圓窓五百噺ダイジェスト(お行)

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応挙の幽霊(おうきょのゆうれい)/王子の狐(おうじのきつね)/鶯宿梅(おうしゅくばい)/阿武松(おうのまつ)/近江八景(おうみはっけい)
/大どこの犬(おおどこのいぬ)/大安売り(おおやすうり)/大山参り(おおやままいり/おかふい/おかめ団子(おかめだんご)
/お菊の皿(おきくのさら)/お血脈(おけちみゃく)/桶屋裁き(おけやさばき)/おさん茂兵衛(おさんもへえ)
/押絵になった男(おしえになったおとこ)/お七(おしち)/お七の十(おしちのじゅう)/おすわどん/お節徳三郎 上(おせつとくさぶろう じょう)
/お節徳三郎 下(おせつとくさぶろう げ)/お茶汲み(おちゃくみ)/お富の貞操(おとみのていそう)/お花半七・上(おはなはんしち・じょ)
/お花半七・下(おはなはんしち・げ)/お直し(おなおし)/鬼の涙(おにのなみだ)/鬼娘(おにむすめ)/おはぎ大好き(おはぎだいすき)
/お化け長屋(おばけながや)/帯久(おびきゅう)/お藤松五郎(おふじまつごろう)/お神酒徳利(おみきどっくり)/お見立て(おみたて)
/おもと違い(おもとちがい)/親子酒(おやこざけ)/親子蕎麦(おやこそば)/泳ぎの医者(およぎのいしゃ)/お祭佐七(おまつりさしち)
/お若伊之助(おわかいのすけ)/音曲質屋(おんぎょくしちや)/音曲長屋(おんぎょくながや)/女天下(おんなでんか)

圓窓五百噺ダイジェスト 130 [応挙の幽霊(おうきょのゆうれい)]

 ある骨董屋で、なかなか売れなかった円山応挙の掛け軸の幽霊画にやっと買い手が
付いた。品物は翌朝、届けることになった。
 嬉しさもあり、その晩、掛け軸を床の間に掛けて御神酒を供え、掛け軸の幽霊を相
手に一杯やった。
 すると、掛け軸の幽霊も喜んだのか、抜け出して来て、お酌をしたり、三味線をひ
いたり、「あたしにも飲ませてよ」と言い出して、二人でドンチャン騒ぎとなる。
 そのうちに「眠くなりましたので」とその場で横になろうとする。
 ここで幽霊に寝られては、明日、納品ができない。そうはさせじと、起こして掛け
軸の中へ入ってもらおうとしたが、幽霊はフラフラしている。
「困ったなあ。ちゃんと歩けるかい?」
「心配ご無用。幽霊ですから、取られる足はありません」

(圓窓のひとこと備考)
 元の落ちは、幽霊が掛け軸の中に入って横になって寝てしまったので「朝までに酔
いが覚めるかしら?」と言うのだが、どうも薄味。そこで、あたしは改良して演って
いるのだが、やはり、まだまだ味が足りない。
2007.3.11 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 133 [王子の狐(おうじのきつね)]

 熊五郎が王子近辺の田圃道を通り掛かると、稲村の向うで狐がうごめいている。そ
の狐は頭に木の葉を乗せてひょいともんどりを打つと、若い綺麗な女に化けた。
 誰を化かすのかと周りを見回すと誰もいない。「ということはこの俺を化かす気か
……。ならば、こっちから化かしてやれ」といたずら心を起こして、狐のその女にあ
てずっぽうに「お玉ちゃん」と声をかけた。
 すると、女は「あら、兄さん。しばらく」と気軽く応じてきたではないか。
 熊五郎が「近くの扇屋という料理屋で、一杯どうです?」と誘うと、女は嬉しそう
についてきた。
 店に入って二階の部屋へ上がった。酒をやったりとったりすると、女の方が先に酔
ってしまい、床の間の段を枕に寝こんでしまった。
 熊五郎は飲み食いを済ませると、店の女中に「女に財布を預けてあるから、勘定は
女が起きたら貰ってくれ」と店を出てしまった。
 店では女がなかなか起きないので、女中が起こしに行き「お勘定を」と言うと、女
はびっくりしたために神通力を失って元の狐に戻ってしまった。狐は店の者に追われ
て命からがら逃げのびた様子。
 一方、熊五郎は帰りがけに兄貴分のところへ寄り、狐を化かしたこの話をする。
これを聞いた兄弟分は「お稲荷さんのお使い姫の狐をだますなんて、とんでもない
ことだ。罰があたるぞ」と諌めた。
 熊五郎は翌朝、狐に謝ろうと、土産を買って狐の穴を捜しに王子へ行った。見付け
た穴から子狐が出てきたので、話をすると、子狐は「おっ母さんは昨日、人間にだま
されて怪我をして帰ってきた。今、穴の奥で唸って寝ている」という。どうやらこの
子狐の母狐が昨日の狐らしいことがわかった。
 熊五郎は「だました人間はあたしです。お詫びにきました。この土産をおっ母さん
に上げておくれ」と帰った。
 子狐は母狐にその土産をくわえて行き、その話もする。
 母狐は子狐にその土産を開けさせると、中は饅頭。
 子狐は大喜びで食べようとした。
 だが、母狐は言った。「食べるんじゃない。馬の糞かも知れない」

(圓窓のひとこと備考)
 元は上方噺。初代の圓右が東京に移入したといわれているが、江戸小咄にも同じよ
うな作品がある。
 王子は場所としてもってこいだ。由緒ある稲荷があって、扇屋という料理屋もつい
先年までに伝わっていた。かつての扇屋は音無川沿いに建って、風情ある建物であっ
たが、いつしか近代的なビルの中に収まった。が、現在は閉店となっているようだ。
 さて、その扇屋の名物の玉子焼きであるが、店は閉店しても西川書店の隣でお持ち
帰り専用の玉子焼きを販売しているらしい。玉子焼1/2で630円。店はなくなって
も、名物の卵焼きだけはあるという。騙されたと思って、買いに行ってみてください。
 なかったら、騙されたと思って素直にあきらめてくださいよ。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 160[鶯宿梅(おうしゅくばい)]

 八五郎が隠居を訪ねて訊いた。
「〈春雨〉って小唄がありますね。〈私しゃ鶯 主は梅 やがて身まま気ままになる
ならば サア 鶯宿梅じゃないかいな〉ってぇのがありますが、中の〈鶯宿梅〉って
なんです?」
「昔、京の清涼殿の庭の梅の木が枯れた。帝ががっかりしたので、これに似た梅の木
を探したところ、山城西の京にあったので、その梅の木を譲ってもらった。それに短
冊が付いていた。紀貫之の娘がしたためた歌で〈勅なればいとも賢し鶯の宿はと問は
ばいかが答へん〉。歌の意味は〈帝のご命令ですので、この梅の木は謹んで贈呈致し
ます。しかし、毎年、この梅の枝に宿る鴬が「我が宿はどうしたか」と問うたならば、
どう答えたらよいのでしょうか〉ということだ。その梅の木を鶯宿梅というようにな
った」
「その娘は優しいね。そこへいくと、あっしの女房には優しいさのやの字もねぇな。
延つ幕なしに威張ってやがって。それでいて、近所の野良猫には優しいんだ。『タマ
ちゃん。ご飯、お上がりなさい』なんて。あっしにはこうは言わねぇんだよ。『食う
かい、ほら、エサ』って。あっしには宿はねぇも同然だよ。この歌を聞かせてやりて
ぇや」
 八五郎はその歌を紙に書いてもらって、家へ帰った。
 女房は大の字になって昼寝をしていた。
 八五郎は女房を起こして、紙を見せて、歌の話をした。
「〈勅なればいとも賢し鶯の宿はと問はばいかが答へん〉。少しはこの歌を見習え」
「ああ、覚えたよ。その歌の通りにするよ」
「頼むぜ。ところで、腹が減ってんだ。なんか食いてぇな」
「なんにもないよ」
「あそこに烏賊があるじぇねぇか」
「あってもない」
「そいつを煮て飯を食わせろよ」
「そうはいかないよ。歌の通りにするんだから。〈勅なればいとも賢し野良猫の飯は
と泣かば烏賊煮食はさむ〉」

(圓窓のひとこと備考)
 この落語、別名を[春雨茶屋]ともいう。婿に行った男が芸者買いをして春雨を聞
いたとき、「鶯宿梅」を「養子臭い」と聞き違いをして悩むというストーリ。あたし
はあまり好きになれないので、歌を活かしてストーリーを変えてみた。
2007.4.26 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 134 [阿武松(おうのまつ)]

 能登の国から江戸に出てきて武隈(たけくま)という力士の弟子になった若者がい
た。並はずれた大食らいのため、部屋のおかみさんに嫌われて、一分の金を渡され、
故郷へ帰れと部屋を出された。
 憔悴しきってすごすごと板橋の渡しまで来て、川へ身を投げようと決心したが、ふ
と考えた。貰った一分を川へ沈めるのはもったいない。どうせなら腹一杯飯を食べて
から死のうと宿を取る。
 宿では、余りの食欲に驚く。主人が訳を聞いて「もう一度、相撲取りになる気はな
いか。他の親方を紹介しよう」と諫め、翌日、贔屓の尾車親方のところへ連れていく。
 尾車は若者の体を見て一目で惚れてしまった。なぜならば、初代の横綱が明石志賀
之助、二代目が綾川五郎次、三代目が丸山権太左衛門、四代目が谷風梶之助、五代目
が小野川喜三郎、次の横綱が阿武松緑之助という六代目に横綱免許をとる男が硬くお
辞儀をしているからだ。
 尾車はこの若者に自分の入門時の四股名であった小緑を付けた。
 小緑はとんとん拍子に出世をし、入幕して小柳と名を変える。
 明日の取組みはいよいよ〈小柳と武隈〉との顔合わせ。この勝負に勝った小柳が気
に入った長州の松平公は小柳を屋敷に呼んだ。
「小柳。そのほうを召し抱えたい」
「飯抱えたい……? ああ、殿様も大食らいだ」

(圓窓のひとこと備考)
 講釈から移入されたもので落ちはないので、あたしは何度か工夫を試みたが決めら
れなかった。掲出の落ちは吉窓の工夫である。萬窓の落ちは、打っちゃりで勝った小
柳に「土俵際でよく打っちゃったな」「はい。大飯のおかげで俵が残りました」。
 この噺は演りたがる者が多く、また各人が落ちを工夫しているのはいいことである。
 中には「元々、落ちはないものであるから、それを踏襲すべきである」という者も
いるが、あたしは賛同しかねる。創意工夫のないところに、発展はないと思っている
一人である。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 168[近江八景(おうみはっけい)]

