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企業・一般

口上 企業・一般の「落語の授業」

 あたし(圓窓)は、現在、学校や塾で「落語の授業」をしておりますが、ふと、考
え込むことがたびたびあるのです。
 児童、生徒、学生に限らず、教師や保護者がいかに落語にふれていないか、という
ことを実感したからです。
 そんなことから、教育指導者と打ち合わせの段階で骨を折ることも多々ありました。
「こりゃ、子どもだけではなく、大人もなんとかしなけりゃ」という意識が昂ぶって
きたのを抑えることはできなくなりました。
 今までにも企業・一般の講演会で「子どもたちに落語の授業をやっています」とい
うようなことをテーマに進めることもありました。
 そこをまた一歩進めて、「企業・一般のみなさんも落語の授業をいかがですか?」
と薦めているのです。
 といいますのは、古典落語に多くあるのが江戸時代からの商い、商人の作品です。
 これを商人噺といってます。中でも[百年目][はてなの茶碗]などは現代の日本
の財界、経済界へ聞かせたいテーマそのものです。
 前半で現代の世相を切る講演、あと後半は商人噺のライブ、という組み立てです。

 企業・一般がよく開いている余興、演芸会といった形式ではありません。子どもに
負けないよう、落語を通してこれからの日本人に必要なことを掴んでもらいたいので
す。
三遊亭 圓窓
2006・4・30 UP







名古屋市千種区・更正保護婦人会における圓窓の講演

テーマ:「子供には落語が必要」

主催:名古屋市中ロータリー
日時:2000・5・12(金)午後2時
会場:東山会館
講師:三遊亭 圓窓
文責:副会長・書記 加藤和子

 平成12年5月12日(金曜日)に、名古屋市の千種区更生保護婦人会が開催しま
した年次総会で、三遊亭圓窓師匠に記念講演をしていただきました。
 近ごろではほとんどなじみの少ない古典落語の噺家の世界に、はたしてついていけ
るかと、少しばかり心配でしたが、師匠は女性一色の会場で瞬間的に察知してくださ
ったのか、話の冒頭に「女学校?の入学式みたい・・・・・・」と緊張をほぐして下
さいました。まさに、女学校と言われて笑う年代なのです。
 本題の中では、現代のメディアが「人の不幸は密の味」とばかりに、悲惨で悪いニ
ュースを頻繁に取り上げ、見る者の心をくすぐっていると指適され、自分たちもそう
した風潮に慣らされていると反省しきりでした。
 また成人式の講師に招かれた体験から、辛抱ができず、人の立場にたてない若者と
その親たちの姿を紹介されましたが、未来を託す子供達の教育が、いかに重要である
かを痛感いたしました。
 そして師匠は、同じ轍を踏まないために、「話を聞いて描く作業」を取り入れた教
育を、と提言されました。話し言葉を聞くことによって、自分の頭に場面、状況、姿、
形を描くことが人間社会にもたらす様々な効果について具体例を示しながら話して下
さいました。
 それは、現在、流行っているコンピューターが描くところのバーチャルリアリティ
ー(仮想現実)よりも、効果があり、そして「話を聞いて描くこと」を取り入れた教
育が、不況の克服や、少年非行の防止策にもなり、内に閉じこもりがちな青少年の心
の扉を開く一つの鍵になるのではないか、と力説されました。
 こうしたユニークな持論を展開される圓窓師匠の古典落語[ぞろぞろ]が、今年の
小学4年生の国語<下>の教科書(教育出版発行)に掲載されるそうです。この教科
書は全国シェア20%だそうですから、これで日本の将来の20%は明るいと期待が
出来ます。
 ともかく、相次ぐ青少年の悲惨な事件に心を痛めている私達に、大いなる希望に向
かう貴重な火種をともしていただきました。これを期に、小グループからでも、子育
て運動の一貫として「話す・聞く・描く」運動を始めたいという声が上がりました。
 またお話を伺える機会に恵まれることが出来ますよう、今後ともよろしくお願いい
たします。
 まことに大変ありがとうございました。
2006・5・2 UP







