「学校・教室」講演巡り 教科書の[ぞ ろ ぞ ろ] 子どもの落語教室 トップページ

「学校・教室」講演巡り


東京都学校教育相談研究会」夏期講座研究大会

講師  三遊亭圓窓

「落語とコミュニケーション能力の育成」


会場 きゅうりあん小ホール(JR大井町駅下車1分)
日時   8月16日(月)13:30から16:00





圓窓の独り言
「この東京都学校教育相談研究会の会長さん、浅井是子先生は調布市立第二小学校の
校長で、縁あって、あたしを講師に選定してくださった。
 どなたかに『そういう講演には圓窓がいいよ』って、言われたらしい。口コミって
やつですね。マスコミって、巨大な化け物みたいなもんですが、口コミもどうしてど
うして。マスコミにスケールの大きさは適いませんが、口コミも立派に機能を発揮し
て、良いことも悪いことも伝播しています。
 新宿の末広亭までご足労していただいて、ついでに高座も鑑賞してくださった。そ
のあと、近くの喫茶店で打ち合わせをしたんですが、あたしは真面目で芯の強い女性
と見ましたが、間違いないでしょう。
 その先生、『昔はよく寄席へ行ったもんですが、忙しくなってからはご無沙汰で、
今日は昔に帰ったようです』と。『校長になって、心身共に疲れ果て、病に苦しみま
した』と真剣に話しかけてくださったが、あたしはその姿勢に心を打たれました。
 後日、先生より心温まるお礼の手紙をいただいたんです。
 それをここに披露いたします。もちろん、承諾はいただいております」





浅井是子先生から圓窓への手紙


 毎日暑い日が続いておりますが、夜には秋を告げる虫の音が聞こえます。早く涼し
くなってほしいと思います。
 それでも、オリンピックの金メダル獲得のニュースはうれしくて、ついテレビにか
じりついたりしています。
 過日は東京都学校教育相談研究会の夏期講座でご講演戴きまして、誠にありがとう
ございました。
 師匠の熱演に笑ったり胸躍ったり目頭が熱くなったり、本当に心騒ぐひとときでし
た。
 中でも、わたしは師匠の力強い話し方に強く心を打たれました。いくら話家(字が
違いますね)噺家、咄家……、話すことがプロだとしても、相手に理解してもらうた
めにここまで熱くなれるものだろうか。思わず師匠のお歳を計算してみたりしました。
文字通り私には師匠が命をかけていると思いましたし、命を削っているとも思いまし
た。
 私は江戸っ子で話し方がきつい上に話し方がとても下手です。それでも年に何回か
は上手くいったと思うことがあります。それは原稿を書いて読んでみて、あと、また
声に出して読み上げの練習した時に限っているようです。その作業をした中のほんの
ひと握り、自分なりに満足するのですが、それをしない大部分は、読んだ人から「何
を言いたいのかわからない。」とまで言われてしまいます。
 個人的にも本当に勉強させて戴きました。ありがとうございました。
 さて、師匠が何回も何回も最後のまとめにも言ってました、「話す・聞く・思い描
く」ですが、根底には人としてわかり合うということがあると思います。話すことで、
聞くことで、思い描くことで、心と心のふれあいがなされる。今は話すことも聞くこ
とも思い描くことも皆不得手になっているから、コミュニケーションを通して相手を
理解することなど出来ないと思います。
 もしかしたら、すでに理解してもらいたいなんて思っていないかもしれません。若
者の「そうっすか。」という言葉も「本当にそう思います。」「果たして本当にそう
なのでしょうか。」という相反する言葉が含まれていて、どちらにもとれ、どちらと
も意思表示をしない便利な言葉かもしれません。
 私も幼い時にタンスの上にあったラジオにかじりついていました。時には落語も聴
きましたが、幼い時に聞いていた「ヤン坊 ニン坊 トン坊」という猿の兄弟の物語
や「お話出てこい」は今でも主題歌が歌えます。
 教育のプロである私たちはもっともっと真剣に人づくりについて語るべきであり、
実践すべきと思います。そうです。師匠の様に命削って、命かけて。
 教職もあと2年と7ヶ月になりました。基本的にダラダラ暮らすことが大好きな私
は、師匠の様な一本筋の通った規範がありません。弟子どころかファンの一人になら
れても師匠がイライラすることばかりと思いますが、おつき合いははじまったばかり、
どうか出来の悪いファンこそお見捨てなきようお願いします。
 正式には都相研としてアンケートをまとめてお送りします。
 お目文字の日を楽しみに。かしこ。
 平成16年8月19日。
 三遊亭圓窓師匠様
浅井是子
2004・10・17 UP





お茶の水女子大附属幼稚園

PTAつぼみ会

第?回 平成15年度" 講 演 会 "

三遊亭圓窓師匠を迎えて

" 教育はお母さんのお腹の中から "

期日・2004年1月28日(水)
主催・お茶の水女子大附属幼稚園PTAつぼみ会
会場・桜陰会館
講師・三遊亭圓窓



勇気付けられた 「話」と「噺」

感想文 阿部高志


 私には六歳になる息子がおります。
 一年前「テレビは故障したので押入れにしまった」と言って、息子の前からテレビ
をなくしました。お陰で我が家では言い合いや口喧嘩は増えましたが、親子の会話も
多くなりました。そこで、「してやったり」と私はほくそえんでおりました。
 ところが最近「これでよいのか?」と思うようになりました。
 私の仕事の関係上、中学生と接する機会が多いのですが、ある生徒から「先生、o
oooを見た?」「先生、XXXXを知ってる?」との質問えお受け、それに対し、
「いや、知らない」という返答ばかりしていました。どうやらテレビ番組の中のキャ
ラクターらしいのです。一度や二度ならまだしも、「知らない」という答えが度重な
ると、その生徒もうんざりして、もう私に声を掛けてこなくなりました。
 私は悩みました。「やはりテレビを見るべきか?」と……。
 そんなとき、圓窓師匠の講演がありました。私のそんな悩みはいっぺんに吹き飛び、
”自信”に変わりました。
 師匠は、テレビやテレビゲームを一刀両断にする、その理由を明解に述べてくれま
した。師匠は噺家ですから、当然その話は面白く、こちらがお腹を抱えて笑うことが
しばしばありました。そして、なぜテレビが害なのかという難しい命題に実に易しく
答えてくれました。しかも肩の張った教育論ではなく、普段の日常レベルでの話とし
て。


 自分の頭の中に話のその場面や姿を思い描けなくなった子ども達、なぜ”思い描く
”ことができなくなったのか? それは、テレビなど視覚情報の氾濫のせい。”思い
描く”にはまず”聞く”ことをしなければならない。聞けばその聞いたことから頭の
中で”思い描く”。しかしテレビは、この”描く”ことを子ども達の代わりにやって
しまうからいけない。
 それで子ども達は”描く”ことをやめてしまった。この”聞く””思い描く”こと
のできなくなった子ども達が大学生になるとどうなるのか?
 日大芸術学部の講師でもある圓窓師匠は言うのです。
「我慢して”聞く”ことのできない学生、約三割の学生が居眠りをする。でも、居眠
りの学生は起こさずにそのまま。なぜって、”聞く”ことができない学生は、起きて
いれば、必ず”私語”を始める。この”私語”は、”死後”よりも劣る。真面目に講
義を聞いている他の学生に迷惑をかける。それよりは、居眠りをしてもらった方がが
よっぽどよい」と。
 近い将来日本の将来を担う若者達にしては、なんともさびしい話。しかしなんと明
解な説明でしょう。最近まで、私は、生徒達に「テレビは見ないように」と言うのを
ためらっていました。しかし今は、声を大にして皆に言っています。「テレビを見る
な!」「テレビを見ると、一日一千万個の脳細胞が消えてゆくぞ!」と。
 圓窓師匠がまだ前座の頃、同期の一人が明治生まれの師匠にお茶を出しながら「昨
夜、師匠の落語をテレビで見ました」と言った。すると、「馬鹿野郎! 落語は見る
もんじゃねえ、聞くもんだ」という言葉が返ってきたとのこと。このテレビを代表と
する視覚優先の時代に”聞く”の復権に尽力する圓窓師匠を私は応援します。
 講演の締めくくりに、小学四年の教科書に載っているという(残念ながら文京区は
採択してない)、古典落語[ぞろぞろ]実演していただいた。
 講演の直後だけに、緊張感もあったが、納得しながら笑っている自分に気がついて
嬉しくなりました。


 上述した感想とは別に、圓窓師匠に是非考えて欲しいことがひとつあります。
 それは、海外の日本人社会の人たちに落語を聞く機会を与えて欲しいということで
す。
 私は仕事柄、特にアメリカ西海岸へちょくちょく行くのですが、そこの日本人社会
の人々に落語を聞いて楽しんでもらえたなら、と考えております。
 古き良き時代の日本人の生活習慣、礼儀、人情などが落語の中では数多く語られて
おります。それらは、私達の住む日本にはもうほとんど見られなくなりました。その
代わり、実に、海外に移住した人たちの社会にこそ、まだ純粋に残っております。そ
んな人たちにこそ落語を聞いて欲しいのです。
 アメリカの日本人社会は、一世、二世の時代から三世、四世の時代に移っています。
 日常使うことばは確かに日本語よりも英語です。でも言葉の問題はそれほど大きな
問題ではなく、字幕スーパーや同時通訳などで解決できます。問題は、生活環境の違
いとその違いからくるその場面の思い描き方の違いです。
 落語[ぞろぞろ]の中で、「田んぼのまん中に、小さな古びたお稲荷さんがありま
した」と聞いたとき、私達が知っている日本風のあの稲穂がゆれる田んぼ、そしてそ
の真中に、床が高くなっていて、賽銭箱があって、天井からは鈴がぶら下がっている、
そんな木造りの稲荷神社を想像できるでしょうか? 天井からぶら下がっているわら
じを頭の中に描けるでしょうか? 「八文(はちもん)」と言われた客が、現代風の
財布ではなく、あの袋を紐で結ぶ式の財布を取り出し、そこからお金をつかみ出す場
面が思い浮かぶでしょうか? 日本に住んでいる私たちとは同じようには思い浮かば
ないでしょう。
 でも、理由はうまく言えませんが、このような人たちにこそ、古き良き時代の日本
(私は古いから良いという立場ではありません。古かろうと新しかろうと良いものは
良いという立場です)が集約されている落語を是非聞いて欲しいのです。
 実現すれば、その生活環境の違いを越えて、古き良き日本の体現者としての三世、
四世もきっと、「落語は素晴らしい!」と感じてくれるに違いありません。
ご 一考いただければ幸いです。


