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[落語の中の古文楽習教本]その5 |
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[ お 花 半 七・上 ](おはなはんしち・じょう) の 巻 |
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文 流山大蛇![]() |
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池袋のコミカレ(2000・5・17)で左橋師の〔お花半七・上〕が出たので、打ち上げの 席で円窓師匠と「木曽殿談議」をしました。 師匠から、それを古文楽習の教材にするようにとのお話が出ましたので、書きます。 この話のタイトルですが、まことにぞろっぺで、高座で演者が「お馴染みの[お花 半七の上]でございます」と言っても、楽屋では前座が帳面に[宮戸川]と記すこと があるようで、定説がないも同然という扱いのタイトルである。 この噺は上・下になっていて、下まで演ると宮戸川(隅田川)が舞台になるので、 やっとタイトル命名の由来がわかるが、ほとんど下を演ることない今日、〔お花半七 ・上〕〔お花半七・下〕に統一したほうが親切ではなかろうかと思う。 なにはともあれ、まず、或る速記本の一部を引用する。(一部省略) |
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締め出しを食ってしまったお花と半七が霊岸島の伯父の家の二階で、という[お花 半七・上]のシチュエーションやフレーズがそっくりだが、実はこれ、三遊亭円朝の [敵討札所の霊験]の一節である。 同じ敵をさがし求めている男女が偶然道連れになり、何日か経ってのある夜の場面 である。 この[札所の霊験]を高座にかける噺家は円生、円窓、雲助ら何人かいるが、後半 まで演った演者を聞かない。 〔大・ただ 落語事典〕も取り上げているが、アラスジは途中までである。 ところで、[札所の霊験]にしても[お花半七・上]にしても何故こんなところに 木曽殿がひきあいに出されるのであろうか,と聞くたびに疑問に思った。円朝まで堂 々と引用しているので悩んでしまう。 噺家さん自身も演りながら、聞きながら変だと思ったあらわれか、[お花半七・上 ]のこの部分(俳句引用)の扱いは三つのタイプに別れる。 1,納得いかないからカット。 2,口伝え通り俳句引用。 3,「木曽殿と」だけカットして、あとの「七・五」だけ使用。(志ん生の速記が そうなっている) 問題の俳句を〔芭蕉全集〕などにあたって調べてみると、次のことが分かる。 各務支考(かがみ・しこう)編著の「葛の松原」(元禄五年刊)に「木曽塚に旅寝 せし比(ころ)」の前書きをつけて、 「木曽殿と 背(せなか)あはする 夜寒哉 いせ又玄(ゆうげん)」 とある。 原作の句と、落語への引用の句の字句が微妙に違っている。 「セナカあわせの」でなく「セナカあわする」、「寒さかな」でなく「夜寒かな」で ある。 さて、資料と想像でこの句を考えると次のようになろうか。 伊勢の又玄が元禄四年、琵琶湖畔にある〔義仲寺〕を訪れた。 境内の草庵に住む師・芭蕉に会うためであった。 床について、この地で非業の最期をとげた木曽義仲の墓が旅寝の枕元のすぐそばに あることに思いをはせると、背筋がぞくぞくっとして寒さがよけい身にしみるのであ る。 というように理解すると、男女が背中を向け合って寝る描写にこの俳句引用はふさ わしくないように思われる。 こういう理解でよいのかどうか、困った時のホームページ検索。 〔義仲寺〕でサーチ。いくつか出たうち、ずばり〔義仲寺〕の解説では芭蕉と義仲の 墓が並んでいるのを弟子の又玄が詠んだと書いてある。 しかし、芭蕉存命中の作であることとの矛盾をどう説明するのだろう。 また、又玄の句碑の写真入りの〔近江歴史散歩〕のページでも曖昧な説明で納得さ せてくれない。 |
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2000・6・22 UP |
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[ お 花 半 七・上 ](おはなはんしち・じょう) の 巻 |
参加者 流山大蛇 と 古文長屋一同![]() |
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お花半七と漱石の関係 大蛇「あの折の左橋師は1のタイプでしたね」 圓窓「納得がいかないから削除したか、言い忘れたか」(笑) 大蛇「左橋師も句のことは、詳しくは知らなかったようですね」 圓窓「ほんとに知らないのか、知ってても相手の顔を立てて知らない振りをしてたの か」(笑) 大蛇「太鼓持ちですね、まるで」(笑) 圓窓「改めて、教本を読むと、なるほど、どうやってもあの句は変ですよね。 木曽殿と背中合わせの寒さかな 何度、聞いても、読んでも、可変しい」 大蛇「百歩も二百歩も譲って、芭蕉と義仲の墓を見たとしても、背中合わせに建って いるわけじゃないんですよ、横に並んでいるんですよ」 圓窓「句の〔背中あわせ〕って、なんだろうか、となりますね」 大蛇「単純に、意味まで考えず、言葉が同じだから、使ってもいいだろうという発想 でしょうね、きっと」 仮名「あのォ……、大蛇先生の楽習事項から外れてしまいそうですが、せっかくの機 会なので、かねてよりの疑問を大蛇先生にぶつけてよろしいでしょうか」 大蛇「いいですよ。体ごとぶつけてみてください」 仮名「あたくし、プロレスじゃないもんで、それはできませんが」(笑) 大蛇「無理にしなくても結構です。じゃ、疑問だけを、どうぞ」 仮名「私が高校生の頃」 圓窓「じゃ、二、三年前でしょう?」 仮名「大昔ですッ」(笑) 圓窓「すいません……………」 仮名「読んだ小説に、こういう設定があったような気がします。 そこでは、男の人だったか女の人だったかがシーツで境目を作って『ここから は越えません』みたいになって、ところが〔お花半七・上〕と違って、朝まで何事 もないんです。 翌朝、女の人に『いくじがないねえ』みたいなことをサラリと言われて、男の 人がひるんだように思います。 〔お花半七・上〕を初めて聞いた時、”ああ、あの話と似てるなあ”と思いまし た。 以来、誰の何という小説だったか考えているのですが、とんと思い出せません。 高校時代に読んだ(読まされた?)のは、所謂「名作」「文豪」のものなので、 夏目漱石とかそのくらいの人たちの短編じゃないかと思うのですが。 そんな大量の小説をひっくり返す根性もなく、今日まできてしまいました。 誰のどの作品にある話か、ご存知のでしたら、教えていただけませんでしょうか。 ついでに言うと、この作家が誰かの高座を聞いたのか、はたまた、この噺の原 典を知っていたのか。う~ん、この短編について知ることは、落語の研究史に大 きな足跡を残すことになる……、かな。ならないだろうな、やっぱり……」 大蛇「それって、夏目漱石の〔三四郎〕でしょう。水川隆夫の「漱石と落語」にも詳 しく出てます。 なお、その筆者によると〔お花半七・上〕の影響というより、[真景累ケ淵] の豊志賀と新吉の場面が原型と考えた方がでよいのではということです」 仮名「ああ……、夏目漱石でしたか……」 ![]() 〔三四郎〕の再検討 大蛇「ことのついでに、聞かせましょう。 導入部分を細かく言いますと、三四郎が汽車に乗って上京するのですが、その 汽車は名古屋留まり。乗り合せた女と、そこで下車するんですが、女のほうから 『一人では気味が悪いから、迷惑でも宿屋へ案内してくれ』と言い出すんですよ。 二人には相応な汚い宿屋を三四郎が選んで入る。 このあとが面白い。一人ずつの部屋へのつもりで、上り口で『二人連れではな いと断わる筈のところを、いらっしゃい、――どうぞ御上り――御案内――梅の 四番などとのべつに喋舌(しゃべ)られたので、巳むを得ず無言のまま二人共梅 の四番へ通されてしまった』って文章です。 このあと、三四郎が風呂に入っていると、女が『ちいと流しましょうか』と声 をかけるんですよ。三四郎はそれを断わるんですが、女は別に恥ずかしい様子も 見せず、帯を解き出す。