幼稚園|小学校中学校|高等学校|大学進学塾教師・PTA企業・一般トップページ

官庁・自治体

口上 官庁・自治体の「落語の授業・講演」
2006年11月17日 東京都世田谷区老人大学の卒業生講座
2006年09月11日 平成18年度「富山県きらめき未来塾・お笑い道場(落語を学ぶ)」を終えて
2004年10月16日 富山県きらめき未来塾・お笑い道場「大喜利」
2004年08月29日 富山県きらめき未来塾・お笑い道場「感想文」
2001年07月25日 千葉県成田市教育委員会
2001年03月04日 釧路市教育研究センター・釧路国語教育研究会

口上 官庁・自治体の「落語の授業・講演」

 平成12年度の小学校国語教科書・下(教育出版)にあたし(圓窓)の口演する古
典落語[ぞろぞろ]が載ってから、あたしの学校へ出向いての「落語の授業」もスタ
ートした。
 以来、他の教科書出版社の教科書も落語を載せる傾向になったことは、「落語の中に
教育論」を主張するあたしにとってはありがたいことである。
 しかし、あたしの自論・活動はまだまだ微々たるもので、知る人ぞ知るという範疇
を出ていない。
 それでも、学校以外の「官庁・自治体」から「落語の授業・講演」を依頼されるこ
ともあり、喜んで飛んで行くことにしている。
 富山県が小中学生を対象に毎年の夏休みに「きらめき未来塾・お笑い道場」を開講
して、もう4年目になる。
 さすが、ノーベル賞街道を抱える富山県だな、と一人密かに満足をしている。
 いつか、「落語街道」という固有名詞が案内図に載るように頑張りを続けるつもり
です。
 こんなことが全国の官庁・自治体に広がってくれれば、落語家冥利に尽きるという
もの。
 よろしく、お願いいたします。
三遊亭 圓窓、
 2006・4・30 UP







世田谷区老人大学 卒業生講座

" 講師 落語家 三 遊 亭 圓 窓 "

テーマ「 落語の中の教育論 」
2006年11月17日(金)
14時〜16時分
世田谷老人会館



圓窓師匠の講話を拝聴して

「保護者ではなく、責任者とすべきだ、に同感」 田中信康
「話す」「聞く」「思い描く」能力をつけさせること、今一番にやらねばならないこ
とと思います。
 テレビ・ケイタイ・ゲーム機等、人より機械に接する機会の多い子供達、将来が心
配です。
 親は保護者でなく責任者だとすべき全く同感です。
 2時間 私たちをひきつけてはなさない話術 感服いたしました。

「まさか師匠が来るとは」 園田雅敏
 一年前に井田さんから、落語「寿限無」の紙芝居を作ったと伺った時、まさか師匠
に来て頂けるとは夢にも思いませんでした。
 ご講義を通じて師匠が子供の教育に情熱をもって取り組んでおられること、幼少期
において他人への思いやり、思い描く力、忍耐力、それに善悪の判断力の養成が大切
であることを落語を通じて子供に教えていることに、深い感銘を受けました。
子供達の目がさぞ輝いていることでしょう。
 昭和一桁生まれの私も力がわいてきました。深く感謝しています。

「もっと広めて」 講武
 「母親は育児の責任者」は正に至言。もっと広めて下さい。

「あっという間の二時間」 千葉
 アッという間の2時間でした。
「話に引き込まれるということはこういう事だ」ということを実感した講座でした。

「是非、もう一度」 坂井ゲンチャン
 今国会で教育基本法とか何とかで騒いでいる様だが、圓窓師匠の思い付きと直ちに
実行されている略々小学四年生位を中心に児童の教養を身に付けるお話をして居られ
るとの事、子供達にとって何物にも代えがたいものでしょう。
 私にも今、小学二年の孫がいるが、塾通いなどで心にゆとりが無くなるのではと心
配です。こうした子供達に是非、圓窓師匠のお話を聞かせてあげたいものです。
 子供達だけでなく私達老人がお話を聞いて居ても自然になじめて同感の処が多く、
さすが話術に優れて居られるので、ユーモアたっぷりで溶け込んでゆける良い講座で
した。
 是非もう一度私達の為にも有意義な講義をお願いしたいものです。
 圓窓師匠が大好きです。

「CDをいただきました」 28期社会ヤッシー
 小話集のCDを戴きました。此の小話集を家内と楽しんで笑いの大切さを感じてお
ります。
 此れからも頑張って下さい。

「勉強になりました」 荻島
 お話を大変楽しく聞かせていただきました。特に子供達に対する想いを心から感じ
ました。
 師匠の言葉に迫力があり、大きな声を出す事と仰有った事、勉強になり肝に銘じま
した。

「遅まきながら気が付いた」 後藤勝忠
 堅い話になりそうな内容を笑いの中へ引き込まれる様に聞かせて頂きました。
 本当に「親は保護者でなく責任者だ」との意識を事情を超えて持つべきですね。
 それから「聞く」・「大きな声で話す」、特に「思い描く」事が明るい生活を送る
ために不可欠であると痛感しました。此の中で「聞く」・「大きな声で話す」のは抑
揚での差はあるでしょうが、誰にもホボ同じ情報です。
 しかし「思い描く」は受け取り方を含めて人それぞれの人生経験・素養・環境によ
り様々の様な気がします。
 相手の痛みを共有し思いやる心、より共に発展して行くためにはの発想……等で、
自分の周囲の仲間や集団が明るい展開につながる「思い描く」事の出来る豊な心を育
てねば、と遅まきながら気づいた次第です。

「真の教育者とは」 石井ヤス子
 圓窓師匠のお話を聞かせていただく機会が持て、また本を読ませていただき、「落
語」を通して現代の教育のあり方を熱心に追求していらっしゃる姿勢に感動しました。
 今頃になって教育が悪かったからと、教育基本法を考え直そうなどと即席的な政策
をうちだしても、今のさまざまな問題が短期間に変化するとわ思えません。
 こんな問題が起こるずっと以前から日本の教育を憂い真剣に子どもたちと取り組み、
やさしく護りながら温かみのある人間性を育ててゆこうとなさる師匠のような方を真
の教育者と言えると思います。
 落語に出てくる人物のようなユーモアと人情味あふれた社会になれば「いじめ問題」
も減ることでしょう。
 師匠の話で家庭、社会、学校が一体となって子どもを育ててゆくことが一番大切な
ことと理解することが出来ました。
 圓窓師匠、教育論をお仕事としてあらゆる場面で続けていらして下さい。
 私も社会の一員として幼い子どもを育てる役を果たすことが出来ればと思っていま
す。
2007.1.8 UP








            

2006年度 富山県・きらめき未来塾

お笑い道場(落語を学ぶ)を終えて
主催 財団法人 富山県ひとづくり財団
会場 富山県教育記念館の研修室 / 高志会館
文責 お笑い道場担当 上野恵理子(06・9・11)

