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窓門リレー旬報


『 この1年、あまりいい年ではなかったが…… 』

2003・12・21〜31(下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓
2003(平成15)12月21日(日)晴
 # 昨日で国立演芸場の企画公演「開府四百年記念・江戸の商売往来」が終わった
  ので、今日は一息ついて熟睡。
 # 白井真木さんが出演しているので、昼間、オフイス樹へ芝居「藪の中」を観に
  行く。「いいのかいなぁ、こんな芝居やってて」と言いたくなるような芝居。ユ
  ーモアーを誤解しているきらいがある。あれではふざけているととられるであろ
  う。「藪の中」の芝居にあんなことを入れては「藪の外」で作者の芥川は泣くで
  あろう。あんなこととは、笑わせようとする下手なコントや漫才レベルのギャグ。
   そんなの必要ない。下手でも真面目にやっているほうが、好感もてるだろう。
 # 賀状を作り始める。
 # 録音しておいた国立演芸場の[胸の肉]を今日も聞く。「未消化のままで上席
  は終わった」と言いたくはないが、そうかもしれない。やり直しだ。


2003(平成15)12月22日(月)晴
 # 志木の歯医者へ。いつもは車を運転して行っているのだが、ゴルフをやめてか
  ら歯医者へ行く以外に車を転がすこともなくなって、そのためにバーッテリーは
  上がるわ、車検は切れているわで、踏んだり蹴ったり。
   志木駅から駅前の交番で道を聞き、徒歩で20分。帰りは近道を教わったが、
  迷って行き以上に遠回りをしてしまった。
 # 池袋の和紙屋で歌舞伎トランプを買う。落語トランプはできないものかなぁ


2003(平成15)12月23日(火)天皇誕生日。晴
 # 名古屋の中日劇場の「東西落語名人会」へ。星企画の藤野社長と一緒。会場ま
  でのタクシーの中で、小津映画評で話が合う。
   上方の生の落語も久し振りに聞く。上方はしっかりしていて羨ましい。
   京助[親子酒]。親が酔って帰宅すると、倅の嫁が世話をやいて寝かせる。倅
  が外でうどん屋をからかう場面があって帰宅。親とやりとりがあって、例の落ち。
  東京へ移入したとき、うどん屋の場面は割愛したのであろう。
   小米[代書屋]。足が悪いらしい。楽屋から帰るとき、杖をついていた。
   小遊三[野晒し]。達者。
   米朝[逆さ葬式]。米朝だからこそ、笑いになるのであろう。
   ざこば[ろくろっ首]。がらがら声だが、間がいいのだろう。
   圓窓[ぞろぞろ]。客席が真っ暗。芝居の劇場だったから、そうなのか。
   文枝[立ち切り]。上方は間接話法の噺が多いと感じた。
 # この会に遥々、飛騨高山からH、Kさんが聞きに来てくれた。終わって、三人
  で食事。
 # お世話になっている小島、塩沢両社長と会い食事。話は政治から経済まで。白
  川のマンション泊まり。


2003(平成15)12月24日(水)晴
 # 11:15のひかりで帰京。キップは前日のなのだが、今日も自由席なら使え
  るかと思ったら、駅員曰く「指定特急券は一日の内から自由席に乗れるが翌日に
  は使えない」とのこと。しかし、自由席券は2日間有効なのに、変だ。
 # 品川パシフィックホテルで小糸製作所の役員忘年会。[尻餅]。学友のHさん
  がイギリスから帰国してて、久し振りに会えた。役員になっている。社長は大嶽
  氏。Hと同じ慶応だとか。
   Hへ高座本を。
 # 落語協会より、鈴本演芸場の火事で故人になった和田知恵さんの遺族の住所を
  教えてもらった。


2003(平成15)12月25日(木)晴
 # 第24回 四九八句会。オフイス樹。吉窓、窓輝が仕事で欠席なので、八人。
  佐助が一段と進歩した。次回は新年会を兼ねて、まど香の店でやる。
 # 今日の会報を打つ。宗匠の一言なども入れようかと思いながら打つ。


2003(平成15)12月26日(金)曇り
 # 落語協会事務局から「鈴本が初席の興行ができるようになった」との電話あり。
  業界のためによし。
 # 歯医者へ。


2003(平成15)12月27日(土)曇り
 # 上野の高田屋で臨時理事会。「一月の興行の鈴本をどう盛り上げるか」が議題。
  ま、出演してないあたしは無言で通すだけ。
   ついでに鈴本演芸場の入り口をのぞいたが、あたしの提灯が下がっていた。半
  年前、事務局に外すように言ったのに。出演してない者の名入りの提灯を下げて
  おくとは矛盾している。
   閉鎖中の立て看板に「改装のためーーー」とあるだけで、火災とは記してない。
  はて? と思ったが……。


2003(平成15)12月28日(日)曇り
 # 日頃、落語をおっかけてくださっている女性軍を招いて会食。カラオケも久し
  振り。


2003(平成15)12月29日(月)曇り
 # 郵便局へ。鈴本演芸場の火災で亡くなった和田智恵さんへお香料として100
  00円送る。こんなことしか、できない……。
 # 事務局へ「圓窓の名入りの提灯を外すように」とファックス。「あれは理事一
  同の提灯なので一人だけは外せない」との返事。矛盾の中に提灯あり、か……。


2003(平成15)12月30日(火)曇り
 # 落語協会の総寄合。
   鈴本の席亭が「皆さまのご厚情にお詫びと感謝」「亡くなった和田さんへの冥
  福」と、火災の報告。その「皆さま」がどういう範囲のことかわからないが、素
  直に表していた。「みなさんのお陰で鈴本がある」という真摯な気持ちをずぅっ
  と持ち続けてもらいたい。
 # 事前にファックスをしておいた件(立教大学、豊島区とが池袋演芸場で「落語
  と乱歩」をテーマにした興行を協賛)、寄合の会場で池袋演芸場の専務から「や
  りましょう」の返事。
 # コピーにまた横筋が入るようになった。


2003(平成15)12月31日(水)曇り
 # 格闘技、曙の負け。予想通り。
 # あたしとしても、あまりいい年ではなかったなぁ……。
  でも、あたしの人生は常に逆境にあってるようなもんだから、驚きも少ないのが
  幸いする……。
2004・1・19 UP







『 四度の大入り袋・総踊り 』

2003・12・11〜20(十二月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2003(平成15)年12月11日(木)
 年末恒例の国立演芸場の企画公演の初日。
 今年は師匠の[胸肉形江戸商人(むねのにくかたにえどあきんど)]の創作落語と
高座舞い。総踊りでは自分も参加して二ツ目4人で踊った「並木駒形」と「せつほ
かいな」は、形はともかく手順のまちがいなし。
 雨の中、大勢のお客様、ご来場ありがとうございました。


2003(平成15)年12月12日(金)
 二日目。菊春師・世之介師・吉窓師のお三方の「黒田節」と馬生師の「上汐」は、
お見事の一言。20年以上も稽古すれば、自分もきれいに踊れるかしら?


2003(平成15)年12月13日(土)
 横浜にぎわい座で[ぞろぞろ]をやりました。
 陽気な大勢のお客様。きれいな楽屋にコーヒーとお菓子。ありがたいことです。


2003(平成15)年12月14日(日)
「せつほんかいな」の時に「お見事!」の声が客席から。
 主は浅茅のお師匠でした。楽屋に見えて「少しはましになってきた」とのお言葉。
ありがとうございます。


2003(平成15)年12月15日(月)
 平日に満員御礼。三日連続だ。
 毎日、踊っていると「せつほんかいな」も妙な自信がでてきた。ワキの仕事で踊っ
てみようか? いや、まだ早い。


2003(平成15)年12月16日(火)
 国立がはねた後に、文楽「ひらがな盛衰記」を観賞。
 浄瑠璃は、いつかは演る噺の参考になる。


2003(平成15)年12月17日(水)
 高座で[釜どろ]、踊り「並木駒形」「せつほんかいな」。
 踊っている最中に浴衣の時に履いていた汚い足袋のままだということに気付く。後
列でよかった。


2003(平成15)年12月18日(木)
 1階に住んでいる大家さんをご招待。
 日ごろのお世話のお礼と、仕事をしてるというアピールも兼ねて。踊りをほめられ
ました。


2003(平成15)年12月19日(金)
 昼夜興行。間の時間に皇居の辺りをウロウロ。歩きながら、4日後にやる[お見立
て]をかなりさらいました。


2003(平成15)年12月20日(土)
 国立の楽日。四度目の満員御礼。浅茅のお師匠のオンドで三本締め。
 十日間の興行無事終わり。来年の興行も決定。内容は未定。
 尚、来年は国立演芸場25周年とのこと。
 ご来場いただきましたお客様、次回もよろしくお願いいたします。
2004・1・19 UP







『 かみいた落語塾 発表会 』

2003・12・1〜10(十二月上席(かみせき))
報じ手 萬 窓
2003(平成15)年12月1日(月)
 今日から師走。お歳暮の準備のため池袋のデパ−トへ行く。


2003(平成15)年12月2日(火)
 私が講師をしている「かみいた落語塾」の活動が、今日の朝日新聞の都民版に、写
真入りで掲載された。
 朝から「見たよ」という電話、メ−ルが多数あり。もちろん「入塾したい」という
連絡もあった。新聞の宣伝効果は大きいとつくづく感じた。


2003(平成15)年12月3日(水)
 夜、両国寄席。30名ほどのお客。[初天神]をやる。


2003(平成15)年12月4日(木)
 知人が出演する芝居を観に経堂へ。[ナイン オン ア ボ−ト]という題。
 客船が難破して、救命ボ−トで漂流する9人の助かるまでの話で、実話をもとに創
られた脚本とのこと。非常事態での9人それぞれの行動、心理が演じ分けられていて
おもしろかった。


2003(平成15)年12月5日(金)
 小唄の稽古日。師走で皆さん忙しいようで欠席の人が多い。時間をかけてみっちり
稽古。


2003(平成15)年12月6日(土)
 夜、上野で学生時代の仲間と忘年会。
 10年ぶりに会う友人もいたが、なんとバツイチが2人もいた。


2003(平成15)年12月7日(日)
 3時より常盤台区民センタ−で「第一回 かみいた落語塾発表会」。
 先日の新聞掲載の効果もあり、80名の大入り。出演者は私ともう一人の講師の柳
家太助さんを含め15名。
 小噺をやる人、一席ものをやる人もいたが、みなさん笑いを取り上々の出来。私は
[尻餅]をやる。終演後は打ち上げで、みんな肩の荷が下りたのか、二次会、三次会
と続いた。


2003(平成15)年12月8日(月)
 歯科検診に行く。前回、歯磨きの講習を受けたおかげでムシ歯なし。


2003(平成15)年12月9日(火)
 風邪を引いたようだ。この冬の風邪は腹にくる。食欲もなく水分だけ補給して一日
中、布団の中。


2003(平成15)年12月10日(水)
 昨日よく寝たせいか、体調はだいぶよくなった。
 7時から日暮里で『五人廻しの会』。
 私は[初天神]。この噺は子供が生意気過ぎると、悪がきになってしまい後味が悪
い。そこが今後の課題。
2003・12・30 UP







『 我が旦那寺の天井画は 文晁 』

2003・11・21〜30(下席(しもせき))
 報じ手 窓 里
2003(平成15)年11月21日(金)
 議会運営委員会へ出席。12月定例会について。開会は今月28日。
 午後、会社を退職された方の集いへ。「高齢者社会について」の講演と落語。「暇
ができたら寄席に来てください」とも言う。


2003(平成15)年11月22日(土)
 推薦団体の労働組合の会合へ。議員6名が出席して議会報告。9月定例会の報告と、
12月議会への取り組み。
 3時間の会議のあと懇親会。2次会まで出席。


2003(平成15)年11月23日(日)
 高齢者団体の敬老会へ。70歳以上の高齢者が約100名。お手伝いをしているス
タッフが65歳。介護する方もされる方も高齢者。今の世の中これが現実。


2003(平成15)年11月24日(月)
 地域の神社の新嘗祭。新嘗祭とはこの秋の収穫に感謝するお祭り。
 しかし、今年は冷夏のため米は例年より値上がり。減反政策をして不作になると大
騒ぎをする。普段米を食わない奴までも。


2003(平成15)年11月25日(火)
 今朝未明に鈴本演芸場が火災に。一人の尊い命が奪われる。吉窓兄さんと連絡取り
合う。23日の二人会は出来るのだろうか。


2003(平成15)年11月26日(水)
 鈴本から年内休業の連絡が入る。当然、二人会も中止。ご案内を差し出したところ
に中止の連絡。
 ゲストの皆様、また、お客様には大変ご迷惑をおかけいたします。今後とも宜しく
お願いします。


2003(平成15)年11月27日(木)
 地元から出された要望書を助役に提出。
 ある企業が撤退した用地を駐車場として整備するよう要望した。川越は年間400
万人が訪れる観光地のわりには駐車場が少ない。
 しかし、川越も予算が厳しい。


2003(平成15)年11月28日(金)
本日より議会開会。来月18日まで。
夜、ある懇親会に出席。ついつい深酒となる。飲まないとやってられない時もある。


2003(平成15)年11月29日(土)
 我家のお寺の金毘羅堂修復落慶法要出席。この金毘羅堂は市の指定文化財。
 天井画には文晁の銘がある。昔は縁日となると大層盛ったそうだ。お寺は喜多町の
広済寺。また一つ観光名所が増えた。


2003(平成15)年11月30日(日)
 川越地区消防組合30周年式典。
 消防は各市町村が単独で設置。川越は隣接地の川島町と組合を設置している。
 東京は消防庁。非常に広域な行政区、地方の消防とは桁が違う。

2003・12・9 UP







『 黒門亭の正月興行 』

2003・11・11〜20(十一月中席(なかせき))
報じ手 吉窓

2003(平成15)年11月11日(火)
 今日は朝から雨が降ってる。ひと雨ごとに秋の深まりを感じる今日この頃である。
 女房は子供の学校で担任の先生と保護者との懇談会があり、出かけている。
 娘も中二、そろそろ進路云々という話も出てくるだろう。当人は高校へ進学したい
らしいが、「とうちゃん、お金ないからねっ! 私立なんてダメよっ! 行くなら公
立、公立校にしなよっ!」と、今から釘を刺してある。


2003(平成15)年11月12日(水)
 寄席の代演を頼まれて末広亭の昼席へ。
 すると、楽屋に、やけにニコニコした顔の若手が二名いた。昨日付けで二つ目に昇
進した金原亭馬生門下の馬治君と馬吉君だ。
「師匠、この中席から二ツ目になりました。よろしくお願いしますっ!」と揃って挨
拶されりゃ仕方がない。祝儀を渡すしかない。あたしも二つ目になったときは嬉しか
ったもんな。二人ともせいぜい頑張ってね。
高座は[半分垢]をやる。


2003(平成15)年11月13日(木)
 さる敬老会で一席頼まれて白金台の八芳園へ。
 ここは結婚式場としても有名だが、あたしは初めて来た。漫才と漫談とあたしで小
一時間。あたしは[都々逸親子]をやる。


2003(平成15)年11月14日(金)
 天気が良いので自転車でぶらぶら近所を散策。
 図書館で本借りて、江古田の喫茶店でコーヒー飲んで、クリーニング屋に預けっぱ
なしだった娘の夏制服と自分の冬帽子を受け取って、帰宅。
 尚、図書館で借りた本は「聞き書き 七代目橘家圓蔵」山口正二著、青蛙房。


2003(平成15)年11月15日(土)
 食器戸棚の上に、すぐに食べないお菓子など入れてある箱がある。これ、たまに中
を点検しないと古くなってもう食べられなくなったものがいつまでも入っていたりす
るので、久しぶりに降ろして目を通す。
 案の定、コチコチになった蒸し菓子や変形したまま固まった飴、ぼろぼろになって
味が変わったチョコレートなど、無理すりゃ食えないことはないだろうが、もったい
ないけど処分する。
 お菓子も早めに食べないとね。


2003(平成15)年11月16日(日)
 今年4月から落語協会2F広間で始まった落語会「黒門亭」。
 あたしもそのスタッフの一員なので、今日は出演ではなく裏方でお手伝い。
 仕事はというと、開演前に幟を出したり、会場に座布団を並べたり、終演後はそれ
らの撤収、後片付け、楽屋の整理などの雑用をこなす。
 これはこれで結構くたびれる。


