢]。
 池袋演芸場の二つ目勉強会を聞きに行く予定だったが、軽い熱が出たせいか、帰宅
してそのまま朝までダウン。


2000(平成12)3月27日(月)晴れ
 上野鈴本の席亭よりEメールで「寄席の日の決定を[ぞろぞろ]と[かわら版]で
知らせたのはけしからん」と。そんな馬鹿な。今月2日の寄り合いで「日にちの決定
のことは知らせてもいいが、どんなサービスをするかの件は記者会見で発表するので、
それまで待つように」と話し合ったのに。
 上野鈴本14:45の代演[飛ぶ鉄鉢]。
 浅草演芸ホール[飛ぶ鉄鉢]。トキエ御前が客席に。あたしだけでなく、弟子一同
にも土産。


2000(平成12)3月26日(日)晴れ
 朝、炬燵の中で猫のマル、死す。10年ほど前、長男が勤務先の近くで可哀相だと
拾ってきたおとなしい猫だったが、腹水が溜まり、静かに息を引き取る。
 第3回のヨーガス長屋の総見。新宿ミラノ座で〔マグノリア〕を見る。この映画長
過ぎで疲れる。そもそも〔ヨーガス長屋〕とは「外国映画はヨウガスね」という洒落
から命名した、洋画鑑賞グループ。現在20人。会食は浪漫亭。
 終わって、ヨーガス長屋の住人のTさんを誘って浅草演芸ホール(夜の部21:4
5)へ。Tさんは浅草演芸ホールは初めてだという。
 高座はしょう平。最近、客を掴むことができたのか、自信を持って演っているよう
で、賑やかに高座を勤めている。
 小生[飛ぶ鉄鉢]。
 帰宅後、ビデオで〔つばさ〕見る。サイレント映画であり、第一回アカデミー作品
賞映画でもある。あの時代に空中戦など、よく撮影したな、と感心す。


2000(平成12)3月25日(土)晴れ
 ヨーガス長屋の住人に亀さんのコンサートを紹介す。感激、感激と。
 長唄の佐近さんの創作の会へ。〔サロメ〕を聞く。
 サイト師へ、「HPのタイトルが堅過ぎるので、愛称として〔だくだく〕の文字を
添えてください」と送信。落語協会のHPの発足の折、広報誌が〔ぞろぞろ〕なんだ
から、HPの愛称を〔だくだく〕にしたら」と会議で提案したんだが、みなが乗り気
でなく、賛成を得られなかったのが、この〔だくだく〕。陽の目を見せてやろう。


2000(平成12)3月24日(金)小雨まじり。
 今日も浅草演芸ホール14:30分の早上がり。[飛ぶ鉄鉢]
 ヒノキ新薬鰍フ本社ビル新築パーティー。阿部社長は文化芸能の理解者なので、関
係者の集まったのなんの。あたしはその中のほんの一人。


2000(平成12)3月23日(木)
 協会の理事会へ。落語芸協からのお囃子移籍問題もやっと良識に則って収まる。
 浅草演芸ホール14:30分の早上がり。[飛ぶ鉄鉢]。このタイトルも[飛ぶ空
鉢][飛び托鉢][飛ぶ托鉢][飛ぶ鉄鉢]と試行錯誤を重ねたが、[飛ぶ鉄鉢]に
落ち着く。
「鉄鉢」を「てっぱち」と言ったのを「てっぱつ」と注意され、笑涯楽習。あたし同
様の人もいると思うので、あえて、この命名。
 碑文谷の法人会へ。圓融寺を借りての講演会。真剣に聞いてもらえて嬉しい。


2000(平成12)3月22日(水)
 NHKBSの大谷さんが先日、録画した落語番組[法要猫]で小生の書いた「誰だ
って人さまのおかげ」という色紙についてのコメントを録りに浅草演芸ホールの楽屋
へ。高座の[飛ぶ鉄鉢]を客席から聞いて、「やはりスタジオとは違う雰囲気だし、
師匠ものびのびとやってましたね」の感想を吐く。
 ML浮世床の仮名さんに頼んでおいた、カセット(小生の落語4席)の聞き打ちが
送られてきた。去年の圓生物語で演った[通夜の烏]と20年ほど前に手がけた[柳
田角之進]。「喜んでやらせてもらってます」というEメールに甘えて、これからも
頼むつもり。もちろん、〔だくだく〕にUPの予定。
2000(平成12)3月21日(火)