            

圓窓から阿部高志さんへ。

 レポートを読んで、新しい発見をしました。
 あたしは今まで「現代の日本で生活の場にテレビを入れない家庭はない」と思って
ましたが、阿部さんのところがその家庭だったんですね。日本はまだまだ捨てたもん
ではないですな。
 あたしの子供の時代は、テレビが”ない”のが当然。ところが、現代は”ある”の
が当然。というより、ありすぎて当然と言ったほうが正しいかもしれない。
 そういう日本の環境の中で、テレビを排除したということは、そうとうに勇気のい
る行為です。
 全国の学校や教育関係を回って、そのような講演をおりますが、先日も千葉県のさ
る村の”教育の日”に伺って記念講演をさせていただきました。
「あたしはテレビに出演してないから僻んで言っているわけではありません。テレビ
は有害です。人間をぼけさせます。見ないに越したことはありません」
 と語って、嵐のような拍手(?)を受けて、演壇をおりました。
 そのあと、主催者の一人(地元の学校の先生)がお礼の言葉をくださいました。
「圓窓師匠、有意義なお話をありがとうございます。これを生かして、この村の教育
をさらに発展させる所存でございます」
 と、ここまでは良かったのですが、このあとですよ。
「最後に、今後の圓窓師匠のテレビ出演を楽しみに待っております」
 あああああぁぁぁぁぁ…………。
 この方はあたしの講演を聞いてなかったんだ。


 それから、阿部さんの言う「海外の日本人社会の人たちに落語を聞く機会」は是非
とも実現させたいものですね。
 あたしは夢を描いてこつこつと実現に向かうことが大好きな人間です。たとえ、失
敗したとしても、その行動を評価するのです。
 夢が一つ増えました。いつか、花開くと思います。楽しみにしましょう。

2004・3・17 UP





圓窓の著作が桐朋中学校の

入学試験問題になった


 還暦を過ぎてからこの方、あまり物事には驚かなくなったが、名門の桐朋学園の中
学校校長からの手紙「本校において実施いたしました入学試験『国語』問題作成にあ
たりまして、先生の御著作の一部を使用させていただきました」にはちょいと興奮さ
せられました。
「なお私どもの至らぬ点につきましては、御教示、御叱正いただければ」とも記して
ありましたが、とんでもない、すぐにあたしからも驚愕、興奮、感謝の意と共に落語
啓蒙のために広く活用させていただきたく願望の返事を郵送した次第です。
 許可もいただきましたので、ここに、転載をいたします。


 いかがですかな、ご自分の国語力をお確かめになっては。
                      2003・2・吉日 三遊亭 圓窓


      



 拝啓 寒気まだ去りやらぬ候、先生にはいかがお過ごしでいらっしゃいますか、お
伺い申し上げます。
 さて突然ではございますが、過日、本校において実施いたしました入学試験「国語」
問題作成にあたりまして、先生の御著作の一部を使用させていただきました。事後の
御了承を賜りたく、問題一部相添え、御報告申し上げます。
 御作を使わせていただくに際しましては、先生の御意図に悖らぬよう、出来る限り
の心配りを致したつもりでございますが、なお私どもの至らぬ点につきましては、御
教示、御叱正いただければ幸甚に存じます。
 おかげさまで今回の試験では二百名程の俊秀を迎え入れることが出来ました。謹ん
でお礼申し上げます。
 末筆ながら、先生の一層の御健勝をお祈り申し上げます。
                                    敬具
   二〇〇三年三月二日
                          桐朋中学校校長 小柳敏志
 三遊亭圓窓先生 机下


      


二〇〇三年度(中 学)国 語


(注 意)


 始まりのチャイムが鳴るまでに,次の注意をよく読んでおきなさい。


 一、 始まりのチャイムが鳴るまで問題や解答用紙に手をふれてはいけません。
 二、 試験の始めと終わりは、チャイムで合図します。試験時間は、八時三十五分
   〜九時二十五分の五十分間です。
 三、 まりのチャイムが鳴ったら、問題と解答用紙に受験番号、氏名を記入しなさ
   い。問題一冊(十三ページ)と解答用紙(一枚)です。
 四、 問題について質問してはいけません。
 五、 困ったこと(筆記用具を落としたときなど)があったら、だまって手をあげ
   てください。
 六、 持ち物をかしたり、かりたりしてはいけません。
 七、 答えは、すべて、さだめられた解答欄(らん)の中に書きなさい。
 八、 終わりのチャイムが鳴ったら、すぐに筆記用具をおき、解答用紙をうらがえ
   しにして、その上に問題をかさねておきなさい。
                 受験番号[     ] 氏名[     ]
       


二 次の文章は、三遊亭圓窓(さんゆうていえんそう)という落語家が語った内
 容をまとめ直したものです。これを読んで、後の問に答えなさい。



  去年、北九州市の小倉(こくら)での落語会へ出演したついでに、長州(ちょう
 しゅう)<山口県>の萩(はぎ)へ回りました。
  萩ときたら、なんと言っても、まず松下村塾(しょうかそんじゅく)。かの有名
 な吉田松陰(しょういん)が、徳川幕府を倒(たお)して明治維新(いしん)のa
  ゲンドウリョクとなった志士たちを育てた塾(じゅく)のことですよ。
  中の部屋を見て@驚きましたね。今の国会議員全員が寄ってたかっても太刀(た
 ち)打ちできないほどの傑物(けつぶつ)が、ここで松蔭先生の教えを受けて育っ
 た場所なんですよ。
  畳(たたみ)の数も十畳(じょう)くらい。松蔭先生は本を見台(けんだい)に
 置いて、《 A 》。塾生はもっぱら聞いたんでしょう。
 「ああ、教育って建物の大きさじゃないんだ。こんな小さな部屋でもいいんだ」、
 そして「教育の原点は〈話す・聞く〉なんだ」ってことをつくづく思い知らされま
 した。
  この部屋の中で、塾生たちは師匠(ししょう)が話していることの〔 1 〕も
 聞き逃すまいと、必死になってその教えを頭の中にインプットしていったんです。
  あたしが、松下村塾をbタズねて、えらく感動してしまうのにも、深いわけがあ
 ります。
  もともと、勉強が嫌(きら)い、どっちかというと無口だったあたしは高校を出
 るやさっさと落語の世界に飛び込(こ)みました。ところが、そこであたしを呑み
 込んだのは、きびしーい稽古(けいこ)の世界。そして、高座(こうざ)に上がっ
 て、お客を前に話し始め、なんと四十四年も経ちました。しかし、年々、話を聞い
 てくれる人が少なくなったような寂しい思いをしています。寄席が閑散としてきた
 だけじゃない。寄席のお客でも、聞き入ってくださる方が減っているような実感を
 持っています。「日本人が変わりかけている」と思うのです。


  昭和十五年生まれのあたしは五人家族の長男として育ちました。この年代なら当
 たり前ですが、その当時、家の中の娯楽機器は茶の間にラジオが一台あるっきり。
 放送局はNHKだけ。それを家族みんなで聞いていました。ドラマ、歌謡曲といろ
 いろ楽しんだのですが、落語も楽しみましたよ。
  あたしは小学校低学年のころから、落語のときは、ラジオに耳を付けんばかりに
 して聞いてました。なにしろボリュームも上がらないラジオですから、他の者が話
 を始めると聞こえなくなっちゃうんで。
  最初から落語がわかったわけじゃありませんよ。……「たった一人でしゃべって
 いるらしい」「笑っている人はcオオゼイいる」「だけど、なにが可笑(おか)し
 いんだろうか」って、目には見えないもんですから、不思議でならなくて想像ばか
 りしていました。話し手の声と聴衆(ちょうしゅう)の笑い声が重なり合い、競(
 きそ)い合うように、実にタイミングよくからみ合う、絶妙(ぜつみょう)の味わ
 いで盛り上がってんですよ。
  家庭での娯楽がラジオしかなかった昭和二〇年代。あたしはラジオの落語にはま
 り込んだわけです。