三四郎があわてて湯槽から飛び出す。 こんなとこは、半七を追っ駆けるお花に似てますね。 部屋へ戻って一人でいると、下女が宿帳を持ってきた。三四郎は住所と名前、 小川三四郎と正直に書いて、はたと困った。『女の住所氏名はどうしよう』。仕 方なく、『同県同村、同姓花』と書いて下女に渡すとこは、その困りようが目に 浮かびますね」 圓窓「『花』という名前にしたのは、[お花半七]と……、偶然ですかね」 大蛇「う~ん、どうですか……。 また、下女が来て、床を一つ延べる。三四郎は『二つ敷いてくれ』と頼むが、 面倒なのか、ああだこうだ言いながら、一つの床に蚊帳を吊って、出て行く。 やがて、女が湯から戻ってきて、『お先へ』と言って蚊帳の中に入って横になる。 三四郎は一人で扇子を使っていたが、蚊がぶんぶん来るので凌ぎ切れず、肌着な ぞをしっかりと身に付けて、蚊帳の中に入る。 『失礼ですが、私は疳性で他人の蒲団に寝るのが嫌だから・・・・少し蚤よ けの工夫をやるから御免なさい』 三四郎はこんな事を云って、あらかじめ、敷いてある敷布(シーツ)の余 っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる捲き出した。そうして蒲団の 真中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向うへ寝返りを打った。三四郎は 西洋手拭(タウエル)を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、 その上に細長く寝た。 と、ここまでですが」 圓窓「駄目ですよ、[真田小僧]みたいなことを言っちゃァ。(笑)そのあと、どう なりました」 大蛇「この先、聞きたかったら1000円ください」(笑) 圓窓「じゃ、話を聞いてからあげますよ」(笑) 大蛇「師匠、寄席へ行ったことある?」(笑) 圓窓「とことんやるつもりですか!」(笑) 大蛇「お金、出そうもないから、やめましょう」 圓窓「しかし、その女、ものに動じない、というのかな。すごいですね」 大蛇「既にもう女のほうが完全に積極的ですね。床の上で、どうしたのかってぇと、 その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外へは一寸も出なかっ た。女とは一言も口を利かなかった。女も壁を向いたまま凝として動かなか った。 清いままですよ、二人は。驚異的ですね」(笑) 圓窓「で、雷は?」 大蛇「鳴らない」 圓窓「鳴らないままに夜が明けるんですか? そりゃ、ないよ」(笑) 大蛇「 夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向った時、女はにこりと笑って、「 昨夜は蚤は出ませんでしたか」と聞いた。 三四郎は「ええ、有難う、御蔭さまで」と云う様な事を真面目に答えなが ら、下を向いて、御猪口の葡萄豆をしきりに突っつき出した」 圓窓「豆を突っついている場合じゃないよ、じれってぇな。女のほうが『蚤は?』な んて、余裕があるね」(笑) 大蛇「勘定をして宿を出て、駅で別れるとき、女が礼を言うと三四郎は只一言『左様 なら』と。 女はその顔を凝っと眺めていた、が、やがて落ち着いた調子で、 「あなたは余っぽど度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。三四 郎はプラットホームの上へ弾き出された様な心持がした。 と、こんなところまでで」 ![]() 〔三四郎〕の中に[お花半七]がいた 圓窓「この女ですが、いくつぐらいですかね。『色は三輪田の御光さんと同じ色である 』と書いてありますが、歳はいくつとは書いてないんですよ」 大蛇「20シッパチ、30デコボコってとこでしょう、多分」 圓窓「[湯屋番]の主ある女ですね」 大蛇「そんなとこでしょう」 圓窓「で、二人はこの先、どっかで再会するんですか」 大蛇「謎の女は、謎のままが、謎の女たるゆえんでしょう」 仮名「そういうことですか……」 圓窓「しかし、三四郎のように面と向かってじゃなくて、背中に『意気地なし……』 という女の反応を知るだけでも、男としてまことにつらい……」 仮名「おや…? 師匠。真に迫ってますね。なにか覚えがあるんですか?」(笑) 圓窓「そう言われると、答えるのがつらい……」(笑) 仮名「また、つらいんですか?」 圓窓「いや、そんな噺を創りたいと、常日頃、思っているんですが、なかなか、相手 がいませんで……、つらいですな……」(笑) 仮名「でも、あたくし、大蛇先生に質問してよかった……。長らくの疑問が晴れてス ッキリしました」 圓窓「だから、あたしが高座で言ってるでしょう。『何故かは学問の始まり』『質問は 学問を増進させる』。これですよ」 仮名「そうでしたね、師匠。それより、大蛇先生にお礼が先です。(笑) ありがとうございました。さ、さ、さ、〔三四郎〕ですか…? 名作中の名作。 これを忘却のかなちゃんにしてしまっていたとは、お恥ずかしくも情けない」 圓窓「なんです、その『忘却のかなちゃん』ってぇのは?」 仮名「あたしの自作自演です。このフレーズお気入りなんです」 圓窓「自作自演ですか…。すごいですね。あたしの創作落語も自作自演なんですが、 噺はなんとか覚えてもすぐに忘れる、情けない……」 仮名「それですよ、師匠。『忘却のかなちゃん』って」 圓窓「もういいよ、それは」 仮名「それにしても漱石研究が多岐にわたっていることは、素人ながら想像できます が、〔漱石と落語〕なんてことを論じる人があろうとは、びっくりで愉快でゾク ゾクしてきます。この本、取り寄せて読んでみます」 圓窓「往年の心ある文学者は、ほとんど、寄席へ通っていい落語を観賞して感動して いたようですよ」 仮名「最近の作家はどうなんですか?」 圓窓「赤川次郎さんが『落語は好きです』と言いながら、『生の落語は知らない』とい うことを対談で言ってましたが」(笑) 仮名「時代ですかね。ライブは関係なしに、自宅で落語の録音、録画が楽しめるんで すから」 大蛇「それにしても、寂いしことですね、それは」 圓窓「そうですね、まったく。それにしても、この三四郎のこの場面は[お花半七] を意識しているんじゃないかと自信を持った言えますね、これは」 大蛇「と言いますと…、証拠が?」 圓窓「ありますね。宿帳に女の名前を『花』としたのが一つ。あと一つの証拠は半七 の名が隠されているんです」 大蛇「どこにです?」 圓窓「三四郎という名前にです。三と四を足すと七ですね。七は賽では半目です。で すから、ここに半七が…」 大蛇「なるほど……。こりゃ、いいですね。三四郎の名前がそのまま半七だ。こりゃ、 いい。こりゃ、いい」 圓窓「大蛇先生、ほんとに感心はしてない。面白がっているだけだ」 大蛇「感心してますよ、新しい学説ですもの。いずれ定説になるでしょう」(笑) 圓窓「やっぱり、面白がってる」 ![]() 圓生も〔木曾殿と――〕を使っていた 大蛇「圓生師匠もこの句を使ってんです」 圓窓「うちの師匠が! 『圓生よ、お前もか』と言いたくなりますね、まったく」(笑) 仮名「なんて噺でですか?」 圓窓「師匠は[お花半七・上]は演ってなかったはずだが…」 大蛇「[真景累ケ淵]で使っています。新五郎が嫌がるお園に迫るところです」 圓窓「教えてください」 大蛇「こうなってます。 「――― あのウ、もう寝たってえしるしだけで、ほんのちょいとでいいん だから、ね。じゃ、そうしておくれ」 床を敷いて、中へ入ったが、もうお園のほうはいやでたまらないら、むこ うを向いて体をぐうっーと固くして、ピリッとも動かない。さて寝てみたも のの、いつまでたったって相手はウンともスンとも言わない。 真中を風がこうスーッと出たり入ったりする。まことにおもしろくない。 木曽殿と背中合わせの寒さかな 新五郎だって、一緒に寝ればなんとかなると思ったが……、なんともなら ない。そのうちだんだん酔いは醒めてくるし、どうにも間が悪くてしょうが ないから、――――― と、まぁ、こうなってます」 仮名「パチパチパチ」 大蛇「芝居噺の[中村仲蔵]によれば、拍手があるうちはまだまだ未熟。唸らせない といけないそうです」 圓窓「ウ~~~ン」 大蛇「わざとらしいですね、どうも」 圓窓「うちの師匠もこの句のフレーズは気に入っていたのかな」 大蛇「どこかでこれを使ってやろうと考えていたのでしょう」 圓窓「[真景累ケ淵]で使うとはね……。 結論を言わせていただくと、 木曽殿と 背(せなか)あはする 夜寒哉 いせ又玄(ゆうげん) の句が噺家連中(資料の上では圓朝)に誘拐されて、それが男女同衾の場面に 誤解使用されて以来、何人もの噺家がそのまま受け継ぎ、定着させてしまった、 ということですかな」 大蛇「〔背中合わせ〕の言葉だけが目に付いて使ったという、低レベルってことですね」 圓窓「この句は〔起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな〕の句と同じ運命を辿ってます ね」 大蛇「そういえばそうですね。今夜もこない間夫を思って、なんとかという吉原の花 魁が作った句がいつの間にか、子供、夫を亡くした加賀の千代の句になっちまっ たんですから」 圓窓「苦、ですね……」 |