2003(平成15)年11月17日(月)
 今日は落語卓球クラブの練習を二時間やった後、落語協会2Fへ高座舞いの稽古を
一時間半。
 心地よい疲労が体を包む。


2003(平成15)年11月18日(火)
 前述の「黒門亭」の運営スタッフ十数名が集まり、お正月興行の件で話し合う。
 その結果、正月の二、三、四日に三部制で「黒門亭」を開催することに決定。おお
まかな顔付けもすませる。


2003(平成15)年11月19日(水)
 今度、仕事で乗船することになった豪華客船"あすか"を見学に横浜の大桟橋へ行く。
 なるほどゴージャスでりっぱな船だ。
 乗り込むのは年明けてからだが、こりゃ今から楽しみだ。


2003(平成15)年11月20日(木)
 今日は一日中ちょこちょこ動いて忙しかった。
 まず午前中、協会事務所へ行く。橘家蔵之助君に頼まれて噺の稽古。ネタは[干物
箱]。
 そのあと、新宿末広亭の昼の部へ代演、[山号寺号]をやる。
 そして、歌舞伎座へ。一幕見で「松竹梅湯島掛額」。菊之助の八百屋お七の人形ぶ
りが見たくて行く。
 夜は日暮里特選落語会、[干物箱]をやる。
 終演後、客と軽く一杯やって帰途につく。
 ああ、今日もくたびれた。

2003・12・9 UP







『 地図にない鹿島港を 目指す船に乗った 』

2003・11・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓


2003(平成15)年11月1日(土)曇り
 # 上席の寄席は休席にさせてもらった。
 # この秋、学友のMさんから20匹ほどの鈴虫を貰った。
   鈴虫の鳴き声のまま手渡され
   あれで、1週間ほどよく鳴いていたが、次第にそのボリュームも衰え、鳴いて
  いる数も少なくなってきて、2週間で完全に鳴声は聞こえなくなった。でも、3
  匹ほど生きているではないか。やがて、その数が2匹になり、1匹になり。その
  最後の鈴虫が今朝、動かなくなった。今晩、通夜の真似事をします。
   弔問客があったら「最後は虫の息だったんですよ」としんみりと言ってみるか。
 # 芥川竜之介の「お富の貞操」を落語化しようと、作業を進めている。お富と乞
  食の新公のやりとりもさることながら、その間の外の雨や家内の光の描写がまこ
  とにいい。しかし、これをこのまま読むとなると、朗読になってしまう。朗読は
  専門家に敵わない。そこで、二人の様子を窺っている猫のミケの独り言のような
  演出にして、外と家内の描写を表そうと思う。原作では二人のやりとりのあと、
  猫はもう登場してこないが、噺では最後まで出てもらう予定。


2003(平成15)年11月2日(日)東京、晴。串木野、夜分、強い雨。
 # 年に一度の興善寺へ。圓窓[十徳]、窓里[新聞記事]。大喜利として、二人
  で謎がけ。題を出してくだすった方に教科書をプレゼント。「信徒」「檀家」「
  塔婆」などと関連の題が多く、解いて心する我々も限界に近かった。
   こちらの住職は町議会を8、9期もなさっているという。窓里は川越市会議員
  を3期。
 # 終わって、羽田へ。1925発の鹿児島行きを待つ。
   羽田で「今、熊本空港は悪天候です。着陸できない場合、羽田に引き返すこと
  もあります」というアナウスがあったが、鹿児島空港についてはなにも言ってな
  かったので安心していた。ところが、鹿児島空港の近くまでくると、深い霧で覆
  われていて、着陸態勢に二度入ったが、いずれも「上昇いたします」のアナウス。
  いい塩梅に風はなかったようなので、機が煽られて機内が騒然となるようなこと
  はなかった。
   あたしは本を読んでいたんだが、どうやら3度目に成功したらしく、客席から
  拍手が起こった。
   機女たちはそれに頭を下げるでもなく、ニッコリ笑顔を見せるでもなく、無反
  応だった。「こんな場合、応えてはいけない」というマニュアルでもあるんだろ
  うか。しかし、後刻、「拍手がありましたよ」なんて、パイロットや上司に言う
  に違いない。たとえ、報告する義務はなくとも。噺家はつまらないことを思案す
  るもんだ。
 # 空港に着いて、迎えのタクシーで串木野の「さのさ荘」へ。小さい日本宿屋を
  想像していたんだが、どうしてどうして、ホテルだよ。「国民宿舎」と看板に書
  いてあったが。民謡の「は、さのさぁ」に因んでいるのかしら。ついでに、「オ
  ハラ、ハァー桜島」のオハラとはなんぞや。
   後日、窓門会のKさんが地元鹿児島の新聞社へ問合せをしてくれた。「わかり
  ません」とのことでした。


2003(平成15)年11月3日(月)文化の日。鹿島村は小雨
 # さのさ荘で、朝7時に起床。自宅でこんな時間に起きるのは死ぬほどつらいの
  だが、仕事先でアラーム仕掛けに起こされても、その辛さは感じないから不思議。
   すーーっと起きられることを知ると妙なもんで楽しい。
 # 迎えのタクシーで串木野港へ行き、「シーホーク」で、甑島の鹿島村へ。
  「甑」って、読める人は地元とその周辺にしかいないだろう。「こしき」って、
  読むと知った。古代の蒸し器、蒸篭の元祖、と辞書に書いてあった。
 # 鹿島港行きのチケットを買って乗船。座って島の地図を見たのだが、どこにも
  ”鹿島港”がない。何度も見たが、ない。チケットには”鹿島港行き”と印が押
  されている。最初の”里港”はある。次の”中甑港”も載っている。が、”鹿島
  港”はない。さぁ、落ち着かなくなってきた。船内のアナウスは「次は”鹿島港
  ”」と言うのだが、地図には載ってないのだ。あたしの手にしているのは古地図
  ではない。先方から送っていただいた、最新の地図なのだ。
   着いたので、降りましたよ。主催の人が笑顔で迎えてくれている。降りる港は
  ここで間違いないと確信したが、回りを見渡してもどこにも”鹿島港”の字はな
  い。
   このことを主催者の一人に言うと、「昔は”藺牟田(いむた)港”と言ってま
  して、合併して鹿島村になったとき、港も”鹿島港”になったんです」
   あたしは食い下がって、「でも、この地図には”鹿島港”と明記されてないで
  すよ。古いままの”藺牟田(いむた)港”です」
   すると、地図を見ながら、「そうですね。でも、土地の人は知ってますから、
  困りません」
   あたしは「他からきた者ですから、迷いましたよ。船に乗っている間、不安で
  したよ」
   と、「そうですか」って、まるっきり興味はなさそうだった。(笑)
 # 公民館で「笑涯楽習」の講演。鹿島村民700人のうち、150人の集まり。
   率は高い。14分の3だから。これが東京で当てはまれば、ものすごいことにな
  る(笑)
  「あたしの造語の”笑涯楽習”の文字を広辞苑に載せましょう。そのためには、
  この村の役場の窓口をこの文字に変えて下さい」と村長さんに言うと、「広辞苑
  に載ってから書き直します」と、見事に体をかわされた。
   教科書に載った[ぞろぞろ]を実演。終わって、太った男の子が花束を贈呈に
  壇上へ現れた。(普通は女の子なんだが)。お礼に教科書を上げる。後で聞いた
  のだが、「あの子は落語をやるんですよ」だって。じゃ、喜んでもらえたことだ
  ろう。
 # ここは、ウミネコの産卵地の南限とか。「そのウミネコはどこから来るんです
  か?」と訊くと、「海の向こうから」だって。「ウミ〜〜〜、と来て、ネコと止
  まるんだろう」きっと。土産に花束と伊勢海老を貰う。
 # 1520発のシーホーク(伊豆の大島の汽船の払い下げとか)に乗って帰る。
   鹿児島空港から羽田へ。


2003(平成15)年11月4日(火)曇り
 # 午前中に浅草演芸ホールで中学校の貸切。八王子にある、頴明館中学校2年生。
   また、読めない字に出っくわした。お席亭が「学校からの電話で、この字を教
  えてもらったんですが、飲み込めなくて往生しました」と。
   早速、自慢の電子辞書で調べると、頴(えい)と読み、「さき、ほさき」の意
  があるとのこと。「先が明るい学校」ということなのか。
   翁家和楽社中の太神楽と圓窓の落語という二本立て。お席亭より「落語の解説
  も入れてください」とのことで、あたしがやっている小四年生の落語教室のスタ
  イルで1時間。
   真面目に観賞している170人のいい子たちであった。つぼで笑うし。ただし、
 「行列が浅草から八王子まで」とか、落ちの「新しい髭がぞろぞろ」という非現実
  的なクスグリには反応が薄かった。意外すぎて、思い描けなかったのかなぁ、と
  も思うし、こちらの芸の未熟さも反省もする。
 # 浅草演芸ホールから帰宅して、連日の仕事なので、疲れをとろうと横になって
  いたら、携電のメールが続いて、相手と、「とりあえず、この辺で一休みしまし
  ょう」ということになった。寝てメールって、疲れるようだ。


2003(平成15)年11月5日(水)曇り、夜、雨。
 # 三越落語会[百年目]。大汗の高座。風邪気味で集中力が欠如していたかも。
  この会もひとっ頃より、入りがいいようだ、
   三越劇場のロビーにある芝居、民芸の「信濃坂」のチラシを見て、小林一茶の
  芝居かな、と思ったら、違った。北斎、馬琴に仕えた二人の女の物語。四谷の「
  信濃坂」がタイトルになっているらしい。あああ、「東海道四谷怪談」のような
  錯覚であった。やられた……。
 #「お富の貞操」をなんとか作り上げた。いろんな人に読んでもらおう。ついでに
   意見ももらって。原作も読んでくれるといいんだがなぁ。


2003(平成15)年11月6日(木)曇り。
 # 落協の事務所で、「落語開発プロジェクト」の初会合。台本募集や著作権や新
  作公演の企画の支度がずらり。新作を現代物と時代物の部門にわける試みも。
 # シーハイルの世話人、嶋先生の趣味は日本画。その個展を見に行く。お茶の水
  世界ギャラリー。習いはじめて、6年とか、たいしたものなり。
   先生に[お富の貞操]の高座本をお土産に。


2003(平成15)年11月7日(金)
 # 文学落語で太宰の「貧の意地」のあと、芥川の「お富の貞操」を作り上げ、今
  日から菊池寛の「父帰る」をいじってみようと思う。この手の創作作業はちょい
  と病み付きになりそう。
   菊池寛の「父帰る」を江戸にしてやろうかなと思案中。原作に、父親が帰って
  きて、居直る台詞があるのが気になる。これにはついていけないなぁ。


2003(平成15)年11月8日(土)
 # 蒲田の朗読会は、トルコの詩人ヒクメットの作品を並べてのもの。去年の12
  月に中野のゼロで初演したもので、それも聞きに行っっている。今回は観世英夫
  氏の朗読が聞けたのが、嬉しい。枯れた重厚な声の朗読も、心に響いてくる。
   作者の政治的なことには興味はないが、詩にはひかれるから不思議だ。


2003(平成15)年11月9日(日)曇り。
 # 衆議院選挙。やはり自民党に一撃加えたいなという気持ちはある。
 # WOWOWでメグライアンの映画を2本見る。「ニューヨークの恋人」は面白
  い。
   時の裂け目に飛び込んで未来の過去に行くなんて、いい。タイムマシーンでな
  いのがなおよし。
 # 高座本の編集。[徂徠豆腐][父帰る][貧の意地][胸の肉]などなど。


2003(平成15)年11月10日(月)曇り。
 # 体重、75キロ台に。これを生かそう。
 # 小金馬さんに案内されて、落語グッズの制作のために、両国の扇子屋へ。
   ついでに、扇子のことをいろいろ訊いて勉強になった。
    @ からこの手の物を高座扇子と言うそうだ。「江戸時代から?」と訊くと、
     「さぁ」と。
    A 骨の数。親骨2本、中骨11本、計15本。
    B 般には真竹を使う。ときには、色の濃い竹。
    C 作るときに中骨に磨きをつけて裏表を決める。
    D 天地もある。先を天、要は地になる。
    E 要の両親骨の先に丸みをつけるように削るのを、毛抜きという。天のほ
     うにもつけることもあって、20円増しになるとか。
    F 扇面の凸凹を山、谷と称し、平たい部分を壁という。


   この店は小金馬さんが何十年と懇意にしているのだが、なぜか、あたしと一緒
  になって感心をしていた。「あたしは一度も訊いたことがないので、知りません
  でした」と。
2003・11・12 UP







『 回転しない寿司は 久し振り 』

2003・10・21〜30(十月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝


2003(平成15)年10月21日(火)
 富蔵師匠の会に出演。[お見立て]を勉強させていただいた。
 打上げはお寿司屋さん。回転しない寿司は久しぶりだ。
 師匠、ありがとうございました。


2003(平成15)年10月22日(水)
 明治座で西郷輝彦「江戸を斬る」を観た。お白州の場面が印象的。


2003(平成15)年10月23日(木)
 椿山荘にて、小さい頃から知っている母の友人のクラス会で一席、[ぞろぞろ]。
 喜んでいただけました?


2003(平成15)年10月24日(金)
 池袋にて映画「フレディvsジェイソン」を見た。
 面白かったので、パンフレットを買う。


2003(平成15)年10月25日(土)
 横浜・サンハート寄席で[武助馬]。
 笑ってくれるお客さんで助かりました。アンケートが気になる。


2003(平成15)年10月26日(日)
 笑生、和助とカラオケ。店名"パセラ"のハニートーストはうまい。


2003(平成15)年10月27日(月)
 踊りの稽古。「せつほんかいな」「並木駒形」。国立の本番まで、あと1ヶ月半。


2003(平成15)年10月28日(火)
 床屋に行った。「白髪、増えましたね」と言われた。ショックだ。


2003(平成15)年10月29日(水)
 正月に落語会をやってくれたホテルから、来年の依頼。
「大好評でしたので」とはあやしいもんだが、ありがたいこと。


2003(平成15)年10月30日(木)
 らん丈師匠と、昼は学校寄席、夜は独演会のお手伝い。
 打上げでウーロンハイをかなりごちそうになる。
 師匠、ありがとうございました。


2003(平成15)年10月31日(金)
 一日中、家で過ごす。少しの稽古とたっぷりの自炊(カレーライス)。
2003・11・12 UP







『 友引に 葬式場で落語会 』

2003・10・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 萬 窓


2003(平成15)年10月11日(土)
 昼1時から、JA相模原の本店で落語会。お客は年金受給者のお年寄り約70名。
[牛ほめ]と[茶の湯]をやる。


2003(平成15)年10月12日(日)
 かみさんが子供を連れ実家へ。あたしは自宅で一日のんびり過ごす。


2003(平成15)年10月13日(月)
 今日は振り替え休日。
 12時からお江戸日本橋亭にて、私が稽古に通っている栄由利家元の小唄の会。
 私は[紙入れ]を一席やり、小唄は「一八受難」。
 小唄は、落語の[たいこ腹]を題材に家元が作詞、作曲したもので、小唄にしては
長くて4分ほどある。出来はまあまあ。


2003(平成15)年10月14日(火)
 今月25日に、板橋区の徳丸小学校で落語会をやるのだが、今日はその打ち合わせ。
 会場が体育館とのこと。音響が悪いので他の場所を希望したが、生徒の数が多く体
育館しか収容できないとの理由。なにか良い案はないかと話し合う。


2003(平成15)年10月15日(水)
 夏用の着物を洗いに出そうと、呉服屋へ。ついでに身幅を直してもらうことにした。
 5年前に新調した着物だが、私の体がいつの間にか太っていた。


2003(平成15)年10月16日(木)
 昨日の着物のこともあり、今日からダイエット。まずは好物のラ−メン断ちを始め
る。
 今まで3日に一回は食べていたが、ス−プが肥満の原因らしい。


2003(平成15)年10月17日(金)
 夜、久しぶりに子供を連れて外食。もうじき1歳6ヶ月だが、だいぶ外に慣れたよ
うで、あまり動き回らなくなった。


2003(平成15)年10月18日(土)
 12時から目白の椿山荘で、結婚披露宴の司会。新婦が知り合いの先生の教え子。
 今、流行のジミ婚で、来賓は50名弱で仲人もなし。落ち着いた雰囲気でよかった。


2003(平成15)年10月19日(日)
 昼1時半から横浜市の弥生台で『ベルホ−ル三宝寄席』。
 会場は葬儀式場で、今日が5回目だが、すべて友引の日に行っている。なるほど空
いているはず。
 出演は他に、紙切り・二楽、前座・ゆう一で、私は[権助魚]と[茶の湯]。