 近江から二人の男が江戸へ出てきて、今ではすっかり江戸者になりきっている。
一人は比良の雪助で、遊び好き。今、吉原の竹生楼の近江花魁に夢中になって通っ
ていて、「花魁の美しさは近江八景以上だ」とほうぼうで惚気ている。
 もう一人の膳所の貝助は糞真面目な男で、ことあるごとに雪助の遊びを諌めてきた。
 ところが、雪助は「貝助の村は八景には入ってない膳所(ぜぜ)だ。近江花魁はお
前のような男は相手にしねぇよ。だから、黙っていろよ」と平気なものだ。
ある日、雪助は花魁に情夫がいるのではないか、と不安になり、大道の易者に占っ
てもらった。
易者は「花魁はいっときはお前さんの所に身を寄せるが、いずれ情夫の所に行くだ
ろう」と占った。
雪助は「冗談言っちゃいけねぇや。花魁は俺にぞっこん惚れ込んでいるんだ。俺か
ら離れて行くなんてことはあるものか。その証拠の花魁から貰った手紙がある」と易
者にその手紙を読ませる。
その手紙とは、「恋しき君の面影を、しばしがほども三井もせず、文も矢橋の通ひ
路に、心堅田の雁ならで、われ唐崎の袖の雨、濡れて乾かぬ比良の雪、瀬田の夕べと
うち解けて、堅き心も石山の、月も隠るる恋の闇、粟津に暮らすわが思ひ、不愍と察
しあるならば、また来る春に近江路や、八つの景色に戯れて、書き送る、あらあらか
しこ」
雪助は自慢そうに「どうです、花魁はあっしに惚れてましょ?」
ところが、易者は「そうじゃぁない」と言い出した。
「この文から判断をすると、最初、先の女が〈比良の暮雪〉ほど白粉を塗った姿をお
前がひと目〈三井寺〉より、わが持ち物にしようと心は〈矢橋(やばせ)〉に逸り、
〈唐崎の夜の雨〉と濡れかかっても、先の女が〈秋の月〉だから文の便りも〈堅田〉
より(片便り)、それにお前さんの気がそわそわと〈浮御堂〉、夫婦になっても根が
道〈落(どうらく)雁〉の強い女だけに、所詮、〈瀬田〉い(所帯)は持ちかねる。
〈粟津〉(逢わず)に〈晴嵐〉としてしまいなさい」
 これを聞いた雪助が膨れっ面をして立ち去ろうとしたので、易者は「これこれ、見
料を置いていきなさい」
 と、雪助が「八卦(八景)に銭(膳所)はなかったよ」

(圓窓のひとこと備考)
 室町時代に宋や元の文化が移入され、京都の禅宗寺院を中心に詩文や水墨画が流行
したとき、その題材になったのが「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」。中国湖南
省にある瀟水と湘水の流れを集める洞庭湖の名勝のこと。京急線の金沢八景もそれに
なぞらえた名所である。
《掲載本》「圓生全集 別巻 中(青蛙房)」「百花園(金蘭社)」「文芸倶楽部(博
文館)」
《演者》 小さん(2) 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》 地口 言訳




圓窓五百噺ダイジェスト 169[大どこの犬(おおどこのいぬ)]

 石町の三河屋の前に捨てられた三匹の小犬を、小僧の定吉が拾って育てた。
 その中の黒い犬は岩崎家に貰われて行った。岩崎家の犬ともなれば、犬仲間でも巾
が利き、とうとうその近辺の顔となり、クロ親分と言われるようになった。
 ある日、クロはいじめられている貧弱な犬を助けて、身の上を訊くと、なんと兄弟
の黒ブチだった。
 岩崎の屋敷へ連れてきて、「ここで一緒に暮そう」と話をしていると、そこの坊ち
ゃんに「ワンワン、こい、こい」と呼ばれた。
 クロは「坊ちゃんがなにかくださるので、呼んでいるんだ。貰ってくるから待って
いな」と言って跳んで行くと、間もなくしてクロは鯛を貰って戻ってきた。
 それをブチにやると、ブチは「こんな美味しいものは初めてだ」と涙を流しながら
食べた。
 そのあとも、クロは呼ばれるたびに走って行って、なにか咥えて戻ってくる。
 ブチはそれをガツガツと平らげた。
 また「ワンワン、こい、こい」と呼ばれたので「今度は鰻かな」と言って走ったが、
今度はしょんぼりして帰って来た。 ブチが「鰻でしたか?」
 クロは「ううん。坊ちゃんが小便をしていた」

(圓窓のひとこと備考)
 幼児におしっこをさせるとき、「シー、シー。ワンワン、こい、こい」と言ったも
のだが、最近はどうなんだろうか。
《別名》[鴻池の犬]
《原話》「聞上手(ききじょうず)」の内[犬のとくゐ]1773(安永2年)江戸版
《落ちの要素》 食い違い
《掲載本》「文芸倶楽部(博文館)」「林家正蔵集 下(青蛙房)下・1974(昭和49)
      刊」 《演者》 正蔵(8) 圓窓(6)
2005.5.26 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 135 [大安売り(おおやすうり)]

 勝昇(かちのぼり)という四股名の相撲取りが巡業から戻ってきて、贔屓に招かれ
て成績を問われた。
「はい。勝ったり負けたりでした」
「ほう、初日はどうだった?」「向こうが大き過ぎて、寄ってこられて堪え切れずに
倒されました」
「二日目は?」「相手が小さ過ぎて、あっという間に小股を掬われて、向こうが勝ち
やした」
「三日目は?」「今度は相手の下に潜り込んで、下手投げを打ちましたが、上手投げ
で負けました」
「四日目は勝ったんだろう?」「立ち上がった途端に、張り手をくらって気を失って
倒れて、目を覚ましたら向こうが勝ち名乗りを受けてました」
 ということは、「向こうが勝ったり、こっちが負けたり」で、結局は全敗だった。
贔屓が言った。「今度は四股名を代えたらいい。〈大安売り〉と」
「勝てるようになりますか?」
「なぁに、負け続けるだろう」
 
(圓窓のひとこと備考)
 上方の噺。勝ったり負けたりのその言い訳が面白くて演り手も多い。それらの演者
によって決まり手の説明にさまざまの工夫があり、これも楽しめる。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 136 [大山参り(おおやままいり)]

 ある町内の講中。毎年、大山詣りをしているが、必ず酒を飲んで喧嘩になるので、
今年は防止のために決め事をした。「腹を立てたら者からは二分ずつ取る。暴れた者
を坊主にする」ということで出掛けた。
 お山は無事にお参りできたが、その夜の宿。風呂場で酔っ払った熊五郎が二人の仲
間を相手に大暴れをした。
 二人は「腹を立てたから二分ずつ払う。暴れた熊五郎は坊主にしますから」と息巻
いて、酔い潰れている熊五郎の頭を剃って丸坊主にしてしまった。
 翌朝、一行はまだ寝ている熊五郎をそのままにして、先に宿を立って江戸へ帰った。
 置き去りにされた熊五郎は目を覚ましたやっと坊主にされたことに気づき、頭に手
拭いを巻いて、駕籠を飛ばして先に江戸へ入った。長屋へ着くと、早速、かみさん連
中を呼び集めて話を始めた。
「お山の帰り、一行は金沢八景へ回って見物をしようと舟に乗ったが、海が急に荒れて
舟がひっくりかえり、みんな死んでしまって、助かったのは俺一人。このことを知ら
せようと、供養のため坊主になって帰ってきた」と手拭いを取って坊主頭を見せた。
はじめは信じなかったかみさん連中も、それを見て信じてしまい、熊五郎の勧めに
従って、自分たちもみんな坊主にしてもらった。
 そこへ帰ってきた一行、この有様を見て、連中は腹を立てるが、先達一人は大喜び。
「お山は晴天で無事にすんで、家へ帰ればみんな、お毛(怪我)がなくておめでたい」

(圓窓のひとこと備考)
 江戸の風俗がよくでている噺で、演り手も多い。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 161[おかふい]

 麹町の万屋卯兵衛という質屋の番頭、廓で病気を背負い込んで鼻を悪くさせ、発音
が可変しくなってしまった。周りの者は「可変しい」を「可笑しい」と言って嘲笑し
た。だから、番頭は「鼻なし」「鼻腐(はなくた)」と陰口を言われている。
 主の卯兵衛は四十を過ぎてやっと女房を持つ気になり、それもある大家の美人の娘
を貰った。二人の仲は良かったが、主は体調を崩して寝込んでしまった。病いの床に
ついて悩んだ末に女房に言った。
「あたしの死後、美人のお前が他の男に取られるのではないかと思うと、死んでも死
に切れない。他の男がお前を見向きもしないように不美人になっておくれ。番頭と同
じように鼻腐になっておくれ」
 女房は素直に主の言うとおりに鼻をそいでしまった。
 ところが、一安心した卯兵衛の病気が全快をしてしまった。そして、主は我ままを
言い出した。「妙な顔を見せるな。妙な声を出すな」と女房をうとんじた。
 女房の親が怒って、「あまりにも勝手である」と奉行所に訴った。
 判決の末、「非は主にあり」と、主はお白洲で鼻をそがれてしまった。
 反省した主は女房と元通りに仲直くなった。二人はいつも、いちゃいちゃといちゃ
ついている。 女房「わたくひ(私)は、旦那ひゃま(様)が、いとふぃ(愛しい)」
 主「わたひ(私)は、おまひぇ(お前)が、かわふぃ(可愛い)」
 この会話を聞いていた番頭が「はっはっは、これは、おかふぃ(可笑しい)」

(圓窓のひとこと備考)
 圓生(六代)がよく演っていたが、あたしは演る気はおきなかった。圓生(六代)
は、女房の鼻をそがした主がその鼻を旨そうに食べる場面を設けているのだ。グロで
あり、変態にも等しい。あたしに演る気はおこさせなかった原因の一つでもある。
 えてして、戦前からの落語家には嗜虐性があったのか、グロテスクを多用している
ように思える。三木助(三代)の[ざこ八]にもその傾向が現れていて、皮膚病にか
かった女の症状をくどいほど繰り返す場面があるのも、いただけない。
2007.4.26 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 170[おかめ団子(おかめだんご)]