 お笑い大会が終わり、子どもたちが家族とともに帰っていくのを見送るのは、ほっ
とする反面、寂しさも感じる時です。毎週のように顔を合わせていた子どもたちと、
もう会えなくなるわけですから。師匠もおっしゃっておられましたが、私にとっても、
「お笑い道場の終了=夏の終わり」なのです。
 富山県ひとづくり財団では、子どもたちが古典落語を学ぶことによって、話術やユ
ーモアのセンスを磨き「ウィットに富む自己表現力」を育成することをねらいとし、
平成15年度から毎年夏休み期間中に「お笑い道場(今年は全4回)」を開催してい
ます。
 講師は、初年度からずっと三遊亭圓窓師匠にお願いしており、「大きな声を出すこ
と」から始まって、「小道具の使い方や仕草」「台詞の言い方」「江戸時代の生活」
etc.について子どもたちに指導していただいています。冒頭のお笑い大会は、毎年、
道場最終日に開催しているものです。大会では、子どもたちが道場で学んだこと、練
習したことを家族の前で発表します。
 今年は、「出演者(子どもたち)」と「観客(家族)」のやりとりを楽しみ、会場
全体で盛り上がった大会でした。始めは照れくささがあって、小さな声しか出せなか
った子どもたちが、手を挙げて発表したり、高座に上がって小咄をしたりするのを見
ていると、何ともうれしく思い、子どもたちの素直さと一生懸命さに、いつも感動し
ます。お笑い道場の担当で良かったなと思う瞬間です。
 ところで、毎回道場の終わりに、師匠は必ず落語を一席やってくださいましたが、
子どもたちは師匠の落語を楽しみにしていたようです。集中力がきれてくる後半、私
語をしたり話を聞けなくなったりする子どもも出てきますが、師匠の落語が始まると、
知らず知らずのうちに噺に惹きこまれ、耳を傾け楽しんでいるのです。子どもたちの
表情の変化に、驚くと同時に、本物の、生の落語の力はすごい!と改めて思いました。
 道場を担当して3年。兄弟姉妹での受講や、2年、3年連続受講の生徒が多いのも、
圓窓師匠が毎年道場の内容を工夫し、子どもたちが楽しみながら落語を学べるように
指導してくださるお陰と感謝しております。そして何より、担当者の私が一番勉強さ
せていただいたのではないかと思っています。本当にありがとうございました。
 
財団のHPでは、道場の詳しい内容を掲載しています。ぜひ、ご覧下さい。
 富山県ひとづくり財団/きらめき未来塾/お笑い道場
 http://www.t-hito.or.jp
2006・10・9 UP









2004年度 富山県・きらめき未来塾


お笑い道場(落語を学ぶ)富山県教育記念館 研修室

三遊亭 圓窓

初日 7月23日(水)

「着物は一人で着られるようにしよう」
「大きな声を出そう」

 落語の授業はいつも着物を着て受けるようにしました。着物に触れることの頻度を
高めることによって、いつしか一人で着られるように努力もするし、実現もするので
す。
 17年度から小四年の国語教科書(教育出版)に[ぞろぞろ]の他に[寿限無]が
載るので、それをテキストとして、まずは読むことから始めました。
 ところが、総体的に発する声が小さかった。
「この部屋にいるすべての人に聞いてもらおう、という気持をもって声を出すんだよ」
と、繰り返しくりかえし言って励ました。

二日目 7月28日(水)

「自分の名前の由来を教えて」
「背筋を伸ばして座ろう」

[寿限無]を勉強するにあたって、子たちは自分の名前の由来をみんなに披露したの
だが、「知らない」という子たちもいて、その子には次の授業日までの宿題とした。
 子たちが着物を着たついでに座り方を指導したのだが、ほとんどがグニャッとした
感じに見えたのが、あたしにはちょいとしたショックだった。

三日目 8月5日(水)

「落語ライブ 四席」
「[権兵衛狸][垂乳根][松竹梅][寿限無]」

 今日まで[転失気][饅頭怖い]を複数でそれぞれの役を読み分けて勉強してきた
が、「一人でちゃんとした落語をやりたい」という希望者も出きた。実は、そういう
子たちの出てくることを待っていたのだ。
 子たち用にアレンジに気を遣って、四席は少し疲れたが、張り合いもあっていい気
分でもある。
 宿題として、「次は、怖い話・面白い話をやってもらうから、自宅で練習してきて。
から聞かされたり、自分で作ったものでもいい。体験談でもいいんだよ」と伝える。

四日目 8月18日(水)

「子たちの話ライブ」
「面白ォ〜い話」「怖ァ〜い話」

 宿題の「怖い話・面白い話」を子たちは生き生きとしてやった。怖い話をするとき
は窓の暗幕カーテンを活用して雰囲気を出したのも、効果があった。
 子たちは怖い話が好きらしい。

五日目 8月25日(水)

「発表会に向けて特訓」
「落語は聞くのは楽。でも、やるのはつらいぞ」

 今日の稽古の段階で「この子は無理かな」と思わせるような子もいた。
 でも、「発表会でやる」という。
 頑張れ!!!!

六日目 8月29日(水)高志会館

「いよいよ 発表会!」
「今日は お客さまがいる」

 子たちは見事にやり終えた。
 誰もが心配していたが、誰もが感動した。
 笑った。泣いた。
 やれば出来るさ出来ないわけは やろうとしないだけなのさ




「お笑い道場(落語を学ぶ)」に参加して

思ったよりやさしい師匠
柳町小学校  R.M
 ぼくはお笑い道場に初めて入る時、心配でした。「上手くできるかな〜」「落語の
勉強はどういう事をするのか」などいろいろ悩んでいました。
 でも、初めての道場が始まりました。
 思ったよりやさしい師匠で、分かりやすくやさしく教えて下さいました。
 一回目は、着物の着方を練習しました。
 二回目、三回目になると難しくなってきました。
 四回目は、こわい話かおもしろい話をする授業でした。ぼくは学校の先生から聞い
たこわい話をしました。
 最初は、なかなか覚えられなかったけど、家で何回も何回もくり返し練習したら本
を見なくてもできるようになりました。その時はすごくうれしくて家族のみんなにも
話を聞かせてやりました。でも、やる自信は、ありませんでした。
 四回目の当日きん張してたけど、上手くいって良かったです。
 来年も挑戦してみたいです。

みんなと仲良くなれた
神保小学校  S.T
 ぼくはこの道場で、きものの着かたや、せんすの使い方や、手ぬぐいの使い方や、
すわり方、手のおき方などを学んで、ほんとうにたのしかったし,三遊亭圓窓師匠が
授業の中によくおもしろい事を言って、その言った事がおもしろくておもしろくてた
まらなかったです。
 それと、いっしょに学んだ人たちと仲良くなれたし、みんななんかお笑い系の人た
ちでとってもおもしろかったです。
 それと、最後の発表会では、[転失気]できん張してちょっとまちがえたりしたけ
ど、うまくできてよかったです。

ありがとう 落語
舟橋小学校  S.T
 お笑い大会が終わった時、私は「これで終わったんだな」と少しさびしくなりまし
た。お笑い道場に参加して今年で2回目。その間に、私には友達も師しょうも仲間も
できました。
 お笑い道場では、落語を通して笑いの大切さや、聞くこと見ることの楽しさや大切
さを知りました。[転失気][垂乳根][松竹梅]のような、楽しい元気な落語にも
出会えて、私も元気になれたような気がします。落語とは、元気になれる力を秘めた
笑える話なのです。でも、その落語を教えてもらえるお笑い道場も、私は今年で卒業
です。
 今の人には、笑いが足りません。私は、落語から元気と笑いをもらいました。この
後、どんな苦しい事があってもお笑い道場の事を思いだして、笑いとばしてがんばっ
ていきたいです。

おもしろかったこと
奥田小学校  Y.I
 参加したきっかけは、ぼくはお笑いがすきだから参加しました。
 道じょうではいろいろな落語やおもしろい話、こわい話などをやってすごくおもし
ろかったです。
 思い出に残ったことは、29日のときにうまく言えなかったことがあったけど、最
後までできてよかったです。
 三遊亭 圓窓師匠、ありがとうございました。

