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国立演芸場


国立演芸場 企画公演「江戸開府400年記念・江戸の商売往来」

ルポ「胸肉形江戸商人」

2003年(平成15)年12月中席(11〜20日)
文筆 野火助


 12月19日の国立演芸場(夜席)の高座を見に行きましたので、少々感想などを
お送りいたします。例によって、長文・悪文の類いで恐縮ですが、ご容赦下さい。


 江戸の商売往来ということで、それぞれ江戸商人に関連した噺という趣向は大変結
構でした。師匠の[胸肉形江戸商人]は、シェイクスピアの戯曲の中ではおそらく我
が国では最も有名であろう「ヴェニスの商人」翻案です。私らの時代ですと中学校の
国語の教科書に載っていたくらいですから、基本的なストーリーは広く知られている
といってよいでしょう。喜劇と言っても一種の頓智が見せ場ですから、落語にも持っ
て来やすそうな話です。私は、圓窓師匠が単なる翻案ネタ以上のプラスアルファをど
う見せて、どう聞かせてくれるのだろうかという期待で寄席に脚を運びました。


 この時の国立演芸場は夜席でしたが、お客さんは良く入っていました。余談ですが、
寄席の客の入りというものは、どうしても昼席の方がにぎやかで夜席が寂しいという
話をよく聞きますけれども、平日の昼席の方が繁盛するのは、興業としてはやはり喜
ばしくない状況です。つまるところ、仕事のないヒマな老人しか聞きに来ないという
ことに他ならないわけで、およそ世の中の構成の大部分を占める勤労世代の人たちを
客にできない状況は、短期間の木戸の上がりはともかくとしても、長い目で見れば業
界の辻占としては良い卦ではありません。
 世の中心(と言い切ると語弊がありますが)的な年代が主たる客となって、「仕事
が終わった。さあ寄席でも行くか!」という具合にならなければと思います。とは言
え、これはあながち興業側の問題だけとも言い切れなくて、欧米の様にアフターファ
イブに観劇やコンサートを楽しむために必要な諸条件、すなわち勤務時間の柔軟性、
職場と劇場と家との地理的関係や、金銭的余裕といった社会的環境や、そのような娯
楽に価値を見出すことのできる個人の意識・教養などの文化的側面が、未整備・未成
熟だということもあります。
 しかし、映画や一部の演劇などの、同様に「わざわざ出かけていく娯楽」において、
アフターファイブの若い客層による活況を呈している場所があることを考えれば、や
はり夜の興業の重要性を思わざるを得ません。歴史と子供と文化は夜作られるのです
(笑)。勤め人が平日寄席に行くとなると夜席しかないわけですし、寄席ももっと夜
の興業に力を入れて頂きたいものです。国立演芸場などは、安くて設備が良くて企画
もいいのに、どうして夜は金曜だけなんでしょうね。
 斜陽と言われても、落語会にはそれなりに人が集まっていますし、集客能力から言
えば中小の商業演劇に決して劣るとはと思いません。落語というエンターテイメント
が老人以外には全く見放されているという訳ではないと思います。
 では、落語会はよくてなぜ寄席が流行らないのかというと、結局TVと競合してし
まっているからではないでしょうか。「薄くて広いコンテンツを提供する常設の情報
娯楽場」としては、かつては寄席が第一人者だったわけですが、今となってはどうし
たってTVに太刀打ちできるものではありません。となると、今の時代にあって存在
価値を主張するには、メジャーなTVのやらないような企画を打ち出してゆく、つま
りはいかにマイナーな立場で繁栄を図っていくか、という矛盾するようなテーマを追
って行かねばならないのではないのかと思うのです。その企画を若い世代にアピール
するためにも、やはり落語興業のメインは夜であるべきだと思うのです。


 と、本題から随分ずれてしまいました。すみません(^^;)。
 さて、[胸肉形江戸商人]ですが、先にも述べましたように、ストーリーの新奇性
はあまりありません。アントーニオやシャイロックを江戸落語の登場人物にどう投影
するかというような配役の工夫については、女の裁判官ポーシャの処理を大岡政談仕
立てに解決した妙には小さく手を打ちましたが、ここがこの噺の見せ場でないことは
確かなことです。


 では、このある意味、使い尽くされた、ほとんど月並みと言ってよいような有名な
戯曲に題材を取った噺のどこに私はハッとさせられたのか、落語という表現芸術の奥
深さを覚えたのかといいますと、第一に清六(金貸し)と安藤似蔵(借り手)なる町
医との人間関係が、本来のシェイクスピア劇のシャイロック(金貸し)とアントーニ
オ(借り手)のそれを超越して演出されていたところなのです。原作では、なぜシャ
イロックがアントーニオにあれだけの無理無体を要求したのかという動機が明らかに
されていません。傲慢で非情な高利貸し故という、単純なキャラクター設定に頼るの
みです。
 原作ではキリスト教徒によるユダヤ人差別が動機であるようにシャイロックが述べ
ている件がありますが、彼自身の強烈な性格設定の前に完全に霞んでしまっています
し、今なら十分同情されるべきこの動機も劇中では最後まで斟酌されなかったことか
ら、シャイロックの動機に関しては全くないとは言えないまでも、ほとんど重要視さ
れていないことは確かでしょう。
 ところが、圓窓師匠は、なぜ清六が安藤をこの猟奇的な罠に掛けなければならなか
ったのか、という推理小説で言うところの犯行の動機に目を付け、掘り起こしたので
す。そしてこれを過去の怨恨、しかも、安藤にとっては思いも寄らない、ほとんど清
六の思い込み・妄想と言ってもよい理不尽な逆恨みと設定することによって、敵役の
悪意を際立たせるとともに、最後に救いの物語として終わらせるための核心とすると
いう、二重の効果を狙った手の込んだ仕掛けとして用いたのです。
 確かに、「なぜ、シャイロックはこんなカタを設定したのか?」という疑問は当然
あってしかるべきなのですが、そこはそれ、名にし負う古典の大名作ですから普通は
思っても一瞬頭をよぎるだけで誰も深く追及しませんよね。そこに着眼したというだ
けでも功績大なのですが、実はそれだけでなく、この問い掛けには、心理的な動機を
掘り下げることによって喜劇が悲劇になってしまうかも知れないという、物語の根幹
を脅かすタブーが潜んでいるとも言えるのです。
 圓窓師匠は、その危険な疑問点をあぶり出すことによって、喜劇という枠組みを壊
しても、守銭奴清六の悪意の詐術の裏に潜む愚直な人情を描きたかったのだ……、と
見ましたが、どうでしょうか?
 いみじくも原作の中では「いかなる悪徳も外面にはいくらかずつ美徳のしるしを見
せている」とありますが、師匠はその本歌取りで「内面にはいくらかずつの人情のし
るしを見せている」と言いたかったのでは? もうこうなると、単なる翻案落語なん
てものではありません。改めて圓窓落語の元での掛かり方には舌を巻かされます。


 もう一つは、噺の画期的な構成についてです。前半に「謎」を明らかにしないまま
提示しておいて、後半の解決篇でその謎解きをするというミステリー仕立て! 通常
の落語では、噺の途中に伏線を張った謎を残しておくような手の込んだ仕掛けはあま
りやりたがりません。仕掛けが過ぎると噺が複雑になるし、そもそも気軽な聞き物で
ある落語にあって、凝った伏線を仕込んでも、客がその謎掛けを覚えていてくれなけ
れば意味がない訳ですから(笑)。(それでも私は[試し酒]などは、ちょっとした
叙述トリックだと思うのですけれども……)
[胸肉形江戸商人]は、トリックの謎解きではなく、犯行の動機の謎解きです。推理
作家で言えばアガサ・クリスティか、横溝正史かといったところでしょうか? 陰惨
な犯行の動機には実はこんなおぞましい過去が因縁となっていたのでした……、とい
うアレですね(笑)。これまでの落語には、こんな風な分かりやすいミステリ仕立て
の噺はなかったのでは? 落語に対してもミステリに関しても浅学の分際ではありま
すが、ある意味、落語の新しい可能性が見えたような気が致しました。時間の制約が
あるので長編は難しいと思いますが、ショートミステリーになら活路がありそうです。
予め客にミステリ落語だと宣言しておけば、かなり凝った作り込みも可能かも知れま
せん……、なんてことを考えたりして、圓窓師匠の創作落語は、時には観客をも創作
的にさせてくれるようですね(笑)。


 翻案は一見安易に見えつつも難しい創作行為です。「翻案」と聞いただけで事を軽
く見る向きは少なくないでしょう。実際、私にしたところで、もしこれが圓窓師匠の
企画でなかったら「ヴェニスの商人の翻案落語? ああ、見なくても何をやるのか大
体分かるからもういいや」と、見ずに切り捨てていたに違いないのです。翻案だから
オリジナルより格下に見るような了見は、そもそもかのシェイクスピア自身が翻案の
天才である事実から容易に粉砕される論外ですが、出来の悪い翻案物がそういった誤
解を助長している面もあるのです。今回の圓窓師匠の[胸肉形江戸商人]は、無論そ
んな悪例であるどころか、その翻案の天才の作品をまた見事に翻案するという、言わ
ばシェイクスピアの上を行く立派な仕事で、私の最初の期待にちゃんと答えてくれる
力作だったのでした。


 あと、今回の一連の番組を見ていて感じましたのは、演者の目線です。「目は口ほ
どに物を言い」なんて申しますけれども、寄席や落語会に脚を運ぶ醍醐味の一つは、
「目の芸」が楽しめることではないでしょうか。こればっかりは、ライブでなければ、
放送、録音やVTRなどの二次的に加工・記録されたメディアでは感じることはでき
ない代物です。特に圓窓師匠の眼力は強いですね、小言を言う場面なんかですと痛い
と言ってもいい程の目線です(笑)。師匠の高座に接すると、「話す」という行為に
伴う目の役割の重要性が実によく分かります。


 最近の噺家さんでも上手いと思う方はやはり目の力を感じます。一般的に言うと、
やはり真打の師匠に比べて前座、二つ目の噺家さんは目の力が弱い。目が泳いでいる
なんぞは論外ですが、どこを見ているかわからないというか、一見上下を切り分けて
いるようでも目線が眼窩からこちら、外に向かって出ていないように思えるのです。
どうも語彙が貧困で感覚的な言葉でしか語れていませんが……、目線の効いている演
者に出会うと、単に睨み付けるとか見得を切るなどの派手な動きのあるなしではなく、
笑っていてもつむっていても、目がなんらかの対象を捉えていることが分かるのです。
そんな目に出逢うと、こっちの目が逸らせなくなってしまいます。目に目が捉えられ
てしまうとでも言いましょうか。
 この目線の力は、故志ん朝師匠も強烈だったように思います。志ん朝師も舞台での
活躍を十分に高座の肥しにされておられたからでしょう、強い目線を積極的に芸に取
り込まれておられたのだと思います。一方でいわゆる昭和の名人と呼ばれる師匠方、
文楽、志ん生、圓生の視線とは果たしてどんなものだったのでしょうか・・・。
 大喜利の総踊りを見ていても、目線の落ち着いている人の踊りは上手く見えます。
馬生師匠の貫録はやはり大したもので別格ですが、中でも私は三々さんの形がいいと
思いました。年の割にはちょっと枯れ過ぎのような気もしますが(笑)、噺を聞いて
いても二つ目の白眉たるお一人だと思います。


 師匠は創作落語、演劇、俳諧、教育と多方面への才能と好奇心をお持ちで、何にで
も果敢に挑戦され、落語の糧とされていらっしゃいます。分けても私が感銘を覚える
のは、師匠が何をさたところで、結局は落語に戻って来られることであり、しかも、
オーソドックスな古典落語のベースを常に堅持されているといことなのです。「創作
落語の圓窓」とは、世に称されるのはもちろん、師匠ご本人も以て任じておられるこ
とと存じ上げてはおりますが、私に言わせれば、師匠の「創作」とは、いわゆる「新
作」ではなく「創作」でありかつ「古典」である落語なのです。これは、そもそも落
語自体が創作なのですから、あえて創作の冠をつけなくても「落語」は常に「創作落
語」と同意であり、日々自分の芸を磨き工夫していく噺家さんの精進そのものがすな
わち「創作」に他ならないわけだと言い換えることも出来ます。つまり、自らの芸と
落語の未来について日々思いを巡らし、少しでも良い物にしようと練磨している落語
家は誰もが「創作落語家」だと思うのです。そういう視点からすれば、圓窓師匠は革
新的どころか、実にスタンダードな古典落語の継承者であることが知れるのです。「
創作」や「工夫」とは、自分勝手な新奇に走り「落語じゃないもの」に陥ることとで
はないんだ、ということが、今回の企画を見て改めてよくわかりました。


 相変わらず長々と読み難くいわりには下らない感想を書きつくりました。ご無礼ご
寛恕の程、お願い申し上げます。
どうかまた、我々をあっと驚かせてくれるような企画をお願いします。
               
