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映画三昧

ヨーガスかわら版 月番控え帳 総見案内

2000年3月26日(日)
AM 11:15〜PA 14:40
新宿ミラノ座
ストーリー                   文責 圓窓
 サン・フェルナンド・ヴァレーのある日。
 死の床にあるテレビの大物プロデューサー、その人が捨てた息子。
プロデューサーの若い妻、そして、看護人。
 癌を宣告されたテレビのクイズ番組の司会者、それを憎む娘。彼女
に一目惚れする警官。番組に出演する天才少年。また、嘗ての天才少
年。
 その他、偶然、巡り合わせた人々、また、一見、なんの繋がりもな
い彼らが、互いの人生に絡み、あるいは、逸れていく。
 そして、ついに、その夜、思いも寄らない不思議な現象が彼らを襲
う。




『 長くて 疲れた 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 楽女(平岩佐和子)

「今度、ヨーガス長屋で『マグノリア』を見るんだ。」と周りの人に言うと、「私も
見たいと思っている映画ね」と返ってきました。しかも、幾人からもその返答は聞く
ことができた。例の如く、何も下調べをしていかなかった私は、どんな映画なんだろ
うと期待に胸を膨らませた。
 結果・・・・・ブー!
 面白くなかった。長くて疲れた。途中で帰りたくなった。
 劇的にしたいのか、淡々としたいのか、整理不足なので、伝わってこない。
 途中、各シチュエーションの登場人物が、一つの歌を分けてうたいながら、同じキ
ー・ワードを連呼して歌っているが、あれは、痣とい手法だ。ミュージック・ビデオ
・クリップじゃあるまいし、あの場面で、私はヘドが出そうになった。もっと、演技
や台本で、表現すべきだ。
 今回、長屋の総見に参加された矢島先生の、宗教的・道徳の布教映画(こういう言
葉は使っていなかったのですが、私が理解したまとめの言葉)からの見解は、かなり
うなずくことしかり。でなきゃ、アカデミー賞候補とまで歌わないよなあ・・・・。
あ〜、やだやだっ、圧力って・・・。
 ただ今、5月の芝居(黒テントの香港公演に、音楽&キャストとして参加)に向け
て稽古中の身。表現することの難しさを映画と照らし合わせて見てました。なんてこ
とない日常を表現しようとすればするほど、難しいんだよなあ。




『 ひとかたならぬ 思い入れが 』

感想文:ヨーガス長屋 隣り町 どばん亭(矢島道子)

 ヨーガス長屋総見の会に初めて参加させていただきました。
 どうもありがとうございます。


 『マグノリア』という題の映画ということで楽しみにしておりました。
 あれはつまらないよ、と耳元でささやいた人はいたのですが、断固無視して参加し
ました。
 それというのも、マグノリアにはひとかたならぬ思い入れがありました。
 マグノリアは泰山木という大きな花びらの花をつける大木のことです。
 日本へは中国からこの木が入りましたので、中国名が付いていますが、アメリカで
は、主に南部の木です。


 この木の名前は、私の先生から習いました。
「マグノーリアといって、ルイジアナの木だよ」と。
 私の先生はルイジアナへ留学されて、ミジンコの化石について勉強されて、それを
日本に流布された方です。
 マグノーリアには思い入れ深く、どうしてもルイジアナに行ってみたいと思いまし
た。


 ルイジアナには1987年に行くことができました。
 ミシシッピデルタの真ん中で、とても湿気が高いところでした。
 私は、バトンルージュだけ行って、ジャズで有名なニューオリンズには行ってない
し、満開のマグノリアも見てこなかったので、とても期待して映画を見に行きました。
 残念ながら、全然違いました。
 でも、ともかくも初めから終わりまで、アメリカ、アメリカでしたので、アメリカ
の復習をすることができました。
 カエルの雨も凄かったし……。

 そして、映画を好きな、美しい人々にお会いすることができて、とてもおもしろか
ったです。



『 カエルは形を変えて 誰にでも降ってくる 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 月番 良枝姫(長島良枝)

 この映画、最初は話をおうことに精一杯で、テーマをくむことなどできませんでし
た。
 帰りの電車の中でパンフを読み返し、ようやく「なるほど、おもしろかった」とい
う感想がうまれました。
 私自身、そろそろこれからのことを考える時期にきてまして、そんなときにあの1
2人の過去のしがらみによる迷い・苦脳をかかえてる姿は、とても身近に感じてしま
いました。
 映画のなかではカエルが降ってくること(=偶然の出来事)により、その迷いから
抜け出せ、新たに進み始めようとしています。
 そんな姿はよりよい人生を歩もうとする、前向きな姿勢なのだということを気づか
せてくれました。
 すると、今、抱えていることと向き合っていけるような気がしたのです。
 現実の社会ではカエルは形をかえて、誰にでも降ってくるもののようで、私にとっ
てカエルはこの映画となりました。




『 観たあとの 容量との戦い 』

感想文:ヨーガス長屋 隣り町 お富(富川麗子)

No1
 円窓師匠(平岩さん、文子さんがそのように呼んでいるので、私も習って・・・)
 先日は、おじゃましました。
 総見の最後に師匠が「レポートを提出しないと単位をあげません!」と、おっしゃ
っていましたが、「提出期限は聞いてないゾ」と、まるで他人ごとと受けとめていま
した。
 しかし、今朝、平岩さんからの伝言メールを受け取り、「私もひょっとしてレポー
トを提出しなければいけないの?」と、あせっています。
(私のメール、携帯電話のため容量が非常に小さいのです。
一回分、せいぜいこのくらいが限度です。
受けるのもこのくらい。
              ですから、この続きはNo2へ)

No2
 昨年11月。四人で美味しいお酒を飲んでいて、最近見た映画の話になったのです。
 一人はここ何年か映画を見ていないとのことで、この話題はパス! だったのです
が、残りの3人は声をそろえて「アイズ・ワイド・シャット」でした。
 まあ、「アイズ〜」の感想はさておき、「マグノリア」を見た翌日、たまたま「ア
イズ〜」を見た一人に会い、「最近、映画は見ていますか?」なんて聞いてみたので
す。すると、「マグノリア」を見たというのです。勿論、いきなり感想なんて聞きま
せんでしたが・・・。
         (ちょうど容量切れとなりました! ということでNo3へ続く)


No3
 ドキュメント タッチで、
私「どこで、見たのですか?」
友「新宿ミラノ座ですよ」
私「ちなみに、いつ見たのですか」
友「昨日(すなわち26日!)」
私「何時からのを見たのですか?」
友「3時からの・・・」
 時間が異なったということで、おたがい安心したのでありました。
 でもこれって、マグノリア現象?
 もう一人の友にあったら「マグノリア」を見たかどうか、聞かなければと思ってい
ます。
 同じ日、同じ映画館で見ていたら、ちょっと・・・。ねぇ〜。
(またもや容量が危うくなってきました。ということで、No4へ続く・・・)