うまくできた松竹梅
山室小学校  M.H
 ぼくは、一人で[松竹梅]をやることにしました。[松竹梅]とは、松さん、竹さ
ん、梅さんの三人が、いせ屋の若だんなのおよばれにあずかった話です。
 最初はおもしろそうな話だと思って[松竹梅]を選びましたが、練習すると難しく
て、最後の練習日には何も言えませんでした。
 29日まで一生けん命練習をして、おわらい大会の日はいつもより早く行きました。
落語の順番が3番目だったので、ホッとしました。
 初めて高座に上りました。高くてこわかったし、ライトがまぶしかったです。本番
の[松竹梅]は、きん張したけれどうまくやれました。
 最後に、修了笑書と「冷静に熱動す」と書いた色紙をもらって終わりました。
 次の日の新聞に顔写真入りでのっていて、うれしかったです。

お笑い道場に出て思った事
北加積小学校  K.Y
 ぼくは今年、初めてお笑い道場に出て、本当に良い体験ができたと心から思ってい
ます。
 ぼくがこのお笑い道場に出ようと思ったのは、ぼくの将来の夢がお笑いタレントだ
からです。
 そして、この道場でお笑いのごくいを教えてもらおうと思ったからです。
 でも、わかりませんでした。だけど、今はわからなくてもいつかわかる時がくるの
ではないかと思います。
 もし、この道場に出なければこんな事、頭の中になかったと思います。
 そして、この道場に出れてまた一歩夢に近づけたと思います。この道場に出れて本
当に良かったと心から思っています。

お笑い道場に参加して
速星小学校  R.S
 ぼくは最初、落語に対してあまり良い感じではありませんでした。
 師匠に、手ぬぐい、せんすの使い方や、落語での表情の使い分け、体の使い分けを
学びました。
 実際にやってみて、四人一組などは、セリフを言って、終わり〜。みたいな感じで、
大勢の中で、表情や声を変える事が、むずかしいという事がわかりました。
 経験して、落語で、オチをつけて話のが、好きになりました。
 次回する時は、一人で、本当の落語みたいに、やりたいです。

心に残っている場面
倉垣小学校  K.M
 ぼくが参加した理由は、また三遊亭圓窓師匠に会いたかったからでした。最初はぼ
くのこと、覚えてくれているかどうか気になりましたが、道場に参加するうちに気に
ならなくなっていました。
 今年の発表会でぼくは、[転失気]の珍念をすることになりました。セリフがずい
ぶん多くて、とうとう覚えきれず台本を見ながらやりました。でも、最後のせりフは、
本を見ずに言えたのでうれしかったです。
 最後に「終了笑書」をもらった時、ぼくはゆかたが着くずれて、ねむそうな顔をし
ていたのか、師匠に「今、起きてきたばっかりという感じだな」と言われてしまいま
した。前の日、野球部の合宿があって夜おそくまでさわいでねていなかったのです。
 色紙の「やればできるさ」をわすれず、これからもがんばりたいと思います。有り
がとうございました。

心に残った場面
倉垣小学校  Y.M
 わたしがお笑い道場に応ぼしようと思ったのは、去年、兄がお笑道場に参加してい
るのを見て、ずいぶん楽しそうだったからです。
「落語ってなんだろう」これが参加して一番最初に思ったことです。圓窓師しょうは、
たしか「悲しませるのは、落語じゃない」と言ったと思います。わたしは、落語のこ
とがすこし、分かったような気がしました。
 圓窓師しょうはすごく話がうまくて、表し方がとても上手でした。はっきりいって、
わたしに、そんな落語はできませんでした。
 お笑い大会では、[まんじゅうこわい]のト書き、○、×、△の役をしました。出
だしだったので内心ドキドキでした。でも、自分のせりふをしっかりと言えて、よか
ったです。夏休みのいい思い出になりました。ありがとうございました。
 また来年も圓窓師しょうにあいたいです。

お笑い道場で思ったこと
福光中部小学校  S.Y
 最初、私は落語はむずかしいものだと思って、最初の道場のとき、少々不安でした
が、道場はとても楽しくて、毎週道場に行くのが楽しみでした。
 師匠の落語や本にのっていた落語は、私の知っているものもありましたが、やっぱ
り読むより聞く方がおもしろいなあと思いました。
 この前クラスで、
「私、この夏お笑い道場に行ったんだよ。」と言うと、
「え? 落語? 何それ?」
 などという返事しか返ってこなかったので、びっくりしました。
 クラスのみんなにも、もっと落語を知ってもらいたいと思いました。
 今年のお笑い大会は群読[まんじゅうこわい]をして、とてもおもしろかったし、
少し自信もついたので、来年もあったらぜひ一人でやってみたいと思いました。

心に残っている場面
富大附属小学校  R.K
 私はこのお笑い道場でユーモアと上手に話す方法をおぼえました。
 上手に話す方法は、まず、役の性格や、特ちょうを見つけることです。そうすれば
役の性格のようにやさしい人ならやさしく、こわい人ならこわく、大声で、その役が
こわい人であるのなら、こわい人はどんな人だったかな? と思いえがけばいいので
す。
 そしてもう一つは、人の話すお話を聞くことです。お話を聞いていればあんなふう
によむのか、とかあんなよみかたをしたいなとか、目標を作っていくと上手によめま
す。
 こんないろんなことが学べたので、また行きたいなと思いました。

楽しかったお笑い道場
北加積小学校  S.K
 ぼくは、去年もお笑い道場に行って楽しかったので、今年も行くことにしました。
 初めは友達ができるか心配だったけど、友達になれた人がいたのでよかったです。
 今年のお笑い道場は昨年よりもパワーアップしていて、こわい話をするときに部屋
を暗くしてろうそくも実際に立てて不気味な音楽をならしてこわい話をしたので、と
ても迫力があってこわさが倍ぞうしました。
 道場の時間は短かかったけど、ユーモアのセンスがみがけたのでいつか友達を笑わ
せてみたいです。

「落語」との出会い
富山大学教育学部附属小学校  T.I
 ぼくは、去年お笑い道場に参加した時、落語というものがとてもおもしろかったの
で、今年も参加しようということになりました。
 ぼくは、今回の練習の時に、こわい話とおもしろい話の時がとてもおもしろくて、
よく心に残っています。
 例えば、赤い部屋やトイレの話です。その中でも一番おもしろかったのが、吉本君
のこわい話とおもしろい話のごちゃまざったお話です。ぼくは、吉本君のドアが、ギ
ィーてなったり水が赤くなっているといったのが(水とはトイレの水)、本当は、た
だ単に、ドアがさびていただけや、水がくさっていただけだったので、なぁんだそう
なのかと思いました。
 落語は、難しいけど、機転のきいた話や聞きおえた後は、心の中が温かい笑いで、
いっぱいになるので、すごいと思いました。また、素晴らしい日本の文化を体験出来
たことをうれしく思います。

お笑い道場
S.T
 私は、「お面しろい話を考えよう」というところが、一番心に残っています。
 自分で、話を作らなくちゃいけないし、しかも、おもしろい話やこわい話。自分が、
あまりおもしろい話をしないのに、しかも、落語のように落ちをつけるのは、とても、
むずかしかったです。
 道場の発表の日。みんなが、笑ってくれたり、「おもしろい。」を言ってくれたり
して、うれしかったです。
「お笑い大会」では、高座にあがって見ているひとよりも上から言うなんて、顔がま
っ赤になるほどきんちょうしました。けれど、練習どおり上手くいってよかったです。
 他の群読も、一人での落語もおもしろく、私も楽しかったです。
 落語は、みんなに笑いを広げ言ってる人も笑えて、楽しくしてくれるものだと学び
ました。
 これからも”笑い”で楽しくしていきたいです。

