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単発の落語会

五百席達成記念落語会/萬窓 真打昇進披露/ 落語とオペラの怪しい関係/第二回 蕎麦喰い地蔵講

第二回 蕎麦喰い地蔵講

創作「九品院 蕎麦地蔵」発表会(はっぴょうえ)

平成18年2月4日(土)午後14
練馬区豊島園駅 九品院本堂

− 蕎麦喰地蔵の『真』 −        文責 世話人会代表 金井政弘

「第二回蕎麦喰地蔵講」を振返り、あらためて蕎麦喰地蔵民話の「真」の偉大さを感
じた。
 このお話の中身は単純でどこにでもある民話に違いない。しかし、この民話を通し
て、知り合った人達や世話人方の行動には、『真実』を求める姿がある。
 藤木住職の法話の「自業自得:良い行いをすれば必ずや良いことが還ってくる」と
いう民話「蕎麦喰地蔵」に伝わる布施の教えは、三遊亭圓窓師匠の落語「九品院の蕎
麦喰地蔵:たぐろう・つゆ・にはちの尾張屋一家の情のこもった落語の一説」は寺と
落語と蕎麦屋の支流が合流してまるで大河の如く流れ、参加者一人一人を吸い寄せる
ように魅了した。


 今回の本当の「真」は、江戸ソバリエ有志による手打ち蕎麦の主宰であるHさんで
ある。第一回目から、蕎麦喰地蔵講に賛同していただき、賄いの皆さんを束ねる。そ
の彼が、今回の蕎麦喰地蔵講の一週前、1月28日の蕎麦打ち段位認定試験にまさか
の不合格。その知らせに世話人のみなが落胆した。蕎麦喰地蔵のご利益は……、誰よ
りも蕎麦打ちに精進されているHさんにお地蔵様は厳しい試練を与えられた。しかも
蕎麦喰地蔵講の出席者には、段位認定試験の審査員であった二名の方々がHさんの打
った蕎麦を手繰るというシナリオである。彼は尋常ならぬ気持ちで当日の蕎麦を打つ
ことになろうと私は考えていた。しかし、彼はこう言い放ったのである。「一週間後
に二回目の受験をしたと思えばよい。こんなチャンスは二度とない。」と。


 圓窓師匠と藤木住職の対談が終わり、座卓に1枚1枚手際よく蒸篭が運ばれていく。
ズズー・ズズーと蕎麦をすする音が寺中に響き渡る頃、一息ついたHさんが登場。
 審査員であったお二人に挨拶され、なにやら楽しく歓談されている表情に私は蕎麦
打ちの「真」を感じ取った。彼は、蕎麦喰地蔵講のプログラムのとりを務め、まさし
く「真の蕎麦打ち」そう「真打ち」となったわけである。
「蕎麦打ちは、他人に食べてもらって評価される。他人に振舞うことを楽しみ、歓び
を感じる」これを実践するHさん、次回の受験はこの秋にやってくる。今回の試練を
糧に必ず、願いは蕎麦喰地蔵に通じるであろう。


− 蕎麦喰地蔵講での そば振る舞いを終えて − 
                   文責 そば打ち研究・無の会 横田元育


 仏教と落語と蕎麦の三拍子そろったコラボレーションの地蔵講で、そば振舞いを務
め、皆様に喜んでいただき、本当にそば打ち道楽者冥利につきました。
 まずは、無の会有志8名で務めた賄い方報告から。
 出席者約60名分、6キロ半のそばを九一(蕎麦9対小麦1)で打ち、そば稲荷寿
司、薬味、つまみ等準備。大釜の弱い火力、ふやけ気味の茹で加減に悩まされたもの
の、冷たい水道水でそばもキリリと締まり、凍える手で何とか盛り、腰のあるそばを
テーブルにピストン輸送できました。
 そば打ち技術は未熟ながら、蕎麦にちなんだ落語で食欲が増し、蕎麦粉のよろしき
を得て、美味しく食べていただけたのではないかと思います。量に余裕無く、もう一
枚という掛け声に十分応えられなかったことが、反省点でした。


