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窓門リレー旬報




『 兄弟弟子で麻雀 窓輝の一人勝ち 』

2004・12・21〜31(十二月下席(しもせき))
報じ手 吉窓


2004(平成16)年12月21日(火)
 お昼前から落語協会事務所2F鹿芝居の稽古。
 今年も暮れの28日に上野鈴本でおこなわれる。今年の出し物は『文七元結』。も
う台本の読み合わせも何度かやっているので、今日は舞台の動きも重ね合わせてやっ
てみる。


2004(平成16)年12月22日(水)
 義母の十三回忌の法事で浦和へ。
 寺での法要を終えて義兄のうちにお邪魔する。そこですでに入籍をすませているお
いっ子の嫁さんを紹介される。義母が亡くなった時はこのおいっ子も小学生だったの
にね。披
露宴は2月にディズニーシーでやるそうだ。


2004(平成16)年12月23日(木)
 天皇誕生日。
 池袋昼の部へ代演にいく。休日のせいか客席はよく埋まっている。[ぐつぐつ]を
やる。
 年内で高座で落語をしゃべるのはこれが最後。かみしめながら話す。


2004(平成16)年12月24日(金)
 用足しで池袋まで出るついでに東武デパートの地下でクリスマスケーキを買って帰
る。
 さすがにクリスマスイブの夕方のケーキ売り場は大変な混雑。又、どれもおいしそ
うに見えるんだこれが。迷ったあげく、某有名菓子店のブッシュドノエルを買う。


2004(平成16)年12月25日(土)
 らくご卓球クラブの関係で知り合った役者のでんでんさんが今月、新橋演舞場の『
丹下左膳』にちょい役で出演している。
 卓球仲間の桂ひな太郎、桂扇生の両兄と一緒に観劇がてら楽屋見舞いに伺う。
 出ずっぱりの中村獅童丈はさすがに声がかすれていたが、殺陣も迫力があり、それ
なりに楽しめた。


2004(平成16)年12月26日(日)
 2日前に知り合いから新巻鮭が届いた。
 うちではとてもさばけないので、近所のスーパーへ持ってって切り身にしてもらう。
代金500円。
 でも、春先までは三人家族でシャケの塩焼きが食べられる。ありがたい。


2004(平成16)年12月27日(月)
 帝国ホテルで落語協会暮れの寄り合い。
 特にどうという報告、発表もなく、おひらき。
 そのままほろ酔い加減で明日に迫った鹿芝居の稽古へゆく。あたしの役は家主、太
兵衛。
 それぞれが入念に最終チェックしながら稽古をすすめる。


2004(平成16)年12月28日(火)
 上野鈴本演芸場へ午後1時半に集合。
 思えば去年はここ鈴本がボヤ騒ぎのため、暮れはまったく興行ができず、恒例の鹿
芝居も急遽、場所を変更するというアクシデントがあったので、鈴本の鹿芝居は2年
ぶりとなる。
 早速着替えて舞台稽古にとりかかる。立ち位置、座り位置、小道具の置き場所の確
認、そして場面転換、つけ打ち、柝なども手の空いている者で手分けしてやる。
 さて、本番は……。ま、出来はともかく、大入り満員の客は大喜びであった。めで
たし。


2004(平成16)年12月29日(水)
 今日は水曜日、映画はレディスデーということで女性なら千円で映画が見られる日。
 女房と娘が池袋へ映画を見に行くというので、あたしも一緒についていく。
 見た映画は「ゴジラファイナルウォーズ」。ゴジラ映画はよく見てきたが、これが
最後の作品になるそうである。


2004(平成16)年12月30日(木)
 久しぶりに、あたし、窓里、萬窓、窓輝と一門の兄弟弟子が集まって麻雀をやる。
 池袋の安い雀荘で半チャン4回。あくまでも親睦を深めるのが目的。
 結果は窓輝のひとり勝ち。やれやれ。


2004(平成16)年12月31日(金)
 今日は大晦日、どういう訳か風呂掃除はあたしの仕事。フーフーいいながら2時間
あまり、一年間浴槽についた湯垢を落す。






『 記憶にございません(笑) 』

2004・12・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓
2004(平成16)年12月11日(土)
 # この中席は国立演芸場のトリで、昼13時30分・夜18時30分。そして、
  トリの萬窓のスケで鈴本演芸場、夜19時00分。
 # 高座舞いの舞台稽古。浅茅師匠に「総踊りの『二つ巴』に師匠は吉良の扮装で
  飛び入りをしたら」と勧められた。その稽古中に馬桜が「トリの噺との繋がりが
  ない」とぶつぶつ言い出した。「浅茅師匠の希望で、威勢を付けるんでいいだ」
  と退ける。
 # 国立演芸場[小判十一両]。短めにするにはちと悩む。
 # 鈴本演芸場に入る前に不忍通りの「らーめん松本」へ。二年ぶりになるか。通
  りも変わった。店のオーナーの女傑タイプの様子は前と変わらない。その彼女が
 「夜は売り上げが半分に落ちました」と。妙な風俗の客引きが増えて普通の客が遠
  ざかってしまったんだろう。
 # 鈴本演芸場[萩褒め]。萬窓のトリ。
   席亭に相談事。こまつ座の件。団体取りの件。OK貰う。


2004(平成16)年12月12日(日)
 # 記憶にございません。(笑)
 (サイトアップのときには一年遅れ。書かれていない日もあって、この始末。ごめ
  んなさい)


2004(平成16)年12月13日(月)
 # 0時58分女房の亭主の矢田実さんが死去。歳はあたしよりちょっとだけ上な
  のに……。癌を告知されて、静かに生を送った姿は立派だった。


2004(平成16)年12月14日(火)
 # 国立演芸場へ。長島さんより祝儀、岩沼さんより羊羹を貰っちゃった。新井さ
  ん、カルさん、利さんらもくる。
 # 支那蕎麦屋へ寄ってから鈴本演芸場へ。


2004(平成16)年12月15日(水)
 # 何日か前に教科書指導用のCD[寿限無]を読んでて矛盾に気が付いたので、
  今日その部分を撮り直しした。末広町のスタジオで。長年、「いない、いない、
  ばあ」から「ばあさんの念仏」という順だったが、子供の成長過程から見るとち
  と不自然なので入れ替えた次第。
   梶野さんにこまつ座の「円生と志ん生」の芝居のことを話すと、「教科書の朗
  読では辻さんにお願いしてます」と。縁はあるんだなぁ、とつくずく思う。
 # 国立演芸場へ。今日の高座は今までで一番長かった。
 # 一端、帰宅してコミカレへ[後生鰻][小判十一両]。新参加のTさん、打ち
  上げにも参加。子は男の双子とのこと。いいなぁ。


2004(平成16)年12月16日(木)
 # 国立演芸場はNHKへ回るために早上がり。[小判十一両]。
 # 16時30分にNHK衛星テレビ「ふれあい寄席」の楽屋入り。録画[松竹梅]。
  来年1月の11日の放送。
   寄席文字の左近さんも出演するので、楽屋が一緒だったので、「鳳楽が圓生を
  襲名する云々」の一件を話す。「圓生夫人の遺言で留め名になっている圓生の名
  を圓楽は勝手に弟子の鳳楽に継がせようとしている。遺言状には、山崎はな(故
  人)、稲葉代議士(故人)、圓楽、山本、京須の連名で、『圓生は留め名にする』
  と明記されている。京須さん(ソニー勤務)には一言の相談もなかったそうだ。
  暴挙としか言いようがない」と。
 # 収録後、手配してくれたタクシ−に乗って帰ったが、伝票は貰ってなかったの
  で、自腹で払う。今までそんなことはなかったのに。(後日、局にFAXで伝え
  たが返信はなかった。これも今までのNHKになかったことだ)


2004(平成16)年12月17日(金)
 # 国立演芸場、昼[小判十一両]。Tさんが来ることが知らされていたので、招
  待券を受付に預けたが、Tさんから「チケット買ってありますので」と。はねて、
  一緒に半蔵門から大手町まで一緒に。「父は絵かきなんです」とのこと。
 # 矢田実の通夜へ。町屋。鈴本演芸場があるので、読経前に焼香すませて移動。
   駅までの途中に「江戸五三昧の謂れ」が案内板があった。「千駄木、桐ケ谷、
  小塚原、渋谷、焙烙新田の火葬場をいう。寛文9年(1669)下谷、浅草から
  小塚原へ。明治に20年廃止。22年町屋へ」と。現時の博善社は明治20年の
  創業。
 # 鈴本演芸場。
 # 国立演芸場[小判十一両]


2004(平成16)年12月18日(土)
 # 矢田実の告別式。町屋斎場11時から。義父は「気分が悪い」ということで列
  席せず。一人で寝るように言い残して女房と出かける。
 # 国立演芸場へ文落連14名。また来たのであろう客が最前列に。
   左橋、金兵衛、あかりは今日が楽。
   あたしの長襦袢の尻が切れてる。
 # 鈴本演芸場のあたしの高座中にコール音と共に「警報が発生しています。原因
  を調べています」の知らせ。おだやかではない。いい塩梅に客は落ち着いていた
  ので、なんだかんだ話をして、「誤報の知らせ」を受ける。
   高田屋が煙りをキャッチしたらしい。最近は店ごとではなく、ビルごと同じ警
  報がなるそうだ。前には喜多八が高座の時、「火災発生」のアナウスが出たとき
  があったとか。去年の鈴本演芸場の火災の前には、高田屋で二度ほどの小火があ
  ったらしい。なんにしても不安だ。


2004(平成16)年12月19日(日)
# 記憶にございません。(笑)
 (サイトアップのときには一年遅れ。書かれていない日もあって、この始末。ごめ
 んなさい)
2004(平成16)年12月20日()
 # 四九八句会。
2005・12・22 UP






『 番地の付け方 』

2004・12・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓
2004(平成16)年12月01日(水)
 # 上席、末広亭、夜19時00上がり。[本膳]
 # サイトの掲示板に匿名で「つまらない」だけの文章。そこで、「意味の伝わらな
  い文章はこの掲示板になじみませんよ。落書き版ではないので。ルールに則って、
  堂々と書きましょうね。圓窓」と返信の書き込み。
 # 女房の兄弟がきたので、みなと食事。
   女房「おじいちゃんはどうして食事の途中でおしっこに立つの?」
   圓窓「漏らすよりいいじゃねぇか」
   義父「そうです、はい」


2004(平成16)年12月2日(木)
 # 臼井事務所へ。紙芝居の原稿の直しと舞台を持って行く。
 # その帰り、地下鉄の入り口近くの歩道に「神保町の歴史」の立て札があったの
  で、読んで勉強になった。


  「神田神保町一丁目の北部のうちこの辺りは江戸時代には一橋通小川町、東側は
  表猿楽屋町と言った。猿楽とは能楽の古称で江戸幕府から式楽に指定され、とり
  わけ観世はその筆頭であった。四座(観世、宝生、金春、金剛)一流(喜多)。
  主に観世らの屋敷があったので、明治5年に猿楽町となり、他に表猿楽町、裏猿
  楽町、中猿楽町という地名もあった。震災後、神保町になったのは、江戸時代、
  この辺に神保長治という旗本が住んでいたからという。町割も変わり、道路を中
  心に両側が町域になる伝統的な「両側町」という方式が採用された。つまり、靖
  国通りを挟んで南に奇数、北に偶数の番地が交互に振られた」


   ついでに、11月22日に野火助さんがサイトの掲示板へ書き込んでくれたの
  を記す。
  「ちなみに、この番地のつけ方は、神保町だけではなく、靖国通りの両側の神田
  小川町、須田町なども同様で、南よりの神田警察署通りを挟んだ神田錦町も同じ
  仕組みになっています。この通りの両側に奇数偶数を振り分けるやり方は、
  Street Address  と呼ばれて欧米などでは一般的なんだそうで
  す」


   また、11月25日にも書き込んでくれた。
   「Street Addressのいいところは、通り名と番地でその位置が
  論理的に推定できるところです。たとえば、A Street 256という住所
  があれば、その区画の端と端  の地番が判っていればよい、例えば、
  A Streetに沿ったある区画が200番と300番で交差する別の通り
  B StreetとC Streetで区切られているとしますと、256番地は、
  A Streetに沿ってB StreetとC Streetの間56/100の
  位置にある、と言えるわけです。このとき、通りを挟んで番地が丁半に分かれて
  いれば通りのどちらがわにあるかがすぐに判別できるというわけです。
   この方法は、各区画が何らかの通りに面していること(当然どんな通りにも名
  前が付いている必要があります)、つまり、道路に沿って人家ができていくよう
  な、もしくは主要な道路を内包した構造でなくてはなりません。西洋の街は大体
  どこでもそんな作りになっているのでしょうが、我が国の場合、地番のつけ方は、
  規則性がなく、昔からある目立った建物や角地などから番号をつけていて番号の
  伸びていく方向もまちまち、時代が進んで区画が統合・文筆されると地番そのも
  のが消えたり増えたりますますわけがわからなくなっていきます。
   また、地番の上位ディレクトリたる町名は、その雑多な地番を投げ縄で囲った
  ような取り合いになっています。街道筋の宿場町(しかも通りに面している家屋
  だけ)とか、京都などのように計画的に作られた限られた立地でないと、この方
  式が適用しにくいのです。
   千代田区のHPに拠りますと、神保町の丁半地名が導入されたのは明治5年の
  区画整理のときとか。その当時といえば、ご一新直後の西洋化政策・近代化真っ
  只中ですので、きっと洋式の区画整理を積極的に導入するはずだったと思われま
  すが、上記のような理由から、通りを境界に町を分けるという整理のほうが現実
  には都合がよかったのでしょう。つまり、StreetAdressが本則どお
  りに適も用できたのは、大きな通りを挟む構造になっている、例えば神保町のよ
  うな限られた町区画だけだったため、本来メジャーな方式になるはずだった方式
  にも関わらず、結果的にマイナーなMappingとなってしまったのでは・・
  ・と、私は想像しますがどうでしょう」


2004(平成16)年12月3日(金)
 # 末広亭[権兵衛狸]
   以前、学校の講演会でお世話になったKさんが末広亭へ聞きにきていたので会
  う。終わって、東方見聞録で人生談。ごちになってしまった。
 # 義父は早寝したようだ。珍しい。


2004(平成16)年12月4日(土)未明、強風。夕方から雨。
 # 窓輝が二階の奥の部屋の整理をしてくれた。我、整理は苦手なり。
 # ついでに、書斎に義父の家から持ってきたテレビを設置。とはいうものの、以
  前。我が家から贈呈した品。
 # テレビで映画を。囚人と恋をした監長の女房の話。
 # 義父から戦地の話を聴く。軍人手帳を取り出して話す。


2004(平成16)年12月5日(日)
 # 筑波大付属小で落語授業。[寿限無]。この風景を録画して教材にするという
  教育出版の仕事。青木伸生先生とは久しぶり。今回は3年生で、態度よし優秀。
  答え方が大人。
   終わって出版者のKさんらと池袋の喫茶で話。本は是非とも来年秋までに出し
  たいと伝える。一旦、帰宅して昼寝1時間。
 # 末広亭[有馬の秀吉]
 # 晩御飯、牡蠣鍋。あと、雑煮にして旨し。
 # あたしが新聞の連載記事を切り抜きにしているのだが、義父が「切っておきま
  した。記事すれすれに切れなくて、すいません」と。ゆとりを持ったきり方にな
  っている。その切抜きが日課になったようだ。


2004(平成16)年12月6日(月)
 # 末広亭[洒落番頭]。立て前座が「題名は?」と聞きにきた。立てになるには
  一、二年はかかっているはず。その間、なにをしてたんだ。この噺、今日初めて
  演ったわけじゃないのに。そんなことをその前座に言う気力もなくなったよ。
 # 楽屋で文楽さんから、新潟山越村へ慰問の話を聞いた。そんな状況を知るなん
  て初めてなので面白い、と言いたくなる。
  「二日間で7回、各避難場所の体育館にビール瓶の箱を高座にして」「それも毛
  氈だけで板を敷いてないので足が痛くなった」「ここで[天災]はやりにくい」
 「物は豊富にある。避難者でも金のある人とない人では差が出てくる」「家へ帰り
  たがるのは金を運び出したいという意思あり」


2004(平成16)年12月7日(火)
 # 今年最後の日大芸術学部の授業。先代の桂文楽のビデオ鑑賞。「明烏」。圓窓
 「後生鰻」。後生について、能書きも並べる。
 # 末広亭[十徳]。楽屋で文楽さんが「懐かしい。あたしは馬楽師匠から教わっ
  た」


2004(平成16)年12月8日(水)
 # 末広亭[ぞろぞろ]。長崎の高校生が団体で来ていた。
 # 食べたものを自分で片付ける義父。両手に食器を持って歩くが、危なっかしい。


2004(平成16)年12月9日(木)
 # 末広亭へMさんが一月の22日の件で東京新聞の関係者を連れて打ち合わせに
  くる。


2004(平成16)年12月10日(金)
 # 池袋第二小学校の落語授業へ。11時40分開始。[寿限無]。校庭の隣の区
  から借りている空き地に作った田畑を見せてもらう。デジソープというとか?人
  工的に作った池を中心とした生物、植物の庭のこと。
   噺の物を食べる仕草は児童は興味を持つ。やらせるとなお面白い。キャァキャ
  ァと爆笑。
   昔、北池袋駅に沿って北映座という映画館のあった。あったであろうという場
  所を尋ねてみたが、わからない。
 # 末広亭[]
2005・12・7 UP






『 噺の中に 南部美人 』

2004・11・21〜30(十一月下席(しもせき))
報じ手 萬 窓
2004(平成16)年11月21日(日)
 昼、浦和で独演会。『鹿政談』と『居残り佐平次』。年2回の開催で、会場は[浦
和市民寄席]をやっている市民文化センタ−。
 前日、浦和レッズが初優勝。駅前の伊勢丹玄関口には優勝カップが飾られ、いつも
より街が活気づいていた。


2004(平成16)年11月22日(月)
 午前中、さいたま市立野田小学校で落語の授業。対象は3、4、5年生だが、15
0名弱と少ない。このあたりは田畑が多く、マンション等が建てられないため、住人
も少ないとのこと。
 寄席の話、手拭い、扇子の使い方を披露した後[寿限無]を一席。NHKの番組の
おかげで、子供たちは「ジュゲム、ジュゲム、、、」を暗記している。


2004(平成16)年11月23日(火)
 家族で箱根に一泊旅行。温泉に入りのんびりする。長男の優樹(2歳7ヶ月)もだ
いぶ外出に慣れてきた様子。


2004(平成16)年11月24日(水)
 夕方、27日に司会をする披露宴の打ち合わせに、近所の居酒屋[忠兵衛]へ。
 新郎、新婦はこの店で知り合ったそうだ。マスタ−ご夫妻も当日は出席する。


2004(平成16)年11月25日(木)
 池袋演芸場の昼席の代演。女性のお客が多く、笑い声もにぎやか。[たらちね]を
やる。


2004(平成16)年11月26日(金)
 夜、池袋演芸場で「らくご℃」。我々若手続けている会で、今回よりゲストを招き
座談をすることになった。今日は円菊師匠がゲスト。志ん生師匠に入門し、前座の頃
の話から、手話落語まで、聞き手の私もためになった。
 演目は萬窓[二番煎じ]、円菊[幾代餅]、駿菊[甲府い]。


2004(平成16)年11月27日(土)
 昼、永田町の松屋サロンで披露宴の司会。新郎は私が講師をしている落語塾の生徒
さん。
 夜、大塚らく天寄席。会場は居酒屋「まがりや」。窓輝[田能久]、萬窓[二番煎
じ]。
 噺の中で、この店の女将の故郷である岩手のお酒[南部美人]を宣伝したら、打ち上
げにその酒を出してくれた。辛口で美味。