お笑い道場に参加して
戸出西部小学校  U.H
 私は、お笑い道場に参加して心に残った事が2つあります。
 1つ目は[寿限無]です。圓窓師匠は、言い方やコツを、分かりやすく教えてくだ
さいました。大きな声をあまり人前で出したことがなかったので、すごく緊張したけ
ど、とてもいい経験が出来ました。
 2つ目は、恐い話しと、楽しい話しをした時です。私は、みんなよりも話し方がど
うやったらうまくいくかを考えながら、話しをしました。
 最後は、みんな笑ってくれて、よかったです。
 お笑い大会も行きたかったです。行けなくてとても残念でした。

楽しかったお笑い道場
戸出西部小学校  T.S
 わたしは、学校で[寿限無]を習ったけど、圓窓師匠の[寿限無]は、わたしが思
っていたよりとてもリアル?でかっこいいなと思いました。
 わたしは、友達がさそってくれて、それがきっかけになりお笑い道場に参加できて
よかったなと思いました。
 本番に出れなかったのは、残念だったけど、練習でがんばれたのでよかったです!









「とやまスマイル2004」

きらめき未来塾・お笑い道場「大喜利」

2005年10月16日(土)
圓窓「会場は解答者のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんなどで満員
  です。
   子供たちは張り切っていきましょう。
   まず、挨拶から。Aチームからいきましょう」
Aチーム・鳥越亭早窓
  「去年も来れば今年もくるくる。鳥越亭早窓、只今、参上!」
圓窓「格好いいねぇ」
Aチーム・能沢家おしんこ
  「名前はおしんこですが、漬物は好きではありません」
圓窓「好き嫌い言ってはいけませんよ」
Aチーム・松田家照坊
  「野球をしている、照坊です」
圓窓「将来は大リーグか、日本のプロ野球か、高校野球か、草野球か、あるいは、そ
  れを道端でぼんやり見ているか。楽しみだ」
Aチーム・松田家ドライブ
  「がんばりたいです。ドライブです」
圓窓「ドライブはがんばるよりも、安全運転でいってくださいよ」
Aチーム・石の上三年
  「トマトが大大だ〜い好きな石の上三年です」
圓窓「力んでいるから、嫌いなのかと思ったよ。トマトが大好きって、いいね」
Aチーム・龍亭酔虎
  「すぐ顔が赤くなる酔虎です」
圓窓「原因はお酒じゃないでしょうね。まだ早いよ。
   では、Bチームの挨拶を」
Bチーム・山田家タンボ
  「山に登ると、『ヤマダ、ヤマダ』とからかわれる、山田家タンボです」
圓窓「海に行くと、誰にもなんにも言われないから淋しいでしょう」
Bチーム・白黒亭苦楽
  「いつも学校で演劇の練習をかかさずしている苦楽です」
圓窓「演劇は苦楽のかたまりだからね。今から味わっていれば、いい大人になれるさ」
Bチーム・竹林亭竹の子
  「圓窓師匠の三番目の弟子、竹の子です」
圓窓「知らないうちに、弟子になったね」
Bチーム・竹林亭竹の子
  「恥ずかしがり屋ではないけど、ちょっと……、涼風です」
圓窓「涼風は台風とちがって、ちょっとだもんね」
Bチーム・山田家かかし
  「山田家カカシという名前なので、ずぅっとタンボを見て立っています」
圓窓「風景が目に浮かぶね。学校で立たされないでね」
Bチーム・二塚亭大学
  「大学です。将来、大学へ行くかもしれませんが、退学にならないようにがんば
  ります」
圓窓「退学してもいいから、世の中のためになる人間になってね。
   挨拶が終わって、さぁ、これからです。

   まず、第一問です。
   五七五の頭に”と” ”や” ”ま”を付けて川柳を作ってください。良い答
  えには、みんなで一本締めをしてあげましょう」
全員「はぁい!!!{一斉に手を上げる}」
圓窓「まず、Aチームから。三年さん」
Aチーム・石の上三年
  「とやまけん やまあり海あり まごころあり」
圓窓「五八六となって次数が多いですね。これを字余りといいます。才能が有り余っ
  ている証拠でしょう。それに、富山県のために宣伝したんだから、一本締め、ヨ
  ーッ シャン。
   では、負けずに、Bチームのかかしさん」
Bチーム・山田家かかし
  「ときどきは やま登ろうよ まっとるちゃ」
圓窓「『待っとるちゃ』って、地元の言葉だね。わかる、わかる。
   じゃぁ、Aチームの早窓さん」
Aチーム・鳥越亭早窓
  「とやまけん やっぱり一番 まいどはや」
圓窓「『まいどはや』? わかんないなぁ。『いつも早いですね』ってぇのかな」
○○「『やぁ、こんにちは』という挨拶です」 圓窓「ああ、そうか。今度、使って
  みよう。
   Bチーム、竹の子さん」
Bチーム・竹林亭竹の子
  「とうあんし やぶってみせたい まるだけを」
圓窓「わかるな、その気持ち。でも、全部、×だと、できないからね、頑張ってよ。
   Aチーム、照坊さん」
Aチーム・松田家照坊
  「とうさんへ やめてよお酒 まず健康」
圓窓「お父さんに小言の川柳だね。どのくらい飲んでるの、おとうさんは?」
照坊「毎晩、コップ一杯くらい」
圓窓「そのくらいいいじゃない?」
照坊「それよりも健康が大事」
圓窓「そうだよね。こういう子の気持ちを理解した上で飲んでもらいましょうね。五
  杯でも六杯でも」
照坊「駄目です、そんなに」
圓窓「怖いね、近頃の子供は。
   会場のみなさんに言いますが、子供大喜利は単なる言葉遊びではありませんか
  らね。家庭の事情が赤裸々に告発される教育的な講座ですから、そのおつもりで
  鑑賞しててください。
   それでは、Bチーム。お父さんに対する川柳はありますか? はい、苦楽さん」
Bチーム・白黒亭苦楽
  「とうさんが やぶれかぶれに まいた種」
圓窓「……? ああ、そうか……。お父さんが畑仕事をしてて、なにかに腹が立って
   やぶれかぶれになって種をまいた、ということかな?」
苦楽「そうではありません。お父さんがお母さんと結婚をしたとき、いろいろあって、
   やぶれかぶれになって種をまいて出来たのが、あたしなんです」
圓窓「なんだって! 大変なことが公表されました。いいの、そんなことを言って」
苦楽「お母さんから聞いたから間違いありません」
圓窓「いくらお母さんから聞いたからって……。
  {会場に向かって}会場にいるはずの苦楽さんのお父さん。これに対して一言い
  いたいこと、ありますか? 言いにくいでしょうね。
  {苦楽へ}苦楽さん。最近、お父さんは種をまいている?」
苦楽「わかりません」
圓窓「そうだよね。わかるように蒔くもんじゃないからね。じゃ、お父さんに声援の
  一本締め、ヨーッ シャン。
   Aチーム・酔虎さん。お父さんから離れよう」
Aチーム・龍亭酔虎
  「とし上は やなことみんな まかされて」
圓窓「巧いッ。本格的な川柳だよ、これは。一本締め、ヨーッ シャン。
   Bチーム・大学さん。負けずに」
Bチーム・二塚亭大学
  「とんかつと やきめし食べて まだいける」
圓窓「本格的に太り出すぞ。そんなことをしていると。
   Aチーム・ドライブさん」
Aチーム・松田家ドライブ
  「とおしてよ やさしいあの子 まっている」
圓窓「一篇の詩みたいだね。あるいは、都々逸かな。妙に色っぽいよ。一本締め、ヨ
  ーッ シャン。
   Bチーム・涼風さん。色っぽいのあるかな?」
Bチーム・さわさわ亭涼風
  「とみくじを やっと買ったが また外れ」
圓窓「色っぽいというより欲だな。色のあとは金だよ。大人の世界になってきたね。
   Aチーム・おしんこさん」
Aチーム・能沢家おしんこ
  「とりかえる やっぱりやめた また今度」
圓窓「なんだい? なにを取り替えるんだい?」
おしんこ「さぁーーー」
圓窓「誰かわかるかい?」
△△「トイレットペーパー」
圓窓「紙質が薄いから取り替えるということかな?」
◎◎「お父さんを取り替える」
圓窓「そんなことをするんじゃないよ。かわいそうだよ、お父さんが。お父さんから
  離れようよ。
   Bチーム・タンボさん。
Bチーム・山田家タンボ
  「とびまくる やぶ蚊に刺され また刺され」
圓窓「ただ刺されたんじゃなくて、また刺されたというところが面白いね。一本締め、
  ヨーッ シャン。