名古屋・中ロータリーにおける圓窓の卓話

テーマ:「小学四年の教科書に落語が載った」

主催:名古屋市中ロータリー
日時:2000・2・14(月)午後12時
会場:不二ホテル
講師:三遊亭 圓窓
広報用要約者:小島幸子

『小学四年の教科書に落語が載った』            落語家 三遊亭圓窓

 私が咄家になりましたのは昭和34年で、今からもう41年前になります。
 私は高校を出て18歳で入門したのですが、最初は前座です。
 当時、楽屋には明治生まれの名人・上手がゴロゴロしておりました。
 ある日、前座仲間の一人がある師匠をヨイショするつもりで「昨日、師匠の落語を
見ました」と言いました。
 すると、明治生まれのその師匠はムッとして「馬鹿野郎。落語は見るもんじゃねェ。
聞くもんだ」。
 この一言は未だに私の記憶にはっきりと残っているのですが、つい先日もこの言葉
を鮮明に思い出させてくれた出来事がありました。

 静岡市の市長だと思いますが、成人式の後の記者会見で「来年から成人式はもうや
らない」と怒りました。
 講演がありましたが私語花盛り。携帯電話をかける者、空いた缶を転がす者、誰一
人として話を聞かなかったためです。
 去年もそんなことがありまして、早大の吉村作治先生が仙台市の成人式で講演しま
したが、「もう2度と成人式では講演しない」と激怒しました。
 私は市長や先生の気持ちもよく分かりますが、講演を聞かなかった新成人たちの気
持ちも分かります。
 彼らは赤ん坊の時からTVを見、ゲームに熱中になって育ってきました。つまり、
ブラウン管を相手に大きくなったので、人の話を1時間も続けて聞くことなど経験は
皆無だったんです。彼らにとって全ては見るもので、聞くものではないのです。