2003(平成15)年10月20日(月)
 携帯電話を新しく買い換える。写メ−ルの他、多種機能があるが、使いこなすまで
かなりの時間がかかりそう。
2003・11・11 UP







『 ホームステイ学生は よく食べる 』

2003・10・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 窓 里


2003(平成15)年10月1日(水)
 10月上席、池袋演芸場3時上がり。本日のネタ[新聞記事]。
 昨日から我家でオーストラリアの学生を10日間ホームステイとしてお預かる。夕食は
お好み焼きに連れて行く。もんじゃ焼きが旨いと言ってよく食べる。


2003(平成15)年10月2日(木)
 池袋演芸場3時上がり、[のめる]。人数は少ないがよく聞いてくれるお客さん。
 夜、来年度の政策要望会議。白熱した会議。9時閉会の後、懇親会。腹減った。


2003(平成15)年10月3日(金)
 午前中、教育委員会に行き、資料作成。
 池袋3時上がり、[看板のピン]。客席に窓門会の会員さんも。
 夜は地元の後援会の皆さんと飲食。つい深酒となる。


2003(平成15)年10月4日(土)
 池袋3時上がり。今日は寄席だけ。[高齢者問題]。高座は高齢者漫談。今、私が取り
組んでいるのは、高齢者問題と少年少女の性犯罪防止。
 土曜日でお客さんの数も多い。窓門会の会員さんも。
 終演後、兄弟弟子で親睦を深める。


2003(平成15)年10月5日(日)
 午前中、地元町内会の体育祭。実にいい天気。来賓で挨拶。祭りはやるが、運動会をや
る町内は少なくなった。
 池袋3時上がり、[人生論]。たった一度の人生を楽しまないで、寄席に来てていいの
かしら。
 今、私が取り組んでいるのは、命の尊さについてと熟女の人生相談。


2003(平成15)年10月6日(月)
 池袋1時15分上がり。[十徳]。入門して一番初めにお稽古していただいた噺。もう
20年以上も演ってる。
 浦和にて市政懇談会。各市町村がかかえている学校問題について論議する。不登校の定
義付けに格差がある。長期病欠を不登校というのか。外傷や内臓の病気だけでなく精神的
な病気もあるし、難しい。


2003(平成15)年10月7日(火)
 池袋3時上がり、[高齢者問題]。
 今日は寄席に年金受給者の団体70名。年金は自分たちが払ったから貰えるんではない。
 今、払っている我々がいるから貰えるということです。だから社会問題となっているの
です。払ったから貰えるなら保険と同じでしょう。
 今、私が取り組んでいるのは、元気老人対策と未亡人のお話し相手。


2003(平成15)年10月8日(水)
 池袋3時上がり、[町内の若い衆]。毎日、私の前に夫婦の噺が出ていたので、出来な
かった噺。別にどうしてもというわけではないが。
 後援会の世話人の通夜へ。今年は不祝儀が多い。今年はあと何人かなあ。


2003(平成15)年10月9日(木)
 池袋1時15分上がり、[家見舞い]。人数は少ないがいいお客さん。開演からこの調
子だといいね。
 私の推薦団体であるNTT労組の勉強会へ。
 夜、ホームステイの学生と和食レストランへ。天ぷらが旨いとよく食べる。納豆と豆腐
は苦手だと言う。


2003(平成15)年10月10日(金)
 池袋楽日3時上がり。[桃太郎]。NHK新人賞を戴いた演題。この噺で随分稼いだ。
 本日、衆議院解散。夜、早々と選対本部会議。せっかく師匠に打ち上げのお誘いをいた
だいたのに、何で今日、解散するんだ。弁償しろ、ウーロンハイ!

2003・11・10 UP








『 [死神]に 憑かれたか 』

2003・9・21〜30(九月下席(しもせき))
報じ手 吉窓


2003(平成15)年9月21日(日)
 寄席の代演で浅草演芸ホール昼の部へ。[狸札]をやる。楽屋で前座から「新真打の披
露目初日で、お弁当が出てます」と弁松のお弁当を渡される。
 そうだ、今日から上の鈴本を皮切りに、古今亭菊之丞君の真打昇進披露興行が始まった
んだ。彼は色白で細身のやさ男で、一見、歌舞伎の女形かしらと思わせるような雰囲気を
もってる。
 頑張ってね。お弁当ごちそうさまっ!


2003(平成15)年9月22日(月)
 女房の亡父母の墓参りに浦和へ行く。義父は女房が赤ちゃんのとき亡くなっており、義
母は十年前に、今の娘が3歳の時に亡くなった。
 ちなみにあたしの両親は、まだ健在である。


2003(平成15)年9月23日(火)
 毎年、秋のお彼岸に呼んでくれる静岡市内のお寺へ。市内と言っても、場所は日本平の
中腹にある緑に囲まれた静かなお寺。
 檀家の皆さんを前に一席[死神]をやる。そのあと、サービスに安来節の「泥鰌掬い」
をやったら、落語より評判がよかった。


2003(平成15)年9月24日(水)
 長年、使っていたカセットテープレコーダーがとうとう壊れてしまい、新品を買いに池
袋のビッグカメラへ。
 噺家には稽古等に欠かせない品物だが、最近はカセットからMDとかに換える人も結構
いる。売り場でどうしようかと迷ったが、使い慣れたカセットレコーダーにする。
 3500円出してお釣りがきた。この手の機械もずいぶん安くなったものだ。


2003(平成15)年9月25日(木)
 夜、四九八句会へ。兼題は「水の秋」。
 その場では発表しなかったのだが、考えた句に、「入水する道頓堀や水の秋(タイガー
ス優勝の晩にて)」という句を作った。日本シリーズも楽しみだ。


2003(平成15)年9月26日(金)
 未明に地震があった。あとのニュースで、震源は北海道の十勝沖、津波もあり被害も大
きいと知った。
 比較的揺れも長かったので、あたしも女房も娘も気がついたが、あとで「えっ!? 地
震? ちっとも知らなかった」って人が3人もいた。地震感知力って、人によって違うの
ね。


2003(平成15)年9月27日(土)
 お江戸日本橋亭、本牧五人会へ。[死神]をやる。
 4日前に静岡のお寺でもやったが、どちらも良いお客様でじっくり聞いてくださるので、
こちらもたっぷり演じられる。良い客には噺家も助けられる。


2003(平成15)年9月28日(日)
 赤坂のTBSスタジオへ。らんまんラジオ寄席の収録。ネタは[目黒のさんま]。
 出演前に空腹だったので楽屋に出ていた弁当を食べたら、味がからめだった。声がかす
れてのどにひっかかる。いけない、いけない。注意しないとね。お茶をガブガブ飲んで、
 飴なめて、なんとか回復。


2003(平成15)年9月29日(月)
 久しぶりに高座舞の稽古。夏場はどうしても住吉踊りの方にかかりっきりになってしま
うので、仕方がない。これからしばらく、まめに通います。


2003(平成15)年9月30日(火)
 用事があって池袋まで出たので、ついでに池袋演芸場の夜の部、二ツ目勉強会をのぞい
てみる。
 演者と演目は次の通り。[千早振る]扇里、[干物箱]亀蔵、[妾馬]駒七、[武助馬]
窓輝、[星野屋]笑生。
 いい味をもってる者、声の良い者、師匠によく似てる者、さほどでもない者、人の噺を
聞くとこちらもいい勉強になる。後輩の高座が受けているとなると、刺激も違う。
 さあ、稽古しようという思いを胸に、帰宅の途につく。
2003・10・18 UP







『 豊島区長と文化歓談 』

2003・9・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓


2003(平成12)年9月11日(木)晴。
 # 協会の理事会だが、仕事で休み。
 # 豊島区高齢者福祉課いきがい係の主催「きらめくシニアライフ入門講座・基調
  講演」で講演と落語[ぞろぞろ]。
   会場は、公会堂の隣の産業プラザの地下の会議室。豊島区にプラザなんて所が
  あったんだ、と感心す。
   講演のあと、[ぞろぞろ]を実演するので正座してみたが、やはり、あとが苦
  痛。
   この催しの世話人の一人に文京卒の藤本さんがいて、「会社定年後、区のこう
  いう企画に参加させてもらって、世話人の一人になってます。今や、大いなる楽
  しみですよ」と。
 # 帰りに豊島区コミュニティのGさんのところへ寄る。彼は区の主催した芝居押
  絵と旅する男」の制作の一人。あたしは出演した一人。彼は時間と予算と人の間
  に揉まれた人かもしれない。「打ち上げではご迷惑をかけまして」とGさんがあ
  たしに頭を下げたが、Gさんだって被害者。
 # 打ち上げ事件の一件、記しておこう。今月6、7日に東京芸術劇場で公演があ
  って、近くの「にほんばし亭」というの寿司店の日本間で打ち上げ。そこへ若い
 女を連れて飛び込み参加した泥酔男があった。あたしは知らないが、他の人たちは
 知っている者らしい。それをいいことに「この女は東大の法科でね」と何度も何度
 も大声を発してやまないという酒乱に近い状態。どっかの劇団の社長らしい。
  誰も抑えられない様子なので、あたしが「みなさんが困ってますから、お帰りな
 さい」とやさしく忠告。男はなんだかんだ言ってたが、もうあたしは無言で相手に
 しなかった。男はついに立ち上がって「圓窓、無礼だぞ!」と来た。結局は若い者
 に抑えられるようにして、帰っていったが、豊島区の演劇関連者だという。
  ああ、なさけない。
 # いい話もいただいた。区長があたしに会って話がしたい、とのこと。「豊島区
  に文化を育てよう」の意欲に燃えている区長に会えるなんて、感動しちまう。
   先日の芝居も夫妻で観賞してくださって、その折の楽屋まで訪ねてくださっ
  た。
 # 自室のクーラーが故障しているので、扇風機を買おうと、ビッグカメラへ。コ
  ーナーで何台か並んで首を振っている。中で「1980円」。安い! 店員に注
  文すると「この品は在庫がなく、この現品だけなんですが」「この首を振ってい
  るやつかい?」「はい」「品は大丈夫です、こうして動いてますから」「そりゃ、
   そうだろうが……、よし、これでいい!」てんで、買った。
  帰宅して女房に「いくらだと思う?」と問うと「1万……」だって。大根の値は
  わかっても、扇風機の値は外れるようだ。
   早速、動かしてみると、首振り、高さ調整がなんかやわやわで、触れるとガタ
  ンときそう。もっとも、この夏中、コーナーで首を振って展示に努めていたんだ
  から疲れきっていることだろう。一晩、使わずに休ませてやろう。
 # 要町のサニーズで、12月に台東区の松葉小学校で授業することになっている
  ので、校長、担任と打ち合わせ。教育出版の小田さんも。担任の先生、可愛い女
  の子って感じ。
 # 友人Mさんから貰った鈴虫の鳴き声がしなくなった。カルシュームが不足する
  と共食いが始まると手引書に書いてあったが、それかな。


2003(平成12)年9月12日(金)晴。
 # 自転車で床屋へ。入り口に紙が下がっていて、「ただ今、蕎麦屋で昼食中」と。
  蕎麦屋は五、六軒先にあるのだが、急ぎたてるのもよくないと思い、時間つぶし
  に自転車で近所を散策。小学校時代に通って遊んでいた細い道、蛇行するので蛇
  道と言っていた。探してみた。今でもあった。現代っ子らも、そう呼んでいるの
  かしら。子らとは出っくわさなかった。
   こいでいたら、板橋区へ出た。交通公園。廃車の電車が二輌、デーンとばかり
  に置かれてあった。
 # 図書館で借りた「父・三角寛」(娘の寛子著)を涙と共に一気に読む。三角寛
  の我儘な性格の煽りを食らって、壮絶、凄惨の娘、そして孫のいたことを改めて
  知る。孫の千枝さんとは「押絵とーー」で共演したばかり。


2003(平成12)年9月13日(土)晴。
 # 千枝さんへ読後感想をファックスした。
 # 本に載せるための[百年目]の編集を始める。
 # 犬を飼っていたころに取り付けた、玄関の犬の家出防止の柵をやっと取り払う。
   犬たちが死んでから、なんとなくそのままにしておいた……。


2003(平成12)年9月14日(日)晴。
 # 第8回 芳賀落語会。窓輝[近日息子][武助馬]、圓窓[俵相撲][唐茄子
  屋]。
   上野9:29発アーバン、前橋11:28着。いつものように遠藤さんが迎え
  にきている。
   楽屋の窓から赤城山が見えるはずなのに見えない。桑畑の伸びが良くて遮断さ
  れてしまったようだ。
   40枚ほど、俳句を色紙に書いて、抽選でプレゼント。窓輝も負けずに「良い
  会に良いお客来て良い落語」だって。
   土産に素麺、きのこ。重いけど、ありがたし。


2003(平成12)年9月15日(月)晴。
 # 千葉県旭市敬老大会。にゃんこ・金魚、圓窓、椎名左千子(地元の演歌歌手)。
   ほめてたら、CDを貰っちゃった。今月26日に新曲(泣き虫海峡)が出ると
  か。
   これは買わなくっちゃ。
   あたしは正座が出来ないので、箱を前に置いて胡座で一席。[俵相撲][ぞろ
  ぞろ]
 # 帰りの電車が来るまで時間があったので、駅斜前の喫茶店へ。あたしが頼んだ
  のが「アイスクリームコーン」。玉蜀黍が入っているのかと思ったら、どうやら、
  違って、電子辞書で調べてわかった。コーンとは玉蜀黍ではなく、円錐形の意。
   つまり、手に持つウエハウスの部分をいうらしい。


2003(平成12)年9月16日(火)晴。
 # オフイス樹へ。「太宰治の噺・語り・朗読」の顔合わせ。終わってからの歓談
  が面白かった。
   語り「貨幣」の玉木文子「昔、カチカチ山の朗読で見事に失敗して、役者を辞
  めたくなった」。
   その演出をする西方亨「新人会のアトリエ公演でやめる覚悟をして主役をやっ
  た。鳥肌があったほどいい舞台ができた」「役者って、もう一人の自分を知るこ
  とだ」。元、役者であった。
   儀部恵子「サンシンは蛇皮線のこと。ワシントン条約で野生の錦蛇は輸出入し
  てはいけなくなったので養殖の錦蛇を輸入した時期もあったが、少し使わないと
  の皮はすぐ裂けてしまう」
   朗読「赤い太鼓」の堀越冨三郎「旅の芝居で主演の役者がこない。急遽、代役
  を立てて始めたが、すぐに停電。あたし(堀越)が弁償金を払った。4日間で貰
  うギャラを払った」
   あたしにはまだまだ芸談になるような話がないのが寂しい。


2003(平成12)年9月17日(水)晴。
 # コミカレ[豆目玉][ぞろぞろ]。
   ゲスト、リコーダ奏者の北村正彦氏。解説もなかなか面白い。大友さんの先生
  ということで、彼もついて来て、演奏。
   この大友さんとは、長年、かわら版にいた人で、この度、退職して演芸評論家
  になった。真面目で勉強家だから業界の芯になる人物と言っても過言ではない。


2003(平成12)年9月18日(木)晴。
 # 豊島区長からの依頼で「豊島の文化のことを話したし」ということで、区役所
  の区長室で会って歓談。10:30から12:00。
   区長は観光課、文化デザイン課を作って、文化の町にしようと努力している。
   豊島の伝説の芸能化、もちろん、落語化も。小学校への「落語授業」の呼びか
  け。乱歩の作品のアッピール。いい落語会の企画。実行に移すように、との話。
   区民としても 嬉しい。
 # オフイス樹で窓輝と小金馬に[万病円]の稽古。
 # そのあと、玉木の稽古(貨幣の語り)をみる。まだ、覚えていないので、読む
  ことをしていたが、訛りも少々あり、これから。頑張ることだろう。


2003(平成12)年9月19日(金)晴。
 # 本に載せる[百年目]の編集。この噺、主人公の名、店の名には触れてないの
  で、なんとか命名したい。考え直したい個所が多い。


2003(平成12)年9月20日(土)雨。
 # 一週間前に干した蒲団、そのままだった。昨夜、気がついて取り入れた。今日、
  雨、助かった。世の中、そんなようなこともある。

2003・10・02 UP







『 あっ 腹が出てきた! 』

2003・9・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 窓 輝


2003(平成15)年9月1日(月)
 今月から禁酒! とはいかないまでもビールを飲みすぎないよう心掛ける。
腹がちょっと出てきたので……、あと、間食も控えなくては……。