  落語家になったのは、昭和三十四年です。師匠は八代目の春風亭柳枝(しゅんぷ
 うていりゅうし)。半年後、師匠が亡(な)くなったので、六代目三遊亭圓生(え
 んしょう)のdモンカへ移りました。この二人の師匠には三遍稽古(さんべんげい
 こ)を付けてもらいました。
  師匠が暇(ひま)だと「おい、稽古だよ」と声をかけてくれます。うれしいです
 よ。「はいッ」てんで、師匠の部屋に入ります。そこで、師弟(してい)が正座し
 て、対座ですよ。弟子(でし)が「お願いします」と言って頭を下げると、「えー」
 てんで師匠が一席演(や)ってくれるんです。高座で演るとおりに。二十分あれば、
 二十分。三十分あれば、三十分。それを弟子が聞いて見て覚えるんです。
  師匠が演っているeサイチュウに「この個所(かしょ)は大事なところだ」と思
 っても、メモをとることは許されません。学校ならかまいませんよね。先生はかえ
 って喜びますよ、「あいつはメモをし始めた。やる気を出したな」てんで。
  しかし、三遍稽古ではメモはいけない。ひたすら、《 B 》という作業だけで
 す。まあ、稽古が終わって、弟子は自分の時間になったとき、忘れないようにノー
 トにメモをとって整理しておくことはfカマいませんが、稽古中は見る聞く以外は
 一切(いっさい)厳禁です。
  次の日、また、師匠が「稽古だよ」。師匠は弟子の前で昨日と同じ落語を演って
 くれる。弟子はそれを、聞いて見て覚える。翌日もそうです。つまり、師匠は弟子
 の前で三日間にわたって同じ落語を三遍演ってくれるんです。で、「これで覚える
 んだよ」。これを三遍稽古といいます。
  弟子はよほど集中力を発揮しないことには、これだけで話を覚えることなど、で
 きるものじゃありません。そして、これで、終わったわけじゃない。四日目には、
 今度は弟子が師匠の前で覚えてその落語を《 C 》んです。
 師匠は聞く側になるわけですね。弟子が演っていると、「ああ、違(ちが)うよ」
 ってぇ声を発するんです。違うってことは、学校でいう×(ばつ)ですから、弟子
 はこれを〇(まる)にしようてんで、「こうかな?」と演り直す。と、また、「あ
 あ、違うよ」。……「じゃ、こうかな?」「ああだったかな?」。×、×、×です
 よ。
  師匠が「違う、違う」と言っている間は、弟子の発表している落語は×のところ
 で足踏(ぶ)みしているだけで前へ進めません。結局、稽古はなかなか終わりませ
 んよ。
  で、師匠は違っているところを《 D 》わけなんですが、「そこはこうなんだ
 よ」って正しいのを演ってくれないんです。「意地悪だなぁ」と思いましたよ。で
 も、師匠にしてみると、「俺(おれ)はおまえの前で三遍演ったんだぞ。なに聞い
 てたんだ。なに見てたんだ。しかも、ただで」って考えがあるんですよ。
  落語の業界は師弟のつながりはありましても、月謝というつながりはないんです
 よ。ただで教えている分、落とす雷はすごいんですよ。そりゃ、そうですよ。月謝
 をもらうってことになったら、弟子はお客さま、お得意さまです。正直に「まずい
 ですね。下手ですね」とは言いにくいですよ。言って辞(や)められたら収入が減
 るわけですから、gソントクを考えます。ですから、腹の中で「ヘタクソだな」と
 思っても、「〔 2 〕芸ですね」とか言って、己(おのれ)の感情を抑(おさ)
 えることをするわけですね。月謝を取ってなければ、師匠は強いですよ。失うもの
 はないんですから。二度目の師匠、圓生は怖(こわ)かったですよ。落とす雷の大
 きいこと、多いこと。こっちがもたもたしていると、即(そく)「やめちまえ!」。
「稽古をやめちまえ」じゃないんですよ。「〔 3 〕をやめちまえ」ってんで。


  あたしは稽古が終わると、すぐに覚えている部分を大学ノートに書いたもんです。
 《 E 》ことによって覚えられることを知りましたよ。聞いて見て覚えて、書い
 て保存しておく。それがあたしの落語の保存方法でした。
  ところが、ちょうどその頃、テープレコーダーが電気店などに出始めたんですよ。
 圓生も仕事が多忙(たぼう)になってきて、稽古のときはその機器を利用するよう
 になったんです。落語史上の大きな変化ですよ、これは。
  師匠から「テープを持っておいで」と言われますから、弟子もhクメンして金を
 貯(た)めて機器を買いましたよ。ですから、稽古は師匠の機器に弟子のテープを
 セットしてから始まるんです。今、三遍稽古をしている落語家は、一人もいないで
 しょう。あたしの世代が最後だったかもしれません。
  便利は便利ですよ。しかし、テープ録音という機器のせいで、A落語家の集中力、
 記憶(きおく)力はガクッと落ちました。
  とは言うものの、あたしたち三遍稽古のノート年代も威張(いば)っちゃいられ
 ません。
  なにしろ、あたしが入門した昭和三十四年当時、楽屋には明治生まれの名人、上
 手が居並んでました。ラジオは大正十四年に放送開始したんですから、師匠連(れ
 ん)の生まれ育った頃は、落語はじかに聞くしかなかったんです。みなさんは競争
 のように、聞いて見て覚えるということをしたんでしょう。
  そういう師匠方の亡くなったあと、遺族が遺品の整理をしますよね。その中に師
 匠の書き残したノートはおろかメモすらほとんどないのです。ということは、落語
 は〔 4 〕。
                (三遊亭圓窓『人の話の聞き方入門』による。)


 問一 ====線部 a〜hのカタカナを漢字に直しなさい。


 問二 ━━━━線部 @について。このでの「驚き」の内容を説明したも
   のとして、次の中では、どれが最もふさわしいでしょうか。一つ選
   んで記号で答えなさい。

    ア 有名な塾だが、実際はとても貧弱で、多くの生徒をつめこんで黒板さえ
     使ってなかったこと。
    イ 吉田松陰は、自分が想像していたよりも立派な人で、数多くの人々に学
     問を教えていたということ。
    ウ 多くの偉大な人物が学んだ塾でありながら、思った以上に小さな部屋を
     使っていたということ。
    エ 先生の声がよく通るように教室も小さくしてあり、本物の教育をするた
     めの工夫が多いこと。


 問三 本文中の《 A 》〜《 B 》を補うのに最もふさわしいこと
   ばを、それぞれ次の中から選び、記号で答えなさい。(ただし、一つ
   の記号は一度しか使えないものとします。)

    ア 聞いて見て覚える  イ 聞いて覚える  ウ 見て覚える
    エ 読んで覚える    オ 録音する    カ 指摘(してき)する
    キ 演(や)る     ク 書く


 問四 本文中の〔 1 〕を補うのに最もふさわしいことばを、次の中
   から選んで記号で答えなさい。

    ア 枝葉(しよう)末節  イ 起承転結   ウ 大同小異
    エ 一言半句       オ 千変万化


 問五 本文中の〔 2 〕を補うのにふさわしいことばを、考えて答え
   なさい。



 問六 本文中の〔 3 〕を補うのにふさわしいことばを答えなさい。


 問七 ━━━━線部 Aについて。なぜこういうことになったと考えら
   れますか。想像して、わかりやすく説明しなさい。



 問八 本文中の〔 4 〕を補うのにふさわしいことばを、考えて答え
   なさい。

                        (以上で問題は終わりです。)



名古屋市国語研究会 指導法研修会

"三遊亭圓窓の講座と講義"

2002年10月29日(火)
会場・女性会館


            

胸をわくわくさせながら

                       名古屋市立筒井小学校 鵜飼真理


 噺家さんの講演会ならきっと楽しいに違いない。どっかの大学の先生の講演会では
なかなか参加する気にならないのですが、今回はとても胸をわくわくさせながら会場
まで足を運びました。
 講演の随所に笑いを盛り込みながら「話すこと」「聞くこと」そして「思い描く」
ことの大切さを私たちに伝えてくださいました。
 話の達人による講演はとても楽しく、時間が過ぎるのも忘れて聞き入ることができ
ました。
 ホールがいつの間にか寄席に、私自身、教師から一お客になり、落語を聞き、笑っ
ていました。お代をお払いしないかわり、小学四年生の子を相手に「思い描く」大切
さを伝えていきたいと思います。
 今日は期待通りの時間が過ごせました。ありがとうございました。
    円窓より返信:あたしも他人の講演は自分が話すときの勉強だと思って聞い
          て歩くようにしてます。「聞き上手こそ、話上手」だと思って
          ます。


             

教師は「目指せ、いい芸人!」

                       名古屋市立桃山小学校 橋本真理
 

 教師になって14年目になりました。
 14年前と比べても、最近の子供たちは本当に話すことが苦手になりました。自分
のことすらうまくお話できない子もいます。
 また、何か話してもそれを想像できない子もたくさんです。考えたり想像したりす
る楽しみよりも、正解が早く知りたい、という感じです。
 教師が今日のような楽しい話をしてやれば、何か変わっていくかもしれませんね。
 めざせ、芸人!
    円窓より返信:あたしが講演で「教師はいい芸人であるべきだ!」と絶叫し
          ましたが、わかってくださってありがたいです。「いい芸人」
          になってください。


            

胎児は「聞く」学習をしている

                      名古屋市立南押切小学校 古川守之


 赤ちゃんが胎内で「聞く」ことから学習を始めているということに共感しました。
 また、忙しいと子どもにテレビを見せてしまっていることを反省しました。
 映像に頼っていては、脳が発達しないですね。
 帰ったら、子どもと本を読んだり歌を歌ったりして遊んであげたいと思います。
    円窓より返信:子どもから「お母さんって面白いね」と言われれば、本物で
           す。


            

教育の原点「話す・聞く・思い描く」

                       名古屋市立正色小学校 山田啓子


 教育の原点「話・聞く・思い描く」を大切にして教育してほしい、という思い!
 日本の教育の必要性が情熱をもって話をされ、楽しく聞くことができました。
 高座での[ぞろぞろ]、とても楽しく聞かせていただきました。
 ありがとうございました。
    円窓より返信:子どもたちと一緒にやってみてください。


            

初めての生の落語

                              名古屋の教員 Y
 初めて生の落語を聞きました。
「思い描く」。
 話から自分の想像をふくらませることは楽しいことですね。
 最後の落語[ぞろぞろ]から茶店の主人や床屋の主人の顔を想像しながら聞かせて
いただきました。
 楽しいひと時でした。
    円窓より返信:先生方も生徒と一緒になって落語を演るといいんですけどね、
           ほんとは。