2000・6・22 UP |
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[ 転 失 気 ](てんしき) の 巻 |
文 流山大蛇![]() |
落語[てんしき]の中に出てくる書物[傷寒論]の、その部分を覗いてみたい。 {和尚の薬を取りにきた使いの小僧に医者が} 医者「医者のほうに、傷寒論という書物がある、その中に気を転じて失うと書いてテ ンシキと読む、ま、俗でいうおならのことをてんしきという」 |
([円生全集]より) |
知らないくせに知っているふりをする和尚を痛烈に皮肉る落語[てんしき]には、 〔傷寒論〕という書物が登場する。 漢方医必携の聖典といわれている、この本は西暦205年頃成立、晉代に補修、1 065年に校訂された、とものの本にある。 同書にどのように〔転失気〕]が扱われているか、見てみたい。 中国の書物だから当然、原典はオール漢字。レ点、一、二点の返り点のついた本文 (丸山清康氏の著書、明徳出版)から関係部所を抜き出し、書き下し文にしてみる。 もし大便あらざること六、七日ならば、おそらく燥屎(*1)あるべし。 これを知らむとほっする法は少し小承気湯(*2)を与えよ。 湯、腹中に入り転失気(*3)するは、これ燥屎あるなり。 すなわち、これを攻むべし。もし転失気せざれば、これ、ただ初頭鞭にして後必ず 溏なり、これを攻むべからず。 【語句】 *1 燥屎(そうし)=固い糞。 *2 小承気湯(しょうじょうきとう)=大黄(だいおう)、厚朴(こうぼく)、枳実 (きじつ)を混合した煎じ薬。 *3 転失気(てんしき)=腹中でガスが動く。 上記の[もし、、、]以降の文は、薬を飲んでも腹がごろごろ鳴らなかったら、こ れははじめは固い糞でも後では軟便になるから無理に強い薬でくだそうとしてはいけ ないというようなことを言っているらしい。 「てんしき」は一般にはオナラのことを指すと取られているが、厳密にいうと、てん しきというのはオナラをさすのではなく、外部に排泄されない体内のガスをいうと丸 山氏は述べている。 インターネットのホームページで傷寒論を検索すると、厚仁堂のHPにヒットして、 傷寒論全文を読むことができる。 http://village.infoweb.ne.jp/~kojindo/home.htm それによると[転失気]は[転矢気]という表記になっている。[し]が[うしな う]でなく、[や]になっているのである。 厚仁堂の横山知史氏にメールでこの件について伺ったところ、どちらが正しいかを 今日では断定できる根拠がないということである。しかし[矢]の方が使用頻度がや や高いという。[転屎気]という表記もあるそうだから、[転矢気]の方が意味が通 るような気もする。 [弓矢]の[矢]は[一矢を報いる]の例から見ても分かるように訓は[シ]で、そ の上[矢]には糞の意味もある。[矢(糞)転じて気(ガス)とす]と読めそうだ。 なお傷寒論本文には「転気」という表記もあって、「転矢(失)気」と同じ意味に 使っている箇所もある。 [転矢気]、[転失気]、[転屎気]、いずれも中国音はジュアン・シ・チーである 。日本語ではそれぞれテンシッキ、テンシキ、テンシキである。 国語辞典にはどのように出ているかひいてみた。 学生用の小型辞典にはどれにも出ていない。 大型辞典でも講談社と小学館の二冊しかこの言葉にふれていない。 講談社の辞典には落語[てんしき]が紹介されており、[屁のこと]と素直な解説 がなされている。 小学館の辞典には実に不思議な解説がついている。 (1)屁が肛門まで来て、外に出ないで音が反転すること。 (2)放屁をいう。芸人仲間の語。 屁で曲を奏でる芸があるというのを読んだことはあるが、(1)の説明はまるで曲 芸のようで、そんなことが可能だろうかと首をかしげざるを得ない。 大漢和にもあたってみたが、そっくり同じことが書いてある。なお表記も小学館、 大漢和とも[弓矢]の[矢]の方をとっている。 (2)の説明も納得しかねる。落語[てんしき]ができる以前から楽屋の隠語として 使われていたのだろうか。これは芸人さんに是非伺ってみたいところである。 |
[落語の中の古文楽習問答]その4 |
[ 転 失 気 ](てんしき) の 巻 |
参加者 流山大蛇 と 古文長屋一同 |
圓窓「でも、落語の[テンシキ]の字にこんなに謎があるとは夢にも思わなかったな」 あきら「気が付いた人って、すごいですね」 ただ「それを追究する大蛇先生に脱帽しますね。と同時に、いい勉強をさせていただ き、感涙に咽んでおります」(笑) 圓窓「『傷寒論は医書だ』ってことぐらい知っていましたが、それ以上、知ろうとも 思わなかったのは笑涯楽習者として恥ずかしい」 大蛇「そもそも傷寒論は中国の古い医学書で、広辞苑によると後漢の長機という人の 著とある」 圓窓「いつ頃です?」 大蛇「紀元205年と言われてます」 圓窓「紀元205年というのもすごい」 あき「205年と言えば、日本なんかシャーマンが政治を牛耳ってた時代に、中国で はこんな学術的な文献があるんですから」 ただ「三種類あるということですね?」 大蛇「そうです。〔転矢気〕、〔転失気〕、〔転屎気〕と」 あき「最近、うちの一番下の娘が燥屎あったのですが、転失気をしたかしないかチェ ックしないで攻めたらしくて、その後、熱も出すし溏ばっかりで大変でした。よ うやく直りましたが」(笑) 圓窓「〔傷寒論〕を読んでおけばよかったね」(笑) 大蛇「落語の中で言う『気を転じて失う、または気を転(まろび)失う』という読み 方に疑問をもったのが始まりでした」 圓窓「で、あの三種類に出っくわしたんだ。失も矢も、似てるからなァ」 あき「本場の中国で書き間違ったか、あるいは日本での写本の段階で間違ったのか、 謎ですか?」 大蛇「謎でしょうね」 ただ「でも、矢が糞という意味があるとはなァ」 圓窓「便利の便が大便の便という以上のショックだ」(笑) ただ「大蛇先生は資料収集にはインターネットを利用された由。インターネットの威 力にも驚いた次第です、あたしは」 大蛇「収集ったって、ホームページ覗いたり、EメールでのQ&Aで済ましちゃう、 安直なものですがね」 圓窓「どんなことがあったんです、インターネットで?」 大蛇「たとえば、昨年暮れの〔熊八メーリングリスト〕の書き込みにも、或る薬剤師 の方の『転失気は放屁で、は腸内ガスのこと』というような内容のものがありま した」 圓窓「同じオナラじゃないか」(笑) あき「外へ出たのと、まだ内にいるのとの違いだけじゃないですか」(笑) 圓窓「それにしても、転矢気(てんやき)と読んじゃうところはすごいね」(笑) あき「鉄板焼きの親戚みたいだ」(笑) 大蛇「個人メールで『詳しく教えて』とお願いしたところ、『学会での研究発表で聞 いたメモにそうなっていたのでUPしましたが、原典にあたっていないので詳し くは分からない』というRESでした」 圓窓「なんという学会なんだろうか、それは」 あき「テンシキ学会…」(笑) 圓窓「そんなバカな。楽屋の会で〔楽会〕というんなら、まだ信用できるけど」(笑) 大蛇「ヤフー検索で〔傷寒論〕でホームページを探すと、A、Bお二人のぺージにぶ つかります。そのお二人にそれぞれ〔てんしき〕の表記の違いをメールで伺った ところ、Aさんからは今回引用させていただいた丁寧なご返事をいただきました が、Bさんからのお返事にはびっくりしてしまいました」 ただ「どんな返事だったんです?」 