 文政のある年、諏訪治太夫という釣り好きの浪人が、ある日、品川沖で耳のある奇
妙な亀を釣った。その亀を持ち帰り、自宅の池で飼うことにした。
 女房が池のほとりに茶店を出していたので、珍しい亀を見にきた人に〈亀団子〉と
名付けた団子を売ると、これが大繁盛。
 二代目の女房はおかめに似ていたので、おの字を付けて洒落ておかめ(お亀)団子
とした。おかめ団子はますますの江戸の評判となり、川柳にも「鶴は餅亀は団子で名
が高し」と詠まれた。また、東京の童唄にも「お尻の用心小用心、今日は二十八日、
明日はお亀の団子の日」と唄われた。
 この団子屋は麻生飯倉片町で明治三十年まで営業していた。

 大根を売り歩く貧乏な太助は商いの帰り、毎日のようにこの店に寄って、病に臥せ
っている母親の好物のおかめ団子を買うことにしていた。
 ある日、遅くなってしまって、小僧が暖簾を仕舞い込んでいるところ。小僧は無愛
想に「もうお仕舞いですから」と断った。
 その日の売り上げを勘定していた主が小僧を咎め、一盆の団子を売ってくれた。
 太助はちらっと見た主の勘定している一日の売り上げが、自分の一年間の売り上げ
より多いのにびっくりした。
 帰宅した太助は母親を看病しながらも、あの団子屋の売り上げのことが忘れられず、
母親を医者に掛けたい、いい薬を飲ませたいという一心で、その夜、団子屋に金を借
りようとやってきた。
 とうに表は閉まっている。どうしようかと迷いながら、裏へ回る。木戸を押すと開
いたので庭に入った。すると、植え込みに人影。見つかってはいけないと、石灯籠に
隠れた。
 その人影は庭木に綱をかけると、踏み台に足をかけて登り始めた。首を吊ろうとし
ているのだ。
 太助はとっさに石灯籠から飛び出し、その者を抱きとめて見ると、なんと店の娘。
 娘は涙ながらに訳を話し始めた。「親の決めた縁談が嫌で嫌で、親不孝とは知りな
がら死んだほうがましと思いまして……」
 そこへ主、店の者が出てきて、ともかく娘を部屋へ連れ戻した。
 訳を知った主は「あなたさまは娘の命の恩人です」と太助に深々と頭を下げて礼を
言った。
 太助は恐縮して正直に告白した。「母親を治したいと、こちらへお金を借りにきて
裏へ回り、勝手に入り込みまして、こういう次第で」
 主は「では、今度はこちらから母上を治す手助けをいたしましょう」と、すぐに掛
    かりつけの医者を回し、いい薬をあてがった。
 ふた月かかったが、母親は全快をした。
 娘の縁談も先方に詫びて水に流してもらった。
 その間、太助は今までと同じように毎日、おかめ団子を買いにきた。
 娘も次第に元気になり、店で太助と顔を合わせるのを楽しみにしている様子。
 太助もどうやら母親だけでなく娘に会うために団子を買いにくるようになったよう
だ。
 ある日、太助が団子を買いにきたとき、主は奥へ上げて神妙な顔をして話し出した。
「どうやら、娘が太助さんに惚れているようだ。嫁に貰ってくれないだろうか」
「こんな嬉しいことはありません」
「本当にいいのかい? 首を吊ろうとした娘ですよ」
「なんの、今じゃぁあたしが首ったけです」

(圓窓のひとこと備考)
 元の落ちは「庭に入り込んだ訳を聞いて『孝行するわけだ。大根屋だもの』」と言
う。大根屋が事実なのか、落ちのために大根屋にしたのか判明しないが、やはり軽す
ぎる落ちなので、改作してみた。
 そして、「太助が盗みに入る」という設定も後味悪いので、「金を借りにきた」と
直した。
 とりあえず、また練り上げていきたい噺の一つだ。
《掲載本》「落語全集(講談社)」「文芸倶楽部(博文館)」「林家正蔵集(青蛙房・
      1974(昭和49)刊)」「明治大正落語集成(講談社)6巻・1980(昭和55)
      刊」」
《演者》 圓右(1) 麗々亭柳橋(4) 正蔵(8) 圓窓(6)
《落ちの要素》 縁語 凶を吉に逆転
2007.5.26 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 156 [お菊の皿(おきくのさら)]

 番町に幽霊屋敷があって、夜な夜な幽霊が出るという噂で持ち切り。
 その噂によると、昔、そこの屋敷の主人が大事にしている皿をお菊という女中が一
枚割ってしまった。怒った主人はお菊を斬り伏せると、井戸に投げ込んだ。そのお菊
の怨念が幽霊となって井戸から現われ、悲しげに皿の枚数を「一枚、二枚、、、」と
数えるという。
 怖い物見たさに何人かが、番町の幽霊屋敷に出掛けるようになった。「その声を九
枚まで聞くと命がなくなる」という噂も立つようになった。「でも、六、七枚くらい
で逃げれば大丈夫」とも言われているので、段々と見物客も増え、最近ではお祭り騒
ぎのようになってきた。
 今晩も時刻が来ると、お菊の幽霊が現われて「一枚、二枚、、、、」と勘定が始ま
った。六、七枚で逃げ出そうとしたが、場内は超満員でぶつかり合うだけでなかなか
逃げられない。もたついていると、勘定する声は「九枚、十枚、、、」とどんどん増
えて、十八枚まで数えてしまった。
見物客が「なんで十八枚も数えるんだ」と訊くと、お菊は「明日の晩、休むんだよ」

(圓窓のひとこと備考)
 上方では[皿屋敷]というタイトル。歌舞伎や演劇でも演られる有名な話なので、
返って落語の要素をふんだんに使って演ると楽しいものになる。
2007.4.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 142 [お血脈(おけちみゃく)]

 長野の善光寺でお血脈のご印(いん)を額(ひたい)に頂くと極楽に行けるとのこ
と。大勢の信者が善光寺参りをして、みんな極楽に行ってしまうので、地獄はすっか
り寂れてしまった。
 そこで閻魔大王は地獄復興の会議を開いて、善光寺の血脈の印を奪うことにした。
 選抜された石川五右衛門はお釜の中でひと風呂浴びていたが、知らせを聞いて急い
で閻魔庁へやってきた。
 ありがたく使命を受けて、娑婆の善光寺へやってきた五右衛門は見事に印を盗み出
した。しかし、芝居っ気たっぷりに「ありがてえ、かたじけねえ。まんまと善光寺の
奥殿へ忍び入り、奪ぇ取ったる血脈のご印。これせぇあれば大願成就。ちぇ、かたじ
けねえ」と額にいただいたので、そのまま極楽へ行ってしまった。 

(圓窓のひとこと備考)
 地噺(テーマやストーリーはあって、漫談のように自由奔放にクスグリを挿入する
噺)の代表作。あたしは二つ目の頃、師匠の圓生から「[お血脈]を教えよう」と言
われたときは驚いた。それまで、圓生の地噺を聞いたことはなかったからだ。「へぇ
ぇ、圓生がこんな噺も演るんだ」と知って興奮した覚えがある。
 その当時、あたしはこの噺の中にテレビの〈スパイ大作戦〉の名台詞をパロディー
として挿入した。「おはよう。五右衛門君」「そこで君の使命だが」「成功を祈る」
など。
〈血脈〉とは血統のことでで、その〈印〉を受けることは釈迦から代々伝わってきた
仏法を受け継いで仏弟子になることを意味する。
2007.4.8 UP



圓窓五百噺ダイジェスト 75 [桶屋裁き(おけやさばき)]

 南町奉行の佐々木信濃守はある日、供を連れてお忍びで市中を見回り、新橋近くの
原っぱで子供のお奉行ごっこを目撃した。
 奉行役をやっている子供の頓智の利いた裁決に興味を持ち、供の侍に家を確かめさ
せてると、桶屋の倅で四郎吉ということがわかった。親と町役人同道で奉行所に出向
くよう命じた。
 翌朝、四郎吉が悪さをしたのではないかと心配しながら一同が出頭する。
 奉行は四郎吉を褒め、頓知合戦を始めた。
 奉行「四郎吉。星の数を知っておるか」
 四郎吉「ではお奉行様は白洲の砂利の数を知っていますか?」
 反問されて、奉行は一本取られた。褒美に饅頭をやる。
 奉行「父と母とどちらが好きか?」
 四郎吉「{饅頭を二つに割って}右と左の饅頭、お奉行はどっちが好きですか?」
またも奉行は一本取られた。続いてあとも二、三本取られた。
 その度に奉行に褒められると四郎吉は「こんな頓知は朝飯前」「屁の河童」などと
生意気なことを言う。父親は慌てて止めるが、奉行は繰り返し「親父、うろたえるな。
捨て置け、捨て置け」と親父をなだめる。
 最後に、
 奉行「四郎吉。あの衝立てに描かれた仙人が何か言っているが、聞いて来い」
 四郎吉「聞いてきました。『奉行は馬鹿だ』と言ってました。『なぜならば、絵に
描いたものが口を利くわけない。それを聞いた来いというお奉行はバー、カー、ダ』
って」
 これらの即妙の頓智に痛く感心した佐々木信濃守は「桶屋の倅にしておくのは惜し
い。十五歳になったら、近習に取り立てる」と言い出す。
 四郎吉は大喜びだが、またもや慌て出した父親は「四郎吉。お前は跡継ぎだ。桶屋
はどうする気だ?」
 と、四郎吉は奉行の真似をして「お父っつぁん。捨て桶(置け)」


(圓窓のひとこと備考)
 一休さんの頓智話にも同類のものがある。それを上方の落語家が移入して裁き物と
したのだろう。だから、奉行は誰でもいいわけで、その点は[瓢箪屋政談]と同じタ
イプになる。
 既成のものには落ちはなかったが、あたしが作ったのがこの落ち。
2006・7・31 UP



圓窓五百噺ダイジェスト 171[おさん茂兵衛(おさんもへえ)]