             

親と子に聞かせたい

                        名古屋市立北中学校 吉本育代


◎ 今の親と生徒に聞かせたい。
   1.大きな声を出せということ。
   2.学校に何もかもお願いしますというのはおかしい。親が子供に責任を持て
    ということ。
◎ 暗記は人気がありませんが、暗記すべきことは暗記してないと、考えを構築する
 材料がありません。
  それに、今の子は語彙が少ないんです。暗記も必要なので、目の敵にはしないで
 ください。そうしていらっしゃる訳じゃ・・・・???
  本日は本当にありがとうございました。今日はもう三つ悪いことがありましたか
 ら、あとは・・・・ばかりです。きっと???
    円窓より返信:「知識を知恵にして、そして行動へ」ということができれば
           いいんですが、日本人にはそれが乏しい。暗記をしてそれ以
           上にUPしてないようなんです。
            この日は、あたしがあまりにも早く来過ぎて控え室へ入れ
           ず、ロービーで寝込んでしまい、ミスが重なりました。その
           後、歳のせいか同じようなミスばかりを重ねています。経験
           を生かせないでいる圓窓です。


            

寄席通いは続けます

                      名古屋市立高針小学校 横地八枝子


 大変面白いお話でした。
 圓窓師匠さんをまた東京に聞きに行きます。末広亭はよく行きます。
 私たち教員への信頼を感じました。
「話す・聞・思い描く」は、今の子供に大切と思います。
 明日から学校に帰って反映すべく努力します。
 今、学芸会の練習の真っ最中です。
「伝える」を大切にして師匠の言われたことを参考にしていきます。
 ありがとうございました。
 P.S. 落語を小6の子にもやらせてみたいです。
    ますますお元気で。
    円窓より返信:寄席へはどんどん行ってください。

2003・5・5? UP







 

講師:三遊亭圓窓
演題「落語と教育の関係」



               主催:東京都教職員研修センター 公開講座
               日時:2002・1・18(金)午後3時30分〜
               会場:東京都教職員研修センター
               参加:教師、教育関係者、一般都民(約515名)



「 私自身 ハッとしました 」

東京都教職員研修センター
研修部長 臼井 勇


拝啓
 初春の候、 師匠におかれましては、ますますご健勝のことと存じます。
 このたびは、私どもの公開講座に講師としてご指導いただきまして、誠にありがと
うございました。
 参加者が515名、そのうち一般都民の参加が143名もありました。
 これは研修センター始まって以来の参加者でございまして、ひとえに圓窓師匠のお
かげと職員一同感謝しているところでございます。
 ありがとうございました。
 ところで、師匠は講演の中で「人は失敗をするもの。しかし、反省して失敗を生か
せば財産になる。反省しなければそのマイナス財産を一生引きずる」と、お話しいた
だきました。また、「人は歳を重ねるごとに反省をしなくなる」ともお話しいただき、
私自身ハッとしたところでございます。
 誠に残念なことに、教員のわいせつ・セクハラ・体罰など、服務上の事故がありま
す。
 研修センターでは、これらの先生方に心から反省していただき、初任者のころの情
熱と夢と期待をもち、二度と繰り返させないように研修を実施しております。
 先ほどの師匠の言葉を引用させていただき、自らの言動や指導を心から反省させ、
信頼を取り戻し、教員としての自覚と自信をもって子どもの前に立つことができるよ
うにさせていきたいと考えております。
 このたびは私自身、深く感動いたしましたことと、私どもに適切なご示唆をいただ
きましたことを改めて感謝申し上げ、お礼とさせていただきます。
                                    敬具

「 テレビが人間を駄目にする 」

東京都教育相談センター
伊東 冨士雄


 昨日、おいでいただいた東京都教職員研修センターの同じ建物の1階に勤めており
ます。
 本当に含蓄のある内容を分かりやすくお話いただき、さすが、話のプロだと感動い
たしました。
 私は、多くの皆様がおいでいただいたので会場には入らず、職場のテレビを通して
お話を確かに聞かせていただきました。
「話す、聞く、思い描く」というお話の内容、今の子どもに本当に必要だと、私も思
います。
 相談という仕事でも、このことは大切なことです。
 特に、相談に来られる方の話を聞き、その背景を思い描くことが問題の解決への第
一歩だと感じております。
 テレビが人間をダメにする。説得力を感じました。
 私が落語に接したのはラジオを通してでした。
 今でも、日曜日の深夜NHKのラジオで放送される落語を聞きながら眠っている私
は、思い描く世界に浸って一人楽しんでいるのだ、と昨日の話から改めて思いました。
 私も、また、あと少しで学校に戻ると思います。
 その時には「話す、聞く、思い描く」力を子どもたちにつけるために努力したいと
思います。
 昨日は、本当にありがとうございました。
 一言、感想をお伝えしたくてメールを差し上げました。
2003・2・11 UP









札 教 研 講 演 会

講師:三遊亭圓窓
演題「落語と教育の関係」
主催:札幌市教育研修協議会(略して、札教研)
日時:2001・9・4(火)午後3時30分〜
会場:札幌市生涯学習綜合センター・ちえりあ講堂
参加:教師、教育関係者(約200名)





講 演 報 告 レ ポ ー ト
その2
「 大人は手遅れ 小四年生に期待 」
書き手 無銭


 圓生物語の終わった翌4日、圓窓師匠は札幌で講演会がありました。
 札幌市教育研修協議会(札教研)主催の講演会です。
 札教研は札幌市の小中学校の教員の研修を行うための組織で、教員同士の研修会以
外に毎年、年1回、各方面からの外部講師を招いて講演会を開催しています。
 今年は圓窓師匠による講演「落語と教育の関係」です。落語[ぞろぞろ]の実演付
き。
 私とか棒茄子さんの所属する道落長屋のメンバーである小川以心(教員)さんが札
教研の事務局にいらして、その小川さんの肝いりで開催の運びとなりました。


 3日の圓生物語を聞いた私は、4日も羽田空港からお供して、付き人気分を味わせ
て頂きました。
 持たせていただいた圓窓師匠のお荷物には、ダンベルは入っていませんでしたが、
重かったです。
(筆者注:ダンベルとは、圓生物語の新真打ちのトークコーナーで萬窓さんの話した
前座のときの苦労話に出てきた道具で、「師匠(圓窓)はゴルフの訓練だと言って、
仕事に行くときでも歩きながらダンベルを手に持って運動するのです。でも、ほとん
どすぐにやめてカバンに入れます。そのカバンはお付きのあたしが持つわけですよ。
重くなって困りましたよ。なにせ両手で10Kgですから」という因縁物)
 圓窓師匠のお書きになった本がたくさん入っていました。どっかで、売るつもりな
んでしょうね、きっと。
 荷物運び以外に、会場の控え室で着物と帯も畳ませて頂きました。


 講演会は200名を越える小中学校の先生方がお集まりでした。前記の棒茄子さん
も駆けつけてくださいました。


 終わっての懇親会の席上では、過去数十年の札教研の講演会の中で一番素晴らしい
充実した講演であったとの言葉がありました。懇親会で私のお隣に座ったお若い先生
も「感激した」と、さかんにおっしゃってました。
 圓窓師匠の「落語は聞くもの」「思い描く力」、その言葉の一つ一つが教育現場で
の実感として結びついたのだと思います。
 なにせ、師匠は実際に小学校四年生に落語を教えているのですから、その実績がも
のを言います。これで、札幌市の未来はぐっと明るくなりました。


 今後、本当に教室の場で圓窓師匠の落語実演が実現したら嬉しいです。
 落語[ぞろぞろ]が終わった後で、私の後ろの席の方のもらした実感として「どう
して、一人であんなに多くの人間を表現出来るのだろう」だって。
「本職なんだもの」と振り向いてそう言いたかったです。
 日本の将来を思えば、子供たちに本物の落語を聞かせる、絶対に必要なことです。
「大人は手遅れです。今日は手遅れの集団です」と先生方に言う師匠のクスグリはた
いそう受けてました。
 札幌、そして北海道の何ヶ所かでも実現したいと思います。
 その節は、圓窓師匠、宜しくお願いします。
 お着物でもダンベルでもなんでも運びます。(笑)





その1
「 最も素晴らしく 最も充実 最も感動 」
書き手  小学校教師 小川 以心


 ありがとうございました。
 今は、この言葉でしか感謝の気持ちを言い表せません。
 過去数十年缶の札教研講演会の中で、最も素晴らしく、最も充実し、最も感動を与
えてくださいました。
 講演を聞きにきてくれた会員の方々、運営スタッフ、そして役員も、大変喜んでく
ださいました。
 落研の仲間も、道落長屋の方々も駆けつけてくれました。
 みんな、「よかったね」と誉めてくれました。
 私の低い鼻が、ちょっぴり高くなりました。


 道落長屋の工藤さんをはじめ、多くの方々に支えられ、師匠の講演を行うことが出
来、こんな幸せなことはありません。
 今後とも、いろいろとお世話になりますが、よろしくお願いいたします。
 本当に本当にありがとうございました。

2001・9・22 UP









成田市教育講演会
”圓窓の教育講演”「豊かな心を落語から」

聴 講 体 験 レ ポ ー ト

主催:成田市教育委員会
日時:2001・7・25(水)
午後10:15〜11:45
会場:成田国際研修センター
講師:落語家 三遊亭 圓窓
参加:教師、教育関係者(約400名)





心に描くことの 大切さ」

文責  成田市立豊住小学校教員 長澤房枝


 初秋の空もさわやかな季節。
 学校にはまた、こどもたちの元気な声が戻ってきました。
9月は運動会シーズンのため、今、学校はその準備に追われ、慌ただしい毎日を過ご
しております。
 圓窓師匠におかれましては、その後もお元気にご活躍なさっていることと思います。