No4
 さて、具体的に「マグノリア」の感想だが、きっと辛口の意見は多数出てくると思
うので、良い点を探してみた。
 監督のポール・トーマス・アンダーソン、彼はまだ若干30歳。その若さで、一応超
話題作を作った、それだけで私はすごい! と思う。
 今後の活躍に是非期待したい。


 この携帯の画面上でこれだけ長い文を書くのは、大変。
 前後の流れを確認するのが面倒なので、思いついたことを打っているので、「です、
ます調混合」の最悪の文となっているのでは? 失礼いたしました。




『 若い監督の力を感じる 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 マッコ(二口真規子)

 世の中の人々は、みんな何かの形でつながっていて
 みんなそれぞれ、人には言えない悩みを抱えていて
 その悩みが頂点まで登り詰めて
 どしゃぶりのカエルが降る…。

 結局、やっぱり「どしゃぶりのカエル」がリトマス試験紙だった、
と思いました。

 この「どしゃぶりカエル」が受け入れられたら、
 ぴったり自分の感覚にはまったら、
 この映画は私の中でたまらないくらい面白い映画の一本に
 なったのかもしれない。
 例え、それが意味があるか分からないほど長い映画だとしても。


 私も、カエルが降ったとき、瞬間自分が笑うかと思った。
 でも笑えなかった。
 気持ち悪さだけじゃない、なにかどうしても笑えない重さがあった。


 国民性の違いなのか、世代の差なのか
(この映画を撮っているとき、監督は20代後半)
 と思ったけど、どっちにしても感覚の違いなのだろう
 と思うのです。


 トムクルーズがどんなに頑張っても、
 どんなに他の俳優がいい演技しても
 カエルが降っちゃったらなあ、
 なんか、それで頭の中いっぱいになっちゃうしな〜。


 だから、きっと監督は、どしゃぶりのカエルが降ってくる"絵"が
 何よりも見たかったのではないか…
 と思います、やっぱり。


降っちゃったら…、降ったのを見ちゃったら
もう、それ以前の自分には戻れない、と思うもの。

 例えば、私が旦那と大喧嘩をしていて、こうなったら離婚か!
 という状態まできて、
 で、突然どしゃぶりのカエルが降ってきて


 ふたりでそれをしばし見た後に
「で、さっきの問題だけどね…」
 とはならないと思う、やっぱり。


 それは、火山の爆発とか、大地震とか、
 津波とか宇宙人襲来とかではなくて、
 トカゲやヘビでも駄目で、
 カエルでなくてはならなかったんだろうな。
 絶対に。


 それから、私は、監督の「力」を感じました。
 時間以上の上演時間、カエルの雨あられ、
 反対が無かったとは思えない、
 この映画をやり通すあらゆる意味での「力」は
 すごいものがある、と思います。
 自分の信じたものをやり抜く力、勇気、信念がなくしては
 とても出来ないことだと思うのです。
 ものを創る者は、そうあるべきなのでしょう。
 面白かった? と聞かれると 10秒くらい黙ってしまうけど
 絶対、忘れない映画だ、と言える貴重な映画でした。


 さて次は、どんな世界に連れていってもらえるのかな…
 楽しみです!



『 巡査に ホットしました 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 チビアン(日比野庸功)

 何年振りだろう、新宿で映画を観たのは。
 そんな私の相当錆びついた頭では、良く解らない内容でした。
 前編通じて映画が暗く、迫力ある音響、めまぐるしく変わる場面、教祖の主人公親
子、それぞれの悩み苦しみ、死に直面して息子娘に許しをこう親達、憎しみながら本
当は親を愛してる子供。
 その中で登場する巡査に唯一ホットするような救いを感じました。
 多分に宗教色の強い作品だと思います。
 もっと聖書を読んでいれば違った角度から観ることが出来、理解できたかも知れま
せん。




『 会食の後 地下鉄でのマグノリアは素敵だった 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 タラ〜リ(武田安史)

 難しい映画でした。
 いろいろな人が出てきました。女を口説く人が出て来たところでは、どうなること
かと思い、独身男性としては、期待しながら見ていたのですが、(笑)けして下品な
話だけでは終わらなかったし、、、。
 そこからの人間関係のつながりを、推理ものだと微妙に隠していて、「実は父親だ
った」ということで解決するんでしょうが、父親だということは初めからわかってい
て、「会うのか、会わないのか」ということに話がずれていって、なんかつかみ所の
ないようにも思えました。
 クイズ少年が出てきたあたりで、私もはばかりに行きたいような気がしてきて、我
慢してました。(笑)
 とても長い映画で、疲れました。そのうえ、難解で、、、。
 でも、理解しづらいものでもガンバって見ておけば、後になってわかる、というこ
ともあるので、たまにはいいかな、と思ってます。
 ビデオが出たときにでも、もう一度見ると、何かわかるような気がします。
 素朴な警官、〔ミイラ取り〕の権助になるのかなあ、と思ってましたが、純朴さを
通していて、よかったです。登場する人の中で、一番よかったです。
 会食が終わった後の「マグノリア」は素敵でした。
 別れたはずのヨーガス長屋の二組が、そのあと、丸の内線に乗り合わせて、しかも、
座った席順まで、会食のときと一緒だなんて、ねえ、、、。




『 思い出して カエルに話しかけた 』

感想文:ヨーガス長屋 大家 ムービー(富塚久美子)

 10人を越える人々がさまざまに絡まって織り成す一日で、なにやら、世紀末とい
う言葉を彷彿とさせられてしまいますが……、監督の結末はこうだったのだ…!
 聖書にはどのような言葉で表現されているか、わかりませんが、とりあえず、ター
ゲットにあてられたのが、カエルということのようで……。
 道を歩いていてカエルを見付けると、この映画を思い出して、つい話しかけてしま
 います。
 映像の世界での10人を越す人たちについて、会食のとき、テーブルの10人を越
す含蓄のある言葉で物議をかもし出しました。
「主役のない群像劇ね」
「あえて言うなら、娘に一目ぼれする善良な警察官ね」
「だからこのシーンは、寓意的に描かれているのね」
 などなど、回を重ねる毎に率直な意見が飛び交って、興味ありありのヨーガス長屋
でした。
 マグノリアを見たのだから、乗りかかった舟ということで、〔クッキーフォンテョ
ン〕を見てこようと思ってます。



『 マクラのほうが良かった映画だ 』

感想文:ヨーガス長屋 先達 (圓窓)