2003(平成15)年9月2日(火)
 昼間、洗濯。夕方は床屋。夜はカレーを作った。平和な一日。


2003(平成15)年9月3日(水)
 国立演芸場で「圓生物語」。出番はなかったが、ロビーで師匠の本を販売。
「来年はロビーではなく高座で」と思う。


2003(平成15)年9月4日(木)
 小学生のとき図工を教わった佐藤先生の個展を見に銀座へ。
 素晴らしい絵ですが、買うとなると、今のところ手が出せませんで、すみません。
 窓門会に入っていただき、ありがとうございました。


2003(平成15)年9月5日(金)
 近所の店で、アイスの特販していたので、買い溜め。スーパーカップのバニラが一
番うまい。


2003(平成15)年9月6日(土)
 大塚らく天寄席に出演。窓輝[花色木綿]、吉窓[目黒のさんま]。
 いつも反応のいい大勢のお客様。ありがとうございました。


2003(平成15)年9月7日(日)
 池袋の芸術劇場に師匠の芝居を見に行った。
 江戸川乱歩原作の「押絵と旅する男」。幻想的な話でした。


2003(平成15)年9月8日(月)
 中日5連敗で借金2の5位転落。怒る気にもならない……。


2003(平成15)年9月9日(火)
 内幸町で小金馬師匠の会に呼んでいただいた。
 艶っぽい噺をとの事で、少ないネタから[町内の若い衆]を熱演。
 勉強させていただき、ありがとうございました。


2003(平成15)年9月10日(水)
 案の定、山田監督クビ!
 今シーズン限りだとは思っていたが、まさかこの時期に……。勝負の世界は厳しい。

2003・10・02 UP







『 圓朝の[乳房榎]の舞台が板橋区に 』

2003・8・21〜31(下席(しもせき))
報じ手 萬 窓


2003(平成15)年8月21日(木)
 高校時代の友人が旅行会社に勤めていて、9月から5年間ハワイに転勤することに
なった。「俺がハワイにいる間に会社が潰れるかも」と弱気なことを言っていたが…。
 餞別に梅干を贈る。
 いよいよ夏本番と言いたいところだが、今年は梅雨が長引きそう。
一日中、家にいたが、ジメジメしてうっとおしい気分。


2003(平成15)年8月22日(金)
 この下席は、鈴本演芸場の夜席で入船亭扇辰さんと交互出演。
 今日は客席は8割の入り。[紀州]をやる。


2003(平成15)年8月23日(土)
 鈴本夜席、[真田小僧]。客席には子供さんがいつもより多かった。


2003(平成15)年8月24日(日)
 鈴本夜席、[蕎麦清]。
 楽屋で二つ目の喜助さんから「光化学スモッグって何ですか?」と訊かれる。
 小学校の頃「今日はスモッグが発生してますから、よくうがいをしましょう」とい
う校内放送があったが、、、。
 楽屋には具体的に説明できる者が一人もいなっかた。
 帰宅してインタ−ネットで検索すると、「工場等から排出される窒素酸化物や炭化
水素が太陽光線を受けて、光化学反応によりオゾンを生成することにより発生する」
とある。
 つまり身体に有毒な空気だが、これがスラスラっと言えれば噺家にはなっていない。


2003(平成15)年8月25日(月)
 伯楽師匠宅へ稽古。[お若伊之助]を聞いていただく。
 この噺には元々サゲがないが、新たにサゲをつけたところ、「こうした方が使える
んじゃない」と少し直してもらった。そのサゲはいずれお楽しみに。


2003(平成15)年8月26日(火)
 8月も後半になって暑い日が続く。うちの子も夏バテ気味で、すこし熱っぽい。一
日中、家で子供の相手をする。


2003(平成15)年8月27日(水)
 火星が6万年ぶりに地球に大接近。我が家のベランダから見たが、曇っていたせい
かよく確認できなかった。長生きして、次回はぜひ。


2003(平成15)年8月28日(木)
 鈴本夜席、[蔵前駕籠]。
 先日、某テレビ局が真打問題を取り上げて放送した。「今は昔と違い、誰でも真打
には昇進でき、ここからが落語家のスタ−ト地点」云々。
 これは良いとしても、落語協会事務所の二階でやっている黒門亭の取材で、開演前
のお客が少ない客席を映し、「真打が出演してもお客はこの通り」というナレ−ショ
ン。これはやらせではないか、と楽屋で話題になる。


2003(平成15)年8月29日(金)
 鈴本夜席[権助魚]。


2003(平成15)年8月30日(土)
 板橋区の赤塚に松月院というお寺があり、三遊亭圓朝作の[乳房榎]の舞台になっ
ている。
 今晩このお寺の近くの赤塚公会堂で『怪談・乳房榎を聴く会』。長い噺なので、ダ
イジェストで約1時間しゃべる。
 板橋区主催で無料ということもあり200名のお客様。


2003(平成15)年8月31日(日)
 2時から池袋演芸場で『ぶくろ魂』と称した余一会。
 寄席は一ヶ月を10日ずつにわけ、上、中、下席と興行している。大の月は1日余
るので余一会と呼んでいる。
 出演は若手ばかりで、私は[しびん]をやる。

2003・9・14 UP







『 旅行ではない 視察がつづく 』

2003・8・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 窓 里


2003(平成15)年8月11日(月)
 朝から浦和へ。勉強会に出席。
 今日のテーマは「教育問題」。夏休みが終わると生徒が大きく変わるのが現場の悩み。
化粧や茶髪はかわいいもの。


2003(平成15)年8月12日(火)
 市役所へ。
 以前、支持者の方から相談を受けていた事を所管と協議。内容は高齢者介護、ゴミ問
題、道路の整備など。


2003(平成15)年8月13日(水)
 お盆。お墓参りに行き、食事を作って迎え盆を行う。


2003(平成15)年8月14日(木)
 徒歩10分の実家へお盆参り。
 女房の実家は車で20分。お盆の渋滞を味わったことがない。テレビで交通渋滞のニ
ュースを見る。ご苦労なこと。


2003(平成15)年8月15日(金)
 東京落語会へ出演。お盆だというのに大勢のお客様が噺家の功徳にお越し下さる。
 出演者は(敬称略)、扇治[寿限無の稽古]、窓里[夏泥]、痴楽[ちりとてちん]、
小勝[抜け雀]、花緑[壷算]、圓蔵[死神]。


2003(平成15)年8月16日(土)
 近所の夏祭りへ。
 しかし、あいにくの雨。先週も雨で順延したのに。社務所で暑気払い。でも、肌寒く、
熱燗で宴会。


2003(平成15)年8月17日(日)
 ソフトボール大会の予定が雨のため順延。
 今年は雨のため諸々の予定が立たず困った。


2003(平成15)年8月18日(月)
 委員会の行政視察で新潟市へ。
 ここも雨。河川敷事業について見学。施設見学ではないので、雨の中、傘をさして見
て歩く。


2003(平成15)年8月19日(火)
 会津若松市へ移動。
 ここも雨。都市景観について。古い町並みを活かし町の活性化を図る。川越も今後、
地区の指定をしていく計画。


2003(平成15)年8月20日(水)
 喜多方市へ。
 国道沿いに作られた「道の駅」視察。道の駅とは、地元の物産・行事などを多くの人
に紹介する場所。ここには温泉があり、年間18万人も利用しているとのこと。
 お昼は名物ラーメン。
 視察を旅行と言われないよう、今後に役立てたい。

2003・9・14 UP







『 圓朝まつりのフィナーレは 住吉踊り 』

2003・8・1〜10(八月上席(かみせき))
報じ手 吉窓


2003(平成15)年8月1日(金)
 まだ関東地方は梅雨明けしてない。
 昨日の落語協会恒例の成田山のお参りも、例年ならピーカンのうだるような暑さの
中で行われるのだが、今年は曇りがちで暑さもさほどではなかった。
 梅雨明けが8月までずれ込むのは、ここ50年間で3回目だそうだ。気象がおかし
いと、いろいろ困ります。


2003(平成15)年8月2日(土)
 今日、関東は一応、梅雨明け。
 夜、池袋演芸場の代演へ。連絡では「クイツキ(中入り直後)の出番です」と言わ
れたが、寄席の出番表を見ると中入り後は奇術のアサダ二世さんとトリの林家正雀兄
しか書いてない。
「あれ? じゃ、アサダさんの代演かな」首をかしげながら寄席へ行くと、この上席
は中入り後、正雀兄がトリとクイツキで2席つとめているという。その正雀兄が休み
なので、トリの代演が小燕枝師匠、クイツキの代演があたしという訳。
[金魚の芸者]を演る。


2003(平成15)年8月3日(日)
 今日は銀座のさるホテルで住吉踊りの仕事。踊り子10名で伺う。
 住吉踊りは2、3名で踊るよりは最低でも10人ぐらいいたほうが賑やかだし、形
になる。
 しかし、先方の予算の都合もあり、不景気な今はこの手の仕事も少なくなった。


2003(平成15)年8月4日(月)
 落語卓球クラブの練習に行く。
 ピンポン球を追って2時間ほど汗をかく。暑い日の練習は水分補給を怠ると熱中症
や脱水状態になったりするので、気をつけないといけない。
 喉をカラカラにして飲むビールの旨いこと。あれ、ビールでもいいんでしょ!?


2003(平成15)年8月5日(火)
 外出の時、ポケットに入れたハンカチを何気なく取り出すと、妙な香りがする。
「うん!? 何だ、この匂いは?」
 しばらく考えて思いついた。
 ここのところ雨の日が多く室内に洗濯物を干している日が続いていたため、つけて
いた蚊取り線香の匂いがハンカチに移ったのだ。長い梅雨の影響がこんなところにも。


2003(平成15)年8月6日(水)
 夜、住吉踊りの稽古へ。
 恒例の八月中席の浅草演芸ホールの興行もあと数日に迫った。今日明日は本番通り
の通し稽古となる。稽古場にもある種の緊張感が出てくる。


2003(平成15)年8月7日(木)
 朝テレビをつけると、高校野球の開会式をやってる。
 今日から夏の甲子園が始まった。TV観戦もいいが、一度でいいから炎天下の甲子
園球場に出かけて生で見物したいと思っている。
 でも、いまだに実現していない。ああ、金とヒマが欲し……。ヒマは充分にあるけ
ど……。


2003(平成15)年8月8日(金)
 夜、日暮里特選落語会へ。
 大型の台風が近づいていて、天気を気にしながら出かける。[金魚の芸者]を演る。


2003(平成15)年8月9日(土)
 昨晩、深夜より風雨。すこぶる激しく、終日、天気は荒れ模様。
 そのさなか、女房は友人の奥さん連中とランチの約束があるからと出かけていく。
 決死隊だね。


2003(平成15)年8月10日(日)
 台風一過の好天の中、谷中全生庵で圓朝祭り。
 とにかく野天のイベントだけに、雨でなくてよかった。
 去年の第1回の時はあたしはフィナーレの住吉踊りの参加だけだったが、今年は師
匠の圓朝句会のコーナーをお手伝い。
 久しぶりの青空につられたせいか、客の出足も良く、すぐに狭い境内はごったがえ
すようになった。人出は去年より多かったらしい。
 フィナーレは恒例の住吉踊りで幕。ああ、西日が暑かった。
  圓朝忌いらかの上に雲はなし 吉窓
2003・8・28 UP







『 富山県主催 夏休みの子供落語教室 』

2003・7・21〜31(下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓


2003(平成12)年7月21日(月)振替え休日。曇り、ときどき小雨。
 # 浅草演芸ホール[半分垢]
 # 高座舞い稽古。時間ぎりぎりで稽古はせず。浅茅師匠より、小美代姐さん一代
  記の本を貰う。小美代とは長唄の師匠で、浅茅師匠の母親でもある。長唄の弟子
  である群ようこの作品。そうそう、群(むれ)師は日大芸術学部の出身とか。
 # 多慶屋で買い物。用紙25000枚。重い、重い。


2003(平成12)年7月22日(火)曇り
 # 四九八句会。胡瓜揉み手首で鼻の頭掻く 圓窓。
 # 浅草演芸ホール[町内の若い衆]


2003(平成12)年7月23日(水)雨
 # 富山県の未来お笑い道場 第1回「ぞろぞろ」の群読。急いで帰京。
 # 第10回の圓窓一門会。立ち見。学友の金子しさんが座談(江戸の犯罪)に参
  加。
   遥々と薩摩から聞きにきた人もいて、打ち上げが賑やか。また、広報誌の連載
  をさせてもらった関係でドトールコーヒー社からも駆け付けてもらった。なんと、
  その中のお一人が薩摩の人の親友とか。人間の結びつきは面白い。


2003(平成12)年7月24日(木)
 # 浅草演芸ホール[権兵衛狸]。
 #「押絵とーーーー」の稽古とは知らず、のんびり帰宅しようとした地下鉄なの中
  で、Hさんからメール。「稽古ですよ」と。あららら、、、。
   急いで、人形町のジュサブロウ館へ。ところが館へは二度目にもかかわらず、
  道がわからず迷う。昔、末広のあったところを確かめて、辿り着く。弦冶店の反
  対の道。


2003(平成12)年7月25日(金)
 # 浅草演芸ホール。
 # はいとりがみ句会。メンバーのR先生、いつもは「そう思いません?」を口癖
  に多弁なのだが、今日はいやにおとなしい。「風邪と疲労で声が出なくて……」
  と。


2003(平成12)年7月26日(土)
 # 浅草演芸ホール。
 # 銀座俳句倶楽部。二日連続の句会。会場も同じ、銀座の「卯波」。さすが、出
  て来た料理は違った。


2003(平成12)年7月27日(日)晴れ間あり。
 # 浅草演芸ホール[鼠の歌]。
 # 楽屋で圓蔵さんより講談の雑誌を借りる。それは別冊として落語が載っていて、
  パラパラとめくっていたら、[伽羅の下駄]が載っていたのでコピーしたくて借
  りた。
 # 花留さんへ窓門会用の封筒と小窓情報の宅急便をだす


2003(平成12)年7月28日(月)
 # 浅草演芸ホール[相撲]。
 #「押絵と旅する男」の稽古。終わって、みなと近くの喫茶店「ロン」へ。
   この芝居に関する明日のインタビュー、「池袋5時」としていたので、変更を
  平樹さんに願う。この「ロンに4時」と。


2003(平成12)年7月29日(火)曇り、雨。
 # 浅草演芸ホール[漫談]
 # 豊島区のマップから、インタビュー。ロン、四時。五時まで待ったが現われず。
  そのまま「押絵とーーー」の稽古へ。結局、ジュサブロウ館にきてもらって、そ
  こでインタビュー。
   あとで、わかったが、同じ時間帯に喫茶店にいたとか。じゃ、積極的に探して
  おくれよ。
 # 江戸川乱歩の原作を読み返し、創作にする作業に入ろうと、帰り、人形町と水
  天宮の間の文教堂という書店で文庫本を購入す。
 # 千川駅からの帰宅途中、隣の倅とばったり。「夜勤なんです」と。
 # 圓蔵さんから借りた本を全ページコピー。


2003(平成12)年7月30日(水)
 # 富山へ。千川駅へ向かう途中、朝帰りの隣の倅と脇でばったり。朝帰りといっ
  ても、遊興ではなく、れっきとした仕事の帰りである。
   それにしても、二日連続で会うとは。
 # 富山の授業中、帽子を被った子へ取るようにいう。叱ることもしないと、教育
  にならないから、言ってみた。
   ライブ[寿限無]。[ぞろぞろ]と[寿限無]の群読。前回、頼んでおいたビ
  デオ(授業の[寿限無]と[ぞろぞろ])が子ども達に送られてないことを知っ
  て、ちとがっかり。すぐに送るよう要請す。
 # 羽田から圓蔵さんへ借りた本を返しに浅草演芸ホールへ。


2003(平成12)年7月31日(木)
 # 朝、出掛けに近所の母娘の何人かと大声で挨拶を交わす。そばにいた某夫人は
  いちものように黙んまり。小さな娘がまた挨拶してきたので、「偉いね、挨拶が
  出来て」と大きな声で褒めてあげる。
 # 津へ講演へ。協会の成田参りだが、休む。
   0837発で名古屋。そこから1110発の近鉄で津へ。
   着いて早々、鰻屋の新玉亭(しんたまてい)で蒸さない鰻を馳走になる。米が
  ちょいといけないかな。
   会場は県立の大きなホール。三重県小学校国語研究会・夏季研究会で講演。[
  ぞろぞろ]も。
   終わって、控え室で着替えをしていると、各担当の先生方が集まってきて、反
  省会を始めるではないか。面白いからそのままその場にいたら、意見も求められ
  た。
   ある先生が「文章を書かせると、ベタ書き(段落、改行のない文章)がほとん
  ど。低学年から1行ずつ書かせる癖をつけさせて、あとで、関連の行をつなげる
  ように教えたほうがいいのではないか」との意見に興味を引かれた。
   あたしは、圓朝全集のベタ書きのことを言ったついでに、文章の生きた間を子
  どもにどんどん教えてもいいのではないか」と話す。
   打ち上げにも参加させてもらう。
2003・8・28 UP