 夏季休業中に実施されました成田市の教育講演会の折りには、久しぶりにすばらし
いお話を伺うことができ、今も職員室の話題になっているほどです。
 小学校では、楽しい体験の中で言葉を耕していけたらと、さまざまな学習に取り組
んでいますが、師匠のお話を伺って、ますます心に「描く」ことの大切さ、日本語の
すばらしさを再認識させられました。
 これからも、楽習のなかで、心豊かな子どもたちを育てていけたらと思います。


 本物のお話は、そのきっかけを与えてくれました。
 本当にありがとうございました。





「落語の良さを知る 良いきっかけ」

  文責  成田市立豊住小学校教員 山本陽子


 落語家の方の話を聞くのは、初めての経験でしたが、その話術に魅了され、時間が
たつのを忘れてしまうほどでした。  
 教師も子どもたちの前に立ち、話をするときは、圓窓師匠のようでなければならな
いな、と感じました。
 最後の落語[ぞろぞろ]は、落語の良さを知る大変良いきっかけになりました。       





「子どもたちにも 落語の良さを生で」

文責  成田市立豊住小学校教員 池田金光


 すばらしいプロの話術に思わず引き込まれてしまい、楽しく落語まで聞かせていた
だき、有意義なひとときを過ごさせて頂きました。
 こうした機会をまた設けていただき、子どもたちにも落語の良さを生で味わわせて
あげられれば、と思いました。
 これからもご活躍をお祈り申し上げます。





「落語を教育現場に 生かせたい」

文責  成田市立豊住小学校教員 中谷宏幸


 圓窓師匠の落語家としてのその話術に魅了されました。
 人を引きつける話し方は、子どもたちを引きつけることと通じるものがあると思い
ました。
 落語を教育現場に生かせればと思いました。
//////////////////////////////////////////////////////////////////

「心を伝える 声の抑揚や強弱」

文責  成田市立豊住小学校教員 國本與一


 心に思うことを伝えるためには、声の抑揚や強弱が大切であることを改めて感じま
した。
 落語はそれを巧みに駆使した話芸(芸術)なのだと思いつつ、師匠の落語を堪能さ
せていただきました。
2001・9・22 UP





「活力ある学校を創造したい」

文責  成田市教育委員会 教育長 藤野 公之


謹啓
 酷暑の候、師匠におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、先日はご多忙の中、当市教育講演会においてお話しいただき、ありがとうご
ざいました。
 今回のご講演では、自分の頭・心で様々な場面や状況を描き、対応できる子ども、
「反省心」を持つ子どもを育てるために、「話す・聞く・描く」ことの大切さを師匠
の巧みな「語り・噺・笑い」から我々一人一人が日々の「心がけ」としてしっかり描
くことができました。
 また、「話し手は、楽しい話をして聴衆を惹き付けるべきである。話に魅力があれ
ば聞く力は育つ」ということは、言い換えれば「授業も魅力ある話をすれば聞く力が
育つ」ということになります。教師も魅力ある授業作りが原点であることを再認識し
た次第です。
 ご講演後、市内の教職員の声を聞きましても「聴きごたえのある講演に巡り合えた
ことに感謝し、教師としての魅力を少しでも高めたい」との感想が数多く寄せられま
した。心より御礼申し上げます。
 師匠からご指導いただきましたご教示を学校現場、市の教育行政に反映させ、活力
ある学校を創造して参りたいと存じますので、今後ともご指導のほど切にお祈り申し
上げます。





「魅力ある話で授業をする」

文責 成田市教育委員会教育指導課 江村 司
 晩夏の候、師匠におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
 先日は、ご多忙の中、成田市教育講演会においでいただきまして、ありがとうござ
いました。
 ご講演後の教職員の声を聞きましても、
・「聞きごたえのある講演に巡り合えたことに感謝したい」
・「聞く・話す活動を重視し、描くことのできる子どもを育てたい」
・「魅力ある話をすることで子どもたちに聞く力を育てたい」
などの感想が数多く寄せられました。
 師匠の聞き手を引きつける巧みな語りは、教師にとっても魅力ある話で授業を創造
することが原点であることを再認識した次第です。
 講演会を企画しました当市教育委員会といたしましても、教職員の反響の大きさを
耳にしますと、あらためて師匠への感謝の気持ちでいっぱいとなります。
 末筆ながら今後の師匠の益々のご活躍とご自愛を切にお祈り申し上げます。
2001・9・2 UP









平成12年度
釧路教育研究センター 教育講演会
"圓窓の教育講演"演題「ゆたかな心・ぞろぞろ」

聴 講 体 験 レ ポ ー ト

主催:釧路教育研究センター(釧路市教育委員会)
   釧路教育研究センター事業推進委員会
共催:釧路国語教育研究会
日時:2001・3・3(土)午後2時
会場:釧路市民文化会館
講師:落語家 三遊亭 圓窓 氏
参加:教師、教育関係者、一般市民・子供
      (約300名 参加)





まずは 「お 礼」

釧路教育研究センター
所長 三 上 一 茂


 長い冬のとばりからとかれて、釧路にもようやく春の訪れを告げる花便りが届く頃
となりました。
 円窓師匠におかれましては、「円窓五百噺を聴く会」がゴールを迎え、次の夢に向
かって益々ご壮健にてご活躍のこととお慶び申し上げます。
 さて、この度の教育講演会、私どもの長年の夢を実現させてくださり誠にありがと
うございました。心から厚く感謝とお礼を申し上げます。
 会場の応接室でもお話させていただきましたが、円窓師匠が離釧の後、主催者とし
てのこの私の株がうなぎ登りに上がっており、誇らしい気持ちでいっぱいの日々を過
ごしております。
 現職に就いて、研修講座・教育講演会等の新たな企画・開拓に心がけてきておりま
すが円窓師匠にお会いでき、ご講演を拝聴し、その意を一層強めているところであり
ます。
 日を追うごとに、「現実は夢から始まる」の言葉に勇気づけられております。
 毎日新聞(3月6日付)の「前人未到の500噺を達成する落語家 三遊亭円窓さ
ん」の記事を読みました。
 私も、きっと、「円窓師匠の顔が頭をよぎった、人さまのおかげです」と言わせて
いただける夢のある仕事を追い求め、地道に歩んでまいりますことをお誓い申し上げ、
お礼の言葉とさせていただきます。
         (※ ご来釧の機会がありましたら、是非、お知らせ願います)





教育講演会を終えて「快晴美日」

主催者 釧路教育研究センター所長 三上一茂


 シドニーオリンピックで、日本人選手の金メダル獲得が大きく報道される中、長年
の夢であった、「落語家を講師に迎えての教育講演会」の企画が実現可能となりまし
た。
 しかも、釧路地区で採択されている国語の教科書(小四・教育出版)に掲載されて
いる落語[ぞろぞろ]の三遊亭圓窓師匠ご本人に、講師をご快諾いただいたことは、
私(主催者)にとりまして、正に、今年度の研修事業推進における「金メダル」獲得
といったところでした。
 圓窓師匠の色紙にある『現実は夢から始まる』の言葉通りのことが実現いたしまし
た。


 3月3日(土)開会式に引き続き、14:10に講演開始、聴衆の眼差しは、圓窓
師匠一点に注がれ、会場は期待感に満ちあふれました。「本当に圓窓師匠だ!」「本
物の圓窓師匠の声だ!」子供から教師・親・お年寄りまで、聴衆の心の中が見えるよ
うでした。
「危機的状況にある日本再生には、子供の教育が鍵を握る」を基盤に、「自分の頭・
心で、様々な場面や状況を描き、対応していくことができる子供を育てること」。そ
のために「書く・読む→描く」「話す・聞く→描く」ことの大切さが強調されました。
 親や教師が、どのような生活・生き方をし、子供に、どんなことを・どのように話
して聞かせ、どんなことを・どう描かせるか、その重要性を、圓窓師匠の巧みな語り
・噺・笑いの中から、聴衆一人一人が、日々の「心がけ」としてしっかり描くことが
できました。
 いじめ・不登校・青少年犯罪・学力低下等の教育の課題について、大人だれもが総
教育評論家の風潮にある今日、自己教育力・生きる力・体験的な学習・総合的な学習
・学社融合・地域の教育力・開かれた学校等々、教育に関する専門用語には消化不良
を起こしています。
 そんな中で、難しい教育用語を一切用いず、教育の最重要課題である「ゆたかな心」
の育成・有り様を説かれた圓窓師匠のご講演は、とてもスッキリと新鮮でした。
 教育は共育・協育・響育でなければならない等、造語も氾濫しておりますが、圓窓
師匠の提唱する「笑涯楽習」は、その真の意味を聞き、正に「目から鱗が落ちる」で
した。
 落語家だから洒落で用いているんだ、と思っていた浅はかな自分の「描き」を恥じ
ております。
 よく、「教師は5者であれ」(教師は賢者であれ・達者であれ・医者であれ・役者
であれ、芸者であれ)と言われます。圓窓師匠の魅力を目の当たりにし、ともすれば、
親よりも多くの時間を子供と過ごす教師の魅力を少しでも高めていくよう、心に誓っ
た講演会の終了でした。


 落語[ぞろぞろ]に因み、ゆたかな心「ぞろぞろ」と題しての講演会、期待を遥か
に超える反響で、聴衆の感動が、当日参加できなかった方々へも「ぞろぞろ」広がっ
ているところです。講演会最後のプレゼント、ライブ落語[ぞろぞろ]を聞くことが
できた子供たち、誇らしげにその感動を自慢している姿が目に浮かびます。
 教師・一般市民に「ゆたかなひととき」を提供したい、そんな願いが実現した教育
講演会を終え、その余韻をもって、今日も私の心は「快晴美日」。
 圓窓師匠、そして、この企画を支援してくださった皆様に心から感謝を申し上げま
す。