 よく、人々は、出会ったとき、繋がりをもったとき、なにか起こったとき、それが
良くても悪くても「偶然」と言葉を使う。
「交通事故も物理的偶然性のなせる業ですよ」と言われると、科学的であり、なんと
なく納得してしまう。
 この映画の冒頭、落語のマクラのように過去の三つの変わった事件を取り上げ、「
これが偶然という言葉だけで片付けられようか」との意のナレーションがあったが、
ならば計画性の成せることとも言い難く、巡り合わせとはまことに不思議なものであ
る。
 余談だが、何事もきっかけは偶然、あとは計画性の高いものが物事を運ばせていく
ことがある。夫婦の組み合わせ、そして、進行なんて、そんなもんだ。
 大勢の登場人物をバラバラの関係と思わせておいて、実は、みな繋がっているのだ
という結果にもっていくのは、演劇、映画、書物の用いるテクニックの一つだろうが、
それにしてもカエルが降ってきたのには驚いた。
 旧約聖書に載っている故事に則っての場面作りらしいが、会食の席上、「あのカエ
ルは、なにガエルだろうか」との話題になったとき、あたしは即座に「降ってきたん
だから、雨ガエルでしょう」と言ったら、「いえ、牛ガエルです、あれは」という真
面目な反応を受けたときの、このあたしの惨めなことといったら……。その他にも「
あとを降り(振り)カエル」なんて駄洒落も用意してたんだが、涙を飲んで腹に仕舞
い込んだ。

 しかし、ストーリーの転換を事細かに描くのはいいとしても、上映時間が三時間と
は長過ぎる。腹は減るし、腰は痛くなるし。
 この映画、プロローグの三つの事件の場面のほうが本題より面白かったのは、下手
な落語家にある、マクラは面白かったが、本題に入った途端につまらなくなるのとよ
く似ている。
 それと、もう一言いいたいことがある。
「登場人物のほとんどを、卑猥用語乱用罪で逮捕したい」
 アメリカ映画って、あれが普通なのか。下手な日本映画だって、ああは口走らない。
もちろん、落語においておや、である。




『 ロマンチックな物語を連想してたのに… 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 めぷあ(三浦美智子)

 上映時間が3時間7分のこの映画は、見終わってからいろんな方の解説を聞いて、
やっと理解できた部分が多かったのです。
 タイトルの〔マグノリア〕はLA郊外のマグノリア通りの交差点ということですが、
南部の州花にも多く遣われているマグノリアという名前から、木蓮の花のようにロマ
ンチックな物語を連想していました。
 ある1日に起きた偶然の巡り合わせや突然の出来事、自分ではコントロールできな
い事件をいくつかの物語を通して、12人の登場人物が演じていくのですが、それを
特に宗教的ナ場面は、ちょっと難しい気がしました
 少し時間を置いて、もう一度、見たいと思います。




『 憤慨し合うのも いいのでは? 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 ロッキュー(玉木文子)

 私たちが毎日、何気なく暮らしているこの生活も、空の上の高〜いところから見る
と、きっとこの映画のようにとても不思議な積み重ねで成り立っているのかもしれま
せん。
 事故や災難に遭ったとき、「あー、あの時、もう少し早く家を出ていれば……」と
か、「あの旅行さえしなかったら……」と起こってしまった不幸を悔やんでしまいま
す。
 幸せな時、またにその偶然性の喜びを噛みしめることもありますが、たいていは幸
せであることで満足だから、あまり他のことは考えませんものね。
 結局、なにも意識していない平凡な時、人はいちばん幸せなのかなあ。
 この映画の感想と少し離れてしまいましたが、あの映画を見た後、不思議にこんな
考えが何度も頭をよぎりました。これは、まさに、マグノリア効果なのかな?
 映画自体としては、前半の導入部分の役者が好きでした。子供を銃で撃ってしまっ
たお母さんや、警官と丁丁発止、渡り合う黒人の妻など、よかったです。やはりアメ
リカ映画は役者の層が厚い。これは面白い芝居・ドラマ・映画作りには書かせない点
だと思います。
 それから最後に、今回のこの映画を選択されたのは大変よかったと思います。
1作、2作と、心ときめき物が続き、ヨーガス長屋はこのまま名作劇場化してゆく
のかと、僭越ながら危惧しておりましたが、ちょいと安心しました。
 いろいろ楽しめてうれしいです。
 次回は、すごい駄作を見て、みんなで大憤慨し合うなんてのもいいかもーー。
 また、また、楽しみです。




『 友人の感想を書きました 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 ビビアン(日比野興一)

 久しぶりに映画館で映画を観ました。
 理解しないまま終演となり、眠る暇さえなっかた。(笑)
 あたくしは映画については語れませんが、主演のトム・クルーズに関して映画好き
のお友達からの感想を引き出しました。


 トム・クルーズは青春映画のヒーローで、彼は長い間、クリーンなイメージで見ら
れてきました。でも、90年代に入ってからの出演作を見ると、彼が単なるヒーロー
ではなくなってきていることが分かります。
 例を挙げると、原作者に『主役を降りろ』とヤジを飛ばされたり、リヴァー・フェ
ニックスの突然の死で映画化が怪しかった〔インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア〕
や、昨年、愛妻ニコールとの共演で話題を呼んだ故スタンリー・キューブリック監督
の〔アイズ・ワイドシャット〕。
 そして、今回の〔マグノリア〕などでは、昔の彼からは想像もつかないくらい、悪
ノリして、汚れ役を喜んで演じているようです。この映画では、子供に聞かせられな
いくらいの汚い言葉をしゃべり、身体を張って演じた自信作(?)なのに、結局、ア
カデミー賞には及びませんでしたね。可哀相。
 でも、ここ数年、いろんな顔のトムが見れるのは、私はファンではありませんが、
嬉しいことです」
 と、感想述べてます。

 この友人は、熱烈な外国映画好きの独身女性です。
 いずれヨーガス長屋の住民になってもらおうと、目下勧誘中です。

2000・4・23 UP





第2回 総見 『遠い空の向こうに』住人の感想文集

       ストーリー                     文責 圓窓

 米ソ冷戦時代の1957年10月、ソ連は人類初の人工衛星〔スプ
ートニク〕の打ち上げに成功した。
 ウエスト・ヴァージニア州の炭坑町の高校生のホーマーは友達三人
に声をかけ、自分たちの手でロケットを打ち上げようと、その製作を
始める。
 ついに、AUK−1号は完成するが、打ち上げは炭坑を直撃して失
敗に終わる。その後も失敗の連続。そんな折、「近くで起こった山火
事の原因は実験したロケットにある」と、四人は警察に捕まってしま
う。
 父親の猛反対、校長の冷たさ、町民からの冷笑。
 その数日後、炭坑の落盤事故でホーマーの父は重傷を負う。ホーマ
ーは高校もやめ、ロケットも諦め、父に替わって炭坑で働き一家を支
えるようになった。
 そんなある日、ホーマーは、日頃から四人を応援してくれていた物
理の若い女教師が不治の病と闘っていることを知り、見舞いに行く。
 そして、病床の教師から「夢を捨ててはいけない。君たちの夢を育
てる指導をするために、あたしは教鞭をとっていたつもりよ」と、逆
に励まされ、炭坑夫をやめ、高校に戻り、再び、ロケットの夢を追い
駆ける。
 ありがたいことに、思考錯誤の実験のたびに、町の見物人の数は増
えてくる。やがて、とうとう、念願だった、全米科学コンテストで優
勝する。
 その後、高校最後の打ち上げのとき、嫌悪の中で今まで一度も見に
来てくれなかった父がひっそり立っているのを発見したホーマーは、
発射のスイッチをその父に頼む。
 打ち上がられたロケットは、遠い空の向こうへ上昇を続ける。
 それを見上げる、大勢の顔、顔、顔、顔。
 もう一つの顔があった。病床から窓の外の空を見る、満足そうな女
教師の顔……。