大蛇「『〔傷寒論〕の記載には〔てんしき・転失気〕という言葉は出てきません』と いう」 ただ「ええッ!!」 圓窓「そんなバカな!!」 大蛇「びっくりするでしょうッ」 あき「あたしもびっくりしました」 大蛇「落語ファンならだれでも『ショーカンロン』って知ってるのに」 圓窓「本のタイトルだけですがね」(笑) ただ「唖然……」 あき「茫然……」 圓窓「やがて…、深い悲しみ……」(笑) 大蛇「〔てんしき〕が傷寒論研究者の話題にものぼっていないとは……」(笑) あき「あたしも〔転矢気〕が載っている〔傷寒論〕が掲載されているHPを見つけま した。http://village.infoweb.ne.jp/~kojindo/koten/zenbun.htm 辨太陽病脈証并治(下) :小承気湯方 (209)陽明病,潮熱,大便微#11者,可与大承気湯,不#11者, 不可与之。若不大便六七日,恐有燥屎,欲知之法,少与小承 気湯,湯入腹中,転矢気者,此有燥屎也,乃可攻之。若不転 矢気者,此但初頭#11,後必溏,不可攻之。 攻之必脹満不能 食也。欲飲水者,与水則。 其後発熱者,必大便復#11而少也, 以小承気湯和之。不転矢気者,慎不可攻也。 (#11はUNICODEで9795) これが読めちゃうってんですから、プロの研究家は違いますね」 圓窓「読めないプロもいるんだってば」(笑) あき「ああ、そうだった」(笑) 圓窓「病院で手術のあと、『ガスはありますか』って医者が訊くでしょう、患者に」 あき「そうですね、たいがい」 圓窓「『はい、東京ガスです』と答えた患者がいるそうですよ」(笑) あき「ほんとかな、それ。師匠の創作でしょう、それ?」 圓窓「『転失気はどうですか?』という医者がいたら、嬉しいね」(笑) あき「喜んで患者になりますよ、あたしは」(笑) |
2000・7・20 UP |
[落語の中の古文楽習教本]その3 |
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[ 二 十 四 孝 ](にじゅうしこう) の 巻 |
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文 流山大蛇![]() |
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さて、親不孝者がご隠居さんにお手本の実例で諭される、落語[二十四孝]には次 の五人の孝行者が登場する。 ・雷から母の墓を守る王褒(おうほう)(正確には「褒」の保の部分が臼。字が無い) ・母のために体で氷をとかして魚をとる王祥(おうしょう) ・母のために真冬に雪の下から筍をほる孟宗(もうそう) ・わが身を蚊に食わせ、蚊から親を守る呉猛(ごもう) ・母を養うため口減らしに我が子を生き埋めにしようとする郭巨(かっきょ) 以上で24人中、6人の異朝の孝行者が出たので、残る18人の身元調査もしてみ たい。 しかし、異説がある上、JISコードの文字が無いものもあるので、[御伽草子] の[二十四孝]に出てくるお話の実績だけを個条書きにして挙げてみる。 果たして落語に使えるエピソードがあるだろうか。 01)孝行の褒美に象と鳥がやって来て耕作の手伝いをしてくれる。 02)食事の時、かならず母の食事の毒味をする。 03)母の木像を作って生きている人のように仕える。 04)継母が冷たい仕打ちをしたが、我慢して義弟たちをかばう。 05)指を噛んで帰宅を促す母の知らせを、出先で感じて家に帰る。 06)遠方から水を汲んできて母に与えていたところ、突然、家に水が湧く。 07)歯がなくて食事ができない姑に、自分の乳を飲ませる。 08)虎に襲われた時、父を守って自分の身を投げ出す。 09)父の葬式を営む費用を捻出するために、自分の身を売る。 10)夏の暑さや冬の寒さから工夫して父を守る。 11)母を尋ねて五十年、血でお経を書いて再会を祈る。 12)眼を病む父母の薬を求めて、鹿の群れに紛れ込む。 13)桑の実の熟したものを母に与え、自分は未熟なものを食す。 14)父の糞を嘗めて死期の近いことを知り、身代わりになることを祈る。 15) 兄弟が互いにかばい合い、ならず者を改心させる。 17) 母の便器を使用人には任せずに、自分で洗う。 18) 六歳の子が貰った果物を自分では食べずに、母のために持ち帰る。 これで親孝行? と首をかしげざるをえないものも混じっているが、6番の[水が 湧く]話が落語[二十四孝]の中の、他の[天の感ずるところ]の話に似通っていて、 使えそう。 その人の名は姜詩(きょうし)という。 ところで異朝の[二十四孝]を話題にすれば、どうしても関連として、 歌舞伎の 本朝廿四孝]と井原西鶴の[本朝二十不孝]とに言及せねばならない。 歌舞伎は題名こそ中国の二十四孝からとってはいるものの、内容の本筋(信玄、謙 信両家の争い)とは全く関係ないと言い切っても良いくらい関連性は希薄である。 四幕目[山本勘助住家の場]の「雪の中で竹の子を掘る」という場面で孟宗の逸話 を利かしているだけである。 同幕は主要人物による次の割りゼリフでうたいあげてしめくくられる。 返らぬ昔、唐土(もろこし)の、 廿四孝はまのあたり。 孟宗竹の笋(たかんな)は、 雪と消え行く胸の内。 氷の上の魚おどる、 それは王祥。 これは他生の、 縁と縁。 ♪黄金の釜より逢い難き……。 (名作歌舞伎全集第五巻より) ここで二十四孝のうち、王祥、孟宗、郭巨の三孝が出そろうのである。 一方、西鶴の[本朝二十不孝]はすさまじい。中国の現実離れした孝行者とは打っ て変わって、こちらはリアルでどぎつい不孝者を並べた短編集である。 19人の不孝者と1人の孝行者の話で構成されている。(第20話はめでたくしめ くくる意味で孝行者を出している) 父親を毒殺しようとする息子、親の金を盗み出す伜、再婚を18回も繰り返す娘… …。 次々と親泣かせを登場させ、「孝にすすむる一助ならんかし」と作者は序文で言っ ている。 反面教師ってやつである。 付録:[本朝二十不孝]の第20話の「おめでたい」話とは。 勘当された徳三郎が心を入れ替えて、棒手振りのダイコン屋になって町々をダ イコンを売って歩く。 ある日、一文無しの浪人の家で粗末な格好をした少年から声がかかる。 あれれ、、どこかで聞いたような話の展開……。 |
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[二十四孝]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/二十四孝 2000・6・3 UP |
[落語の中の古文楽習問答]その3 |
[ 二 十 四 孝 ](にじゅうしこう) の 巻 |
参加者 流山大蛇 と 古文長屋一同![]() |
圓窓「最近、寄席で[二十四孝]は演られなくなりました」 大蛇「そう言えばそうですね。比較的耳なじんだ噺で結構出ているだろうと、思って いましたが」 圓窓「演る者がいるとしても、ごくたまにですね」 大蛇「パソコ通信の頃、マスターネットで鈴本演芸場の毎日のネタ帳を載せてたこと がありましたね」 圓窓「ありました、ありました。高座で演られたのを前座が書き込む、あれでしょう? 楽屋帳とも言いますが。そのデータをネットに載せましたよね」 大蛇「それによると、[二十四孝]はベスト100にも入っていないんですね」 圓窓「そうですかね」 大蛇「145位。[孝行糖]も同じランクですよ」 圓窓「たぶん、同種の[天災]は割合にやられていると思いますが」 大蛇「 [天災]は112位です」 圓窓「でしょう。受けが得られにくいと演らなくなるもんなんですよ」 大蛇「[天災]が受けて、これが受けないはずはないと思いますが」 圓窓「それもそうですが……、演者の工夫次第なのかな」 大蛇「そうでしょう」 圓窓「あたしは前座から二つ目にかけて、[二十四孝]は盛んに演りました。[天災] は自分の勉強会で演っただけかな」 大蛇「どんどん演ってくださいよ」 圓窓「説教臭い、という嫌われ方をしてんのかな」 大蛇「思う人は思うかもしれませんね。今の学校の道徳を嫌う人もいるくらいですか ら」 圓窓「昔の寺子屋じゃァ、道徳、修身はごく当たり前で」 大蛇「そうですよ。寺子屋時代の教科書は落語[鼻ほしい]によると〔実語教〕だと いうことです」 圓窓「そうです」 大蛇「この本のことは別に項目をたてて、いずれ触れることになると思いますが、そ の本の孝行の部分だけ拾い出してみます。 〔父母如天地、師君如日月、父母孝朝夕、師君仕昼夜、、、、、〕」 圓窓「なんとなく、わかりますが…」 大蛇「父母は天地のごとし、師君は日月のごとし、父母に朝夕孝せよ、師君に昼夜仕 えよ」 圓窓「なるほど…。[父母に孝に、兄弟に友に]の教育勅語の内容と、さして違わな いですね」 大蛇「小学生には99パーセント意味不明でした」(笑) 圓窓「そうでしょうね」 大蛇「今の若者は素直には受け取らないでしょうね、きっと。受け取ってもらうと、 逆に照れるかも……」(笑) 圓窓「こういうことを、毎日のように教えたんでしょう、江戸時代は?」 大蛇「例の〔山高きがゆえにたっとからず〕で始まる本文の半ばで、寺子屋の子供達 は声をそろえて唱えていたはずです」 圓窓「繰り返し…?」 大蛇「繰り返し音読させて、身につけさせる指導方針です」 圓窓「つまり、お経を覚える要領ですね」 大蛇「そうかもしれません。平易(明解)、音読、繰り返し。これが体得の要諦とい うことでしょうか」 |