『 大家さんが チケットを 』

2003・7・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 窓 輝


2003(平成15)年7月11日(金)
 7月中席の池袋演芸場。
 市馬師匠の芝居(公演のこと)に入れていただいた。本日のネタは[ぞろぞろ]。
 師匠に中華をごちそうになる。


2003(平成15)年7月12日(土)
 お中元回り終了。たくさんの方にお世話になっているのを実感。


2003(平成15)年7月13日(日)
 中学校の同級生から電話。当時の担任の先生が母校に戻ってきているとのこと。一
緒に会いに行くことを約束。


2003(平成15)年7月14日(月)
 草野球が雨天中止。久しぶりに運動しようと思ったのに、残念。


2003(平成15)年7月15日(火)
 お盆で祖父の家へ。母とおば夫婦とで、家族麻雀。


2003(平成15)年7月16日(水)
 テレビでオールスターゲームを観戦。目立つのは阪神の選手ばかり。途中でチャン
ネルを変える。


2003(平成15)年7月17日(木)
 池袋演芸場の高座で[釜泥]。ウケはイマイチ。一門会でネタ出ししてるのに……。


2003(平成15)年7月18日(金)
 らん丈師匠の紹介で、葛飾区の福祉施設へ。[子ほめ]と[釜泥]を勉強させてい
ただいた。


2003(平成15)年7月19日(土)
 中日対ヤクルト。
 ドラゴンズ、後半戦を黒星スタートに。首位の阪神とは17.5ゲーム差。目標は
Aクラス入り。悲しい……。


2003(平成15)年7月20日(日)
 大家さんに一門会のチケットを買っていただいた。
 近所の方にも声をかけていただけるとのこと。ありがとうございます。チケットは
まだまだありますので。
2003・8・28 UP







『 噺に照明を 入れてみる 』

2003・7・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 萬 窓


2003(平成15)年7月1日(火)
 いよいよ夏本番と言いたいところだが、今年は梅雨が長引きそう。
 一日中、家にいたが、ジメジメしてうっとおしい気分。


2003(平成15)年7月2日(水)
 板橋区在住の噺家でやっている[板橋落語会]が、今年の10月で20周年を迎え
る。
 毎回、[いたらく新聞]を出していて、今日はその内容の打ち合わせ。もちろん2
0周年に関する記事が中心になるが、足跡ばかりじゃ面白くない。なにか良い企画は
ないかと知恵をしぼる。


2003(平成15)年7月3日(木)
 大学時代の友人と白山で飲む。この時間だけは20歳に戻ったようだ。


2003(平成15)年7月4日(金)
 落語会をやらしてもらっている近所の居酒屋「ぱる」が、今月19日で店をたたむ
ことになった。
 今日が13回目で最後の落語会。お客さんからは名残惜しいとの声が出る。
 出演は太助[権助魚]、萬窓[お若伊之助]。


2003(平成15)年7月5日(土)
 夜、両国寄席。[そば清]。


2003(平成15)年7月6日(日)
 かみいた落語塾。
 今日から新メンバ−が加入。柴又在住で露天商の問屋で働いている寅さんのような
人だが、年令は26でまだ若い。


2003(平成15)年7月7日(月)
 新宿のライブハウスで落語会。
 ここは普段、ロックバンドのライブで使うための照明装置が整っている。
 出演は扇好[佃祭]、駿菊[船徳]、萬窓[文違い]で、それぞれが噺の中に照明
を入れる。
 私は新宿の女郎の情夫が出てくる場面で、場内をうす暗くして、スポットを当てて
もらった。
 落語は通常一定の明るさで演るものだが、たまにはこういう演出もおもしろい。


2003(平成15)年7月8日(火)
 吉窓兄宅へ[夢の酒]の稽古に伺う。
 これといって盛り上がりはないが、なんとも粋な噺。


2003(平成15)年7月9日(水)
 歯なし家にならぬように、歯科検診に行く。結果はおかげさまで虫歯なし。


2003(平成15)年7月10日(木)
 小唄の稽古日。みなさんに23日の一門会のチケットを買っていただく。

2003・8・28 UP







『 初めての ミニ集会 』

2003・6・21〜30(下席(しもせき))
報じ手 窓 里


2003(平成15)年6月21日(土)
NTT推薦議員の会合。
 本日は電子投票について勉強をする。今までの氏名記入とは違い、画面に触るだ
けで投票できるという優れもの。でも、課題はある。


2003(平成15)年6月22日(日)
 仕事の打ち合わせ。
 打ち合わせと言っても、顔合わせして飲むのがメイン。よく飲んだ。


2003(平成15)年6月23日(月)
 6月議会13日目。
 今日は議員の質問日。私は8日目にしているので、他の議員の発言を聞く。ため
になるもの、どうでもいいもの、いろいろ。


2003(平成15)年6月24日(火)
 14日目の議会。
 4月の選挙後、初めての議会なので質問者も多く、明日まで質問日となる。


2003(平成15)年6月25日(水)
 15日目の議会。
 保育園の工事契約が提案される。どこでも少子化対策に伴う子育て支援は重要施
策。
 そんな中、レイプを肯定するような国会議員の発言はお粗末。


2003(平成15)年6月26日(木)
 建設常任委員会。
 改選後初めての委員会。正副委員長の選任後、開会。
 道路の新設、指定など審議。道路整備は、生活の基盤で大事な課題。


2003(平成15)年6月27日(金)
 昨日一日で委員会が終了したので、本日は休会となる。
 明日は自分の住む地域でのミニ集会を開催。
 明日の資料作り。初めての試み、どのくらい来てくれるか。


2003(平成15)年6月28日(土)
 地元での初めての集会。
 雨天にも係らず28名の方が来てくれる。
 今回は無料なので缶茶一つ出すことができない。お茶を出すには会費を徴収しな
いと公職選挙法に触れる事となり、罰せられる。酒なんか、とんでもない。


2003(平成15)年6月29日(日)
 昨日のお礼と、お越しになれなかった所へ資料を配る。
 公共下水道の問題、少子化対策、観光事業についてまとめる。


2003(平成15)年6月30日(月)
 決算特別委員会。
 昨年、本市では助役逮捕という事態が起こる。そのため13年度の決算も審議未
了となり廃案。
 今年度、再提出され、審議。今年の夏は委員会だ。

2003・8・28 UP







『 柳昇師匠 お亡くなり 』

2003・6・11〜20(六月中席(なかせき))
報じ手 吉窓


2003(平成15)年6月11日(水)
 茶番の稽古にいく。
 前に教わった「忠臣蔵五段目、山崎街道の場」は覚えて二度ほど舞台へかけたが、
今、教わっているのは「曽我兄弟、祐兼参詣忍びの段」。
 まず台本を読んで粗筋を頭へ叩き込む。


2003(平成15)年6月12日(木)
 今日は住吉踊りの稽古。
 踊りの師範代である北見寿代さんが数日前に足の指を骨折してしまい、痛々しい包
帯姿で指導してくれる。なんでも自転車に乗っていて転倒したとか。気をつけないと
ね。


2003(平成15)年6月13日(金)
 今日も朝から雨模様。
 用足しがあって出かけたいのだが、なかなか踏ん切りがつかない。一時、雨が止ん
だのを見て、えいやっと外出する。
 あぁ、うっとうしい。


2003(平成15)年6月14日(土)
 今日も雨。女房が「ねえ、夕食どうする?」と、かったるそうにこっちを見る。
「う〜ん、じゃ、久しぶりに焼肉でも喰いにいくか」
 と、近所に安くて評判の焼肉屋があるが、狂牛病騒動からこっち、一度も行ってな
い。2年ぶりぐらいか。
 あぁ、旨かった。


2003(平成15)年6月15日(日)
 四九八句会。
 今日の会場は大塚のスナック。ここのママさんは師匠の高校の後輩であり、句会の
メンバーでもある。
 師匠は風邪で欠席。兼題は「梅雨」。まさにうってつけの題。
 あたしの句、「梅雨の朝かわかぬ傘をまた持ちて」


2003(平成15)年6月16日(月)
 落語芸術協会の長老、春風亭柳昇師匠の訃報が届く。享年82歳。
 所属の協会が違うので、あまり楽屋でご一緒したこともないが、お悔やみ申し上げ
ます。合掌。


2003(平成15)年6月17日(火)
 外出のついでに、喉の渇きを癒そうと喫茶店に寄る。
 注文したアイスコーヒーがばかに旨く感じる。もうそんな時期なんだ。
 昼はアイスコーヒー、夜は生ビールに限る。


2003(平成15)年6月18日(水)
 圓朝祭準備委員会へ出席。
 今日は飲食部門以外の出店関係者が集まり、店の場所割りなどを決める。
 なんにしても炎天下でのイベント。去年も参加者は猛暑でくたくたになったという。
暑さ対策は各自で工夫してくださいとの事。


2003(平成15)年6月19日(木)
 柳昇師匠のお通夜に伺う。
 弔問の行列がずいぶん長く、お焼香するまで1時間もかかってしまった。故人の遺
徳が偲ばれる。


2003(平成15)年6月20日(金)
 今日から24日まで、予備自衛官の訓練招集を受けて埼玉朝霞駐屯地へ。
 初日の今日はまず訓練を担当する現役中隊長の講話があるのだが、昨今の日本をと
りまく情勢の変化のせいか、これまで結構のん気に構えていた我等予備役までだいぶ
あてにされてきたような気がする。気のせいかしら。
 なんにしても平和が一番。

2003・8・28 UP








『 末広亭 企画公演「江戸落語名所図会」 』

2003・6・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓


2003(平成15)年6月1日(日)晴
 # 末広亭上席の夜の部 開府400年記念公演「江戸落語名所図会」
   圓窓はまずは[猫定]。
   岡崎市からMさんが遠来。去年の末広亭の企画公演に足を運んでくだすった。
   文化庁のKさんも。二人を誘って食事。東方見聞録へ。
   他にも友人、知人が大勢。ありがたい。


2003(平成15)年6月2日(月)晴
 # 末広亭[徂徠豆腐]。去年12月に国立演芸場で十日間やって練り上げた噺。
  4度聞いているという文落連のKさんが客席にいる。
   30年来の友人Y子さん、久し振りに聞きにきてくれた。といって、30年ぶ
  りということではないが、久し振り。


2003(平成15)年6月3日(火)晴
 # 日大の講義へ。志ん生のアニメを見せる。[火炎太鼓][黄金餅]。
 # 末広亭[中村仲蔵]。この噺、あたしは「忠臣蔵の五段目」より、「仲蔵夫婦
  」にポイントを向ける演出にしている。


2003(平成15)年6月4日(水)晴
 # 窓門会のまど女さんより「友人の東京新聞のインタビューを受けてください」
  ということで、H記者と末広亭の近くの喫茶店(バルコニー)で会う。江戸開府
  400年記念のイベントを集めて載せるとか。宣伝になるし、ありがたい。
 # 末広亭[百年目]。噺の中に、席亭の芸人に対する考え方の違いを挿入してみ
  た。
   実は先月の6日、あたしは落語協会事務局のOより、鈴本席亭の意向を伝え聞
  きましてね。それはこうなんです。
    一、圓窓は病気の上の途中休演が多いので、いらない。
    二、圓窓の落語はわかり易くないので、いらない。
    三、永久にいらないという訳ではないが、今はいらない。
   理由の「一」については、他の寄席へも同様のご迷惑をかけており、重々納得
  をするところですが、「二」「三」については、ちょいとばかり反問をしたくな
  りました。
   とりあえず、鈴本席亭が「圓窓不要」なら、あたしも「鈴本不要」と決めまし
  て、14日に鈴本演芸場へ出向き、直接、鈴本席亭にあって、そのことを伝えま
  した。
   そんなことがあったので、今後、あたしは鈴本演芸場の高座に上がることはあ
  りません。(他の寄席へは今まで通りに出演をいたします)
   これを機会に、このサイトに鈴本席亭をからませて「落語論」「寄席論」を書
  き綴ろうかと思っています。


   で、冒頭の「末広亭[百年目]」に戻ります。
   この噺は大店(おおだな)の番頭や手代、小僧に対する旦那の考え方がよく表
  現されている作品で、多くの人に好まれている。あたしも好きで、最近、また取
  り出して演り始めたのですが、さて、席亭の芸人に対する考え方の違いを挿入し
  たのは、旦那が番頭に奉公人の育て方を説得する場面です。もちろん、参考にな
  った事実はありましたが、あたしの創意です。


  旦那「番頭さん。あたしの親父が寄席好きでね」
  番頭「はぁ」
  旦那「あたしも子供の頃からよく連れて行かれましたよ。それが、今、役に立っ
    ていると言えなくもないんだがね。
     上野に鈴本亭という寄席がありました。常連だった親父はあるとき席亭に
    訊いたそうだ。「出演者の中で誰が大事ですか」って。そしたら、その席亭
    は『もちろん、売っ子ですよ。客を呼んでくれるんですから』と答えたそう
    だ。
     なるほど、商売だから、そう答えて当然だ。
     後日、他の席亭に同じことを訊いたそうだ。内藤新宿に末広という寄席が
    あって、その席亭にだ。番頭さん。その末広の席亭はなんと答えたと思う?
     」
  番頭「はぁ……、わかりかねます……」
  旦那「『見習、前座が一番大事だ』ってんだ。親父が『売っ子じゃないんですか
    ?』と訊き返すと、席亭は『ああいう連中はうっちゃっといたって、もう大
    丈夫。十人前、二十人前でしょう。それよりも、今の見習、前座の中から将
    来の名人、売っ子が生まれるんだから、彼らを大事にしておかないとね』と
    言ったそうだ。わかるかい、番頭さん?」
  番頭「はぁ、なるほど……」
  旦那「親父があたしに言ったことがある。『よぉく見ておきな。末広の席亭は若
    い者からの挨拶を必ず笑顔で返している。鈴本亭の席亭にはそれがない。見
    習、前座は銭にならないから、という思考しかないんだろうな、きっと』って。
    わかるかい?」
  番頭「はい、わかります」
  旦那「商いは今も大事だが、この先はもっと大事なんだ。つまり、両方を見てな
    いといけないということだね」
  番頭「はい」
  旦那「あたしも番頭さんや手代、小僧をそう見てきたつもりだ。これからもそう
    見ますよ。だから、番頭さんも下の者をそうやってみておくれ」
  番頭「はいっ」


    ってことなんですがね。
    噺には邪魔にならないと思います。といって、他の噺家には演れないでしょ
   う。(笑)どこかの席亭に一遍に「あなたはいらない」と言われるでしょうか
   ら。(笑)


 # 高座を下りると、なぜか、だるくて、たまらない。まっつぐに帰る。
   飛騨のHさんがきたことをあとで知る。


2003(平成15)年6月5日(木)晴
 # 末広亭[お若伊の助]。勉強会でやったことがあるから、3度目になるかな。
   今でいうアリバイ崩しみたいなもので、ミステリーに仕立てれば面白くなるか
  も。この先も演ってみよう。
   文京高校卒のNさんが仲間に声を掛けてくれて、10人できてくれた。


2003(平成15)年6月6日(金)晴
 # 末広亭[品川心中・上下]。カットなしでは時間がかかるので、前半はカット
  気味で。
   東京新聞の朝刊に末広亭のこの公演が載ったと知らされて、図書館へ行ったが、
  先客が読んでいて読めず、虚しく帰る。切抜きを連日、末広亭へ通ってくれてい
  るKさんからいただく。


2003(平成15)年6月7日(土)晴
 # 末広亭は名古屋へいくために休演。
 # 東邦学園80周年記念講演で名古屋へ。[ぞろぞろ]。東邦のOBである富士
  コーヒー社長の紹介からいただいたもの。一泊のつもりだったが、企画公演で疲
  労気味なので、帰宅。
 # 近所の「福しん」でラーメンを食べてながら、ふと気が付く、「あれ? カバ
  ンの中に財布がない。落としたかな、すられたかな」。そうなると、ラーメンも
  旨くも何ともない。幸い、腰のポーチに小銭はあったので、ラーメン代はそれで
  払ったが。帰宅して丹念に調べたが、やはり、ない。現金は4万ほど。免許、健
  康保険、図書カードなど入っていた。
 # NHKTV[猫定]。編集のあと、ありあり。