   さて、第二問にいこうか。『なになにみたい』というのをやりましょう。
   解答者は『なになには、なになにみたい』と言ってください。あたしが『どう
  して?』とたずねますから、『だって、なになになんですから』と答えてくださ
  い。わかりますね。
   早速、手が上りましたね。それでは、Aチームの照坊さん」
Aチーム・松田家照坊
  「怒ったお父さんは下手なピッチャーみたい」
圓窓「どうして?」
照坊「人によく当たるから」
圓窓「{会場のみなさんに}さっき言ったばかりでしょう。『答に家庭の事情が現わ
  れる』って。また現われましたよ。
  {照坊さんへ}照坊さんのお父さんは怒りっぽいんだ。
   この際、お父さんをいじめちゃおう。Aチームのドライブさん」
Aチーム・松田家ドライブ
  「出世できないお父さんは紙切れみたい」
圓窓「どうして?」
ドライブ「だってヒラ、ヒラ、ヒラ」
圓窓「そりゃ、いじめすぎだよ、ドライブさん。
  {会場のみなさんへ}でも、これは子供が言っているから笑っていられるんです
  よ。お母さんがお父さんに直接言ったら、大喧嘩になって、いずれ離婚でしょう
  ね。
   お父さんに優しく温かい答をあげましょうよ。はい、Bチームのかかしさん」
Bチーム・山田家かかし(山田賢太郎)
  「お父さんは介護の仕事をしてますが、うどん屋みたいだって」
圓窓「どうして?」
かかし「どちらもコシ(腰)が大事だって」
圓窓「巧いッ。一本締め、ヨーッ シャン。
   お父さんから離れましょう。Bチームの涼風さん」
Bチーム・さわさわ亭涼風
  「先生は蚊みたい」
圓窓「どうして?」
涼風「だって指す(刺す)から」
圓窓「いいね、これは。でも、先生にさされたからって、けして、叩いてつぶさない
  ようにね、かわいそうだから。
   Aチームの酔虎さん」
Aチーム・龍亭酔虎
  「うちのお母さん、雨あがりの晴れ間みたい」
圓窓「どうして?」
酔虎「だって、二児(虹)の母だから」
圓窓「おお、きれいな答だ。ということは、酔虎さんは虹の一児なんだね。酔虎さん
  はなに色かな?」
酔虎「黄色です」
圓窓「お母さんは?」
酔虎「赤」
圓窓「お父さんは?」
酔虎「……、赤」
圓窓「お父さんもお母さんも赤? 子供からみると親は赤の他人なのかな。でも、き
  れいだから、一本締め、ヨーッ シャン。
   お母さんで、できた人は? Bチームの苦楽さん」
Bチーム・白黒亭苦楽
  「お母さんは太鼓みたい」
圓窓「どうして?」
苦楽「だって全体的にドーンとしているから」
圓窓「ドーンとしているのは、体が?」
苦楽「そうではなくて、家の中にいるだけで、ドーンとしている感じが……」
圓窓「存在感、威圧感があるということなのかな」
苦楽「はい」
圓窓「だから、お父さんはやぶれかぶれになって種をまいちゃったんだね、きっと。
  お母さんシリーズでまだあるかな。はい、Aチームの早窓さん」
Aチーム・鳥越亭早窓
  「お母さんが料理するとき、魔女みたいなんです」
圓窓「どうして?」
早窓「指が{枯れ枝のような手付きをして}こんなで……」
圓窓「怖いね、それは。調味料に毒を入れたりしてんの?」
早窓「それはまだ……」
圓窓「いつか、やりそうかな?」
早窓「はい」
圓窓「怖いな。いずれ、お母さんはお掃除をするとき、箒にまたがってどっかへ飛ん
  ちゃうよ、きっと。
   はい、次はBチームの竹の子さん」
Bチーム・竹林亭竹の子
  「新聞紙は逆立ちして読んでもいいみたい」
圓窓「どうして?」
竹の子「だって、上から読んでも『しんぶんし』、下から読んでも『しんぶんし』だ
  もん」
圓窓「なるほど。『竹やぶ焼けた』なんてのがあるね。漢字のは『山本山』『三遊亭
  遊三』というのがあるよ。
   Aチームのおしんこさん」
Aチーム・能沢家おしんこ
  「このテーブルって台風みたいなんですよ」
圓窓「どうして?」
おしんこ「だってよく拭(吹)かれるから」
圓窓「大きい台風と小さなテーブルを並べて、『ふかれる』と結びつけるところは憎
  いね。一本締め、ヨーッ シャン。
   Bチームのタンボさん」
Bチーム・山田家タンボ
  「国会議員の答弁って鰻みたい」
圓窓「どうして?」
タンボ「だって、つかみどころがない」
圓窓「巧い! 子供だってちゃんと政治を見つめているんだ。しっかりしてよ、政治
  家さんたち。このメンバーの中から将来の政治家がでるかもしれない。今の重要
  な答を忘れないでよ。一本締め、ヨーッ シャン。
   続いて重要な答え、出るかな。Aチームの三年さん」
Aチーム・石の上三年
  「圓窓師匠はまるで小学生の算数の足し算みたい」
圓窓「どうして?」
三年「だって、とってもやさしいから」
圓窓「超巧い! 今日一番のでき! 一本締めを二回やろう。ヨーッ シャン。ヨー
  ッ シャン。
  {一人の手があがっている}大喜利は最高の答が出たところでやめるのが一番い
  いんだが、一人残ってましたね。大学さんだ。どうしよう……。どうしてもやり
  たい?」
大学「はい」
圓窓「答を言わせないというのはかわいそうだから、やってもらおう。そのかわり、
  今の答より素晴らしいのを頼むよ。一番最後なんだから。はい、Bチームの大学
  さん」
Bチーム・二塚亭大学
  「ハゲ頭の人ってトイレットペーパーの芯だけみたい」
圓窓「どうして?」
大学「髪(紙)がないから」
圓窓「よせばよかったよ。なんだい、大学さん。『一番いいのを頼むよ』とあれほど
  いったのに。さっきの三年さんは『圓窓師匠は優しい』ってあんなに褒めてくれ
  たんだよ。それを、なんだい、大学さんはッ。あたしの頭を見て、『髪がないか
  らトイレットペーパーの芯みたい』だって。
大学「だって、本当なんだもん」
圓窓「言われなくてもわかっているよッ。でも、ここで大学さんと喧嘩したら、大喜
  利じゃなくて、プロレスになってしまうよ。
   まぁいいや。トイレットペーパーのことだから、水に流して、終わりにいたし
  ましょう。
   さて、AチームとBチーム、どちらが巧かったか。会場のみなさんの拍手を参
  にしましょう。
   Aチームの勝ちと思う人は拍手を」
会場「ダーーーーーーッ!!!」
圓窓「Bチームの勝ちと思う人は?」
会場「ダーーーーーーーッ!!!」
圓窓「Bチームのほうが二、三人拍手が多かったかな……? そこで、あたしの判定
  としては、Aチームに文学的、詩情的な答がいくつかあったのが、とっても嬉し
  かった。そこで、この勝負は引き分け!!!
   これで、大喜利はお開き。
   最後は三本締め、ヨーッ シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン
  シャンシャン シ  ャン」
2006・11・6 UP