 深川仲町の呉服屋、中島屋の手代の茂兵衛。歳は二十六の働き者で評判はいいが、
堅物で女嫌いで通っていた。
 あるとき、茂兵衛は店の所用で三十両の金を持ち、織り元の桐生へ旅立った。途中、
上尾の宿へかかり、一膳飯屋で昼食をとった。そして、その店で働いている二十三の
器量のいい女に一目惚れしてしまった。「半刻でもいいから話をしてみたい」と気持
ちが昂ぶって抑え切れなくなってしまった。
 ちょうど、側で土地の者同士が茶を飲みながら「この土地の三婦(さぶ)親分は頼
まれれば断らない男気のある人だ」「そうさ。男の中の男だ」と話し合っている。
これを聞いた茂兵衛は三婦親分を訪ねて仲立ちを頼んだ。
 ところが、三婦は「あの女は元は江戸の品川の小三(こさん)という芸者でしたが、
この上尾へきて、おさんと名前を変えて笹屋に勤めていました。それをあたしの子分
の金五郎見初めたもんで、あたしが間に入って夫婦にさせました。そういうわけで、
子分の女房を差し出すことはできません」と断った。
 茂兵衛は所用の三十両を差し出して「人の妻を取るつもりはございません。お茶を
飲みながら世間話の相手をしていただければいいので……」と必死に頼み込んだ。
三婦はそれも断った。
 すると、茂兵衛は悄然として外へ出て、裏へ回ると井戸に飛び込もうとした。
 その熱意に動かされた三婦は、金五郎の所に話を持って行った。
 金五郎の家では夫婦喧嘩の真っ最中。金五郎が工面に窮したので、女房のおさんに
「二、三日でいいから大黒屋で働いてくれ。金が入るんだから」とおさんに言い付け
ると、おさんは「博打の金のためにあたしを働かせるのかい。三婦親分が聞いたら怒
るよ」と拒絶した。
 そこへ三婦がやってきて、三十両出して、茂兵衛のことを持ち出した。
 金五郎は早速に飛び飛び付いたが、おさんは当然「うん」とは言わない。
 三婦と金五郎の二人がかりでおさんを説き伏せて、しぶしぶ承知させた。
 そして、おさんは茂兵衛に会いに行った。
 茂兵衛が涙ながらに「三十両は店の金。あなたに会うために手を付けました。念願
叶ったこのあとは死ぬ覚悟です」と告白した。
 おさんは「亭主の金五郎とは雪と墨。道ならぬことではあるが、こういう人と添い
遂げたい」と覚悟を決めた。
 そして、おさんと茂兵衛は手に手をとって逐電をした。
 三婦は「こんなことになって、申し訳ない」と腹を切るという、おさん茂兵衛 恋
の馴れ初め。

(圓窓のひとこと備考)
 この噺、妙な噺といえば、まことに妙な噺である。〈おさん茂兵衛〉は実際にあっ
た事件を元にした近松門左衛門作の世話浄瑠璃で〈大経師昔暦〉の中の二人。〈小さ
ん金五郎〉は四世鶴屋南北作の〈籠釣瓶花街酔醒〉の書き換え狂言で〈杜若艶色紫(
かきつばたいろもえどぞめ)〉の中の二人。
 二つの狂言から四人の名前を借用してもっともらしい噺に仕立てたのがこの噺。
《演者》 圓朝 三遊一朝 圓生(6) 圓窓(6)
《掲載本》「圓生全集 10巻(青蛙房)1962(昭和37)刊」
2007.5.17 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 143 [押絵になった男(おしえになったおとこ)]

 日本橋本町の平井屋呉服店の長男の幸一郎は生真面目なのはいいのだが、このとこ
ろ顔色が悪い。それでいて毎日、昼過ぎになると肩から遠眼鏡を下げてフラフラッと
出掛けると、日暮れまで帰ってこない。
 両親は心配をして次男の福次郎を呼んで、「今日、幸一郎が出掛けたら後を付けて
おくれ」と頼んだ。
 その昼過ぎ、幸一郎は日本橋通りへ出ると馬車鉄道に乗って上野で降りた。あと、
歩いて浅草の十二階といわれた凌雲閣(りょううんかく)へ。入口から塔の中へ入っ
て頂上へ辿り着くと、遠眼鏡でしきりと観音さまの境内を眺め始めた。
 幸次郎が声を掛けると、幸一郎はやっと秘密を打ち明けた。それによると、
「ひと月前、遠眼鏡を手に入れてこの十二階から観音さまの境内を眺めていた。チラ
ッと一人の娘の顔を見たのだ。あまりの美しさにびっくりして、目から遠眼鏡を外し
てしまった。もう一度見ようと、毎日こうしてここから捜してんだが、見付からない」
「そうだったんですか」
 すると、また遠眼鏡を覗いていた幸一郎がいきなり幸次郎に声を掛けると、下へ走
り出した。
「観音さまの裏手、大きな松の木が目印だ。その娘は青畳を敷いた広い座敷に座って
いるんだよ」
 やってくると、いろんな露店が並んでいて、中に一軒の覗きカラクリをやっている
カラクリ屋。幸一郎はそのカラクリの穴の眼鏡を中腰になって覗いてから幸次郎に言
った。
「これは八百屋お七のカラクリ。吉祥寺の書院でお七が吉三にしなだれかかっている
絵が出ている。あたしが十二階から見つけた娘はこの押絵のお七だったんだ」
「押絵のお七に惚れたんですか?」
「わたしはあの吉三のように押絵の中に入って、お七と話がしてみたい」
「そんなこと、無理ですよ」
「幸次郎に頼みがある。この遠眼鏡を逆さにして、大きなガラス玉のほうを目にあて
て、そこから私を見ておくれ」幸次郎が言われた通りにすると、幸一郎はこのカラク
リ屋の前に立った。と、幸一郎の姿が見える。その幸一郎が後ろへ下がって行くと、
遠眼鏡の中の幸一郎は段々と
 小さくなって、そのうちにカラクリの覗き穴の中へ消えてしまった。
 幸次郎はカラクリ屋に頼んで、吉祥寺の書院の場の絵を見せてもらった。なんと、
押絵の吉三が幸一郎になっていたのだ。
 幸次郎はその絵を二十円で買い取った。
 両親に見せると、父親はあり得ないと言い張ったが、母親は「これでいいじゃあり
ませんか。幸一郎はこのお七に惚れ抜いて押絵になったんでしょう。ごらんなさい。
満足そうな笑みを浮かべて。それにこのお七の綺麗なこと。堅物の幸一郎が見付けた
娘ですものね」
 幸次郎が言った。「ええ、眼鏡に適ったんです」

(圓窓のひとこと備考)
 この創作噺は江戸川乱歩の原作であって、本来、落語にはならない質の作品であり、
また、過去に落語化した人もいなかった。
 原作者は晩年、豊島区の住人となった。あたしも、深川から住み着いて六十年。実
際にお会いしたことはないが、平成十六年に落語化が実現したことは夢が叶ったわけ
なので、落語家冥利に尽きるという次第です。
2007.4.9 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 172[お七(おしち)]

 お七(おしち) 別名「お産見舞い」「火の用心」

 善兵衛という縁起を担ぐ男の所で女の子が生まれた。お初と名付けた。
 お七夜のときに、嫌がらせ好きの忌太郎がやって来て「化け物が生まれたって?」
「戒名を付けたか?」「お初? 徳兵衛という男ができて心中するだろう」などとさ
んざん嫌味を言って帰って行った。
 善兵衛がたいそう悔しがった。と、ひと月後、忌太郎の所で女の子生まれ、お七と
名付けた。それを聞いた善兵衛の女房は「『お七なら吉三といい仲になって、火付け
して鈴ヶ森で火焙りになる』と言っておやり」と善兵衛に教えて仕返しに行かせた。
 ところが、忌太郎は善兵衛が言おうとする縁起の悪いことを自分から先に言うので、
善兵衛は拍子抜けして何も言えないで困ってしまった。
 そこで最後に女房から教わった通り「お七という名は縁起が悪いんだぞ」と言い始
めた。すると、忌太郎は再び先回りして、「放火をして火焙りになるというんだろう。
娘が火を付けたら、どうしようてんだ!」と脅かした。
 と、善兵衛が気後れして「だから、火の用心に気を付けねぇ」

(圓窓のひとこと備考)
 円遊(1)の落ちは「火あぶりになるというんだろう」「早いやつだなあ、もうおれ
のかかあに聞きやがったな」である。どっちにしろ、いい噺ではないし、いい落ちで
もない。
 あたしは圓生(6)から教わったが、稽古で聞いてもらうとき演っただけで、結局、
高座には掛けなかった。
《別名》[お産見舞い][火の用心]
《原話》「軽口浮瓢箪」の内[名の仕返し]1751(寛廷4) 年版
《掲載本》「百花園」 「文芸倶楽部」「三芳屋版」「圓生全集 3巻(青蛙房)1961
(昭和36)刊」「落語名作全集(普通社)」「明治大正落語集成1巻 圓遊(1)
(講談社)1980(昭和55)」
《演者》 圓遊(1) 圓生(6) 圓窓(6)
2007.5.17 P




圓窓五百噺ダイジェスト 163[お七の十(おしちのじゅう)]

 本郷二丁目の八百屋は自宅を普請するにあたって、旦那寺である駒込の吉祥院に仮
住まいした。
 その娘のお七はそこの寺の小姓の吉三といい仲になってしまった。
 一ヶ月後、普請が相なって一家は本郷へ戻ることになった。
 自宅に戻ると、お七は吉三に逢いたい逢いたいの一途で、「この家が焼ければ、ま
た吉祥院に仮住まいができて、吉三に逢える」と思い詰めて、ついに自宅放火をした。
それがためにお七は鈴ヶ森で火焙りの刑になった。
 この事件は覗きカラクリでも採り上げられて、ますます話題となった。そのカラク
リの文句も全国に流行った。

  ああ〜、その頃、本郷二丁目に 名高き八百屋の忠兵衛は
  普請成就する間 親子三人諸共に
  旦那寺なる駒込の 吉祥院に仮住まい
  寺の小姓の吉三さん 学問なされし後ろから
  膝でちょっくら突いて 目で知らせ

  これこれ申し吉三さま 学問やめて聞かしゃんせ
  もはや普請も成就して あたしゃ本郷へ行くわいな
  たとえ本郷と駒込と 道はいかほど隔てても
  言い交わしたる睦言を 死んでも忘れてくだんすな