 過去を振り返ろう。今月8日に自転車で転倒し、右足親指の爪が剥がれても可変し
くない状態であったが、痩せ我慢して高座を勤めていた。が、化膿の可能性もありと
判断して千早医院へ行ったのが、14日。爪を取らずの治療スタート。高座は釈台を前
にして胡座を掻いて勤めている。
 下席 浅草演芸ホール 昼席トリ 16:10上がり。[飛ぶ鉄鉢]。
 今日は二つのポケあり。浅草演芸ホールの昼をはねて、翁蕎麦へ寄って、大盛りを
たぐって、そのあと、地下鉄で用足しに渋谷の方へ。ところが、勘定を払わずに店を
出てしまったことに気が付いて、蕎麦屋へ戻る。
 もう一つのポケは、それから、インターネットの生中継をする上野鈴本(たい平・
喬太郎真打昇進披露)へ。あたしが中入りに楽屋風景をレポートしたり、出演者にイ
ンタビューしたりする役目を受け持っている。ところが、楽屋へ入ったら、7時ちょ
い過ぎ。「中入りはもう終わりました」。なんたること。完全に遅れたわけだ。昨日
まで新宿末広亭の中入りだったので、中入りの時間を八時との思い込んでいてための
失敗。あああ・・・。近頃、こういうことが自分の生活の中に多発する。本格的なボ
ケも早いだろう。

2000・4・17 UP




『窓輝・あ太郎 ニ人会』

2000・3・11〜20(三月中席)
 報じ手 窓輝
2000(平成12)3月20日(月)
 プロ野球のオープン戦「日ハム対中日」を東京ドームで観戦。先発の野口は、3回
8失点の大乱調で、期待の福留とディンゴも不発。結果は10対0の大敗だが、本番
で勝てば文句はない。今年もがんばれ! ドラゴンズ!


2000(平成12)3月19日(日)
 あ太郎君と、またも打ち合わせ。ゲストやネタが決まり、自分がチラシを作ること
になった。目標は、年に3回を10年続ける事だ。


2000(平成12)3月18日(土)
 伊勢原にて一門会。大喜利に大苦戦で、特に題をもらってのなぞかけに苦労する。
 新聞や雑誌を良く読むよう、窓里師からアドバイス。


2000(平成12)3月17日(金)
 師匠からチケットをいただき歌舞伎座へ。出し物は「菅原伝授手習鑑」。幸四郎の
松王丸は、迫力があった。3階席は、花道が見えないのが残念。イヤホンガイドは、
わかりやすく親切だが、有料なのが不親切だ。


2000(平成12)3月15日(水)
 西武コミュニティカレッジで[幇問腹]を熱演。知り合いが大勢いると、よくうけ
る。
 寄席の出番のたびに来てくれるといいのだが。


2000(平成12)3月13日(月)
 歯痛がひどいので歯医者へ。友人の実家なので、行くと必ず昔の話になり、謝るは
めになる。今回は、トイレを詰まらせた話が出たが、あれは僕じゃありません。


2000(平成12)3月12日(日)
 あ太郎君と5月にやる二人会の打ち合わせ。賞味10分でおわり、いつものくだら
ない話へ突入。居酒屋での打ち合わせはダメだ。


2000(平成12)3月11日(土)
 池袋シネマサンシャインには、映画「スリーピーホロウ」を観る。最後まで犯人の
わからない(自分だけ?)ミステリーのおもしろさを十分味わえた。
 帰りに、さくらやで電子レンジを購入。ポイントが2万円分たまった。
 
2000・4・17 UP




『 本の整理に5時間 』

2000・3・1〜20(三月上席)
報じ手 窓樹

2000(平成12)3月10日(金)
 小唄の稽古。先日の独演会(池袋演芸場)に、師匠をはじめ、皆さんに来ていただ
いた。[居残り佐平次]は、初めて聴いたという人が多かった。まずまずの評。


2000(平成12)3月9日(木)
 歯医者に行く。歯のエステをすすめられる。フッ素を歯につけると、ムシ歯予防に
なるそうだ。フライパンもフッ素加工しているものは、なるほど汚れがつきにくい。