 圓窓より野火助さんへ。
  「いやぁ、寄席や落語の本質をよく捉えた上での論調には感心しました。
 

   感心、その1です。
   野火助さんの言う『今の時代にあっては、――― いかにマイナーな立場で繁
  栄を図っていくか、という矛盾するようなテーマを追って行かねばならない』に
   は、『同感!』と叫びたいほどです。
   現代の日本人には落語はメジャーとは映らないのです。シェイクスピアの作品
  は娯楽性と芸術性の二面を持ち合わせているから全世界を席捲しているんだ、と
  も言われておりますが、落語にはその二面を表現する演者も乏しいし、また、そ
  れを感じる客層もごく少ないと言わざるをえません。
  だから、堂々とマイナーを自認して胸を張って行くことなんです。(笑)


   感心、その2です。
   それに『アントーニオやシャイロックを江戸前の落語の登場人物にどう投影す
  るかというような配役の工夫については、この噺の見せ場でない』との野火助さ
  んの感想。
   あたしもそんなものに惹かれて創作したわけではないのです。
   まぁ、マクラでは『シャイロックを清六、アントーニオを安藤似蔵と日本流に
  改名した』と振りましたが、これは娯楽性の一面(笑)。男に化けた女の裁判官
  のポーシャは割愛して大岡越前守にしたくらいですから、大事なことは他にある
  んです。それを野火助さんが掴んでくださったから、嬉しいのです。


   感心、その3。
   原作では、シャイロックがアントーニオに胸の肉を抵当として要求した動機が
  明らかではないので、あたしはその動機を創作しました。既成の他の落語も動機
  はあまり重要視しておりません。聞き手が笑えばいい、面白いと言えばいい、と
  いうレベルを優先させております。
   野火助さんは、それを看破してますね。嬉しいです。


   感心、その4
   翻訳について、『今回の圓窓師匠は、――― 言わばシェイクスピアの上を行
  く立派な仕事で』という野火助さん。
   汗顔の至りですよ。
   野火助さんの文中に「本歌取り」という言葉がありましたので、こんな余談を。
   あたしが角川春樹氏の参加する句会に参加して真面目に俳句を習い始めた頃、
  氏より句集をいただき、読んでいましたら、こんな句に出っくわして、いやまぁ、
  びっくりしました。
   君は今原宿あたりクリスマス
   これは、仙台公が惚れて通ったという高尾花魁の句〔君は今駒形辺り不如帰〕
  の本歌取りだな、と直感しました。
   後日、そのことを氏に言うと、「それをなぜ知っている!」と今度は向こうが
  びっくりしてました。
   加えて「今まで俳人仲間からそのようなことを言われたことないよ。落語家は
  勉強をしているなぁ、たいしたもんだ」とまで。(笑)
   氏に言わせると、「本来、本歌取りとは単なるパロディーで終わらせてはいけ
   ない。本歌よりレベルが上でなければ作る意味がない」そうです。


   感心、その5。
   演者の目を見ていれば、巧拙がわかるのは確かです。それを見抜いている野火
  助さん、確かです。
   落語は聞くもの、と言いますが、見る部分もあります。
   登場人物がどこにいるか、つまり、ポジショニングを現わすのには演者の目の
  決め方なのです。隠居さんと熊さんの会話ではそれぞれが相手の目を見て話をす
  るのです。ですから、客席のお客は演者の目を見ていれば、登場人物の位置がわ
  かるわけです。あたしもそれは充分に心掛けて演っております。
   その観点から昭和の三名人を分析すると、文楽は落語を完璧に暗記しているせ
  いか、つい目は伏せ勝ちになる癖があります。志ん生は目が細いのか、あまり目
  立たない演者でしたが、それだけでなく、当人もわからなくなるくらいポジショ
  ニングには乱暴なところがありました。やはり三人の中でいちばん目に気を使っ
  て、かつ、生かしていたのは圓生です。残っているどの写真を見ても、目は光っ
  ています。ですから、音で聞くと、間が空きすぎだと感じても、高座を見ていれ
  ば、目はちゃんと生きているので、間も生きていることがわかるのです。


   感心、その6。
   芸の「創意工夫とは、なんぞや」のわかる人は日本にはそんなにいません。野
  火助さんとあたしくらいでしょう。(笑)
   あたしは「芸名を振り回す芸人にはなりたくない」と思っています。
   できたら、「芸を感じさせる芸人になりたい」と思ってます。
   よろしく。
2003・12・30 UP






寄 席 手 本 忠 臣 蔵

討ち入り300年記念 企画興行
2002年(平成14)年12月上席(1〜10日)


「客席から」「高座から」の 目 耳 録

前日 「初日は最前列の真中で」 淳一
   明日からの忠臣蔵、楽しみです。
   初日、最前列の真ん中で聞かせていただきます。
   師匠の落語を国立演芸場に聞きに行くのは、4回目です。
   チケットをいただいたのがきっかけですが、今では年末恒例になりました。


   ところで、なんで忠臣蔵というのか、最近まで知りませんでした。忠臣大石内
  蔵助だから忠臣蔵。ああ恥ずかしい。
   天丼は天ぷら丼、国鉄は日本国有鉄道。おあとがよろしいようで。
               
前日 「恥ずかしい2」 ゑまのん
   なるほど、忠臣からきた「忠臣蔵」だったんですか。
   ああ、恥ずかしい2(^_^;)です。
   で、「忠臣」はわかりましたが、「蔵」の謂われは?
   と書いたところで、もしかして!「内蔵助」の「蔵」ですか?(^_^;)
      


初日 「行ってきました」 淳一
   1日、国立演芸場に行きました。
   私は落語に限らず、演技者が出るものはなるべく前で観させてもらっています。
   だって離れていたら、師匠の息使いやこまやかな表情の変化が、みえない! も
  ったいないですよ! と思います。(本当はだんだん目が悪くなってよく見えない)
   よかった、ゑまのんさんも忠臣蔵の謂われをご存じなくて。
   こういうのって結構ありますよね。
   前”木木木”首相がいったITとか・・・あれ、ちょっとはずしたかな。
               
初日 「隠された謎の多い芝居」 圓窓
   隠された意味、謎が多いのが忠臣蔵。
   だから、また、面白いのでしょうね。
      


二日目 「じゃ、床屋へ行こう」 圓窓
落語カメラマンの横井さんが、いずれ、撮影に来てくれるとか。
ありがたいですね。
床屋へ行っておこう。
       


三日目 「客席に高校の恩師が」 圓窓
客席に高校(文京高)の担任が!
聞いていただいて、ありがたし、と感謝をこめながら一席。
終いまで、寝てはいなかったようです。(笑)
ホッ。
               
三日目 「あのときの判事さん……?」 圓窓
はねて、楽屋へ脇の最高裁の判事さんだった方がお顔をだしてくださった。
20年ほど前になるか、裁判所の広報誌とでもいうか、それへ載せるための対
談をしたことがある。あたしはそのとき初めて最高裁の中へ入ったのです。
「大岡政談は裁きの理想ですよ」なんという話をしてくださったかな。
   今、連日、国立演芸場の高座で[徂徠豆腐]を演っているが、浪士に切腹を申
し渡した件につき、あたしの論も入れたりして、徂徠の台詞として挿入させてい
るので、それを聞いていただいてよけいに嬉しかった。
               
三日目 「たそがれ清兵衛の答え」 圓窓
映画「たそがれ清兵衛」を見た。
その中で、子供が親の清兵衛に「学問はなぜするの?」と問う場面があった。
清兵衛、しばらく黙考する間があって「考えるためだよ」と答えていた。
あたしなら、なんと答えるだろうか?
徂徠なら、なんと?
みなさんなら? 
難しい。
考える[徂徠豆腐]にしたい。
      


四日目 「まぁ、きれい!!」 噂
圓窓は休演。
高座舞いも忠臣蔵に因んで「二つ巴」。
暗転から明かりになって、出演者が一様に黒紋付に、白の晒しに名を書いて、
襟のように掛けて踊る。
「まぁ、きれい」の声。
「踊りがかい?」と聞き直したら、
「いいえ、明かりが」
      


五日目 「遠くから」 圓窓
遠く富士市からS親子がいらしてくだすった。
ありがとうございます。 お土産までいただいちゃった。
   Sさんの紹介で、富士市で「講演と落語」をやらせてもらったばかり。
      


六日目 「作劇の妙が見事」 野火助
遅くなりましたが、先日の国立演芸場12月上席公演「寄席手本忠臣蔵」の感
想を送らせていただきます。
何分、見当違いも多々あるかとは存じますが、何卒ご寛恕下さい。


実は私、この日は朝が早かったこともあって、落語を聞きながら寝るのには絶
好のコンディションでありました。(笑)
実際、喜せんさんの[子褒め]〜茶番までははなんとか凌ぎましたが、吉窓師
匠〜春水先生までは記憶がありません。申し訳ありません(^^;)。
目が覚めたのは馬生師匠の[七段目]で、芝居台詞の節回しの良さとよく通る
お声、そしてやはり迫力というか強い「引き」が、夢幻境から私を救い出してく
ださいました。
中入りに売店で買ったコーヒーを飲んで気合いを入れて、後半に備えます。
久美さんの明るいマジックと玉簾の手拍子もラジオ体操代わりにに眠気を払っ
てくれました。
あまり期待していなかった、というと失礼ですが、世之介師匠の[淀五郎]は
良い出来だったと思いました。[中村仲蔵]と同種の役者芸開眼ネタですが、か
なり引き込まれました。
私は、「思わず引き込まれる」ような高座に出会うと、「当たりだった」と喜ぶ
者です。落語を聞くときは気楽に聞きたいので、鵜の目鷹の目で分析するような
真似はしたくないと思っています。
ですから、「よかった!」という感想も「どこがよかった?」と問われると、「全
体的によかった!」となってしまって甚だ頼りないのですが、「引き込まれた」
という言葉を使えばその茫漠とした感じが分かって貰えるかも知れません。
小菊さんの声と三味線で良い気分にさせられて、もはや眠気は雲散霧消してい
ます。


いよいよお目当ての圓窓師匠の出番です。
マクラについては、また、やられた! と思いましたね。
忠臣蔵とチョコラ饅頭(笑)って、師匠の駄洒落の切れの鋭さは、以前も申し
上げたこともありましたが、今回も見事にバッサリやられました。
普通、チョコラ饅頭から忠臣蔵へなんてどうやったって関係のつけようがない。
一体どんな落ちがあるのだろうと、身体が前のめりになりましたねえ。(笑)す
ごい引力です。
そして、引きつけて引きつけて、「鬼さんチョコラ・・・」でしょう?
下らないといえば、これほど下らないのもないと思うんですが、この緊張の最
高点でぷつんと糸を切るテクニックは相変わらずの至芸です。
駄洒落は落ちが見えたらおしまいですが、この洒落を予測した人は誰かいたん
でしょうか?
チョコラ饅頭と一力茶屋・・思いつきませんよ。(笑)


さて、本題の[徂徠豆腐]ですが、私は師匠のこの噺を末広亭で代演された時
に一度聞いて予習をしているのです。
ですから今回は2回目だったのですが、練りに練ったり、おそらく先に聞いた
方が原作に近いのでしょうが、今回の高座は末広のそれとはまた別物の味わいで
した。
貧乏学者の徂徠が七兵衛から買った(実際には買っていないが)豆腐を、箸も
使わずに食べる様子、末広で見たときは実に美味しそうで、おぼろ豆腐が食べた
くなってしまいました。(笑)
その時もうまいもんだなあと感心して見ていたのですが、あとから良く考えて
みると、あの場面はそんなグルメな雰囲気ではなく、もっと飢餓状態というか貧
窮鬼気迫るところであるべきかもしれないと考え直しました。
そして、今回の高座では、なるほど、豆腐の食べ方が変っていました。貧乏に
行き詰まって食に飢えた、必死の様子が見て取れました。ああいう状況では豆腐
を呑気に味わって食べるということは有りえない。だから、所作を押えてそれで
いてギラつくような雰囲気を出されたのだと思いました。
そして、前回は見られなかった、豆腐の漬かり水を飲むという行為。これも飢
えの表現を強めるだけでなく、獣のように食らいついた浅ましい動きを最後にス
ッと収める、飢えては居ても人心地ついてみればこの人は学も礼節も心得ている
立派な学者なのだ、と見事な切り返しを見せてくれます。
このなにげない間、「水が旨い」という一言が、学者徂徠のキャラクターを保た
せているのではないのでしょうか。
後半、落魄した七兵衛と出世した徂徠の赤穂浪士の処遇を巡る議論の場面も丁
寧に作り込んであって、随分と工夫されたなあと思いました。
しかし、ここの処は少しく違和感も感じました。
徂徠の考えは、義士の体面の維持と今後伝説となるであろう名声の保存(瞬間
凍結:フリーズドライみたいなものですな)を目途とした。
それに対し、七兵衛は町民としての心情から「立派な侍をなぜ殺すのか」とい
う素朴な疑念と不満を表す。
これは、敵討ちという道義的価値の階級間のズレ、特に武士道と言う特殊な教
条を持つ階級の人達にとって何が最も望ましいことなのか、を学者の怜悧な頭脳
で下世話な豆腐職人に説明することで、結局、討入りという私闘の価値は順法と
いう様式にかたどられなければ持たないのだという美談が美談たる仕掛けを明
らかにする場面です。 
よって、あまりこの場面で七兵衛が自説に拘泥して議論を長引かすと、最終的
にスキッと納得する、さっぱりした江戸っ子の気性が損なわれるのではないかな
と感じました。
また、徂徠が七兵衛にむかし受けた施しを心の頼みに、義士に腹を切らせる処
断をした(と、私にはそう聞こえたのですが、見当違いならお詫びします)と語
るシーンがありましたが、徂徠が義士を処断したのは、先に述べたように武士に
対する死の名誉と順法の原則の一石二鳥的工夫からであって、七兵衛がかつての
徂徠に食べ物を施した慈悲心とは関連性が無いように思えるのです。
順法という観点からすれば、代金を払わずに豆腐を騙り食った徂徠を七兵衛は
許すべきではなかったし、ここで徂徠の詐欺的行為を許した七兵衛はむしろ法よ
り情で、この点では、義士の処断に食ってかかった七兵衛の庶民的判官贔屓の考
えは首尾一貫しています。
よって、ここで急に徂徠が旧恩云々と軟化するのは、徂徠の方に一貫性がなく
なって、聞いていて「ん?」と首を捻ってしまう不整合があるように思われました。
結果的に徂徠は七兵衛の慈悲をきっかけに出世したわけですので、この報恩譚
がこの噺の主眼だと思うのですが、この慈悲〜報恩の流れと義士の処断の関係を
つけるのは、なかなか難しいことだと思います。
師匠はそれをご存知であえてその間に橋掛けを工夫されたのだと思います。
ただ私は、以上のような理由から、ちょっと引っ掛かってしまったことを感想
としてお伝え致します。
「じゃあ、どうするよ」と言われれば、元より無見識な一観客ですので、知恵の
出よう筈もありませんが・・・(^^;)
しかし、オリジナルをあそこまで膨らませてきっちりとドラマに仕立てる腕前
は並大抵ではありません。
特に人情噺は感情の流れ、盛り上げのポイントを考えないと観客を引き込むこ
とはできないでしょうから。
師匠の高座は、演者としての気迫も然ることながら、作劇の妙が見事だといつ
も思っております。
ところでこの噺、言ったように人情噺という分類でいいのでしょうか?
講談から来ている噺だと聞いていますが・・あ、そうか刃傷噺なのか!