 この文句の中の「あたしゃ本郷へ行くわいな」は子供たちまで覚えて流行語にもな
った。
 さて、お七の処刑後。吉三は「この世に生きていても張り合いがない」と吾妻橋か
ら身を投げて死んでしまった。
 あの世の地獄で再会した二人が「お七か」「吉三さんか」と抱き着いた途端に「ジ
ュウーッ」という音。これは当然で、お七が火で死んで、吉三が水で死んだ。火と水
が合ったからジュウーッ。
 ところが、そうじゃぁない、という説がある。女がお七で、男が吉三だから、七に
三を足すから十、という。
 それはともかく、お七の霊が浮かばれないで、毎晩のように処刑された鈴ヶ森へ幽
霊になって出るようになった。
 ある晩、そこを通りかかった武士がお七の幽霊の両腕を切り落とした。
 すると、お七は右足を上げると、侍に蹴りにかかった。
 侍はその足も切り落とした。
 お七はこれは敵わないと、一本足でぴょんぴょんと跳ねて逃げ出した。
 侍が声をかけた。「これこれ。その方は一本足でいずこへ参る」
 お七が答えた。「片足や(私や)本郷へ行くわいな」

(圓窓のひとこと備考)
 これは地噺である。[お七]というオーソドックスな作品もある。江戸の雑学を知
る上にもいい落語である。
2007.5.5




圓窓五百噺ダイジェスト 157[お節徳三郎 上(おせつとくさぶろう じょう)

 吉野屋の旦那には大きな心配事がある。というのは、一人娘のお節が手代の徳三郎
といい仲になっているという噂を耳にして、すっかり悩んでしまったのだ。
 ある日、旦那はお節が向島の花見に出掛けたとき、お供として付いて行った小僧の
定吉を呼んで「話をしたら、褒美をやるから」と飴をしゃぶらせて二人の仲を探ろう
とした。
 定吉は口止めをされているので「忘れました」と言って口を閉ざそうとしたが、旦
那に「思い出すためにお灸を据える」と脅かされる。
 仕方なく定吉は、お節、徳三郎、婆や、定吉の四人で花見に出掛けたときのことを
小出しに少しずつ話し始めた。舟に乗るとき、徳三郎がお節の手を取ったこと。お節
と徳三郎が一つの茹で卵を半分ずつ仲良く食べたこと。お節が徳三郎に「自分のこと
を節と呼び捨てにしておくれ」と甘えて言ったこと。
 定吉は半ば焼けになってはしゃぎながら話した。そして、ときどき、「あとは忘れ
ました」と言う。すると、旦那は「じゃ、お灸を据えるから足を出せ」と脅かす。
 定吉はほとんど喋ったので、「ご褒美をください」と言うと、旦那は「そんなこと
は忘れた」と言う。
 すると、定吉は言った。「じゃ、お灸を据えるから足を出せ」

(圓窓のひとこと備考)
 この落語、前半を[花見小僧]、後半を[刀屋]というタイトルもある。
2007.4.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 162[おすわどん]

 神田の信濃屋の若旦那は浅草の今小町と言われている薩摩屋のおすわを嫁にした。
 おすわは気立てもよく、人に威張ることもなく、姑にも上手に仕えているので、評
判がいい。
 ある晩、店が寝静まった頃、外から聞こえてきたのが、「パタパタパタ……、おす
わぁ〜どん」という声。
 寝ていたおすわは目を覚まして、気のせいかと思ったが、また「パタパタパタ……、
おすわぁ〜どん」という声。
「誰か、あたしを呼んでいる……」
 そう思うとますます目が冴えてくる。 また「パタパタパタ……、おすわぁ〜どん」
「でも、なんで、こんな夜中に……」
 隣の蒲団には若旦那がなにも知らずにすやすやと寝込んでいる。
「パタパタパタ……、おすわぁ〜どん」
 また聞こえてきたが、そのうちに、もう聞こえなくなった。
 おすわはいつしか軽い寝息を立てて眠りについた。
 しかし、この声は一晩だけではなかった。次の晩も、また次の晩も、「パタパタパ
タ……、おすわぁ〜どん」
 おすわはとうとう病の床に着いた。そして、このことを枕辺の若旦那に告げた。
 若旦那は両親に相談した。両親は町内の剣術指南の小林盛之進にその正体を見届け
てもらうことにした。
 その晩、小林盛之進がおすわの隣の部屋で刀を側らに酒を飲みながら寝ずの番をし
ていると、「パタパタパタ……、おすわどーん」という声。
 すぐに表へ飛び出してみると、屋台の蕎麦屋が団扇で火を熾しながら「おそばぁ〜、
うどーん」。お蕎麦、饂飩」と言ったのが、「おすわどーん」と聞こえたのだった。
 小林盛之進はあまりにも馬鹿馬鹿しいと思ったが、腹を立てるわけにもいかず、い
たずらに脅かしてやろうと、「蕎麦屋。お前がここで毎晩のように怒鳴るから病人が
できた。拙者も今晩は寝ずに番をしていた。よって貴様の首を切るから覚悟をしろ」
と刀を抜いた。
 蕎麦屋は驚いて「こんな年寄りを成敗したところで自慢にもなりますまい。身代わ
りを出しますから、その者をお切りなさいまし」と言って、蕎麦粉を差し出した。
「なんだ、これは!」
「蕎麦の粉で、蕎麦粉。私の倅です」
「ふざけるな。蕎麦粉が身代わりになるか!」
「手打ちになさいませ」

圓窓のひとこと備考)
 聞いていて「おや、怪談かな?」と思わせるストーリーなのだが、なんでもなかっ
たという、それでも怪談噺のジャンルに入っている。蕎麦を扱った落語としても貴重
かもしれない。
2007.4.26 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 158[お節徳三郎 下(おせつとくさぶろう げ)]

 吉野屋のお節との仲を引き裂かれた手代の徳三郎は叔父の家に居候をすることにな
った。
 ある日、叔父と叔母がお節の婚礼の手伝いに行くと知って、徳三郎は貯めた金を懐
に村松町の刀屋へ向かった。
 刀屋の主人は「二人分、斬れる刀を売ってくれ」と言う客にただならぬ様子を感じ
て、諭すようにして徳三郎の話を聞き出した。
 徳三郎は「自分のことではなく、友達のことだ」と嘘を言ってから話し始めた。
「店のお嬢さんといずれ所帯を持つという約束をしたのに、今日、一言もなく勝手に
誰かと婚礼をするらしい。婚礼の席へ乗り込んで、新郎新婦を斬りたいのです」
 刀屋の主人は事情を察知して、話を聞き出しながら色々と教え諭した。
ちょうどそのとき、店に「傘を貸してくれ」と入ってきた男が「今夜は俺の出入り
している店の娘さんが婚礼なんだが、その娘さんが急に逃げ出したんで捜しに回らな
くてはならねぇんだ。それにこの雨だ、ついてねぇや」と言うではないか。
 これを聞いた徳三郎は「お節さんのことに違いない」と思い、店を飛び出すと雨の
中を走り出した。「お節さんは深川の叔母の所へ行くに違いない」と思い、新大橋を
渡った所でぶつかったのがなんとお節。
 しかし、二人には「迷子やぁい」という捜索の声が近付いて来たので、もはやこれ
までと覚悟を決め、手を取り合って川に身を投げた。ところが、そこは木場で川には
筏があって、その上に落ちたので、痛いだけで死ねないでいる。
「徳や。どうして二人は死ねないんだろうね」
「水を飲まなきゃ死ねません」
「そうなの……」
 お節は川の水を手ですくって一口飲む。そして、またすくって「徳や。お前もおあ
がり」
「一口くらいでは死ねませんよ」

 一方、吉野屋の店の者は総出でお嬢さん探し。旦那、番頭も新大橋辺りまで捜しに
やってきた。
「旦那さま。二人は川へ身を投げたようですが、無事だそうです」
「そうか……。二人はそれほどまでに覚悟をしていたのか。じゃ、今までのことは水
に流そう」
「ああ、よかった。落ちたのは筏の上」

(圓窓のひとこと備考)
 この落語は[花見小僧]のタイトルもある。古い落ちは「二人は筏の上で無事でご
ざいますよ」「ありがたい。これも日ごろ信心するお祖師さまのご利益。お材木(題
目)で助かった」という[鰍沢]と同じものである。それを避けようと、あたしは本
文の落ちを工夫したのである。
2007.4.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 144 [お茶汲み(おちゃくみ)]

 ある晩、八五郎は一人で吉原へ遊びに行った。初めて揚がる店で、花魁も若い子を
見立てた。
 その花魁は部屋に入って来たとき、いきなり「きゃっ」と叫んだ。
八五郎が理由を聞くと、「二年前、好きな男に死なれてしまったんですが、お前さ
んがその男にそっくりなのでびっくりしたんです」と言う。
「そんなに似ているのかい?」
「はい。その男とは年があけたら夫婦になる約束をしていました。その代わりという
とお前さんは怒るかもしれないが、あたしの苦労を察して、どうか通い続けておくれ」
と、花魁は泣きながら訴えった。
 八五郎が花魁の顔を改めて見ると、目の縁にさっきまでなかったホクロがついてい
るではないか。それをよくよく見ると、なんと、茶殻だった。
 花魁は客の心をひくために湯飲みのお茶を目の縁になすりつけて、空涙を流してい
たのであった。
 翌日、八五郎は馬鹿馬鹿しいこの話を仲間に聞かせた。
 聞いて面白がった熊五郎が店と名前を訊いて、その晩、出掛けて行った。そして、
その店に揚がって部屋に入った熊五郎は昂ぶりを感じた。
 花魁が部屋に入ってきた瞬間、思わず熊五郎のほうから「キャーッ」と悲鳴を上げ
てしまった。そして、八五郎から聞かされた台詞をそのまま花魁にぶっつけて、いよ
いよ泣く段になった。
 すると、花魁がすっと立ち上って部屋を出て行こうとする。
「おいおい、花魁。一体どこへ行くんだい?」
「お待ちよ。今、お茶を汲んできてあげるから」

(圓窓のひとこと備考)
 原典は狂言の「墨塗り」かもしれない。目の縁にお茶を濡らすテクニックは、他の
落語[掛取り][お見立て]にもある。




圓窓五百噺ダイジェスト 145 [お富の貞操(おとみのていそう)]