2000(平成12)3月8日(水)
 夜、大宮で一席、[錦の袈裟]。知人のすし屋が会場。ウラが返るといいのだが……。


2000(平成12)3月7日(火)
 注文した本棚が届く。整理していると、ついつい本を読んでしまう。これだから本
は捨てられない。5時間かかる。


2000(平成12)3月6日(月)
 昼席がハネてから半チャン6回の麻雀をやる。メンバーは、権太楼、馬桜、円太郎。
けして図書券は賭けてません、念のため。


2000(平成12)3月5日(日)
 近所の家具屋で、本棚を買う。本はもう読まないと思っても捨てられない。増える
ばかりだ。


2000(平成12)3月4日(土)
 あきる野市で落語会、「たらちね」。楽屋に昨年亡くなった扇蔵師のお兄さんが、訪
ねてくる。弟弟子の扇治さんに皆さんでと祝儀。ハネてから、みんなで扇蔵師を偲ん
で中華料理をあばれ食い。


2000(平成12)3月3日(金)
 知り合いの店の開店三周年パーティで小噺。乾杯の前にお願いしたので、よく聴い
てくれた。


2000(平成12)3月2日(木)
 床屋に行く。近所にできたラーメン屋の話で持ち切り。40分待ちだそうだ。床屋
の親方いわく、かなり辛いスープだがくせになるらしい。一昨年の十二月まで老夫婦
が経営っていて、その頃もたいへんな人気だったそうだ。やめる時も惜しむ声が多く、
お客の一人が老夫婦から権利を買って始めたとのこと。一度行ってみよう。


2000(平成12)3月1日(水)
 両国寄席に出演、「気の長短」。本日は「楽之介・小円楽二人会」よく入っている。
最近、この寄席は独演会、二人会が多い。楽太郎師匠の案でお客を呼ぶテコ入れだそ
うだ。今は、企画物をやらないとお客は足を運んでくれない。
   
2000・3・12 UP




『川越市議会の第1回定例会が開会』

2000・2・21〜29(二月下席)
 報じ手 窓里


2000(平成12)2月29日(火)
 議会出席。介護保険、地方分権等の審議する。


2000(平成12)2月28日(月)
 夜、志木駅ビル落成記念落語会。出演者は、窓里、小正楽、小のり、勝之助、わか
馬。


2000(平成12)2月27日(日)
 朝7時より、自治会のソフトボ一ルの練習。


2000(平成12)2月26日(土)
 家で雑務整理。確定申告、手紙書き等など。


2000(平成12)2月25日(金)
 埼玉改革フォ一ラム議員団会議に出席。


2000(平成12)2月24日(木)
 平成12年川越市議会第一回定例会開会する。来月21日までの27日間。


2000(平成12)2月21日(月)〜23日(水)
 川越市議会、会派「プロジェクト川越21」の視察で、三重県関町の「町なみ保存
」、鈴鹿市の「伝統産業」を見に行く。
2000・3・12 UP




『シカが鹿を食う』

2000・2・11〜20(2月中席)
 報じ手 吉窓


2000(平成12)2月20日(日)
 来週の土曜、日曜に町内会の旅行で熱海へ行く。どういうわけか、あたしがその幹
事になった?? 今日は打ち合わせ有り。


2000(平成12)2月19日(土)
 赤坂山王日枝神社で、さる事務所に頼まれた結婚披露宴の司会。この事務所には、
10年以上お世話になっているが、司会料のアップはない。お願い、ギャラ上げて!


2000(平成12)2月18日(金)
 新宿区立西落合図書館へ行く。我が家は豊島区だが、一番近いので重宝している。


2000(平成12)2月17日(木)
 近所の生鮮食料品専門の〔ビッグ築地〕ヘ買い物。ここは値段も安いが、親子三人
では食べきれないほど量も多い。平日の昼でもかなり混んでいる。


2000(平成12)2月16日(水)
 今日は歌舞伎座の夜の部へ。昼夜通しで観ることもあるが、さすがに10時間はく


たびれる。なるべくわけて観るようにしている。
2000(平成12)2月15日(火)
 歌舞伎座の昼の部を観に行く。


2000(平成12)2月14日(月)
 上野鈴本の地下で〔やっしゃ〕の稽古。湯島天神の夏祭りに毎年、お囃子の手伝い
に伺っている。本番まで三ヶ月あまり。バチを持つ手にも力が入る。