高座舞いの演出も目新しくて面白かったです。
特に舞台と踊り手さんの衣装がモノトーンの綺麗なコントラストを強調してい
て、なんだか寄席じゃないみたいな洒落た趣向でした。
圓窓師匠が踊りに出てこられないのであれ? と思いましたが、なるほど、吉
良役でしたか。
なるほど、それで踊らずに隅(炭)に隠れていらっしゃったと。(笑)


   追記
赤穂浪士にまつわる研究や小説は世にゴマンとありますが、彼らも最初から死
に花を咲かせるつもりでは必ずしもなかったのではないか、という説も有ります。
当時、敵討ちを成し遂げることは武門の誉れでしたから、討つ方も世間の体面
もあったでしょうが、人生を賭けて敵を追い、見事本懐成し遂げれば、お召し抱
えは引く手数多だったとも聞きます。
お家断絶で浪々の身となった人々が、再就職を当て込んで起死回生の一発逆転
勝負に出たのが件の討入りだったとしたら・・という仮定で書かれたもので、最
近読んで面白かったのは、高木彬光の短編「不義士志願」(全然、最近の作品じ
ゃないぞ(^^;))です。
あくまでフィクションですが、むしろこっちの姿が本当だったのかも知れませ
ん。


長くなりました。お疲れになりませぬよう。
どうぞお身体にお気を付けて、これからも我々をぐぐっと引き込む素晴らしい
高座をお願い致します。
              
六日目 「感想、ありがとう」 圓窓
   感想、ありがとう。
 この忠臣蔵の一件は史実を読んでも定説にはありつきません。
   それだけに、創意工夫は大いに発揮してかまわないと思っています。
   あたしのこの噺は高座にかける度に少しずつ肉付けしていった噺です。
 ですから、いろいろ意見が必要になってきます。
 徂徠が豆腐を食うところ、箸ぐらいは持つべきだという意見もいただきました。
 浪士の切腹に関しても感想は十人十色でしょう。
   だから、楽しいのです、あたしには。


   徂徠が「豆腐屋さんから教わりました」というのはあたしの創意で、徂徠の考
えをやさしくわかってもらおうとする心からなんですが、ちょいと無理があるか
もしれません。
  「豆腐屋さんもなさってますよ」という台詞に直してみましたが、どうでしょう
か。
 

   この噺、[徂徠豆腐]でなくて[白石豆腐]だったら、どうだろうか、と考えた
ことがあります。
  白石は擁護派だったんですから、違った展開が出来ますし。
   実は徂徠のこと、サイトで検索してみましたが、大変な人物ですよ。
   徳川の時代の学問をひっくり返したと言っていいくらいだそうです。
 ところが、あたしにはよくわからないのが、悔しい。


   この噺は練り直して、圓窓サイト〔だくだく〕の圓窓五百噺全集にUPしたい
と思ってます。
   一度、野火助さんとゆっくり話ができたら、嬉しいです。
               
六日目 「ただしろうさんの……」 圓窓
去年、亡くなったただしろうさんは国立演芸場の企画物は初年度からつきあっ
てくださった。それも夫婦揃って。
今日、奥さんが客席に。
はねて、楽屋へ顔を出してくださった。
「主人が逝ってから、初めての落語会です」
 やっと、元気を取り戻してくださったようだ。
       


七日目 「箸を持ってもらいたいなぁ」 金子
 泉岳寺の会、国立演芸場二日目と七日目、都合三回[徂徠豆腐]を食べました、
いや、聴きました。
   聴くたびに練れてきて、三回目が一番良かったように思いました。
   泉岳寺では、豆腐を二日目、三日目と増やして食べているのに、どうして段々
と元気がなくなるのか矛盾を感じましたが、その後、修正されていて、ほっとし
ました。
   徂徠先生の義士切腹の説明は、2日の噺があっさりしていて良かったように思
います。客席の者としては、あそこはあまりくどくない方が聞き易いのです。
 徂徠先生は時を代表する自他共に認める大学者ですから、豆腐屋に礼を言う場
面は手をつくとしても、自説を説き聞かせる場面では両手を膝に置いて威厳正し
い姿勢で良いのではありませんか?
   何としても解せないのことが一つあります。
徂徠が箸を使わずに豆腐を喰べる場面です。「渇しても盗泉の水を飲まず」「腹
が減ってもひもじゅうない」。武士と同様、庶民の見本たらんとした気概に満ち
満ちていた当時のまともな学者達は、庶民から見ると見栄としか思われない清廉
な生活をしていたのです。
私は、落語[天才]の紅羅坊奈丸さんもその範疇の人だったと解釈しています。
「貧しても貪しなかった」に違いありません。
その大学者が箸を持たずに、罪人の食べ方である犬喰いをするなど絶対にあり
得ないと思います。
   江戸研究者の私としては、言い切っても良いだけの自信があります。この場面
は、何としても修正願いたいところです。


   ところで、7日に大塚で年一度恒例の集まりがあり、赤坂先生にも会いました。
先生は三日目に聴きに行ったそうです。団体が来ていて、弁当を済ませたらみ
な出て行ったと、嘆いていました。
HP「だくだく」で日大芸術学部諸君の落語初体験記を読み、落語を知らない
若者ばかりなのを知って、一門会の夜にカメラを構えていた学生諸君の落語鑑賞
マナ−の悪さが、悪意ではなく無知からきていることを知りました。
無知なのは、今や年齢の問題ではないようです。
   ちなみに、写真学部の女子学生が書いていた「落語の聴き方を講釈する変なお
じさん」は、シャッタ−音を消そうともせずに傍若無人に他人の顔前に乗り出し
てカメラを振っていた男子学生に、劇場での写真を撮るマナ−を注意した私のこ
とです。
               
七日目 「ありがとう、直してやってます」 圓窓
   ありがとうございます。
   初演はもう昔でした。勉強会で一度か二度でしょう。
  この企画なので、練り上げようと連日演ってます。
  家で壁に向かっての稽古も限界があります。高座で徐々に練り上げるのがいち
ばんです。


長屋の徂徠が豆腐を日毎に増やして食べるのは、悪意を感じさせる危険性があ
るので、やめました。
  徂徠の義士切腹の説明はどうすればいいかは、まだ自信がありません。
土台、徂徠は「義士」とは認めていない立場ですから、大衆にそれをわかり易
く話すことは困難なことだったろうと思います。
   学者の世界はさておいて、落語の世界、芸の世界での徂徠を描ければ、と思案
しています。  
徂徠の手の置きどころ、直しました。
  8、9、10日と演っているうちに、手が膝に置けるようになってきました。
   つい、ひもじさを出そう出そうの表現が箸を使わない食べ方にしてしまいまし
た。これも直しました。
              
七日目 「ピンポイント感想」 弥助


り助[つる] 喜せん[近日息子] ゆめじ・うたじ(漫才)
 吉窓[権助芝居] 菊春[七段目]
 圓窓・馬生[茶番 五段目] 馬生[淀五郎]
中 入 り
久美(奇術) 左橋[四段目] 小菊(俗曲) 圓窓[徂徠豆腐]
大 喜 利
高座舞い連中(二つ巴)


出し物がすべて忠臣蔵に関係する噺ばかりで、驚いた。
とくに、[淀五郎]と[四段目]はまったく同じ落ちなのに、違和感が全然なか
った。
圓窓師匠と馬生師匠の茶番。これを見ることができたのは、とても貴重な体験
でした。後々まで、皆に自慢します。(笑)
トリの[徂徠豆腐]。単なる立身出世物語ではなく、内容は非常に哲学的。
切腹というものを武士がどうとらえるのか、当時の時代背景から、改めて考え
させられる。
               
七日目 「企画の面白さです」 圓窓
  弥助さん。
同じような噺の[淀五郎]と[四段目]を並べて演るというのも、企画の面白
さなんです。
   普段の寄席は同じような噺は避けるよう気を遣ってますが、企画としては、逆
に生きるのかな…、許してもらえるのかな…、ってところなんです。
「[徂徠豆腐]は単なる立身出世物語ではなく、内容は非常に哲学的」と聞いて
いただけて嬉しいです。
   あたしとしては、映画「たそがれ清兵衛」を見て、大いに発奮した影響がある
ようです。
   たかが落語という娯楽ですが、哲学的なことも表現はできるのです。
   それを嫌がる客もいますがね。(笑)十人十色でしょう。
   あたしは講釈から移入した[徂徠豆腐]を半ば棄てた噺として、勉強会で演っ
て以来、演らなかったんですが、取り出してよかったと思ってます。
   企画のおかげでしょう。
               
七日目 「幅の広さ、視点の深さ」 弥助
中トリで[淀五郎]→中入り後に[四段目]という、順番が絶妙の配置に思え
ました。この順番だと、どちらも生きてくるんですね。逆だと、不完全燃焼のよ
うな気がします。
つまり、[淀五郎]で芝居の世界に入り、[四段目]で、日常の世界に戻る、こ
の順番が、二つの噺を引き立てていました。
[四段目]は、滑稽噺なんですけれど、芝居の知識がないと笑えない部分もある
し、そういう点では[淀五郎]がよい仕込みになってます。

貧乏学者が出世して、豆腐屋に恩を返す、というだけであれば、[徂徠豆腐]は
よくある立身出世物でしょう。
でも、あえて憎まれ役の徂徠を取り上げて、大衆の感情と役人としての立場と
のぶつかり合いを描き出し、心の葛藤を考えさせて最終的に落ちをつける、とい
うところが、哲学的落語だと思いました。
落語という芸の幅の広さ、視点の深さを感じました。
大学生も、落語を「古典芸能の鑑賞」という面でとらえるだけではなくて、こ
ういう奥深い話をしっかり聞いて、いろいろと哲学的に考えることが必要だろう
な、と思います。
今の大学生、バイトと女とクルマの話しかしない(できない)ですから。(笑)
               
七日目 「茶番にびっくり」 弥助
圓窓師匠・馬生師匠の掛け合い、とても面白かったです。
最初、忠臣蔵関係の座談だと思っていたので、めくりに「茶番」と出たときに
はびっくりしました。
めったに見ることのできないものを見たので、友人たちに自慢します。(笑)
               
七日目 「お豆腐に何も付けないのは」 はな
お豆腐をなにも付けずに食べてましたが、確かに美味しいお豆腐は味付けが要
りませんね。
最近、流行りのお豆腐料理やさんで「最初は何もつけずにお召し上がりくださ
い」と言われました。
雪の中の高座舞いはとっても美しいと思いました。
楽日まで頑張ってくださいね。
       



八日目 「うっかり、蕎麦屋になりそう」 圓窓
討ち入り蕎麦の話をマクラに振ってから[徂徠豆腐]。
本題は豆腐屋の売り声から入る。
ところが、マクラの影響で、豆腐屋の売り声が「蕎麦ぁふー」と出そうになる。
気をつけないと、いけない。(笑)
       