(備考)
 ロケットの名の「オーク」とは、飛べなくなって絶滅した海ツバメ
の一種の鳥の名。「なんとかして、飛ばしてやろう」という執念を込めた命名なのだろう。




『 家庭教育と学校教育 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 楽女(平岩佐和子)

 ヨーガス長屋の皆様。
 この日の午後1時30分より上野でやるオペラのチケットをずっと前から購入して
いたため、洋画鑑賞後の評論家大会に参加できず、残念でした。すぐあの場を立ち去
り、大変失礼しました。
 さて、第二回のヨーガス長屋の総見。なんと、先月の総見以来、私は映画を見てい
ないことに気がつきました。ショック。
『遠い空の向こうに』は、文部省認定映画にも見えてきました。実話である、という
ところが、そうでなくも見えますが(涙も誘うし)・・・。
 教育という視点から言うと、二つに分けて、家庭の教育と、学校教育。
 家庭内では、あの親父さんは、日本の高度経済成長期の親父像を絵に描いたような、
そっくりな部分があったように思います。あと、気になったのは、親は平等に愛情を
注いでいるつもりでも、兄弟がいると、偏ることがあるということ。映画では、それ
を誇張して逆境の材料の一つとしていましたが、実際問題として、(兄弟間での愛情
差が)どのくらい影響があるのか、気になりました。
 学校教育でも、すぐ形に見えるスポーツ系に「奨学金が下りる制度」と言う校長先
生。それに対して「興味を持ったときが勉強しどき」と促す担任の先生。
 日本の学校教育制度も、広く一般の知識を詰め込むのではなくて、想像性を高めた
り、興味を強くもたせたりするような考え方だと、また面白い日本人が増えるだろう
に・・・。
 何年か前の『陽のあたる教室』(教師の方が主人公でしたが)にも似ているような
感じを受けたのは、教育の姿勢・方向性を考えさせるからかもしれません。


 ついでに……、ちゃっかり…、(当日のオペラの感想も載せておきます)
 <実相寺演出『魔笛』>の感想。
 ウルトラマンの実相寺監督が、モーツァルトのオペラ『魔笛』を演出すると言うの
で、観てきました。もう8年くらいオペラを観ていなかったし、『魔笛』は、話が複
雑であるような印象があったし、あんまり期待して行かなかったわけです。
 しかし、会話は日本語で、歌は原語(ドイツ語)で字幕スーパーあり、魔法の笛を
吹く(夢の)部分では、ウルトラマンの怪獣、お馴染みのエレキング・カネゴン等々
が出てきて爆笑。
 火の世界では炎が、水の世界ではドライアイスの煙の滝が(まんまと言えばまんま
んなのですけど)、夜の女王には、レーザー光線、三人の女王の手下もポータブルの
蛍光灯を持たせ、照明をうまく使ってました。
 ここまで、書いたのを見ると、なんだ、金をかけただけじゃないか、と思いがちで
すが、複雑な『魔笛』の話をわかりやすく、楽しく伝えることができていて、とって
も面白かったです。
 で、一番印象に残ったのが、モーツァルトの重唱(場面によって二重唱〜六重唱ま
である)の作り方が、美しいと思ったこと。改めてオペラが芝居であると思ったこと。
演出が違うとこうも違うか、と思いました。
 一番安い席(2千円)で、1時30分から5時まで楽しめました。




『 自分の経験と重なった 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 (武田安史)

 本日は、映画鑑賞のあと、人ごみにまぎれて、皆さんの姿を見失ってしまい、食事
会に参加することができませんでした。ご心配をおかけしたことと思います。申し訳
ありませんでした。
 あとから考えれば、プリントをいただいた封筒に、師匠の携帯電話の番号が書いて
あったので、そこに電話すればよかったのですが、そのときはとっさにそういうこと
に気づかず、そのまま、他の用事を済ませるために新宿へ行ってしまいました。大変
失礼しました。
 さて、映画の内容についてですが、私自身、去年の秋に『キューポラのある街』を
みて以来、映画を久しく見ていなかったので、雰囲気そのものに飲まれてしまったこ
ともあるかもしれませんが、実に感動しました。
 高校生の少年が、さまざまな苦労を乗り越えながら、自分の生きる道を開拓してい
く姿は、私自身の経験と重なり合い、終わり近くなって、ずっと涙を流しておりまし
た。
 とくに、すばらしい先生との出会いとか、父と息子の葛藤を乗り越えて、最後にロ
ケットの発射ボタンを父親が押すシーンなどは、涙なしでは見られませんでした。
 研究者のはしくれとして、学問することのすばらしさを訴えかけるこの映画を、今
の日本の高校生にもぜひ見てほしいと思いました。
 勉強とは、「受験とか資格のためにするもの」と思っている人たちに対して、「そ
うではないんだ、自分というものをより豊かにするためにするものなんだ」というこ
とを、この映画を通して知ってほしいと思いました。
 そして、このことは円窓師匠のおっしゃる「笑涯楽習」と、根本的には同じことで
あり、金や名誉にとらわれない、心の豊かさを多くの人々に知ってもらいたいです。
 ヨーガス長屋の皆様方と話をすることができず、かえってご心配をおかけしたこと
と思いますが、こんなすばらしい映画を見られて、今日は感動の一日でした。
 本日はありがとうございました。また次回も、よろしくお願いします。




『 暗闇でボロボロ涙って、素敵 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 ロッキュー(玉木文子)

 あの日、あの時、映画の素晴らしさに酔いしれていましたが、それが少し醒めると、
「それにしても、あの映画館の非常燈は、なんであんなにチカッチカッしてたんだろ
う!」
「あの映画館は、なにを考えているのか!」
「あんなに良い映画を、上映しているのに!」
「プライドってものが、ないのかしら!」
「これだから、日本の映画界は、衰退してしまうんだよ!」
 などと、映画そのものはそっちのけで、プンプンプン。
 いけない、いけない。映画の感想でしたよね、映画の。
 それは、もう、もちろん、文句なしのブラボー。
                   (あとの、ピザもブラボーでしたが……)
 元気、勇気、感動を、ありがとうございました。
 なんと言っても、あの暗闇の中でボロボロ泣けるって、素敵。
 また、来月も楽しみにしてます。




『 傷ついた経験は 人の傷の痛さを知る 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 清女(三橋馨)