2004(平成16)年11月28日(日)
 昼、かみいた落語塾。3月上旬に第三回の発表会をやることが決まった。


2004(平成16)年11月29日(月)
 信州の知人からりんごが一箱届く。子供が好物なのでありがたい。


2004(平成16)年11月30日(火)
 明日から師走。お歳暮、年賀用手拭いの手配等、慌しく過ごす。

2005・11・6 UP






『 落語は 難しい 』

2004・11・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 窓 里
2004(平成16)年11月11日(木)
 9日から常任委員会の視察で宮崎県日向市へ。今回は町並保存について研修。
 ここは美々津という伝統的建造物群保存地区がある。
 昼食後バスにて一時間30分、宮崎空港へ。
 午後7時川越着。自分にとっては充実視察でした。


2004(平成16)年11月12日(金)
 自宅にて仕事。書類の整理や礼状書き。3日間も留守にすると仕事が貯まってしまう。
 そのほかいろいろ相談事など多数。


2004(平成16)年11月13日(土)
 落語会「黒門亭」へ。演題[茶の湯]。お客様は16名とまずまず。
 夜、川越にて一つの懇親会に出席。
 本日、木枯らし1号。寒気もするので早々と帰宅。


2004(平成16)年11月14日(日)
 本日も「黒門亭」へ。演題[松山鏡]。本日もまずまずの入り。
[松山鏡]という落語は予想よりも受ける。やってみて驚いた。受けると思ってやって
いて、それる落語もあるが、落語は難しい。


2004(平成16)年11月15日(月)
 会派会議。国会だと党派となるところだが、地方議会では政策の同意できる議員で作
る会派というのが多い。市長に来年度予算要求提出。


2004(平成16)年11月16日(火)
 川越市内の中学校で成人教育「日本の文化・落語」について講師。
 いろいろ学校で講演を依頼されるが、ほとんどの人が落語は初めて。今日は期待して
来たという人、無料だから来たという人、ここに文化のレベルが表れる。衣食住や才能
の無い子供に無駄にお金を使うことはあっても文化にお金を使わないとは。


2004(平成16)年11月17日(水)
 人権推進フェスティバル講師。
 高齢化問題などに触れるが、演題が人権だけにそう笑える話ばかりとはいかない。乳
幼児から高齢者、障害をもった人たち、誰もが平等に暮らせる社会「自立と共生の社会
」としてまとめる。


2004(平成16)年11月18日(木)
 20日の市政報告会の資料作り。私の居住する隣の自治会でこれからの地域づくりに
ついて報告。今までの取り組みと今後の課題について。何名くらい出席してくれるもの
か。


2004(平成16)年11月19日(金)
 社会教育委員会出席。「子育てと家庭教育について」。
 協議委員のうち半分以上が子育てを終えてから数十年経過した人。これが不思議なん
だな。今、問題を抱えている人の意見を聞きたいのに。


2004(平成16)年11月20日(土)
 市政報告会。
 予定よりも多い18名が出席。自分たちの町に興味を持ってくれるというのは良いこと。
 誰がやっても同じなんてことはない。何もやらない議員だっているんだから。






『 おでんのシーズン 』

2005・11・1〜10(十一月上席(かみせき))
報じ手 吉窓
2004(平成16)年11月1日(月)
 今年もあと2ヶ月。早いものだ。高座舞の稽古へいく。『綱上』をみっちり踊る。


2004(平成16)年11月2日(火)
 寄席の代演で浅草と上野鈴本をかけもちする。
 この一日付けで二ツ目になった若手がそれぞれの楽屋で待ちかまえていた。春風亭一之
輔、三遊亭ぬう生、月の家鏡太、林家彦丸の四名。頑張ってね。
 高座は浅草で[動物園]、上野では[都々逸親子]をやる。


2004(平成16)年11月3日(水)
 今日も浅草夜の部へ代演。[ぐつぐつ]をやる。そろそろおでんのおいしい季節になっ
てきたので、こういうネタもさらっておかないとね。


2004(平成16)年11月4日(木)
 天気が良かったので、かぶりなれた帽子(キャップ)を二つ洗って干す。これから寒く
なってくるとあたしのような髪型の者は帽子類は必需品です。


2004(平成16)年11月5日(金)
 夜、足立区舎人の西門寺寄席へ行く。
 寺の本堂下にある地下ホールが寄席の会場。出演はあたしと二ツ目の春風亭栄助、前座
の春風亭朝也の三名。六十名程の良いお客様の前であたしは[子は鎹]、栄助[茶金]、
朝也[転失気]をやる。
 打上げで行った店のやきとりが旨かった。


2004(平成16)年11月6日(土)
 午前中、練馬の小学校で学校寄席。前半は児童向けに落語をわかりやすく解説して[寿
限無]をやる。中入りをはさんで後半は集まってくれた父兄や地域の方々向けに[初天神
]と[子は鎹]をやる。
 終えて「やっぱり生の落語を聞くのは良いですね」との声を多く聞く。この人たちが寄
席まで足を運んでくれるようになれば、しめたのものなのだが・・・。


2004(平成16)年11月7日(日)
 朝、TVをつけたら「全日本大学駅伝」をやっていた。駅伝も自分が好きなスポーツの
一つ。昼過ぎまで喰い入るように見てしまう。優勝は駒沢大学。強い!


2004(平成16)年11月8日(月)
 今日の夕飯はおでん。鍋物だと晩酌もすすむ。食べてたら[ぐつぐつ]のくすぐりがひ
とつできた。よし、今度、噺に入れてみよう。


2004(平成16)年11月9日(火)
 昼間、協会の2Fへ住吉踊り来季夏の浅草演芸ホール興行へ向けての話し合い。一時間
半ほど話し合う。


004(平成16)年11月10日(水)
 来年の落語協会のカレンダーを毎年送っている新潟県岩室温泉の知り合いに今年も郵送
する。
 電話で話したところ、先月の地震の被害はなかったそうだが、温泉客の予約キャンセル
が相次いで、深刻な状況だとの事。
 直接被災はしなくても、色々な所に影響が出てきているようだ。被害の大きかった地域
にあたしの知り合いはいないが、心からお見舞い申し上げます。

2005・11・4 UP






『 スナックで 台風情報 』

2004・10・20〜31(十月下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓
2004(平成16)年10月21日(木)
 # 来年正月の2日、横須賀のプリンスホテルで公演する舞台落語の打ち合わせで、
  池袋の喫茶店へ。
 # 末広亭[権兵衛狸]
 # 教育出版の[寿限無]のビデオ作りのためにNHKソフトウエアの上杉さんら
  と打ち合わせ。末広亭のそばのバルコニーで。


2004(平成16)年10月22日(金)晴れ
 # 雑事務の多いこと。
 # 歯医者へ。
 # 末広亭[権兵衛狸]
 $ 中日、西武に王手。


2004(平成16)年10月23日(土)晴れ
 # 芝居鑑賞「チェーホフ的気分」。三百人劇場にて。このプログラムにあたしも
  書き物(「あたしとチェーホフ」)をしたもんで、妙な気分で席に着いた。やは
  り赤毛物って、難しい、演るほうも、観るほうも。あたしの列の席で寝てた人が
  鼾をかき始めた。原稿料を貰っちゃった。
 # 芝居がはねて17時ちょい過ぎ。急いで末広亭へ。
 # 楽屋入りをすると、地震の雑談でもち切り。地下鉄に乗っている最中の地震だ
  ったので、気が付かなかった。
   その1
   地震の嫌いな五代目小さんが自宅の二階にいたとき地震。「小光! 小のぶ!
  さん治!」と弟子の名を叫んだ。みんな下にいたので、二階へ駆け付けると、弟
  子たちの顔を見て「大丈夫か」と。関東大震災を体験している小さんは弟子のこ
  とが心配だったんだろう。それがおさまって一同が階下へ下りると、階下で小三
  太がしょんぼりしている。小さんが「どうしたんた……?」。と、小三太は「師
  匠はあたしの名を呼ばなかった……」
   この小三太は今、函館の噺家で東家夢助という。
   その2
   八代目正蔵が東宝演芸場の高座で地震にあった。高座から立ち上がるようにし
  て「お客さん大丈夫です。騒いではいけねえ」。あとで支配人の道江さん曰く「
  正蔵師匠が一人でうろたえて騒いでました」
   その3
   圓 窓「震度強の地震が何度もくると、どうなるのかな?」
   さん喬「さぁ……?」
   圓 窓「頻度になる」
   さん喬「え?」


   そのあとのあたしの高座は[釜泥]。噺の中に「地震」という台詞が一言入る。
 # 過日の「豊島を愛する噺の会」は台風の強風雨。公演はなんとか開催したが、
  打上げは延期したので、今日、スナック「純子」で。テレビで地震の被害の模様
  を見ながら、打ち上げ。死者4人。妙な気分。


2004(平成16)年10月24日(日)晴れ
 # 落語っ子連の稽古。11月の発表会の会場になる早稲田の蕎麦屋「亀鶴屋」へ。
  行く途中で金兵衛にばったり。その蕎麦屋は金兵衛の会の会場でもあった。
 # 末広亭[町内の若い衆]


2004(平成16)年10月25日(月)晴れ
 # 小四の教科書の掲載する落語[寿限無]のCD化。赤坂のスタジオ。教科書の
  通りに読むつらさ。
 # 高座舞い稽古。
 # 末広亭[萩褒め]
 $ 日本シリーズは4勝3敗でライオンズ優勝。


2004(平成16)年10月26日(火)
 # 日大芸術学部[尻餅]。日舞の子からリクエストがあったので。


2004(平成16))年10月27日(水)
 # 末広亭。早上がりしてはいとりがみ句会へと思って楽屋入りすると、休みにな
  っていた。
 # はいとりがみ句会。Eさんの「綾取りのーーー」の句に春樹さんから「類句が
  ある」と。


2004(平成16)年10月28日(木)
 # 末広亭
 # 四九八句会。


2004(平成16)年10月29日(金)
 # 母校の要小学校(旧要町小、現要小)で講演す。教育研究会平成16,17年
  の豊島区教育委員会教育研究校の国語科指定校がこの要小。真剣に聞いてくださ
  ったようで、ありがたい。区長も出席。
 # 急いで末広亭[銭たれ馬]
   終わって、桂花ラーメン。今日は着物で回ったので、汚さないように、破かな
  いように気を遣った。


2004(平成16)年10月30(土)
 # NHK文化センター・青山教室。[ぞろぞろ][寿限無]90分。落語っ子連、
  窓門会の有志が聴講生になってくれた。 
 # 携電を湯の中に落とし、使い物にならず。


2004(平成16)年10月31日(日)
 # 新宿モリエールへ芝居鑑賞。「ワーニャ伯父さん」。日大芸術学部の学生(戸
  部君が演出助手をやっている関係)から貰ったチケット。
   なるほど、井上ひさしさんが過日、講演していたように、「チェーホフの作品
  にはテーマ、事件、ドラマ、主人公が感じられない」というのを感じたが、役者
  も演りにくそうだった。友人の坂浦さんが目立った。
   ロビーに座主の三原四郎の遺影が置かれていた。訳者の中本先生にも会う。
 # 携電を見立てに新宿駅前に行ったが、賑やか過ぎて、急いで池袋へ回って、地
  下街のドコモで「この機種と同じのをください」と言うと、「もうバージョンア
  ップしてます」と、SH252iを紹介された。50歳以上割引、ポイントがあ
  って420円ですむ。助かった。
 # 出版する本の原稿の校正。落語のところは赤が多い。門外漢の項は気楽に。

2005・11・4 UP






『 日本シリーズの予想は? 』

2004・10・11〜20(十月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2004(平成16)年10月11日(月)
 師匠のトリで鈴本夜席の初日。ネタ[宮戸川]


2004(平成16)年10月12日(火)
 椎名町の床屋へ行く。
 前髪が揃いすぎていたので、帰宅して自分で切る。結果、極端な短さに。一ヶ月辛抱。


2004(平成16)年10月13日(水)
 鈴本の高座[ぞろぞろ]。オチ前に、剃刀に見立てるつもりの扇子が拾えず、反省。


2004(平成16)年10月14日(木)
 チケットショップで株主優待券を安く買い、映画「感染」と「予言」を見る。
 子供のような感想だが、とても恐かったです。


2004(平成16)年10月15日(金)
 日本シリーズの前日、「中日有利との解説者多数」(東京中日スポーツより)
 自分の予想も4勝3敗で中日。MVPは川上。


2004(平成16)年10月16日(土)
 日本シリーズ第1戦は2−0、完封負け。
 打てない。たった2安打……。福留がいないのはやはり痛い!


2004(平成16)年10月17日(日)
 芝落語会で芝居噺[四段目]。
 この噺は今日で3回目の口演。お客様に助けられました。
 世話人の皆様、ありがとうございました。


2004(平成16)年10月18日(月)
 高座舞いの稽古。「綱上」と「二つ巴」。国立の出番は未定。


2004(平成16)年10月19日(火)
 前座の頃からお手伝いしていた富蔵師匠の「富っ蔵(ふっくら)寄席」。
 十年目の最終回。打上げでワインをごちそうになる。
 師匠、ありがとうございました。


2004(平成16)年10月20日(水)
 台風のため、鈴本の楽日は中止。
2004・12・9 UP





『 台風の日のお客様は…… 』

2004・10・1〜10(十月上席(かみせき))
報じ手 萬 窓
2004(平成16)年10月1日(金)
 先日[唐茄子屋]を聴きに来てくれたお客さんから、「吉原田圃で若旦那が唄う小
唄は『雪のあした』がいいのでは?」と言われた。
 今日は小唄の稽古日で、さっそく師匠にご教授願う。来年の夏はこの唄を入れてみ
よう。


2004(平成16)年10月2日(土)
 落語協会からの仕事で、山梨県の勝沼へ。会場はブドウ畑に囲まれた萬福寺という
お寺の本堂。
 たけ平[たらちね]、萬窓[目黒の秋刀魚]、扇好[井戸の茶碗]。
 昨年で開山1400年の浄土真宗の古いお寺で、聖徳太子の命を受けて創建された
との伝えがある。
 境内には芭蕉が立ち寄った際、詠んだ句もある。
  行駒の麦に慰むやどりかな


2004(平成16)年10月3日(日)
 かみいた落語塾。
 今日から男性の生徒が一人、入会。初めて小噺をやったが、明るい口調で声が大き
く、期待大。


2004(平成16)年10月4日(月)
 鈴本夜席の代演、[目黒の秋刀魚]。


2004(平成16)年10月5日(火)
 久しぶりに区民プ−ルで泳ぐ。温水が気持ちよかった。


2004(平成16)年10月6日(水)
 末広亭夜席の代演、[真田小僧]。
 先月、公演先の北海道で体調を崩し入院していた紙切りの正楽師匠が、昨日、無事
に帰京したと楽屋で聞く。回復も早く、一日も早い高座復帰を願う。


2004(平成16)年10月7日(木)
 先月、観た『西鶴の女』という芝居に出演した友人と会食。
 句報(8月19日)にも書いたが、男の役者の帯の締め方は間違っていたわけでは
なく、「元禄時代に流行った『いちもんじ(一文字?)』という独特の帯の締め方だ」
と友人に教わる。
 お客さんよりとったアンケ−トにも私同様の疑問が多かったそうだ。お詫び申し上
げます。


2004(平成16)年10月8日(金)
 鈴本夜席の代演、[紀州]。
 台風の影響で朝から雨模様。こういう日に来てくださるのが、本当のお客様。


2004(平成16)年10月9日(土)
 中野芸能小劇場で小唄の会。
 会主は私が稽古に通っている栄派の栄由利音さん。嵐の中、大勢のお客様。私は小
唄ではなく、落語を一席で[目黒の秋刀魚]。


2004(平成16)年10月10日(日)
 両国寄席、[目黒の秋刀魚]。
 客席は常連のお客さんが多数。
2004・12・9 UP





『 いやはや 忙しい 』

2004・9・21〜30(下席(しもせき))
報じ手 窓 里
2004(平成16)年9月21日(火)
 9月定例会は2日に開会され10月4日最終日。
 この秋は埼玉国体があり、川越でもゴルフ・野球などが開催される。
 12日には秋篠宮殿下・妃殿下にお越しいただく。私も来賓としてお出迎えさせていた
だく。「天皇陛下万歳」


2004(平成16)年9月22日(水)
 午後2時過ぎから突然の雷雨。一時間に30ミリという豪雨。議場の屋根から雨漏り。
 議会どころではなくなる。議会は質問の途中で散会となる。
 昭和45年建設の市役所。建て替えを本気で考える時だ。


2004(平成16)年9月23日(木)
 秋分の日。知人宅へご挨拶に。
 先週、その知人のご子息が突然の心不全で死去。35歳。声も掛けられない。ただ御冥
福を祈るだけ。


2004(平成16)年9月24日(金)
 16日にも質問をしたが、本日も議会で一般質問。
 今回は「川越自動車ナンバープレートの実現」について。規制緩和で実現が可能となる
のだが、ただどこでもという訳ではない。条件があって近隣の市町村の同意も必要。私は
実現に向け取り組む。


2004(平成16)年9月25日(土)
 中学校の体育祭に出席。お天気はよくないのだが、明日は雨のようなので延期をしない
でそのまま本日開催となる。


2004(平成16)年9月26日(日)
 ソフトボールの練習試合があるので、5時に起床するが雨で中止。日曜日はなかなか都
合がつかず、今日は参加できると思っていたのに、残念。


2004(平成16)年9月27日(月)
 本日も議会。一般質問の最終日。今回の質問者は25名。午後6時まで時間がかかる。
 明日からは委員会。


2004(平成16)年9月28日(火)
 建設常任委員会に出席。
 私は道路整備に於ける議員の口利きについて問題提起しました。なんと同席の委員の中
に該当者がいることに驚いた。しかし本人は「住民と要望しただけ」と言い切る。
 こうなると、証拠もなく住民を参考人として招致するわけにもいかない。しかし問題に
できただけで私は十分だと思う。


2004(平成16)年9月29日(水)
 10月2日に地元の自治会で開催する私の市政報告会の資料作成として、質問と昨日の
委員会の内容をまとめる。
 多くの方が興味を持っていただければ、町を変えることにつながる。


2004(平成16)年9月30日(木)
 決算特別委員会。
 午後から最終日の議会運営について調整。私が運営委員会の副委員長なので調整役。皆
さんの意見を聞いてまとめるように努力する、この仕事が重要なのです。

2004・11・27 UP





『 100席が300席を抜いた 』

2004・9・11〜21(九月中席(なかせき))
報じ手 吉窓

2004(平成16)年9月11日(土)
 今日と明日は地元の長崎神社のお祭り。
 お社のある西武池袋線の椎名町駅北口は縁日の夜店がぎっしり並ぶ。結構なにぎわ
 いだ。
  あたしが弟子に入りたての頃、当時、小学校低学年だった師匠のとこの三男坊を
 肩車してこの祭りを見にいったことがあるが、そのにぎやかさにびっくりしたもん
 だ。
  その生意気な三男坊が今の窓輝である。
  新宿末広夜のサラ口の代演([都々逸親子]をやる)を終えて、町内の神輿担ぎ
 の手伝いにかけつける。若い衆にまじって30分も担ぐと、もう、膝やら肩やら腰
 やらが痛くて体がガタガタ。
  でも、この疲労感が祭りの心地よさ。終わったあとの打上げのビールがスイスイ
 と喉を通る。