九日目 「あたしは雪を恨みます」 まど女
師匠。連日、おつかれさまです。
私、九日目に伺えるはずだったのですが、大雪のせいで、仕事のスケジュール
が激変し、一応、演芸場へは行ってみたものの、すでに終演間際だったので、帰
ってきてしまいました。
もしかして、千秋楽に行けたらな、と思ってましたが、やはり仕事は終わらな
かった。残念です。
チケット代は、まだ振り込んでませんが、ちゃんと振り込みますので、ご安心
を。
せっかくチケットの手配して頂いたのに、申し訳ございませんでした。
∽∽∽∽∽∽∽
九日目 「落語のサービス精神を馬鹿にしてはいけない」 鶴久
まど女さんのその代わり(にはなりませんが)、私(鶴久)が雪の中、伺いまし
た。
といっても、午前中の用事が長引いたため、途中からの入場でした。
天気予報が外れ(?)、雪がやまず、お客さんが集まるのかしら…と、余計な心
配をしましたが、とんでもない。
100人以上のお客さんが集まり、普段の月曜日の3〜4倍の入りでは? と
思いました。
これも、師匠の企画とご出演の師匠方の魅力と集客力の現れと感じました。


途中からですが、吉窓[権助芝居]馬桜[七段目]春水[矢田五郎右衛門]馬
生[淀五郎]。
  ここで中入り。
  久美(奇術)。風船を箱の中に入れ、それを剣で刺す奇術の時、その風船に「吉
良」と書いてあった。
世之介[山岡角兵衛]小菊(俗曲)圓窓[徂徠豆腐]。
大喜利が高座舞い連中。最後に圓窓師匠が吉良上野介になって登場。
 

こうした趣向、好きです。
お客さんに楽しんでもらおうとする一つひとつが感じられ嬉しかったです。
 このような「サービス精神」をバカにするような風潮が今の寄席の世界にはあ
るのでしょうか?
弥助さんのような哲学的な分析はできませんが、お客さんを楽しませようとす
る熱意、情熱が充分感じられ、「大雪の中行ってよかった!」です。
       


千秋楽 「さて、来年は?」 圓窓
さて、来年の国立演芸場の企画、なににしようか。
千秋楽の挨拶をしたついでに、ふと、「全国落語巡り」はどんなものか。
ロビーで物産展をやって。(笑)
       


後の日 「記念講座の終了、おめでとう」 淳一
圓窓師匠。
1回しか行けなかったけれど、忠臣蔵300年を記念した講座修了(高座終了)
おめでとうございます。
来年の企画、楽しみにしています。
2003・1・?? UP




圓窓の楽屋帳「寄席手本忠臣蔵」

2002年(平成14)年12月上席(1〜10日)





楽屋小筆  三遊亭 圓窓


初日(日)                    寿 大 入 り


 落語[寿限無]   金原亭駒介
 落語[権助芝居]  三遊亭金兵衛
 漫才「吉良の墓石」 大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[孝行糖]   三遊亭金八
 落語[七段目]   鈴々舎馬桜
 講談「前原伊助」  一龍斎春水
 落語[六段目]   古今亭菊春
      中 入 り
            奇術「吉良の首」 花島久美
            落語[千早振る] 金原亭世之介
            茶番「五段目」  志ん太・金八
            落語[徂徠豆腐] 三遊亭圓窓
            大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                「槍さび」三遊亭金兵衛
             総踊り「二つ巴」窓輝 三三 春水 久美 金八
                     世之介 吉窓 喜せん 菊春
                      圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 楽屋で、出番のあとの菊春が前に上がる馬桜に「今日、あたしに[七段目]を演ら
せてください」と頼んでいたが、馬桜は「それはあたしが演る」と譲らず。
 慌てた菊春、[六段目]をさらってあとの高座へ備えていた。
 結局、馬桜はこの興行、[七段目]で通していた。打ち合わせでは「[九段目]も
演りますよ」と言ってたのに、どうしたんだろう。

 この企画、すべてを忠臣蔵で飾ろうということで、色物の人にもその趣旨をお願い
した。休演のときは、茶番の[五段目]が代演することも了承してもらった。
 その茶番は太神楽の和楽・貴楽にご苦労を願って、落語協会の有志が特訓をしても
らったもの。あたしも、その一人。
 今日は、志ん太・金八のコンビ。あたしゃ、見られなかった。
 後日、出演する茶番、笑生、福治は初めての経験となる。


金兵衛の「槍さび」。
 彼はこの六月の末広亭の企画の総踊りのとき、あがってしまったのだろう、眼鏡を
かけたまま踊った男。
 今回はたいぶ落ち着いている。稽古には真面目に通ってくる一人だ。


 総踊りでは、高座舞いの連中が赤穂浪士に扮して舞う。
 雪が降りしきる。(寄席、数多ありと言えど、雪を降らせることができるのはこの
国立演芸場だけ)
 振り付けの浅茅師匠のアイディアの「浪士の面々の黒羽二重の紋付の襟にかけた名
入りの晒し」が黒と白で映えいる。
 総踊りの終わったあたりで、前座の笛と「吉良様、見つけたぞ!」の声があって、
あたしが追われるような様にて舞台に飛び出すことになっている。
 あたしは吉良さまなのだ。
 浪士に捕まり「吉良ではない、噺家の圓窓です」と言い張るが、みなから訊問を受
け、吉良であることを吐露してしまう。
「圓窓なら噺家としての答えができるはず。では、師匠はどなたですか?」
「殿は上杉家の……」
「弟子は?」
「家来は大勢おります」
「道楽は?」
「お茶。今日も茶会を開いて」
「名人と言われたことは?」
「蒲郡では名君とうたわれました」
「寄席で客にけられたことは?」
「殿中で浅野に切られました」
「ああ、やっぱり、吉良だ」
 浪士の「エイエイオーッ!」で幕。
 すぐにカーテンコールがあって、今度はあたし一人で「エイエイオーッ!」


 中学の同期生のIさんが夫人連れで、楽屋へ見舞いに来てくれた。
 Iさんは、今、新国立劇場で目を光らせているらしい。(笑)
 演劇、オペラ、バレエの勉強をさせてもらおうか。





二日目(月)


 落語[元犬]    金原亭駒介
 落語[権助芝居]  三遊亭金兵衛
 漫才「吉良の墓石」 大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[孝行糖]   三遊亭金八
 落語[七段目]   鈴々舎馬桜
 講談「間十次郎」  一龍斎春水
 落語[浮世床]   金原亭馬生
       中 入 り
            奇術「吉良の首」   花島久美
            落語[淀五郎]    金原亭世之介
            俗曲「忠臣蔵尽くし」 柳家小菊
            落語[徂徠豆腐]   三遊亭圓窓
            大喜利 高座舞い 「赤穂浪士の討ち入り」
                「槍さび」  金原亭世之介
             総踊り「二つ巴」  三三 春水 久美 金八 吉窓
                       窓輝 馬生 金兵衛 喜せん
                          圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 二つ目以上の者には、「忠臣蔵のネタがなかったら、普通の噺でもいいから、本題
で上手に忠臣蔵に触れるように」と要請してある。
 次回、こんな機会があったら、ちゃんと忠臣蔵物ができるよう励んでいてくれると
ありがたい。


 ゆめじ・うたじの漫才「吉良の墓石」
 時事で笑わせて、最後は江戸小咄にもある「吉良の墓石は小さい」「大石は嫌い」
をもっていった。
 このコンビ、この先、その気になれば、忠臣蔵をたっぷりと聞かせる才能は秘めて
いるはず。楽しみにしたい。


 世之介が中入り後に[淀五郎]を演ったが、時間的に無理だろう。
「この興行は『トリは日替わり』とうたってある。大ネタ演るときは替わるよ」と言
ってあるんだが、やはり遠慮があるのかな……。


     


三日目(火)


 落語[二人旅]   柳家り助
 落語[十徳]    三遊亭窓輝
 漫才「吉良の墓石」 大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[孝行糖]   三遊亭金八
 落語[七段目]   鈴々舎馬桜
 講談「武林唯七」  一龍斎春水
 落語[淀五郎]   金原亭馬生
      中 入 り
            奇術「吉良の首」   花島久美
            落語[六段目]    古今亭菊春
            俗曲「忠臣蔵尽くし」 柳家小菊
            落語[徂徠豆腐]   三遊亭圓窓
            大喜利 高座舞い 「赤穂浪士の討ち入り」
                「槍さび」  三遊亭窓輝
             総踊り「二つ巴」  馬生 三三 春水 久美 金八
                       吉窓 喜せん 菊春 馬桜
                        圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 窓輝「槍さび」
 今回の「槍さび」は袴を着用して踊ることになっている。と、なぜか、踊りが立派
そうに見えてくる。窓輝がときどき「踊りは袴をつけなくっちゃ」と言っていたのが
理解できた。


 帰りがけ、映画「たそがれ清兵衛」を観る。
 あたしはいい映画を観たときは、いつかその感動を振り返るためにプログラムを買
うことにしている。邦画時代劇を観て初めてプロを買う気になり、買った。
「雨あがる」と並べる人がいるが、冗談いっちゃいけねぇ。天地の差がある。プログ
ラムに山田洋二監督の言葉にある。「江戸時代(時代劇)という制約された中で思い
っきり表現してみました」
 言葉通り、充分に表現されていました。
 今、国立演芸場でのあたしの[徂徠豆腐]に影響を与えてくれそう。
「たそがれ清兵衛」は見るべし。


 この日、観賞してくだすった、母校文京高の担任であったA恩師から、後日、葉書。
「[徂徠豆腐]、久し振りに落語をじっくりと聞くことができた。窓輝の[十徳]を
聞いた。あなたが前座の頃やっていた[十徳]を思い出した」と記してあった。
 40年前だよ……。

     


四日目(水)


 落語[元犬]     金原亭駒介
 落語[白日の約束]  柳家三三
 漫才「吉良の墓石」  大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[孝行糖]    三遊亭金八
 落語[四段目]    初音家左橋
 講談「矢田五郎右衛門」一龍斎春水
 落語[七段目]    金原亭馬生
       中 入 り
              奇術「吉良の首」  花島久美
              落語[六段目]   古今亭菊春
              俗曲「忠臣蔵尽くし」柳家小菊
              落語[中村仲蔵]  三遊亭吉窓
              大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                      「槍さび」 三遊亭金八
                   総踊り「二つ巴」 馬生 三三 春水 久美
                            金兵衛 喜せん 菊春
                            左橋 窓輝
                             吉窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 金八「槍さび」
 およそ踊りとは関連のなさそうな顔立ち、体型だが、なんとか形になってきたのに
は驚く。稽古場でも真面目。それがじわじわ滲み出てきたのだろう。


 落語の間に挟まって、春水が講釈を今日まで「前原伊助」「間十次郎」「武林唯七」
「矢田五郎右衛門」と四席披露してくれた。当人にとっても勉強になった、と思う
と嬉しい。
 三三の[白日の約束]は喬太郎の創作と聞く。三三もタイムリーな勉強をしてくれ
た。感心、感心。


 あたしは休演して、八千代台のほうへ教育講演に。吉窓が代演して、[中村仲蔵]。
いつか聞かせてもらおうか。


      


五日目(木)


 落語[転失気]  柳家り助
 落語[孝行糖]  三遊亭窓輝
 茶番「五段目」  左橋・世之介
 落語[権助芝居] 三遊亭吉窓
 落語[四段目]  初音家左橋
 講談「前原伊助」 一龍斎春水
 落語[七段目]  金原亭馬生
      中 入 り
           奇術「吉良の首」  花島久美
           落語[淀五郎]   金原亭世之介
           俗曲「忠臣蔵尽くし」柳家小菊
           落語[徂徠豆腐]  三遊亭圓窓
           大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
               「槍さび」 柳家三三
            総踊り「二つ巴」 世之介 春水 久美 喜せん
                     馬生 吉窓 金八 窓輝 左橋
                        圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 久美の奇術「吉良の首」。膨らませた風船を箱に入れナイフを何丁も刺しても割れ
ないという、よくある奇術。
 つまり、風船を吉良の首に見立ててのことなのだが、「だったら、吉良と書くとか、
似顔を描くとかしたら?」とアドバイス。


       


六日目(金)                     寿 大 入 り


 落語[元犬]    金原亭駒介
 落語[白日の約束] 柳家三三
 茶番「五段目」   菊春・吉窓
 落語[四段目]   初音家左橋
 落語[権助芝居]  三遊亭吉窓
 講談「武林唯七」  一龍斎春水
 落語[七段目]   金原亭馬生
      中 入 り
            奇術「吉良の首」  花島久美
            落語[六段目]   古今亭菊春
            俗曲「忠臣蔵尽くし」柳家小菊
            落語[徂徠豆腐]  三遊亭圓窓
            大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                「槍さび」  金原亭馬生
                 総踊り「二つ巴」 馬生 三三 春水 喜せん
                          美 金八 吉窓 菊春 左橋
                            圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 今日は昼夜興行。楽屋連中を連れて、近くの蕎麦屋「福田」へ。
 赤穂浪士が蕎麦屋に集まって蕎麦を食べて吉良の屋敷へ行ったという伝説があるか
ら、食べていてもいい気分だ。