 次に、全体的な所感としては、法話と落語を拝聴し、仏教と落語と蕎麦の三者の因
縁につき考えさせられました。
 仏教(寺院)と蕎麦の関係では、古くから寺方蕎麦や寺院でのそばきり振舞いの風
習がありますが、落語は仏教の説教が起源、落語の食べ物にはそばが多く出てくると
いう円窓師匠のお話しから、この三者は相互につながり、切っても切れない深い関係
にあることを再認識しました。
 さらに思いをはせると、落語の祖と言われ、面白い説教をし、オチのついた落とし
話を集めて「醒睡笑」という本にまとめた京都・誓願寺の安楽庵策伝住職の生存期間
は1554年〜1642年。木曽・大桑村の定勝寺で見つかった文書によると、日本
最古のそばきり(包丁で切る麺としてのそば)の記録は、1574年に仏殿の修復工
事の際に村人を招き「ソハキリ」を振舞ったとあります。ということは、落語も麺と
してのそばも、ほぼ同時代の戦国時代中期あたりから江戸時代初期にかけ起こり、一
緒に発展していったことになります。因みに、安楽庵策伝住職の誓願寺の宗派は九品
院と同じ浄土宗ですが、当時の面白い落とし話の説教は、民衆にわかりやすい信仰を
モットーとした法然上人の思想が感じられます。


 当日は、昔ながらに、大勢の人々がお寺に集い、わかりやすく面白い説教、落語を
聞き、笑い、栄養価の高いそばを食べて語り合い、健康で文化的な幸せな立春の一日
を過ごすことができました。円窓師匠の落語の上手さもさることながら、藤木住職の
具体的でわかりやすい法話も魅力的で考えさせられました。願わくば、このような人
々が集まり活気あるお寺文化の復興ですが、地域住民の認知と参加、わかりやすくて
心なごませる地道なイベント企画が、今後の蕎麦喰地蔵講継続のポイントと見ていま
す。


 最後に一言。我々「無の会」の名前は師匠の坂場正則店主の屋号「無識庵越後屋」
から無の一字をいただいたもので、無数、無限の意味を持ちますが、寺方蕎麦に相応
しい名前だと実感しています。「南“無”阿弥陀仏」。さらに一層精進し、今後とも
蕎麦喰地蔵講で栄えあるそば振舞いを務めさせていただければと考えています。


− 蕎麦は世界をつなぐ − 
                    文責 ソバエッセイスト ほし ひかる


 蕎麦好きには、いろんな楽しみ方がある。仲間と一緒に食べ歩くのが楽しみという
人、蕎麦を打って他人様に食べさせるのが好きだという人、あるいは蕎麦の薀蓄を勉
強するのは推理小説を読む以上に面白いという人。このどれかが得意でなければ、蕎
麦通とはいえないだろう。というわけで、蕎麦好きを自称している私も、薀蓄や歴史
を勉強してみようと思った。そんなとき知ったのが、練馬九品院に伝わる「蕎麦喰地
蔵」の民話であった。
 そもそも蕎麦というのは、蕎麦切り(蕎麦)初見(1574年)の寺が木曾の定勝禅寺、江
戸における蕎麦切り初見(1614年)の寺が常明寺という史実が示すように、お寺とは切
っても切れない関係にある。その上この話には、商いとしての蕎麦屋も登場する。蕎
麦史上から見ても面白いと思う。
 よく、蕎麦は庶民の食べ物と言われるが、当初からそうであったわけではない。元
をただせば、寺方料理の点心として食したのが蕎麦であった。それが寺院から独立し、
そのころ経済力を持ちはじめた江戸の町方に好まれるようになって、やがては「俳諧
と蕎麦は、江戸の水によく合う」と言われまでになったのである。
 この間の蕎麦事情を背景にしている民話が、九品院の「蕎麦喰地蔵」である。懇意
にして頂いているご住職は、「蕎麦喰地蔵尊は江戸の宝です」とおっしゃる。この言
葉の意味も重い。そんな蕎麦喰地蔵尊をご縁に、蕎麦の通人はむろんのこと、食に感
謝したいという人たちが段々につながりはじめ、その中から落語家の三遊亭圓窓師匠
ともご縁ができた。師匠は創作落語の名人でもある。この度、圓窓師匠に九品院の民
話「蕎麦喰地蔵」を新作落語として採り上げて頂くことによって、江戸の宝が見事に
蘇った。
 これからも、蕎麦喰地蔵尊をご縁に多くの人がつながっていけば、もっと、もっと
いろんなことができるだろう。
2006.7.31 UP