 <差別からの脱出は、人の心をたくましく、また優しくさせる>
 これは、この映画が、色々な場面で訴えかけていた事だと思います。
 実際に、映画の中では、『人種差別』があるわけでも、『女性差別』がある訳でも
ないのです。ただ、あまりに日常的に、自然な形で入り込んでしまっている為に、気
がつく人は少ないのかも知れません。この映画の中では、1,兄弟での差別 2,ク
ラスメート同士の差別 3,地域の差別 が出てきます。
 兄弟で、兄ばかりを褒め称える父。兄も、同じように弟を馬鹿にしている。親を心
底嫌う子どもはいないでしょう。どうしても兄には勝てない、だけど親には認めて欲
しい。そんな状況を経験した事はないでしょうか。
 クラスの中で、「ちょっと変わっている」と言うことで、仲間はずれが起こったり
しているのは、どこでも一緒。日本でも、「いじめ」が問題になっているのだから、
経験をしていなくても想像はできる事でしょう。
 日本では、狭い国である事もあり、出身地域で職業の選択が難しい所は少ないが、
広いアメリカではうなずける話です。でも、こんな狭い日本だって、まだ同和問題が
片付かない状態ですから。
 主人公を含めて、この4人の少年達は、これらを全て克服していくのです。それに
は、努力も必要でしたが、この努力するには、たくましい精神力が必要なのです。周
りに反対されたり、馬鹿にされたりしながらも貫き通す精神力は、達成したとき、自
信というものに変わっていきます。また、反対されたりすることによって、多くの傷
を負ってしまいますが、これが優しさに変わります。傷ついた体験が多い程、人の傷
の痛みが分かるのです。
 私は、この映画で人の心に直接触れたような気がしました。そんな暖かいものを感
じる事が出来、本当に嬉しく思います。




『 清女の感想を読んで 洒落が浮かぶ 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 代脈(三橋敏武)

代脈:「差別」なんて考えもしなかった。よくそんな発想ができるね。
清女:見方が違うのかもしれないけど、いろんな意味があったよね。
代脈:それもそうだ。じゃあ、感想文には「清女」と書いてありましたが、本当は「
  代脈」です、って書いたら?
清女:嘘はいけませんね。考えもしなかった内容なんでしょう。
代脈:そうそう。でも、これだけ内容が詳しく書いてあるのに、ロケットという字が、
一つも出てこないのはすごいね。
清女:あらら…それもそうね。メインはロケットだったのにね。
代脈:まぁ、やればできる! 支えてくれる人とか、見守ってくれている人がいる、
  と言うことだね。
   周りに反対されても、学校の先生や、内緒で板金技術を教えてくれたり、材料
  の提案をしてくれる人がいる。そして、最後には、一番反対していた父親が助け
  てくれた所は、感動と言う言葉に匹敵するかもしれない。
   やればできる! という意志が、周りを動かしたのかもしれないが、共感でき
  るものが多かったように思う。
   ところで、あの映画、実は続編があるんだよ。
清女:へぇ、そうなの?
代脈:ロケットができあがった時に、お祝いのパーティをやったんだって。
清女:本当!?
代脈:打ち上げパーティ…、といってね。
清女:それ、本当なの!?(笑)
代脈:空見た事かってネ。




『 原作も読んで 二重奏 』

感想文:ヨーガス長屋 大家 ムービー(富塚久美子)

 ヨーガス長屋の住人になって、良かった。……、ありがとう。
 本(この映画の原作・〔ロケットボーイズ〕)とこの映画に出会えて、良かった。
……、ありがとう。
 この映画をまだ見る予定に入れてない頃、わずか、150kmの上空を毛利さんを乗せ
て飛んでるエンデバーに思いを馳せながら、〔ロケットボーイズ〕を読んでました。
 原作を読んでいたことで、映画にさらに深く入ることができたと思います。
 映画のセリフが本のセリフの情景と重なって、二重奏のように頭の中でぐるぐるを
回ってきました。
 前に見た映画〔海の上のピアニスト〕の原作は一人芝居の戯曲でしたが、この映画
の原作は自叙伝です。原作の種類の違いによって、こんなにも意味合いが違ってくる
ものかと、しみじみと感じました
 映画を作る監督さんも、見る側のわたしにもかなりの思い込みがあり、それがまた
合ったり、隔たったり。だから、映画は楽しく、面白いのかも……。
 ヨーガス長屋の住人になってから、あたしの頭の中は俄かに忙しくなりました。
 三月の月番さん、よろしく。




『 辛くなったとき ビデオでまた観よう 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 月番 マッコ(二口真規子)

 おいしい、果物のような映画でした。


 フレッシュでジューシーで、あと味すっきり。
 渋みとか、コクとか、深みとか、そういうものはないけれど
 観た後は、とっても元気になって幸せになっていました。


 映画の途中で、何度も涙が出ました。
 どういう涙なんだろう、と思います。
 悲しいからでも、悔しいからでもv 嬉しいって訳でもない。


 何かを信じられるって思った時、
 あんな感じの涙が出るのかな。


 やっぱ、私も頑張るよ、明日っからって
 思えた映画でした。


 何かを本当に純粋にやろうとしている人を
 人って助けてあげたくなってしまうものなのでしょうか。


 私も思った。
 何か、彼のためにしてあげたいって。
 できること、ないかなって。


 この映画がビデオになったら手に入れて
 ちょっと辛くなったとき観よう。
 きっと、元気になる。


 そう思った映画でした。




『 〔スタンド・バイ・ミー〕をしのぐ 』

感想文:ヨーガス長屋 住人 おぷあ(三浦紘一)

〔スタンド・バイ・ミー〕〔スリーパーズ〕〔サンド・ロット 僕たちがいた夏〕等、
数え上げたら切りがないほど、少年たちのグループを題材とした映画は多い。
 今回の映画は宇宙ロケットに夢を馳せたところがユニーク。〔スタンド・バイ・ミ
ー〕をしのぐ出来に感動した。
 人間は興味を持つと、手に届かないものが届くようになる。日本の教育ももっとそ
の子の持っている才能を伸ばしてやる教育へ変わっていかなければ……。
 この映画の中の出来の悪い、数学などにはまったく興味を持たない子でも、のちに
は、難しい科学技術まで解き明かせるようになるのだから……。まさに、好きこそも
のの上手なれ、である。
 父と子の葛藤もこの物語にはからんでいる。
 炭坑夫を継いでほしい父親。お父さんが負傷して、その子は一時的に炭坑夫となり、
退院後、父子が数日間一緒に働く。この何日かが、父親にとってはもっとも嬉しい日
々であったであろう。
 どこの父親も一緒だ。

 炭坑夫を描いた映画〔わが谷は緑なりき〕〔ブラス〕等、それぞれ、ストライキ、
落盤事故が出てくる。それだけ命をかけた厳しい仕事なのであろう。
 感動した。
 映画は楽しい。