       


六日目(金) 夜の部


 落語[転失気]   柳家り助
 落語[子褒め]   柳家喜せん
 茶番「五段目」   馬生・福治
 落語[権助芝居]  三遊亭吉窓
 落語[四段目]   初音家左橋
 講談「間十次郎」  一龍斎春水
 落語[七段目]   金原亭馬生
      中 入 り
            奇術「吉良の首」   花島久美
            落語[淀五郎]    金原亭世之介
            俗曲「忠臣蔵尽くし」 柳家小菊
            落語[徂徠豆腐]   三遊亭圓窓
            大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                「槍さび」  初音家左橋
             総踊り「二つ巴」  喜せん 春水 久美 金八
                       吉窓 世之介 三三 馬生
                         圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 小菊の俗曲では「ドンドン節」「カンチロリン」に挟まって、越後獅子の曲を使っ
て忠臣蔵の大序から十一段目までを唄っていた。たぶん、普段は唄っていない曲だろ
うから、こういう企画なればこその出し物でもある。


       


七日目(土)


 落語[鶴]      柳家り助
 落語[近日息子]   柳家喜せん
 漫才「吉良の墓石」  大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[権助芝居]   三遊亭吉窓
 落語[七段目]    古今亭菊春
 茶番「五段目」    圓窓・馬生
 落語[淀五郎]    金原亭馬生
       中 入 り
             奇術「吉良の首」   花島久美
             落語[四段目]    初音家左橋
             俗曲「忠臣蔵尽くし」 柳家小菊
             落語[徂徠豆腐]   三遊亭圓窓
             大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                 「槍さび」  古今亭菊春
              総踊り「二つ巴」  馬生 久美 菊春 左橋
                        喜せん 窓輝 金兵衛
                         圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 圓窓・馬生の茶番[五段目]
 あたしにとっては、この茶番は40年ぶりかもしれない。故人になった朝三(のち
の圓之助)・吉生(のちの圓窓)のコンビで一度だけやったことがある。
 それも、長崎の落語会で。
 リード役の定九郎は馬生。あたしはなんでもかんでもそれに付いて行く覚悟の与一
兵衛という爺役だから、気は楽。
 40年前の体験が糞度胸となって発揮された。台詞が出てこなくても、驚かない。
定九郎の顔をジーッと見詰めてやればいい。向こうは「俺がとちったか」と、なんと
かしてくる。
 予想通り、馬生のリードよろしく終えた。楽屋へ引っ込んだら、汗びっしょりで肩
で息をしていた。
 やれただけでも嬉しい。


 この日、聞きにきてくれたKさんからメールがきた。
「泉岳寺の会、国立演芸場の二日目と七日目、都合三回[徂徠豆腐]を食べました、
いや、聴きました。聴くたびに、練れていて三回目が一番良かったように思いました」
と。
 感想がたっぷりとあって、参考になった。
 とくに「将来の大学者が箸を持たずに豆腐を食べるとは。罪人の食べ方である犬喰
いをするなど絶対に有り得ないと思います。箸を持つべきです」の評はもっともと思
い、演出を変えた。


      


八日目(日)                    寿 大 入 り


 落語[桃太郎]    柳家り介
 落語[十徳]     三遊亭窓輝
 漫才「吉良の墓石」  大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[権助芝居]   三遊亭吉窓
 落語[四段目]    初音家左橋
 茶番「五段目」    竹蔵・さん枝
 落語[淀五郎]    金原亭馬生
       中 入 り
             奇術「吉良の首」   花島久美
             落語[六段目]    古今亭菊春
             俗曲「忠臣蔵尽くし」 柳家小菊
             落語[徂徠豆腐]   三遊亭圓窓
             大喜利 高座舞い 「赤穂浪士の討ち入り」
                 「槍さび」   三遊亭吉窓
              総踊り「二つ巴」   金兵衛 馬生 久美 喜せん
                        菊春 左橋 窓輝 吉窓 金八
                          圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 飛びとびであったが、高座に左橋[四段目]、茶番[五段目]、菊春[六段目]と
並ぶと厚味が出ていい。左橋、菊春ともに普段から歌舞伎をよく観ているので、こう
いうネタもできる。他の芸の鑑賞の大事さを心得ている噺家である。


 竹蔵・さん枝の茶番「五段目」
 これまでにもこのコンビで「五段目」はやっているようで、双方ともフラがあって
いい。


 文落連(文京高OB)の総見、といっても可愛らしく6、7名。はねて、誘われて圓
窓・吉窓は池袋の酒菜屋。


       


九日目(月)                    外も 雪 降 り


 落語[子褒め]    金原亭駒介
 落語[近日息子]   柳家喜せん
 漫才「吉良の墓石」  大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[権助芝居]   三遊亭吉窓
 落語[七段目]    鈴々舎馬桜
 講談「矢田五郎右衛門」一龍斎春水
 落語[淀五郎]    金原亭馬生
       中 入 り
             奇術「吉良の首」  花島久美
             落語[山岡角兵衛] 金原亭世之介
             俗曲「忠臣蔵尽くし」柳家小菊
             落語[徂徠豆腐]  三遊亭圓窓
             大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
                 「槍さび」 柳家喜せん
              総踊り「二つ巴」 三三 春水 久美 金八
                       世之介 窓輝 馬生 馬桜
                        圓窓(吉良上野介)


圓窓の楽屋話


 喜せん「槍さび」
 踊りの浅茅師匠がしみじみ「喜せんさんも上手くなったわね」と言った。
 客席の彼の母親も感涙したことだろう。


 あたしのマクラ「雪の中、47人以上の入り。感動しています」
 ほんとです。噺家冥利に尽きました。


 十日興行を一つの噺で通したのはあたしにとっては初めてではなかろうか。
 トリネタとして[淀五郎][中村仲蔵]なぞも思案の中に入っていたのだが、[徂
徠豆腐]を演ってみると、これがなかなか面白い。
 つまり、「ああしよう、こうしよう」の余地があとからあとから湧いてくる。
 その度に肉付けされて、厚味を増す。
 11月14日に泉岳寺の会で演ったときは、15分。今では45分はある。
 やめられない、やめられない。(笑)


 世之介が十一段目にあたる噺の[山岡角兵衛]を演っている。埋もれた噺でもある
が、彼の口調を生かせるような気がする。出し物に挑戦してくれる意気込みにも感謝
したい。


      


千穐楽(火)                   寿 大 入 り


 落語[子褒め]  柳家り助
 落語[白日の約束]柳家三三
 漫才「吉良の墓石」大瀬ゆめじ・うたじ
 落語[孝行糖]  三遊亭金八
 落語[七段目]  鈴々舎馬桜
 茶番「五段目」  窓輝・笑生
 落語[淀五郎]  金原亭馬生
      中 入 り
           奇術「吉良の首」  花島久美
           落語[山岡角兵衛] 金原亭世之介
           俗曲「忠臣蔵尽くし」柳家小菊
           落語[徂徠豆腐]  三遊亭圓窓
           大喜利 高座舞い「赤穂浪士の討ち入り」
               「槍さび」 鈴々舎馬桜
            総踊り「二つ巴」 世之介 久美 金兵衛 喜せん
                     春水 三三 馬生 窓輝 金八
                       圓窓(吉良上野介)


 注目していた窓輝・笑生の掛け合いは、案の定、ああああ……、であった。
 定九郎役の窓輝は刀を右に差すやら、尻端折りはできぬやら。相手の笑生もそれに
気付く余裕もないのか、注意もできず……。
 とどのつまり、世之介が袖から「逆、逆」と小声で教えるやら、あたしが舞台に飛
び出すやら。
 帰宅して、そのビデオを見たが、何度見ても悲しい滑稽。
 窓輝に「この失敗を将来の芸談にするんだぞ」と一言、二言、三言。


 はねて、前のインド料理屋で打ち上げ。


「来年の企画は"全国落語巡り"はどうでしょう。ロビーで物産展を開きたいのです」
と、国立演芸場側にちらつかせておいたが……。

2003・2・10 UP








 〔舞台落語〕の名称由来
1999年(平成11)年12月





いずれ広辞苑にも載るような命名を          文  三遊亭 圓窓


 国立演芸場でやった[夢現実焙茶湯煙]は、落語の[ほうじの茶]を大きく舞台用
にアレンジしたものです。
 分類上の呼び名はまだないので、今、あたしは名称を考えております。
 造語は、大好きですので。(笑)
 今日、楽屋話、座敷咄、高座噺、寄席噺なんという言葉はあるようです。
 この噺の形式は高座での普通の形の落語に、途中から広く舞台を活用して踊り、歌、
物真似、手品を披露する大勢の出演があるという歌舞伎模様仕立てになるのです。
 そこで、あたしは、歌舞伎+舞台+噺=〔歌舞台噺(かぶたいばなし)〕……と仮
に名を付けました。
 そんなことをコミカレの教室で大蛇さんらに相談したんです。
 相談した結果、いろいろ出ましたね。
  〔ジョイト落語〕  (異業芸とのジョイントになるから、いいんじゃない?)
  〔大喜利噺〕       (笑点を連想させるようで、どうかな、自信ない)
  〔諸芸噺〕      (大道芸の感じがしないでもないので、やめときます)
  〔餡子入り落語〕  (都々逸に”餡子入り”というのがあるから、下戸用に)
  〔五目噺〕      (これもいいけど…、腹の虫がグーッとなりそうだな)
  〔飛び入り落語〕  (客が舞台へ「やらせろ」と出てきそうだから、よそう)
  〔折り込み噺〕  (”折り込み都々逸”という使い方があるけど、どうかな)
  〔歌舞入り落とし噺〕    (浪曲の”唄入り観音経”からとったんですが)
  〔舞台噺〕         (高座だけでなく、舞台で大勢で演ずるんだし)
  〔芸揃い舞台噺〕    (長過ぎるかな? でも、寿限無ほどでもないから)
  〔歌舞台噺〕   (ちょっと作り過ぎで、耳からではわかりにくい点がある)


〔舞台噺〕と短く言うのも良いのではないか。
 本来、高座では落語。舞台では大勢の歌舞。そこで、あえて舞台で落語を披露する
ということで〔舞台噺〕。
 帰宅してまでも、考えたんですよ。
〔寄席芸舞台噺〕ってぇのはどうでしょう。


 いろいろ悩みますが、これが一つに決まれば、(すぐ決まります。あたしが、いい
と言えばいいのですから)国立演芸場に申し出て、来年のポスター、チラシにも載せ
ます。
 いつか、広辞苑にも載るようにしたいですね。
こういう夢を描くって、いいですよ。費用はかからないし。(笑)





後世に名前が残るなんて いいですね           文  棒茄子


 名付け親になって広辞苑に載リ、後世に名が残る…って、いいですねェ。
 こういうのに、妙に張りきっちゃうアタシです。
 そうですね。〔怪談噺〕〔芝居噺〕なんてありますから、やっぱり漢字三文字がは
まります。
〔舞台噺〕はいいですね。
あと、折りこみ噺も〔折込噺〕と表現すると、ピタッときますね。
〔折込噺〕に一票投じます。字は〔織込噺〕の方がきれいですよ。





大勢で広く というイメージで             文  三遊亭 圓窓


 棒茄子さんへ。
 あたしも、〔折込噺〕、これはいいと思った瞬間もあったんですが、〔音曲噺〕も
〔芝
居噺〕も、折り込んだものですよね。
 大勢で広く、というイメージを表すには、どうしても〔舞台噺〕に食指が……。





極付舞台噺 としたいが                 文  ただしろう


 師匠にゴマを擂るわけではありませんが、〔舞台噺〕に一票です。
 伊東清先生の著作によると、〔芝居噺〕が完成したものは〔正本芝居噺〕というそ
うです。
 で、「正本」というような言葉が付くと箔が付くように思うんで、「極付」を付け
〔極付舞台噺〕にしたらどうかと思いましたが、ちょっと、大上段で忸怩たるところ
があります。
 結局、〔舞台噺〕に入れときます。





「正本」とは?                     文  三遊亭 圓窓


 ただしろうさんへ。  
「正本」というのは? 一番、正しいということですか?





「正本」とは ですねェ                 文  ただしろう


手許にあります〔正本芝居噺(伊東清著)〕のその解説の項摘記します。


 正本芝居噺の「正本」とは、柳亭種彦(1783<天明3>年ー1842<天保1
3>年)が1816<文化13>年の33歳の時に著した「正本製」(しょうほんじ
たて)の〔偐紫田舎源氏〕(にせむらさきいなかげんじ)が好評で、合巻(注、文化
年間以後、江戸で刊行した草双紙の一種。絵入り長編小説)の代表作者としての地位
を築き上げるきっかけとなった。
 これはすべてが歌舞伎の脚本風に書かれ、ト書や舞台の道具立てをしるす等、挿絵
も当時の人気役者の似顔絵になっていて、その背景の装飾や調度品も芝居の小道具風
に描かれ、読む者があたかも芝居見物をしているかのように思わせるものであった。


 なお、辞書で正本を引いて見ると、
  1 副本に対するー原本、登記所の台帳。
  2 省略のない本。丸本。
  3 浄瑠璃の詞章に節回しを記入した本。
  4 脚本。台本。
 とあって、歌舞伎脚本風に仕立てた戯作というのを語源にもらって、歌舞伎風の噺
として、〔芝居噺〕をそう名づけたのではないでしょうか。





「正本」とは〔正本芝居噺〕が最初?        文  三遊亭 圓窓


「正本」という言葉は、〔正本芝居噺〕が最初ということですか?
 あるいは、それ以前に使われていたということですか?





