圓窓五百噺ダイジェスト(い行)

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言訳座頭(いいわけざとう)/家見舞い(いえみまい)/幾代餅(いくよもち)/居酒屋(いざかや)/石返し(いしがえし)
意地比べ(いじくらべ)/磯の鮑(いそのあわび)/いただき猫(いただきねこ)/一眼国(いちがんこく)/一分茶番(いちぶちゃばん)
/井戸の茶碗(いどのちゃわん)/稲川(いながわ)/稲荷車(いなりぐるま)/犬の目(いぬのめ)/居残り佐平次(いのこりさへいじ)
/位牌屋(いはいや)/一文惜しみ(いちもんおしみ)/鼾駕籠(いびきかご)/今戸の狐(いまどのきつね)/今戸焼(いまどやき)

圓窓五百噺ダイジェスト 108 [言訳座頭(いいわけざとう)]

 貧乏長屋に住む按摩の富の市はとても評判がいい。「日頃、みなさんのお世話にな
っていますので」と、頼まれ事は嫌な顔をせず、返って嬉しそうにやり遂げるのであ
る。   
 同じ長屋の甚兵衛はこの大晦日、借金だらけで二進も三進もいかなくなり、なけな
しの五十文を富の市に手渡して「俺の家に借金取りが来たら、巧く言訳をしてくれね
ぇか」と頼み込んだ。
 引き受けた富の市は「借金取りが来るのを待っているようではいけない。こっちか
ら出向いて言訳をしたほうがいい」と言って、甚兵衛を連れて出かけた。
 療治に行ったことのない米屋では最後には「貧乏人から金を取ろうてんなら、さぁ、
殺すんなら殺せ!」と居直る。
 療治に行っている薪屋では「待ってくれないなんて、こんな悲しいことはない」と
大声で泣き出す。
 幼馴染の魚屋では「お前さんは江戸っ子で頼まれたら、いやとは言わない男だ。こ
の甚兵衛さんは親孝行でね。でも貧乏なんだ。だから、借金は待ってやっておくれよ。
ついでにいくらか小遣いをやっておくれな」と、逆に金を出させる。
 外へ出ると、除夜の鐘が鳴っている。富の市は「こりゃいけねぇ。急いで帰ろう」
と早足に歩き出した。
 甚兵衛があわてて「あと、三軒ほどあるんだよ。頼むよ」
 富の市は「これから家へ帰って、自分の借金の言訳をしなくちゃならない」

(圓窓のひとこと備考)
 大坂から多くの噺を東京へ移入させた、あの名人である三代目の小さんの創作。
 ある日、名人圓喬が楽屋で「こんな噺があるよ」と三代目に語ったのが[催促座頭]。
 昔、座頭の仕事に金貸しもあったので、催促はいつもしていたはず。[催促座頭]
は当然のことが噺になっているので、三代目は「逆に座頭が言訳をして歩いたらどう
だろうか」という発想から創作をしたという。
 あたしは、三代目が移入だけでなく創作もしていたことを知って嬉しくなった。
 楽屋で名人と名人が茶を飲みながら語り合っていたという。どこの寄席の楽屋だろ
うか……。ふとした光景がいい作品を生むことがある。いい逸話である。
2007.3.3 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 93 [家見舞い(いえみまい)](別名・肥瓶)

 兄貴分が新築したというので、八五郎と熊五郎の二人は祝いに水瓶をと思ったが、
先立つ金が乏しい。二人は道具屋へ行ってみるが、高くて手も足も出ない。
 道具屋は「それだけの金なら、そこにある使い古しの水瓶はどうです?」と言う。
 安い理由を訊くと、「古い家をとりこわした後、掘り出した肥瓶(こえがめ)だ」
と言う。
 二人は「よく洗えばいいだろう」とそれを買って、途中の河原で洗って、兄貴の所
へ運び込む。そして、新しい水を張って台所に置いた。
 喜んだ兄貴は二人に食事を振る舞うが、炊き立てのご飯、奴豆腐、おひたしなど膳
に出して、「その瓶の水を使った」と言う。
 二人は慌てて帰ろうとする。
 と、兄貴が水瓶を見て「おりが浮いているな。今度、来るとき鮒を持って来てくれ」
二人は「鮒には及びません。今まで鯉(肥)が入ってました」


 (圓窓のひとこと備考)
 タイトルを[肥瓶]とする場合もある。汚い物を材料にしているので、せめてタイ
トルだけでも、という意識でこの[家見舞い]とすることのほうが多い。
 平成の今日、「病気見舞い」はよく耳にするが、「家見舞い」とか「水見舞い」は
死語に近い。
 
2007.1.2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 94 [幾代餅(いくよもち)]

 搗米屋に奉公する純朴な清蔵は絵草紙の幾代花魁に恋煩いをして寝込んでしまった。
 主人に知れて、怒られると思いきや、「金さえ貯めて吉原に行けば会える」と励ま
され、清蔵は全快して働き出す。
 一年間の給金を全部貯めて、13両2分。それへ主人が足してくれて15両。清蔵
は出入りのお太鼓医者に連れられて吉原へ行き、首尾良く憧れの幾代に会った。
 翌朝、幾代に「今度、いつ来てくんなます?」と言われた清蔵は涙ながらに「また
一年の給金が貯まるまで来られません」と言う。
 その誠にほだされた幾代は「年が明けたら、あなたの元に嫁に行きんす」と約束を
してくれる。
 一年後、約束通り、幾夜は搗米屋へやってきたので、二人はめでたく所帯を持った。
二人は餅屋を開き、幾代餅と名付けて売り出し、大いに繁盛した。そして二人は共白
 髪の生えるまで添い遂げたという。
 それはきっと餅屋を始めたからでしょう、長持ち(餅)したのは。