2004(平成16)年9月12日(日)
 昨日の神輿担ぎであちこち痛い体を引きずって、今日は仕事へ。「目黒の秋刀魚祭
 り」へ行く。
JR目黒駅東口の駅前商店街が始めたこの企画。毎年この時期に催されて今年で9回
目。
 三陸の宮古港から直送の新鮮な秋刀魚を炭火で焼いて、集まったお客様にその場で
無料でふるまう。
年々、お客様が増えて目黒駅の東口へ出ると、もう大変な人出と秋刀魚の煙に遭遇す
る。
 落語を町の活性化に利用している良い例だと思う。来年もありますよ。どうぞお運
び下さい。
 寄席会場ではもちろん[目黒のさんま]をやる。


2004(平成16)年9月13日(月)
昼、高座舞いの稽古へ。「綱上」「二ツ巴」を稽古する。
夜は日暮里特選落語会へ。[目黒のさんま]をやる。


2004(平成16)年9月14日(火)
 静岡の知人から栗が届く。出荷するほど作っているわけではなく、庭の木に実がな
る程度だそうだが、それでもけっこう量が取れるらしい。
夕飯は早速、栗ご飯となる。


2004(平成16)年9月15日(水)
 歌舞伎座、昼の部。一幕見で「一本刀土俵入り」だけを見る。
 長谷川伸の名作で、あたしは大好きな芝居。何度見ても涙腺がゆるむ。
 茂兵衛を勘九郎、おつたを福助が好演。
 見終えて落語協会事務局2Fへ。前座の林家彦丸君から稽古の依頼で[都々逸親子
]を教える。彦丸君も11月に二ツ目昇進が決まっている。
あたしもそうだったけど、二ツ目昇進が近づくと、持ちネタをどんどん増やそうって
気分になるんだよね。頑張ってね。


2004(平成16)年9月16日(木)
 11〜12日まで池袋演芸場で、師匠圓窓が夜のトリをとっている。あたしも交互
出演で5:30上りの高座があり、今日から出番。[山号寺号]をやる。
実はこの十日間は企画公演で、中入り後の出演者は江戸川乱歩の作品を演じることに
なってる。今日は[噺家心理試験]入船亭扇治、[防空壕]鈴々舎馬桜、トリが[押
し絵と旅する男]三遊亭圓窓。
それぞれ聞きごたえのある噺に仕上がっている。演者の労をねぎらいたい。


2004(平成16)年9月17日(金)
池袋の夜の部へ。[半分垢]をやる。
今日も残って乱歩作品を聴く。師匠と馬桜兄は昨日と同じ演目だが、柳家喬太郎君が
[赤い部屋]をやった。これが不気味でよかった。
彼は若手新作派の雄で、そのセンスと力量はあたしも一目置いているが、たいしたも
のだった。ちょっと褒め過ぎかな。でも、もし機会があったら、彼の落語、聞いてみ
てください。


2004(平成16)年9月18日(土)
 乱歩作品に関しては、落語として寄席等で演じる分には一向に構わないと、そのご
遺族からありがたい言葉をもらっているそうだ。
それを聞いて、あたしも数日前に図書館で乱歩の本を借りて読んでみたが、どうにも
……。あたしの頭ではうまく落語っぽくできない。難しいもんです。
 池袋夜席へ。[ぜんざい公社]をやる。


2004(平成16)年9月19日(日)
 今日も池袋夜席へ。[目黒のさんま]をやる。やはり時節柄か、この演目がほとん
ど連日のネタ帳に書いてある。


2004(平成16)年9月20日(月)
 今日は敬老の日で祝日。
 寄席は千穐楽。高座は[近日親子]をやる。
 寄席もよく埋まっている。おしなべて、この十日間は乱歩特集という企画もあった
せいか、平日でもお客さんの入りはすこぶる良かった。乱歩先生の人気なのか、その
作品を落語で演じるという企画が面白かったのか、(圓窓註:両方)いずれにしても
この興行は大成功だった事は間違いないようだ。何にしても普段の寄席で客がどっさ
り入るのは出演者にとってもうれしいことだ。
打上げは全面協力してくれた立教大学のスタッフも加わってにぎやかに。
そして、乱歩に挑んだ師匠、馬桜兄、白鳥、喬太郎、扇治の面々、お疲れ様でした。
(圓窓註:この9月下席、池袋演芸場の入りは他の寄席を抜いてトップだった。たっ
た百席のキャバの寄席が他の300席の寄席を抜いたことは、嬉しいことだが、また、
逆に考えると悲しいことでもある)
2004・10・5 UP





『 クロネコメール便の安さ 』

2004・9・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓

2004(平成16)年9月1日(水)晴れ、曇り
 # 寄席、上席は休み。
 # 中席の池袋演芸場での乱歩公演の広報として馬桜、喬太郎、白鳥と共に読売新
  聞社へ行って、田中記者に会う。その席で馬桜からチラシを受け取ったが、今日、
  出来たことを知ってあきれる。チラシが出来たのが初日の10日前とは。事務局
  に営業、つまりチケットの販売の了見がさらさらないのを実感とした。


2004(平成16)年9月2日(木)晴れ、曇り、蒸し暑し。雨の予報外れ。
 # 巣鴨信金へ。通帳が一つ見当たらない。三井住友銀へ。
 # 圓生の墓参り、永隆寺へ。出掛けに六ちゃん(生之助)のところへ電話して「
  時間取れない?」と訊くと、「ちょっと難しい」ということだったが、千歳烏山
  の駅近くで自転車の六ちゃんとばったり。「時間できたから、会えるかと思って、
  寺へ様子を見に行った帰りなんだ」と。
   近くの喫茶店でコーヒーを。「いつもごちになっているから」と言われ、馳走
  になる。
  「鳳楽の圓生襲名の噂が噺家から聞かれる」と。困ったことだ。「圓生の名跡は
  留め名である」という念書をどう処理するつもりなのだろうか。
 # この寺の先の高源寺の境内に鴨の飛来する池があると生之助さんに聞かされた
  ので、帰りに行ってみる。なるほど、あった。蓮池に鯉、亀、鴨(四羽)。
 # 戻って道すがら、法華宗(本門流)妙壽寺の案内看板を読んで驚いた。「心学
  者、中沢道二翁の墓」と記してあるではないか。噺の中の人物である。「石田梅
  厳(ばんがん)、手島堵安(とあん)に師事した。特に商人に心学道話をして支
  持された」と。入ってみる。あった。この人物の登場する噺は林家彦六師が演っ
  ていたことを思い出して嬉しかった。


2004(平成16)年9月3日(金)
 # 歯医者へ行こうと思ったが、やめた。
 # 部屋の片付け。とてもできそうもない。
 # 久仁さんにたずねた水橋の源義の句碑のこと、返信がきた。
  「おたずねの俳句は、父祖の地や蜻蛉は赤き身をたるる。彼の結社『河』では全
  国大会のとき、集った連衆が輪になって手をつなぎ『赤とんぼ』を斉唱して終り
  ます。何とも照れくさい恒例行事ですが、それは掲句に由来しているんでしょう
  ね、多分」と。


2004(平成16)年9月4日(土)大雨
 # 窓輝を連れて伊勢原の夢時鳩詣り。
   窓輝[壷算]、圓窓[青菜]、窓輝[お花半七・上]、圓窓[お花半七・下]。
  中入りで会主の軽部さんが探し出してきた「柳蔭([青菜]の中に出てく酒)」
  を客が試飲。あたしも一本貰う。
   中入り後の窓輝の高座のとき、大雨、雷雨。はねてもやまず。雨の中、車で駅
  まで送ってもらう。


2004(平成16)年9月5日(日)
 # 第9回 芳賀落語会。笑生をつれて。
   上野駅の乗換えで黒磯の矢島さんにばったり。歯の勉強会があって上京したと
  のこと。「MLにお書きよ」といっておいたので、夜、書き込みがあった。
 # 芳賀公民館。笑生[真田小僧][お化け長屋]、圓窓[明日ありと][叩き蟹]
  。
   窓門会の泉、小島さんが楽屋へ。
   新市長になってまだ半年という高木・前橋市長が聞きに来てくれた。草の根的
  運動で、公民館使用料有料化、ゴミの有料化反対をスローガンに現職市長を破っ
  て当選した人。世話人に言われたので市長宛に「誰だって人さまのおかげ」とい
  う色紙を書いて貰ってもらったのだが、「市長室に飾ります」と言ってもらえた。
  ほんとかな? 見に行くわけにもいかないし。今後、力になってくれるとありが
  たい。
 # 土産がどっさりなので、女房に千川駅まで自転車で来てもらう。


2004(平成16)年9月6日(月)
 # クロネコメール便を利用してみる。郵送より、2割がた安い。どんどん利用し
  よう。堂々と対策をたてよう。


2004(平成16)年9月7日(火)晴れ、ちょっと雨
 # また無気力病。一日在宅。
 # 前のYさんのかみさんが「読売新聞に師匠の記事(乱歩の企画公演のこと)が
  出てました」と持ってきてくれた。嬉しいことだ。
  家が読売をとってないのを知っているらしい。野球の巨人の横暴さにあきれて、
  読売は購読やめてしまって久しい。案の定、あそこはますます悪の権化となって
  きた。どのこ業界でも、同じような構図なのかしら。寂しいことだ。
 # 毎日、「今日は何の日・こんな小咄」を作ってみようと、企画を立てた。


2004(平成16)年9月8日(水)晴れ
 # 豊島区のチケット、ヒノキの社長から注文10枚。
 # 富山の子たちの「怖い話・面白い話の特集」を編集校正する。
 # 朝日新聞の加藤記者より乱歩の企画公演のことで電話がった。ついでに、チェ
  ーホフ展でチェーホフの作品を落語化することを言うと、「実はあたしの卒論が
  チェーホフだったんです」と。「詳しくチェーホフのことを教えてください」と
  いうことで明日あうことに。


2004(平成16)年9月9日(木)晴れ
 # 朝日の加藤記者と池袋演芸場の上の喫茶店で会う。
   文学落語が気に入ったようなので、なにかの縁と、その高座本を上げる。


2004(平成16)年9月10日(金)晴れ、雨。
 # 床屋。
 # 千枝宅へ。ジョイントの「蝦蟇の油」の打ち合わせ。来年5月には「写経猿」
  をやろうかと話す。ビデオを見てもらうことにした。
2004・10・5 UP





『 督促状をいただいて 』

2004・8・21〜31(八月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝

2004(平成16)年8月21日(土)
 区民税の督促状がポストに。忘れてた自分が悪いのだが、よりによって今月とは…
…。正直キツイ。


2004(平成16)年8月22日(日)
 ドンキホーテでカップラーメン、レトルト食品を買い込む。今月残りはこれで過ご
す。


2004(平成16)年8月23日(月)
 四九八句会。「すず虫」で一句。
  すず虫の安住したる土間の隅
 2点いただきました。


2004(平成16)年8月24日(火)
 二ツ目勉強会へ勉強しに聞きに行く。参考と刺激になった。


2004(平成16)年8月25日(水)
 東京ドームの巨人−中日戦。拙攻で5−4の一点差負けも、まだ4.5差の首位。


2004(平成16)年8月26日(木)
 昨日と同じカード。好投の小笠原見殺し。2−0の完封負け。これで3.5差。イ
ヤな感じ。それにしても連日の立ち見は疲れる。


2004(平成16)年8月27日(金)
 近所の図書館で半日過ごす。読書と稽古とごろ寝。


2004(平成16)年8月28日(土)
「東京かわら版」さんから取材のお話。ぴあから出す雑誌にちょこっとだけ載せて
いただけるそうだ。


2004(平成16)年8月29日(日)
 大家さんに家賃を払う。ついでに10月の区民センターの落語会の宣伝。


2004(平成16)年8月30日(月)
 高座舞稽古。12月中席の国立演芸場、決定とのこと。今日は「やり槍」を稽古。


2004(平成16)年8月31日(土)
 東急ハンズのハンズメッセで買い物。米櫃と自転車の空気入れ。


2004・10・5 UP





『 浜松の景気はいいと言うが 』

2004・8・11〜20(八月中席(なかせき))
報じ手 萬 窓

2004(平成16)年8月11日(水)
 浜松から友人が上京。久しぶりに一杯やる。
 彼は自動車部品を製造する会社に勤務だが、浜松は自動車産業が盛んで、景気は悪
 くないとのこと。


2004(平成16)年8月12日(木)
 私が講師をしている落語塾の生徒さんが、書展に出展。浅草のギャラリ−へ。
 絵のような文字もあり、読めないものもあった。


2004(平成16)年8月13日(金)
 夜、イイノホ−ルで『東京落語会』、[紀州]。
 私のあとに上る桂ひな太郎師匠が[駒長]。ネタ出しの際うっかりしていたが、この
二つの噺はサゲがどちらも擬音をつかったもので、似ている。
 先にあがった私はよかったが、ひな太郎師は「ただいまの[紀州]をマクラにしてい
ただいて」と筋に入っていった。


2004(平成16)年8月14日(土)
 昼、『横浜にぎわい座』、[鹿政談]。
 終演後、観に来てくれた知人と中華街で食事。


2004(平成16)年8月15日(日)
 落語塾。盆休みで帰省や旅行している生徒さんが多く、8名のみ。今日は吉原につ
いての講義をする。


2004(平成16)年8月16日(月)
 子供を連れ近所のプ−ルへ。まさに芋を洗うよう。


2004(平成16)年8月17日(火)
 区の無料の健康診断を受ける。採血は何度やってもいいものでない。


2004(平成16)年8月18日(水)
 アテネ五輪、卓球の福原愛の試合をTV観戦。
 韓国の選手にセットカウント1―4で残念ながら敗退。まだ15歳、あと4回は出
場できるだろう。


2004(平成16)年8月19日(木)
 友人の出演する[西鶴の女]という芝居を築地で観る。
 浮世草子の井原西鶴が好色物を書くようになり、葛藤する話。男優の帯の締め方が
おかしい。よく見ると蝶結びになっていた。


2004(平成16)年8月20日(金)
 夜、『黒門亭』、[鹿政談]。
 トリは夢月亭清麿師匠。清麿師はプロレス関係者と親交があるほどのプロレス通。
 私も好きなので、打ち上げでは力道山の経営能力、試合の演出について清麿流の解
釈を聞く。
2004・9・17 UP





『 トラブルはもう沢山 』

2004・8・1〜10(八月上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓

2004(平成16)年8月1日(日)曇り
 # 菜の花寄席。圓窓「明日ありと」「寿限無」、笑生「お化け長屋」「眞田小僧」
  。
   落語教室[寿限無]は客の参加でこちらも楽しむ。
   はねてアジアセンターで打ち上げ。世話人から紙芝居の話が出たので、[寿限
  無]の紙芝居をよろしく言っておいた。
 # 伊勢原の軽部さんが娘さんと来てくれた。チェロの友人のTさんの話をする。
   来年の企画に入れてもらう。

2004(平成16)年8月2日(月)曇り
 # 日芸連寄り合い。
 # 末広亭[寿限無]
 # 豊島区コミュニテーへ10月の企画のチラシ置きに行く。
 # 多慶屋へ用紙を買いに。1箱500×5入りが980円。ということは500
  枚入りが196円。今まで300円で買ってたから、ばか安。重いが下げて帰る。
   開けてみると、紙の質がぐっと違う。
 # 「まどの宅急便6号」を送信終える。

2004(平成16)年8月3日(火)
 # 協会からのメールに圓朝まつり出店名簿があったが、小生の名が載ってなかっ
  たので、今年はあきらめると返信す。
   今年のこのイベントでは、あたしは同じようなミスを二度喰らっているので、
  決断した。
 # 末広亭[おはぎ大好き]。

2004(平成16)年8月4日(水)晴れ
 # 末広亭[夕立屋]
 # Uさんから頼んでおいた10月の企画公演の広告デザインが送信されたので、
  電話で校正。

2004(平成16)年8月5日(木)晴れ
 # 富山へ。今年も「きらめき未来塾・お笑い道場」の講師。ちゃんと落語を演り
  たいという子たちがいたので、[寿限無][松竹梅][たらちね][権兵衛狸]
 を録画す。
 # 落語協会のYから留守に電話で「出店してください」、三語楼からファックス
  で「出店していただけるとのこと、ありがとうございます」
  変てこな情報ばかりが入ってくる。ああ、気が重い。

2004(平成16)年8月6日(金)
 # 末広亭[寿限無]。録音の日と思って楽屋入りしたら、明日らしい。稽古のつ
  もりで[寿限無]をした。

2004(平成16)年8月7日(土)晴れ
 # 黒澤総研の「意識を高める勉強会」。ホテルオークラの別館。キャノン電子の
  酒巻社長が「秩父の会社で落語会をやってもらえますか?」といい話。「日本フ
  ィルを頼んでいるんですが、どうも」「ギャラは?」「日本フィルより安いです
  よ」と答えると「半分ほどでいいですかな」と。
 # 末広亭[寿限無]。全日空機内用の録画。
 # 8月にやる学校の講演の打ち合わせに小学校の校長が二人、末広亭へくる。
 # 昼の15時にNHKTVで放送した「日本の話芸」の録画を見る。[鼓が瀧]。
   自分で「あたしもじいさんだなぁ」としみじみ聞きながら見る。

2004(平成16)年8月8日(日)晴れ
 # 圓朝まつり。本来なら境内の出店で大汗をかきながらイベント人になっていな
  ければならないのだが、トラブルから休む。我侭かな。
 # 末広亭は夜へ回っていた。

2004(平成16)年8月9日(月)晴れ
 # 末広亭[おはぎ大好き]
   ドトールのコーヒーと冊子を木戸へ。
 # 歯医者へ。テレビの[鼓が瀧]を見た、と歯科医師が言う。
 # NHKTVで「象の特集」を見る。吉宗のとき、日本へ来た二匹の象は朝廷か
  ら官位を貰っている「広南従四位白象」と。
 # スポーツニュースでアジアカップのことを取り上げているが、やはり川口の働
  きは大きい。プレーヤーは諦めてはいけないことを示してくれた。彼のことを忘
  れず、生きるべし。

2004(平成16)年8月10日(火)晴れ
 # 末広亭[後生鰻]
2004・9・17 UP





『 アッ 師匠が観戦しているッ! 』

2004・7・21〜31(七月下席(しもせき))
報じ手 吉窓

2004(平成16)年7月21日(水)
 ここ数日、猛暑が続いている。今年の暑さはことさら厳しい。
 夜に住吉踊りの稽古をみっちりやってくたくたになって帰宅すると、鰻のかば焼きが用
意してあった。そうか、今日は土用の丑の日だ。
 久しぶりの鰻は旨い! 冷たいビールも旨い! ああ、それにしても暑い。

2004(平成16)年7月22日(木)
 午前中、高校野球東京大会の予選を見に、神宮球場へ行く。
 埼玉県出身のあたしには東京の高校でそんなに応援するほどの学校もないのだが、今日
のカードは都立文京高校―都立雪谷高校。
 雪谷は去年の東東京代表校。
 そして文京は師匠 圓窓の母校である。そのOBの方々も多く窓門会に入ってくださっ
ているので縁もある。注目の好カード(?)だ。
 バックネット後方で見ていたが、ホームランあり、エラーあり、ボークあり、ミスジャ
ッジあり、両校の応援合戦も含めて結構楽しめる。
 ふと気がつくと、十列ぐらい前方のイスにどこかで見たような人が座っている。「あれ
っ! いけねっ、師匠だ!」。
 早速、あいさつに行く。師匠の母校の試合だが、まさか見に来ているとは思わなかった。
うっかりしました。
 試合のほうは4―1とリードされた文京高が、後半、猛然と反撃に出て、8回裏に追い
ついて延長12回にサヨナラ勝ち。ベスト16まで文京高が駒を進めた。
 面白い試合だった。球場前で師匠と別れて、一旦、帰宅。
 夜は池袋演芸場で圓窓一門会。演目は、[田能久]窓輝、[鹿政談]萬窓、[雁風呂]
圓窓。中入り。座談会をはさんで[蒟蒻問答]吉窓、[松山鏡]窓里。
 今回は全国落語巡りということで、地方が話の舞台になるものを並べてみた。
 入場者は百四十数名の大入り満員。ありがたいことだ。
 ああ、今日はなんだか長く感じた一日だった。

2004(平成16)年7月23日(金)
 後輩の柳家さん福に[お菊の皿]の稽古を頼まれ、彼のうちまで出向く。
 出向くといってもさん福は下落合のマンションに住んでいるので、うちから自転車をこ
いで10分程。
 2時間ぐらいおじゃまして、ビールをごちそうになって帰ってくる。
 なお、昨日勝った文京高校は、今日、都立世田谷工高と対戦があり、負けた。
 文京高の夏は終わった。おつかれ様でした。

2004(平成16)年7月24日(土)
 今日は昼間、協会2Fでやってる上野黒門亭とお江戸日本橋亭の本牧五人会のかけもち。
 この2軒、地下鉄銀座線を使うと2駅で行き来ができる。
 黒門亭では[千両みかん]、本牧五人会は[麻のれん]をやる。

2004(平成16)年7月25日(日)
 黒門亭の昼の部へ。[夏の医者]をやる。
 暑い中、昨日も今日も二十数名のお客様。ありがたい。

2004(平成16)年7月26日(月)
 プロ野球パリーグ、西武―ダイエー戦を見に行く。
 今期2度目の西武球場は夏休みに入ったせいか、子供連れも目立ち、月曜日というのに
ばかに混んでる。
 試合は松坂と和田の先発で始まり、8対3で西武が勝つ。
 今、プロ野球は合併問題や1リーグ制導入でゆれているが、どうなることやら……。
 あたし自身、もし1リーグになったら、たとえ贔屓のライオンズが残っていても球場ま
で足を運ぶことはなくなると思う。なんとかうまく解決してほしいものだ。

2004(平成16)年7月27日(火)
 昨日のこと。月曜日で図書館は公休日。
 昨日はそれを知らず、野球を見に行く前に、借りていて読み終えた本があったので、目
白図書館の返却ポストに本を放り込んでから、「あれ? いけねっ。あの本、千早図書館
で借りた本だった」と気がつく。
 借りた所と返す所を間違えたわけだ。
「うっかりしちゃったな」と思ったが仕方がない。今朝、図書館へ電話すると「豊島区内
で借りた本なら、同区内のどこの図書館でも返却OKです。ちっとも構わないです」との
 返事。ああ、よかった。
 暑さでボーッとしていると、小さなミスを犯します。気をつけよう!
 誰ですか、暑くなくても、お前はボーッとしてるなんて言ってるのは!