本のタイトルに使ったのは最初でしょう        文  ただしろう


「正本」という言葉については、種彦が初めではないと思います。
 ただ、本の題として使ったのは初めだと推測します。


  2 の丸本は、さらに辞書で「丸本」を見ると、特に全編を一冊に納めた浄瑠璃
本とあります。
  3 の浄瑠璃本の詞章に節回しを記入した本も「正本」ということですから、と
いうことで、浄瑠璃の世界では前から「正本」という言葉は使っていたと思います。
丸本は院本とも書き、これは私も聞いたことがあります。
 ただ、台本の全部を書いたものを「これは正本だよ」と仲間内で使ったとは思いま
すが、「正本何々」と題付けにしたものはないと思います。
 そこで、種彦は自作の小説を歌舞伎浄瑠璃の台本風に書いたものだから「正本・・」
と名付けのではないでしょうか。
 その意味で、これ以前、また、これ以後も、私の少ない知識ですが、「正本・・」
という本の題は聞いたことがありませんから、種彦が最初としていいのではないでし
ょうか。
 そして、芝居噺はこれをいただいたものと考えられます。
 でも、これも、〔正本芝居噺〕は辞書には(広辞苑にも)掲載なく、落語界だけで
いう楽屋言葉の域を出ないようです。
 いずれにしても、「正本」は歌舞伎風に演じられる台本、あるいは小説ということ
になると思います。
 すみません。推測が多く、要領を得ませんが、いまのところ一応この辺で。





〔正本高座本〕としようかな              文  三遊亭 圓窓


 あたしは自分で演る落語をパソコンからプリントアウトしたものを〔高座本〕と名
づけました。
〔正本高座本〕としても、いいかなぁ。(笑)





〔正本高座本〕 いいじゃないですか         文  ただしろう


 ここで言っている「正本」は、あくまで歌舞伎が基調のようですが、私は、初めに
〔正本芝居噺〕という言葉を読んだときの「正本」は、民謡などの「正調とか、これ
が正統派のものである」とかいうイメージに解しておりました。
 その後、辞書などで調べて、さきにUPしたような意味を知ったものです。
 そして、その中には登記などの正本の意味もあり、オリジナルの基本ものの意味で、
〔正本高座本〕と名づけても構わないと思いますし、〔正本舞台噺〕(これも格好い
いじゃないですか)も差し支えないように思います。





〔折込芝居噺〕はどうですか?                文  代脈


 先日のコミカレであたくしが〔折込噺〕を提案したので工夫を重ねて、〔舞台噺〕
と〔折込噺〕を合わせて、〔折込舞台噺〕はどうでしょう?





こうなると 迷うなぁ                  文  三遊亭 圓窓


 あたしも、〔なんとか舞台噺〕にしようかとも、考えたことあります。
〔折込舞台噺〕もいいなぁ。〔寄席芸舞台噺〕〔諸芸舞台噺〕……。
 どうしようかなぁ、あたしは、迷う性分で。(笑)





名付け 大賛成です                    文  岡田晴彦


 師匠の〔夢現実焙茶湯煙〕は、寄席の芸に新しい展開の可能性を秘めたもので、そ
れに名前を付けるのは大賛成です。
〔織込噺〕もきれいでいいと思いますが、あの立体感をイメージすると、〔舞台噺〕
に、一票入れます。





〔舞台噺〕では劇中落語の感じがして・・・        文  無銭


〔舞台噺〕の賛成が多いようですが、どうも気になって年越しが出来そうにないので、
書き込みました。
〔舞台噺〕というと、〔劇中落語〕のような印象がしてしょうがないのですが。
 芝居だけを折り込むのなら〔舞台噺〕でも良いのでしょうが、声色あり、踊りあり、
そして、これから色々な芸が加わるのだと思いますので、〔演芸噺〕なんぞは如何で
しょうか?
 どこぞの湯治場での余興みたいな感じもするのですが、当面〔演芸噺〕しか思い浮
かびません。
〔折り込み演芸噺〕か、たくさんの芸を盛り込むので〔盛込演芸噺〕はどうでしょう
か?
 登録商標「盛込演芸噺」、略称を〔演芸噺〕と考えてみました。





〔舞台落語〕と決定!!!              文  三遊亭 圓窓


 いろいろと、ご意見をいただきましたが、〔舞台落語〕と命名しました。
 江戸時代、「噺」「咄」「話」と言われたものが、明治時代になって一般に「落語
」 と言われるようになったそうです。
 あたしも〔民話落語〕〔仏笑落語〕〔古文落語〕などと、己れの創作絡みの作品は
整理分類上、「落語」というようにしてますので、〔舞台落語〕と決定させてもらい
ます。
 今後とも、よろしく。


夢現実焙茶湯煙]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/ほうじの茶
2002・5・12 UP







 舞台落語 第4弾 [色迷間借店・貸さねぇ

(いろまようちょっとかりだな・かさねぇ)

[音曲長屋]より圓窓脚色
国立演芸場・企画公演[色迷間借店・貸さねえ]
        平成13年11月中席




楽しかったですよ
 文筆  も て


 11月13日、夜9時過ぎ、無事に帰宅しました。
 今日は先ず朝から、行きの電車が送電線の事故で30分遅れました。
 帰りの東京駅では東北新幹線が停電のため動かないと放送中。
 一瞬、名古屋へ帰れないのではと思いましたが、東海道のほうは動いてました。


 感想は、いやいやぁー、とても楽しかったですよ。行ってよかったです。
 師匠の創作舞台落語[音曲長屋]は踊りあり、獅子舞ありの熱演で、踊り大好きの
私は頬が緩みっぱなし。
 噺家さんは、本当に芸達者です。
 師匠は大家さんの役で、店子になりたい志願者の芸をオーデションするという趣向。
 最終日の20日は、師匠も踊られるそうです。
 もし、ご参加されるなら、20日がお奨めです。


 国立演芸場の帰り、師匠と新井和尚とそのお妹さん(窓門会の人)にくっついて食
事に行きました。
 新井さんって不思議なお方で、やることすべてが面白くて失礼ながら笑ってしまい
ました。
 食事をご馳走になったのに、勘定中の新井さんを置いて、とっとと帰ってしまう師
匠と妹さんと私。(圓窓注:和尚はレジで出したカードがどうのこうので、手間取っ
ていたのでした)
 何度、振り返っても姿が見えなくて、ついに地下鉄に乗ってしまいました。
 薄情な者達だと思われたでしょうね。
 師匠は、そのあと踊りの稽古に行くのだとおっしゃってました。
 ですから、20日は絶対にお奨めです。
 そうそう、窓輝さんは踊りを2曲マスターされました。
 緊張の面持ちで、口が曲がってましたけど、ちゃんとこなしてましたよ。
 ニ枚目振りがますます上がって、人のを見ないで踊るようになればもう最高。
 今夜は楽しい夢が見られそうな・・・もてでした。




レポート よろしく 
文筆  圓 窓


 もてさん。
 わざわざ名古屋から、ありがとうございます。
 また、本格的なレポート、よろしくお願いいたしますよ。
 きっとですよ。




師匠は注文の多い噺家です
文筆  も て


 師匠っ。
「レポートを書け」なんて、簡単に言わないで下さい。(笑)
 師匠は人に「書け」と言いながら「粗筋は要らない」の、「校正ばかりするから、
文が面白くない」の、「長すぎる」の、「短すぎる」のって、まるで〔注文の多い噺
家〕ですよ(笑)
 みなさ〜ん。
 これ、みんな師匠がアタクシにおっしゃったお言葉ですよー。(笑)(笑)
 昨日は、気楽に聴いてたんで、書けましぇーん。(笑)
 とても楽しい会だったことは、折り紙つきで保証します。
 師匠の踊りをみることが出来たら、書けたかもしれません!?




同感です 
文筆  仮 名


 もてさん。
 もう、まーーーーーーーーーーーったく同感です。(笑)
〔注文の多い噺家〕には同感ですけれど、私はもてさんのレポートの大ファンなので
す。
 もし、気が向かれたら、師匠にだけ内緒で(笑)、詳しいご感想などをお聞かせくだ
さいませ。




感想記 でっち上げました(笑)
文筆  も て


 仮名さん。
 パソコンの調子が悪くなって、昨日半日、使えませんでした。
 感想は職場からのメールで仮名さんへお送りしました。
 師匠に抗議をしましたら、ML浮世床のメールがぱったり途絶えてしまったような
気がします。
 皆様の気分を大いにシラケさせたこととお詫びいたします。
 仮名さんがやさしくフォローしてくださったので反省。
 そして「長いような、短いような粗筋ばかりの感想」をでっち上げました。
 仰せのとおり(!)、師匠宅へ送信いたします。


 教訓:これからは、変装して落語を聴きに行きます(笑)
    師匠に見付からないように。レポートを頼まれないように。(笑)




真似させて  
文筆  仮 名


 もてさんってばぁ・・・ だぁれもシラケたりなんかしていませんよ。
 ・・・って言っても、他の人のことはわかりませんが。(笑)
 みなさん、忙しかったりして、取っ付く話題がなかっただけでしょう。
 ・・・って言っても、私がシラケさせたのかな?
 いえいえ、そんな気の弱いもてさんや私であってはいけません。キッパリ。
 ・・・って言っても、「お前だけはちっとは気が弱くなれ!」と言われそうですが。


 ・・・って、弥助さんの作文に刺激されて、繰り返しワザを使ってみました。
   もて「 仮名さんがやさしくフォローしてくださったので反省」
 やさしくもフォローもなく、本心を書いてみただけです。
   もて「長いような、短いような粗筋ばかりの感想をでっち上げました。 仰
     せのとおり(!)、師匠宅へ送信いたしました」
 おおっ! 待ってました!
   もて「 教訓:これからは、変装して落語を聴きに行きます(笑)
 私も真似させていただきます。(笑)




学究肌の師匠 
文筆  無 弦


 少なくとも抗議なんてニュアンスで読んだ人なんているのかな?
 面白かったですよ。「へー、そうなんだ。学究肌の師匠らしいなぁ」っと。
 また、「それだけ信頼を受けているもてさんだからこそなんだな」と思いました。
 土日は元々書き込みが少ないんですよ。
 もてさんは優しいのですね。
(小生なんぞも少し前に感想を書いて反応が無かった時はとっても気になったものな
ぁ・・・・気持ちは分かります)




立ち見の盛況
文筆  弥 助


 11月17日、国立演芸場へ行ってきました。
 当初、母と行くはずだったのですが、妹のお産の関係で行かれなくなり、落語好き
の友人と行くことになりました。
 こんな番組でした。


  駒丸  [子ほめ]
  窓輝  [幇間腹]
  ナンセンス(漫才)
  吉窓  [善哉公社]
  市馬  [藪医者]
  春水(講談[静の舞])
  馬生  [鮑のし]
    中入
  世之介 [時そば]
  菊春  [豆屋]
  久美(奇術)
  圓窓 舞台落語
    [色迷間借店(いろまようちょっとかりだな)・貸さねえ]
      本日の舞台
       @ 踊り”春雨” 春水
       A 形態物真似  世之介
          a 正蔵改め彦六 b 三平 c 元政治家の噺家 談志
       B 歌謡浪曲”紀伊国屋文左衛門” 市馬
       C 総踊り”六段くずし”
          前列左から 春水 菊春 久美
          後列左から 吉窓 窓輝 世之介
       D アンコール 総踊り"並木"
          なぜか 窓輝だけ抜ける


 ピンポイント感想
 吉窓さんの[善哉公社]は、いつ聞いても笑える爆笑ネタ。とても楽しかった。
 世之介さんの[時そば]、柳派とはまた違う独自の面白さ。落語家の物真似も面白
かったです。
 市馬さんの歌謡浪曲、長い曲を絶唱。あまりに長かったので、圓窓師匠が小言をい
ったけど、最後まで歌いきりました。
 総踊り、おみごとでした。


 今日は一日とても楽しませていただきました。
 立ち見も出る盛況。
 圓窓師匠、どうもありがとうございました。




タイトルを教えてください 
文筆  も て


 国立演芸場で聴いた出し物で、題名がわからなかったものが2つあります。
 鈴々舎馬桜さんの演じた落語「借金が200円ある男が、持参金目当てにひどいブ
スの女を嫁にもらう話」の題名と、一龍斎春水さんの講談[ガンキロウ]?の字がわ
かりません。
 横浜の遊郭の名前です。
 どなたか、お教えくださいませ。




ホームページで調べました 
文筆  仮 名


 私ごときが出る幕ではないのですが、今夜は暇なので・・・
「今夜は」です。
 いつもの週末は忙しいんです。(と見栄をはっておこう)