 (圓窓のひとこと備考)
 この噺、落ちはないので作ってみた。
 同じような噺に[紺屋高尾]がある。餅屋と紺屋の違いがあるだけで、筋はほとん
ど同じ。作品としてどちらが早いのか、はっきりしないが、花魁の知名度としては紺
屋高尾であろう。
 また、古今亭系(志ん生)が[幾代餅]、三遊亭系(円生)が[紺屋高尾]と言え
そうである。
2007.1.2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 95 [居酒屋(いざかや)]

 居酒屋である客が店の小僧をからかいながら酒を飲んでいる。
「銚子を一本」と注文すると、小僧は「宮下へ一升!」と奥へ取り次ぐ。客が驚くと
「お客様は神棚の大神宮様の下の席にいますから、宮下。一升は景気づけです」。
「肴はどんなものがあるんだ?」と聞くと、小僧は「つゆ、はしら、たら、こぶ、あ
んこう、のようなもの。ぶりに、おいもに、すだこ、でございます。フイー」と立て
板に水で並べ立てる。
「じゃ、『のようなもの』ってえのを一人前」と言って、小僧を困らせる。
 また「字に点々が付くと濁る」と小僧が言うと、客は「じゃ、おまえの鼻はバナだ」。
 小僧は「これは、濁りじゃありません。ほくろです」とべそをかく。
 小僧に「鮟鱇鍋」を薦められて、客は「番頭を鍋にしろ。番頭鍋だ」


 (圓窓のひとこと備考)
この噺は[ずっこけ]の導入部だったが、三代目の三遊亭金馬はこの部分だけに焦点
を絞って、このタイトルで一席物とした。
2007.1.2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 111 [石返し(いしがえし)]

 屋台の夜鳴き蕎麦屋の善兵衛は疝気がおきて、今晩はとても商いに出られそうもな
い。そこで、倅の与太郎に一人でやらせることにした。
「ときどき、お父っつぁんにくっついて商いに出たこともあるんだから、おおかたの
ことは出来るだろう」
 と、改めて売り声や作る手順を教えてから、与太郎を商いに出した。
 売り声もなかなか巧く言えないくらいだから、ちっとも商いにならない。
 担いで流しているうちに暗くて寂しい所に出た。片側が石垣、片側がどぶ川の大き
な屋敷。一段と売り声を張り上げると、石垣の上の方から侍の声が聞こえた。
「総仕舞いにしてやるから、蕎麦と汁を別々に残らずここに入れろ」と、上から紐に
吊るされた鍋と徳利が下がってきた。与太郎が喜んでそれへ蕎麦と汁を入れると、引
き上げられ、窓の中に消えた。
 与太郎が代金の催促をすると、「石垣に沿って右へ回ると門番の爺がいる。そこで
貰え」と返事。
 すぐに門番の所へ行くと、「あそこには人は住んでいない。窓から声を掛けたのは
狸。鍋は狸の金玉。お前は化かされたのだから、あきらめろ」と言われ、与太郎は泣
きべそをかきながら家へ戻った。
 与太郎から話を聞いた親父は「あそこは番町の鍋屋敷といって、悪い侍たちが夜商
人をいじめるのだ。よし。これから仕返しに行こう」と、屋台の看板を〈汁粉屋〉と
書き換え、与太郎と一緒に番町へ向かった。
「汁粉ぉー、白玉ぁ」と声を張り上げると、上から呼び止められ、鍋が下がってきた。
親父は鍋の紐を外すと、側にある大きな石を結わえた。その間に与太郎に小声で「鍋
を抱えて家に帰れ」と言う。
 そうとは知らぬ侍は引き上げて驚いた。
「おっ、なんだ、この石は!」
「へい。さっきの意趣(石)返しです」
「鍋を返せ!」
「今、どこかへ持って行きました」
「その者を捕らえろ!」
「人ではございませんで、実はあれは狸で」
「なにぃ、狸だぁ!」
「狸は夜になると、鍋を取るのが仕事なんで」
「そんな仕事があるか!」
「狸の夜なべ(鍋)仕事でございます」

(圓窓のひとこと備考)
〈意趣〉という死語に近い語彙なので、落ちも通じなくなってしまった。他の噺の
中で〈意趣遺恨〉という言葉を使うことがあるが、意趣だけではピンとこない。
 そんなことから、落ちを変えてみた。決していいとは言えないが、わからないより
はいいだろう、というレベルで今のところ甘んじている。
2007.3.3 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 96 [意地比べ(いじくらべ)]