2004(平成16)年7月28日(水)
 黒門亭のスタッフの寄り合いがあり協会へ行く。圓朝祭りの黒門亭コーナーのことと、
9月の企画について話し合う。

2004(平成16)年7月29日(木)
 今日は台風の影響で朝から雨が降ったりやんだり。
 天気が良かったら高校野球東東京大会の決勝戦でも見に行こうかと思ったが、この天候
で順延となった。
 家にいたら、ひと月ほど前に出した新聞の懸賞で当たった小冊子が届く。「オリンピッ
ク物語」という中公新書の本。来月のアテネ五輪を見る参考にするために読む。

2004(平成16)年7月30日(金)
 夜、協会の2Fで落語会。黒門亭ではない。この会は今年の前半期、落語協会で募集し
た新作落語台本の発表会。
 すでに優秀作品五本は先月に鈴本演芸場で発表表彰を終えている。で、残りの作品の中
から佳作あるいは気になった台本を演じようというので、昨日今日の二日間に渡っておこ
なわれた。
 今日の出演は、吉窓、喜多八、小ゑえん、はん治、時蔵の面々。
 あたしは[動物園改革]という噺をやった。客が来ない動物園が客寄せのため、園長以
下が頭をひねって案を出す、その会議風景という噺。
 とりあえず今回はこのネタに挑戦してみたが、他にもやってみたい作品が2、3本あっ
たので、覚えてどこかでかけてみよう。どうなるかわかりませんが、請うご期待。

2004(平成16)年7月31日(土)
 今日は落語協会の夏の寄り合い。今年は恒例の成田詣でではなく、深川不動尊参り。
 ま、ここでも成田さんの別院だからご利益は同じか。お参りも済んで東陽町のホテルへ
移動、会食。
 夏の寄り合いが終わると「ああ、今年も半分以上来ちゃったな」という気分になる。月
 日のたつのは早いもの。今年の後半も頑張ろう。
2004・9・17 UP





『 母校の文京高 甲子園目指す 』

2004・7・11〜20(七月中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓

2004(平成16)年7月11日(日)曇り
 # 10:30。落語っ子連の稽古。オフィス樹。まど深[半分垢]、なかなかし
  っかりしている。円ドル[たらちね]、口調の難を克服に懸命。無弦[武助馬]、
  文字化したのを今日は読む。
 # 一端、帰宅して昼寝。
 # 慌てて起きて末広亭へ。[夕立屋]。少ない入り。
 # 行きの地下鉄南北線の乗換えで、飯田橋駅から最前部の車両、しかも運転台の
  後ろにあたしは乗って立っていた。車椅子の老夫に介添えの老婦も一緒に乗り込
  んだ。四谷駅に停車して車椅子も降りる様子。と、運転手が室から一般車内へ出
  てきて車椅子の人に声をかけた。「大丈夫ですか」と。介添えの老婦が「大丈夫
  です」と言いながら無事に下りたので、運転手はほっとしたように運転室に戻っ
  ていった。いい光景だ。南北線はワンマンカーだから、そういう指導をしている
  のであろうか。運転手も客車のほうに気を遣うのであろう。

2004(平成16)年7月12日(月)曇り
 # 鴻司先生から句集「平生」が送られてきた。会報へ載せよう。
 # 平樹さんと電話でいろいろ。「紙芝居の置き場所に稽古場を」と頼む。
 # やっとKさんから連絡の電話があり、車検の切れた車の復活に動き出す。その
  車関連の雑務で疲れた。任意保険、車検、税金の復活手続きで電話やら都税事務
  所やらへ。
   それに信金、銀行、郵便局を回って小銭集め。信金のチラシで知ったのだが、
  硬貨の入金には手数料がかかるようになった。
 # 湯から上って体を拭いていたら、隣のYさんがおはぎを持ってきた。「女房、
  いませんで」と言うと、「じゃ、お膳の上に置いておくよ」と言いながら上って
  更衣室の廊下をやってきた。そのあいだ、体を拭きながら、応答。裸体を見られ
  たか。
 # 末広亭[おはぎ大好き]。
   6月上席のトリで木戸の連中に中日をきるのを忘れたらしいので、今日、席亭
  に渡す。受け取るほうも受け取りにくいだろう。笑いながら「いいですよ」とい
  いながら納めてくれた。ほっとした。

2004(平成16)年7月13日(火)
 # 日大芸術学部、前期の最後の授業。[おはぎ大好き]。
   夏休み中にレポートを書くことの宿題を出す。テーマは「芸とは、話とは、笑
  いとは」

2004(平成16)年7月14日(水)
 # 末広亭
 # 過日、千早図書館で「区長との区民集会・豊島区産業プラザの8階にて」との
  チラシを見つけたので、末広亭を早上がりして、出かける。
   後ろの席で聴講。参加者は町会の役員がほとんど。「区民がお互いに挨拶をし
  よう」という発想で夕焼け小焼け隊を結成したとのこと。各町会、各向こう三軒
  両隣でも使えそう。
   落語の[らくだ]の主人公のように、挨拶もしないでふんぞり返っている大人は
  まだまだいるものだ。

2004(平成16)年7月15日(木)晴れ
 # 女房の母の命日。
 # 末広亭[釜泥]。文化庁の人がさん喬さんを尋ねて楽屋へきていた。

2004(平成16)年7月16日(金)晴れ、曇り、球場で雷雨。
 # 末広亭はゆえあって、昼席の13:15分上がりへ。
   そのあと、神宮球場へ。
 # 都高野連の東京大会、文京高―青山学院高。雷雨で中断があったが、そのまま
  4ー1で勝ち。次回は20日、江戸川球場。行こうっと。
   チームが攻撃のときの応援歌が面白かった。「狙い打ち」のメロディーに乗っ
  て替え歌なのか、大合唱で「お前が打たなきゃ、○○○○○」と歌ってんだが、
  ○の5音字の部分がわからない。
   何度か聞いて、やっとわかった。「お前が打たなきゃ、誰か打つ」と聞こえた。
  ああ、そうか、と思ったのは、「君は無理しなくてもいいんだよ、誰か他の者が
  打つんだから。緊張せず、力を抜いて気楽にね」という意味の替え歌なのか。「
  今の母校文京高の精神はこれなんだな。優しいんだ。それが応援歌にも現われる
  んだ」と感動した。
   また歌っている。もちろん聞いた。びっくりした。前と違うんだ。「お前が打
  たなきゃ、誰が打つ」と絶叫している。
  「誰か」ではなく「誰が」なのだ。
   ああ、そうか。打者によって、歌詞を使い分けているんだ。この打者には強気
  に「お前しかいないんだから、打て!」と言う檄なのだ。
   使い分けが、母校文京高の精神なんだと、思い直した。
   ところが、あと何度聞いても「お前が打つたなきゃ 誰が打つ」なんだ。
   ああ、この強気が母校文京高の精神なんだ、と実感した。
   あたしの耳が弱っていたのだ、、、、。
   俳句ではないが、助詞一つの違いで、えらい違いになるもんだ。今夜は四九八
  句会だけに、妙に気になった。
 # 試合は途中で雷雨があって中断したので、屋根のある二階席へ移動した。
   前に座っていたご婦人のテーシャツの背中に横文字が帰されている。
   579、8km
   The Distance Between
   Bunkyo And Koshienguchi
   意味がわからない部分もあったので、カバンの中の電子辞書を開いてわかった。
  「文京から甲子園まで579、8Kmだよ。目指そうよ」ということらしい。
 # 四九八句会。オフィス樹稽古場。窓輝がなにやら、ハッスルしていた。
   前回、サンダルを木の葉さんに履き間違えられたり、会報に「千穂」と記され
  たりで(これは圓窓の誤記)、さんざんだった千恵さんが、その名を改め「おせ
  ん」襲名。引き出物の煎餅を配っていた。
   圓 窓「襲名は金がかかるでしょう。新海老蔵の気持ちがわかるでしょう」
   おせん「ニタニタ……」
   圓 窓「引き出物、口上が済んだんだから、一睨みしたらどうです? 間違い
  をおこした圓窓と木の葉に?」
   おせん「ニタニタ……」
 # 車の車検が出来て、届く。

2004(平成16)年7月17日(土)晴れ
 # 友人からの招待で、昼、原石CLUBの芝居を鑑賞しに行く。
   時事通信社ビル内のホールだという。場所を携電で聞きながら歩いたがわから
  ず、大汗。なんだ、やっとわかった。新橋演舞場へ行く途中のホテルだったとこ
  がそこ。ビルの入り口に「第34回 世界産婦人科学会」という案内札が出てい
  たので、本当の学会だと思って、芝居の入口は他にあるのかとビルを一回り回っ
  てしまった。なかったのだが。それが芝居のタイトルだった。引っかかったよ。
 # 末広亭まで地下鉄に乗って時間潰し。
 # 末広亭[夕立屋]
 # 女房の父親を引き取る話が煮詰まってきた。

2004(平成16)年7月18日(日)晴れ
 # 前の家のおかみさんが「子供が小学校2年。夏休みの宿題に『町内の名人を探
  そう』というのがあるので、子供からの取材を受けていただきますでしょうか」
  と。「喜んで」と返事をする。
   あたしは、町内の子たちがしっかりした人間に育ってくれることを強く望んで
  いるので、子供と接するのは大好き。挨拶もできないような大人になっては、回
  りの人々がこまるもの。
 # 末広亭[おはぎ大好き]。
 # 笑生が「[おはぎ大好き]を聞いてください」と末広亭へ。二階で稽古。堅さ
  がとれるといいんだが……。

2004(平成16)年7月19日(月)海の日。晴れ
 # 大銀座落語祭・ガスホール[不孝者]。
   満員。萬窓の[お若伊の助]、しっかりしていた。
   既成の寄席もそれなりに大入りだという。怯えることはないさ。業界のために
   はいいことなんだもの。
 # 末広亭[有馬の秀吉]。

2004(平成16)年7月20日(火)晴れ、今年最高の暑さ?
 # 文京高の二試合目。江戸川球場で東京学園を8ー1の8回コールドで破る。
   次は22日。神宮第二球場。去年の優勝校(甲子園出場校)の雪ヶ谷高と。も
  ちろん、観戦に行くさ。しかし、球場で知っている顔に一人もあわない。
 # 今日の小咄
  「炎天に野球見て熱中症にならないようにね」
  「大丈夫。階ごとに裏があるから」
  「入谷を吟行して、朝顔の市へ回って鉢を買ってきた」
  「市へ行って鉢? なら句になったろう」
2004・9・14 UP





『 プロ野球の諸問題について 』

2004・7・1〜10(七月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝


2004(平成16)年7月1日(木)
 大家さんにお中元。お返しに水羊羹と一門会のチケットを買っていただいた。
 ありがとうございます。

2004(平成16)年7月2日(金)
 師匠方へお中元。23区内をあちこち回る。

2004(平成16)年7月3日(土)
 横浜スタジアムで横浜―中日を観戦。
 4−2で負けた。これで3連敗だ。奮発して内野席で見たのに……。

2004(平成16)年7月4日(日)
 連日観戦。6−5の1点差の逃げ切りも、要の谷繁捕手なぞの欠場。イヤな予感が
する。

2004(平成16)年7月5日(月)
 お世話になっている地元の方々へ、お中元と一門会の宣伝。

2004(平成16)年7月6日(火)
 としまデジタルテレビのチラシが入っていた。今なら加入金0(ゼロ)で工事費も
半額との事。考え中。

2004(平成16)年7月7日(水)
 句会の会報に載せるエッセイに悩む。さてどう書こう。

2004(平成16)年7月8日(木)
 参院選の不在者投票をして社会人の義務を果たす。

2004(平成16)年7月9日(金)
 炎天下に草野球。キツイ! 顔がかなり焼けてしまった。

2004(平成16)年7月10日(土)
 プロ野球合併、1リーグ問題について考える。セ・パ2リーグ、12球団制の存続
を願う。でも……、あたし一人ではなんともならない……。

2004・9・12 UP





『 ニューメキシコ大学の助教授からインタビュー 』

2004・6・21〜30(下席(しもせき))
報じ手 萬 窓

2004(平成16)年6月21日(月)
 夜、板橋落語会。[唐茄子屋]。
 台風の影響で客足が心配されたが、まずまずの入り。
 この会は板橋区在住の落語家が出演。メンバ−のさん光と太助が区外へ転宅したた
め、次回から鈴之助と右太楼が加入することになった。

2004(平成16)年6月22日(火)
 台風一過。暑いのなんの。我慢できず、今日からク−ラ−をスイッチオン。
 今年の夏は暑くなりそうだ。

2004(平成16)年6月23日(水)
 9月に板橋区主催の交通安全大会がある。そのアトラクションで交通安全にちなん
だ落語を頼まれる。
 主催者と打ち合わせの結果、交通安全の噺を創作することになった。

2004(平成16)年6月24日(木)
「白い巨塔」のビデオを借りる。
 先ごろ唐沢寿明主演のドラマが話題になったが、これは30年ほど前に田宮二郎が
主演したもの。脇役に曾我廼家明蝶、中村伸郎、小沢栄太郎、大地喜和子と今は亡き
名優ぞろいで、堪能した。

2004(平成16)年6月25日(金)
 小唄の稽古日。
 今日から「さんざじらせて」という夏の唄を稽古してもらう。

2004(平成16)年6月26日(土)
 子供を連れて荒川遊園へ。
 男の子は乗り物が好きなようで、せがまれてミニSLに3度乗る。

2004(平成16)年6月27日(日)
 昼、1時より落語塾。来月18日の発表会にむけて稽古。塾生のみなさんの噺がま
とまってきた。
 4時より根岸の豆腐料理『笹乃雪』で落語会。[唐茄子屋]をやる。
 終演後上野へ出て、この店の若旦那に鰻をご馳走になる。若旦那曰く「店じゃ落ち
着いて飲めませんので」。納得。

2004(平成16)年6月28日(月)
 昼、1時からJA相模原で落語会。[長短]と[天狗裁き]。
 終演後「昔は寄席に行きましたが、歳をとると億劫になりまして。久しぶりに落語
を楽しみました」と、お客さんに声をかけられる。ありがたいこと。

2004(平成16)年6月29日(火)
 小田急線の百合丘に住む知人から「近所にいい店が出来たので、飲みに来ないか」
と誘われる。
「ご馳走になれるならどこでも参じます」

2004(平成16)年6月30日(土)
 落語の研究をしているアメリカ人、ロ−リ−・ブラウからインタビュ−の依頼。
 彼女は現在ニュ−メキシコ大学の助教授で落語をはじめ日本文化を教えている。
 7月7日まで研究のため来日。
 今回はHPを持っている落語家に落語サイトについての質問とのこと。
 8年ぶりの再会だが、ますます日本語も達者になり、噺についても詳しくなってい
た。
2004・9・12 UP





『 いづれ 平均寿命は低年下する 』

2004・6・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 窓 里

2004(平成16)年6月11日(金)
 6月議会は3日より開会。
 このたび議会運営委員会の副委員長に選任されました。委員長を補佐し、公正・公平に
円滑な議会運営を進める立場。

2004(平成16)年6月12日(土)
 同級生に頼まれた仕事の打ち合わせ。
 小学校の父母を対象に講演。落語の楽しさを伝えるのが目的。依頼してくる本人も落語
を初めてとのこと。

2004(平成16)年6月13日(日)
 知人の子どもが出演する合唱団の発表会へ。
 夜、懇親会へ出席。私にとってこちらがメイン。

2004(平成16)年6月14日(月)
 議会出席。今日は通告順に質問。
 今回、私は難病患者への支援施策と障害者支援について。
 人間、老いていくのは誰でも同じだが、障害を持つというのはまったく予想のできない
こと。健康で老いていきたい。

2004(平成16)年6月15日(火)
 お通夜へ。学年は一つ上だが同じ歳の45歳。
 先日は40歳の知人が死去。まだ子どもも小さい。さぞ無念だろう。
 平均年齢80歳なんて今だけ。今後は低年化していくとのこと。

2004(平成16)年6月16日(水)
 夜、ある会合に出席。8時まで。疲れた。
 終わってから飲みに誘われる。飲めるときに飲まないと。死んだらこんなにうまい酒は
飲めないんだもの。

2004(平成16)年6月17日(木)
 議会出席。今日も質問日。
 川越市の花「山吹」とはどんな花か、と愚問した議員がいる。
 休憩時間に控え室で落語の[道灌]を話す。どこで役に立つか判らない。

2004(平成16)年6月18日(金)
 運営委員会。今後の日程について確認。会期は23日まで。
 夜、議員仲間と飲みに行く。仕切りの良さが評判の私。前座の仕事と思えば簡単なこと。

2004(平成16)年6月19日(土)
 地元の小学校の草むしりへ。
 日曜日にソフトボールで利用しているので、年に数回ほど協力する。しかし暑い。
午 後、政策勉強会に出席。自分から学んでいかないと。

2004(平成16)年6月20日(日)
 若手市議の会関東地区総会出席。
 45歳までの市議会議員で構成されている。関東地区では会員77名。私は埼玉地区の
 代表だが、この総会で定年。もう若手とは言えない。
2004・9・13 UP