 明治元年五月十四日。雨。
 江戸の下町に「官軍は東叡山彰義隊を攻撃する。上野界隈の町家の者は立ち退くよ
うに」というお触れが出た。
 下谷町二丁目の小間物店、古河屋政兵衛宅も早々に立ち退いたが、ただ、この家の
二歳のミケ猫が置き去りにされたのか、台所の隅でのんびりと香箱を作って寝ている。
 すると、水口の戸が開いて入ってきたのは、町内をうろついて新公と言われている
乞食。なにか物色しに来たのだろうか……。
 新公は懐から取り出した短銃の手入れをしながらミケに言った。
「いい世の中になって、お互いに生きていたら、会おう。約束をしよう。手を出せ。
握りっこしよう。ゲンマン、ゲンマン嘘つくな。嘘ついたら、針千本飲ぅます」
 と、入ってきたのが、この家の女中のお富。ミケを捜しに来たらしい。
 新公がからかうように「今、こうして二人っきりだ。俺が妙な気でも出したら、お
富さん、お前さんはどうしなさる?」と言った。
 お富が「おふざけでないよッ」と傘で打ってきた。
 新公は咄嗟にお富を組み伏せて短銃を向けると「じたばたするな。この短銃は棚の
猫も落せるんだぜ。猫は助けてやってもいいが、その代り、お前さんの体を借りるこ
とにするぜ」と脅した。
 お富は立ち上がると、茶の間へ入って行った。
 新公はちょいとためらいを見せた後、薄明るい茶の間へ足を入れた。
 茶の間の真ん中にはお富がすっかり観念をしたのか、顔を袖で覆ったまま、じっと
仰向けに横たわっている……。新公はその姿を見るが早いか、逃げるように台所へ引
き返した。そして、お富に言った。
「アッハハハ、冗談だ。お富さん、冗談だよ。もうこっちぃ出て来ておくんなさい。
お富さん。そんなにそのミケが可愛いんですかい? それとも、ミケが死んだとなっ
たひにゃ、おかみさんに申し訣がないとでも?」
「ミケも可愛いし、おかみさんも大事にゃ違いないよ。けれども……、わたしはね…
…、ああしないと、なんだか、すまないような気がしたのさ……」
「そうですか……。村上新三郎源繁光。今日だけは一本やられた……」
「じゃぁ……、これで……」
 それから二年たった明治三年に古河屋のおかみさんが亡くなり、お富はその翌年に、
古河屋政兵衛の甥に当る、今の夫と所帯を持った。ミケも付いて行った。そして、上
野広小路に時宝屋という小さい時計屋を出した。
 その頃、ミケは店の通りに面した大きなウィンドウケースの中に入って、通りを見
たり、寝たりして、また、新公に教わった招き猫の仕種は子供衆に持て囃されて人気
の的となった。
 明治十二年に入った三月二十六日。
 お富はもう三人の子持ちになっていた。一家で出かけようと表へ出た。
 すると、上野の方からなにかの開会式の帰りらしい二頭立ての馬車が来た。中にゆ
うゆうと坐っているのは、新公……? 
 新公もお富に気がついたか、顔をこっちへ向けている。
 二人の眼と眼が合ったが、そのまま行過ぎて行った。新公お富はすれ違っただけで
すが、こうして再び会った。
 しかし、これを店のウィンドウケースから見ていたミケにとっては羨ましい限り。
 ミケは新公を見たのだが、しかし、新公はミケには気が付かずに行ったのだから、
「いい世の中になって、お互いに生きていたら、また会おう」という約束はまだ果た
してない。
 それから十日ほど経った明治十二年四月の八日。
 ミケがウィンドウケースの中で寝ていると、ガラスをトントンと叩く音に眼を覚ま
して、ひょいと見ると、なんと新公。いや、村上新三郎源繁光。
「俺だよ、新公だよ、わかるか?」と言っているようだ。
 ミケはよほど嬉しかったんでしょう。ガラスに手を付いて、足をバタバタやって、
まさにケースの中で狂喜乱舞。
 ガラスの向うからもトントンやっているから、あの日、手を握りっこして「また会
おうな」って、ゲンマンをしたあの約束が、今こうして果せたのだ。
 やがて、新公はさりげなく立ち去った。
 ミケは急に寂しくなった。このまま、もう二度と会えなくなるのか、また、会える
のか……。もう夢中になって、去って行く新公の後ろ姿にこう手を振った。
 と、これを見ていた子供が二人、大きな声を出して言った。
「変な招き猫。手を横に振っているよ」
「ケースのガラスを拭いてんだよ、きっと」

(圓窓のひとこと備考)
 この原作はご存知の芥川龍之介。昭和30年代にラジオで圓生が朗読としてこの「
お富の貞操」をやっているのです。あたしはそれを聞いたときから、人情噺として演
りたいなぁ、という夢を持っていました。
 平成15年にその夢がやっと実現しました。
 猫のミケが通して見た物語として、ミケをナレーター役として登場させました。
2007.4.9 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 150 [お直し(おなおし)]

 吉原の遊郭の信濃楼に勤めている安曇野花魁は少しとうが立ってきて、お茶をひく
日が多くなってきた。
 この信濃楼の若い衆の一人、長太はそんな花魁を力付けようと、慰めているうちに
花魁と深い仲となってしまった。廓ではご法度の行為である。
 人情家の信濃楼の主人の計らいで、安曇野は花魁を辞めて遣り手(やりて)となり、
若い衆は妓夫太郎(ぎゅうたろう)として働くこととなって暮らしも落ち着いた。
 そうなって、この長太がつい手を出したのが博打。結局、貯めていた金もなくなっ
て、暮らしもドン底まで落ち、夫婦二人だけで蹴転(けころ)と言われた安い女郎屋
をやろうということになった。
 その当時、遊廓の中央の仲之町から外れた羅生門河岸という一画は蹴転という最下
級の女郎屋があって、その店は客を蹴って転がして店に引きずり込むようなことを平
気でやっていた。そこを譲り受けて商売を始めた。
 亭主が妓夫となって客を呼び込み、女房が小諸と名を変えて、客の相手をするとい
う。客が長居をすると商売にならないので、亭主は「お直しだよ」と声を掛ける。す
ると、客はもう少し居たかったら「時間延長、割り増し料金」ということで、料金を
上乗せするのだ。
 初の客が左官の職人。
 女房は常連の客にしてやろうと、甘い言葉を発して「いずれこの先、お前さんと所
帯を持ちたいよ」と持ちかけた。
 表でこのやりとりを聞いていた亭主は気が気でない。嫉妬も手伝って、何度も「お
直しだよ」と声を掛けた。
 その度に客は上乗せするので、商売としては上々である。
 客が帰ったあと、夫婦は言い合いになった。
亭主「客とあまりべたべたするな」
女房「商売だよ」
亭主「あいつと一緒になる気か!」
女房「お前さんとずーっといたいから、腹にないことを言って金を出さしているのさ。
お前さんのためだよ」
亭主「ああ、俺が悪かった」
 夫婦が仲直りをして、今後のことを相談していると、さっきの客が戻ってきて、中
の様子を覗いた。
 そして言った。「直してもらいなよ」

(圓窓のひとこと備考)
 吉原でも外れにある店を舞台としているところが貴重な廓噺だ。




圓窓五百噺ダイジェスト 85 [鬼の涙(おにのなみだ)]

 節分の夜、女房のお福は金を借りに歩いたが、駄目で、ほうぼうの家々で蒔いた豆
を拾いながら帰宅。亭主の舛造も金策に歩いたがままならず。やはり豆を拾って帰っ
てきた。
 そこで「もっと、豆を拾い集めて食料にしよう」と、舛蔵は出かけるが、すぐ、赤
ん坊を拾って戻ってくる。
 子供のない夫婦にとって、神様の恵みかもしれぬと、お福も大喜び。しかし、嬉し
そうにキャッキャと笑う赤ん坊だが、顔と言わず、手足と言わず、体まで異様に赤い。
それに、頭には小さな角があった。
「鬼の赤ん坊だ」
「どうする」
「見せ物に出そう」
「可哀そうだよ」
 夫婦で話し合っていると、戸を叩く音。
 とりあえず、人に知れてはまずいと、赤ん坊を押し入れに隠して、戸を開ける。
 と、立っているのは鬼の夫婦。名を鬼吉、お牙という。
「親子三人で江戸見物。豆をぶつけられて、逃げるとき、女房が赤ん坊を落としてし
まいました。捜してましたら確か、こちらから赤ん坊の声が…」
 亭主は「知らぬ」と突っぱねる。空っとぼけて「今頃はどこかで見せ物になってい
ることだろう」とも言う。
 すると、鬼の親は「赤ん坊が見せ物になっていたとしたら、あたし達も見せ物にな
って、赤ん坊のそばで暮らします」と、悲しく言う。そして、鬼は語り始めた。
「鬼には先祖からの言い伝えがあります。 大昔、人と鬼は仲良く暮らしていたんです。
 人には智恵と夢があり、鬼には力と勇気がありました。
 天下を取った人間が、弱い人をいじめるようになりました。それに立ち向かったの
が鬼なんです。天下人は「鬼は人間の敵だ」と絶叫しはじめたんです。鬼は追われ追
われて、島へ逃げました…。人間はそこを鬼が島と名付けたんです…。
 でも、われわれ鬼は人間を恨みませんでした。大昔のように、仲良くしたいと願い、
話し合いに節分にやってくるんですが、相変わらず豆をぶつけるだけで、話を聞こう
ともしてくれません…。
 今日、こうして人と話をしたのは、生まれてはじめてなんです…」
 舛造夫婦は、この鬼の親子の情に負けて、赤ん坊を返してやる。
 鬼の夫婦はわが子(お角)を抱きしめ、大泣きに泣く。鬼の目から溢れた涙は、土
間いっぱいになり、ついには、下駄まで浮かしてしまうほどの量になってしまった。
 こいつは大変と、亭主が鬼の夫婦の耳元でなにやら言うと、鬼は急にゲラゲラ笑い
出し、涙も止まり、そのまま笑いながら帰っていった。
 やっと、土間の涙も引き、一安心。
 女房が亭主に訊いた。
「おまえさん。鬼になにを言ったんだい?」
「なぁに、来年の話さ」


(圓窓のひとこと備考)
 清水一朗氏の原作に惚れて演らせてもらった。清水氏の地元であたしが口演したと
き、客席で聞いていた清水氏の息子が「お父さんのとは違う」と感想を言ったという
エピソードがある。落語は演じることによってまた創り変えられるもので、大きく変
わることもある。息子の一言は当然であろう。
 故八代目正蔵師も演っていたが、やはり原作とは違っている部分があった。
2007.1.3 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 165[鬼娘(おにむすめ)]

