窓の余所道窓門旬報追っ駆け場所トップページ

 窓の余所道

吉窓の筆 窓里の筆 萬窓の筆 窓輝の筆

窓里の筆

 川 越 の 昔 咄 2


喜 多 院 で 修 行 し た 狸
2000・2・1
文 窓里
 川越には喜多院というお寺があります。
 正しくは〔星野山喜多院〕といいます。
 江戸時代には、三代将軍家光の保護を手厚く受け、関東天台宗の中心となりました。
 現在も境内には、当時の建物をはじめ、数多くの文化財が残されています。

 その喜多院で昔、高僧が経をあげていると、見慣れない小僧が現れて、
「弟子にして下さい」
 と、言い、仏様を拝み始めました。
 その日から弟子となり、修行に励みます。

 私も五年間、前座修行しました。
 その辛い事。
 ひとくちでは言えません、辛いのなんの。
 その辛い修行に耐えたので、今では立派な落語家になれました。


 ある晩、寺男が小僧の部屋を覗くと、一匹のタヌキが寝ていました。
「タヌキだあ!」
 と、大声をあげると、
 タヌキは和尚の前で、
「今まで、ありがとうございました」
 と、礼を言って去ったそうです。
 なんと立派なタヌキではありませんか。


 落語家の中には、弟子にしてもらっても、突然、お礼も言わずに姿を消す奴がいる
というのに。
 これを読んだ、やめていった元落語家よ。
 あなた達はタヌキにも劣る人間だ。

2000・3・13 UP



 

川 越 の 昔 咄 1

道 灌 の 人 柱

2000・1・1
文 窓里

 今回から、川越のすばらしい所をご紹介致します。
 川越の市議会議員としても、地元をいろいろとお教えしますので、ぜひ一度お出掛
け下さいませ。
 川越は、埼玉県西部の中心都市です。人口は32万人を超え、池袋から30分と近
く、年間観光客も400万人を数えます。
 市街地の東に、川越城があります。
 別名、初雁城ともいいます。長禄元年(1457)太田道真・道灌親子が上杉持朝
の命によって築城しました。あの落語[道灌]にも登場する道灌です。江戸時代には、城を中心として〔知恵伊豆〕と呼ばれた、松平信綱によって町造りが行われ、江戸の
北の守りの拠点とされました。
 築城当時、この辺りは沼地で、土台を築くのに、大変な苦労があったそうです。
 ある時、道灌の夢枕に竜神があらわれて「娘を人柱に差し出せ」と言ったそうです

 どこにでもある話で、差し出せというのは、女…、しかも若い…。間違っても「男
」とは言わないですよ。「年寄り」とも……。神様も、芸人も、求めるものは同じな
んですね、この、スケベ!
 指名された娘は、沼に自らの身を授けたそうです。
 その後、立派な城が完成したのです。
 人々は大変喜んだそうです。
 それはそうでしょう。自分の娘じゃないんだもの。人の娘ですもの。人間なんて勝
手ですよ、いつの時代も。
 道灌だけは、素直に喜べなかった、と言うことです。
 私も、道灌だけに、ドウカン。
 現在、お城は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
 私もときどき出掛けて、ドウシンに帰ります。

000・1・6 UP
[道灌]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/道灌
[道灌]の関連は、圓窓五百噺付録袋/落語の中の古文楽習/古文楽習教本1