2003(平成15)年6月8日(日)晴
 # 朝7時、近くの千川交番へ遺失物届け。あとのことをいろいろ訊いたが、よく
  わからず、椎名町の交番まで訊きに行く。健康保険証、運転免許証の紛失届けも
  出したほうがいいようだ。最近はそれらを利用して、金を借りまくるものが多い
  とか。
   名古屋駅の遺失物の係りへ電話で問合せたが、拾った届けはないという返事。
 # 末広亭[お節徳三郎]。文落連、シーハイルの総見あり。
   はねて文落連と食事。紛失の件でみなに相談に乗ってもらう。とにかく、あす、
  区役所、免許センターへ行こう。


2003(平成15)年6月9日(月)晴
 # 朝9時には豊島区役所へ。健康保険証の再交付をしてもらう。
 # 役所の窓口で奨められたので、浜松町の金融情報センターで悪用防止のための
  登録。
 # 東陽町の運転免許場へ再交付。
 # 終わって、もう一つの悪用防止のための登録に飯田橋。前のは無料だったが、
  ここは締めて1000円。どういう違いなのか、質問をしていたら、係りの者の
  口の聞きようが変わった。なんだろう。
 # 疲れて帰宅。とても高座舞いの稽古どころではない。寝る。
   目が覚めると、東京駅から葉書。「遺失物あり」と。ああああ・・・。東京駅
  にも電話すればよかった。そういえば、千川交番の巡査が「あたしも去年、財布
  を落としましたが、3日後でました」と。
   中身は、どうだろう?
 # 末広亭[文違い]。この噺、3度目の高座かな、この噺。高座を重ねれば面白
  くなりそうだ。が、こんなとき、これでやめるから噺がまとまらない。
 # 今日まで連日通っているKさんと食事。窓輝も連れて。


2003(平成15)年6月10日(火)晴
 # 日大。圓生[栗橋宿]、文楽[明烏]のビデオを見せる。
 # 東京駅へ行って、遺失物を受けに。現金はなかったが、他はある。拾得は駅の
  便所だという。「運がいいですね」って、なにを言う!
 # 末広亭[叩き蟹]。10間すべて通ったKさんに高座からプレゼント。
   録画があったのだが、昨日、今日の疲れか、声は不安定。
   打ち上げを文化庁の連中も交えて隣の「しょうすけ」。
2003・8・15 UP







『 還付金で 家賃を払う 』

2003・5・21〜31(下席(しもせき))
報じ手 窓 輝


2003(平成15)年5月21日(水)
 浅草演芸ホールの夜席の初日。師匠のトリ。
 この日より二つ目に昇進した志ん公さんと才紫さんに祝儀を渡す。おめでとうございま
す。


2003(平成15)年5月22日(木)
 浅草演芸ホールのもう一つの楽屋で稽古。師匠から[釜泥]を教えていただいた。7月
の一門会「江戸の事件簿」のため。


2003(平成15)年5月23日(金)
 平成14年度の還付金の振込みあり。これで家賃を確保。


2003(平成15)年5月24日(土)
 浅草演芸ホールの大勢のお客様の前で[ぞろぞろ]を熱演。反応良。


2003(平成15)年5月25日(日)
 連日の高座。[転失気]。寄席には窓門会の方々の姿。いつもありがとうございます。


2003(平成15)年5月26日(月)
 高座舞いの稽古。「並木駒形」と「黒田節」。


2003(平成15)年5月27日(火)
 「二つ目勉強会」に出演。ネタは[近日息子]で、志ん五師匠より「悔やみに来る人物
にそれぞれもっと特色を」と注意。ありがとうございました。


2003(平成15)年5月28日(水)
 近所の「ドンキホーテ」で自転車を買った。いわゆるママチャリが8980円。


2003(平成15)年5月29日(木)
 圓朝まつりのチラシ用の原稿を書く。「圓朝まつりとは」のところを書いたのは、窓輝
です。ご来場をお待ちしてます。


2003(平成15)年5月30日(金)
 浅草演芸ホールの楽日。とん八で打ち上げ。


2003(平成15)年5月31日(土)
 大塚らく天寄席。今回のゲストは、佐助兄さん。
 窓輝[近日息子]、佐助[笠碁]。「二人ともよかった」と評判でした。
 会員の皆様、ありがとうございました。
2003・8・14 UP







『 サッカー連盟者を前に 講演す 』

2003・5・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 萬 窓


2003(平成15)年5月11日(日)
 落語塾の生徒さんの1人が[寿限無]を覚えたいとのこと。「ジュゲム、ジュゲム
―――」の言い立てはもう覚えている。
 彼は今年25歳だが小学校の頃、担任の先生が落語好きで、暗記させられたそうだ。
 彼が落語好きになったのも、それがきっかけ。


2003(平成15)年5月12日(月)
 長男の優樹が1歳を過ぎ、よちよち歩きをするようになった。
 見ているとまだ危ない。転んでぶつけても怪我しないように、家具等の角にはすべ
てカバ−をつける。


2003(平成15)年5月13日(火)
 知人が春日部の先の東武動物公園の近くで、お好み屋を始める。
 お祝いに食べに行く。家から1時間半。住宅街の中にある店で、メニュ−が多く、
味も良く、家族連れが大勢来ていた。
 混んできたので、1時間で席を立ち、また1時間半かけて帰る。


2003(平成15)年5月14日(水)
 友人から麻雀の誘い。飲みながら半荘4回。久しぶりなので疲れた。


2003(平成15)年5月15日(木)
 板橋区サッカ−連盟の指導者やコ−チの前で講演。近頃、私も後輩から落語の稽古
を頼まれるようになったので、その稽古法の話を入れて約1時間半。


2003(平成15)年5月16日(金)
 小唄の稽古日。みなさんに23日の独演会と6月上席の末広亭のチケットを買って
いただく。


2003(平成15)年5月17日(土)
 師匠宅へ[唐茄子屋]の稽古に行く。
 23日の独演会でネタおろしする。1時間の長編で、まず前半を師匠に聴いていた
だき直してもらう。後半はこれから……、さて、どうなるか……。


2003(平成15)年5月18日(日)
 知り合いの喫茶店の開店25周年のパ−ティーで、市谷の私学会館へ。
 一席頼まれ、[紀州]をやる。
 この会館はその名のとおり学校関係の利用が多い。


2003(平成15)年5月19日(月)
 大学時代の友人が川口でネ−ミングの会社を始めた。商品や店舗などの名前を考え
るのが仕事。
 他に用もあり訪ねると、ワンル−ムに机とパソコンだけ。これで充分とのこと。ホ
−ムペ−ジで営業して、相談はすべてネットで。なるほど、これならそれで事足りる。


2003(平成15)年5月20日(火)
 行きつけの飲み屋に独演会のチケットを置いてもらっていた。
 なんと10枚すべて完売。嬉しくてつい飲みすぎてしまう。
2003・8・10 UP






『 3期目 厳しい当選 』

2003・5・1〜10(上席(かみせき))
 報じ手 窓 里


2003(平成15)年5月1日(木)
 お蔭様で、川越市議会委員に3期連続当選を果たす事ができました。
 現職4人が落選という非常に厳しい戦いとなりました。その中で1941票をいた
だき、当選。
 今後共宜しくお願いします。


2003(平成15)年5月2日(金)
 会派結成。会派とは、政策に同意した人間が集まって作ったグループ。
 私の所属するのは現職4人で作った「プロジェクト川越21」。4年間、ここで活
動する事になる。


2003(平成15)年5月3日(土)
 師匠宅へ当選の報告。とても喜んで下さる。
 その後、川越の支持者の方へあいさつ回り。


2003(平成15)年5月4日(日)
 川越春祭り最終日。
 ポケットパークではシートを張って青空寄席。
 最初は私の依頼があったが、スケジュールの調整つかず、圓丈門下の天どんにお願
いする。
 お天気もよく、人出もあったようだ。


2003(平成15)年5月5日(月)
 子供の日。
 例年だと五月人形を出してお祝いをするのだが、今年は選挙で柏餅だけとなる。


2003(平成15)年5月6日(火)
 支持者宅へ挨拶回り。
 皆さん喜んで下さるが、反省すべきところもある。もし4年後立候補するなら、改
善しないとさらに厳しくなると思う。


2003(平成15)年5月7日(水)
 推薦をいただいた団体の集会へ。
お礼を申し上げると共に、次の選挙への課題も残る。もちろん、立候補するのなら。


2003(平成15)年5月8日(木)
 議会協議会へ。改選された40人の顔合わせ。自己紹介と事務連絡。
 初議会は12日。


2003(平成15)年5月9日(金)
 行きつけの飲み屋で常連がお祝いをしてくれる。
 公職選挙法で酒を振舞う事も、接待する事もできない。自分の分は自分で払う。仕
事でお返しするしかない。


2003(平成15)年5月10日(土)
 今日もいい天気。
 支持者のあいさつ回り。
 夕方、師匠宅へ。一門集まる。兄弟子に選挙の報告とお礼。7月の一門会について
話し合う。
2003・8・10 UP







『 高座舞いのお浚い会 くたくた 』

2003・4・21〜30(四月下席(しもせき))
報じ手 吉窓
2003(平成15)年4月21日(月)
 今日から下席、鈴本(夜の部)に出番がある。
 トリは林家正雀兄。あたしは[半分垢]をやる。
 はねて「軽く、初日の打ち上げを」と、寄席の裏のそば屋「更科」へ行く。


2003(平成15)年4月22日(火)
 鈴本。[近日息子]を演る。


2003(平成15)年4月23日(水)
 ふらっと歌舞伎座へ。一幕見で「大石最後の一日」だけ見る。討ち入り後の赤穂
浪士の切腹当日のドラマを描いたもの。吉右衛門が好演だった。
 夜席は[都々逸親子]を演る。


2003(平成15)年4月24日(木)
 今日は「高座舞い+落語+茶番」という、題して「高座舞茶番夜噺(こうざまい
ちゃばんのよばなし)」とタイトルで、国立演芸場へ。
 落語協会の2F和室を稽古場にして、浅茅与志江師匠の厳しい指導よろしく、教
わった高座舞いの数々を、圓窓、馬桜、馬生、菊春、世之介、左橋、吉窓、春水、
久美、三三、喜せん、窓輝、金兵衛といった面々が入れ替わり立ち替わりで踊りま
くった。
 会は夜だが、昼の1時にメンバーは集合してリハーサルを始める。あたしは噺も
あって[蚤のかっぽれ]、踊りは「さわぎ」「六段くずし」「二ツ巴」と踊った。
 ああ、もうくたくた。


2003(平成15)年4月25日(金)
 鈴本へ。[ぜんざい公社]を演る。
 終わって、女房に頼まれた買い物をすませに、アメ横の二木の菓子に寄る。ここ
のお菓子の量と値段の安さは請合う。皆さんもぜひどうぞ。


2003(平成15)年4月26日(土)
 今日は昼の部へ出番交代。土曜の昼席はさすがに良く入っている。[ぜんざい公
社]を演る。
 夜は四九八句会へ。兼題は「初鰹」。難しい、どうもうまく作れない。苦し紛れ
に「生醤油をはじきとばすや初鰹」。う〜ん、いまいち。


2003(平成15)年4月27日(日)
 統一地方選の投票日。あたしが住む豊島区も区長選と区議会議員選があり、女房と
投票
してきた。そういえば、今回は弟弟子の窓里も三期目を目指して川越市議選に臨んで
いるはずだ。
 いつもより少し早めに出かけて、落語協会事務所の2F和室でやってる黒門亭をの
ぞいてみる。この会は今月からスタートした、真打・二ツ目合同の落語勉強会。なん
とかうまく続いてもらいたいものだ。
 夜は鈴本へ。[山号寺号]を演る。


2003(平成15)年4月28日(月)
 川越市議選の結果はもう出ているはずだが、東京の新聞では埼玉の市議の当選まで
は載ってない。本人に電話したが留守だったので、埼玉の知り合いに確認したところ、
当選しているとのこと。良かった、良かった。ま、議員の任期中はしっかり公務をや
ってください。
 夜は鈴本へ。[狸札]を演る。


2003(平成15)年4月29日(火)
 今日はあたしの都合ではなく先方の都合で、鈴本の昼席へ出番交代。
 最近、寄席の出欠はうるさくて、「十日のうち七日間自分の決まった出番に出られ
ない時は欠席届を協会へ提出するように」とお達しがあったが、こんなこともある。
 寄席の代演は少ないにこしたことはないのは当たり前だけど、なかなかそうもいか
ない。
 高座は[近日息子]を演る。


2003(平成15)年4月30日(水)
 今日も鈴本の夜席へ。[五目講釈]を演る。
 今日は千穐楽。トリの正雀兄に誘われるまま、終わって打ち上げへ。近所の行きつ
けの居酒屋に行く。十名ほどで和気あいあい。旨い酒を飲む。ごちそうさまでしたっ!

2003・8・6 UP







『 携帯電話を カメラ付きに 』

2003・4・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓
2003 (平成15)年4月11日(金)晴。
 # 高山のHさんへ「日大の落語試験用紙」を送ってあったので、その礼のメール
  がきた。なにやら、家庭の事情を添書きにして。
 # 中席 浅草演芸ホール 夜18:45上がり。
   売店で圓窓グッズを購入の方へのプレゼント(落語試験問題)の案内を支配人
  へ渡す。反応があればいいが。
 # 客席にOさんが来ていた。浅草の「江戸っ子」「歌寿美」の二軒つきあう。化
  粧品の商売が繁盛しているとかで、帰りのタククシー代として10000円を奮
  発してくれた。自宅の千早までそのタクシーのメーターが3290円。3000
  円はあるが細かいのがないので、5000円で払おうとしたら、運転手が「細か
  いのがなくてね……。じゃいいや、3000円で」と気前がいい。個人の車。
 # 7−1で巨人をリードしていた阪神は9回裏に6点とられ、12回までいき、
  8−8の引き分け。


2003 (平成15)年4月12日(土)雨。
 # 浅草演芸ホール[俵相撲]。
   帰り、雨の中、仲御徒町でずぶ濡れになって両手に多慶屋で買った、スクラッ
  プ帖と封筒の束の入った白いビニールの袋を下げて歩いていると、トボトボと覚
  束ない足取りになる。向こうからも同じような恰好で人がくるではないか。地元
  のホームレスなり。思わず、挨拶しかかってしまったが、せずにすれ違った。


2003 (平成15)年4月13日(日)晴。
 # 浅草演芸ホール[権兵衛狸]。浦和へ行くので昼席へ。
 # 浦和市民寄席。日大で使用した落語試験の講座と[猫定]。小学校(1名)と
  高校(4名)の学友が聞きに来てくれた。合同して同ビルの店(アメリカン)で
  飲み会。女性3人のパワーに圧倒される。中の一人から、離婚経験のこと聞かさ
  れる。みんな、あたしより苦労をしている。


2003 (平成15)年4月14日(月)晴。
 # 高座舞い稽古。「こうもり」。いやはや、つらい。
 # 浅草演芸ホール[半分垢]。
 # 携帯電話を替えようと、見て歩く。


2003 (平成15)年4月15日(火)小雨。
 # 新年度の日大講座の初日。午前10時40分から。今年から授業は火曜日にし
  てもらって、今日が初日。受講者は全体としての数も減っているので、この教室
  も去年より少し減って100人ほどの学生。しかし、目の輝きは平均すると、去
  年よりいい。
   庭に緑色の桜が咲いていると教えられる。本当に緑の桜。毎年咲くとか。葉と
  同じ色なので気が付かなかった。緑の着物に緑の帯びを締めているようなものか。
  三遊亭圓窓の由来。「話す・聞く・思い描く」を重点とする。「落語の友」を配
  布。[俵相撲]を口演。
 # 浅草演芸ホール[ぞろぞろ]


2003 (平成15)年4月16日(水)晴。
 # 日芸連の総会。
 # シャープのカメラ付きの携帯電話の値段、池袋は昨日の浅草と同じ。1780
  0円。
 # コミカレ[猫定][天狗の下駄]。歯の具合が悪い。


2003 (平成15)年4月17日(木)晴。
 # 理事会。文化庁の内部に「芸人とヤクザ関連」を問う噂が流れているとか。文
  化庁へ話を聞きに行ったのが、Kとか、トップとか。
 # 浅草の店で携帯電話を購入。シャープ251IS。17800+消費税。登録
  が済むまで2時間かかるということで、時間つなぎを思案。結局、台東の区役所
  で本「竹町の人のくらし」を買う。ロッキーの書店で芭蕉関連の本も買う。