[二十四孝]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/二十四孝 2000・6・3 UP |
[落語の中の古文楽習教本]その2 |
[ 孝 行 糖 ] の 巻 |
文 流山大蛇![]() |
孝行糖、孝行糖 孝行糖の本来は ウルの小米に寒ザラシ カヤにギンナン ニッキにチョージ チャンチキチン スケテンテン」 太くて明るくて弾んだ、先代金馬の声が懐かしい。思わず一緒に唱和したくなってくる (上記の片仮名の部分の漢字は、順に粳・晒・榧・銀杏・肉桂・丁字) 孝行糖の売り声は引きごとを入れて、次に続く。 「昔々もろこしの、 二十四孝のその中で、 老莱子(ろうらいし)といえる人 親を大事にしようとて こしらえあげたる孝行糖 食べてみな おいしいよ」 愚かだが親孝行な与太郎はお上からご褒美をいただき、ハデーな着物を着せられて、馬 鹿に徹して、こう大声を上げて毎日飴を売り歩く。 さて、その売り声に出てくる[二十四孝]の一人、その老莱子という人はどんな人なの だろう、どんな親孝行をしたのだろう。 [漢和辞典](旺文社)をひいてみる。 〔七十歳になっても、なお小児のまねをして、親を喜ばせたという〕とある。 そっけない[広辞苑]の説明〔春秋時代の楚の賢人〕とあるだけよりは詳しいが、これ でもどんなことか良く分からない。 御伽草子の[二十四孝]で老莱子の項を読んでみる。 文章はまず当人を簡潔に紹介した五言絶句の漢詩ではじまる。 その漢詩の内容は〔派手な衣装で舞いたわむれて愛嬌を振りまき、馬鹿らしい振る舞い をすると両親は大笑い、家中に嬉しさが満ち溢れる〕というもの。 この漢詩に続く本文は次の通り。 〔老莱子は、二人の親につかえたる人なり。 されば老莱子七十にして、身にいつくしき衣を着て、幼き者のかたちになり、舞ひ戯れ、 また親のために給仕をするとて、わざと蹴つまづきて転び、いとけなき者の泣くやうに 泣きけり。 この心は、七十になりければ、年よりて、かたちうるはしからざる程に、 さこそこのかたちを、親の見給はば、わが身の年よりたるを、悲しく思ひ給はんことを 恐れ、 また親の年よりたると、思はれざるやうにとのために、かやうのふるまひをなしたると なり〕 【語釈】いつくしき=美しい。いとけなき=幼い。うるはしからざる=きちんとしていな い。さこそ=きっと 七十歳の老莱子が親の前でわざと子供っぽい振る舞いをしたが、その目的は親に我が子 がこんなに頑是ないのだから、自分たちはまだ若いのだと思い込ませようとしたというの である。 なんとも不思議な親孝行もあったもので、我が子がこんなことをしたら嘆かわしさと心 配で余計に老けこんでしまいそうだ。いや、こんな子を残しては死ねないと却って長生き をするとみた方が正解かもしれない。 ところで落語の「孝行糖」の方だが、これを見ると老莱子は飴とは全く関係がない。し かし派手な格好で水戸様のご門前でワアワア泣いている姿は、なるほど老莱子に通じると ころがないわけでもない。 |
1999・12・30 UP![]() [孝行糖]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/孝行糖 ![]() |
[落語の中の古文楽習問答]その2 |
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[ 孝 行 糖 ] の 巻 |
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参加 流山大蛇 と 古文長屋一同![]() |
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圓窓「与太郎の口上を聞いてると、老莱子が飴をこしらえた、となってますが、調べてみ ると、そんなことはないんですね?」 大蛇「ないですね」 圓窓「『老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖』という文 句ですが、あれは嘘なんだ」 大蛇「嘘です」 圓窓「長いこと、騙されていた、あたしは」 大蛇「あたしも騙されていました。老莱子と飴の関係はあきらめて、飴と古文の関係を古 語辞典を調べてみました」 圓窓「あったんですか?」 大蛇「それはありました。日本書紀に神武天皇が飴を造る場面があるというので、日本書 紀巻三をひもときました」 圓窓「日本書紀…? すごいものが出てきましたね、この古文問答も」 大蛇「神武天皇が東征の途中で、天香山の粘土で作った土器でもって、飴を造ろうとする んです」 圓窓「天皇が…? 飴照大神ってぇ駄洒落は言ってはいけませんか?」 大蛇「もう言ってますよ」 圓窓「すいません」 大蛇「黙って読んでください。[無水造飴。々成則吾必不仮鋒刃之威、坐平天下。乃造飴。 々即自成。]」 圓窓「声を立てようにもわからないから、声も出ません。どういうことです?」 大蛇「解りやすく、こう読みます。 水無しにて飴を造らむ。飴成ればすなわち吾必ず鋒刃の威をかりずして、坐して天下 を平らかにせむ。すなわち飴を造る。飴すなわちおのずから成る」 圓窓「それで、解りやすいの? もっと、解りやすくは?」 大蛇「飴ができあがれば、武器を使わずに天下を治めることができる、と確信して、その 通りになるという内容ですよ」 圓窓「じゃ、飴って、ありがたい物なんだ」 大蛇「そう解釈して、落語の[孝行糖]の中の大家さんに『飴の歴史は古いよ。霊力もあ ってな』ことを言わせて、孝行糖に繋げるという演出も出来そうですね」 圓窓「なるほど。考えてみます。それと、その老莱子のした親孝行ですが、妙なことをし たもんですね。己れを馬鹿にして見せるって、喜劇役者みたいなことなのかな」 大蛇「そうかもしれませんね」 圓窓「口上には『飴をこしらえた』というだけですが、『本当はこういう親孝行をした人 なんだ』ってぇのを作って入れたいのですが」 大蛇「いずれ、そういうことになるのではないかな、と思ってましたよ」 圓窓「これは画期的ですよ。だって、本当の老莱子の姿を知っている噺家は少ないんです から」 大蛇「こういう風に作ってみたんですが。