成田市教育講演会
”圓窓の教育講演”「豊かな心を落語から」
聴 講 体 験 レ ポ ー ト

主催:成田市教育委員会
日時:2001・7・25(水)
   午後10:15〜11:45
会場:成田国際研修センター
講師:落語家 三遊亭 圓窓
参加:教師、教育関係者(約400名)


「活力ある学校を創造したい」

 文責  成田市教育委員会 教育長 藤野 公之

 謹啓
 酷暑の候、師匠におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、先日はご多忙の中、当市教育講演会においてお話しいただき、ありがとうご
ざいました。
 今回のご講演では、自分の頭・心で様々な場面や状況を描き、対応できる子ども、
「反省心」を持つ子どもを育てるために、「話す・聞く・描く」ことの大切さを師匠
の巧みな「語り・噺・笑い」から我々一人一人が日々の「心がけ」としてしっかり描
くことができました。
 また、「話し手は、楽しい話をして聴衆を惹き付けるべきである。話に魅力があれ
ば聞く力は育つ」ということは、言い換えれば「授業も魅力ある話をすれば聞く力が
育つ」ということになります。教師も魅力ある授業作りが原点であることを再認識し
た次第です。
 ご講演後、市内の教職員の声を聞きましても「聴きごたえのある講演に巡り合えた
ことに感謝し、教師としての魅力を少しでも高めたい」との感想が数多く寄せられま
した。心より御礼申し上げます。
 師匠からご指導いただきましたご教示を学校現場、市の教育行政に反映させ、活力
ある学校を創造して参りたいと存じますので、今後ともご指導のほど切にお祈り申し
上げます。



「魅力ある話で授業をする」

文責 成田市教育委員会教育指導課 江村 司

 晩夏の候、師匠におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
 先日は、ご多忙の中、成田市教育講演会においでいただきまして、ありがとうござ
いました。
 ご講演後の教職員の声を聞きましても、
・「聞きごたえのある講演に巡り合えたことに感謝したい」
・「聞く・話す活動を重視し、描くことのできる子どもを育てたい」
・「魅力ある話をすることで子どもたちに聞く力を育てたい」
などの感想が数多く寄せられました。
 師匠の聞き手を引きつける巧みな語りは、教師にとっても魅力ある話で授業を創造
することが原点であることを再認識した次第です。
 講演会を企画しました当市教育委員会といたしましても、教職員の反響の大きさを
耳にしますと、あらためて師匠への感謝の気持ちでいっぱいとなります。
 末筆ながら今後の師匠の益々のご活躍とご自愛を切にお祈り申し上げます。



「活力ある学校を創造したい」

文責  成田市中台中学校の教師連

 聞いて理解するということは、我慢、忍耐力が必要であると思います。
 そのために、そのためにわかりやすく、聞きやすい語り口の落語から子ども達に聞
く訓練をすることは意義が大きいと思います。
 
 大きな声で、はっきりとした話し方がとても聴き取りやすいです。
 我々に対して、変に気を遣ったり、遠慮がちに話さないところが非常に素晴らしか
ったです。

 自信を持ってお話しなさる姿が素晴らしいと思いました。
 生まれた時からテレビと共に育った今の子どもたちは、人の話しを落ち着いて聞く
ことができない。
 それから、歩けるようになるために何度も転ぶ赤ちゃんが、一番よく反省をしてい
る。
 この二つの話しが印象に残りました。

 講演内容もさることながら、話し方に聞き入ってしまいました。
 聞く人をひきつける話し方だったと思います。
 私も人前で話しをする仕事をする者。間の取り方、緩急のある話し方等々、勉強に
なりました。

 師匠の語りかけ、話し方、聞いている人をひきつける話術は、教師として見習うべ
きものがありました。
 大切な事柄は落とさず、ユーモアをまじえての口調。人生経験豊富な師匠の偉大さ
が感じられました。
 次回も、またご講演を聞く機会があるといいです。楽しみにしています。
 ありがとうございました。

 今の世の中、本当にあまり良い話が聞けず、信じられない事件なども多く、21世
紀は暗いなと思っている毎日で…、老後が辛い。
 人間とはもともと考える葦であるはずが、考えることもせずに生活できることが増
えた?
 隣近所との付き合いも言葉もかわすこともなく…。
 やはり、人間が人間らしく生きられなくなったから、様々な訳のわからない世の中
になってきたのだと思います。
 ”考えさせる”ことをどんどんしていかないといけないと痛感です。
 喜怒哀楽、あいさつなどもできない大人も多くなったな、とも感じます。
 落語をみんなで聴き、みんなで腹から笑える世の中にしたいですよね。
 私は、ちなみによく聞いているんですよ。落語のテープも何本か持っています。
 ありがとうございました。

 現代の子どもたちは幼い頃から視覚に訴えるもの中心に生きています。
 耳から聴くだけの情報では彼らにとって刺激が薄いものとなっているのでしょう。
 授業で人の話しを集中して聞くということができないという状態は、まさしく現代
っ子の成長の裏返しに起きていることなのかもしれません。
 話しを聞く、あるいは自分の意見を話すということは、人の心を育てる基本作業で
あるということは、人の心を育てる基本作業であるということを再認識させられる講
演でした。
「話学は和学」だと思います。
 人と人との間の言葉一つで、もっと良い社会が生まれてくると思います。

 円窓師匠の言われるように、テレビ、ゲーム等、視覚からの刺激は直接的で、考え
ることもなく、想像力を働かせることをしなくても楽しむことができる便利さはある
が、思考力、想像力は育たない。
 その点、落語は話を聞いて思考力を働かせ、創造しなければ面白さがわからないで
能の発達を促すとの話し、私もまったくその通りであると思います。
 脳は思考し、想像力を働かせることにより発達していく仕組みを持っています。確
かにテレビやゲームは楽しく便利であるが、そればかりに頼るようになると脳の発達
に悪い影響を与えることはあきらかです。
 今の子どもは自分の部屋を持ち、そこには子ども用のテレビ、ゲームが置いてあり、
 映像機器に埋もれながらの生活の中で、その影響をまともに受けて育っています。
 そのことは、心の中に短絡的、刹那的、情緒不安定などの問題を作り出しています。
 社会の中では、少年犯罪の多発、援助交際、家出、不登校、引きこもり等の現象と
して多くの青少年に現れており、社会問題にもなっています。
 師匠の言われるように、映像中心の文化から、落語のように話しを聞き、想像力を
働かせながら楽しむ文化が、私も必要であると感じています。
 また、教師は話すことが仕事の一部であり、資質として重要な要素でありながら、
あまり話し方についての研究、研修を行っていません。授業を楽しくするのも話術に
よるところが大きく、魅力ある授業は話術の巧みな教師であることに教師自身気づい
ていないところがあります。
 教育委員会の研修会でも、授業のねらい、組み立て等、授業の中身そのものの研修
は良く行っているが、話術の研修会は一度も実施した記憶がありません。
 師匠の話を聞いていると、自然と話にひきつけられ、師匠の話には人の耳目をひき
つける魅力があります。
 桂三枝師匠がNHKの「課外授業」で母校の小学校で授業を行いました。
 三枝師匠が授業を始めると一言一言に子どもが聞き入っていました。その時、教師
にとって話術の大切さをつくづく感じた次第です。
 ぜひ、今度、縁がありましたら、円窓師匠には、教師向けに「話術」という演題で
講演をしていただきたいと願っております。多くの教師は、目から鱗が落ちる思いを
感ずると思います。
 すばらしい講演ありがとうございました。
 これからのますますのご発展と、ご健勝を心からお祈り申し上げます。