 金を借りたとき、貸し手の竹井屋の主から「無利息、無証文、いつでも都合がつい
た時に返せばいいよ」と言われて、男は絶対に一ヶ月で返済しようと心に誓った。
 ところが、一ヶ月経っても返すあてがないので、男は別の富士屋の主に泣きついて
金を融通してもらって返しに行った。
 だが、竹井屋は「そんな無理をした金は受け取れない」と言って受け取らない。
 仕方なく、その金を富士屋へ戻しに行くと「一度出した物は受け取れない」と言っ
て突っ返えされてしまった。
 再度、男は竹井屋へ行き、「どうしても返済したい」と気持ちを述べる。
 竹井屋は「そんなに言うなら受け取ってもいいが、ちょうど一ヶ月目は明日の朝十
時だから、それまでは受け取れない」と言う。
 二人は金を挟んで、睨めっこが始めた。
 そのうちに竹井屋は腹が減ってきたので「一緒に飯を食おう」と言い出し、息子に
牛肉を買いに行かせる。
 しかし、いくら待っても息子が帰って来ないので、竹井屋は様子を見に行くと、倅
は路上で見知らぬ男と、お互いに道を譲らないとかで、睨めっこをしているではない
か。
 竹井屋「倅。かまわないから、お前は牛肉を買いに行ってきな。その間、代わりに
俺が立っているから」


 (圓窓のひとこと備考)
 明治末の新作で、岡鬼太郎(おか・おにたろう)という劇作家の作。落ちの部分は
中国の笑い話からとったとか。
2007.1.2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 128 [磯の鮑(いそのあわび)]

 与太郎はいたずら好きの連中に担がれて、女郎買いの名人を訪ねてた。女郎買いの
極意を教わることになったのだ。
 その名人と言われている者も面白がって、女郎買いの仕来りを一通り教えて、「最
後にお引けのとき、必ず花魁にこう言いなさい。『あたしは前々から花魁を知ってい
たが、いい折がなくて上れなかった。今夜、やっとのことで上って、思いが叶った。
これが本当の〈磯の鮑の片思い〉なんでしょうね、花魁』と、こう言いながら花魁の
膝を抓るのです。花魁は間違いなく嬉しそうに痛がりますから。もてますよ」
 与太郎は喜んで吉原へ出掛け、店に上って教わった通りにやるのだが、メチャクチ
ャでまとまらない。
 そして、いよいよお引けのとき、与太郎は必死になって忘れかけていることを思い
出しながら「これが本当の〈伊豆の山葵の片思い〉でしょうね、花魁」と抓った。
 与太郎の馬鹿力が入ったもんですから、花魁は思わず「ああ、痛いこと。涙が出や
んした」
 与太郎は「じゃ、今の山葵が利いたんだ」

(圓窓のひとこと備考)
 廓噺の口演の機会も少なくなった。話芸は時代に合う合わないは重要な問題だ。
 戦前の軍国主義の時代は成功美談を主張する講釈が持て囃された。しかし、戦後は
失敗美談の落語が盛り上がった。
 悲しいかな……、話芸は政治によって、いとも簡単にどうにでもなるようだ。
2007/3/11 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 101 [いただき猫(いただきねこ)]

 東海道掛川の宿、道を挟んで左右に二軒の餅屋。左の月之屋はばあさんが一人でや
っている小さくて寂れた店。右の搗き立て屋は若夫婦がやっていて大きくきれいで繁
盛している。ともに猫餅を名物としている。
 宿に入ってきた旅人が左の月之屋のほうが面白そうだと、店にやってきて、そこの
ばあさんから猫餅の由来を聞き出した。
 それによると、
「以前は前の店は蕎麦屋だった。こっちは餅屋。ある夜、闇の中で鳴いている黒い子
猫を拾って闇太郎と名付けて飼った。この闇太郎は妙な癖があって、お客が餅代を六
文、銭箱の上へのせると、その銭をジーッと見てから、ニャーッと鳴いて銭を前足で
箱の中へかき落とすのだ。これが評判となったので、餅の名を猫餅とした。
 すると、前の蕎麦屋が〈搗き立て屋〉と名前を変えて餅屋を始めた。しばらくする
と、その搗き立て屋が『闇太郎を貸してくださいな。銭箱の上にちょっと座らせたい
ので』とやってきた。人のいいうちのじいさんは『どうぞ、どうぞ』と貸してやった。
 ところが、闇太郎は嫌がって隙を見て戻ってきた。と、また搗き立て屋がやってき
て闇太郎を連れて行く。そんなことを何度も繰り返して五日ほど経った。六日目、闇
太郎は戻ってこなかった。それもそのはず、搗き立て屋に殺されたのであろう、川に
浮んでいた。
 しばらくしてから、搗き立て屋は猫餅本家の幟を立てて、客を呼び込んだため、月
之屋は寂れてしまい、じいさんはそれを気病みにして息を引き取った。
 近くに住む喜作という若い百姓が客を引くようにと、招き猫を彫ってくれたので、
銭箱の上に載せておいたが、その猫は鼠に鼻を齧られてしまった」というのだ。
 これを聞いた旅人はその猫を直して、〈いただき猫〉と名付けた。その猫の手のひ
らに餅代をのせると、ニャーと鳴いて手のひらを返して銭を箱の中に落すのだ。旅人
は名も告げずに店を出て行った。
 このいただき猫が評判となり、月之屋は繁盛し出した。参勤交代で道中をしている
雲州松江の城主、松平出羽守の耳に入り、「余も猫餅を食したいのぅ。いただき猫に
勘定を払いたいのぅ」とやってきた。猫餅を食し、いただき猫に勘定を払い、その鑿
の跡を見て「この作者は飛騨高山の左甚五郎利勝に相違あるまい」と看破し、ばあさ
ん、喜作ともどもに褒美金をやった。
 そんなことから、店はまた評判を呼んだ。
 と、前の搗き立て屋に客は来なくなり、奉公人も一人去り二人去り。女房もどこか
へ行ってしまった。店もつぶれ、搗き立て屋は姿を消してしまった。
 そんなことから、四日ほど経ったある日、やってきたのがあの旅人。今度はあたし
の話を聞いてもらいたい、とばあさんに言い出した。
 それによると、「昨日、浜名湖の辺り回ったとき、身を投げようとする者がいたの
で、引き止めて話を聞いてみると、なんと、この前の搗き立て屋なんだ。『闇太郎を
殺したのはあたしでございます。取り返しのつかないことをしでかしました』と泣い
て言った。『その言葉を月之屋の前で正直に言えるかい』と言ったら、『はい』と言
うので連れてきた。詫びを聞いてもらえるかな」という。
 搗き立て屋は詫び、月之屋は許した。そして、搗き立て屋は一からやり直そうと、
月之屋の奉公人となり働き出した。
 こんなことがあって、また一段と評判となり、店の前はズラーという何本もの行列。
掛川から江戸や大阪へ。死んだ闇太郎の墓に線香を上げたい行列が金沢まで。なんで
もいいから覗いてみたいという行列がこれまた秋田まで。遠州灘を背中にして、この
月之屋が行列の要になり、大阪、金沢、秋田、江戸と扇状に行列ができた。
 店の者を増やしても増やしても、忙しいのなんのって、テンテコ舞。
 今日も今日とて、おばあさん。朝、眠い目をこすりながら、店の戸を開けると、い
つもの行列の他に、なんと、どっからやってきたのか、ニャーニャー、ニャーニャー、
猫がどっさりと集まっている。
 ばあさんはたまげて「これこれ、猫たちよ。なにしにきたのじゃッ」
 すると、猫たちが「はい、ばばさま。猫の手をお貸しします」