 文字通り〔持参金〕というお噺でしょう。
 いえいえ、知ったかぶりはいたしません。
 かの〔ただしろう大蛇・落語大事典〕で、語句検索をしたまでのこと。


 一龍斎春水さんのホームページを覗いたら、”ネタ”のところに”岩亀楼亀遊(露
をだに厭ふ大和の女郎花降るアメリカに袖は濡らさじ)”という一行を発見しました
が、これでしょうか?
 一龍斎春水さんって、宇宙戦艦ヤマトのヒロイン(?)森雪の声をしていた方なん
ですね。びっくり仰天しました。
 転身して講談師ですか。いいですねぇ。私も、噺家が無理なら・・・・(笑)




あまりにも むごい噺 
文筆  ばちあたり


 はい、まごうことなき[持参金]という噺です。
 上方落語の重鎮、桂米朝師匠が得意にしています。
 元々は関西の噺ですが、東京でも最近よくかけられています。
 有名なところでは三遊亭小遊三師匠の一門、あるいは五街道雲助師匠が良く高座に
かけていらっしゃっています。
 元々の噺はもっと長い噺で、最後にはこのブスの女は、子供が産まれないで死産で、
何か桶やら穴やらの中に突き落とされて死んでしまうと言うサゲらしく、あまりにむ
ごいというので上方の方で変えられて、今の「金は天下の回りものだなあ」というサ
ゲになったと言われています。
 私も結構好きな噺です。




扇遊師匠の上手さ  
文筆  も て


[持参金]についてお教えくださいまして、ありがとうございました。
 この噺、明るい噺に聞こえたんですが、実際は残酷な噺なんですね。
 ところで、嫁を世話する仲人らしき人物が、無理やり嫁を押し付けてそそくさと逃
げるように帰る、それと同じようなシーンを今日の落語会で聴きました。
 蒲郡落語会で入船亭扇遊師匠の独演会での[垂乳女]が、いわゆる仲人口です。こ
ちらは明るいお話で安心して楽しめました。
 他の出し物は[干物箱]と[鼠穴]でした。
[鼠穴]ではMLで弥助さんの言った「夢は五臓の疲れ」シリーズを思い出したりし
ました。
 扇遊師匠、とても噺の上手い方で、志ん朝師匠を彷彿とさせる江戸弁でした。
 風邪気味なのに欲張って出かけて、帰りは暖房の効いた電車でつい居眠り。もう少
しで乗り過ごすところでした。
 関山先生は、ますますお元気。舌(絶)好調!
「来年、3月は圓窓師匠の独演会です。まだ、師匠に連絡を取ってませんが・・・」
ですって。
 そして、1月は含笑長屋でも圓窓師匠の会が開催されるそうです。
 なつかしい長屋!!です。
 皆様もぜひお出かけくださいませ。




扇遊師匠の上手さ  
文筆  も て


  仮名さん、無弦さんに慰めていただき、元気がでました。
 実のところ、師匠のおっしゃることがあたっているだけに、口惜しいんですね。
 落語を演じるのと同じく、聴き手にも高いレベルを要求される師匠ですので、アハ
ハッと笑っているだけのワタクシなぞ、まず噺を思い出すのに苦労します。
 しかも、演じられた題名すらわからない・・・


[持参金]、なるほどそのものずばりですね。題が噺と密接しているとは思いません
でした。
 講談の方も「岩亀楼・亀遊」に間違いありません。でも、亀遊がキュウと聞こえた
んです。耳の掃除もしなくては。
 HPを見るという手がありましたね。
 春水さんは「可愛い声と顔をしていて、小林幸子に似ている」と自分で言ってまし
たが、確かに似てます。




来年6月 末広亭でも  
文筆  圓 窓


 女性にいじめられるのは、だいぶ慣れてきてますので、平常です。(笑)
 レポを書いてくれる人は、一様にああだこうだと言うもんです。(笑)
 最後にはいい文章を書くだけに憎いですね。
 というわけでありがとう。


 毎年、この時期は風邪で苦労するもんで、気を遣いました。
 Eメールもちょっと休んだりしました。
 なんとか、国立演芸場が千秋楽。
「来年もまた」ということです。よろしく。


 それと、もう一つ、嬉しいことがありました。
 千秋楽に、末広亭のお席亭が客席から見てくれてました。
 はねて、楽屋へきて、「来年、うちでも演って下さい」ということです。
 寄席側からの注文ですから、願ったり叶ったりですよ。
 六月の上席の夜の部を予定してます。
 梅雨入り前で、いいのではということです。
 十日間、連日満員にしたいなぁ。
 ご協力のほどを。




「末広亭でも」は 嬉しいこと
文筆  あきら


 おめでとうございます。
 体調のつらい時期と忙しい時期とぶつかってらっしゃるみたいで、心配しておりま
した。
 末広亭で企画物というのは、喜ばしいです。
 しかも、師匠にとっては体調子のいい時期で良かったと思います。
 できる限り協力いたします。
 ですが、来年の6月自分の予定は皆目わからない。(笑い)




末広亭の次は 歌舞伎座で
文筆  無 銭


 圓窓師匠、おめでとうございます。
 総見、総見、Ukiyodoko あげての総見。
 これっきゃないでしょう。
 揃いの派手な緋縮緬に、、、綺麗どころをずらっと並べて、、(>_<)\ばき!(>_<)\
ばき!
 末広亭の次は、歌舞伎座あたりで、、、(笑)




末広亭 やるじゃないの! 
文筆  無 弦


 末広亭の企画物、ご出演の由、おめでとうございます
 細腕ながら?? 小生も協力いたします。
 そういえば、、、、
 志ん朝師匠を最後に聴けたのが、今年初夏の頃の末広亭でした。
 そのとき、前口上で、末広亭の事を心配しておられたのが印象に残っておりますが、
でも、お席亭やるじゃありませんの!




総見に向けて   
文筆  あきら


「底力の見せ所」と言われれば、何を置いても実現しなきゃですね。
 それじゃ、たとえそれが原因で失業しても総見に向けて準備しましょう。
 あとは無銭さんに任せた!




早く師匠の踊りを見たい 
文筆  も て


 師匠は「女性にいじめられるのは、だいぶ慣れてきてますので、平常です。(笑)
 とおっしゃいますが、「いじめる」だなんて、人聞きの悪い・・・・・
 私は〔注文の多い噺家〕の称号は当分撤回しません。(笑)
 が、師匠のご批判は本当のところ、そのとおりで的を射ています。認めるのにやぶ
さかではありませぬ。
 それでレポートですが、噺の題がわからないのが2、3あり、「?」ですませてい
ます。訂正版を出すのもやぶさかではありませんが、そうなるとまた直したくなりま
すので、師匠、正しい答えをはめてください。お願いします。


 末広亭からのお話、おめでとうございます。
 一回の興行で終えるのは、もったいないと思ってました。
 噺家がそれぞれの落語を演じてから、最後に[色迷間借店]で意外な、また得意な
一面を見せる粋な趣向。とても楽しかったですもの。
 今度は師匠の踊りをぜひ見たいものです(こればっかり言ってます)




舞台落語の本格的感想記 
文筆  も て


 地方(名古屋)にいても、落語の会は結構あります。
 しかし、寄席の雰囲気をこよなく愛する者としては、ホールの落語は何かが足りな
い気がします。寄席のざわめきや高座と客席との空気のつながりが濃密でないような
気がするのです。
 だから、私は東京へ行くんです。
 いやあぁ、そんなえらそうな理由ではなくて、師匠の企画物・舞台落語[色迷間借
店貸さねぇ]の案内を見たとき、「行けたらいいなあ! なんとかして行きたいもん
だ!」と強く思ったんです。
 幸い、代休も残っているし、明日は何が起きるかわからない身の上(それは誰しも
のことですが)ですし、チャンスを逃がさず決行することにしました。
 国立演芸場はもう何度目になるでしょうか。
 街中の寄席の雰囲気には及びませんが、この日は特に団体客が多いせいか、客席、
ロビーも賑わいがあって、音楽会とはまた別の趣があり、だんだんこの演芸場に馴染
んできている私です。
 落語家は400人いるということですから、私がそのホンの一部しか知らないのも
当然。
 そして、噺の数は500はあるということですから、これも知っているほうが少な
いのも当然! と胸を張るほどのことでもありませんけど。
 その数少ない知っている落語家の第一は吉窓師匠です。
 この方がにこにこ笑って出てくるだけで、場内がパアッと明るくなります。
 この日の着物は黄色で、高座に座って自己紹介しながら、さりげなく頭の毛につい
て言及していきます。
「よくお客にお前の髪は、これから生えるのか、それとも生え終わったのか? と聞
かれます」
 一斉に注がれる吉窓師匠の頭への視線。
 美人のママさんが一番ハンサムだって言ってくれたという話のオチ。
 こんなに面白い人だったの?
 落語は[都々逸親子]。
 こまっしゃくれた子どもと貧相な父親の都々逸合戦。
 宿題の英語を読むはめになったお父さんが、首をグルグル回してストレッチする仕
草が面白くて大笑い。吉窓師匠のペースに巻き込まれてしまいました。
 この日の番組は、前座の古今亭いち五[元犬]、柳家三三の[三人旅]、漫才のナ
ンセンス、三遊亭吉窓[都々逸親子]、鈴々舎馬桜[持参金]、一龍斎春水[岩亀楼
亀遊ぶ]、金原亭馬生[目黒の秋刀魚]、初音家左橋[粗忽の釘]、古今亭菊春[道
具屋]、花島久美の奇術、そして目玉はもちろん圓窓[色迷間借店・貸さねぇ]と盛
りだくさんの趣向です。
[色迷間借店・貸さねぇ]では、師匠は普通に高座をやるときと同じように噺を始め
ます。
 あれ? 踊りや芸事を見せてくれるのじゃあなかったの? 噺だけなら、それはそ
れでも、いいんですけども・・・
 師匠は、若干声がかすれるときもありましたが、何より大家さんのゆったりとした
口調とばあさんのかわいらしさがいい味です。小金をためた老夫婦のゆとりすら感じ
られます。でも何より芸事が好きでたまらない大家の楽しみが、客の期待と一体とな
って誰が何をやるのかしらんとわくわくしてしまいます。
 店子志望第1号は、柳家三三さんと窓輝さん。袴姿も美しく時代劇に出してもいい
ような舞いで〔槍さび〕。窓輝さん、口元がまるで何かを思い出すように動いてます
が、きれいに舞えました。
 続いて馬生さん、菊春さんの二人は菊春さんが〔獅子舞〕。これは本当に上手かっ
た。この菊春さんの[道具屋]の与太郎はアホ面と間抜け声で、本当に馬鹿じゃあな
いかと思ったほどリアルでした。顔の変化が自在で、その顔で得しているのか損をし
てるのかわからない人です。
 初音家左橋さんの〔河太郎〕の踊り、河童の所作が巧み。
 最後は7人で、扇を持って〔六段くずし〕の総踊り。猛特訓の成果が見られた踊り
でした。
 3時間半に及ぶ高座は、落語がたっぷり聴けて、噺家さんの粋な踊りが見られて絶
対に楽しめます。
 しかも、この安さ(1700円)です。
 ただ一つ、心残りは圓窓師匠の踊りが見られなかったことですね。
 師匠。
 楽しい企画をありがとうございました。
 また、次のシリーズを期待しています。


[音曲長屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/音曲長屋
 [色迷間借店・貸さねえ]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/色迷間借店・貸さねえ
[子褒め]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/子褒め
[幇間腹]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/幇間腹
[善哉公社]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/善哉公社
[藪医者]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/藪医者
[鮑のし]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/鮑のし
[時そば]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/時そば
[豆屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/豆屋
[持参金]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/持参金
[岩亀楼亀遊]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/岩亀楼亀遊
[元犬]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/元犬
[三人旅]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/三人旅
[都々逸親子]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/都々逸親

 [目黒の秋刀魚]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/目黒の秋刀魚
[粗忽の釘]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/粗忽の釘
[道具屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/道具屋
2002・4・4 UP






落語見聞読・国立演芸場の舞台落語
[音曲質屋]より圓窓脚色 国立演芸場・企画公演
  平成12年12月上席8日 午後1時開演
文筆 ただしろう

舞台落語 第3弾 [芸沢山曲手質屋]

(げいだくさんまげてななつや)


見応え充分 これからも続けて


 この上席は通常の定席だが、圓窓師匠がトリで、ここ3年特別企画を組んでいる。
 今年は[芸沢山曲手質屋(げいだくさんまげてななつや)]と改題した[音曲質屋
]を楽屋総出で演じた。
 客席は平日の昼で、しかも師走の気忙しい時期なのに9分の入り。
 この頃は入りがいいのか、或いはこの企画の故か。何れにしても同慶。