2000(平成12)2月13日(日)
 掛川落語会の世話人さんの家に泊る。時間があったので掛川城を見学。ここは、今
上映中の邦画「雨あがる」ロケ地との事。


2000(平成12)2月12日(土)
 静岡の掛川へ。お寺を会場にしている「掛川落語会」。年四回で、15年以上やっ
ている。落語会の継続は難しい。世話人さんの熱意に頭が下がる。お客の反応もすこ
ぶる良い。


2000(平成12)2月11日(金)
 今日は建国記念日。遠い親戚に猟が趣味の人がいて、そのおじさんからもらったエ
ゾ鹿で焼き肉。思ったよりやわらくてうまい。
2000・3・12 UP




『風邪と共に去りたし』

2000・2・1〜10(2月上席)
 報じ手 圓窓


2000(平成12)2月10日(木)
 女房から「集金がくるから」と言われ、朝早く起きて銀行へ。
 新宿末広亭[仏相撲]
 上野鈴本[鬼の涙]
 高田屋嘉兵衛の末裔の住居なす北区神谷銀座の商店街の幹部の二人が打ち合わせに
上野鈴本へ。「商店街興しに、嘉兵衛の噺をやってほしい」と。だけど「金はない」
と。ほぅら、始まった。あたしに相談にくる人で金持ちはほとんどいない。
 銀座小劇場へ。女だけの劇団の芝居。タイトルは忘れたが、面白かったことは覚え
てる。松永麻美さんの出演。


2000(平成12)2月9日(水)
 新宿末広亭[本膳]
 上野鈴本[鬼の涙]
 ビデオ屋のサービスデーで一律200円になるので、6本借りる。


2000(平成12)2月8日(火)
 新宿末広亭。
 上野鈴本楽屋で漫才のうたじさんが「昨日はいい意見をしてくだすって」と。


2000(平成12)2月7日(月)
 演芸連合の寄合。「寄席(浅草演芸ホール)の近くのホールを借りて会を開こうと
したとき、寄席側からストップの声が上がって、その会を急遽、キャンセルした。こ
ういう場合、演芸連合として、会が開けるように寄席側と話し合いをしてもらえない
だろうか」という演芸協会の頼みに、演芸連合のトップが「そこまでは……」と、さ
らりとかわすような発言に、このあたしはムカッとして、「なんのために演芸連合と
いう、この大きな団体が存在するのか」と言っているうちに本当に腹が立ってきて、
「そんなこっちゃ、若い者が着いてきませんよ」と大声を発してしまった。あたしの
気の短さは死ぬまで直らないだろう。短気は損気。それで、苦労中……。


2000(平成12)2月6日(日)
 日大歯学部埼玉県同窓会で講演と落語[ぞろぞろ]。この頃、[ぞろぞろ]を演る
ケースが多いのは気になるところ。懇親会も出席。
 ビデオで[羊たちの沈黙][オーケストラの少女]、ともに前にも見ている作品。
[オーケストラの少女]には泣いたり笑ったり。創作のネタにもなりそうな場面もあ
った。父親が財布を拾って中の金を使ってしまったが、娘がその財布を落とし主に返
しに行った場面は人情噺。


2000(平成12)2月5日(土)
 新宿末広亭。
 上野鈴本。棒茄子さん(札幌在住のEメール仲間)が楽屋へ。札幌では会うこともあっ
たが、東京では何十年振りかしら。
 銀座のカルチャー[銀座の学校]の打ち合わせ。「最初に企画した年に一度の鑑賞会
を開かないのなら、落語倶楽部の意味はない」と発言。やる気のある人がいればいい
のだが……。


2000(平成12年)2月4日(金)
 松戸の小学校の国語部会で講演。今年の教科書(小学4年・教育出版)にあたしの
落語[ぞろぞろ]が載るので、いろいろとあたしも研修やら指導やらで動いている。
拙[圓窓ひとりごと][おもしろ落語図書館]が何冊か売れた。現地の聴講した先生
からのレポートを貰って、HPに載せるのが手っ取り早いので、そう頼んでみた。
 今日も寄席は休み。


2000(平成12年)2月3日(木)
 窓輝に運転をさせて、NHKへ。スタジオで衛星放送の録画。あたしの創作した[
法要猫]。担当の森さんが「いい噺ですね」と。講釈の馬琴さんが「変わった話を演
るね。落ちもいいし」。苦労の甲斐があった。
 圓融寺の豆撒きへ。懇親会では窓輝も紹介され、挨拶す。二つ目になって、だいぶ
馴れてきたようだ。ふいの挨拶もこなせるようになったのはいい。
 そんなことで、寄席は休み。