(圓窓のひとこと備考)
 甚五郎シリーズとして講釈や浪曲で演られていた[猫餅の由来]をあたしが落語化
した。餅よりも〈闇太郎〉と〈いただき猫〉の二匹の猫に人間味を感じたので、それ
へ焦点を当ててみた。
2007.2.21 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 97 [一眼国(いちがんこく)]

 見世物小屋の主が、諸国を歩いている六十六部から旅先で一つ目の子供を見た話を
聞いた。早速、商売気を起こして話を頼りに一つ目の人間を探しに出掛けた。
 いい塩梅にその子供を見つけたので、子供をさらって逃げようとしたが、悲鳴を上
げられ、村人に追いかけられて捕まってしまった。
 主は取り調べを受けるために代官所に引っ張られて行った。そこで、周りの人たち
を見ると、なんと、みんな一つ目ではないか。
 そこへ役人が出頭してこの主の顔をまじまじと見て、「おっ、こやつには目が二つ
ある。調べは後回しだ。早速、見世物へ出せ」


 (圓窓のひとこと備考)
 物の価値というものは「何が正常で、何が異常か、という絶対的な物は存在しない」
ということをこの噺は相対性を持ってよく説明している。
「障害者を傷つける噺」「見世物小屋の主が見世物になるという、最後は同じ境遇に
合うという噺」などという感想もあるが、「哲学的テーマを持った噺」という意見に
も耳を傾けたい。
2007.1.2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 112 [一分茶番(いちぶちゃばん)]

 素人芝居で〈鎌倉山〉を演ることになったが、伊勢屋の若旦那が自分の役が不満で
来ない。
 仕方ないので、世話人の番頭は急遽、飯焚きの権助に代役を頼もうと、芝居の実力
のほどを訊く。
 と、権助は自慢げに経験したことを話すので、なんとか演ってくれるだろうと、権
助に一分の駄賃をやって代演を頼んだ。
 急いで、番頭が権助に役の説明をする。「近江の小藤太という者に頼まれて、宝蔵
に忍び込み譲葉(ゆずりは)の御鏡(みかがみ)を奪い取って逃げようとする泥棒の
役だ。ところが、夜回りの道三に捕まって縛られて、『何者に頼まれた』と責められ
る。ついに『実は近江の小藤太に』と白状に及ぶところで、いつの間にか、やってき
た小藤太に首を切られる。それがお前さんの役だ」と。
 それを聞いた権助は「泥棒にはなりたくねぇ」「縛られるのはいやだ」「首を切ら
れるのもいやだ」と、だだをこねる。
 番頭は「芝居なんだから、縄は自分で後ろで抑えているだけ」「首は張り子の首を
使うから安心しろ」と説得して、舞台に送り出す。
 しかし、権助、段取り通り出来す、芝居はめちゃくちゃになってしまう。
 怒った道三役が権助を本当に縛り上げ、渾身の力を込めて締め上げて「さ、何者に
頼まれた。真っ直ぐに白状しろー」
 権助はあまりの痛さに泣き声で「いてぇ、いてぇ。一分貰って番頭さんに頼まれた」

(圓窓のひとこと備考)
 ちゃんと演ると四十五分はかかる長い噺でもある。それだけに芝居の台詞もちゃん
と言えないと長くは出来ない。寄席では前半で切って「[権助芝居]でございます」
と言って終ることが多い。





圓窓五百噺ダイジェスト 113 [一文惜しみ(いちもんおしみ)]