 ところで「落語」という言い方ですが、実は明治時代になってからのことで、江戸
時代は「はなし」と言いました。要するに会話です。会話だから「聞く」ものなので
す。漢字でも「話」「噺」「咄」等がありますが、昔の人はこれらを上手く使い分けて
いました。
 話のついでに、先程、皆様とロータリーの歌をうたせて頂きましたが、その歌の文
句の中に「創ろう」というのがありました。この「創」という字には思ってもみない
意味があります。「キズ」です。「絆創膏」「満身創痍」という言葉に使われてます。
 私の考えですが、何か新しいことをやる、創造しようとするときには、必ずキズが
付くんだということなんでしょう。日本の上司たちは「前例がない」「失敗したらどう
なる」と言います。創ろうとする時、気づかないうちに「傷がつくからやめておけ」
という意識がでるのではないでしょうか。
 これを逆に、「創るにはキズが付いて当然なんだ」と、向かって行く了見を持つこ
とで、プラス志向になるはずです。
 家を新築するには材木を使いますが、この材木は山の木を伐って切り刻みます。樹
木を傷つけねば家は建たないのです。木に感謝とお詫びの心を持つようになれば、素
晴らしいですね。
 もう一度、「見る」と「聞く」の話に戻りますが、みんなが人の話をキチンと聞かな
くなったのは、1つにはTVの影響があるように思います。
 TVはただぼんやり眺めているだけでも何となく分かります。もう、画面に描かれ
ているからです。この時の脳細胞は刺激がなく、「オレはもう要らないのか」と自問自
答するそうです。「もうこの人の頭の中にオレは要らない」と判断した脳細胞は消えて
しまいます。
 ある研究ではこういう人の脳細胞は1日に1,000万個もなくなるそうです。こん
なことを毎日続けていたら間違いなくボケます。
 しかし、人の話を聞く時は、ぼんやりできない筈です。脳細胞は活発に働き、話の
中味をよく理解できるよう努めます。TVを見て「分かった」と言う人より、人の話
を聞いて「分かった」と言う人の方が数倍レベルは高いと思います。
 只今、こうして私の話を聞いている皆様の脳細胞は大喜びです。「久しぶりの刺激
だ」って。
「見る」は、自分で思い描かなくてもいいのですが、「聞く」作業は自分で思い描く
必要があります。この違いは大変に大きく、私は子供のうちから「聞く」ことをさせ
ねばと思い、「落語を聞く教育を小学校の教室でやるようにしなければ」と寄席の高
座から落語のマクラで絶叫していました。10年前からやっていましたが、誰も真面
目に取り上げてくれません。それでも、私はめげずに訴え続けました。
 ところが、今年の小学校4年の教科書。「下」ですから2学期からでしょう、落語
を採り上げてくれたのです。教育出版というところの教科書ですが、まだ、全国で2
0%位の採用率でしょうか。愛知県でも使って頂いている筈で、いかに愛知県の教育
レベルが高いか、わかりますね。(笑)
 実は今までに中学校・高等学校の教科書に落語が載ったことはありましたが、小学
校はなかったのです。
 それで教科書に載ったはいいが、先生たちが落語をよく知らない。どうやって落語
を小学生に教えたらよいのか、困ってます。
 そこで、私が先生方に落語についていろいろ話をしたり、PTAの中に入って行っ
て、相談相手になっております。
 7,8年前、新潟の方の某高校の創立記念日に講演を頼まれました。講演時間は1
時間あるので、担当の先生に「落語の実演もしましょうか」と言ったら、「1人で大
丈夫ですか?」って言うんです。
 よく訊いてみたらTVの『笑点』の『大喜利』、あれを落語だと思っていたらしい
のです(笑)。どうなりますかね、教室では。
 教科書に載ったのは私の『ぞろぞろ』です。活字の他、ビデオやカセットも作って
います。子供のうちから教室で落語を聞く機会をもち、誰かが興味を抱いて自分でや
ってみたりすれば、他の子供も人の話を聞く習慣をつけることができます。
 よく「落語もいいが、昔話も」と言う人がいますが、考えてみると昔話には残酷な
ものが多いのです。
 その点、落語には恐ろしい話はありません。ひどい芸はありますが(笑)、ひどい
話もありません。落語は誠に健全な内容です。昔話より落語の方が相応しいと思いま
す。是非、皆様、もう一度落語を再認識して頂きたいものです。



『聴かせていただきました』
聴講者 深田正雄
 目の動きの大切さを、改めて、感じました。
 高座によって、視線を効果づける要素もあるのですね。
 これから、人に語りかけるとき、もっと、目を意識していきたいと思います。



『要約を褒められて、恐縮です』
講演の要約者 小島幸子
 先日、師匠からEメールでお褒め頂き、大変恐縮です。
 その言葉と言葉の端々から、相手に伝えようとするのが、”喋り”ならば、言葉そ
のもので、相手に伝えようとするのが”文章”。
 お陰で”喋った”段階でのニュアンスを写し損ねてしまったり、はたまた全く別の
ニュアンスに変わってしまったりと、色々と難しい面もありますので、そう仰っ
て頂けたことが、非常に嬉しいです。
2006・5・2 UP







平成12年 日本大学歯科部同窓会 埼玉支部新年会

『 三 遊 亭 圓 窓 記念講演 』

平成12年2月6日(日)
所沢市の「晨麓苑」
聴講・書き手 黒川 誠一(学24)

 立春も過ぎたということですか、暖かい晴天の当日でした。

 所沢市は埼玉県西部に位置し人口は328、576人(H12年1月31日現在)
で、西武ライオンズの本拠地として知られており、西武鉄道本社があります。
 また日本の飛行場発祥の地としても有名で、米軍基地の跡地に「航空公園」が建設
され、そこに日本初の国産商業飛行機「YS111」も展示されています。
 その隣には、日本全国の空の飛行機をコントロールしている「航空交通管制センタ
ー」があり、前もって予約をすれば見学も出来ますし、中に入れば各種航空機との交
信も傍受でき緊迫感を味わうことが出来ます。