『 嗚呼 舞台落語"高座舞夢枕屋" 』

2004・6・1〜11(上席(かみせき))
報じ手 吉窓

2004(平成16)年6月1日(火)
 今日から新宿末広亭の夜の部へ出演。
 師匠、圓窓がトリで十日間、舞台落語「高座舞夢中枕屋(こうざまいゆめのまくら
や)」をかける。
 このネタは数年前に国立演芸場でやったものの再演だが、末広亭と国立では高座の
広さや設備に違いがあるので、高座舞連中、前座、下座ときっかけなどを入念に確認
する。
 噺の筋を示そう。お好みの夢を見られる不思議な枕を売って歩く男が武家屋敷の女
中に呼び止められる。横になって枕を首にあてがうと、眠くなって、お好みの高座舞
いが夢に現れる、という寸法。
 そこで、高座舞連中が高座に登場して、夢を披露するという形式。
 今日の踊りのメニューは「黒田節」「さわぎ」「ぎっちょんちょん」「並木駒形」。
 このうち、あたしは「さわぎ」と「ぎっちょんちょん」を踊る。
 高座は[動物園]を演る。
 初日だったせいか、家へ帰ってどっと疲れが出た。

2004(平成16)年6月2日(水)
 この4月に亡くなった三遊亭歌奴師匠のお別れの会が、昼間、清澄庭園そばの雄松
院で催された。
 歌奴師匠は軽妙な明るい高座で[鮑のし][豆屋][西行][新聞記事]などが耳
に残っている。稽古をつけてもらう機会はなかったが、好きな師匠の一人であった。
合掌……。
 夜は末広亭へ。高座は[山号寺号]、踊りは「黒田節」と「かんちろりん」を演る。

2004(平成16)年6月3日(木)
 今日は昼間、協会事務所へ。落語協会の新作落語台本募集委員会。
 応募の〆切が5月末日で、集まった原稿は約120本。今月の28日に上の鈴本を
借りて優秀作品発表会があるので、この中からまず5本選ぶのだ。選考委員はふうふ
う言いながら台本に目を通す。良いと思った作品に投票して末広亭へ向かう。
 高座は「ぜんざい公社」、踊りは「ぎっちょんちょん」を演る。

2004(平成16)年6月4日(金)
 末広亭の夜の部。高座は[半分垢]。
 今日は高座舞いのお師匠さんが客席に来ている。それがプレッシャーになったわけ
ではないだろうが、[高座舞夢中枕屋]の口あけの踊り「黒田節」がメロメロ。これ
は三人で踊るのだが、立ち位置は間違えるは、踊りの手は途中でわかんなくなるは、
ほうほうの体で高座から降りてきた。
 お師匠さんは客席で高座が正視できず、ずっとうつむいていたらしい。当の踊り子
たちは「いやぁ、参ったね。ハハハハッ」と実にあっけらかんとしていたが、見てい
たお客様は気づいていたかしら。
 ちなみにあたしは「黒田節」ではなく、「さわぎ」と「並木駒形」をほぼ完璧に踊
る。(?)

2004(平成16)年6月5日(土)
 今回の末広亭6月上席の高座は初音家左橋兄と交互出演なので、出番は五日ずつに
なる。
 それとは別に、初日、三日目、そして今日と、いい案配にあたしに代演依頼が入っ
きた。忙しい人の穴はひまな者が埋めなくっちゃね。さすがに土曜日の夜は客がよく
入ってる。
 高座は[都々逸親子]、踊りは「黒田節」をやる。

2004(平成16)年6月6日(日)
 今日は朝から雨が降ってる。黒門亭の昼席の番頭なので協会事務所へ出かける。雨
の中、出掛けるのはどうも億劫だ。
 日曜の黒門亭は終了後に高座の分解、片付けがあり、これがひと仕事なのだが、こ
の日は夜、二ツ目の落語会があり、「高座はそのまま使用するので、片付けなくてい
い」と連絡があった。もう一人の係りと「ラッキーだね」と喜ぶ。
 作業を済ませて末広亭夜の部へ。高座は[近日息子]、踊りは「さわぎ」と「並木
駒形」をやる。

2004(平成16)年6月7日(月)
 今日は年に一度の寄席の日。
 この日、都内の定席の入場料は半額。もれなく特製の団扇のお土産つきで楽しめる。
 今年で五回目。この企画も定着してきたのか、普段、平日の末広亭では開くことのな
い二階席まで客が入ってる。
 あたしは今日は高座の出番はなし。「並木駒形」を踊る。

2004(平成16)年6月8日(火)
 今日も末広亭の夜の部へ。高座は[猫と電車]。
 去る2月の独演会の時、ネタおろしで演ったネタだが、今日、試しにかけてみた。
 こういう古典と新作の中間みたいな噺には、ありがちな中途半端な古さがある。師
匠にもそこを指摘される。うまくクリアできると面白くなりそうな噺なんだけど・・
・。まだ練り直す余地あり。
 踊りは「黒田節」と「並木駒形」を演る。

2004(平成16)年6月9日(水)
 楽屋入り前に末広亭のそばの「桂花ラーメン」で腹ごしらえをする。
 ここのラーメンは九州(熊本)風の白いスープで、やや固めの歯ごたえのある麺が
特徴。
 思い起こせば、初めて食べたのは前座の頃。亡くなった春風亭柳朝師匠が夜席のト
リで寄席が終ねてから「前座っ、腹がへってたらついてきなっ」「はいっ、ごちそう
さまです」ってご馳走になったのが、この桂花ラーメン。スープまで全部飲み干す師
匠が印象的だった。
 高座は[山号寺号]、踊りは「かんちろりん」と「並木駒形」をやった。

2004(平成16)年6月10日(木)
 日暮里特選落語会のサラ口に上がって[二人旅]をやり、末広亭へ駆けつける。
 三遊亭圓窓、創作の舞台落語「高座舞夢中枕屋」も今日が千穐楽。こういう企画公
演だと十日間が普段の寄席より長く感じるが、充実感はある。
「並木駒形」の総踊りを踊る。
 楽日の打上げには高座舞のお師匠さんも加わる。踊りの師匠からすれば個々の踊り
に注文はいくらでもあるだろうが、ま、全体的には良かったとのこと。
 とにかく無事の終わって良かった。(?)
2004・8・8 UP





『 半襟の縫い付けは 面倒 』

2004・5・21〜31(下席(しもせき))
報じ手 窓 輝

2004(平成16)年5月21日(金)
 夏物の長襦袢の半襟を付けた。家事の中でこれが一番面倒くさい。


2004(平成16)年5月22日(土)
 テレビのビデオ機能が壊れた。安く買った分、寿命も短いと思っていたので、まぁ
いいか。また、さくらやの「ポイントカード」の出番。


2004(平成16)年5月23日(日)
 6月上席の新宿末広亭の前売りを大家さんに買っていただいた。7月の一門会も来
ていただけるとのこと。いつもありがとうございます。


2004(平成16)年5月24日(月)
 来週からの末広亭に向けて踊りの猛稽古。「かんちろりん」と「並木駒形」。


2004(平成16)年5月25日(火)
 小勝師匠に[抜け雀]を教えていただいた。師匠のご自宅で芸談や思い出話など、
勉強になった。ありがとうございました。


2004(平成16)年5月26日(水)
 神宮球場のヤクルトー中日をライブ観戦。11−3、久しぶりの楽勝。先発の朝倉
は1年ぶりの勝利。単独首位!


2004(平成16)年5月27日(木)
 連日の神宮球場。川上で負けた。2位転落。何もしたくない……。


2004(平成16)年5月28日(金)
 豊島区営グランドで草野球を2時間。気温は30℃。半分の時間はベンチで喋って
いたのだが……。


2004(平成16)年5月29日(土)
 昨日の野球の流れで麻雀。少し勝ったが、ラーメンをご馳走したらなくなった。あ
あ眠い。


2004(平成16)年5月30日(日)
 友人から朝、電話。「マンションを買ったから遊びに来て」とのこと。同い年で二児
の父。ついにマンションまで……。
 お誘いはありがたいが、あたしの朝8時はだいたい寝てます。


2004(平成16)年5月31日(月)
 月例の四九八句会。
  水撒きやななめ十文字女将かな  窓輝
 下町の女将さんがたすきを掛けて水を撒いてる情景なんだが、「それなら、単にたす
き掛けでいいだろう」との意見多数あり。

2004・8・8 UP







『 幕末から明治維新を探訪 』

2004・5・21〜31(下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成16) 年5月21日(金)出掛けは雨。台風。鹿児島、山田町は天気。
 # 朝7:10の鹿児島行きの飛行機に機上。
   迎えの車で、歴史探訪。隼人町の坂本竜馬とおりゅうの新婚旅行先の温泉と熊
  襲穴。霧島神社。関之尾滝。そして山田町のかかし館。
   仕事の会場は宮崎県山田町の正定寺。[明日ありと][叩き蟹]。460名の
  入り。予想より多いようだ。檀家は1200軒。しっかりしているその力が発揮
  されて、清々しかった。
 # 常盤荘で一泊。


2004(平成16)年5月22日(土)
 # 鹿児島見物。城山、黎明館、大久保の像。幕末、明治維新も「ついせんだって」
  と思えなくもない。
 # 夕方、帰京へ。


2004(平成16)年5月23日(日)
 # 豊島区主催の大学対抗落研ライブの審査員。豊島公会堂。区長も来る。600
  人近くの入りで大成功。毎年やれそう。
   優勝、中央大学、可不可[初天神]。準優勝、日大芸術学部、迷探亭小男[金
  明竹]。
   総評のときに、参加者へちと正直に苦言を呈する。「みな一様にお辞儀が汚い。
   着物の着方が下手。これも芸の内だよ」と。客席からはそうだの拍手があった
  が、納得してくれた学生が何人いたろうか。


2004(平成16)年5月24日(月)夕方から雨
 # 歯医者へ。歯の苦労は不滅なり。


2004(平成16)年5月25日(火)
 # 日大芸術学部の講座[明日ありと]
 # NHKテレビの録画撮りで局へ。29日の6時40分「おはよう日本」の土曜
  特集・懐かしい日本語。


2004(平成16)年5月26日(水)
 # はいとりがみ句会。角川春樹氏が欠席ということもあってか、復帰組は全員不
  参加。
   本心のまにまに苺つぶされて は鴻司先生に褒められた。


2004(平成16)年5月27日(木)
 # はいとりがみ句会の速報を送信。


2004(平成16)年5月28日(金)晴れ
 # 日芸連の寄り合い。11時からなので、早起き。このところ、それがつらい。
 # 横浜へ。初めて、話題の「みなとみらい駅」で下車。
   来年から「圓窓横浜落語」、略して、「浜落」を開く予定で、その打ち合わせ
  に。
   世話人、あきら、鶴久、まど女。「寿限無」の紙芝居の制作の件も話す。


2004(平成16)年5月29日(土)
 # 漫画家のクニさん、藤倉さんと打ち合わせ。中央美術学園で落語の授業をする
  予定。
2004(平成16)年5月30日(日)
 # 筑波大付属高校の箱守先生の依頼で、放送研究同好会の生徒からのインタビュ
  ーを学校の近くの護国寺で受ける。作った番組をNHKのコンクールに出すつも
  りとのこと。


2004(平成16)年5月31日(月)晴れ、曇り、夜分、時雨
 # 高座舞い稽古。
 # 四九八句会。
   飛騨の高山から特別参加したHさん「高山の句会は細かい評がないのです。こ
  の句会は一句一句にそれがあり、びっくりしました」
   また、会場のビルの持ち主のYさんが見学にきて、「やってみたいのですが」
  と作句はしないが席に着く。ちょいと寝ていた瞬間があったが。(笑)
2004・7・12 UP






『 圓生の名跡について 』

2004・5・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成16)年5月11日(火)
 # 中席、末広亭 夜17:50分上がり。[萩褒め]。
 # 日大[蕎麦清]。
 # テレビで映画「テキサス」「避暑地の出来事」。後者、なかなかいい味。


2004(平成16)年5月12日(水)晴れ。
 # 横浜にぎわい座[鼓が滝]。
   はねた楽屋へ座主の玉置宏さんが楽屋へ挨拶にきて、「亡くなった馬の助さん
  以降、聞いたことがなかった」と。「あたしはこないだ亡くなった貞丈先生に教
  わったんです。落ちはあたしの考案です。馬の助師匠はほとんど講釈と同じよう
  に演ってましたので、落ちはなかったはずです」と、あたし。
 # 横浜のメール仲間と、あたしの高校の同期が亭主を連れて聞きに。終演後、近
  くの叶屋という飲み屋で打ち上げ。あとから、また、二人。一人(メール仲間の
  会支社の上司)が窓門会へ入会してくれた。
   また、来年には横浜で圓窓の会を開こう、という企画も持ち上がる。愛称を「
  浜落」だって。(笑)


2004(平成16)年5月13日(木)曇り、夕方より雨。
 # 申請しておいた伝統文化子供教室の企画担当のほうから、「不採用」との電話。
  その理由がよくわからない。「そちらへ出向いて、話を聞きたい」と言ったら、
 「来られては困る。電話なら答える」と。文化庁の外郭団体なのに所在を不明にし
  たいのか……。
 # 末広亭[鼓が滝]。笑生が「[将軍の賽]の稽古を」と言ってくる。
 # ソニーのKさんからCD制作の打ち合わせの電話があったので、ついでに、圓
  生の名跡を留め名にした一件をたずねた。圓楽が鳳楽を圓生にしようと画策して
  いる一件も。K曰く「あたしも止め名に署名した一人だが、圓楽のしていること
  はまことに不愉快だ」と。Kさんは良識を持っているので、あたしもほっとした。


2004(平成16)年5月14日(金)曇り。
 # 末広亭[釜泥]。東京落語会があるので早上がり。
 # 東京落語会[鼓が滝]。同時に録画もした。放映は予定では8月7日(土)1
  4:45分の教育テレビ。噺中に登場する樵の言葉を上方弁にしたので、ちと苦
  労。
   歯の調子が悪くとちりが多かった。


2004(平成16)年5月15日(土)
 # 末広亭[有馬の秀吉]
2004(平成16)年5月16日(日)
 #「金子みすず・トーク」を聞きに学士会館。矢崎節夫・大友浩の両氏の対談によ
  る楽しい講義。
   あたしが「金子みすず」の詩に接したのは、あたしの落語[ぞろぞろ]が教科
  書に載ったのが縁。教育出版から「その詩は教科書にも載ってますよ」と言われ
  て、すぐ読んで体が硬直してその場から動けなくなったような気がしてならなか
  った。とどめは「みんなちがって みんないい」の詩。ガツーーーンとやられた。
   創作落語にならないか、と評伝も読んだ。泣けて泣けて、創作に手が付けられ
  なくなってしまった。結句、そのままにしておかざるをえなかった。
   今日、二人の対談形式の講義を聞いて、またぞろ、野心が湧いてきた。たびた
  び、涙で二人がゆがんで見えた。やはり、噺にしてみたい……。
   みすず研究家の矢崎先生から著書をいただいて、感激。あたしも、みすず全集
  を出版社に注文。
   帰宅して、サイトでみすずを検索。地獄のような逆境の中で、どうしてあのよ
  うな優しい詩ができたのか。どう考えても、不思議だ。実在の人物とは思えなく
  なった。神みたいな人である。
 # 末広亭[夕立屋]
 # 遅れたが、銀座俳句倶楽部へ。投句しておいた、あたしの句。
    病葉やせめてひと差し舞ひまする
    しゃくやくの揺れて一つになることも
    夏羽織小さくたたまれ懐に
    揺れるたびしゃくやく蕾ほぐしをり
    麦飯を供へて一日(ひとひ)始まりぬ
    駆けつけると、もう披講が始まっていた。
   宗匠の秋山氏より「『供へて一日』は散文的になる。『供へ一日の』がいい」
  と添削を受けた。散文、非散文ってそういうことか、とちとわかってきた。


2004(平成16)年5月17日(月)曇り 暑し。
 # 豊島区コミから電話で「落研大会について、朝日新聞から取材がある」と。郵
  便局、銀行を回ってからコミへ。
 # 末広亭[夕立屋]
 # 注文していた「みすず全集」が届く。早速、創作も視野に入れて読み始める。


2004(平成16)年5月18日(火)曇り 夕方、雨。
 # 日大[寿限無]。
   帰りのバスの中で挨拶をする女の子が「覚えてますか?」と。去年、やはり帰
  りのバスで一緒になった女の子二人のうちの柔道をやっている子だった。よく話
  す子で、「哲学をやっているので、考えすぎちゃう性質で」と。今月の23日に
  武道館で団体戦の都大会があるとか、行きたいのだが……。
 # 一旦、帰宅。仕事先の宮崎のお寺へグッズを送る。そのあと、昼寝。
 # 日経の川口記者から6月末広亭の取材の電話。
 # 末広亭[寿限無]。楽屋で代演の小勝さんと久しぶりに会う。


2004(平成16)年5月19日(水)曇り、のち雨。
 # 末広亭 昼へ[夕立屋]。
 # 高校同期のNのかみさん(永井民子)の絵画展。今回は「リズム、鼓動」がテ
  ーマ。タッチが以前と変わっている。「この描き方は?」と質問すると、にっこ
  り笑って「企業秘密よ」と答えた。
 # コミカレ。[明日ありと][みすず]。


2004(平成16)年5月20日(木)台風の前兆か、雨。
 # 理事会があったのだが、朝、起きたら眩暈があって、それがちょいととまらな
  いので、休む。
 # 夕方、何とか起きだして末広亭へ。[首屋]
 # 末広亭へNHK教育放送の番組「ETV」の人から、「乱歩の企画の段階なん
  ですが」とインタビューにきた。
 # 明日、宮崎へ、飛行機は飛べるのか。
2004・7・19 UP






『 八目鰻は生物学上では 鰻にあらず 』

2004・5・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 萬 窓


2004(平成16)年5月1日(土)
 昨年は新型肺炎の影響で、GW中の海外旅行者は少なかったが、今年は昨年の7割
増しとか。
 我が家は人ごみが嫌いなので、子供を連れ近所の公園で過ごす。


2004(平成16)年5月2日(日)
 よる両国寄席、[蕎麦清]。円橘師匠に久しぶりに会い、楽屋でおしゃべり。話題は
酒。


2004(平成16)年5月3日(月)
 今日から3日間、中野芸能小劇場で『なかの℃』と称した落語会。
 落語協会と芸術協会の若手22名で結成した『らくご℃』というグル−プがあり、
通常は池袋演芸場で落語会を開催しているが、GWの3日間中野で興行。
 本日、私は出番がなく、ロ−ビ−でグッズの販売。特製千社札、出演者の手ぬぐい、
らくご℃カレンダ−等が予想以上に売れた。客席も大入り。


2004(平成16)年5月4日(火)
 今日は出番があり[山崎屋]。
 この噺のサゲは判り難く、マクラで仕込みが必要。以前、新しいサゲを創ってみた
が、反応がいま一つで、今回は従来のサゲで演る。
 マクラが説明っぽくなってしまったことと、狂言回しの番頭の演じ方がむずかしい。


2004(平成16)年5月5日(水)
 『なかの℃』千秋楽。
今日もグッズの販売。おかげさまで、グッズの売り上げで会場費の大半が出た。
 打ち上げは芸術協会の楽屋話(とても書けません)も出て、大いに盛りあがる。


2004(平成16)年5月6日(木)
 歌武蔵兄の紹介で、来月19日に神田でやっている落語会に出演する。
 この会は末広町の鰻屋のご主人が世話役で、ご挨拶に歌武蔵兄と一緒に店へ鰻をご
馳走に伺う。
 八ツ目鰻の話題が出たが「あれは生物学的にウナギではありません。漢方薬として
昔からありますが、美味しいものではないですよ」とご主人の弁。