 神田三河町の初五郎は定職がなく、バクチ場の四文使いをしてなんとか食っている。
 四文使いとは、勝負に負けた者が着物を脱いで「これを金に換えてくれ」と言うと、
質屋へ行って換金してきて、使い賃に四文貰うという使い走り。
 ある日、初五郎は「堅気になりたい」と家主の太郎兵衛に相談をした。
 そこで家主は、まずは元手集めに奉賀帳を作って、初五郎に知るべを回るように知
恵を付けた。
 初五郎が初筆として期待して行った先が、名代のしみったれの徳力屋万右衛門。
 徳力屋が奉賀帳に付け金額が、なんと一文。
 初五郎は「あまりにも少な過ぎる」と怒って、その一文を叩き返した。徳力屋も煙
管で初五郎の額を打って傷を付けた。
 そこで、家主は初五郎に奉行所への駆け込み訴えをさせる。
 南町奉行の大岡越前守は徳力屋を咎めず、初五郎に商売の元手として五貫文(五千
文)を貸し与えた。「その返済は一日一文ずつでよい」という温情。そして改めて、
徳力屋と初五郎に申し渡しをした。
「初五郎の返すべき一日一文を徳力屋方で取り次いで奉行所に届けてもらいたい」
「はっはぁ」
「初五郎は毎日、徳力屋へ一文を届けるのじゃ。よいの」
「へっへぇ」
 翌朝、初五郎は徳力屋へ一文持って行った。
 徳力屋は小僧に一文を奉行所に届けさせた。
 ところが、奉行所の役人は怒り出した。「奉行への返済金を小僧に持たせるとは何
事だッ。徳力屋の主が名主、五人組を同道して毎日一文ずつ奉行所へ届けるのが筋で
ある!」と。
 驚いた徳力屋は名主、五人組を頼んで奉行所へ。一文はいいが、彼らへの礼金が大
変な出費になる。これが毎日、この先、あと九九九日間である。三日間で音をあげた
徳力屋は「いっそのこと、初五郎へ十両やって示談にしたほうが安い」と考え、その
旨を申し出た。
 初五郎は喜んだが、家主は応じない。「十両では正業につけない。千両なくては」
と言い張る。
 千両と聞いて、徳力屋は目を回して倒れた。
 家主は「かわいそうだから、百両で手を打ちましょう。とんだ〈一文惜しみの百両
損〉でしたね」と示談に。
 徳力屋はしみじみと言った。「金というものは、百害あって一利なし」
 と、家主が「こっちは、百両あって一文なし」

(圓窓のひとこと備考)
 講釈から移入された大岡政談の一つなので、落ちはない。しかし、噺にしたのなら、
落ちも付けるべだというのが、あたしの持論。といって、[三方一両損]の落ちのよ
うにテーマから離れた落ちはいただけない。そこで、落ちを付けたが、まだまだだな
ぁ。
2007.3.3 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 98 [井戸の茶碗(いどのちゃわん)]

 裏長屋の浪人の千代田卜斉(ぼくさい)は苦しい生活から先祖伝来の仏像を売り払
うことにした。通りかかった正直清兵衛と言われる屑屋が同情して二百文で買い取っ
た。
 その仏像は細川屋敷の若侍の高木佐太夫に三百文で売れた。
 高木が買った仏像を磨いていると、台座の紙が剥がれて中から小判が五十両出てき
た。
 高木は屑屋を通して仏像を手離した主に返そうとしたが、卜斉は受け取らない。高
木も返さなければ気が済まない、と言う。二人の意地の張り合いで、屑屋は両者の間
を行ったり来たりして、くたくたになってしまった。
 そこで、屑屋は「半分の二十五両ずつに分けて納めてください」と案を出した。
 しかし、卜斉としてはまだ面目ない。屑屋の勧めで、日頃使っている茶碗を高木に
贈ることにして決着に至った。
 この噂が、高木の殿である細川越中守の耳に入り、「その仏像と茶碗を見たい」と
おっしゃった。殿が茶碗をご覧になって「これは井戸の茶碗という名器。三百両で求
めつかわす」と。
 三百両を手にした高木は再び屑屋を呼んで「先例にならって卜斉氏と折半にしたい。
また仲介をしてもらいたい」と言い出した。
 屑屋から話を聞いた卜斉は「金子を受け取る代わりに、娘を高木氏に貰ってもらい
たい」と言う。
 高木の所へ戻ってきた屑屋がそのことを伝え、「承知した」の返事を貰った。
 屑屋も一安心して言った。「娘さんを磨いてごらんなさい、たいした美人になりま
すよ」
 高木が「いや磨くのはよそう、また小判が出るといけない」


 (圓窓のひとこと備考)
 この噺は[茶碗屋敷]という別名もある。講釈から移入されたものなので、もとも
と落ちはなかったが、いつしか付いたのであろう。
 登場人物全員が徹底的に無欲な点が清々しい。
2007.1.2 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 116 [稲川(いながわ)]

 江戸時代に大阪から江戸へ出た相撲の稲川は、十日間全勝したのだが、贔屓がまる
っきりつかない。
 考え込む日々が続いた。
 ある日、部屋に乞食が来て「金銭が欲しいわけではありません。関取に食ってもら
いたいものがあるのです。乞食の持ってきた物、食べていただけますでしょうか」と
言って、蕎麦を差し出した。
 稲川は「贔屓なら大名でもおこもさんでも同じにありがたいもの」と、これを喜ん
で食べた。
 実はこの乞食は魚河岸の者で、稲川の気持ちを試すために変装して来たのだった。
稲川の人を差別しない気持ちに感激した魚河岸の連中は、改めて大いに持て成して、
幟を作ってやった。
 稲川は泣いて喜んだ。「江戸に下(くだ)ったこの稲川。これを持って大坂へ上り
(のぼり・幟)ます」