2003 (平成15)年4月18日(金)晴。
 # 浅草演芸ホール。東京落語会があるので、昼へ。[江戸っ子噺]。
 # 東京落語会[猫定]。10分のオーバー。文楽さんの[鰻の幇間]、なかなか
  いい。当人のヨイショ精神がよく出ている。
   Y先生より筍を貰う。WさんやIさんも来ていた。
   風林火山で飲む。


2003 (平成15)年4月19日(土)晴。
 # 浅草演芸ホールを昼へ変更を頼んであると思い込んでいた。が、してなかった。
  急遽、やりくりに火を吹く。
 # 国立公文書館の「天下大変」という催し。講演のある日だったので出掛けた。
  300人近くの満員の入り。桑原氏の。「このポスターの洒落が利いたんでしょ
  う」と。
 # 銀座俳句倶楽部。
 # 早めに切り上げて、一時間遅らせてもらった浅草演芸ホールへ。


2003 (平成15)年4月20日(日)曇り、小雨。
 # オフイス樹の朗読の会。Min―Wa(民話)。出演者はすべて女。それぞれ
  の出身地の昔話を朗読す。舞台装置も立派なのであきなかった。結局、すべてに
  よかった。
 # 浅草演芸ホール[猫]。
 # オフイス樹の打ち上げに戻る。
2003・7・21 UP







『 税務署前の公園で花見 』

2003・4・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 窓 輝
2003(平成15)年4月1日(火)
 所得税の確定申告にやっと手をつける。大量の領収書に気が滅入る。本日は分類だ
け。


2003(平成15)年4月2日(水)
 毎年楽しみにしている映画「ドラえもん」を観た。少々マンネリではあるが、やは
りおもしろい。


2003(平成15)年4月3日(木)
 中日―ヤクルト。延長12回、福留のサヨナラホームラン。いい気分でスポーツニ
ュースを全部見る。


2003(平成15)年4月4日(金)
 確定申告提出。わずかながらも還付金が楽しみ。税務署前の公園でお花見。


2003(平成15)年4月5日(土)
 新宿末広亭の深夜寄席。一番手で[ぞろぞろ]を熱演したが、ウケはいまいち……。
雨の中、50名のお客様、ご来場ありがとうございました。


2003(平成15)年4月6日(日)
 実家にて、納戸の整理と電球の取替え、棚の組立てで5千円の日当をもらう。


2003(平成15)年4月7日(月)
 高座舞いの稽古。過去に踊った総踊りのおさらいだが、本番まで稽古はあと2回。
間に合うだろうか?


2003(平成15)年4月8日(火)
 BS放送で、中日―阪神を観戦。3点リードの9回裏、ギャラード同点3ラン被弾
も、延長11回、4−3の辛勝。BSは最後まで中継するのがいい。


2003(平成15)年4月9日(水)
 同、観戦。大好きな先発の山本昌がKO。5−0の完敗。こういう試合は、最後ま
で中継しなくていい。


2003(平成15)年4月10日(木)
 同、観戦。昨日のお返しで3−0の快勝。勝ち星で巨人を上回り単独?位に!いい
ぞ、ドラゴンズ、このまま突っ走れ!
2003・7・21 UP







『 家族で 京都へ遊山 』

2003・3・21〜30(下席(しもせき))
報じ手 萬 窓
2003(平成15)年3月21日(金)
 小唄の稽古。花粉症のため声が出ない。毎年3月末になると、花粉に悩む。スギ以
外の花粉アレルギ−もあるとのこと。


2003(平成15)年3月22日(土)
 もうじき1歳になる優樹をつれ、横須賀の親戚の家に行く。生まれて初めて海を見
せたが、まだ興味を示さない。海水浴に行きたがるのは、まだ先になりそうだ。


2003(平成15)年3月23日(日)
 落語塾の日。昨年の10月から始めて5ヶ月経った。生徒のみなさんは、声も大き
くなり、緊張せず話せるようになった。「先日の披露宴のスピ−チうまくいきました
」という生徒さんもいて、講師としてはやりがいがある。


2003(平成15)年3月24日(月)
 足立区の六月中学校で学校寄席。[そば清]をやったが、女子生徒の反応がよかっ
た。
 中学では、女の子の方が想像力があるようだ。


2003(平成15)年3月25日(火)
 さいたま市の教育委員会から頼まれ講演。対象者は学校給食を作っている女性ばか
りで、約350名。テ−マは「笑いと人間関係」で、給食の思い出話から楽屋話、寄
席での人間関係の話を1時間半しゃべる。


2003(平成15)年3月26日(水)
 今日から2泊3日で、京都へ家族旅行。2時に京都駅に着き、その足で清水寺へ。
 境内に入ってから気がついたが、ここは坂や階段が多く、ベビ−カ−は使えない。
 でも心配無用で、階段の脇に車イス用のスロ−プがある。さすが京都で一番人気の
観光地。
 ちょうどご本尊の開帳をしてたので拝観する。係りの人に「このご本尊はどなたの
作ですか」と尋ねたところ、「古いことなのでわかりません」と正直な答え。
 その後、石塀小路を通り八坂神社へ、桜はまだつぼみで、あと3日ほどで開花する
とのこと。残念だったが、満開になると人出が多く、歩くのも大変らしい。


2003(平成15)年3月27日(木)
 朝9時にホテルを出発し、まずは東映の太秦映画村へ。ここは、映画やTVドラマ
の撮影も行っていて、江戸時代の商家や武家屋敷、奉行所のセットがある。噺の参考
になった。
 それから、嵐山、嵯峨野へ。世界遺産の天龍寺をはじめ、祇王寺、念仏寺など廻る。
 渡月橋の近くに「美空ひばり記念館」がある。嵐山とひばり……、まったく結びつ
かないが、観光地には有名人の店はつきもの。子供も半日よく付き合ってくれた。


2003(平成15)年3月28日(金)
 最終日は二条城を訪れる。今年は江戸開府400年だが、家康が京都での将軍の住
まいとして建てたこの城も今年でちょうど400年。将軍の間をはじめ数多くの部屋
があり、つくづく掃除が大変だったろうと思う。
 午後の新幹線で帰京。
 京都は金のかかる所だ。あのなんとも言えない、やわらかい口調で「おおきに」と
か「――しておくれやす」とやられると、つい無駄遣いをしてしまう。


2003(平成15)年3月29日(土)
 旅の疲れと花粉症で一日中、家でゴロゴロ。


2003(平成15)年3月30日(日)
 知人に大塚の寿司屋でご馳走になる。最近、イワシが獲れないらしい。地球温暖化
が原因という説と、クジラが近海に来てイワシを狙っているという二つの意見が出る。


2003(平成15)年3月31日(月)
 昼、池袋演芸場で余一会。寄席は一ヶ月を10日にわけ、上席、中席、下席と興行
している。大の月は一日余るので、この日にやるのを余一会と呼んでいる。
 今日は若手だけの出演で、私は[安兵衛狐]をやる。
2003・7・21 UP







『 2期目 最後の議会 』

2003・3・11〜20(中席(なかせき))
 報じ手 窓 里

2003(平成15)年3月11日(火)


 2月24日、開会の第1回定例会中。今年は選挙の年なので、例年より早く開会。


2003(平成15)年3月12日(水)
 今日も朝から議会。国に対して「イラク問題の平和的解決を求める意見書」を提出
。戦争だけは回避したい。


2003(平成15)年3月13日(木)
 建設常任委員会、開催。積極的に発言。市民の要望が一番多いのが道路問題。


2003(平成15)年3月14日(金)
 市役所が手狭になり、東側に三階建ての庁舎建設。本日、お披露目式。
夕方から知人のお祖父さんの話を聞きながら酒を飲む。話し相手が欲しいんだよな。


2003(平成15)年3月15日(土)
 母校の中学校卒業式に出席。私はこの学校の3年生の時、担任に「あなたみたいな
子はろくなものにならない」と言われた。F先生、あなたの言った通りこんなものに
なっちゃった。
2003(平成15)年3月16日(日)
 近所のお祭りに出席。私は選挙が終わり、当選しないとお祭りは出来ない。


2003(平成15)年3月17日(月)
 本日、議会は休会。
 選挙事務所の件で不動産屋へ。良い物件が見つかる。早速、仮契約。一ヶ月だけの
使用となるので、見つけるのも大変。


2003(平成15)年3月18日(火)
 議会、最終日。来年度予算を可決。来年度の川越市の一般会計予算は903億円。
皆様には漠然と言われても分からないことだと思う。
 自分の住んでるところを調べてみたら、今日で二期目最後の議会。4月に戻ってこ
られることを願う。


2003(平成15)年3月19日(水)
 議会報告書の作成。当選以来、第18号。
午後、原稿を印刷へ。今回5000部作成。印刷代・郵送料は約25万円、自己負担。


2003(平成15)年3月20日(木)
 川越駅西口検討委員会へ。議会は閉会しても委員会はまだある。
午後は消防組合委員会へ。
お昼時間に来客あり、昼食をする時間もない。

2003・7・21 UP







『 西門寺寄 10周年記念 』

2003・3・1〜10(三月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓
2003(平成15)年3月1日(土)
「たまには表でメシでも喰うか」と夕食は親子三人で近くのファミレスへ。
 新目白通りを渡ったところに、中華、和食、洋食、焼肉と四軒ほど軒を並べている。
 迷ったあげく、和食の店へ入る。ささやかな、ごくささやかな庶民の贅沢です。たま
にはいいでしょ。


2003(平成15)年3月2日(日)
 足立区の舎人に、浄土宗の名刹、西門寺というお寺がある。
 ここは年に二、三回ペースで落語会を開催しており、あたしもレギュラーメンバーと
いうことでお世話になっている。
 今日はその西門寺寄席の十周年記念の会。出演はあたしの他に柳亭市馬、柳家さん福、
鯉川のぼる、すず風金魚・にゃん子、前座の桂才ころ、といった顔ぶれ。
 寄席の後、記念パーティー&大抽選会もあり、盛り上がった。
 あたしは[ぜんざい公社]を演る。


2003(平成15)年3月3日(月)
 落語卓球クラブの練習にいく。
 昨晩も三次会まで付き合って、ずいぶんお酒を飲んだので、いい汗かいて、アルコー
ルを抜かないといけません。
 しかし、練習後。誘われるままに2軒はしごしてビールをしこたま飲む。やれやれ、
何にもならない。


2003(平成15)年3月4日(火)
 2日連続でだいぶきこしめしたので、さすがに今日は酒を抜こうと思っていたら、夕
方「飲もうよ」とお誘いの電話。かみさんの冷たい視線をあびながら出かける。
「今日は軽くですよ」と断りながら生ビールをジョッキ2杯、ホットワインをグラス1
杯、焼酎のお湯割りをグラス1杯にまとめてみました。飲み過ぎたかな?


2003(平成15)年3月5日(水)
 夜、両国寄席へ。日が暮れると吹く風がまだ冷たい。高座は[普段の袴]を演る。


2003(平成15)年3月6日(木)
 夜、住吉踊りの稽古へいく。そろそろウォーミングアップしておかないとね。


2003(平成15)年3月7日(金)
 今日は朝から冷たい雨が降っている。
 こういう日は出かけるのも億劫だが、講演の切符が手に入ったので、江戸東京博物館
まで足を運ぶ。
 講師はここの館長、竹内誠さん。演題は「江戸のこころ」。少しは落語に役立つかなと
思い、興味深く拝聴する。


2003(平成15)年3月8日(土)
 親子3人で池袋へ映画を見にいく。
 第二次世界大戦のユダヤ人迫害を扱った物語「戦場のピアニスト」。この手の映画は今
まで「シンドラーのリスト」「コルチャック先生」なども見たが、これも同様に戦争反対
を固く誓いたくなる映画。
 でも見終わって思ったこと、「芸は身を助ける」。


2003(平成15)年3月9日(日)
 今日は良い天気。自転車こいでぶらぶら近所の図書館へ。
「梅もそろそろ終わりだな、沈丁花の匂いがきつくなってきたぞ」
 などと街中に春の進行を感じる。
 館でのんびり週刊誌を読んでいたら思い出した。
「いけね、確定申告書、まだ何にも書いてなかったっ」
 所得税の申告も〆切まであと1週間。毎度面倒くさくて憂鬱だが、やらなきゃいけな
い。早速、帰宅して数字とにらめっこを始める。


2003(平成15)年3月10日(月)
 歌舞伎座、夜の部へ足を運ぶ。
「傾城反魂香」「連獅子」「与話情浮名横櫛」と人気狂言が並ぶ。
 このうち「傾城反魂香」は住吉踊りの中にもある「ども又」こと、どもりの又平の物
語。絵師としての腕はあるのだが、どもりというハンデがあって今ひとつ認められない
又平がなんとなくもの悲しくて、あたしは好きな芝居だ。
 又平夫婦を富十郎、芝翫が好演だった。
 見終わって思ったのが、「芸は身を助ける」。さあ、稽古しようっと。
2003・3・28 UP







『 芝居に 映画に 出たわけではない 』

2003・2・21〜28(下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓
2003 (平成15)年2月21日(金)曇り>
 # 寄席は休席。
 # 歯医者。
 # メール仲間の弥助さんと[徂徠豆腐]の演出を検討することになった。
 # 友人の役者が朗読をしたことがあるというので、太宰治の「待つ」を青空文庫
  から読む。う〜ん、落語にはならないな。


2003(平成15)年2月22日(土)
 # 第13回 四九八句会。高校の後輩のMさんの本格的な句会参加、もう一人の
  のMさんも久し振りの参加があって賑やかになる。
   会場はオフイス樹の稽古場なので、ついでに句会開始前に落語っ子連の稽古を
  付ける予定だったが、忘れ物(句会の貴重な品)をして自宅に戻ったので時間を
  取られて、やむなく中止。稽古は3月1日に円ドル宅ですることに決定。


2003(平成15)年2月23日(日)
 # 銀座俳句倶楽部。今回は日曜日の開催になったので、会主にMさんの参加をお
  願いして同道。初参加でいい点を取ったようだ。


2003(平成15)年2月24日(月)
 # 霙の中、信金、銀行を回る。
 # 高座舞い稽古。
 # 映画「戦場のピアニスト」を見る。「海の上のピアニスト」を意識した題名。
 「海上」を「船上」とした洒落はないだろうが。娯楽性は「海のーーー」ほうがあ
  ったので、拍子抜け。戦場というからピアニストが戦うのかと思ったが見当違い。
  ドイツ軍人の前でピアノを弾くまで、ちょいと長かったという感じ。
   ユダヤの悲劇はわかるが、もっとピアニストを描いてもらいたかった。
 # 事務局の小川さんから亭主が企画したという、江戸から東京がよくわかる地図
  を貰う。


2003(平成15)年2月25日(火)
 # 新宿モリエールの青年劇場の芝居観賞へ。ドーフマン親子の作「顔」。わざと
  難しくしているんじゃないかと思いたくなるような台本。セックス用語が多いの
  も困るよ。
 # 本屋で「文芸春秋」を買う。日本語の特集なもんで。
 # 映画「ホワイトオランダー」。新宿武蔵野館。芝居よりあきなかった。


2003(平成15)年2月26日(水)
 # 歯医者へ。
 # 池袋保健所から電話で、「近所の人から猫の件で苦情がありました」と。電話
  の主は匿名とのことだが、いじめ、いやがらせの癖の常習犯のIだろう。
 # 自宅にきた窓輝に「雑誌・俳句界」を購読しろ、と薦める。
 # はいとりがみ句会。来たのは五人。いやに博学の椿さんという作家の初参加。
 「死体のエロ」という本を出すとか。
   このところ、あたしの句は止まってしまっておもしくない。平凡。


2003(平成15)年2月27日(木)
 # H銀行へ行って、通帳の紛失届けを出す。こういうときは本人が来て本人であ
  ることを証明して記入しなくてはいけないらしい。


2003(平成15)年2月28日(金)晴れ
 # 芝居観賞。「その日、その日こそ」李盤作。会場は在日本韓国YMCA・スぺ
  ースワイ。プロンプターが付いていて、ひやひやしながら観賞。台本も役者もば
  らばらという感じ。
2003・3・22 UP







『 遅れてるが 落語の友 4月に 』

2003・2・11〜20(二月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2003(平成15)年2月11日(火)
 先週、行った千葉の真砂小学校の生徒さんから、お礼の手紙が届いた。
[寿限無]と[ぞろぞろ]が大変おもしろかった、とのこと。自分の落語で噺家を目
指す子が……、出るわけないか。


2003(平成15)年2月12日(水)
 雑誌と小説以外で久しぶりに買った「江戸時代館」。これで勉強するぞ!