2004(平成16)年5月7日(金)
 浜町の明治座で[燃えよ剣]という芝居を観る。
 今年流行の新撰組の話で、主演は上川隆也。今日は彼の誕生日で、ファンの女の子
(といっても30代)が大勢来ており、カ−テンコ−ルが3度もあった。
 助演の風間杜夫の声がよく通る。他の役者と比べると雲泥の差。さすが舞台出の役
者。


2004(平成16)年5月8日(土)
 友人が交通刑務所からめでたく出所。今晩、出所祝いの飲み会。
 酒酔い運転が度重なり3ヶ月の実刑だった。刑務所の裏話(とても書けません)の
披露もあり、大いに盛りあがる。
 現在、彼は免許失効中だが、「この先免許は?」「もちろんまたとるさ」に一同「
懲りないねぇ」。


2004(平成16)年5月9日(日)
 かみいた落語塾。7月18日に第二回発表会が決まり、塾生のみなさんは張り切っ
て稽古。


2004(平成16)年5月10日(土)
 子供の服が増えたので、思い切ってタンスを買う。ついでに家の中の模様替えをす
る。
2004・7・12 UP






『 旅行にあらず 視察なり 』

2004・4・21〜30(下席(しもせき))
 報じ手 窓 里


2004(平成16)年4月21日(水)
 本日より3日間の行政視察へ。
 今日は奈良市へ街並景観視察。町全体に1300年の歴史の重みを感じる。


2004(平成16)年4月22日(木)
 三重県伊賀上野市へ。
 言わずと知れた忍者の里。市職員の制服が忍者の衣装とはバカ受け。ここまで徹底出来
るとは。
 文化財について研修。もっとアピール出来ればいい観光地となるはず。


2004(平成16)年4月23日(金)
 大和郡山市の防災センターへ。
 ここは消防署と併設。新しい消防署はこういうのが多い。起震室で関東大震災を体験。
 口では言えない恐ろしさ。備えあれば憂いなし。


2004(平成16)年4月24日(土)
 オーストラリアに語学留学中の長男から手紙が来る。もっと楽をして生きられないもの
かと書いてある。
「棚から牡丹餅」ということわざがあるが、牡丹餅のある棚を見つけて受け取らないと楽
は出来ない、と返事を書いて送る。ふざけんじゃねぇ。


2004(平成16)年4月25日(日)
 地元の自治会総会出席。
 我が家の西側に建設予定のバイパスに協力を求める。90%の地主が同意。埼玉県は5
年以内の完成を発表。


2004(平成16)年4月26日(月)
 市議会議員有志10数名と懇親会。
 たまには意見交換しないと人間関係がうまくいかない。二次会はカラオケで盛り上がる。
 意見交換はどこかにいってしまった。


2004(平成16)年4月27日(火)
 会派会議。
 先日の行政視察の意見交換。学んだことを活かさないと「旅行」となってしまう。あく
までも「視察」。買春や博打などあってはならない事。私は昔から大嫌いだけど。


2004(平成16)年4月28日(水)
 観光課へ。
 今年は徳川家光生誕400年。川越には家光公の誕生の間、春日局の化粧の間などがあ
り、今年は観光もより積極的に推進。
 明日からの連休も大いに期待できる。


2004(平成16)年4月29日(木)
 メーデー参加。
 私は連合から推薦を受けているので出席する。雇用・年金問題に話は集中。皆さんは年
金払ってますか?


2004(平成16)年4月30日(金)
 地域の自治会の役員がみえる。
 地元の道路整備について要望を受ける。決まった枠の中で予算を確保するのは大変。誰
もが自分の地域を優先するのは同じこと。

2004・7・12 UP






『 神楽坂に 新しい落語会ができた 』

2004・4・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 吉窓


2004(平成16)年4月11日(日)
 この一月に亡くなられた桂文治師匠の香典返しが届く。
 師匠はお住まいが大泉学園だったので、西武線の車中や池袋駅でよく帽子をかぶった着
物姿をお見かけしたものだ。
 また数少ない大正生まれの噺家がいなくなった。合掌。


2004(平成16)年4月12日(月)
 夜、日暮里特選落語会へ。
 今日はレギュラーメンバー6名のうち3人が脇の仕事のために休み。残りの3人がたっ
ぷりやって穴を埋める。あたしは[一分茶番]をやる。


2004(平成16)年4月13日(火)
 NHKTVの昼の生番組「元気列島」で協会事務所の二階でやってる寄席「黒門亭」を
取材してくれることになり、運営にたずさわっている噺家数名が集まって取材に協力する。
 わずか5、6分のコーナーだったが、放送直後、問い合わせの電話はずいぶんあったら
しい。うまく観客動員につながればありがたいことだ。


2004(平成16)年4月14日(水)
 一昨日の日暮里の会の時、常連のお客様から「庭で取れたのですが……」と大きな筍を
頂いた。
 それで今日の夕飯は筍飯やら筍の酢の物やら筍の煮物やらが膳の上に並んでいる。
 女房は貰った筍が大きすぎて調理するのに苦労したらしいが、筍は旨い。今が旬だもん
ね。ごちそう様でした。


2004(平成16)年4月15日(木)
 今日はいい天気。初夏のような陽気だ。外でいい句でもひねってくるか、と自転車に乗
って近所をぶらぶらする。今月の句会の兼題は「仔馬」と「鹿尾菜(ひじき)」。
 途中、百円ショップで柄付きたわしを買って図書館による。ぼんやり本棚をながめてい
たら、以前に読もうとして読みはぐった本があったのを思い出して、早速、見つけて借り
る。「菜の花の沖」司馬遼太郎著。遅ればせながら読む。


2004(平成16)年4月16日(金)
 漫画家、横山光輝先生の訃報を新聞で知る。
 先生のお宅は豊島区千早で師匠のうちの近所。師匠の家へ行くのに、先生のお宅の前は
のべつ通っていた。
 横山先生の漫画の中では、小学生当時「少年サンデー」に連載されていた忍者漫画「伊
賀の影丸」の大ファン。むさぼるように読んだ記憶がある。他に「魔法使いサリー」や「
バビル二世」のアニメもよく見ていた。子供の頃、ずいぶん夢中にさせてもらった。合掌。


2004(平成16)年4月17日(土)
 今日も陽気がいい。気温は高いが湿度が少ないせいか、爽やかだ。
 昼食は女房に命じて冷しそうめんにする。これからこういうものが旨く感じる季節だ。


2004(平成16)年4月18日(日)
 びろうな話で恐れ入りますが、朝トイレに入った時「うっ、今日は便が硬いな」と思っ
たら出血していた。「ああ、また、痔か……。やれやれ」一年のうちに一回位こんなこと
がある。

 今から十数年前に手術の一歩手前まで痔を悪化させてひどい目にあっているので、それ
からは初期のうちによく効く薬を患部にすりこむようにしている。すると、数日のうちに
よくなる。痔の痛さは経験した人でないとわかりませんものね。


2004(平成16)年4月19日(月)
 今日は神楽坂の居酒屋「もん」で柳家一九、三遊亭吉窓の落語二人会。第一回目。
 この店のオーナーが「うちの店で落語会やりませんか」と声をかけてくれたのがきっか
けで、話を煮詰め、今日の開催までこぎつけた。
 一九さんと早めに行ってお店のお膳を片し、高座を作り、座布団を並べる。
 始まると狭い店なので、約40名の客でギュウギュウ詰め。息苦しいほど。
 あたしは[一文笛]を演る。
 偶数月の第三月曜の夜やってます。よろしくどうぞ。


2004(平成16)年4月20日(火)
 落語協会の新作台本プロジェクト委員会があり、事務所へ出かける。
 台本応募の締め切りは五月末日だが、すでに十二、三本の作品が届いており、集まった
委員が順ぐりに目を通す。
 素人さんの書いた原稿をたんねんに読むのは、結構疲れる作業だ。いい掘り出し物があ
るとうれしいが、まあじっくり取り組みましょ。

2004・7・12 UP







『 同年代の死 』

2004・4・1〜11(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成16) 年4月1日(木)晴れ
 # 上席、末広亭[十徳]。花粉症の風邪か、辛い。
 # 6月にソニーから出す落語CD用の原稿を書く。富士コーヒーの小咄原稿もや
  っと書く。
 # ソニーの京須さんから電話があって、長々と話してしまった。京須さんが「先
  代の文楽はやはり先々代の柳好と同じで、形にはまって謳い上げる類の噺家では
  ないか」と。そうかもしれない。今まで「文楽と柳好を同型」と言った人はいな
  かったので、その説に新鮮味をもった。日大の学生に講義で文楽のビデオを鑑賞
  させているが、パッとした反応はない。平成の者にはにはあわないのだろう。
   さらに京須さんは言う「昔、圓窓さんに『レコーデングのお陰で圓生は芸から
  気を抜かなかったようなものだ』と言われたことがあった」と。言ったかも知れ
  ない。あの圓生の真剣さは怖いくらいだった。「圓生は近代的な芸を持っていた」
  とあたし。


2004(平成16) 年4月2日(金)晴れ
 # 末広亭[釜泥]
 # 恒例の6月上席の末広亭企画公演に関して、馬桜さんがそのチラシの郵送をし
  てくれるというので、大いに助かる。前売りチケットも当日清算券の活用も併せ
  てできるように、席亭と話して諒解を取る。
 # 豊島区コミュニティー振興公社へ大学落語ライブの打ち合わせ。学生が実行委
  員会形式で開催するので、いいことだ。
 # 一段と疲れたので、帰宅して寝る。


2004(平成16) 年4月3日(土)晴れ
 # 末広亭[後生鰻]
   四九八句会のまど香、千穂が来る。今川乱魚氏からあたしへの贈呈だという「
  癌と闘うユーモアー川柳」の本を受け取る。
 # 楽屋で副会長より、「小朝の企画した会が寄席からのクレームで揉めている」
  と聞く。9日にその件の理事会があるという。大局的に見れば、寄席にもメリッ
  トある企画なのになぁ。
 # 風邪の具合、だいぶ楽になった。


2004(平成16) 年4月4日(日)小雨
 # 朝10:30。落語っ子連の稽古がある、オフイス樹の稽古場。
   まど女さんの友人が新加入。昔、「ういろう売り」の口上で苦労をしたことが
  あるという。あたしも今、独学で覚えている最中なので、教わろう。そして、そ
  れを使って創作噺をなんとかしよう。
   円ドル[青菜]。姿勢がよし。首の振り方がだいぶ自然になったのがよし。
   まど女[寿限無]。いろんな場面の名前の言い立てがそれぞれ感情移入されて
  い<て、噺が立体化してきた。急速なる進歩。
   やはり、月一の稽古が効いたか。そうなれば、会員だって自宅でもぼんやりで
  きないし、稽古もするだろう。
   5月に、池袋の豊島公会堂で大学落語研究会のライブがあるので、落語っ子連
  も観賞すれば、勉強になるだろう。
 # 末広亭[町内の若い衆]。小雨の中であったが、満員。嬉しいことの一つ。
   会長より「本牧亭の清水氏が死去」と聞く。
 # チラシを馬桜さんの郵便物に同封させてくれるというので、その現場である落
  語協会の事務所へそのチラシを届ける。過日、今日と計1600枚。
 # 多慶屋でプリンターの用紙を買う。


2004(平成16) 年4月5日(月)
 # 末広亭[洒落番頭]
 # 本牧亭の清水さんが亡くなったの楽屋貼り。65歳。アルツハイマーとのこと。
   同年輩の死はつらい。
 # 乱魚、八木、今井聖の各氏から貴誌をいただいているので、その礼状を書く。
 # 昨日、おはなのオペラ。今日は無弦のギターの会だが、体調が悪くて休む。


2004(平成16) 年4月6日(月)
 # 末広亭[首屋]。
   楽屋へ笑生が来ていて、「[匙加減]を覚えましたから聞いてください」とい
  うことで、二階の楽屋で聞く。と、窓から歌声が入って来た。「仕事中の屋根屋
  の声か」と思ったら、馬風さんの高座。
  [匙加減]は、30年近く前に、あたしが講釈から落語にアレンジしたもので、
  大岡政談の一つ。場面転換の多い噺だけに厄介。頑張り屋の笑生のことゆえ、な
  んとかやるだろう。
 # まだだるい。WOWOWで「刑事コロンボ」を見る。


2004(平成16) 年4月7日(火)
 # 楽屋貼りに「6日、歌奴師匠死去」。
   あたしの前座仲間。楽屋での雑談では、反応が面白く、楽しかったことを思い
  出す。背は低くて、子供は4人いたかな。「お子さんは?」と訊かれると、「お
  れを入れて、5人」と答えたことがあった。酒で肝臓を壊してしまった。
   こういうときって、体の中をひたすら冷たい風がスースーと抜けていく。


2004(平成16) 年4月8日(木)晴れ
 # 日芸連の寄り合い。初台のオペラハウス。事故が多発したせいか、回転ドアに
  は警備員が4人も立っていた。いつまでそうなのか。
 # 末広亭[]


2004(平成16) 年4月9日(金)晴れ
 # 朝の体重、74.2キロ。
 # 出掛けに公園を急ぎ足で突っ切ると、止まっていた車の助手席からにっこりと
  笑顔の人。「文京高校の後輩です」と。山下という元材木屋をやっていた家。こ
  んな近くに後輩がいたんだ。
 # 末広亭[替わり目]
 # 82銀行、巣鴨信金へ。


2004(平成16) 年4月10日(土)晴れ
 # 末広亭[有馬の秀吉]
 # 句会「銀座俳句倶楽部」へ。
   桜鯛見目麗しく焼かれけり 圓窓。
   会員の小橋さんより、明日の紀伊国屋ザザンホールのチケットを貰う。井上ひ
  さしの「太鼓たたいて笛ふいて」。儲かった。

2004・7・4 UP







『 花冷えの宴ことさら盛り上がり 』

2004・3・21〜31(三月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝


2004(平成16)年3月21日(日)
 江戸東京博物館の円山応挙展を見学。雲竜図が印象に残る。
 上野まで歩く。


2004(平成16)年3月22日(月)
「落語の友」の取材。担当は芸の秘密のコーナー。
 歌る多師匠に[厩火事]について伺う。


2004(平成16)年3月23日(火
 映画「ドラえもん」と床屋に行く。どちらも空いていた。


2004(平成16)年3月24日(水)
 黒門亭の出演依頼あり。「大ネタで自信のある噺をネタ出しで」とのこと。
 ……、ありません。


2004(平成16)年3月25日(木)
 四九八句会。兼題「花冷え」。
 花冷えの宴ことさら盛り上がり
 佳作で2点、もらいました。


2004(平成16)年3月26日(金)
 税務署に確定申告書を提出。今年も期限内に出せず。


2004(平成16)年3月27日(土)
 横浜スタジアムでオープン戦。横浜vs中日を観戦。
 ベストメンバーで臨んだ試合は7−5で中日の勝ち。オープン戦でも気分はいい。


2004(平成16)年3月28日(日)
 上野公園で友人と花見。明日ならついでがあったのに……。


2004(平成16)年3月29日(月)
 高座舞い。六月上席の末広亭に向けて「かんちろりん」「ぎっちょんちょん」を稽古。


2004(平成16)年3月30日(火)
 左橋師匠に[四段目]を教えていただきました。


2004(平成16)年3月31日(水)
 プロ野球、開幕目前。
 ドラゴンズ投手陣、川上・岩瀬とが万全なら優勝争いに絡むはず。
 打はアレックスに期待。頑張れドラゴンズ。

2004・6・13 UP







『 俳句大矢数に 参加して 』

2004・3・21〜31(下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成16) 年3月21日(日)春分の日 晴れ
 # 仕事へ向かう途中、携電に義理の妹から「圓窓さんの家へ電話をかけているん
  だけど、ずぅっと不通なの。局に問い合せたら、『電源が外れているのではない
  か』だって」と。そう言われても外出中ではどうにもならない。「料金の不払い
  かも」と答えておく。
 # ついにこの日がきた。「俳句大矢数」。そのため、下席は浅草演芸ホールなの
  だが、今日は休み。
   雑誌の「俳句界」が企画した俳句の催し。お客から題をもらって、30分の間
  に作句の数を争うという。江戸時代、西鶴らが挑戦したという大矢数。眉をひそ
  める俳人、御仁もあろうが、日本人の遊び心と思えば、また楽しいではないか。
  ギネスブックに載ることはなかろうが、喜んで参加。とは言うものの、胸はどき
  どき。
   あたしの参加している句会「銀座俳句倶楽部」から駆け付けてくださった方々
  の応援もあり、やれるだけやろうと、ステージの机へ。「花見酒」「布」「慈」
 「亀鳴く」などの題もあって、10題ほど。30分の間に、あたしは20いくつ。
   今井聖(俳人)   対 中上哲夫(詩人)
   磯貝碧諦館(俳人) 対 圓窓(噺家)
   二組の対戦はいずれも俳人側の勝ち。
   「多作多捨」という教えもあるので、ここで時間に追っ掛けられて急いで作っ
  たのを、後年になって推敲して名句にすれば無駄ではない、などと一人前のよう
  なことを胸に秘める。(笑)
 # 終わって、銀座俳句倶楽部の連中と隣の喫茶店へ。チョコパフを食べて疲れを
  とる。


2004(平成16) 年3月22日(月)雨
 # 昨夜、帰宅して、やはり電話は不通だった。
   今朝、再度、角度を変えてチェック。振込み口座の通帳を見ても、たっぷりと
  言えるほどではないが、残額はあるので不払いの様子もない。玄関の電話引き込
  み機器にランプはちゃんと付いている。ところが、なんと、あたしの部屋のル−
  ターが無灯ではないか。ああ、差込がゆるんでいたんだ……。
   カチャッと差し込む。これで、不通は直った。なぁんだ。
   NTTは正しかった。
 # 浅草演芸ホール[猫のマナー]。
 # 帰路、新仲見世を歩いていたら、向こうからきたのが老女。付き添いらしい人
  もこれまた高齢な女性。すれ違ったとき、老女がペチャッという音をさせて歩い
  ているほうへ真っ直ぐに倒れるではないか。なにかに躓いたか、脇にあった自転
  車に触れたか。滑ったならば、横か後ろに倒れそうなものだが、前へ。それも、
  「おっとっと」という動作もない。手でかばうこともなく、崩れるようにでもな
  く、棒のように顔から。付き添いが起こしていたが、鼻血が出ていて、ぐったり。
   歩いてても、そうなるのか……。


2004(平成16) 年3月23日(火)
 # はいとりがみ句会。新入会員のOさんの参加があったが、Gさんが日取りを間
  違えて欠席。参加人数は前回と変わらず。


2004(平成16) 年3月24日(水)小雨
 # 浅草演芸ホール[町内の若い衆]。
   客席に美女軍団のM、Tの二人。スナックをやっているMが「昨日、『浅草の
  水口食堂の者です』という人が店に来たの」というわけで、高座を下りてからそ
  こへ案内をする。あたしも水口食堂は何十年振りだろうか。二つ目の頃の木馬館
  出演以来だろう。あの頃はよく食いに通ったもんだ。
 # 原ひとみさんのハナビの公演で渋谷のサンクスの朗読の会。手紙を読む形式で、
  それなりに興味はひいた。


2004(平成16) 年3月25日(木)雨、曇り
 # 圓生のお孫さんが2月に急逝した、との連絡が今頃あって、今日、国立まで生
  の助さんと慌てて飛んで行く。還暦を迎えたばかりなのに……、C型肝炎だった
  とか。
 # 浅草演芸ホール[町内の若い衆]。楽屋を出ると雨。
 # 四九八句会。惨敗。