(圓窓のひとこと備考)
 この噺が実説かどうかわからない。同じような逸話は他の力士の名前で伝わってい
るものもあるからだ。浄瑠璃の〈関取千両幟〉にも稲川が登場する。
 昔から落ちはないので、あたしが思案して付けた。
2007.3.5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 117 [稲荷車(いなりぐるま)]

 無尽に当たって三百円を得て嬉しくなり、夜更けまでしたたかに酒を飲んだ男が、
上野の坂本から人力車に乗った。
 男が「王子まで」と言うと、車夫は途端に真っ青な顔になり「王子は……」と断る。
男が「なぜだ」と訊くと、車夫はこわごわ話を始めた。
「あたしは臆病者でして、以前、車夫仲間が王子にさしかかった所で、道がわからな
くなったそうで。王子近辺はいつも通っているんですが、その日は同じ所をぐるぐる
と回ったり、知らない所へ出たりして。そのうちに乗っているお客が『危ないよッ』
と叫ぶので、ひょいと止ってよく見たら、川を渡ろうとしていたそうなんです。それ
も橋のない所。そのまま行けば川へ落ちるところだったそうです。
 狐に化かされていたんです、その車夫は。あたしはそれを聞いただけで、体が動か
なくなりました。ですから、王子は行きたくないんです。あたしの家は三ノ輪の新町
ですので、そこへなら行けます。新町辺りで臆病の太助といえば誰一人知らないもの
はいないという。嘘だと思ったら一緒に新町へ行きましょう」
 これを聞いた男は酔いも手伝ってか、この車夫にいたずらしてやろうと、「我は王
子稲荷大明神のお使い姫の狐であるぞ。故あって人間に姿を変え、この車に乗ったの
じゃ。王子へやれ。我の穴に戻るのじゃ。その代わり、その方の家に福を授けるであ
ろう」と神懸りのように言った。
 驚いた車夫はおっかなびっくりで車を曳くと王子稲荷の前へ。
 男は降りるとき「車代を払ってもよいが、どうせ後で木の葉になるであろうから、
無駄である。このまま払わずに降りるぞ」と言って社の中に姿を消した。
 そのあと、車夫は一目散に自宅へ戻って、女房にこの話をした。
 女房は「福が舞い込んでくれれば、ありがたいね」と言いながら、車を仕舞おうと
して座席に風呂敷包があるのに気が付いた。開けてみると、三百円という大金。
夫婦は「福が舞い込んだ」と大喜び。翌日は朝から近所の人達にきてもらって、わ
けを話して飲めや唄えのドンチャン騒ぎ。
 一方、ただ乗りをした酔っ払いの男は自宅へ辿り着くと、そのまま倒れるように横
になると、潰れたようにぐっすりと寝込んだ。翌朝、目を覚まして無尽に当たった三
百円がないことに気が付いた。うろ覚えの記憶をたぐっていくと、どうやら車の中に
忘れたらしい。
 すぐに、三ノ輪……、新町……、車屋……、臆病者……、太助……、を頼りに訪ね
回り、ついにその長屋を突き止めた。
 長屋では、なにやら祭のような賑わい。太助宅へ入って行った。
 長屋の者が出てきて「どなたさまですな?」と訊くので、「太助さまに会いにきまし
た。わたくしは昨夜の王子の……」と言うと、「お狐さまがいらっしゃった!」と絶叫
したもんで、また一段と長屋中が大騒ぎになった。
 奥で酔い潰れていた車夫の太助も起こされて、出てきた。
 男は恥をしのんで白状するしかないと、覚悟を決めて、「穴があったら、入りたい思
いです……」
 すると、太助が「では、この油揚げをお土産にどうぞ」

(圓窓のひとこと備考)
 人をからかったがために、えらい損をしたというこの噺。現代でもありそうなこと。
 捨てたゴミの中に大金が紛れ込んでいた、というニュースをよく聞くが、これは人を
からかった結果ではなさそうだ。
2007/3/11 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 118 [犬の目(いぬのめ)]

 外国から来たシャボンという名の医者がいる。シャボンは自らを「名医」と言うが、
どうやら「迷医」のようだ。
 ある日、やってきた患者の眼を診て「もう手遅れだ」と言って、その眼をくり抜い
て、それを洗ったのだが、眼がふやけて元に戻らなくなってしまった。それでは日向
で乾かそうと、窓際に並べておいたら、それを犬が食べてしまった。
 そこでシャボンは犬の目をくりぬいて、この患者に嵌め込んだ。
 患者はさまようような足取りで帰って行ったが、翌日、またやってきた。
「先生。ものはよく見えるのですが、小便する度に片足が持ち上がって、疲れて困り
ます」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は〈聞き上手〉にある江戸小咄。落ちは犬の習性を使ったさまざまなものがあ
る。「小便をするときーーー」程度なら可愛らしくていい。
2007.3.5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 99 [居残り佐平次(いのこりさへいじ)]