 当日の出席者は御来賓を含めて約140名。
 例年のごとく講演会と新年祝賀会でした。
 講演の講師には中島拓治副支部長(学13)の中学時代の同級生ということで、「
三遊亭圓窓師匠」をお招きして「落語は子供の必須科目」ということで、1時間30
分の笑いの混じった講演でした。
 最近、学級崩壊という言葉がニュース等でよく取り上げられますが、やはり子供た
ちに笑いのある、又、自分で考えるコミュニケイションが必要であるということがこ
の講演会の要旨でした。
 最近、東京都の区立小学校ではこの圓窓師匠を講師に招いて子供たちに落語「ぞろ
ぞろ」を例にとって教育をしている学校もあるということです。
 この世に生まれて物心がついたときにはTVを見ているという現代の子供たちには、
家庭でも家族の笑いのある言葉のやり取りがあまりないといいます。
 この子供たちに耳から聞き、自分で物事を想像することの大切さを教えているとの
師匠のお話でした。
 講演会に出席していた会員の先生も、自分の家庭にこのことを当てはめていたよう
な気がしました。
 
 講演会終了後、場所を移し新年祝賀会が始まりました。森健支部長(学5)の挨拶
が終わったところで、今回は臼田会長が日本歯科医師会会長選挙に立候補したという
ことで、急遽「臼田 貞夫日本歯科医師会会長候補を励ます会」に切り替えての進行
となりました。

 まず、森健支部長の激励の言葉に続き、岩田正(学3)日本歯科医師会代議員の温
和な、しかも「出たからには勝たねばならぬ」という力強い励ましの言葉がありまし
た。
 最後に、森支部長より我々会員の臼田会長への激励の意志である金一封が花束とと
もに贈呈されました。
 その後挨拶を戴いた学部長代理の森谷良彦教授、松戸歯学部同窓会の岩永克美会長
共々、臼田会長への激励の言葉に多くの時間を割き、まるで会場は臼田会長激励会に
乗っ取られたようでした。
 しかも、会場は水を打ったように様に静まり返り、出席者はおなかの空いたのも忘
れ、2時間の祝賀会が大幅な延長になりました。

 懇親会に参加してくださった圓窓師匠にも、会食はお預けにしてしまいまして、さ
ぞや、空腹感を多分に味わったことであろうと、密かに推察した次第です。

      圓窓の独り言
 二十代、「産婦人科と歯医者へは絶対に行かない!」と豪語してい
た時期があったが、なぁに、35歳を過ぎた頃から歯医者には通い出
した。
 横浜の変人の先生のところには、長年に渡って通院した。なにしろ、
「俺は患者に堂々と名医を紹介できるから、その上の名医なんだ」と、
盛んに冗談を振り撒いた先生で、落語大好き人間だったが、落語以上
に酒が好きだったため、友人の通夜に行って飲み過ぎて、その晩に一
緒にあの世へ逝ったというつわもの。
 今は、この講演会にあたしを紹介してくれた中学同窓の拓さんの許
へ通っている。新座市あるので、自宅から車を転がして行くのだが、
ゴルフをやめたあたしにとっては、唯一のハンドルとの触れ合いにな
っている。

 懇親会にも出て、歯科医師会の会長選挙云々に接するという、貴重
な体験をさせてもらった。
 あたしの所属する落語協会も社団法人として、会長、副会長の椅子
はあるのだが、そのための選挙制度はとっていない。「そんなことを
すると、揉め事が絶えなくなるから」という理由らしいが、最近では
「選挙制にすればいいじゃねぇか」という声も聞こえるが、それも楽
屋でボソボソッと言う程度のもの。訴える声で発言する者はいない。
      
2006・5・1 UP