聴 講 感 想 集


「学習から楽習になるよう努めます」


「落語の中に国語があり、国語の中に落語がある」という言葉を聞き、国語科の授業
も、身近な生活に根ざした楽しい学び(学習から楽習へ)となるよう一層努めていか
なければならないこと。
 そして、そのためには、「器用」→「上手」→「名人」と、教師の技量を高めてい
くことが求められること。
 このことを師匠の巧みな話術と人間性から実感させられました。
 ありがとうございました。
釧路市立鶴野小学校長・釧路国語教育研究会副会長 板谷聖一



「教育界の御意見番として」


 久方振りに、感銘と心が洗われる講演を拝聴しました。
 教師は心の医者とか、授業等では演出家・役者たれとも引用されますが、即座に噺
家であることも加えたものです。
 一芸に秀でる方の教育観もまた高尚であり、拝聴することにより、私の創造力に新
たなる灯を与えていただきました。
 更に、「笑涯楽習」を座右の銘といたします。今後とも、ご壮健にて芸を極められ、
教育界への御意見番としましても広くご活躍されますことをご祈念申し上げ、お礼と
感謝の辞といたします。
標茶町立塘路小中学校長・釧路国語教育研究会副会長 高橋健通



「納得のある"学びと出会い"を大切に」


「なんだ、駄洒落だよ!」という古文との出会いのお話に、まさに"楽習"の真髄を
感じさせていただきました。そうした「ことばへのおもしろさ」を教室の中で豊かに
実現させたいものです。
 私ども一人一人の教師に、そのための力量(指導力)を身につける必要感を教えて
いただいたように思っております。
「教師」という仕事を選び、その道を歩む中で、子供たちの心にストンと落ちる、納
得のある「学びと出会い」を大切にしていきたいと考えています。そして、私自身が、
自らの辿った歩みを振り返った時に、"笑涯楽習"だったと思える日々をおくりたいと
思います。
 ありがとうございました。
白糠町立河原小中学校教頭 庄子



「テレビとは"描くことを念頭に"付き合おう」



 久々に聴きごたえのある講演に巡り合えました。
 教科書教材という、身近な「一席」の本物に、直接触れられたことにも感激してお
ります。
 日常生活の中で、なかなか縁の切りにくいテレビとは、今後、『描く』ことを念頭
に置きながら付き合おうと思います。
「圓窓五百噺を聴く会」はゴールが見えたようです。今後も"ぞろぞろ"続く師匠の
ライフワークが、一層輝くことをご祈念申し上げます。
 ありがとうございました。

剛浜中町立霧多布中学校長・釧路国語教育研究会副会長 高橋浩一



子供たちに"本物"を聞かせたい」


 はりのある声、機智に富んだ話、そして笑い。
 是非、たくさんの子供たちにも、「ほんもの」を聞かせてあげたい。
 そんな思いを強くしたひとときでした。
「笑涯楽習」を広めたいですね。
釧路町の小学校の一教頭



「90分がとても短く感じました」


 寒い北海道の釧路へようこそ来ていただき、ありがとうございました。
 久しぶりに生で、本当の落語を聴かせていただきました。前から2番目の席におり
ましたが、90分がとても短く感じました。
 講演の中での「話す、聞く、描く」と「書く、読む、描く」は、子供たちに今必要
な事だと感銘いたしました。大人はそれに向けて考えを新たにすべきだと思います。
 これからも「描く」ことが益々広げられるよう、大衆・世の中に「笑涯楽習」をお
願いいたします。
 ありがとうございました。
釧路市事務職員会 会長 小松重知



「素敵な言葉とサイン(色紙)」


「笑涯楽習」、素敵な言葉とサイン(色紙)、ありがとうございました。
 私は、国語の教師なので、授業では「書く」「読む」「描く」の方をより意識して
授業をしてきました。しかし、子供たちとの生活の中で痛感するのは、「話す」「聞
く」「描く」コミュニケーション能力の大切さです。落語「ぞろぞろ」は、この能力
を楽しく身につけることができる教材だと思います。
 でも、欲を言えば、教科書で読んだり、CD(もあります)で聞くばかりでなく、
生を聞きたい、聞かせたいと思います。
 落語はおもしろいです。円窓師匠、これからも日本各地の人達が落語に親しむ機会
をつくってくださることをお願いいたします。
 また、釧路にもいらしてくださいね。
釧路市立美原小学校教諭・釧路国語教育研究会事務局員 沢田恵美子



「頂いた感動を教え子に伝えたい」


 円窓師匠の[ぞろぞろ]がいよいよ始まろうとした時、私の隣にいた4年生の子が、
満面に笑みを浮かべてお母さんと喜び合っていました。この子供の心はどれ程ワクワ
クしたのだろうかと想像するまでもなく、今回の円窓師匠の講演は私達の心を豊かに
していただきました。
 質の高い本物の落語に接した感動は、小さな子供であればあるほど心に深く確かに
刻まれた思います。勿論、大人の私も、落語を通して日本の言葉の豊かさにふれ、心
が耕されたような思いでした。
 学校で子供たちに話す時、情景が描かれるような話し方をしていただろうかと、笑
いの中にもハッとさせられることもしばしばでした。そのようなことも含めて、私が
頂いた感動を教え子に伝えていきたいと思いました。
 有り難うございました。
釧路市立柏木小学校教諭・釧路国語教育研究会事務局員 中嶋治代



「お礼に一首」


  (三)つ子にも
     (遊)学笑涯
           (亭)育す
   (円)熟のきみ
            (窓)口となれ

釧路市教育委員会教育委員(教育委員長代行)北明正紘


2001・4・15 UP










"圓窓師匠の特別講義" 聴講体験レポート

松戸市教研 国語部会・図書館部会

2000年2月4日(水)
千葉県松戸立市民会館





その1『急遽の高座に あたしのコートを座布団に』 

文責 松戸市立幸谷小学校 麻場文男


 三遊亭圓窓師匠
 私は去る2月4日に松戸市の市民会館で行われた千教研図書館部会と千教研国語部
会共催による2月研修会で、座布団がないので代わりにコートを使ってもらったとき
の、コートの持ち主です。
 小学校の教師をしています。子どもの本の研究を少ししています。
 活字で書かれているものを読み、頭の中で映像に組み立てて理解し味わう(これが
「読書」という営みですが)、この力が衰えてきていること。
 かつての大学の入試は新聞の社説でしたが、今は短いコラムになっている(大学生
の学力低下は理科や数学だけではない)活字離れ・読書離れは、一国の文化的、精神
的な大問題だと思います。
 この憂うべき現象にいささかでも歯止めをと思い意図的な読書指導(かつてのよう
に、ほっておいても子どもは本を読むようになるということは絶対ありません)が必
要だと思い、教室では本の読み聞かせや本の紹介、親には学級通信で本の紹介をし、
授業参観の折りも本の実物を紹介し、家庭でも親子が一緒に読だり、親が子供に読み
聞かせをする事の大切さを口が酸っぱくなるほど説いています。


 2月4日の圓窓師匠のお話は、テレビ、テレビゲーム等のために聞く力が衰弱=低
下していること、聞くこと=音声言語を頭の中で映像に組み立てて理解し味わう(こ
の「音声言語」を「文字言語」に置き換えれば、読書になります)の重要性等々、全
く同感でした。


 私も日本の話芸(the art of storytelling, the narrative arts)に関心を持ってい
ます。落語、講談、浪曲(浪花節)みな好きです。ですからこそ、期待というか要求
を持っています。
 今まで、寄席などに行っても噺家さんとは演者と客という関係でしかなかったので、
お話しする機会がなかったのですが、先日のような機会が与えられたのでほんの一部
を質問という形で話しました。
 戦前、快楽亭ブラック(アメリカ人?)という人がいたそうですが、どんな噺をさ
れたのですか? 他の噺家さんと同じように日本の噺(主として江戸時代から明治に
かけての日本の庶民生活を描いたもの)をしたんですか?
 私は落語、講談、浪曲でも、日本だけでなく諸外国から種(これをネタと読ませる
のは業界の隠語でしょうか?)を積極的に取り入れることが、日本の話芸を豊かに活
性化させることになるのではないかと思います。
 あの古典の中に入っている[死神]もフランスの小咄がもとになっていると聞いて
います。O・ヘンリーの『賢者の贈り物』、ディッケンズの『クリスマス・キャロル』
などは、落語の人情噺にぴったりだと思います。
 映画の黒澤明監督がマクシム・ゴーリキーの『どん底』を帝政ロシアから日本の幕
末に変えたり、シェークスピアの『リア王』を日本の戦国時代に変えたようにしても
いいし、そのまま外国を舞台にしたものでもいいと思います。
 そのほか、『西遊記』『三国志』『水滸伝』『三銃士』『仮面の男』『ジャンヌ・
ダルク』『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』等々は、あるいは講談、あるい
は浪曲等にも充分使えると思います。もちろんシェークスピアの戯曲、ゲーテの『フ
ァウスト』等の作品も使えると思います。
 このような作品が日本の話芸にどんどん取り入れられるようになったら、若い人々
もきっと日本の話芸を見直すようになると思います。お知り合いの噺家さんや講談師、
浪曲家のみなさんにも是非お話をしていただけたらと思います。
 講演で師匠のおっしゃった「文学に落語があり、落語に文学がある」についてです
が……。
 古今集、新古今集などは大部分が技巧(掛詞、縁語等々)を競った作品だと思いま
す。それらの多くが選ばれている『小倉百人一首』ですが、私は「ちはやぶる」(在
原兼平)と崇徳院(せをはやみ)しか落語で聞いていませんが、他の98首は落語の
噺にはなっていないのでしょうか? もし噺になっていないのならぜひ作っていただ
きたいと思います。和歌集ではありませんが『徒然草』の中でも「堀池の僧正」や「
高名の木登りといいし男」などは落語の噺を作ることができると思います。
 蛇足ですが、師匠は「『広辞苑』の出版社を三省堂」とおっしゃってましたが、岩
波書店です。三省堂が出しているのは『広辞林』です。