 若い者が集まって、品川へ女郎買いに行くことになった。仕切り役を引き受けた佐
平次は前もってみんなから割り前を集めてから言った。
「遊んだ翌朝は、俺に構わずにみんな黙って帰ってほしい。で、この金は俺の世話に
なった伯母に届けてくれ。女郎屋への勘定はあとでなんとかするから」と言う。
 みんなはどういうことだか、飲み込めなかったが、品川に繰り込んで遊び、翌朝、
佐平次を残して帰って行った。
 一人残った佐平次に店の若い衆が勘定書を持ってきたが、佐平次は平然と「金はな
い」と言い放った。若い衆が問詰めると佐平次は「昨日の連中が、今夜、裏を
返しにくるので、それまでつなぐのが俺の役目」とうそぶく。夜になっても、連中は
来るはずはない。と、佐平次は「あの連中はどこの誰だか知らない。なにしろ、昨日
品川の通りで初めて会った人たちだから」とまたもうそぶく。
 若い衆は呆れ果てたが、佐平次は自ら「布団部屋へ行きやしょう」と申し出て、居
残りとなった。
 そのうちに客の立て込んだ日があって、店に揚がった客に、女も来ない、若い衆も
顔を見せないということがある。と、佐平次はその客の部屋へ入って、女が来るまで
の退屈しのぎの時間を取り持って、客を喜ばした。客の扱いが巧いので人気が出て、
居残りをもじった呼び名で「イノさん」「イノさん」と呼ばれて評判がいい。客も喜
んで佐平次に酒の相手にしたり祝儀をはずんだり。
 黙っていられないのが、店の若い衆。客からの祝儀がめっきり減ったので、主人に
佐平次を追い出すように申し出た。
 主人に呼ばれた居残り、「実はここを出ると役人に終われる身。こちらにご迷惑を
かけたくはないので、遠くへ逃げます。が、先立つ路銀が心許ないので困ってます」
とまたもやうそぶく。
 主人は関わり合いになるよりは、と路銀を奮発して渡す。
 佐平次の去って行ったあと、店の若い衆が主人に「あいつは、こういうことをしては、
儲けている、札付きのワルだそうです」
「しかし、あの男は座持ちは巧かった。お客もあんなに喜んでいた」
「でも、あんなヤツがいると、われわれは」
「お前たちのそれは焼き餅(持ち)だ」



(圓窓のひとこと備考)
 廓噺の中の大作ではあるが、どうも後味が悪い。というのは、無銭飲食が成功した
という結果のせいであろう。悪が栄えるというのは、落語の本質ではない。
 失敗することによって、面白さを醸し出すのである。
 1957年に日活で製作された映画、川島雄三監督の名作「幕末太陽伝」」はこの
噺が舞台となっていて、多彩な廓噺が織り込まれている。主演はどっしりとした軽妙
さのフランキー堺。石原裕次郎が高杉晋作の役で出演もしている。
 落ちの「おこわにかける」は完全に死語になっているので、通用しなくなった。
〈おこわ〉というのは、室町時代に「醜い女」を恐ろしいという意から生まれた語で
「おこわ」と呼んでいた。江戸時代になって〈つつもたせ〉のだます意味に変わった
らしい。




圓窓五百噺ダイジェスト 119 [位牌屋(いはいや)]

 ここの旦那は名代のけちんぼうで、番頭が「坊ちゃんのお誕生、おめでとうござい
ます」と言うと、「入費がかかるのに、なにがめでたいんだ」と怒る始末。
 八百屋が摘み菜を売りに来ると、筵に菜をあけさせて、さんざん冷やかした挙句に
買わない。八百屋が怒って行ってしまうと、小僧の定吉に「こぼれている摘み菜を拾
え。おつけの実になるから」と。
 芋屋が来ると「ああ、いい芋だな。昔、琉球から薩摩へ献上した芋みたいだ。それ
を一つ負けておきな」と言う。芋屋が「承知しました」と一つ負けると、また同じこ
とを何度もくり返して、芋をいくつも巻き上げてしまう。
 そのあと、定吉に「仏師屋へ行って、誂えた位牌を受け取って来い」と言い付ける。
 定吉は仏師屋へ行くと、さっきの旦那と芋屋のやりとりをそっくり真似て「いい位
牌だ。むかし琉球から薩摩様へ献上した位牌だ。これを一つお負け」と彫り損ないの
位牌も貰ってしまう。
 店へ戻ると、自慢げに旦那に話す。
 旦那は「位牌を余計に貰ってきて、どうするんだ。同じ貰うんなら、もっと大きい
のにしろ。こんな小さい位牌を貰ってきて」
 定吉は「生まれた坊ちゃんのになさいまし」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は〈咄土産〉に載っている江戸小咄だが、土佐の民話にもあるらしい。
2007.3.5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 122 [鼾駕籠(いびきかご)]