「教職員に対する要求と示唆」

文責  成田市玉造中学校

 先日のご講演、どうもありがとうございました。
 落語家というより、人生の達人としての目で教育現場を見ての講演でした。
 ユーモアたっぷりの語り口の中に現場の教職員に対する要求、示唆に富んだ話が多
く含まれていました。
 子ども達も知っている落語[ぞろぞろ]も、名人の手にかかると違った味わいにな
るのがよくわかり、さすがに一芸に秀でた人は違うと思いました。
 久々に楽しい講演会でした。



「心に描くことの 大切さ」

文責  成田市立豊住小学校教員 長澤房枝

 初秋の空もさわやかな季節。
 学校にはまた、こどもたちの元気な声が戻ってきました。
 9月は運動会シーズンのため、今、学校はその準備に追われ、慌ただしい毎日を過
ごしております。
 圓窓師匠におかれましては、その後もお元気にご活躍なさっていることと思います。

 夏季休業中に実施されました成田市の教育講演会の折りには、久しぶりにすばらし
いお話を伺うことができ、今も職員室の話題になっているほどです。
 小学校では、楽しい体験の中で言葉を耕していけたらと、さまざまな学習に取り組
んでいますが、師匠のお話を伺って、ますます心に「描く」ことの大切さ、日本語の
すばらしさを再認識させられました。
 これからも、楽習のなかで、心豊かな子どもたちを育てていけたらと思います。

 本物のお話は、そのきっかけを与えてくれました。
 本当にありがとうございました。



「落語の良さを知る 良いきっかけ」

文責  成田市立豊住小学校教員 山本陽子

 落語家の方の話を聞くのは、初めての経験でしたが、その話術に魅了され、時間が
たつのを忘れてしまうほどでした。
 教師も子どもたちの前に立ち、話をするときは、圓窓師匠のようでなければならな
いな、と感じました。
 最後の落語[ぞろぞろ]は、落語の良さを知る大変良いきっかけになりました。



「子どもたちにも 落語の良さを生で」

文責  成田市立豊住小学校教員 池田金光

 すばらしいプロの話術に思わず引き込まれてしまい、楽しく落語まで聞かせていた
だき、有意義なひとときを過ごさせて頂きました。
 こうした機会をまた設けていただき、子どもたちにも落語の良さを生で味わわせて
あげられれば、と思いました。
 これからもご活躍をお祈り申し上げます。



「落語を教育現場に 生かせたい」

文責  成田市立豊住小学校教員 中谷宏幸

 圓窓師匠の落語家としてのその話術に魅了されました。
 人を引きつける話し方は、子どもたちを引きつけることと通じるものがあると思い
ました。
 落語を教育現場に生かせればと思いました。



「心を伝える 声の抑揚や強弱」

文責  成田市立豊住小学校教員 國本與一

心に思うことを伝えるためには、声の抑揚や強弱が大切であることを改めて感じま
した。
落語はそれを巧みに駆使した話芸(芸術)なのだと思いつつ、師匠の落語を堪能さ
せていただきました。



2006・4・20 UP







平成12年度
釧路教育研究センター 教育講演会
"圓窓の教育講演"演題「ゆたかな心・ぞろぞろ」
聴 講 体 験 レ ポ ー ト

主催:釧路教育研究センター(釧路市教育委員会)
   釧路教育研究センター事業推進委員会
共催:釧路国語教育研究会
日時:2001・3・3(土)午後2時
会場:釧路市民文化会館
講師:落語家 三遊亭 圓窓 氏
参加:教師、教育関係者、一般市民・子供
                  
(約300名 参加)


まずは 「お 礼」

釧路教育研究センター
所長 三 上 一 茂

 長い冬のとばりからとかれて、釧路にもようやく春の訪れを告げる花便りが届く頃
となりました。
 円窓師匠におかれましては、「円窓五百噺を聴く会」がゴールを迎え、次の夢に向
かって益々ご壮健にてご活躍のこととお慶び申し上げます。
 さて、この度の教育講演会、私どもの長年の夢を実現させてくださり誠にありがと
うございました。心から厚く感謝とお礼を申し上げます。
 会場の応接室でもお話させていただきましたが、円窓師匠が離釧の後、主催者とし
てのこの私の株がうなぎ登りに上がっており、誇らしい気持ちでいっぱいの日々を過
ごしております。
 現職に就いて、研修講座・教育講演会等の新たな企画・開拓に心がけてきておりま
すが円窓師匠にお会いでき、ご講演を拝聴し、その意を一層強めているところであり
ます。
 日を追うごとに、「現実は夢から始まる」の言葉に勇気づけられております。
 毎日新聞(3月6日付)の「前人未到の500噺を達成する落語家 三遊亭円窓さ
ん」の記事を読みました。
 私も、きっと、「円窓師匠の顔が頭をよぎった、人さまのおかげです」と言わせて
いただける夢のある仕事を追い求め、地道に歩んでまいりますことをお誓い申し上げ
、お礼の言葉とさせていただきます。
         (※ ご来釧の機会がありましたら、是非、お知らせ願います)



教育講演会を終えて「快晴美日」

主催者 釧路教育研究センター所長 三上一茂

 シドニーオリンピックで、日本人選手の金メダル獲得が大きく報道される中、長年
の夢であった、「落語家を講師に迎えての教育講演会」の企画が実現可能となりまし
た。
 しかも、釧路地区で採択されている国語の教科書(小四・教育出版)に掲載されて
いる落語[ぞろぞろ]の三遊亭圓窓師匠ご本人に、講師をご快諾いただいたことは、
私(主催者)にとりまして、正に、今年度の研修事業推進における「金メダル」獲得
といったところでした。
 圓窓師匠の色紙にある『現実は夢から始まる』の言葉通りのことが実現いたしまし
た。