2000(平成12)2月2日(水)
 ビデオ屋へ〔白猫黒猫〕を返却。ドタバタコメディーなんだが、ちっとも笑えなか
ったので、途中でやめてしまった。人はいい映画だと言うが。
 新宿末広亭[鬼の通い酒]。ちょいと長めに演らせてもらった。
 上野鈴本[鬼の涙]。紙切りファンの老人が最前列にいて、あたしが演っている間
中、カバンを開けたり閉めたり、物を出したりしまったり、もそもそもそもそ。楽屋
で訊いたら、紙切り以外は興味のない客で、来る度に一番に座って、紙切りのときだ
け高座に目を向けて、注文をして、それを受けとって帰るとか。以前はどっかの学校
の教頭だったとか。落ち着かない人間を注意する立場だったのに……。
 国立演芸場の売店で、グッズの清算。ついでに事務所で雑談。HP、新たな企画の
こと。夢を含んだ話は尽きない。
 オフィス樹でアトリエ公演の稽古を見学。本が弱い。大丈夫かな。
 5月にやる原さん書いた最終稿の台本を借りて読む。初稿校より数倍も面白くなっ
ていて、よい。オフィス樹の中では最高の本ではないだろうか。地下鉄の中野坂上か
ら池袋までの車中で夢中になって読んでしまった。
 ビデオ〔市民ケーン〕を見終わる。アメリカが選んだ1位の作品。なかなか面白か
った。バラの蕾という言葉を追う形式がいい。まさに新聞社の取材方式に適っている。


2000(平成12)2月1日(火)
 三月下席は上野鈴本の夜のトリだったが、風邪で声が出ず、23日から楽(30日)
まで休演。昨日、落語協会主催のインターネット落語会が上野鈴本であって、出演し
た折、支配人の富田さんから「うちの(上野鈴本の)トリだと、師匠は声が出なくな
るようですね」と言われたが、まさにそれ。上野鈴本のトリで休演は今までに四、五
度ある。体は充分に動くんだが、声が出でない、というのはじれったいもので、休演
中の気持ちは「風邪と共に去りたい」。風邪を引くと喉をやられるのが、あたしの持
病。風邪の特効薬を発明した人はノーベル賞ものだというが、あたしも褒美として寄
席からの収入のすべてを差し上げたい。(笑) 
 それにしても、昨日の世界初のインターネット落語会の生中継(圓窓:[ぞろぞろ
])は落語の歴史的瞬間であったろう。協会のHPは制作的には見切り発車だが、1
月22日にオープンして間のないのに、アクセスを示すカウンターの桁数の伸びの速
いこと。あたしのHPが去年の7月にスタートして半年で付けた3000という数を
半日で超えてしまった。まるで、化け物だ。
 振り返ってみると、二年前、理事会では相手にされず、蹴られた〔インターネット
構想〕だったが、粘って、粘って、諦めずに説得していった甲斐があったというもの。
若い者だけではなく、会長(三遊亭円歌)も自分のHPを持つようになったし、制作
の委員も増えたし、事務局も手を差し伸べてくれてるし……、これから、どう、中味
を増やして行くかが、問題だ。頑張ろう。
 上席の出演時間。新宿末広亭13:00。上野鈴本14:40。
 新宿末広亭[銭たれ馬]。終えて、地下鉄に乗ったのはいいが、上野へではなく、
なんと、池袋駅。あわてて、JRで上野へ。二十日ほど前には、新宿から池袋演芸場に
行くべきなのに、上野鈴本まで行ってしまったという、馬鹿をやっている。両方とも
読書に耽ってたので、それが原因か。
 上野鈴本[鬼の通い酒]。あたしの前の出演が林家源平。平素から馬鹿になりきっ
て、はしゃぐタイプの男なので、楽屋が賑やかになっていい。
 ビデオ屋へ寄って、三本借りる。〔市民ケーン〕など。近頃、外国映画に凝ってい
て、〔アメリカ人の選んだアメリカ映画ベスト100〕というリストを手に入れたので、
それをすべて見てやれ、とばかりに、頻繁にビデオ屋に出入りしている。

2000・3・12 UP