         

  圓窓からの礼状

 急遽、落語を実演する雰囲気となり、机の上にあなたのコートを敷いて
高座となし、[ぞろぞろ]に入りました。コートも驚いたことだろうと思
います。ありがとうございました。
 ブラックは主に今でいう漫談を演ってたのでしょう。
 百人一首の珍解釈は昔からかなりあるようですが、落語として成功した
のは[千早ふる]だけでしょう。同じパターンでいくつもあっても仕方あ
るまい、ということもあったのではないでしょうか。
 古典文学からはあたしも多数、創作してきました。聞く機会があれば、
いいですね。
 蛇足をありがとうございます。もう間違えませんから。(笑)       






その2『授業の原点は 聞くこと』

文責 松戸国語教育幹事 六実小学校 久保邦秀


 圓窓師匠


 感想を述べます。
とても楽しかったです。 師匠にほれました。 時間を忘れてしまいました。感動し
ました。
 落語は奥が深い。日本の文化のすばらしさにきづきました。落語は 質の高い笑い
です。
「えがく」重要性がわかった。「笑涯楽習」を広めたい。話し方が大変上手で参考にな
った。


 考察として。
 師匠の人間性や生き方が 講演を通し伝わってきました。
 又、その後の「落語」はすべての人に感動を与えました。ありがとうございました。
 学校は今、様々な問題をかかえ、教師にゆとりや笑いが失わせています。それだけ
に師匠の講演はたいへん価値がありました。
 私の尊敬する先生が授業の原点は「聴く」ことであると言っていました。徳をもっ
て聞く。今回の講演に通じるものがあります。
 しかし今、子供達は、なかなか人の話を聞けません。
 今後、師匠のご指導にあったように教師、子供が「落語」を通し共に学んでいこう
と思います。
 このたびは誠にありがとうございました。
2000・12・02 UP










"圓窓師匠の特別講義" 聴講体験レポート

八千代市小中学校 国語部会


2000年11月15日(水)
千葉県八千代市立新木戸小学校
文責 八千代市立高津中学校 竹内 亨


 三遊亭圓窓師匠


 過日は私ども八千代市の職員ために、新木戸小学校においで下さいまして、まこと
にありがとうございました。
 私は中学校国語部会で副部長を務めさせていただいております、竹内亨と申します。
 国語部会員でホームページを開き、師匠にメールをお送りできる者はなかなかいな
いと思い(コンピュータに明るい者が少ないのです)、若輩者ではありますが、お邪
魔させていただきます。
 さて、先日の師匠のお話は、教育に携わる者といたしましては大変刺激の多いもの
でした。その中でも特に、「人の話を聞けない子ども」については、早急に対策を講
じなければならぬ問題として認識いたしました。
 その原因として師匠はTVをあげておられましたが、まさにそうだなと思いつつも、
そういう現実に立ち向かうにはどうしたらよいのだろうということが頭から離れなく
なりました。
 以前、「最近の子どもはTVによって教育されているから、何かやろうと思ったら
15分単位で計画すべきだ」というお話を授業研究の際の講師の先生からお聞きした
ことがあります。
 つまり子どもが集中できる単位時間は「15分」ということですが、これはお察し
の通り、CMの影響です。どんなに集中して見ていても、15分でCMの入る生活に
慣れているから、それ以上は続かないものとして認識せよ、という意味です。
 当時は「なるほど」と思いましたが、師匠のお話をお伺いして、そういう実態に合
わせるのではなく、そういう実態を改善することを、我々教育者はすべきなのだ、と、
メッセージを頂いたような気がしています。
 私も常日頃から「人の話は1回で聞きなさい」と言いつつも、大切なことだと思う
ことは繰り返して説明したりしています。
 ふり返ってみますと「1回で聞け」といいつつも、また繰り返しているということ
は、「もう一度説明してもらえる」と、子どもにとっては集中力を切らしてしまう原
因になっていました。
 師匠は一度の噺に全力を傾けておられます。繰り返して説明など許されるものでは
ないからです。だからこそ我々聞き手も集中して聞き漏らさないように真剣勝負をす
るわけです。
「子どもの教育に落語を」という師匠のお話を私なりに置き換えますと、「話し手は
楽しい話をして、聴衆を惹きつけよ! 話に魅力があれば聞く力は育つから!」とい
うことになります。授業を魅力あるものにして、結果的に聞く力が育てばいいなと思
っております。
 いま、師匠のお話をお伺いしてから、聞く力をつける授業としていくつか試したい
と思っていることがあります。
 長くなってしまいましたので、ここには記しませんが、「師匠のお話により、授業
そのものを変えていこう」と思った一教員がおりますことを知っておいていただけた
ら幸せです。
 またお話をお聞きできる日を楽しみにいたしております。
 本当に貴重なお話をありがとうございました。
2000・12・02 UP










 ”圓窓師匠の特別講義” 聴講体験レポート

青森県小学校教育研究会

2000年1月13日(木)
国語部会・冬季研究会
青森県総合社会教育センターにて
文記  国語部会・事務局 長崎雅仁


 レポートに先立ちまして、まず、師匠にご挨拶。


 拝啓
 師匠におかれましては、その後も精力的に御活躍なさっていることと思います。
 先日は私どもの研究会にお越し頂き、御講演を賜りまして、心から感謝申し上げま
す。
 参加した会員からも、「楽しいお話でした」「とても勉強になりました」等の感想
が寄せられております。
 師匠の御講演を機に、もっともっと落語に興味をもち、洒落の通じる教員仲間が増
 えてくれることを私個人も願っております。でないと私がますます浮いてしまいま
 すもので。
 さて、昼食の際に御依頼のあったレポートの件、以下に記載いたします。
 拙文ではございますが、師匠のホームページの何かの足しになれば幸いです。
 なお、削除、付加は御自由になさってください。
 寒さ厳しき折、御自愛下さい。今度は師匠の高座を拝聴できることを楽しみにして
おります。
                                    敬具
 さて、改めまして、

”圓窓師匠の特別講義” 聴講体験レポート

 毎年、この時期の研究会はひたすら好天を祈ります。
 というのも、吹雪で青森空港が着陸不能になったらもうおしまいなのです。当日の
天気予報は雨または雪、90%。これでもし師匠が来青できなかったとあれば、我々
事務局員による大喜利でもやるしかないなあ、などとあほなことを思っていたところ、
天気予報とは裏腹の好天。ほっと胸をなでおろしたのでありました。

 師匠のお話にもあったように、学校の教員、特に小学校の教員で「落語が好き」と
いう先生方はあまり多くありません。特に青森に住んでいる我々は、東京出張の際に
寄る浅草演芸場や上野は鈴本で落語を聞いたことがある、といったおのぼりさん然と
した記憶しかない先生方が多いようです。
 それでも、やはりみんな「落語家さんの話」を聞きたかったのです。参加者の期待
にあふれる拍手の中、師匠が登場し、講演が始まりました。

 以前、高座で聴いた時と同じ、気品のある話しぶりです。いえ、色気というのかも
しれません。
 昔、師匠がテレビの「笑点」に出演なさっていた時から、子供心にも、他のメンバ
ーとは何かしら異質なものを感じていました。それはこの気品だったのかもしれない
なあ、とこの場で思いました。
 どちらかというと、テレビの演芸番組に出演している時の落語家の皆さんは、なん
となくエキセントリックな感じを受けます。(もちろん番組上の演出もあるのでしょ
うが)
 今にして思えば、圓窓師匠はテレビの中でも高座の時と同じような姿勢を保ってい
らっしゃったようです。

「学科の中で一番嫌いだったのは国語。それも古典でした。だって、先生だって普段
使わない言葉なんですよ。それをなんで、理解できますか」
 高校卒業後、落語家となった師匠は、初めの師匠(柳枝)と死に別れ、圓生師匠の
もとで修行に励みます。
 ある日、和歌の意味を師匠に質問し、叱りとばされたことで、自ら参考書を手に取
ります。
「掛詞ってのを見た時、思いました。『ああ、これ駄洒落じゃないか』って。そうし
たら、今まで意味の分からなかった五七五七七が、ニコニコ笑って近付いてきたんで
す」
「文学の中にも落語の要素があり、落語の中にも文学の要素があります。私にとって
の『生涯学習』は、師匠に叱られたことから始まったんですね」

 初めのうちはちょっと堅かった参加者の表情も、徐々に師匠の語り口に引き込まれ
てきたのでしょう、和やかになってきました。(そう、我々青森県人は、有名人を目
の前にすると、つい構えてしまう傾向があるというのです。もちろん一般論ですけど
ね)

「生涯学習、この字はいけません。笑涯楽習、これですね。どんな人間だって生まれ
てきた時は泣いてたんだから、最後は笑って終えなくてはいけません。バランスって
もんです」

 私事ですが、「教育技術」という言葉があります。これをもじった「教育戯術」と
いう言葉は私のお気に入りです。
 さて、師匠の講演は、いよいよ話芸としての落語について佳境に入ります。

「今のテレビの笑いは、人の欠点を馬鹿にしたり、人の頭を叩いたりということに終
始しているような感じがします。そればかり見ている子供たちが、いじめに走っちゃ
うんですね。落語の笑いの方が笑いのレベルとしては上だ、と私は思います。やはり、
人間として、〔いい笑い〕を身につけようじゃありませんか」