 3月3日(土)開会式に引き続き、14:10に講演開始、聴衆の眼差しは、圓窓
師匠一点に注がれ、会場は期待感に満ちあふれました。「本当に圓窓師匠だ!」「本
物の圓窓師匠の声だ!」子供から教師・親・お年寄りまで、聴衆の心の中が見えるよ
うでした。
「危機的状況にある日本再生には、子供の教育が鍵を握る」を基盤に、「自分の頭・
心で、様々な場面や状況を描き、対応していくことができる子供を育てること」。そ
のために「書く・読む→描く」「話す・聞く→描く」ことの大切さが強調されました。
 親や教師が、どのような生活・生き方をし、子供に、どんなことを・どのように話
して聞かせ、どんなことを・どう描かせるか、その重要性を、圓窓師匠の巧みな語り・
噺・笑いの中から、聴衆一人一人が、日々の「心がけ」としてしっかり描くことがで
きました。
 いじめ・不登校・青少年犯罪・学力低下等の教育の課題について、大人だれもが総
教育評論家の風潮にある今日、自己教育力・生きる力・体験的な学習・総合的な学習・
学社融合・地域の教育力・開かれた学校等々、教育に関する専門用語には消化不良を
起こしています。
 そんな中で、難しい教育用語を一切用いず、教育の最重要課題である「ゆたかな心」
の育成・有り様を説かれた圓窓師匠のご講演は、とてもスッキリと新鮮でした。
 教育は共育・協育・響育でなければならない等、造語も氾濫しておりますが、圓窓
師匠の提唱する「笑涯楽習」は、その真の意味を聞き、正に「目から鱗が落ちる」で
した。
 落語家だから洒落で用いているんだ、と思っていた浅はかな自分の「描き」を恥じ
ております。
 よく、「教師は5者であれ」(教師は賢者であれ・達者であれ・医者であれ・役者で
あれ、芸者であれ)と言われます。圓窓師匠の魅力を目の当たりにし、ともすれば、
親よりも多くの時間を子供と過ごす教師の魅力を少しでも高めていくよう、心に誓っ
た講演会の終了でした。


 落語[ぞろぞろ]に因み、ゆたかな心「ぞろぞろ」と題しての講演会、期待を遥か
に超える反響で、聴衆の感動が、当日参加できなかった方々へも「ぞろぞろ」広がっ
ているところです。講演会最後のプレゼント、ライブ落語[ぞろぞろ]を聞くことが
できた子供たち、誇らしげにその感動を自慢している姿が目に浮かびます。
 教師・一般市民に「ゆたかなひととき」を提供したい、そんな願いが実現した教育
講演会を終え、その余韻をもって、今日も私の心は「快晴美日」。
 圓窓師匠、そして、この企画を支援してくださった皆様に心から感謝を申し上げま
す。


聴 講 感 想 集


「学習から楽習になるよう努めます」


「落語の中に国語があり、国語の中に落語がある」という言葉を聞き、国語科の授業
も、身近な生活に根ざした楽しい学び(学習から楽習へ)となるよう一層努めていか
なければならないこと。
 そして、そのためには、「器用」→「上手」→「名人」と、教師の技量を高めてい
くことが求められること。
 このことを師匠の巧みな話術と人間性から実感させられました。
 ありがとうございました。
釧路市立鶴野小学校長・釧路国語教育研究会副会長 板谷聖一


「教育界の御意見番として」


 久方振りに、感銘と心が洗われる講演を拝聴しました。
 教師は心の医者とか、授業等では演出家・役者たれとも引用されますが、即座に噺
家であることも加えたものです。
 一芸に秀でる方の教育観もまた高尚であり、拝聴することにより、私の創造力に新
たなる灯を与えていただきました。
 更に、「笑涯楽習」を座右の銘といたします。今後とも、ご壮健にて芸を極められ、
教育界への御意見番としましても広くご活躍されますことをご祈念申し上げ、お礼と
感謝の辞といたします。
標茶町立塘路小中学校長・釧路国語教育研究会副会長 高橋健通


「納得のある"学びと出会い"を大切に」


「なんだ、駄洒落だよ!」という古文との出会いのお話に、まさに”楽習”の真髄を
感じさせていただきました。そうした「ことばへのおもしろさ」を教室の中で豊かに
実現させたいものです。
 私ども一人一人の教師に、そのための力量(指導力)を身につける必要感を教えて
いただいたように思っております。
「教師」という仕事を選び、その道を歩む中で、子供たちの心にストンと落ちる、納
得のある「学びと出会い」を大切にしていきたいと考えています。そして、私自身が、
自らの辿った歩みを振り返った時に、"笑涯楽習"だったと思える日々をおくりたいと
思います。
 ありがとうございました。
白糠町立河原小中学校教頭 庄子


「テレビとは”描くことを念頭に”付き合おう」


 久々に聴きごたえのある講演に巡り合えました。
 教科書教材という、身近な「一席」の本物に、直接触れられたことにも感激してお
ります。
 日常生活の中で、なかなか縁の切りにくいテレビとは、今後、『描く』ことを念頭
に置きながら付き合おうと思います。
「圓窓五百噺を聴く会」はゴールが見えたようです。今後も”ぞろぞろ”続く師匠の
ライフワークが、一層輝くことをご祈念申し上げます。
 ありがとうございました。
剛浜中町立霧多布中学校長・釧路国語教育研究会副会長 高橋浩一


「子供たちに”本物”を聞かせたい」


 はりのある声、機智に富んだ話、そして笑い。
 是非、たくさんの子供たちにも、「ほんもの」を聞かせてあげたい。
 そんな思いを強くしたひとときでした。
「笑涯楽習」を広めたいですね。
          
釧路町の小学校の一教頭


「90分がとても短く感じました」


 寒い北海道の釧路へようこそ来ていただき、ありがとうございました。
 久しぶりに生で、本当の落語を聴かせていただきました。前から2番目の席におり
ましたが、90分がとても短く感じました。
 講演の中での「話す、聞く、描く」と「書く、読む、描く」は、子供たちに今必要
な事だと感銘いたしました。大人はそれに向けて考えを新たにすべきだと思います。
 これからも「描く」ことが益々広げられるよう、大衆・世の中に「笑涯楽習」をお
願いいたします。
 ありがとうございました。
釧路市事務職員会 会長 小松重知


「素敵な言葉とサイン(色紙)」


「笑涯楽習」、素敵な言葉とサイン(色紙)、ありがとうございました。
 私は、国語の教師なので、授業では「書く」「読む」「描く」の方をより意識して
授業をしてきました。しかし、子供たちとの生活の中で痛感するのは、「話す」「聞
く」「描く」コミュニケーション能力の大切さです。落語「ぞろぞろ」は、この能力
を楽しく身につけることができる教材だと思います。
 でも、欲を言えば、教科書で読んだり、CD(もあります)で聞くばかりでなく、
生を聞きたい、聞かせたいと思います。
 落語はおもしろいです。円窓師匠、これからも日本各地の人達が落語に親しむ機会
をつくってくださることをお願いいたします。
 また、釧路にもいらしてくださいね。
釧路市立美原小学校教諭・釧路国語教育研究会事務局員 沢田恵美子


「頂いた感動を教え子に伝えたい」


 円窓師匠の[ぞろぞろ]がいよいよ始まろうとした時、私の隣にいた4年生の子が、
満面に笑みを浮かべてお母さんと喜び合っていました。この子供の心はどれ程ワクワ
クしたのだろうかと想像するまでもなく、今回の円窓師匠の講演は私達の心を豊かに
していただきました。
 質の高い本物の落語に接した感動は、小さな子供であればあるほど心に深く確かに
刻まれ思います。勿論、大人の私も、落語を通して日本の言葉の豊かさにふれ、心が
耕されたような思いでした。
 学校で子供たちに話す時、情景が描かれるような話し方をしていただろうかと、笑
いの中にもハッとさせられることもしばしばでした。そのようなことも含めて、私が
頂いた感動を教え子に伝えていきたいと思いました。
 有り難うございました。
釧路市立柏木小学校教諭・釧路国語教育研究会事務局員 中嶋治代


「お礼に一首」


(三)つ子にも
     (遊)学笑涯
           (亭)育す
   (円)熟のきみ
            (窓)口となれ


釧路市教育委員会教育委員(教育委員長代行)北明正紘


2006・4・20 UP