2004(平成16) 年3月26日(金)晴れ
 # 銀座のラーメン屋で腹を満たして、文化庁国語施策懇談会のガスホールへ。
 # ガスホールへ入る前に、入口の前の新井画廊のウインドウの絵を見て、足が止
  まってしまった。池田次男個展。光を感じてしまったので、入って見る。時間が
  ないのでゆっくりとは観賞できなかった。明日までだという。
 # ガスの会場へ。午前中の一部もと思ったが、昨日の疲れがあって起きられず、
  午後の二部から顔出す。
   文学座の演出家の西川信広氏の講演とワークショップがあった。落語ワークシ
  ョップを確立したいと思っていた矢先なので、勉強になった。文化庁のKさんが
 「西川さんが圓窓師匠の高座は聞いている」と言うので、終演後、控え室に。いろ
  いろと話を聞いて勉強になった。阿刀田高国語審議委員長とも挨拶。去年、この
  会合で会っている大浜先生と握手。
# 浅草演芸ホール[十徳]。


2004(平成16) 年3月27日(土)晴れ
 # 浅草演芸ホールへ行く乗り換えの地下鉄・三越前のホームで売店の人が寄って
  きて「(ジャケット)裏返しですよ」と。ういろう売りの口上を読みながら歩い
  ていたので、気が付かなかった。ということは、拙宅を出るときからそうだった
  んだから、まったく恥ずかしい。「裏返し」といっても、二度目ではない、初め
  てのこと。
 # 浅草演芸ホール[]
 # 今日も新井画廊の個展へ。受付にいたのは、妹さんで「花巻のアトリエは母が
  いまして、数多くの作品がある」と言う。
 # アートコーヒーでパンを買う。


2004(平成16) 年3月28日(日)晴れ
 # 以前、文学シリーズ「太宰治」で一緒にやった役者がそれぞれの演った物の再
  演だというので、浅草雷門の「どじょっこハウス」へ観賞に。13時。
  ここは平素、安木節の教室になっている所。玉木文子「貨幣」、堀越富三郎「赤
  い太鼓」。二人共、台詞は体に染み付いてきたのか、感情の披瀝はスムーズにあ
  ってよし。
 # 急いで、浅草演芸ホール[有馬の秀吉]
 # 旧友からのファックスで「三越本店の一階のロビーでトークと本の販売をやる」
  とのこと。ステージから呼び出されるのもいやなので、二階の脇から見下ろすよ
  うに、ゴルゴサーティーンのように聞く。
 # 親類の見舞いに厚生年金病院へ。高座本[徂徠豆腐]を見舞いに。


2004(平成16) 年3月29日(月)晴れ
 # 浅草演芸ホール[有馬の秀吉]
 # 高座舞い稽古。6月上席の末広亭の企画公演の踊りに"夕立"を入れようと稽古
  の最中。あたしもしなくては、と思うのだが、まだ、足が……。


2004(平成15)年3月30日(火)
 # 浅草演芸ホール[]
 # カラキチの友人からメールで「"アカシヤの雨がやむとき"の歌詞はいいですよ」
  と。久しく唄ってないなぁ。


2004(平成15)年3月31日(水)
 # ついに風邪でダウン。一日中、寝ていた。

2004・4・26 UP







『 今年の 圓朝まつり 8月8日 』

2004・3・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 萬 窓


2004(平成16)年3月11日(木)
 この中席は鈴本演芸場夜の部の出演だが、今日は寄席を休み、熊谷の老人ホ−ムの
落語会へ。
[牛ほめ][茶の湯]をやる。大半が女性で、笑いも多くやりやすかった。


2004(平成16)年3月12日(金)
 鈴本[権助魚]。
 鈴本は昨年11月の火災による修繕のため、2月いっぱい休業していたが、内装が
きれいになり、雰囲気がとても明るくなった。


2004(平成16)年3月13日(土)
 鈴本[真田小僧]。
客席は7割の入りで、反応の良いお客様。


2004(平成16)年3月14日(日)
 鈴本、昼夜の交代を頼まれて昼席に上がり、[お花半七]。
 今日から大相撲春場所だが、初日に「満員御礼」が出ないのは、大阪場所では35
年ぶり。東京場所も空席が目立つが、人気力士が少ないのが原因か。高見盛に続くス
タ−が欲しいところ。


2004(平成16)年3月15日(月)
 鈴本[牛ほめ]。
 楽屋で同期の入船亭扇治さんに会う。彼は藤陰流の踊りを習っていて、20日に国
立劇場で踊るとのこと。発表会に出るのは名誉だが、衣装はもちろん、地方(じかた)
への御礼とかなり物入りらしい。観にこないかと誘われたが、寄席の出番と重なるた
めお断りする。


2004(平成16)年3月16日(火)
 鈴本[紀州]。
 この噺は徳川八代将軍の座をめぐる、尾張の尾州公と紀伊の紀州公との跡目争いだ
が、「尾州」と言うべきところを、うっかり「紀州」と言ってしまった。慌てて言い
直したが、しどろもどろ。慣れた噺ほど緊張感がなくなり、言い間違えることが多々
ある。気をつけねば。


2004(平成16)年3月17日(水)
 朝10時より池袋演芸場で『円朝まつり』の実行委員会。
 円朝忌をファン感謝デ−の形式にして今年で3回目。今日は販売、飲食の参加者、
実行委員が集まり企画、改正すべき点を話し合う。
 今年は8月8日(日)谷中・全生庵です。
 鈴本[真田小僧]。


2004(平成16)年3月18日(木)
 昼に、来月から南浦和の喫茶店で始める落語会の打ち合わせに行く。
 マスタ−がライブが好きで、過去にもフル−トの演奏会を催していた。今年は落語
会を3回やることになり、第一回は4月17日(土)6時から。場所は、南区辻1丁
目の『森乃泉』。お近くの方はぜひお出かけください。
 鈴本[たらちね]。


2004(平成16)年3月19日(金)
 鈴本[権助魚]。
 今夜の客席は貸切で、紙商組合の方々。製紙会社の組合だが、女性が多くよく笑う
お客様。


2004(平成16)年3月20日(土)
 鈴本[万病円]。
 楽屋のテ−ブルに串焼きの盛り合わせが置いてある。前座に訊くと「高田屋さんか
らの差し入れです」。この店は鈴本ビルのテナントの居酒屋で、現在割引キャンペ−
ン中で、「打ち上げに使ってください」とのことらしい。
 ところが、出演者はトリの雲助師匠から楽日のお弁当をいただいており、高田屋の
営業戦略は空振り。

2004・4・9 UP







『 我が子 高校卒後 オーストラリアへ留学 』

2004・3・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 窓 里


2004(平成16)年3月1日(月)
 3月定例会が2月24日から開会。
 本日は上程された議案に対する質疑。3月は来年度予算が上程される。川越市の来
年度予算は940億円。庶民には無関係の金額。


2004(平成16)年3月2日(火)
 議会運営委員会が開催。
明日から行われる一般質問の確認。今回は40名の議員中24名が登壇する。私は、
一番最初。ただ、一番最初に通告しただけのこと。


2004(平成16)年3月3日(水)
 今日から一般質問が始まる。私の支持者6名が傍聴に来てくれる。内2名が初めて
の経験。興味を持ってくれることが大事。
 今回は「川越まつりの国指定文化財に向けての取り組み」について。70万人来る
祭りは決して劣るものではない。


2004(平成16)年3月4日(木)
 今日も通告順に一般質問。
 よく「質問した」と豪語する議員がいるが、問題は内容。電話で聞けるような話な
ら、しないほうが良い。
 川越市のホームページで川越市議会を開いてみてください。


2004(平成16)年3月5日(金)
 議会終了後、ある会合へ出席。会議の後、懇親会。
 明日は議会も休会なので、ゆっくりと飲む。毎朝5時30分起床だから、芸人だけ
やっていればもっと堕落した生活が出来る。


2004(平成16)年3月6日(土)
 自宅で事務仕事。会員に配る議会報告書作成。
 6月議会終了後4000部印刷するが、とりあえず地元に配る分だけコピー。


2004(平成16)年3月7日(日)
 昨日、作成した報告書を自治会役員などに手渡し。地道にやるしかない。受け取っ
てくれる方もこの頃は分かるから気分が良い。


2004(平成16)年3月8日(月)
 公立高校卒業式。
 我が家の長男も無事卒業。しかし我が子は先月からオーストラリアに半年間の語学
留学に出発。担任の先生が卒業証書を届けてくれる。これで、高卒の学歴詐称にはな
らない。


2004(平成16)年3月9日(火)
 色紋付一対を仕立てる。
 我ながら色白なので何を着ても良く似合う。羽織は袷だが着物は一重。この頃、暖
房が効きすぎるので袷は作らない。新しい着物は嬉しいものだ。


2004(平成16)年3月10日(火)
 本日も議会へ。
 夜、知人の通夜。故人は74歳の男性。今の時代ではもったいない年だと思う。も
ったいなくない人もいるが。

2004・4・9 UP







『 歩き稽古もしました 』

2004・2・21〜29(下席(しもせき))
報じ手 吉窓


2004(平成16)年2月21日(土)
 所用があって女房と日本橋まで出かける。用を終えて天気もよかったので、ブラブ
ラと銀座まで歩いた。今さら女房と二人で歩いても面白くもなんともないが、まァ、
たまにはね。
 途中、金物専門店があったので鼻毛切りを買い、評判のケーキ屋でタルトケーキを
買って帰途につく。


2004(平成16)年2月22日(日)
 夜、里神楽の松本源之助師匠の叙勲祝賀パーティーが品川のホテルであった。
 この師匠には以前、林家正雀一座でお神楽を教わったりしているので、お祝いにか
けつける。源之助師匠が頂いたのは勲四等瑞宝章。たしか、今の円歌会長や亡くなっ
た小さん師匠は勲四等旭日小綬章をもらってるはずだ。
 どっちがいい方なのかな? ま、どっちにしてもあたしにゃあんまり縁はない。


2004(平成16)年2月23日(月)
 黒門亭の月一回の寄り合いがあり、落語協会事務所へ行く。
 黒門亭の会場は定員40名だが、つい十日前の夜の部にその定員以上の客がつめか
け、数名の客を断ったと報告があった。もったいないが仕方がない。
 昨年、秋の鈴本演芸場の火災のこともあり、消防署からのご指導もあるので、「当
日、番頭の係りについた者は、お客様が大勢つめかけた時はすみやかに判断して、定
員内でおさめるように注意して下さい」と話があった。
 入りすぎても困るけど、先月、お客様3名というときがあったそうだ。入らなくて
も、なお困る。


2004(平成16)年2月24日(火)
 図書館へ行って松本清張の『球形の荒野』を借りてくる。今、TVの連続ドラマで
その清張の『砂の器』をやってるそうだ。あたしは一回も見てないが、結構話題にな
ってるなしい。『砂の器』なら、うちの本棚にもある。もう一遍読み直してみようか
な。


2004(平成16)年2月25日(水)
 いつも独演会の案内の葉書きを出している新潟の知り合いから、「今回も行けない
けど頑張ってね」と激励の日本酒が届く。ありがたい。まだまだ夜は冷え込むので、
晩酌はビールより日本酒の方がすすむ。大事に飲ませていただきます。


2004(平成16)年2月26日(木)
 明日は池袋演芸場で独演会。ネタ下ろし(初演)の噺を三席やる。
 あらすじをブツブツ稽古するのは、歩きながらやると不思議と頭に入る。今日は天
気も良いし、散歩がてらフラッと家を出た。ブツブツやりながら歩いていたら、東武
東上線の大山駅まで来てしまった。
 喫茶店に入って一服しながらブツブツ。表へ出てフラフラしながらブツブツ、練馬
の小竹図書館へ寄って小用を足して、西武池袋線の江古田まで。ラーメン屋に入って
ラーメンすすりながら、また、ブツブツ。やっと帰宅する。考えてみりゃ、怪しいお
じさんだ。


2004(平成16)年2月27日(金)
 今日は独演会。演目は[猫と電車][樽の中][花見の仇討]と、雰囲気の違う三
席を並べてみた。
[猫と電車]は先代柳家権太楼作のナンセンス落語。[樽の中]は柳家小ゑん兄が作
った嫁姑がテーマのバリバリの新作物。[花見の仇討]は江戸時代の文政頃にできた
古典の名作。皆それなりに手ごたえがあった。機会があったらどんどん高座にかけて
いきます。どうぞお楽しみに。


2004(平成16)年2月28日(土)
 夜、四九八句会。今日の兼題は「風光る」と「桜餅」。
 ここ数日は昨晩の独演会のことにかまけて、句は一句も作ってない。家にいてもで
きそうもないので、早めに自宅を出て句会の会場、中野のオフィス樹の稽古場まで句
をひねりながら歩くことにする。なんだかここのところ外歩きばっかり。
 やっと一句「年増から届く楽屋の桜餅」


2004(平成16)年2月29日(日)
 この土日を挟んで中二の娘は三学期の期末試験中。明日は苦手の数学があるとかで、
しかめっ面をしながら参考書やら教科書やらノートを交互にひっくり返している。
その娘が「チョコ食べると頭が働くんだってさ」とバレンタインチョコの残りをムシ
ャムシャ食べてる。
「それ、父さんがもらった物じゃないかな」「違うよ、あたしがもらったんだよ」「
えっ?? 女のお前が??」
 聞けば今時は女性が男性に渡すばかりでなく、女の子同士でもバレンタインデーに
チョコレートのやりとりをする『義理チョコ』ならぬ『友チョコ』というのが流行っ
ているそうだ。こういう風習もどんどん進化するのかね。でも、何か変!!
2004・4・9 UP







『 鈴 本 と 和 解 へ 』

2004・2・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成15)2月11日(水)建国記念日、曇り
 # 明日、紀伊国屋寄席で演る[父帰る]の稽古。


2004(平成15)2月12日(木)曇り
 # 理事会。9月中席の池袋演芸場企画の件(池袋演芸場で立教大学・豊島区の主
  催する「乱歩イベント」を応援する興行)と、鈴本演芸場の圓窓の名の提灯の件
  を発言。あたしが「鈴本演芸場の玄関に落語協会理事連の名入りの提灯が飾って
  あるが、出演してない圓窓のものまで出ているので、外すべきだろう」と発言。
  と、いくつかの反応があった。
  「鈴本演芸場は最高の寄席なんだから、提灯だけでも外さなくてもいいのではな
  いか」「いくら理事連名の提灯だって、外してほしいという当人の意見は尊重す
  べきだ」「和解しなよ。鈴本もそう思っているだろうから」
   多種の意見をありがたく聞いて、和解に応じる返事をした。
 # 一端帰宅。
 # 紀伊国屋落語会[父帰る]。疲れた、そして、長すぎたか。自宅での[父帰る]
  の稽古を聞いていた女房にも言われたが、やはり、20年振りに戻ってきた父親
  に対する長男の怒り方が強すぎたようだ。演っていて、怒りがおさまらないのは
  確かで、疲れたのはそれが原因でもある。やわらげて、そして、縮めて練り上げ
  たい。
   池袋第二小学校の校長先生ら4人が来てくれた。先月、四年生の教室で落語教
  室をやったので、そんな縁で。ありがたい。
   群馬からKさんも駆け付けてくれて、「息子の婚礼に祝電を」という依頼を受
  ける。お易いご用だ。


2004(平成15)2月13日(金)曇り
 # 日芸連の寄り合い。11時、初台。
 # 改めて、[父帰る]の稽古のし直し。噺の中の長男が怒りっぱなしなので、聞
  いたお客も疲れたことであろう、と反省。解決策として、[火事息子]の親父が
  倅に会ったとき、「家にも倅がおりました」と赤の他人に話す設定をヒントに作
  り直そう。長男が父親に対して「親父のお友達で」と言ってから話し掛ける演出。
  長男の父親への怒りをいくらか抑えることができるので、客への圧迫感もなくな
  るはず。これを[父帰る]に応用しようと、高座本を推敲す。


2004(平成15)2月14日(土)曇り
 # 第47回「日本舞踊協会公演」。国立大劇場へ。友人の林千枝さんの「尾上雲
  賎機帯」の三太郎役を観賞す。曲は[お若伊之助]に登場する一中節の一つ。だ
  から曲もしみじみと観賞。千枝さんはピリッとしていて男役もいい。
   ロビーで豊島区長の一行とばったり。
  観賞後、千枝さんの楽屋を尋ねて、チケット代を払ったら、「今日はバレンタイ
  ンデーなのに、チョコレートじゃないんですけども……」と、可愛い袋を貰った。
  「じゃぁ、飴とかビスケットとだろう」と、胸をわくわくさせて、帰りの地下鉄
  の中で、食べようと、袋から取り出した。小さな三種類の小さくて可愛い物。「
  月光」「青いりんご」「ペパーミント」と記されている。そのうちの一つの包み
  紙をあけると、いい香り。口にすると、あれ? 異な味だ。紙を再読すると、「
  あなたのお風呂の友」だって。あらら。
 # バレンタインデー。こんなあたしでも、いくつかのチョコレートは貰った。郵
  送チョコもある。しかし、どうしても好きなチョコ、食べてしまうので、ちょい
  と体重が増えるのが厄介だが、貰う嬉しさには変えられない。


2004(平成15)2月15日(日)曇り
 # 創作文学噺として[押絵と旅する男]の高座本作りにかかる。9月中席、池袋
  演芸場の企画(乱歩)で演る予定。豊島区も捨てたもんじゃない。乱歩がいて、
  寛がいる。


2004(平成15)2月16日(月)曇り
 # 創作噺の「押絵と旅する男」は長くなりそうだ。最初はどうしても、捨てたく
  ない気分があって、自分の子供のように思えるから無駄も捨てきれずにそうなる。
 # 馬桜さんから、メールで「乱歩の創作に苦しんでいます」と。あたしの経験則
  を返信。
  「まず、創作の秘訣は笑わすことを優先させてはいけないということ。感動とか
  魅力などから一つを核にして肉付けしていくうちに、その登場人物の人間性から
  笑いは滲み出てくる。つまり無理矢理に笑わそうという個所を作ろうとしないこ
  と。それに、企画期間中だけの創作物にしてはならないこと。自分の演りたい落
  語とはなんだろうかが、わかっている馬桜さんですから、できると思う」


2004(平成15)2月17日(火)曇り
 # 一月に君津市の小学校の先生方への講演に行ったとき、小学校四年生の落語の
  授業を行っている先生から、子供たちの話を聞かされたが、そんな関係で、その
  生徒さん二人からファンレターを貰っていた。可愛らしいしっかりした文字で、
 「落語の勉強をしました」と。遅くなったが、高座本[寿限無]を添えて返信。
   そういう子たちが大きくなっても落語から離れないでいてくれたら、嬉しい。


2004(平成15)2月18日(水)晴れ
 # コミカレで[父帰る][何処へ行く]。最新版の[父帰る]をやる。あとは、
  菊池寛のエッセイにあった逸話をまとめて[何処へ行く]。
   受講生に[押絵と旅する男]の高座本を贈呈。


2004(平成15)2月19日(木)
 # 落語協会事務局よりファックスで「鈴本との話し合い、25日はどうか」と。
  「OK」と返信。
 # コミカレ受講生のIさんよりファックスで高座本[押絵と旅する男]の校正が
  くる。やはり、誤字脱字があったのだ。助かる。


2004(平成15)2月20日(金)
 # 高座舞いの浅茅の師匠へ6月上席の末広亭企画公演用の[夢の枕屋]の高座本
  を送る。
2004・4・8 UP







『 菊池寛「父帰る」を落語に 』

2004・2・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓


2004(平成15)2月1日(日)晴
 # 明日、日大の期末試験の採点の提出日なので、一日がかりで、やる。いやはや、
  疲れること。
   学期末のテストを受けない者が意外と多いのが気になった。もうすでに単位は
  満たされそうだから、「圓窓のテストはいい」ということなのか。中には必死で
  受けた者もいるはずだ。