 毎年、行っているメジャーリーグ観戦。
 今年はこの映画を観たので、ヒューストンに行って、ヒューストン×アストロズ戦
を観たいなぁ……。




『 アメリカ映画らしい作品 』

感想文:ヨーガス長屋 住人  めぷあ(三浦美智子)

 小学校のときの卒業記念の文集などに、「将来の夢」とか「大人になったら」とか
書かされましたが、ほとんどが儚い夢で終わってます。
 この映画のように、どんな艱難があってもくじけず、突き進むことの出来る人は世
界な中の何分の一でしょうか。
 そして、その夢の実現のために四人の仲間がいろいろな事件にあいながら、一つの
事をやりとげたという情熱は、素晴らしいものです。
 人間、いくら小さいときから仲が良くても、ほとんどが離れて行くのが現実です。
 炭坑夫の仕事人間で頑固なお父さんとの間。、お母さんの優しさ。スポーツ選手と
して優秀なお兄さんとの関係。とてもわかりやすく描かれておりました。
 アメリカ映画らしい「悪を憎んで善に親しむ」というようなウイットの場面もあっ
て、とても素晴らしい作品でした。




『 やれば 出来るさ 』

感想文:ヨーガス長屋 先達  まるまど(三遊亭圓窓)

 おぷあさんから貰った、リスト〔アメリカ人の選んだアメリカ映画ベスト100〕
の作品を全部見てやろうと、ビデオ屋へせっせと通っているが、映画はやはり映画館
で見るのが一番いい。
 暗闇の中で映画が始まると、観客は一人ひとりが孤独に入り込む。
 しかし、ある程度の時間がたつと、回りの人々がどのような感情で画面を見つめて
いるか、じわじわ伝わってくる。
 俺と同じように、笑っている。泣いている。
 ということは、孤独ではないのだ。

 名画には名台詞があるものだ。
 この作品も字幕を読みながら、ズシン、ズシンと名台詞にやられっ放し。
 とくに、女教師の「夢を捨ててはいけない。君たちの夢を育てる指導をするために、
あたしは教鞭をとっていたつもりよ」というような意味の台詞には泣いた。
 教師にとっては当たり前のことかもしれない。しかも、ごく易しい言葉。
 泣かされた理由を捜せば、思い当たる。
 あたしが、夢を描くことが好きなせいだからだろう。

 圓窓一門は12年ほど前から、盲人スキーヤーを応援して、チャリティー寄席を続
けている。盲人がスキーなんぞ出来るわけないと思っていたあたしは、彼らの練習、
プレーを目撃してショックを受けた。
 やれば、出来るのだ!
 そんなことから、彼らを謳った詩〔やれば出来るさ〕を作ったら、PC仲間のたく
みさんがPCで作曲をしてくれたことがあった。
 色紙にも、そんな都々逸(五字被り)を書くことがある。

  なにごとも
  やれば出来るさ
  できないわけは
  やろうとしない
  だけなのさ

 誰か唄ってみてよ。
 唄えない…?
 なぁに、やれば出来るさ。





 第1回 総見 『季節の中で』 住人の感想文集

ストーリー
 ベトナムのホーチミン市の市井の人々の厳しい現実の中から、四組
のカップルを淡々と語るように画面は描き始める。
 蓮の花を摘んで売り歩く少女と、世捨て人同然の難病の詩人との心
の通い合い。
 娼婦に想いを寄せるシクロ(自転車タクシー)の運転手の愛。
 我が娘を捜し求めるアメリカ元海兵隊員。
 商売用のカバンを盗まれた男の子となぜか付きまとう女の子、とも
にこの街のストリートキッズ。
 この四組がぐるぐる回るように登場して、いつのまにか、ほんの少
しだが、お互いに織り込まれていく。
 最後には、少女は亡くなった詩人の遺志を継いで、どっさりの蓮の
花を川へ流す。
 運転手の真摯な愛のおかげで娼婦をやめた女は、夢叶って火炎樹の
下に立つ。
 アメリカ人は娘と対面なる。
 カバンも戻り、子供二人は元気になる。
 貧乏で生活はつらくとも、街は汚くとも、映画は雨季と乾季の他に
花の季節を美しく描いていった。





『 全編 まさに 詩 』

感想文:ヨーガス長屋 大家 ムービー(富塚久美子)

 書くことは大の苦手で、筆を持つのも億劫になってしまうのですが、先に他の住人
の方の感想文を読んでしまうと、もうなおさら書けなくなってしまいそうなので、思
い切って早めに書いてしまいます。

 いろんなlave storyの映画を見ながら、自分を照らし合わせて、とても
良い気分に浸っている自分、あるいは、こんな愛し方、愛され方があるのだなあ、と
羨ましく思える自分、いろいろあって、lave storyって、楽しいのですが、
この作品はとてもナイーブに一つひとつ、とても丁寧に描かれています。
 最後の息をもつかせないシーンと、そして、見終わったとたんに溜息ばかり……。
 病に侵された蓮の花の池の持ち主が詩人なのだけれど、映画全編がまさに誌に満ち
溢れてました。





『 生きる、ということを強列に感じた 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 楽(ガク)(平岩佐和子)


 ヨーガス長屋は洋画を観るグループなので、てっきり青い眼の西洋人が出てくる作
品だと思っていた。
(つまり、下調べなどをして行かなかったのデス。ゴメンナサイ。でも、何の先入観
もなく観るのは、けっこう好きな見方デス)
 ベトナムを舞台とする映画は、初めて見た(ような気がする)。
 アジアを感じる。
 と同時に、アジアのことをアジアにいながら知らない自分も感じる。
 すぐに、数年前にマレーシアの人達と共同で舞台を作った時のことを思い出してし
まった。
(それは、置いておいて……)
 淡々と四つの話が進んでいくのに、飽きなかった。
 それに加えて、ベトナム語の言葉の響きが、新鮮だった。
(発語しながら、飲み込むような母音を家に帰ってから、真似して楽しんだ)
 流れてくる歌も同様に、やっぱり言葉からくるフレーズなんだなあ、と思って聞い
ていた。音楽の方は、西洋人がアジアを意識して作る曲だなと思った。
 ラストの色のコントラストが印象的だった。
 テーマがラストに出てくるが、『愛』とか、『自分らしく』ということより、『生
きる』ということを、より強く私は感じた。
「自分は毎日を一生懸命に生きているのか?」
 と、改めて問い直す良い機会になるような気がした。





『 やはり、ハーヴェイ・カイテルは 魅力的 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 マッコ(二口真規子)

 本当に「ヨーガス長屋」で観て良かった映画でした。
 多分、こういう単館の映画は、一人で見には行かないし、ビデオでも借りないかも
……。
 又、ビデオで観ても、あの感激は得られなかったと思います。
 三浦さん。本当にいい映画を選んでくださって、ありがとうございました。

 ヴェトナムは何から何まで知らない国でした。
 本当に新しい国に行ったようで、食い入るように観ていました。
 ヴェトナムは今の私達にとって、
 アメリカやヨーロッパよりもよっぽど未知の国なのですね。

 小さな子供が物売りをしながら生活をしていて、
 缶を拾いながら生きていて、
 なんて生き生きした人生なんだろう、と思った自分に驚きました。
 盗んだパンを分け合って、雨の中でサッカーをして。
 夜遅く、塾に通って勉強している子供たちより、幸せかもしれない。
 なんでもありの人生だから。

 ちっとも幸せに見えない人たちを描いて、
 でも、とっても幸せに見えたのは、
 監督のやさしさや、若さかもしれない。

 やはりハーヴェイ・カイテルは魅力的でした。
 あの1シーン。
 娘を見つけて、涙があふれるシーンで、きっと観客のハートを一掴みですね。
 さすが、と思いました。
 今までの彼の生きてきたことが全部こやしになってる、
 そんな感じがしました。

 さて、次回、2月27日はどんな映画にめぐり会えるでしょう……。
 あたしの月番だっけ……?