と、どうですか、こんなとこで」 圓窓「うまいですね、大蛇先生。昔、やってたんじゃないの」 大蛇「やってはいませんよ」 ただしろう「大蛇先生。孝行糖の口上、いいですね。語呂も内容もすばらしい。口ずさみ たくなります」 圓窓「二人でやったらどうです?」 二人「まさか」 圓窓「あたしの[孝行糖]を聞いてくださな。孝行糖の踊りが入ります。水戸黄門が登場 します」 大蛇「そりゃ、賑やかだ」 圓窓「それに、この新たな口上が加わりますから」 大蛇「期待しましょう」 圓窓「窓輝も小金馬から教わって、[孝行糖]は演ってるので、この改訂された口上を入 れさせようかと思っております」 ただしろう「大勢がそれを演るようになれば、いいですね」 大蛇「HPを覗いて、このことを知った噺家のうち、何人でもいいから、『やらしてくだ さい』と言って来ると嬉しいね」 ただしろう「どのくらいいるかな……」 圓窓「そこなんですよ。『この噺の口上は、昔からこうなんだから、これでいいんだよ』 と、関心を示さない人のほうが多いでしょうね。だけど、何人かはいるでしょう、きっ と。そうなると、インターネットを通じての落語史上に残る貴重な活動ということにな ります」 ただしろう「なるべく多くの人が、新しい口上で『孝行糖、孝行糖』と言うようになると いいですね」 圓窓「窓輝が[孝行糖]の口上を練習してたときです。自分の部屋で『孝行糖、孝行糖! 』と怒鳴ってたんですよ。すると、女房が台所で『台所の明かり、点いたり消えたりし ているのよ、まったく、もう。蛍光灯、蛍光灯!』だって」 ただしろう「ほんとですか?」 圓窓「実話ですよ」 あきら「その三人でトリオを組んだらどうですか」 圓窓「急に出てきましたね、あきらさんは」 あきら「傾向と(蛍光灯)対策は、あたしが練りますから」 圓窓「いっそのこと、あきらさんも入りなよ、カルテットでいこう」 あきら「勘弁してください」 圓窓「大蛇先生。今、口上を読んでて気がついたのですが、『莱子のなめたるその飴に』 のとこですが、[莱子]ではなく、やはり[老莱子]と言いたいのですが」 大蛇「実は、私も[莱子]では無理かなと思ったんです。リズム優先であんなふうにして しまいましたが、やはりフルネームの方がいいですね、[老莱子]と」 圓窓「[莱子]なると、違う人物にとられかねないし」 大蛇「そうですよね」 圓窓「で、『老莱子のなめたる飴に』と言いたいのですが。[その飴に]の[その]を削 除することになるのですが、いかがでしょうか」 大蛇「『老莱子のなめたる飴に』は七、七で破調ですね。この口上の場合、句末は五音で ないと唱えても聞いてても落ち着きません。[老莱子のなめた飴]か[老莱子のその飴 に]のどちらか口ずさみやすいほうを選んでみてください」 大蛇「わかりました」 |
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1999・12・30 UP![]() |
[落語の中の古文楽習教本]その1 |
[ 道 灌 ] の 巻 |
文 流山大蛇![]() |
[道灌]の梗概は 圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/道灌 |
故人の先代金馬や今の南喬の[道灌]には絵の脇に添えてある漢詩を読む場面がある。 これが入ると、ご隠居の知識ひけらかしの得意然とした様子がぐっと引き立ってくると思 うのだが……。その漢詩[太田道灌借蓑図]は次の通り。 孤鞍衝雨叩茅茨(コアン雨ヲツイテ、ボウシヲ叩ク) 少女為遺花一枝(少女タメニオクル、花イッシ) 少女不言花不語(少女ハ言ワズ、花語ラズ) 英雄心緒乱如糸(英雄ノシンチョ、乱レテ糸ノゴトシ) この漢詩は七言絶句の形式で、茨・枝・糸の三語が韻をふんでいる、なんていう解説も 本文を書き下し文で読んでしまえばあまり意味はない。内容はやさしいが敢えて口語訳の 蛇足を加えるならば、 [一人の馬上の武将が雨に会ってあばら屋を訪れる。その家の乙女は山吹の花をひと枝さ し上げる。乙女は黙ったままで、花ももちろん何も言わない。さあ、武将の頭の中、真っ 白になっちゃった] この漢詩の作者は大槻磐渓(おおつき・ばんけい)という儒学者である。磐渓は蘭医・ 大槻玄沢の子で、[言海]の大槻文彦の父だということを知ると、ぐんと身近な存在の人 となる。[広辞苑]にもこの親・子・孫の三人が並んでいる。 以上、[漢詩の事典](大修館)を参考にして記したが、その本には、この漢詩の作者 は一応磐渓であるとし、ただし[疑わしい]としていることもつけ加えて置かねばならな い。 さて、問題の元歌[七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき]はいつ誰 がどんな気持ちを詠んだものだろうか。落語の中でも作者は兼明(かねあきら)親王であ ると言っている。兼明は今から千年前の平安時代の人である。[歴史事典]を見ると、兼 明という人は左大臣にまでなったが政敵に陥れられ中務卿(なかつかさきょう)に降格、 晩年は小倉山に閉じ籠もっていたとある。 歌は[後拾遺和歌集]巻十九に載っていて、成立事情を説明した詞書(ことばがき)が 歌の前に付いている。その詞書を現代語に置き換えていうと、[小倉山に住んでいた頃、 雨の降った日、蓑を借りる人が来たので、山吹の枝を折って与えた。受け取った当人は何 のことか分からずに帰り、後刻あれはどういうことだったのかと聞いてきたので、”その 心は”の返事として、次の歌をおくった]というような内容である。はじめに黙って[山 吹の枝]を差し出したのは超ウルトラ意地悪クイズだったのである。この詞書にもあると おり、そもそも、はじめからあの歌は雨具断りの歌なのだから、[しずのめ]は兼明の故 事そのものをなぞったのであって、古歌の[みの]の部分だけを自分の発見としたわけで はない。実は[道灌]をやるすべての噺家はそこのところをいい加減なやり方をしている。 しかし、正しくやったからといって急に噺が面白くなるわけでもなかろうから、やかまし く言ってもあまり意味がないかもしれない。 ところで、あの歌は単なる雨具断りだけの歌なのであろうか。[七重八重]の次は[九 重]であることを思うと、単なる[挨拶歌]にとどまらず、裏になにか訴えたいものがあ るのではないかと思うのは考え過ぎであろうか。 なお、この短歌と道灌とをからませた、落語の元になった例のエピソードは湯浅常山著 [常山紀談](1739年)巻の一に[太田持資歌道に志す事]という題で出ている。 【蛇足】 ご通家の方々にとってはお邪魔でしょうが、ごく簡単に落語[道灌]の梗概を。 隠居さんが八っつあんに、[太田道灌、簑を借りる図]の歴史画の絵解きをする。名も なき少女が山吹の枝を差し出しているのは兼明親王の[七重八重――]の古歌にならった 雨具ことわりの行為だったが、道灌はその意図が読めず、余は歌道に暗いと恥じて、その 後歌道に精進したというのである。 八っつあんは、自分も早速その歌を用いて傘を借りにくる者を追い返そうとする。提灯 を借りに来た者に、傘の断りを使って珍妙なやりとりがある。 サゲは「カドーに暗いな?」「カドが暗いから提灯、借りに来た」。 |
[落語の中の古文楽習問答]その1 |
[ 道 灌 ] の 巻 |
参加 流山大蛇 と 古文長屋一同 |
ただしろう「早速ですが、道灌蓑を借るーーの詩。作者がわからずもやもやしていたので すが、大槻磐渓とわかり、安心しました。 実は、詩吟をやる人など、数人に聞いて見ると、新井白石という答えが返ってきたの ですが、私も、白石に会ったことはないけど、あれを作りそうな人とは思えず、もやも やしていたわけです。 では、磐渓は作りそうか、といわれると、単に感じだけなんですがね。確か、富士山 の詩を作った人でしょう? 違ってたら教えてください。 もう一つ、落語では、前はこの絵のほかに、児島高徳の故事や、四天王の話の絵など があって、そのあと、この道灌の絵になったのですが、今はやりませんね。もう、故事 そのものがわからなくなっているから、やってもだれるかも知れませんが、惜しい気も します」 大蛇「ただしろうさん。富士山の詩を作った人、教えてください」 ただしろう「大槻磐渓ではありませんでした。以前、詩吟をちょっと齧ったことがあって 、記憶に出てきた名前を上げたのですが、間違いでした。 その頃の小さな本が、どこかへ行って、ときどき、見たいのですが、不便しています。 大蛇先生から逆に質問を受けて、不安になり、友人に確かめたところ、全く違って、石 川丈山でした」 かなこ「流山大蛇先生というお名前を拝見して、不思議なネーミングだと思っていたので すが、その2日後くらいのおととい、以前録画した落語のビデオを見ていたら、[流山 大蛇]というセリフがチャチャっと出てきました。あまりの偶然にびっくり仰天。 [紺屋高尾]で久蔵が[流山の大尽]を聞き違えるところだったのですが、[流山大蛇] というのは、他の何かの噺の登場人物(?登場動物)ですか? それとも、落語にはよ く出てくる語呂合わせ言葉なのですか? それとも、この噺からきているのですか?」 質問しながら、第2番目のような気がしてきましたが、でも、気になって眠れないの で、教えてください」 大蛇「かなこさん。[流山大蛇]のハンドル名を話題にしていただき、ありがとうござい ます。ご指摘通り落語[紺屋高尾]からいただいたものです。私、千葉県流山市の住人 なので、久蔵さんの聞き違いをそのままとって名前としました。 