 この時、突然マイクのボリュームが上がったのです。マイクが不調で音を拾ってい
なかったことに、この時まで誰も気付かなかった。300人は入る大会議室なのに、
です。
 師匠が最後にお話くださったのは、「普段から人の目を見て、大きな声で話す子供
を育てて下さい」ということでしたが、全くです。だからこそ、みんな話に引き込ま
れて、誰もマイクの不調に気付かなかったのでしょう。

「落語はテレビドラマとは違います。例えば、徳利。ドラマなら実物があるわけです
が、落語では、言葉を聞いて自分で思い描かなきゃいけないわけです。考えてみれば、
落語ってのは、江戸時代からバーチャル・リアリティを実践していたわけで、これは
えらいもんですね」
「落語の本質はコミュニケーションです。普段から人と話すこと、聞くことで、思い
描く能力を育てていってほしいですね」

 最後はいよいよ師匠による落語[ぞろぞろ]。
 私は前から3列目の席にいたんですが、こんなに近くで落語を聞くのは初めてです。
 で、驚きました。師匠の顔が、爺さんを演じている時は爺さんに、婆さんを演じて
いる時は婆さんに見えてきちゃうんですね、これが。
 師匠は「落語は見るもんじゃありません、聴くもんです」とおっしゃいましたが、
聴くことで視覚にまで影響してくるもんですね。
 私はまだ師匠の廓話を聴いたことはありませんが、次は是非、前の席で聴いてみた
いと思います。美しい花魁の顔が見えるかも知れませんから。
 サゲと同時に、会場は割れんばかりの拍手。
 会員一同、「いいものを聴かせてもらった」といった満足気な顔で、会場を後にし
ておりました。

 私は落語が大好きで、上京の度に寄席巡りするのを楽しみにしているのですが、こ
れまでクラスの子供たちの前では落語を演じてみせたことはなく、落語の本を読み聞
かせてやるぐらいでした。
 理由はいろいろありますが、やはり大きなものは、「先人が一生懸命こしらえ、修
行したものを、素人が生半可に演じるのは失礼千万だろうな」という思いからです。
 でも、今回のお話を聴いて、いつか子供たちの前で先生なりの落語を聴かせてやろ
う、と思うようになっています。
 
 余談になりますが、研究会終了後の打ち上げでは、みんなが「圓窓さん、私の方を
ズーッと見てた」と言い張ってました。それも全然別の方向の席に座ってた何人もの
先生です。実は私もそう感じてたんですが、これもぜひ秘訣を伺いたいものですね。


        


長崎先生へ返信                   三遊亭圓窓より



 口演の中であたしが言いました、「聞く人の目を見て話す」ということを落語の中
でも実践しているのです。おじいさんがおばあさんに話しかけるときは、おばあさん
の目を見るつもりで、会場のどこかに目線を決めます。
 あの折の会場は階段教室造りで、あたしのいた所が一番低位置でした。あたしの演
ずるときの目の高さが聴講する人の目と合ったんでしょう。
 ということは、会場の至る所におばあさんやおじいさんやお客や床屋の目が存在し
ていたことになります。
 ですから、あたしは個人的な感情で、どなたかと目を合わせたわけではありません。
 お手数ですが、「圓窓さん、私の方をズーッと見てた」と言い張ってた方にお伝え
ください。
「世間と生徒と教育委員会が許してくれたら、そういう仲になりましょう」と。

2000・1・27 UP









 ”圓窓師匠 桐朋短大演劇科特別講義”
聴講体験レポート

1999・12・18 午後B
桐朋学園短大演劇科・階段教室
 文  桐朋OB 二口 真規子
                          
 寒さも一段落した12月18日。
 私は昔、通い慣れた仙川の駅を出て、母校に向かっていました。

「あなたの母校の桐朋で特別講義をやるよ」と師匠からお電話をいただき、それは見
逃してはならないと、わくわくした気持ちで久しぶりの校門をくぐり、学生たちにま
ぎれて(まぎれてなかったかもしれないけど……)、階段教室に入りました。
 桐朋学園演劇科の階段教室では、昔からそういった面白い講義が聞けるのです。
 その世界で一流の方の話がナマで聞けるこの講義が、私は学生の頃から大好きでし
た。

 落語は見るものではなくて、聞くもの。
 今の20才の子は産まれたときからテレビ見てるでしょう。
”見て”育った人に「20才になったんだから、人の話を聞きなさい」って言ったっ
て、そりゃあ、無理でしょう。
 人間は毎日毎日ぼんやり見てる、テレビをね。
 脳細胞に刺激を与えなくたって「あ〜わかった」って思わせるテレビ、これは危険
です。
 いてもしょうがないと判断した脳細胞はなくなるんですよ。

 話芸、何がありますか?
 浪曲、講談、漫才もそうですね。
 そして落語。
 では、落語より古い、一番古い話芸はなんでしょう。
 そうです、それは"昔咄"です。民話です。
 おばあさんが、いろりばたで、たきぎを手にしながら
「むかし、むかし。あるところに、おじいさんと、おばあさんが……」
 ね、いい加減でしょ。
 いつ、どこで、だれが、ぜんぜんわからない。
 だからね、聞いてる子供が自分で設定しなくちゃいけない。
「話を聞いて、自分で描く」
 これはね、本当に大切なことなんです。

 来年の小学校4年生の教科書に、私の落語[ぞろぞろ]というのが載るんです。
 私は昔から言ってたんです。
 授業に落語を取り入れるべきだって。
 だから、教えに通っているんです、小学校に。

 これ、分かる人。
 はい、あなた。
 名前、なんていうの?
 おぐら かおりさん?
 ……、「小倉アイスが香る」って覚えれば、いいよね。

 先生ってことば、あるでしょ。
 先に生まれると書いて、先生って言うって、よく言いますね。
「先ず、生きてる」って言う人もいる。
 最近では「先に生えてる」なんてね……。
 あれ、手たたいて笑ってるね。

 学生たちを巻き込みながら、師匠の快進撃は続きました。
 講義の終了の時間がきて、その[ぞろぞろ]は聞くことができないのかな、聞きた
いなあ。
 小学生はいいなあ、聞けるんだなあ……、と、あきらめかけた時、
「じゃ、ちょっと、やってみましょうか」
 私も学生たちも、もう拍手喝采の大喜び。
 担当の先生が「危ない」と止めるのも聞かず、折りたたみ机を二つあわせて、大丈
夫かどうか、まず学生に乗らせた後、師匠がその机にヨッコラセと座りました。
 そのとたん、なんと一瞬にして、そこは高座。
 桐朋学園の階段教室は、"寄席"になりました。

[ぞろぞろ]はとっても面白いお話。
 次はどうなるのだろう、どうなっちゃうんだろうと、まるで小学4年生になったよ
うに、みんなゲラゲラ笑いながら、引き込まれていきます。

”知る”ことができて、"考える"ことができて、"感じる"ことができた授業でした。
 学生たちが、師匠をどんどん好きになっていったのがわかりました。
 再びの爆笑と拍手喝采の中、特別講義はお開きとなりました。
 とっても幸せな授業でした。

 もし、機会があったら、師匠の授業に忍び込むことをおすすめします。
 ちょっと、珍しい、素敵な授業が受けられること、保証します。

2000・1・23 UP









"現場の教師から 圓窓への手紙"
「教室で 毎朝 本の読み聞かせ」

1999・11・15
市原市立青葉台小学校での「圓窓講演」を聴いて
文  宮澤由美 教諭




 突然のお便りで、申し訳ございません。
 私は十一月十五日に、千葉県の市原市立青葉台小学校で圓窓師匠のお話を聴かせて
いただいた宮澤由美と申します。
 このようなお便りは書いたことがなかったのですが、すばらしい勉強の機会を与え
て頂いたことが嬉しくてペンをとりました。
 私は子どもたちの前に立たれた師匠のお声を聞いた瞬間、「本物って、すばらしい
な」と、ゾクゾクしました。私だけでなく周囲の空気が一瞬、変わったような気がし
ました。
 講演会の後にお礼の言葉を述べていらした、藤澤校長先生のまるで少年のような嬉
しいそうなお顔がとても印象的でした。そんな事を言っている私も、きっと楽しくて
たまらないという顔で座っていたのだと思ってます。
 私たち小学校の教師は全教科を受け持っています。特に私は二十一年の教員生活の
うち十七年間は一、二年生の担任をしていました。
 一、二年生の楽習内容は簡単なものです。初めての頃はたった三、四行の文でどう
やって一時間授業をするのか、わかりませんでした。しかし、子どもたちの目の高さ
になって見たり、考えたりすることができるようになってきました。これは教師にと
って大切なことだと思います。
 私は小さな子どもたちによって教師にしてもらったのだ、と考えてます。
 こんな未熟なあたしですが、今回のように本物に接する機会を持ち、自分の感性を
磨き、子どもたちにも伝えていけたら、すばらしいと思います。
 圓窓師匠のお話の中に"聴くことの大切さ"がありましたが、夏頃から私も同じ事
を強く感じていました。
 話を聞く集中力、根気強さのない子が多くなっています。また、聞くだけでは内容
を理解できない子も増えています。
 少しでも力をつけてほしいと考え、現在、毎朝、本の読み聞かせをしています。『
国語の学習は現物を見せることではなく、言葉によってそれを思い描かせることだ』
と信じてやっております。
 落語はそんな考えに本当にピッタリだと思います。話芸の専門家である圓窓師匠の
ような方が教育にも力を注いで下さることは、私にとっても子どもたちにとっても幸
せなことだと、ありがたく思います。
 そうぞ、これからもお元気でご活躍下さい。
 まずは、お礼まで。


 平成十一年十一月十八日
 三遊亭圓窓師匠
 
 
宮澤由美
追伸 あたしの父は本所、母は豊島の出身なので、師匠のお言葉にちょっぴりなつか
しさを感じました。
2000・6・10 UP