『 [ありのままで] の言葉に感動 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 清女(三橋 馨)

 「ありのままで」という、この言葉と共に、本を手渡す感動的な1シーン。この言
葉をどれだけ深く、考えさせられた事でしょう。
 4人の主人公が、それぞれの人との関わり合いで、何かを見つけていきます。それ
は、一言では語りきれない、奥深いもの。
 ここに登場してくる主人公は、「愛しい」とか「好き」などと一言も口にしません。
しかし、その行動や思いで、しっかりと伝えられているのです。
 心に残るシーンの一つに、ストリートチルドレンの主人公が同じ年くらいの子供と
の関わりがあります。
 自分の商売道具を盗まれ、途方に暮れている主人公の元へ、同じストリートチルド
レンがやってきます。つきまとう事に、うっとうしさを感じながらも、次第にうち解
けあっていく。そこで、おいしそうにパンを食べる子供。それを見ている主人公。お
互いの間に、何の言葉も交わされません。しかし、自然に半分に分け合う事ができて
いるのです。
 なんて事のないシーンかもしれませんが、私にとって、何か残るものがありました。
 他の主人公も、何を相手に言う訳ではありません。誰も、要求はしないのです。た
だ、自分の思うままに行動しているだけなのです。それが、相手に通じることによっ
て、相手は自然と変わって、気持ちを受け止められるようになるのです。
 どこかで見栄を張ったり、意地になったりしている自分に気づかずに生活している
私が、「ありのまま」にいるとは、どういうことなのか。
 赤い花びらに包まれて、素敵な笑顔を見せている女性を羨ましく見ると共に、改め
て私自身の「ありのまま」について考えさせられてしまいました。





『 人間の愛と優しさに 素晴らしさ 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 テンコ(平樹典子)


 貧しくとも力強く生きようとするベトナム人の底力を感じた。
 そんな背景の中でさまざまな人間の愛と優しさを描いているのは素晴らしい。
 特に、ラストの子供二人が連れだって走り去る姿に希望を感じた。
 
 あたしの主宰する「オフィス樹」(演劇制作事務所)の5月公演〔秋雷〕も、ある
家族の愛をテーマに描いてみました。
 これもなにかのご縁ですので、お時間がありましたら、ご覧くださいませ。
 と、宣伝を兼ねて、すいません。





『 この映画をみなさんに薦めてよかった 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 おぷあ(三浦紘一)


 コンピュータ・グラフィックに代表される科学の発達によって、ここ十数年、アメ
リカ映画はそれに頼りすぎ、堕落の一途を辿ってきました。
 数年前からやっと〔ファーゴ〕や〔LAコンフィデンシャル〕〔世界中からアイ・
ラブ・ユー〕〔プライベート・ライアン〕等、質の高い作品が少しずつではあるが、
登場し始めました。
 そして、この〔季節の中で〕である。
 久し振りにみんなが観ても喜ぶ、涙する映画でした。
 タイミングよくヨーガス長屋の観賞会が始まり、この映画の観賞をみなさんに薦め
て、「とても、よかったです」と言われて、こんな嬉しいことはありません。また、
住人の皆さんと語り合えたのは非常に有意義でした。
 オリバーストン監督の映画などで、ヴェトナム戦争を通してのヴェトナムを観てき
ました。

 しかし、一人一人の人間がこの映画のように不幸であった社会から立ち直ろうとし
ているのだろう。
 蓮摘みの少女、シクロの運転手と体を売るひとりの女性、元兵士で娘をさがすハー
ヴェー・カイテル、そして、ストリート・キッズ……。
 これらの人々のさりげない関係(接点)の描き方も見事。25歳のトニー・ブイ監
督の瑞々しい感覚で粛々と描かれていく。
 特に、蓮摘みの少女が奉公に来るところは、名作〔青いパパイヤの香り〕を思い出
す。ヴェトナムの地方の娘はこうして都会のお金持ちの所へ奉公に行くのでしょう。
 ヴェトナムの現状を思うと、この映画のあとも、この主人公たちにはまだまだ大変
な苦労が待っているはずです。
 しかし、我々観客もこの映画から人生を明るく生きる勇気を学びました。
 最後に、運転手が言った「飾らないで、自分らしく生きよう」の言葉を改めて噛み
しめましょう。





『 印象に残った 色彩感覚 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 めぷあ(三浦美智子)


 ヴェトナム映画というと、どうしてもある”先入観”が先に浮かんでしまいます。
東南アジア特有の暗さを持ったものとか、戦争と何か関係のあるものとか、多分、制
作費もあまりかかっていないスケールの小さい映画だろうとか……。
 ところが、そんなものは吹き飛んでしまいました。

 鑑賞して、一番印象に残ったのは、この映画の色彩感覚です。
 ハスの花、アオザイの白、広大なハスの池や田園の緑、火災樹の真っ赤、それはハ
ワイなどでみるような、あざやかな色ではなく、日本でみる花々の色でもない、多分、
昔のヴェトナムはのんびりしていて、広々としていたのを想像させるような色でした。

 以前、ヴェトナム帰還兵を主人公にした"MR.Pのダンシング スシバー"という
映画を見ましたが、その主人公もロスアンゼルスで出した寿司バーの成功には満足で
きず、自分が戦争で行ったヴェトナムに心のやすらぎ、穏やかさをみいだすというス
トーリーでした。
”季節の中で”のトニーブイ監督も、「アメリカで得られなかったものが、ヴェトナ
ムにはある」と言っていますが、現代の張りつめた個人主義の時代には、そこに”生
きることとは何か”という問題を、今一度、考えさせる何かがあるかもしれません。





『 ショックあり 物足りなさあり 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 ロッキュー(玉木文子)