残念なことに、このクスグリ、全部の噺家さんが使ってはいないようなので知名度は、 さあ、どうでしょう」 ナナ「久々の古文です。高校受験以来かも知れません…。深夜に大の苦手だった、古文の 勉強をするなんて、ビックリです。 私は、英語とか古文とか、現代語訳するのが苦手で(文法がもうダメ)実の所、避け ていましたが、落語と組み合わせて授業をしていただくと、なんとなく古文にも愛着が わいてきました。 さて、私も思っていたのですが、娘さんが突然[山吹の枝]をもってきても、困りま すよね。私なら、もっと違う深読みをするかも知れなかった。 [山吹色]の小判と引き換えに蓑を渡すよ。 と、勘違いして、こっちの弱みにつけこんだな! と思っても、しょうがないから渋 々、お金をちらつかせちゃうかも。 そしたら、立派な傘が出てきたりして…。 それじゃぁ、普通ですよね。落ちもなんにもない…。すいません…、授業中にくだら ないことを…。 現代なら、アコースティックギターを持ち出して、井上陽水の歌を歌いはじめる…、 『都会では 自殺する若者が増えている…』…、フォークに暗い…。 すいません…、またもや古文と関係なくしてしまい…。 こんなのいいかな。 菜々部屋へ 端なは避けども 夜マブ奇 ノミの一つダニ 泣きぞ哀しき 新釈部屋自慢…、ココノヘヤ…。 すいません…、また違う事を…、疲れているのかな…」 あきら「英雄心緒乱如糸(英雄ノシンチョ、乱レテ糸ノゴトシ)の解釈が『さあ、武将の 頭の中、真っ白になっちゃった』ってのは面白いですね。 それから、単なる[挨拶歌]にとどまらず、裏になにか訴えたいものがあるのでは、 というのはどういうことですか。 [七重八重]の次は[九重]、と言われても千代の富士しか思い出せないので、この深 読みの妙を味わう事が出来ずに残念に思っております。もう少しつっこんで解説してい ただけないでしょうか」 大蛇「あきらさん。次のような意味に取れないか……。 『こがね色に輝く山吹の花のように、七重八重と出世街道を上りつめて来たが、晩年、 九重(=宮中)での覚え悪く、実りなき人生を終わるかと思うと、わびしいかぎりじゃ 』当然、あの[詞書]はカムフラージュということで……。 落語[一目上がり]をキーにして強引に謎のドアをこじ開けようとしたわけです(笑 )」 あきら「九重って、宮中のことですか。勉強になりました。やっぱり、教養が有ると楽し みも倍増するって事ですね」 無銭「大蛇先生。ご教授有り難うございます。 実はこの[しずのめ]に引っかかっていました。この[しずのめ]が即答する教養が どこから来ていたのか。すっと山吹を差し出す教養をもっているなら、それなりの乙女 でなければならない筈ですが、「しずのめ」の素性についてはまったく不明です。 それが故事をなぞっただけ、つまりは「人まね」をしただけなら、納得が行きます。 歌の意味を即座に転用するという芸は難しいですが、その故事を知っていてその真似事 なら出来るでしょう。 もっとも、その故事を知っているだけでも道灌よりは優れているわけですが。 その事をふまえていつか、演ってみたいと思います。 道灌の家来が山吹の謎について道灌に教えるときに 『後拾遺和歌集に兼明親王の歌として[七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無き ぞ悲しき]という歌がございます。 その詞書に[小倉山に住んでいた頃、雨の降った日、蓑を借りる人が来たので、山吹 の枝を折って与えた。受け取った当人は何のことか分からずに帰り、後刻あれはどうい うことだったのかと聞いてきたので、"その心は"の返事として、[七重八重花は咲け ども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき]の歌をおくった]とございます。 山吹のみのと簑のないことの掛詞でございます。 くだんのしずのめはその事を存じており、その故事に倣って殿へのご返事と致したと 心得ます』 てなぐあいにでもして見ようかと思います。 著作権並びに授業料の件は如何致しましょうか?」 大蛇「無銭さんから早くも模範解答が出てしまいましたが、遡って問題の箇所に詳しく触 れて[教本]を補います。 [落語の中の古文楽習教本]その1 増補くだくだしくなるので前回は省いた問題の個所、[家来が謎解きをする場面]を師匠方の実演で検証してみたい。 1、[克明バージョン](――太田持資公が)呆然としていると、ご家来の豊島刑部という人、お父さんが歌人だ。お殿さまより先にこのなぞが解けた。 『恐れながら申しあげます。兼明親王の古歌に、<七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞかなしき>という古いお歌がございます。これはお貸し申し ます蓑がございません、山吹というものは実のないもの、実と蓑をかけてのおこ とわりでございましょう』と言うと……。 (先代金馬) 2、[ぞろっぺいバージョン](――道灌公が)お考イんなってるとご家来が『恐れながら申し上げます。"七重八重、花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき"という、古歌がござ いますから、それになぞらえて、この雨具がないというおことわりでございまし ょう』てえんだ、え? (志ん生) 3、[ど忘れ型バージョン](――道灌殿は)誠に歌道は明るいのだが、山吹の古歌は、お調べがなかったものと見えて、山吹の枝を見てお考えになった。時に傍にソラしゃがんで描いてあ る御家来は、中村茂義といって、此は元禁裏北面の武士で、此も歌道は明るいゆ えに、道灌殿の袖を引き、兼明親王の古歌に、七重八重花は咲けども山吹のみの 一つだになきぞかなしき、という事がござると申し上げた。するとお解りがあっ たのよ。 (明治35年 六代目 文治) (上記、いずれも速記本による。) 1番がこんにちスタンダードになっている。しかし[七重八重]の歌と成立事情を知っ ている筈の、歌道に明るい家来が、たった今[みの]の懸詞に気づいたような言い方がお かしい。 2番は見事なまでに、いい加減。しかし、現在問題にしている[山吹論争]なぞ吹き飛 ばしてしまうような勢いに負ける。[てえんだ、え?]って志ん生に言われば、ああ、そ うですかと、うなずくしかない。 3番は現在まったく見られない演じ方だが、一番理にかなっている。忘れていた兼明の 故事を家来の一言で思い出したというのである。もともと道灌という人は文武両道に長じ 、幼い頃から歌も作った人だというからつじつまはあう。 [余はまだ歌道に暗いのう]と[まだ]と言わせれば人物に奥行きが出て来よう。嘘でも 全く歌道に暗い方がドラマはもりあがるということで、この型はなくなってしまったのだ ろうか。 さて、無銭氏の改訂試案は出典に忠実なパーフェクト版である。 筆者も試みたい。二段構えの絵解きを説明すると長たらしくなるので、承知で一部をカッ トする。『恐れながら申し上げます。 平安の御世のこと、蓑を借りに来た客人に対し兼明親王が山吹の枝を示して断ったとい う逸話が残っております。 断る際に「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」という一首を詠み ました。 これは「山吹には実がない」と「簑がない」との懸詞でございます。この家のしずのめ も、この故事にならって雨具のないことの断りを致しておるものと心得ます』 どうでしょうか」 無銭「恐れ入りました。さすが、古文落語の先生」 大蛇「ことのついでに、 1、[後拾遺和歌集]は八代集のひとつで、歌を多少でもかじった人にとっては基本 的な教科書だと思います。したがって[山吹]の歌は歌人の間では常識だといって いいと思います。 2、「しずのめ」は今でこそ零落しているが、かつては…、なんのなにがしの娘とい う設定だと、歌を知っていても不思議はないと思います。「おはずかしう」という セリフや枝を差し出す挙措動作にそれをみたいと思います。 またまた、ついでにですが、[しずのめ]の追跡調査は圓窓師匠がされています。 圓窓師匠、その件、発表をお願いします」 圓窓「そろそろ来るんじゃないかなと思ってました。 では、往年のパソコン通信時代のダータから、引っ張りだします。 <<<知らなくてもいいこと>>>[道潅]<賎の女(しずのめ)> 1 圓窓五百噺[道潅]より 隠居『大田道潅、お鷹狩りに出かけた。すると、にわかの村雨だ。雨具の用意がない。 傍らを見ると、一軒のあばら屋。『雨具が欲しい』と訪ねると、二八あまりの賎の女 が出てきた』 八公『二十八匹の雀が出てきた』 あたしの知る限り、この賎の女に関して、語った落語もないし、噺家もいなかった。 一九九五年八月二日。柳家さん吉さんに案内をされて、新宿区の抜け弁天の近くの大 聖院を訪ねた。 その院はさん吉さんの町内にあるので、案内人にはもってこいだ。 境内の隅に、もう判読できそうもないその碑があり、解説板には『その後、道潅に声 をかけられ、城に上り、歌の勉強の相手をした。道潅の死後、大久保に庵を構えた。そ の名を紅皿(べにさら)という』と記されている。 その碑の脇に、もう一つ、記念碑が立ってある。 道潅と紅皿のことを芝居で演じた一二代目守田勘が立てたという記念碑。 ということは、歌舞伎でもやったんだ。 一席になりそうな逸話も付いてなかったが、[道潅]にたとえ一言でもいいから、その ことを挿入したい。そのためには、[道潅]をやらなくてはいけない。自分の会では二度 ほど演ったが、寄席では一度もやってない。やろう。 知らなくても、噺は演れるし、噺は聴ける。 でも、知ってても、損ではない。 一番いけないのは、知ったかぶりをすること。 <<<知らなくてもいいこと>>>[道潅]<賎の女(しずのめ)> 2 平成七年八月二四日。厚生年金会館での仕事の帰り、再び、賎の女の眠る大聖院へ立 ち寄る。そこで手に入れた資料を詳しく記する。 <<<大聖院文書>>> 院に伝承する古文書、古記録類で宝歴元年(1751)から明治四年(1871)に及ぶ二巻五冊 一葉。内容は大聖院と別当寺を勤めていた西向天神の由緒に関するものが多いが、文政 七年(1824)の<東大久保村地誌書上帳>や境内にある紅皿の碑に関する<紅皿縁起>な ども含まれている。点数は少ないが残存する古文書の皆無な大久保地区にとっては貴重 な資料である。 圓窓黙考「紅皿縁起にどの程度のことが書かれているのか、知りたい。教育委員会 に当たってみるか」 <<<史跡 紅皿の碑>>> 所在地 新宿区新宿六の二一の一一 天台寺門宗 大聖院境内。 大田道潅の山吹の里伝説に登場する紅皿の墓であると、伝えられる板碑である。 高さ一〇七センチ、幅五十四センチ、厚さ六センチで、中央部および下部に大きな欠 損があり、はっきりしないが、中央部に主尊を置き、四周に十二個の種子を配した十三 仏板碑であったと推定される。 造立年代は不明であるが、十三仏板碑が盛んに造られた十五世紀半の作であると、思 われる。 紅皿は大田道潅が高田の里(現在の面影橋の辺りとされる)へ鷹狩に来て、にわか雨 にあい、近くの農家に雨具を借りようと立ち寄ったところ、その家の少女が庭の山吹の 一枝をさし出してことわった。 これが縁となり、道潅は紅皿を城へ招き、歌の友とした。道潅の死後、紅皿は尼とな って大久保に庵を建て、死後、その地に葬られたという。 後年、芝居で演目とされたため、十二代守田勘弥らの寄進した石碑類が並んでいる。 平成三年十一月 東京都新宿区教育委員会 圓窓黙考「<その家の少女が庭の山吹の一枝をさし出してことわった。これが縁と なり、道潅は紅皿を城へ招き、歌の友とした>とあるが、ちょいと不親切 だ。 落語[道潅]を知っている者ならわかるだろうが、一般の人には少女の腹 の内がわからない。山吹を差し出した意味も記すべきだ。 ここいらが、役人のセンスのなさ。 『山吹は実の成らぬもの。貸す蓑がありません。実の、蓑の掛詞』という ことを付け加えておやりよ、お役人さま」 これは長過ぎだよ、まったく」 大蛇「圓窓師匠。ご苦労さまでした。 ちょっと気になることなので補遺ということで。 兼明の[七重八重――]の元歌の結句は実は[かなしき]ではなく、[あやしき]で ある。 [常山]のエピソードの段階で[かなしき]に改作されたようで、それがすっかり定着 してしまい、今や元歌の方がむしろ不自然な感じにさえなってしまった。 正しさを追求すると、落語で[鍋と釜敷]のクスグリができなくなってしまうの で、ここはそっとしておいた方が良かろうと思う」 圓窓「え! ほんと? そういうことって、よくあるんですよね。特に落語の場合は、聞いてわかりやすいほ うへ流れるように変化していってます。 [かなしき]も[あやしき]も、同じAの母音だから、釜敷に添っていきますよ。 あたし、強情に[あやしき]で演ってみようかしら」 矢島亭「[道灌]ですが、東大落語会編[増補落語事典]に、原話は天保4年江戸板の 初代林家正蔵作[笑富林(わらうはやし)]に載っていると書いてありますが」 大蛇「矢島さん指摘の原話の小咄には道灌は出てきません。雨具ことわりというパター ンが同型ということだけでして。 雨具ことわりの歌[七重八重]をもじって、八百屋の亭主が台所道具ならぬ野菜づ くしで狂歌を作ったという内容です。 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき。 この歌を聞いて何でも夕立が降ってきて、雨具を貸せといふ者があったら、歌を読 まう読まうといふうち、 大夕立降り来り、友が駈け込み、 『傘でも着るものでも、雨具を貸してくれろ』 といふ故、 八百八の亭主、白瓜と丸漬と茄子を並びて、歌に、 『丸づけやなすび白瓜ある中に今一つだになきぞかなしき』 友『この中に胡瓜(きゅうり)がねえの』 亭『ハイ、胡瓜はござりませぬ』 考え落ちのようなサゲですが、これでレインコートをことわるサげになっているわけ ですね」 矢島亭「わかりません。どういう意味なんでしょうか。あれれ、急には(胡瓜は)ご ざいませんという意味なのでしょうか」 大蛇「胡瓜を出して、『カッパはないということらしいです』 矢島亭「なぁんだ」 圓窓「漢詩の韻を踏むって、いいますね。なんとなく、漠然とはわかるんですが…。 高校時代、漢文は授業にあったんですが、ほとんど寝てました。読みと解釈だけの授 業だったように記憶してます。作った覚えはありません。寝ていた間に、やってたのか な。 なんとか絶句というのは、絶句して、『勉強しなおしてまいります』に通じるんです か? 初心者用に、よろしく。 大蛇「同じひびきを持つ文字を句末にそろえて音調をととのえる表現テクニックです。読 み上げても、聞いても心地よくなる効果をねらっています。もちろん中国音でですが。 日本語で書きくだして読んだのでは、折角の苦労もなんにもなりません。学校では大体、 日本語でよみますから押韻は隠し絵ほどの意味しかもたなくなります。 七言絶句では一、三、四句の三か所の句末に必ず同韻の文字を使わなければならない 厳しいキメがあります。五言絶句の押韻は偶数句末。つまり二句と四句です。 道灌の詩では茨、枝、糸の三文字が同韻です。ほかの詩で二、三具体例をあげてみま す。押韻の部分だけ抜きます。[間-還-山]、[開-杯-来]、[天-眠-船]、 [紅-風-中]、などです。 それと、絶句のことですね。語源はわかりません。八句から成る律詩を半分にしてで きたからともいわれているらしいですが、さだかではありません。 文楽の絶句とは全く違う意味で使っているのはたしかですが」 あきら「以前に、HPで『漢詩を作ろう』みたいなのを見つけまして、面白かったので少 し読んでみたら、HP上で韻が同じ漢字を自動的に表示してくれるってのが有ったので した。それで、探し回ったのですが見つからなかったので、かわりに同じようなHPを ご紹介します。 http://www4.justnet.ne.jp/~tera3form/kkansi1.htm ここから漢詩作成ソフトをダウントードできます。韻が同じ漢字を探し出してくれる らしいです。 http://www.win.ne.jp/~metanki/kadan/bai_int3.htm http://www.win.ne.jp/~metanki/kadan/bai_int4.htm 漢詩の作り方のHPです。この場所に韻についてかかれていますが、この前後も面白 いかも。 http://www.asahi-net.or.jp/~LF4A-OKJM/kodai3.htm なんか、めちゃめちゃ読みにくい」 あきらさん紹介の[漢詩への小道](漢詩製作の手引)を覗いてみました。非常にまじ めな内容で、参考になります」 |