 昔から節分には門口に柊(ひいらぎ)と赤鰯を差して、鬼の来るのを防ぐという風
習がある。
 慶応年間、江戸の街に「鬼娘が現れて人の子を食う」という噂が流れたことがあっ
た。夕方になると親が子供に「鬼娘が来るから早く家へお入り」と言ったものだ。
 そのうちに鬼娘の錦絵が売り出されて評判となり、これに香具師が目をつけて見世
物小屋に鬼娘を出したので、これまた評判となった。
 その小屋へ侍が下僕を連れてやってきて、小屋の木戸の者に訊いた。
「これよ。鬼娘というのは拵え物が、本物か」
「本物でございます」
「本物だ? しからば入って調べるぞ。もし拵え物ならただではすまんぞ」
「お侍さまがいらっしゃると、鬼が逃げますので、困ります」
「なぜ逃げる?」
「お羽織のご紋が柊でございますから」
「しからば、下僕に調べさすぞ」
「お供の方もいけません。お腰の物が赤鰯でございますから」

(圓窓のひとこと備考)
《原話》[両国八景]の一部が独立して一席物になった。今村信雄作の新作に同題別
話がある。
2007.5.19 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 1  [おはぎ大好き(おはぎだいすき)]

 その家の姑と嫁は共におはぎが大好きという村中の評判。
 ある日、隣から「おはぎ好きだった爺さんの命日なので、おはぎを作った」と、お
裾分けに大きな重箱にどっさりのおはぎを貰った。
 姑は、嫁が裏の畑で草をむしっているのを幸いに、一人で食べてしまおうと、急い
で頬張って口に運んだ。だが、とても食べ切れないので、なんとか腹ごなしを、と考
え、「隣に線香を上げに行って、故人の話でもすれば、腹ごなしになる。で、帰って
きてから、また食うべぇ」と、隣へ出掛けようとしたが、ふと、不安になった。その
間に嫁が畑から戻ってくれば、重箱を見つけて、おはぎを食うに違いない。そうはさ
せたくない。
 そこで、姑は重箱のおはぎに呪いをした。「これ、おはぎよ。わしはこれから隣へ
行って、お線香を上げてくるで、その間に嫁が帰ってきて重箱の蓋を開けたら、蛙に
なるだぞ」。そして、姑は重箱を棚に置くと安心して隣へ。
 ところが、嫁はとうに家へ帰っていて、隣の部屋から婆さんの様子をジーッと見て
いた。嫁は「そんな呪い効くもんか」と、重箱の蓋を開けて、残っているおはぎをき
れいに食べてしまった。そのあと、田圃へ行って蛙を五、六匹ほど捕まえて、重箱の
中に押し込んで棚に置くと、涼しい顔をして裏の畑に行ってしまった。
 隣から戻ってきた姑が重箱を開けてびっくり。おはぎが蛙になっている。姑は蛙た
ちに大きな声で言った。「元のおはぎに戻りなせぇ!」。蛙たちは重箱から跳び出し
て、ピョン、ピョン、ピョン、ピョン。
 姑はその後を追いながら言った。「あんまり跳ねるな。あんこが落ちるから」
                               
1999・11・13 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 151 [お化け長屋(おばけながや)]

 長屋の空いている一軒を住人たちが重宝がって物置に使っていたら、大家から「と
んでもない」と釘を刺されてしまった。
 そこで、住人はその腹いせに借りに来る者を巧く断わって、あそこを末永く空き家
にしてしまおう、と一計を案じた。
 住人の最年長の古狸という渾名のある杢兵衛が差配と偽り、借りに来た者に「あそ
こは幽霊が出るんです」と、出任せの怪談噺を聞かせて、諦めさせて帰してしまおう
という。
 最初に借りにきた商人風の男は怪談噺に怯えて、逃げ出すように帰ってしまった。
 その折、財布を落として行った。
 杢兵衛は「得しちゃったね」と喜んで、財布を自分の脇に置いた。
 そこへ来た二人目の職人風の男は怪談噺を面白がって、ちゃちを入れたり、笑い飛
ばしたりして話もすすまない。
 男は終いには「幽霊が出てきたら一緒に寝てやるよ。気に入ったから、荷物を運ぶ
から掃除をしておいてくれ」と言い残して帰って行った。
 杢兵衛は唖然として後姿を見送ったあと、気が付いた。「あっ、さっきの財布を持
って行きゃがった」

(圓窓のひとこと備考)
 この落語はその先もあるのだが、あまりにも愚作なのであたしは演らない。越して
きた男に仕返しをしてやろうと、化け物屋敷のような仕掛けをするのだが、作品とし
て面白くもなんともないという代物。
2007.4.20 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 11 [お花半七・上(おはなはんしち・じょ)]

 小網町の半七は将棋を指して帰りが夜中になり、締め出しを食ってしまった。
 隣の家のお花も遅くなったので、家に入れてもらえないでいる。
 半七は霊岸島の叔父を頼って行こうとすると、行き場のないお花はいやがる半七のあと
を付いて来る。
 半七が必死になって断わっても振り切ってもお花は付いて来る。とうとう、叔父の家の
前。とりあえず、半七は戸を叩いて、寝ている叔父を起こす。
 色事の大好きな叔父は、喜んで二人を歓迎して、二階に上げてしまう。
 階下の叔父老夫婦は若い二人を見て興奮したのか、もう何十年も前の自分たちの馴れ初
めの頃のことを思い出しては語り合って、はしゃいでいる。
 二階では、堅物の半七がまだお花を近づけないで、口も利こうともしない。
 蒲団は一組しかない。二人は敷布に半ぶんこの線を引いて背中合わせに寝ることに
なるが、やはり寝にくい。とうとう二人とも起きだしてしまった。
 折からの雷雨。ピカッーと光った稲妻にお花は「あれー、怖い!」と、半七に抱きつく。
木石ならぬ半七も思わずお花の肩に触れた手に力が入って、ぐっと引き寄せた……。
 お花半七、馴れ初めの一席。
2000.1.10 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 12 [お花半七・下(おはなはんしち・げ)]

 お花と半七は霊岸島の叔父の粋な計らいで所帯を持ち、両国に小さな小間物屋を開
く。
 ある日、一緒に行く予定だった浅草の観音さまへのお参りが、半七が腹の具合が悪
くなったので、お花は小僧を連れて出かけた。
 雷門まで来ると夕立ち。雨宿りに門下へ駆け込み、小僧に傘をとりにやらせる。
 そのあと、近くに落雷があり、お花は気を失って倒れる。
 そこへやって来たならず者三人が「介抱がてら、いい思いをさせてもらおう」と、
お花を担いで吾妻橋を渡り、多田の薬師の石置き場へ連れ込む。
 傘を持ってきた小僧、雷門にいないご新造(お花)を半狂乱になって捜し回るが見
つからない。それから毎日、大勢で手分けをして捜索を続けたが、わからずに半年。
 いなくなった日を命日として、一年経った。
 その命日。半七は今戸からの帰り、猪牙船に乗り、宮戸川(浅草近辺を流れる隅田
川の別称)を下ることにした。船が桟橋を離れようとすると、船頭の友が「乗せて欲
しい」と言ってきたので、半七は親切に乗せてやった。
 その男に酒の馳走もすると、頼みもしないのに話し出したのが、「一年前、夕立の
中、雷門に倒れていた若い女を三人でいただいた」という一件。「この船を操ってい
る男もその一人よ」と自慢気に物語った。
 びっくりした半七は「その女の亭主はあたしだ。女房の敵」と詰め寄る。が、あべ
こべに、伏せられ首を締められる。
「ウーーン」と苦しんでもがいているときに、「旦那さまッ。旦那さまッ」と小僧に
起こされて気が付くのだが、出かけたお花と小僧が夕立にあってからの話しは夢だっ
たのである。


「傘をとりに帰ってきたら、旦那さんが寝ててうなされてましたので、お起こしいた
しました。」
「ああ……、嫌な夢を見た…。でも、夢でよかった……」
「あたし傘を持って雷門へ戻ります」
「心配だから、あたしが迎えに行くから」
 雨の中を飛び込むように外へ。そのまま走り出すと、両国から蔵前通りを真っ直ぐ
に。しばらく行って、よろけるように左へ曲がると雷門。心配そうに立っているお花
が目に入った。
「お花!」
「あなた!」
抱き合った二人。
「心配だから、迎えに来た」
「ありがとう。で…、傘は?」
「あッ、忘れたッ」


(備考)夢の中だが、お花が手篭めにあったのが、宮戸川を渡った多田の薬師で、一
    年後、半七の乗った船が下ったのが宮戸川。そんなところから、[宮戸川]
    というタイトルを使用することもあるが、今日、[お花半七・上]だけ演っ
    て、[宮戸川]とするのはナンセンスということになる。なぜならば、[お
    花半七・上]には宮戸川は登場しないから。


[お花半七・上]の関連は、圓窓五百噺付録袋/落語の中の古文楽習5古文楽習 教本と問答 その5
[お花半七・上]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・上
[お花半七・上][お花半七・下]の関連は、
評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓窓一門会/客席からの観賞記
2000・7・2 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 152 [帯久(おびきゅう)]