 一番感じたのは、アジアを知らなすぎる私のことでした。
 歌だって日本の民謡を聞いてるようですし、スクリーンに出てくる人たちも、なー
んか、どこかで見たことあるなぁ……、みたいな人ばかりなのに……、ベトナムにつ
いての知識が、私にはほとんどない!
 だから、あの貧困さはショックでした。まぁ、ドキュメンタリーではないので、多
少の脚色はあると思うのですが、それにしても、やはりショックでした。
 ラストシーン近く、子どもたちが自分の仕事道具を抱えて走って行った後ろ姿が、
力強く、働くことへの誇りに満ちた笑顔で、とっても素晴らしかったです。
 一ヶ所、気になったというか、ちょっと物足りなかったというか……。
シクロ乗りの青年が惚れた娼婦の家を尋ねて、拒絶されて立ち去ろうとした時、バ
タッという大きな音がしたので、戻って部屋の中へ入るとその女が倒れていて、結局、
二人は結ばれていくのですが……。
 その、部屋に戻るきっかけが、ちょっと安易だったなあ。もうちょっとドラマとい
うか、ひねりがあると、もっとその後も感動的に思えたのだが……。
 それに、彼が裸体の彼女の背中にしたスプーンによる愛撫は、倒れる病気を治すた
めのお灸をするという風にも思えてしまって……、(こんなこと思うアホは私だけ
かもしれませんが)とにかく、もう一ひねり欲しかったです。
 と、口で言うのは実に簡単。でも、ああでもない、こうでもないと、あとで思うの
も観賞の楽しみかな、なんて……。





『 白いハスが 切なく綺麗 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 良枝姫(長島良枝)

  とにかく映像がきれいでした。
ラストの白い服の上に赤い花が降ってくるシーンは、娼婦だった過去を洗い流すよ
うで、とても開放された気分になりました。
 でも、そのシーンよりも印象に残ったのは、白いハスの花です。
 乱雑なベトナムの街並みの中で、白いハスの花がとてもきれいに描かれていました。
 それはハス園の主が病に侵される前の、光の下の人生の象徴のように思えたからな
のかもしれません。
 だからよけいにせつなくきれいに残っています。
 ストーリーは4つの物語りが1つの街を舞台にして少しづつ係わっていき、それが、
違和感なく描かれていておもしろかったです。





『 こりゃ 捨て難い映画だ 』

感想文 ヨーガス長屋 住人 先達(三遊亭圓窓)


 記念すべき〔ヨーガス長屋〕の最初の総見に参加した人たちが、一人のこらず感想
文を提出してくれた。
 映画の感激もさることながら、この感激も人に伝えたい。
 これは思いもかけなかったことで、たぶん、半数の人は「なんだ、かんだ」と言っ
て嫌がって書かないだろうと踏んだのだが、見事に裏切られた。(笑)
 みなさんの文を読んでて、あたしの筆先が恥ずかしそうに萎えていくのを感じた。
 でも、なんとか、奮い立たせて……。

 あたしも、これほどいい映画だとは……、と見直してしまった一人。
 名作ぶって無理に力んで作った、というところがないのが、実にいい。
 ラストの赤と白の花を映し出すシーンも、スピルバークだったら、道という道を、
空という空を、川という川を、大量の赤と白の花でベターッと埋め、観客に「どうー
だ! これなら!」とぶつけるだろうと、思いつつ見てしまったが、もちろん、そう
ではなく、ごく自然に、飾らず、さわやかに、自分なりに、というまさにこの映画の
テーマにかなった花の量に、じわじわとくる感動を味わえて、たまらなく嬉しくなっ
た。
 あたしもあることが気になって、あの日以来、寝苦しい夜をおくっている。
 うつ伏せになった娼婦の背中に香油を塗り、その上を男がスプーンでなぞると、赤
い筋がつき、娼婦は歯を食いしばって堪える、という問題のシーンが、それである。
 ベトナムの真人間になるための儀式なのか、風習にある愛撫なのか、二人の性癖な
のか、思い付きのプレーなのか。
 住人にも尋ねたが、みな口を揃えて、「あのような体験はしたことがない」という。
 プログラムにもその件は触れてないようなので、これからの研究課題、笑涯楽習と
して捨てないでおこう。
 この映画、捨て難い……。


2000/2/6 UP



『スプーンの謎を解く』

感想文 ヨーガス長屋(札幌) 住人 無銭


〔ヨーガス長屋〕が第1回の総見として取り上げた課題作(笑)、〔季節の中で〕見
ました。
 詩情溢れる映画でした。
 他のヴェトナム映画を見たわけではありませんが、ヴェトナムでもこのような映画
が作られるようになったのかと感慨深いものがありました。
 忌まわしい体験を経て、その後のこのすがすがしい映画、まさに「ハスは泥よりい
でて、なおかつその泥に染まらず」です。
 自ら引き起こした戦争と、外力に抗して立ち上がった戦争と、その背景は違います
が、戦争という経験を経て日本でもあのような映画がたくさん作られた時期がありま
した。
 ヴェトナムでもそのようになってきたのでしょうか。

 感想文での圓窓師匠の疑問ですが、あの謎のスプーン(?)は治療ではないかと思
いました。
 ホテルで一晩眠ってみたいという願いを叶えるために、好きな女性の寝ている姿を
一晩中見守っている心優しい男性ですから、家で倒れた彼女を見て、きっと治療をし
たのだと思います。
 スプーンの後で上着を着せてマッサージをしていました。
 別の行為であれば、上着を着せる必要はありません。

 スプーンで縦に背骨と、あと左右それぞれの肋骨の間を斜めに2カ所ほどこすって
いました。
 あんなにこすると皮が剥けると心配していましたが、案の定、血が滲み出しました。
 日本でも真空吸引による「おけつ(?)」という民間治療法があったと思いました
が、それと似たような方法でないでしょうか。
 映画の冒頭の方でシクロの仲間にマッサージオイルを渡す場面がありました。自転
車乗りの商売のためにスポーツマッサージとか、多少の民間治療の心得がある人とい
う設定ではないでしょうか?





『 東洋的治療法の気配あり 』

参考文  たくみ


 映画は見ていませんが、無銭さんの記述からすると東洋的治療法の気配ありだと思
います。
 名古屋の医師で、スプーンではなくガラスコップを使って背中を何度も擦ると、悪
い箇所が発赤して液が滲み出してくるという治療をしている人をみたことがあります。
皮膚を擦るのに、コップの湾曲とスプーンの後のそれとが、ちょうどよい具合になる
のでしょう、、たぶん。(^^;)
 真空吸引による「おけつ(?)」という治療法の名前は「吸角療法」といい、吸角
を使う以前は、蛭(虫)を使って「悪い血を出す」という名目で血を吸わせていたも
のと同系列の療法です。
 出血させることで、末梢の循環改善に多少はつながるので、全く科学的に根拠がな
い療法でもないのです。(^^)
 お血(お=病ダレの中に於という字)というのは、簡単に言うと「血(けつ)」の
変調、血滞のことで、停滞した生理機能を失った血液がもとで起こると考えられてい
るものです。
 マッサージオイルがでてくるとなると、インドのアーユルベーダ系の流れをくむ治
療法なのかもしれませんね。
2000・3・2 UP