2003(平成15)年2月13日(木)
 テープの整理で前座の初期の頃の[子ほめ]が出てきた。とても聴けたもんじゃな
い!


2003(平成15)年2月14日(金)
「落語の友」編集会議。「私が見た決定的瞬間」の担当に。遅れたが4月には発行に
なる。


2003(平成15)年2月15日(土)
 来週の句会のため、俳句作りの散歩。兼題は「竹馬」だが、そういえば一度も遊ん
だことがない。


2003(平成15)年2月16日(日)
 中日の新助っ人にアレックス外野手が決定。走攻守そろったメジャーリーガーで期
待大。


2003(平成15)年2月17日(月)
 高座舞いの稽古。4月24日の国立での発表会のため、「並木駒形」と「六段くず
し」に汗を流す。


2003(平成15)年2月18日(火)
 豊島税務署へ確定申告。還付金で着物を作る予定。


2003(平成15)年2月19日(水)>
「落語の友」の取材で、一朝師匠にインタビュー。彦六師匠のお話を約一時間、聞か
せていただいた。
 面白いのなんのって。


2003(平成15)年2月20日(木)
 協会事務所で黒門亭についての話し合い。4月から始まる予定で、勉強の場が新し
くできるのは非
 常にうれしい。
2003・3・22 UP







『 上板橋落語塾 始まる 』

2003・2・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 萬 窓
2003(平成15)年2月1日(土)
 末広亭夜席[お花半七]。土曜日ということもあり、客席はほぼ満員で反応も良い。


2003(平成15)年2月2日(日)
 昨年の10月から近所で『上板橋落語塾』というのを始めた。
 講師は私と柳家太助さん。生徒は20代の女性から50代の男性の12名。「人前
で緊張しないで話せるように」「ユ−モアのある会話を身に付けたい」「噺家と酒を
飲みたい」という方々の集まり。
 まずは小噺から。


2003(平成15)年2月3日(月)
 末広亭夜席[伽羅の下駄]。
 今日は節分。寄席では、中入り前の時間に噺家の手拭いや豆などを高座から客席に
撒く。その際けして「鬼は外!」とは言わない。客席に鬼はいないという建前からか。


2003(平成15)年2月4日(火)
 末広亭夜席[たらちね]。
 この寄席の近くに『桂花』というラ−メン屋がある。とんこつス−プの熊本ラ−メ
ンで、タ−ロ−メンというバラ肉の塊入りの麺が一番人気で、噺家にも常連が多い。
 久しぶりに食べたら、腹いっぱいになって、少し残してしまった。前座の頃、二杯
はたいらげたのに。


2003(平成15)年2月5日(水)
 末広亭夜席、[真田小僧]。
 インフルエンザが大流行。楽屋にも風邪っ引きが多い。気をつけなければ。


2003(平成15)年2月6日(木)
 夜、日暮里で『五人廻しの会』。
 私は[安兵衛狐]。上方落語の[天神山]を東京に移したもので、歌舞伎の「芦屋
道満大内鑑・葛の葉子別れ」のパロディ−。幽霊を女房にしてしまう、へんくつ源兵
衛という男が悪人にならないように演じるのがむずかしい。


2003(平成15)年2月7日(金)
 小唄の稽古日。稽古の後、皆さんに落語会のチケットを買っていただく。


2003(平成15)年2月8日(土)
 近所の呉服屋が閉店セ−ル。値引きした反物が店頭に並んでいて、気に入った柄も
あったが、女物で裄が足りない。和服ばかりは背の低い人の方が得。


2003(平成15)年2月9日(日)
 両国寄席[安兵衛狐]。
 出演者に風邪を引いた人がいて、二人代演に来ていた。


2003(平成15)年2月10日(月)
 口座のある某銀行の支店が店舗をたたみ、近くの支店に併合された。
 そのため通帳、カ−ドが新しくなったが、その手続きもめんどうだ。いつになった
ら景気は回復するのだろう。
2003・3・22? UP







『 4月は 3期目の選挙 』

2003・1・21〜31(三の席(さんのせき))
 報じ手 窓 里
2003(平成15)年1月21日(火)
 午前中、市役所にて市民の相談を受ける。
 午後は会員宅訪問。今年の四月は3回目の選挙。4月20日告示、27日投票。
 1軒でも多く回りたい。


2003(平成15)年1月22日(水)
 本日より2日間、視察研修。9時の新幹線で滋賀県近江八幡市へ。
 この町の町並み保存について説明を受けて現地視察。
 夕食は近江牛の予定だったが、目当ての店が休業日のため、ホテル近所の焼き
鳥屋。普段と変わらない。


2003(平成15)年1月23日(木)
 電車で移動して長浜市へ。何年か前のある新聞アンケートで住んで「みたい町
ナンバー1」に選ばれた町。ちなみにナンバー2は、我が町、川越。
 町並みとお祭り会館を視察。4時過ぎの新幹線にて帰路へ。


2003(平成15)年1月21日(金)
 市役所へ視察の報告。
 夜、河川を守る会の新年会出席。早速、きのうの視察の話をする。
 両市共、町の中に美しい川や堀があった。水は心をいやしてくれる。


2003(平成15)年1月25日(土)
 チラシと議会報告書を持って会員宅へ。50軒以上回った所で本日は終了。


2003(平成15)年1月26日(日)
 ある市の友人の市会議員の新年会へ。 今日は来賓ではなく落語家として一席
30分話す。内容はいつもと変わらない
けど、お金をもらえるのは嬉しい。


2003(平成15)年1月27日(月)
 大雨の中、ある県議会議員の新年会出席。知事、市長がみえて盛大なパーテ
ィー。
 私は新年会はやりません、3月22日の小江戸落語会です。


2003(平成15)年1月28日(火)
 決算委員会。13年度の決算について審議。
 本日は土木費について。市民からの要望が一番多いのが道路の問題。


2003(平成15)年1月29日(水)
 本日も決算委員会。今日は教育費について。
 学生時代に問題児だった人間が教育について何か言えた立場ではないが、こ
れも仕事。人間変われば変わるものの見本。


2003(平成15)年1月30日(木)
 今日も会員宅訪問。
 風の吹くとても寒い日。夕方、早々に終了。


2003(平成15)年1月31日(金)
 今日も会員宅訪問。
 夕方、知人の誘いに負けて飲みに行く。飲みに行っても話題は選挙の事。励
ましてはくれるけど、本当に私の名前を書いてくれるのか不安は残る。

2003・2・8 UP







『 スキーはやらないが スキー場へは行く 』

2003・1・11〜20(一月ニの席(にのせき))
 報じ手 吉窓
2003(平成15)年1月11日(土)
 今日はラグビー全国大学選手権の決勝。国立競技場へ足を運ぶ。
 カードは早稲田大対関東学院大。
 5万を超える観衆が両校の応援に声を枯らす。結果は27対22で、早稲田が
勝つ。ひいきのチームが勝っていい気分。


2003(平成15)年1月12日(日)
 浦和の義兄宅へお年始に伺う。
 あちらには甥っ子が二人、こちらは娘が一人。お年玉もらって喜ぶのは子供ば
かり。


2003(平成15)年1月13日(月)
 急に国立大劇場の芝居の切符が手に入ったので、見に出かける。
「双蝶々曲輪日記」。吉右衛門、富十郎、時蔵、歌昇といった役者が熱演だった。
 中でも南方十次兵衛役の富十郎が良かった。口跡も良く、メリハリのある演技に
うなずきながら見入ってしまう。おん年73歳。まだまだ元気だ。


2003(平成15)年1月14日(火)
 今日は歌舞伎座、昼の部へ。
 平日というのに切符売り場には”昼の部切符完売です”と張り紙がしてある。
 お目当ては、玉三郎の「道成寺」か菊五郎の「弁天小僧」か。
 でも、昨日の国立もそうだたが、正月の芝居は普段より着物姿の女性客も多く、
はなやいだ雰囲気があって良いものだ。


2003(平成15)年1月15日(水)
 今日も歌舞伎座、夜の部へ。
 連日芝居ばかり見ていて「仕事はないのか」と言われそうだが、その通り、仕
事ないんです。誰か、お仕事下さいっ! トホホ。
 ま、それはともかく、「寺子屋」「保名」「助六」の三演目を観劇する。
 見終わって気がついたけど、この3本に出ている松王丸、保名、助六が、皆、
紫の鉢巻をしていた。偶然かしら、変な共通点だ。


2003(平成15)年1月16日(木)
 藤沢市役所の落研主催の落語会へ伺う。
 前かたに部員さんが二人上がって、あたしがトリ。[ぐつぐつ]を演る。
 打ち上げの席で「面白い噺ですね、初めて聞きました」と何人からも言われる。
 この噺は柳家小ゑん兄さんがもう二十数年前にこしらえた新作落語。
 おでんのネタ同士が煮られながら会話をするという奇抜なあら筋で、兄さんの
数ある新作の中でも代表作といってもいい作品。
 一昨年の暮に稽古をお願いしたら、二つ返事で快諾してくれた。
 その後やる度に好評なので、良い噺を教わったなと思っている。
 小ゑん兄さんに感謝、感謝。


2003(平成15)年1月17日(金)
 去年一緒にスキーに行った友人家族から、また今年もお誘いがあった。
 ちなみにあたしは去年は仕事のため不参加。
 行くなら今晩から行こうということになり、子供が学校から帰宅するのを待っ
て、友人家族の車で一路長野の蓼科へ向う。
 中央高速、諏訪ICを降りてからは夜中の凍結した山道でオロオロしたが、夜
11時に宿に到着。やれやれ。


2003(平成15)年1月18日(土)
 さあ、今日は一日、スキー三昧!
 とはいっても、あたしはすべらない。いや、すべれない。やったことがない。
 見学組である。
 友人家族5人、あたしの家族3人のうち、スキーをしないのがあたしと女房。
 女房はスキー経験はあるのだが、昔、転んで大ケガをしたことがあり、以来やら
ない。
 喜々としてリフトに乗り込む6名を見送り、あたしと女房は麓のレストランで
 コーヒーを飲んでつないでいる。
 明日の仕事の都合であたしは、3時過ぎにバスでひとり、中央線茅野駅へ出る。
 特急あずさに乗って新宿へ。
 京王デパートで弁当を買って帰宅。


2003(平成15)年1月19(日)
 さる新年の集いで落語を一席頼まれて、埼玉の寄居まで行く。
 寄居はJR、東武線、秩父鉄道と三つの鉄道が交差するターミナル駅。とはい
え、池袋までは東上線で途中から急行を使ってもたっぷり1時間半以上かかる。
 太鼓の演奏やらママコーラスの合唱があって、あたしの出番。
 客層は、年配の方から幼子を抱いた家族連れまでいる。まくらを長めにふって
[都々逸親子]をやる。
 終って食事をごちそうになって7時ごろ池袋着。
 今日は四九八句会の新年初句会が大塚の会場で4時から開かれているはず。
 欠席と連絡しておいたが、電話を入れてみると「酒があるからおいで」とのこ
と。
 行ってみると、句会の方はほぼ終了していて飲み会の方に移行していた。
 つがれるままにお酒をいただいて、夜半に帰宅。


2003(平成15)年1月20日(月)
 昨晩はどうも飲みすぎたらしい。
 今朝はバカな二日酔い。半日ダウンしていた。
 昼のニュースが貴乃花の引退を告げていた。
 スポーツをやる人には現役引退は必ずついてまわるが、優勝22回、平成の名
 横綱の引退はさみしいもんだ。
 あたしも辞めた貴乃花の分まで落語で頑張ろう! ・・・ちょっと違うかな?

2003・2・8 UP








『 着物の重いこと 』

2003・1・1〜10(初席(はつせき))
 報じ手 圓 窓
2003 (平成15)年1月1日(水)晴
 # 信号待ちで伯楽とばったり。「御身大切する」という芸人の人生論を聞く。まぁ、
  立ち話では解決しなかろう。
 # 浅草演芸ホール[開府400年]。
   正月の連休は毎年、車の運転。久し振りなので恐い。
   前座やお囃子に渡すお年玉を忘れた。女房に言われて手渡されたのに、一端、
  どこかへ置いたのだろう、そのままに家を出てしまった。
 # 喉の保全のため前々から掛け持ちは断わっているので、浅草演芸ホール一軒。
   昔から、掛け持ちの件数が噺家の自慢でもあったというが、今のあたしはそれ
  を放棄。ところが、ニの席は末広亭と池袋演芸場になっている。なんの連絡もな
  くて知らなかったことで、困っている。大丈夫だろうか。


2003 (平成15)年1月2日(木)晴
 # 国立演芸場[開府400年]
   ボンボンブラザーズの一人の楽屋入りが遅い。相棒が念のため自宅に電話を入
  れると、その者が「はいはい」と出た。結局、あたしが30分ほどつなぐ。
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 長男、次男の一家が年始に来る。女の子の孫は二人いる。男より可愛い。しば
  らく4歳の孫娘の相手になっていたが、疲れたのでわからないように抜けて二階
  の部屋にこもったら、泣き出したらしい。悪いことをした。


2003 (平成15)年1月3日(金)雪
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 車の車庫入れで、右ミラーを塀でこすってしまい、欠く。
 # 年賀状書き。ストーブのある暖かい部屋でやっていたら、乾燥のせいで喉がい
  けなくなった。


2003 (平成15)年1月4日(土)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 第17回”シーハイル”。大森[牛褒め]、白鳥(スワン)[二人癖]、萬窓
 [お花半七]、圓窓[俵相撲]。
   窓門会の面々を誘って、地下のキリンシティーで打ち上げ。萬窓曰く「ここは
  ビールが旨いそうです」。喉の調子をみて、あたしは飲まず。


2003 (平成15)年1月5日(日)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 昨日、見たのだが、浅草の東京電力ビルに、小規模だが、浅草六区の芸能史の
  催しをしている。一見の価値あり。


2003 (平成15)年1月6日(月)晴
 # 今日から平日。車の駐車もしにくいし、交通巡査の仕事も始まるだろうし、着
  物をきて、地下鉄で浅草演芸ホールへ。有楽町線で銀座一丁目で下りて、銀座を
  銀座線の京橋駅まで歩く。開府400年の幟が目につく。
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 帰宅して着物を脱いで、衣紋かけへ下げるとき、手にぐっとその重いことが伝
  わってくる。
 # 高校の先輩の岡田さんよりメール。「四九八句会に入会したい」という。あり
  がたし。


2003 (平成15)年1月7日(火)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]


2003 (平成15)年1月8日(水)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # タイの友人から賀状がきたので、返信の官製賀状を出そうと、郵便局へ。「あ
  と、20円いただきます」だって。安いんだね。郵送料って。海を越えるのに。
 # 銀座に長谷川仏壇屋。あるんだ……。


2003 (平成15)年1月9日(木)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 日大へ。吉窓と。江戸東京落語図会を配る。吉窓[お見立て]
 # 日大に同行した吉窓、帰りの西武線の切符を紛失。あたしの分も含めてだ。池
  袋で出られず、駅員に訳をいったら、「買い直してください」とのことで、その
  場で航空公園駅から池袋駅まで二枚分を払う。帰宅して、なんと、あたしのカバ
  ンの中の紙袋の中に切符があるではないか。どうなってんの?
 # 共に高座があるので、吉窓と浅草へ。蕎麦屋に入ったが、吉窓はつゆの入った
  茶碗をひっくり返す。どうした、吉窓?
 # 楽屋入りの前に吉窓と掛け合いの小道具を買いに浅草を歩く。ぼてかづら(紙
  で拵えたもの)や刀を買う。
 # NHKの「そのとき歴史が動いた・開国ペリー」を見る。番組では「3年後の
  ハリスの嘘を見破る検証作業をしていた」、交渉にあたった堀口正睦、井上忠震、
  の三人を褒めていた


2003 (平成15)年1月10日(金)晴
 # 浅草演芸ホール[開府400年]
 # 帰り、下車駅の銀座一丁目で降り損なったので、銀座まで。じゃ、映画でもと
  シネマスイッチへ。「アイリス」。ところが上映が始まったばかりで2時間待つ
  ことになるので、あきらめて帰宅。
 # 講演と落語の授業に行った八千代台小学校の生徒からの感想文と写真が郵送さ
  れた。打ち込んでサイトにUPしなけりゃ。他にもいろんなデータがたまってい
  る。
2003・2・7 UP