2004(平成15)2月2日(月)雨
 # 採点し終えた書類を日大江古田へ届ける。自転車でと思ったが、雨なので徒歩。
 # 新更へ落語名台詞「寿限無」入りの扇子の追加注文。
 # 紀伊国屋落語会のチケットと買ってくださったY先生へ、演目の[父帰る]の
  高座本を送ってあったので、その礼のファックスがきた。「[父帰る]、泣きま
  した。見事な換骨奪胎」と。嬉しい。


2004(平成15)2月3日(火)曇り
 # 毎年参加していた圓融寺の豆撒きの参加を去年やめたので、気は楽。この時期、
  風邪との闘いになったいたし。
 # 月刊誌「望星」からの依頼原稿を書き上げる。


2004(平成15)2月4日(水)曇り
 # トリノ・リンクスのAさんと打ち合わせ。この時期に800人収容の落語会を
  企画したという。「そりゃ、無謀だ」と意見を言ったが、熱意に拍手をするつも
  りで「協力は惜しまない」とも言った。
 # 豊島区の振興コミのGさんと会って、以前から頼んでおいた豊島の昔話の本を
  受け取る。読んで、豊島噺を作らなければならないぞ、こりゃ。
 # 月刊誌「望星」からの書き直してくださいとの返事。依頼書の希望テーマの一
  つに「食物、食事からみた時代に思うこと、次代に伝えなくてはいけないと思う
  ことーー義憤・痛憤を感じること」とあったので、「食事のときに言う『いただ
  きまぁす』を子供たちにどう教えるか」ということを書いたのだが、「物を食べ
  たその味を示して欲しい」とのこと。で、書き直す。


2004(平成15)2月5日(木)
 # 俳句雑誌「俳句界」を発行している「文学の森社」へ打ち合わせに行く。
  西鶴の俳諧に倣って、「俳句大矢数」を開くとか。つまり、質は問わずに作る数
  を競う句会を開こうという企画。あたしがそれに出演することになる。


2004(平成15)2月6日(金)曇り
 # 用足しの帰り、大塚へ出たので、「曲がりや」へ。そこは「らく天寄席」の会
  場になる飲み屋。世話人の一人、三浦さんがいて、雑談。元ボクシング選手だっ
  たとは知らなかった。


2004(平成15)2月7日(土)
 # 頼まれた紀伊国屋落語会のチケットを受け取りに紀伊国屋へ。なんとか満員に
  したいが……。
 # あと、仲御徒町の多慶屋へ用紙を買いに。
 # 帰宅して[父帰る]の練り直し。次男の新次が長男に食らいつく場面を付け加
  えたのだが……。


2004(平成15)2月8日(日)曇り
 # 浦和市民寄席へ出演のために浦和駅に降りたが、駅前の模様替えしたような感
  じで、すごい、すごい。いずれ、駅の舎屋もするとか。
  高座は[萩褒め][父帰る]。[父帰る]は初演になる。これから、12日まで
  に練り直しを図らねば。
   聞きにきてくれたのが文落連(文京高校の後輩)が5人、そして、要町小学校
  の同期が1人。この寄席の2階の「アメリカンバー」は貸切なので、ワシントン
  ホテルの2階の日本海へ。
   同行してきたHさんのかみさんは生け花の小原流の師匠。会話の中で「ヤマド
  リ」と何度か言っているので、「山鳥」かと思って確かめたら、「山採り」だっ
  た。
 # 文学連のMとGと池袋駅まで一緒。駅構内に旨そうなクッキーの香り。Kが「
  香りのもとはこの店だ」とばかりに買ってくれたのが、大学芋のような菓子。
  「冷凍してありますから、30分常温にしてから召し上がってください」という
  女店員の言。帰宅して食べたが、あの香りがない。嘘ばっかり。冷凍になってい
  たせいか、つべたいよ、いやに。


2004(平成15)2月9日(月)曇り
 # 留守電に入っていたのが、旧友のIさんの声。「世田谷区の環境問題云々研修
  関係で講演を」と。


2004(平成15)2月10日(火)曇り
 # 菊池寛の「父帰る」の文中に「箸箱に恋い歌を添えて」というのがあるので、
  その解釈をD先生に問う。「揶揄」との答え。
   しかし、あたしは「単なる揶揄ではなさそう。箸に意味がこめられている気が
  してならない」と考え込む。
   サイトで問合せした「箸久」からの答えは「各人の専用に使う箸には使用者の
  魂がこもっていると言われている」と。
  Kさんよりメールで「花魁と客の固めに箸が使われる」と書き込みがあった。
   どうやら、揶揄だけではなさそうだ。
2004・4・8 UP







『 プロ野球・高座舞い・草野球 開始 』

2004・2・1〜10(二月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝
2004(平成16)年2月1日(日)
 プロ野球、キャンプイン。期待してます、落合監督。
 東京中日スポーツの購読開始。タオルをもらった。


2004(平成16)年2月2日(月)
 高座舞いの初稽古。お師匠、本年もよろしくご指導願います。


2004(平成16)年2月3日(火)
 買い物。野球のソックスと雑誌「散歩の達人」。いつも読むだけ。


2004(平成16)年2月4日(水)
 後輩から録音にテープを使っていることをからかわれた。見得張って、「数年前か
らMDだ」と言う。
 昔、買ったウォークマンはまだ動く。壊れたらMDにするつもり。


2004(平成16)年2月5日(木)
 映画「ジョゼと虎と魚たち」を観た。池脇千鶴は最高。


2004(平成16)年2月6日(金)
 市馬師匠に[高砂や]を教えていただいた。
 焼酎までいただきまして、師匠、ありがとうございました。


2004(平成16)年2月7日(土)
 明治座で「ねずみ小僧危機一髪」を観劇。


2004(平成16)年2月8日(日)
 町田でのらん丈師匠の会に呼んでいただいた。大勢のお客様の前で[お見立て]を
勉強。師匠、ありがとうございました。


2004(平成16)年2月9日(月)
 我が草野球チーム「R」、本年度の活動開始。気温7℃の三鷹のグランドで2時間
も体を動かす。いや、動かず。


2004(平成16)年2月10日(火)
 吉野家の牛丼の喰い納め。BSE騒動の早期解決を切に願う。
2004・3・14UP







『 ゴルフプロの教え 』

2004・1・21〜31(三之席(さんのせき))
報じ手 萬 窓
2004(平成16)年1月21日(水)
 三太楼さんから稽古を頼まれる。ネタは[転宅]。
 この噺はサゲの「(女の商売が義太夫の師匠なので)うまく語りやがった」という
のだが、お客にわかりにくい。他にサゲがないかと話し合う。


2004(平成16)年1月22日(木)
 カミサンの友人が月島でペットショップをやっている。子供を連れて行き、犬と遊
ばせる。
 その後、一緒に外食。犬を預かることもしていて、年末年始は休みがなかったとの
こと。


2004(平成16)年1月23日(金)
 夜、池袋演芸場で「落語℃」。一昨年に落語協会と芸術協会の若手で結成した落語
会で年に6回ほど開催している。
 本日の出演は[厩火事]萬窓、[さいとう!]彦いち、[三十石]円馬、[井戸の
茶碗]一琴。


2004(平成16)年1月24日(土)
 日頃お世話になっている歯科の先生のお父様が亡くなった。この先生は昨夜の「落
語℃」のスポンサ−でもある。
通夜に列席するため中野へ。葬儀式場は早稲田通り沿いで、なんと師匠が落語会をや
っている保善寺のとなりだった。


2004(平成16)年1月25日(日)
 2時から「かみいた落語塾」。今年から6名加入。
 みなさん落語好きで、いろんな噺を覚えたいとのこと。講師として張り合いがある。


2004(平成16)年1月26日(月)
 俗曲の柳家紫文さんの紹介で「スポニチゴルファ−ズクラブ」のコンペの司会。
 コ−スは竜ヶ崎CC。私はゲ−ムには参加せず、田原紘プロと一緒に廻った。
 スコア−は度外視で、いろいろコ−チをしていただいた。「上達する人は、プレイ
終了後すぐに練習場にとんでいきます」とのこと。あたしには無理。


2004(平成16)年1月27日(火)
 1歳9ヶ月になる長男の優樹が、風邪をひいたようだ。暮に予防接種をしておいた
ので、流行のインフルエンザではないとの診断。まず、ひと安心。


2004(平成16)年1月28日(水)
 一昨日に田原プロから受けたアドバイスを忘れないうちにと、ゴルフ練習場へ。
 コ−スと違い、無駄な力が入らずコンパクトなスイングができる。本番でできれば
なぁ……。


2004(平成16)年1月29日(木)
 来月18日に[夢金]をネタおろしするが、この噺には屋根船を漕ぐシ−ンがある。
参考に深川江戸資料館へ。ここには猪牙船が展示してある。実際には漕げないが、
艪のしくみを見る。


2004(平成16)年1月30日(金)
 小唄の稽古日。お弟子さんの中に鹿児島出身の方がいて、芋焼酎をいただく。
 早速、飲んでみると、くせがなく美味しい。私だけかもしれないが、なぜか焼酎は
二日酔いがない。


2004(平成16)年1月31日(土)
 子供を連れ、池袋のサンシャイン水族館へ。最初は大きな魚に驚いていたが、カニ
が気に入ったようで、水槽の前から離れなかった。
2004・3・14 UP







『 シルバー大学で講義を 』

2004・1・11〜20(二之席(にのせき))
 報じ手 窓 里
2004(平成16)年1月11日(日)
 自分の住む自治会の新年会へ。今年すでに4つ目。2月中頃までに17回。くれ
ぐれも飲みすぎには気をつけないと。


2004(平成16)年1月12日(月)
 成人式。全国で152万人が新成人に。
「自衛隊員として国民の生命と財産を守りたい」とコメントした新成人には感動し
たが、今年も荒れ狂う新成人がいる。成人式のあり方を根本的に考えないと。


2004(平成16)年1月13日(火)
 議員運営委員会。来年度の議会費について協議。
 どこも厳しい財政状況。不景気だと納税額が減る。当然、歳入にひびく。民間な
らリストラもあるが、公務員にはない。決まっただけの給料が支払われる。


2004(平成16)年1月14日(水)
 志木市の「シルバー大学」の講師を。
 高齢者が100名ほど参加。大概、女性がかなり多いものだが、ここは男性の参
加者が目立つ。男は地域の交流がなく籠もってしまうものだ。


2004(平成16)年1月15日(木)
 今日は焼肉屋で新年会。
 狂牛病騒動で暇とのこと。米が不作で牛乳と鶏卵が信用できず、鶏肉と牛肉は危
ない、となると何を食べるのかと思うが、まだまだ日本は飽食。


2004(平成16)年1月16日(金)
 仕事の打ち合わせ。来月の電力協会の講演があるので。
 演題は電気とは全く関係ない「笑いと人生」。専門の話なら落語家に依頼する必
要はないもの。


2004(平成16)年1月17日(土)
 議会報告書の郵送のため自宅で事務仕事。
 議員は年賀状を出すことは公職選挙法で禁止されているので、毎年、議会報告書
を2〜3回作成している。
 郵送が2500部、手配りが1500部。その費用は約20万円。地道に活動す
ることが大事。


2004(平成16)年1月18日(日)
 隣接する自治会の新年会へ。
 地域の発展への取り組みを誓う。環状線の建設、下水道の整備、公園の設置など、
課題は多い。


2004(平成16)年1月19日(月)
 建設委員会の行政視察で香川県坂出市へ。
 駅前周辺整備について、この10年間で150億円かけて整備。市長の決断に感
服。


2004(平成16)年1月20日(火)
 大阪市吹田市へJRで移動。
河川の調節地について公園の地下にプールを作り、川への流入を制限して洪水を防
ぐ仕組み。それにしても寒い。夕方、名古屋まで移動。
 明日、岡崎市を視察して帰宅の予定。
 自分では大変に実のある視察となったが、同行した中には昼間は何の質問もでき
ずに借りてきた猫。夜は酒を飲んで大虎になった者がいたのも事実。
 支持者は知らないだろうな。
2004・3・14 UP







『 ほとんど海上生活でした 』

2004・1・1〜10(初席(はつせき))
報じ手 吉窓
2004(平成16)年1月1日(木)
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくどうぞ。
実は、今年の元旦は太平洋上のサイパン島で迎えている。去年の暮れから仕事で客船『に
っぽん丸』ニューイヤーグアム・サイパンクルーズにエンターティナー(?)の一員とし
て乗り込んでいるのだ。12月25日に舟に乗ったから、今日で8日目。船の揺れにもだ
いぶなれたけど、まだ酔い止めの薬は手離せない。
 当初、『にっぽん丸』への乗船は12月27日に横浜からという話だった。
ところが、乗船予定日の半月ほど前になって、仲介してくれた事務所から電話があり、「
吉窓さん。急なんだけど、25日から船に乗れないかな」との事。
 聞けば、船の日程はまず25日に神戸で関西方面のお客様を乗せ横浜へ行き、27日に
そこでで関東方面からの乗客を乗せてグァム・サイパンを目指すということだった。
 ところが、その神戸を出た晩のイベントが足りないので、誰か都合がつかないかという
先方から打診がきたのだそうだ。ついては、船は26日午前中に神戸港を出発することに
するので、その船に乗船は? ということ。しかし、当日、朝の新幹線では時間的に厳し
い。結局、前日の夕刻に乗り込むということで、この件を承諾した。
 おかげで、25日の年内最後の四九八句会は欠席となってしまった。どうも失礼しまし
た。


 船は順調に太平洋を南下し、グァム島へ12月30日午後7時入港。翌、大晦日夕刻に
出航して、サイパン島へ到着は元旦の8時とあいなった。
 今日は早朝、サイパンに入港して夕方まで自由時間。せっかくだから島のビーチで半日、
日光浴して過ごす。サイパンは昨日寄ったグァムよりひなびた感じがあって、あたしは気
に入った。また、ゆっくり来てみたい。ああ、しかし、金と暇がほしい。
 うつらうつらしていたら現地人の、ばかに日本語の達者なおじさんが近づいてきて「こ
の辺は水、汚いよ。泳ぐのに向かない。どう、向こうに見える小さな島までボート出す。
安くしとくからどうだい?」と声をかけてくる。
「日本の海に比べりゃ充分きれいな水だけどなァ。ごめん、あんまりゆっくりできないん
だ。NO THANK YOU」と断る。
 船に戻って夕食におせち料理とお屠蘇、お雑煮が出る。ボリュームもあって豪華。しば
し正月気分にひたる。


2004(平成16)年1月2日(金)
 昨晩、サイパンを出港して船は一路、日本へ向かう。
 今日は昼、船のメインホールで賀詞交換会があり、船長挨拶、鏡開き、マジックショー
に続き、落語の出番がある。[一目上がり]をやって、「せつほんかいな」を踊る。お客
様の反応はすこぶる良い。


2004(平成16)年1月3日(土)
 今朝はなんだか早く目が覚めた。せっかくだから日の出を見ようと、デッキへ出てみる。
丁度、小笠原諸島の何島だかわからない島があって、その向こうからお天道様が上がって
くる。すがすがしい気分で、ついでに朝のラジオ体操まで参加してしまった。船の仕事は
健康的だ。
 夜、45分間の高座が2回ある。これはお客様の人数を2つに分けてディナーをサービ
スするため。その都度、食事時間にかかわらないお客を対象に落語を聞いてもらうので2
回公演になるわけ。客船のクルーズの仕事では珍しくないそうだ。客はそっくり入れ替わ
るから2回とも同じ演目でもかまわないというので、どちらも[五目講釈]と[身投げ屋]
をやる。


2004(平成16)年1月4日(日)
 今日の夕刻には横浜港に着く。これで入りおさめと、午前中、船の大浴場にいく。伊豆
七島の三宅島、神津島が窓越しに見える。
今回、この客船クルーズの仕事は初めてだったので要領がわからなかったり船酔いもあり
でくたびれたが、そんな疲れも大海原を見ながら湯につかっているとほぐれていくようだ。
 15:30に横浜港着岸。お客様から先に下船が始まって、17:00頃、船を降りる。
税関を通過して、晴れて自由(?)の身になる。重いトランクを引きずって我が家へ。
久しぶりの家の煎餅布団が、妙に心地よい。


2004(平成16)年1月5日(月)
 起床してもまだ体に船の揺れが残っているようだ。年賀状とたまった新聞に目を通す。
毎年TVにかじりつくようにして見ている正月の箱根駅伝も、今年は見られなかった。
 これだけは残念! 結果だけ確認する。


2004(平成16)年1月6日(火)
 床屋へ行ってさっぱりしてきた。
 実は明日からもう一件、客船の仕事のオファーが来ていて、今度は『飛鳥(あすか)』
に乗り込む事になっている。一度、空にしたスーツケースにあれやこれやと又つめこむ。
 今回は7日から20日までの乗船予定で、下船地はニュージーランドのオークランド。
そこからあたしは飛行機で日本へ帰国するが、『飛鳥』はそのまま客を乗せて、南極から
南米、北米、太平洋を横断して、日本帰港はなんと4月7日。乗客の皆様には実に優雅で
ゴージャスな船旅です。


2004(平成16)年1月7日(水)
今日は『飛鳥』乗船のため、横浜の大桟橋へ。女房と娘も客船の出船風景なんて見たこと
ないからと同行する。
出航時間に合わせて横浜市長の挨拶、鏡割りなどあって、午後2時出航。船の別れはなん
となく哀愁が漂う。前の『にっぽん丸』から中二日で、また、しばし洋上生活に逆戻り。
 今回は船酔い対策も万全。いざ、大洋へ!


2004(平成16)年1月8日(木)
 早起きして朝の気功教室へ。気功はラジオ体操とか太極拳とも違う不思議な運動だ。4
5分間、体をほぐす。
 今日は高座はないが、船にはその日のドレスコードというのがあって、夕刻以降、指定
された服装で過ごさなければならない。今日はフォーマルの日。あたしは黒紋付に袴をつ
ける。さすがに夕食のときにこの正装で食事しているのは噺家のあたしぐらい。いささか
誇らしくなる。


2004(平成16)年1月9日(金)
 今日は乗船して初高座の日。メインホールの客席はほぼ満員。[短命]と[動物園]を
演り、「梅にも春」を踊る。終演後、デッキなどで客から「面白かったよ」などと声をか
けられる。ありがたいことだ。
 喉が渇いていたので、売店で缶ビールを買う。日本を離れると免税のせいでビールが安
く買える。これもありがたい。


2004(平成16)年1月10日(土)
 時差で今朝から時計を1時間進める。飛行機だと短時間で時差が生じるので体がきつい
というが、船はまだ楽だ。
 高座がない日は一日自由時間になるので、気功をやったり、ダンス教室をのぞいてジル
バのステップを練習したり、デッキをウォーキングしたりしてぶらぶら過ごす。
 えっ! 落語の稽古はしないのかって!? いや、それは、その、あの……、落語の稽古
始めると、船に酔うんですよ、はい。


 この後『飛鳥』は1月12日朝、ミクロネシア連邦のトラック諸島にあるチューク島に
寄り、夕方には出発。17日朝ニューカレドニアのヌーメアに寄港、夕方まで停泊。そし
て20日朝、ニュージーランド最大の都市オークランドへ着岸。
 あたしはここで下船して、翌朝の飛行機で成田空港へというスケジュール。
 興味のある方はどうぞ地図を拡げてコースをたどってみてください。
 なお、ニュージーランドと日本の時差は4時間です。
2004・3・14 UP