 先ずは、出演順に紹介。
  前座の落語 鈴々舎バンビ [真田小僧]
  落語 三遊亭窓輝 [壷算]
       ツボを押さえて、聞きごたえがあった。クスグリの呼吸もよく、これ
       から楽しみ。
  落語 三遊亭吉窓 [山号寺号]
       軽い噺だが、楽しく聞けた。こういう噺が面白く聞けるのも大切。
      (以下、感想割愛)
  落語 金原亭世之介[辰巳の辻占]
  講談 一龍斎春水 [修羅場随談]
  落語 初音家左橋 [棒だら]
    中入り
  落語 金原亭馬の助[手紙無筆]
  落語 鈴々舎馬桜 [善哉公社]
  奇術 花島久美 
  落語 三遊亭圓窓
      楽屋一同 [芸沢山曲手質屋]
       この噺、もとは音曲噺で、音曲師が落語の筋立てで演じた「音曲質屋
       」。
       筋は町内の音曲自慢が、自分の芸を質入れにくる。それを質屋が品定
      めして金を貸すという趣向。
       今回は、落語の中で質屋の役を圓窓師匠。長屋の衆を当日の出演者が
      演ずるという形で、一席にした。
       まず、馬桜さんの登場。奴さんの踊りにアンコに声色を何人か聞かせ
      て質に入れる。なかなかうまい。声色では歌右衛門丈が得意のようで聞
      かせたが、圓窓師が同じ歌右衛門の声色で応酬したのが面白かった。
       次は世之介さん奇術。ハンカチを丸めた中から鳩を出す。本格芸で驚
      いたが、終わって鳩を懐に入れる際、それがゴム製の作り物とわからせ
      て沸かせた。ゴム製にしてもあれだけ本物らしく見せるのは立派。
       その次は左橋さんで、鶯の物真似。
       そして、馬の助さんの百面相。顔も小さん師匠に似て恵比寿様ほかを
      演じたが、今あまりやる人がいないので、貴重だと感じた。 
       最後は、この人々に吉窓、春水、久美、窓輝のみなさんを加えての総
      踊りで幕となるが、これも見ごたえがあった。


 落語家の皆さんはそれぞれ隠し芸を持っていて、日頃は文字通り隠しているが、こ
うして並ぶと見ごたえがある。
 この趣向、大いに楽しめるので、これからも続けていただきたいものだ。
2002・3・9 UP  






 舞台落語 第2弾 [夢現実焙茶湯煙]

(ゆめうつつほうじのゆけむり)

[夢の枕屋]より圓窓脚色
国立演芸場・企画公演[夢現実焙茶湯煙]
平成11年12月10日(上席の千秋楽)





興奮さめやらず キーボードを叩いた

文筆  岡田 晴彦


 久しぶりのメールですが、ただいま、国立演芸場から帰宅したところです。
 圓窓師匠の掘起し脚色落語第二弾 「夢現実焙茶湯煙」を観賞して興奮さめやらず、
2時間近い電車の中で繰り返しその面白さを反芻し、師匠のすごさと、寄席の持つ可
能性を考えていました。
 以下、とりあえずの感想 二つ三つ。


 〇 以前聞いた[ほうじの茶]も面白かったが、今度のははるかにスケールアップ
されて、しかも、ホール落語ではない、まさに寄席の可能性を感じさせてくれました。


 〇 馬桜の武骨な振りの踊り、さん八の迫真の物真似、そして楽屋総出の賑やかな
踊り。
 いや、客席は大いに盛り上がって、最後に落語らしい下げ。


 そういえば、今日は出演者みな、熱演でしたね。
 吉窓[半分垢]、馬桜[一眼国]、さん八[紙入れ]。
 色物もきれいどころが揃っていて……。


 〇 幕が降りて、充分に堪能した客が出口のほうに向かって少しして、舞台の方か
ら三本締めが聞こえてきました。
 帰り始めた客は、もう一度、楽しさを出演者とともにかみしめたような……、いつ
もとちがう千秋楽の余韻でした。


  師走の夜 楽の手締めに 送られて 晴坊


 これを企画し、演出した円窓師匠の力に感服した次第。
 ありがとうございました。
[夢現実焙茶湯煙]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/ほうじの茶
[ほうじの茶]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/ほうじの茶
[半分垢]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/半分垢
[一眼国]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/一眼国
[紙入れ]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/紙入れ
2002・6・25 UP





 12年ぶりの落語ライブに興奮しました

国立演芸場
平成12年7月18日(火)
文責 麗
 圓窓師匠から国立演芸場のチケットをいただいて、ライブを楽しみました。
 後日、レポートの提出を求められ、「まさか、こんなことでレポートを?」と、ち
ょっとびっくりしました。ボンヤリ聴いている場合ではなかったのですね。
 そこで、思い出すままに・・・。


< 実は昔・・・ >
 落語を聴くのは実に12年ぶりのことで、新鮮でした。
 12年前には、職場の旅行の企画の一つとして、新宿末広亭で聴きました。両サイ
ドがちょっと斜めになった畳に座って聴いたのを覚えています。
 残念ながら内容まで覚えていませんが・・・。それでも、落語を聴きに行ったのが
初めての私にとっては、テレビの〔笑点〕の世界が身近に感じられた、そんな感動が
ありました。


< さて、国立演芸場 >
 珍しく平日に休みだった私は、13時開演だから、楽勝! と思い、晴海埠頭行き
のバスに乘り、10分程前に到着。
 受付の所には「立見」の看板。落語人口の多さに驚いてしまいました。
 頭を使って笑うことを、人々は求めているのだな〜ぁなんて思ったりしました。
 全体的に高齢の方が多かったけれど、若者も負けていてはいけないと感じました。
 沖縄サミットを間近に控えた永田町界隈は警備が厳重だったけれど、国立演芸場で
落語を聴くというゼイタクを味わう快感におもわずハマリそうです。


< 圓窓師匠の落語を聴く >
 今回の円窓師匠の話[飛ぶ鉄鉢]を聴いていて、落語は口伝であることがわかった。
 そして、習っている茶道と共通する点を発見した。茶道の世界でも、奥伝といって、
本などには点前(てまえ)の手順等は書かれておらず、師匠から直接教えられる。
 私もある意味では、話をすることが商売(高校教員)なのだが、今回の落語を聴き
に行って、人に聞かせる話術を身につけたいと、つくづく思いました。
 そのためにも、時間を作って、どんどん落語を聴きに行こう! と思っています。


麗さんへ 返シ〜〜ン(圓窓 記)


> 話をすることが商売(高校教員)なのだが、今回の落語を聴きに行って、人に聞
> かせる話術を身につけたい


 よくぞ、お気が付かれました。
 あたしの落語[ぞろぞろ]が、今年(平成12年度)から小学4年生の国語<下>
の教科書(教育出版発行)に掲載されます。この教科書は全国シェア20%だそうで
すから、これで日本の将来の20%は明るいと期待出来ます。
 一度、その教科書を覗いてみて下さい。
 そして、高校の教室でも落語の良さを活用してください。
2000・7・29 UP







 椎名さまからの感想を読んで

文 圓窓


 椎名様からの感想文([夢現実焙茶湯煙]は楽しめた)を読んで、企画、出演者と
して、とても嬉しかった。
 というのは、企画の段階で、さん八さんに「手を貸してくれないか」と声を掛け、
国立の企画部には「人物の物真似が是非とも必要なので」と説得したあたしは、さん
八さんが褒められたことに関して、自分のこと以上に興奮したのである。
 早速、椎名様へ礼状を出すと同時に、さん八さんへは椎名様の文をファックスした。
 と、さん八さんから、すぐに返信のファックスがきた。
 ここへ転載します。



 圓窓師匠。
 昨日、お正月早々、椎名洋さんからの感想文、読ませていただき、こんな嬉しいお
年玉はございません。
 おかげさまで美味しいお酒を飲むことが出来ました。
 親戚でもない椎名様に「江戸落語を満喫」なんて言われると、ちょっと面映いので
すが、やはり嬉しいです。
 機会を与えてくださった圓窓師匠に改めて、感謝申し上げます。
                           
柳家さん八



[夢現実焙茶湯煙]は文句なく楽しめた

国立演芸場・企画公演[夢現実焙茶湯煙]より
        平成11年12月上席・二日目
文 武蔵野市・椎名 浄


 今回の圓窓師の[夢現実焙茶湯煙(ゆめうつつほうじのゆけむり)]は文句なく楽
しめました。普段からの高座がなんとなくマンネリ気味だったので、新風を吹き込ん
だ感があります。
 さん八師の昭和天皇の物真似はかねてより好評だったので良かったし、踊りも二日
目にしてはよく揃っていました。
 落語のほうは皆さんの熱演で、とくにさん八師はとても素晴らしく、江戸落語を満
喫しました。中入り後、さん八、馬桜、圓窓と続き、名人会級の楽しさでした。
 さん八師はとくに良いので、これからも定席のトリや名人会に出演していただけま
すよう、よろしくお願い申し上げます。
 今月の上席は大入り間違いなしと思っております。
 もう一日、見たいものを思っております。
2000・2・5 UP






 ただしろう寄席見聞読



国立演芸場 平成11年12月上席 企画公演より
文 ただしろう


と き:99/12/8(水)
場 所:三宅坂 国立演芸場 定席 上席 昼席
番 組:落語  鈴々舎わか馬(前座):堀の内
落語  三遊亭吉窓:都々逸親子
講談  一竜斎春水(はるみ):朝顔日記の内(本興行中連続口演の八日目)
落語  古今亭菊春:鴨とり
物真似 江戸家まねき猫
落語  金原亭馬生(馬治改め11代目):ざる屋
中入り
    落語  柳家さん八:親子酒
落語  鈴々舎馬桜:ぜんざい公社
奇術  花島久美
    落語  三遊亭円窓:夢現実焙茶湯煙(ゆめうつつほうじのゆけむり)
感 想: 
  吉窓[都々逸親子]は、はじめ、子供の英語の勉強を見てやる父親の悪戦苦闘ぶりが面
  白く、都々逸も楽しく聞けた。
  菊春[鴨とり]は、[鷺とり]または[雁とり]を鴨に変えたもの。季節に合わせたの
     だろう。鴨の取り方も頭を打つやり方で、時折オーバーな演技も効果があった。
  馬生[ざる屋]は、新馬生、落ち着いた語り口の中で明るさが生きた。 
  馬桜[ぜんざい公社]は、何度も窓口を往復させられる客の当惑が、伝わってくる。

   と、順調に進んで、いよいよトリの焙じの茶。演芸場、特別企画で期待に胸が踊る。
   幕は下りる。膝替わりが奇術の花島久美だったので、後片付けと準備のためだろう。
   客席が暗くなって幕が開く。
   円窓師が中央定位置の座布団に坐る。客席が暗いだけで、普通の寄席である。
   枕で、この噺は円生師匠から雑談時に、「こんな噺があるよ」と概略を聞いただけの
  ものだと話す。
   ストーリーは――――、
   幇間の一八が客の若旦那に呼ばれて、座敷へ行ってみると呼ばれたのは一人だけ。一
   八はいい機会とばかりに持ち掛ける。
  「このお茶の葉なんですが、これを、よく焙じて、お湯を差すとその湯気の中に、自分
   の念ずる人が現れるんです。試しにお見せしましょう」
    早速、若旦那が踊りが見たいというので、お茶を焙じて湯を差す。すると踊りが現
   れる。ついで、故人の落語、果ては、昭和天皇まで登場する(これはさん八さんの至
   芸)。踊りは一人の踊りは勿論、きれいどころを揃えての群舞がある。
   (演出としては、初めの湯気の登場時に高座も真っ暗にして中央の円窓師匠は下手に
   場所を移し、以後、最後に元へ戻るまで、その位置で人物を演ずる。そして茶を焙じ
   直すたびに、客席は暗くする。その暗転の間に若旦那が念ずる人を楽屋の出演者が入
   れ代わり立ち代り登場して見せるという趣向だ。一通り済んだところで師匠、中央に
   戻る)
    興が乗ったところへ、一八が下の帳場に呼ばれる。
    これ幸と、若旦那、自分で試そうとやって見る。一八がいつ戻るか心配なので、簡
   単にやると念ずる芸者にあらず、死んだ親父が出てきてどなりつけられる。
    そこへ一八が戻ってくる。「これは買えないよ。死んだ親父が出てきた。『不孝者
   !』と怒鳴られたよ」「ちゃんと、これ(焙じる仕草)しましたか?」「お前が戻っ
   てくると思って、簡単にやった」「ああ、法事が足りなかった」

 ひとこと:
   踊り、物まねのオンパレード。面白さといったらない。もっと聞きたい、見たいの気
   持ちで終わるのが残念。楽屋総出演という企画、照明の工夫。演出企画でこうも面白
   いものができるのかという見本。また新企画が見たい。
        
1999・12・19 UP




大衆芸能 脚本募集

 
応募期間:'99年10月1日〜10月31日
発表:'00年3月中旬
賞金:優秀作(各部門1作品)50万円  佳作(各部門2作品)10万円
選考委員 芸人+愛好家

原 稿 用 紙 の 枚 数
落語:400字詰め原稿用紙15〜20枚
漫才:400字詰め原稿用紙10〜15枚
講談:400字詰め原稿用紙20〜30枚
浪曲:400字詰め原稿用紙20〜30枚

詳しいことは、下記へ問合わせてください

国立演芸場 演芸課
〒102−8656 千代田区隼町4−1
T 03−3265−7163
F 03−3265−8771
                            
                          
1999・9・15 UP