 駕籠屋が「吉原へ」と言う客を乗せた。
「エ、ホイ、カゴ。エ、ホイ、カゴ」と声も威勢よく担ぎ出した。途中で、駕籠屋の
二人は酒代ほしさにそれとなく声を掛け合った。
「相棒。昨日、乗ってくださったお客は粋なお客だったな」
「そうそう。『これほど担ぎっ振りのいい駕籠屋は初めてだ』って」
「降りるとき、駕籠賃の他に酒代を五百ずつくれたよな」
「そうそう。いいお客だったよ」
 ところが、駕籠の中の客はグウグウと鼾をかいて寝ている振りをしている。
駕籠屋は駕籠を上下に大きくいたぶって、客を起こそうとしたが、相変わらず、グウ
グウと大きな鼾で目も覚まさない。
 やがて、雷門辺りにさしかかると、客は目を覚まして言った。
「駕籠屋さん。昨日、乗せてもらった駕籠は粋な駕籠屋だったよ。『これほど乗りっ
振っりのいい客は初めてだ』って。こっちが降りるとき、あたしに酒代を五百くれま
したよ」
 すると、駕籠屋は担ぎながら、「グウー、グウー」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は〈聞童子〉に載っている江戸小咄。マクラでよく使われるが、一席物でも充
分に成り立つ。
 なぜ膨らませなかったのか、不思議でならない。膨らませてみた。
2007.3.5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 120 [今戸の狐(いまどのきつね)]

 中橋の初代の三笑亭可楽の門下に良輔という若いまだ通い前座の噺家がいた。
 橋場の貧乏長屋に住んでいるのだが、収入がなく暮らし向きに困り、近所の瓦職人
に相談をすると、今戸焼の彩色(さいしき)の内職を紹介された。自宅で土の狐の人
形に彩色を始めたが、みっともないので雨戸を閉めて引き窓からの明かりを頼りに筆
を使った。
 この長屋の向かいに住んでいるのが、背負い小間物屋。その女房は千住の女郎上が
りだが、働き者で近所の評判もよく、骨(こつ・千住)の妻(さい)と言われている。
 ある日、骨の妻が屋根で洗濯物を干しながら、ふと引き窓から見たのが、良輔の内
職の様子。「あたしもやりたい」と良輔の家を訪ねた。
 良輔はあわてて人形や道具を戸棚に隠して「内職などしていない」ととぼけるが、
屋根から見られたと知ると「人には言わないでくださいよ」と口止めをして、狐の彩
色を紹介する。
 中橋の可楽の家では、毎晩四つ(午後十時)過ぎ、寄席がはねてから、前座がワリ
(出演者側の収入分)の銭や前座が小遣い稼ぎに中入りで売った籤の売り上げを勘定
する。と、どうしても、銭の音が、ザラザラ、チャラチャラとする。
 この音を聞きつけて乗り込んできたのが、ぐず寅というヤクザ。「素人がバクチを
打つとは不届きだ。見逃してやるから口止め料を出せ」と強請(ゆす)るのである。
 可楽は「あたしはバクチは大嫌いな噺家。弟子にも禁じている。とんだお門違いだ。
帰ってくれ」と奥へ入ってしまう。
 怒ったヤクザは「狐(三つのサイコロを使うバクチ)ができていることは、探(さ
ぐ)ってあるのだ」と、弟子にすごんで見せた。
 これを「今戸焼の狐」と勘違いをした弟子は、こわごわ、良輔の家を教えてしまう。
 良輔の家へやって来たヤクザと良輔の二人は「バクチ」と「焼き物」の勘違い、食
い違いを繰り返して、埒があかない。
 業を煮やしたグズ寅は戸棚の中にバクチ場があると思って、上り込んで戸棚を開け
ると、なんと、土人形の狐。
 グズ寅は怒鳴った。「俺の言ってんのは、骨(こつ)の賽(さい)だ」
 良輔は「それはお向かいのおかみさんです」

(圓窓のひとこと備考)
 江戸の雑学が豊富に含まれている噺なので、その方面の好きな人には感動的な噺だ
が、そうでもない人には回りっくどい噺に思えるだろう。
 演者も語彙の意味を伝える工夫をしなければならない。それがあまりにも紋切り型
の説明・解釈となってしまうと、耳障りとなってしまう。
 千住には罪人の仕置き場があり、〈骨ヶ原(こつがはら・こずかっぱら)〉と言わ
れた。サイコロを〈賽〉というのもバクチ用語である。これらは大学の入試には出な
いが、江戸学検定には出題される可能性が高いので、覚えておいてもらいたい。(笑)
2007.3.5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 121 [今戸焼(いまどやき)]

 亭主が帰宅すると、女房は留守。腹も減っているので沸かそうと、ブツブツと愚痴
をこぼしながら七輪を扇ぎ始めた。
 そこへ女房が帰って来た。
「芝居を見に行ってたの」と言う女房に、一段と腹を立てた亭主は「こっちが汗水流
して働いてんのに、お前は遊んでんのかよッ」と怒鳴ったので、夫婦喧嘩が始まった。
 亭主の文句はまだ続いた。「芝居を見てきたあとのお前の言い草も気に食わねぇ。
『建具屋の吉さんは菊五郎に似ている』とか『源兵衛さんは宗十郎に似ている』とか。
たまには自分の亭主を褒めたらどうなんだ」
 女房は急に笑顔になって「おまえさんだって、福助に似ているよ」
「役者のか?」
「いいえ、今戸焼の」

(圓窓のひとこと備考)
 素焼きの土器を今戸焼と総称したくらい盛んに製造された。焙烙(ほうろく)・人
形・灯心皿・瓦燈(かとう)・土風炉(どぶろ)・蚊いぶし・七輪・火鉢・猫あんか
・植木鉢・招き猫・狸・狐と多種ある。不細工な顔形を〈今戸焼きの福助〉とか、〈
今戸焼きのお多福〉とか悪口に言った。この噺の〈今戸焼の福助〉は、福助の形をし
た火鉢のこと。
2007.3.5 UP