 本町四丁目に呉服屋を営む和泉屋与兵衛は好人物といわれ、評判も高い。
 近くの本町二丁目の同業の帯屋久七は、陰で売れず屋と言われているほどなので、
資金繰りに苦しんでいる。
 享保六年二月二十日。帯屋は和泉屋へ「金を貸してくれないか」とやってきた。
 人のいい和泉屋は「あるとき払いの催促なしでいいですよ」と二十両貸してやった。
 帯屋は二十日ほどで返金した。その後、五月に三十両、七月に五十両、九月に七十
両と借りに来て、ちゃんちゃん二十日後には返金した。
 十一月に百両借りにきたが、二十日経っても返金はなく、十二月の大晦日に返しに
来た。
 和泉屋は奥座敷でその百両を受け取り、「お客さまがいらっしゃいました」という
内儀の知らせに部屋を出て行った。
 部屋には帯屋が一人になった。目の前に返金した百両が置かれている。帯屋はその
百両を自分の懐へ入れると、店の者に挨拶もそこそこに帰って行った。
 後刻、和泉屋は百両紛失に気が付いたが、忙しさに取り紛れてついついそのままに
してしまった。
 帯屋はその百両を基にして商品に手拭い、布巾、晒し、袱紗、足袋、半衿などの景
品を付けることを思い立った。皮肉なことに、これが人気を呼んで、売れず屋が売れ
る屋になった。
 一方、和泉屋は運から見放されたように、翌年三月、一人娘を亡くし、五月に内儀
を亡くした。その年十二月十日、神田三河町から出火。着の身着のままで焼け出され
て、逃げるときに腰を打ったのか、満足に歩けなくなった。
 和泉屋は以前、暖簾分けをしてやった分家の和泉屋武兵衛に救われた。しかし、そ
の武兵衛も人に騙されて店はなく、今は日雇いをしている身の上。それでも、恩返し
のつもりで必死になって和泉屋の面倒を看た。
 十年経ったが、和泉屋の生活は同じようなもので、相変わらず武兵衛の家の居候。
ある日、和泉屋は和泉屋本家を興こし、武兵衛にも楽をさせようと考えて、帯屋に金
を借りに行った。
 しかし、けんもほろろに断られて、その上、店の者に引きずり出され、塩まで撒か
れる扱いであった。あまりの悔しさに和泉屋は普請中の帯屋の裏手へ回り、見越しの
松の枝を目にして首を括ろうとした。今生の最後の一服と煙草を吸う。その吸い殻が
普請場の鉋屑に転がっていき、燃え出してしまった。大事には至らなかったが、帯屋
の訴えで火付けの罪で捕われ、大岡裁きになる。
 奉行は部下の者につぶさに調べさせて、何度か取り調べを重ねて、いよいよ今日は
その判決。
「さて、帯屋久七。そのほうは和泉屋から再三に亘って金子を借りておったのぅ」
「お奉行さま。ものには順がございます。火付けの罪として和泉屋を訴えたのは私で
ございます。火付けの件を裁いていただきとう存じます」
「ものには順があるか。そうであるの。帯屋からよいことを教わったぞ。
 しからば、和泉屋。そのほうの行いは火付けにあらず。煙草の火の不始末による失
火である。しかし、失火であろうとも帯屋にとってみれば迷惑なこと。重罪も同然で
あろう。よって火炙りの刑に処す」
 この判決に帯屋は大喜び。
「さて、帯屋。ものの順に従って取り調べる。そのほうは和泉屋より再三、金子を借
りて返済はしておるようじゃが、最後に借りた百両は?」
「それも大晦日に返済いたしました」
「確かに和泉屋へ返済に行ったようじゃが、大晦日、店は忙しさに取り紛れている最
中、来春に改めて返済をしようと思い立ち、返済はせずに帰宅したのではないか。し
かし、春になって、今度はそのほうの店が多忙となり、つい、返済を忘れてしまった
のであろう」
「いえ、そのようなことはありません」
「忘れたようじゃの。思い出すためにまじないがある。手を出せ」
 帯屋の右手の人さし指と中指の二本に紙縒り(こより)を捲いてきつく縛り付けて
封印をした。
「思い出すまじないじゃ。思い出すまで取ってはならんぞ。勝手に取ったならば、打
ち首じゃ」
 さぁ、帯屋は困った。右手の指、二本が使えないので、物を持つことも容易ではな
く、また濡らすと切れる恐れがあるので、風呂も入れない、顔も洗えないという始末。
 この様子を見た帯屋の番頭が「どうせ、和泉屋は火炙りで死ぬのですから、『思い
出した』と言って百両を返したほうが楽ですよ」と知恵を付けた。
 帯屋は奉行にそのことを申し出ると、「やっと思い出したか。正直になったな。で
かした」と褒めながら奉行は封を切ってくれた。
「帯屋。十年経ったのであるから百両には百五十両の利子を付けて、計二百五十両を
返済せよ」
「お奉行さま。それはあまりにも法外な金額」
「黙れ。世間の相場である。しかし、情けを持って、利子の内、五十両は一遍でなく
ともよい。年に一両ずつでよい」
「温情ありがとう存じます。では、とりあえず二百両は払います。それでは和泉屋の
火炙りを」
「ものには順があるぞ。貸し借りが先にあり、火の不始末はその後である。利子の返
済を終えた後、火炙りの刑をいたす」
「それでは、五十年後となり、あたしも生きているかどうか、わかりませんで」
「ならん。ものには順があると申したのはそのほうじゃ。火炙りは五十年後に執行す
る」
「では、五十両の件、年に一両ずつの返済はなかったことにして、即刻に払いますの
で」
「では、五十年後の火炙りもなかったことを、即刻に決めよう」
 帯屋は青菜に塩で、なにも言い出せなくなってしまった。
 奉行が和泉屋に言った。「これ、和泉屋。帯屋から二百両受け取れ。そして和泉屋
を興せ。長生きしてよかったのぅ。何歳に相成る?」
 和泉屋も涙をこぼしながら言った。「六十一で……、おかげで本家(本卦)帰りが
できます」

(圓窓のひとこと備考)
 悪人の帯屋久七の名がタイトル[帯久]になっているのが、ちょいと気になるが、
[髪結新三]の例もあるので、我慢をしよう。
 圓生のこの作品は和泉屋が本当に火付けをするという筋なのだが、あたしは和泉屋
を悪にしたくないので、失火に変えた。
2007.4.20 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 166[お藤松五郎(おふじまつごろう)]

 お藤は十九、水も滴るようないい女で、横山町三丁目の道具屋を営む万屋清三郎の
囲い者であり、両国の水茶屋〈いろは〉を出させてもらった。自宅は両国の裏河岸に
あり、母親と一緒に住んでいる。
 ある日の暮れ方、夕立の雨やどりにやってきたのが、母親の知り合いで菅野松五郎
という武士上がりの一中節の三味線弾き。
 母親が気を利かせて、菅野を二階に上げてお藤と二人切りにさせた。その晩、二人
は懇ろになった。
 そこへ万屋が幇間を連れてやって来た。お藤はなんとかして万屋を外へ連れ出そう
とするが、万屋は不審に思い、とうとう二階でひそんでいた菅野を見付けてしまった。
二人は気まずさの中で酒を飲み始めたが、ついにはののしり合いになり、菅野は外へ
出て行った。
 そのあと、お藤は万屋をなだめて、幇間と一緒になんとか帰した。
 翌日、お藤は昨夜、菅野と約束していた逢引きの場所、葭町の佃長(つくちょう)
へ出掛けた。ところが、米沢町の草加屋という料理屋の表座敷から外を見ていた万屋
に見つかり、幇間に声を掛けられて、しずしず座敷に上がった。
 一方、佃長で待っていた菅野は、お藤がなかなか来ないので、使いの者をお藤の自
宅へ迎えにやった。
 ところが、母親はその使いを万屋の使いと勘違いして、冷たく追い返してしまった。
 返事を聞いた菅野は自分で確かめてみようと、外へ出てその途中、米沢町の草加屋
の前を通りかかったとき、お藤と万屋が一緒にいるのを見てしまった。
 菅野は見付からないように草加屋に入ると、女将の部屋へ入って「お藤さんを巧く
下へ呼んでもらいたい」と頼んだ。
 お藤は「女将さんが……」と呼びにきた女中に救われたように部屋を出た。が、菅
野が下に来ているとは知らないから、「待たしてはいけない」と裏梯子から佃長へ行
くために草加屋から出て行ってしまった。
 女将の部屋で待っていた松五郎は「俺を避けて逃げたのか……」と勘違いし、腹立
ち紛れにお藤の家へ行った。
 母親は「また万屋の使いが来た」と思って、戸も開けずに追い返してしまった。
 すっかりお藤が心変わりしたと思い込んだ菅野は自分の家へ帰って、一刀を取り出
した。二階に寝ている母親に蔭ながら不孝の詫びを言って、表へ出た。
 そして、お藤をはじめ五人の者を殺害する。

(圓窓のひとこと備考)
 原題は[お藤松五郎恋の手ちがい]という人情噺。殺し場を芝居噺の手法を取り入
れて演ることもある。圓朝が若い頃、芝居噺そして演った。
《別名》「今戸五人切」「川柳宇治の村雨」
《演者》 圓朝 圓生(6) 圓窓(6)
2007.5.5




圓窓五百噺ダイジェスト 167[お祭佐七(おまつりさしち)]

 久留米藩の飯島佐七郎という侍は、女に持て過ぎたのが原因で事件が起きたことを
後悔して、浪人となった。そして侍も嫌になり、め組の頭の清五郎を尋ねて「火消し
になりたい」と頼み込んだ。
 清五郎は「受け入れるわけにはいかないが……」と言って、しばらく居候させてお
くことにした。
 佐七郎はいい男なので、すぐにみんなに好かれて、〈お祭佐七〉という渾名が付け
られた。
 そのうちに佐七の姿が見えなくなって、二、三日経った。
 清五郎が組の者に訊くと、「若い連中と一緒に品川へ女郎買いに行きまして、金が
足りなくなったので、一人で居残りをしています」と言う。
 清五郎が若い連中に小言を言って、勘定の四両三分を持たせて迎えを出そうとして
いるところへ、佐七が帰ってきた。
 佐七は笑顔で「雑巾掛けを買って出て、隙を見て逃げ出してきた」と言う。
 佐七が風呂へ行ったあと、若い連中は清五郎に「佐七は力もあるし度胸もある。う
ちの若い者にしておくんなせぇ」と強く頼み込んだ。
 清五郎は断固として断り、佐七を外へ出さないように厳しく言った。
 しかし、その後、火事のたびに佐七が飛び出している様子。
 ある日、浅草に大火があった。組の若い者はみな出て行った。清五郎も女房に「佐
七だけは出すな」と言い付けて出て行った。
 佐七はそれを見届けて、二階から抜け出すと、頭巾の代わりに黒縮緬の羽織を頭か
ら被って、屋根から屋根を跳んで火事場へ行った。
 そして、纏を振って消し口を取っていた。

(圓窓のひとこと備考)
 圓生(六代)が弟子のさん生にこの噺を教えていたのを、あたしはさん生の後ろに
座ってさん生よりも早く覚えた。この噺、圓生は面白く工夫してしょっちゅう高座で
演っていたのだが、あたしは好きにはなれなかった。だから、圓生には「覚えました
から、聞いてください」とは言わず、そのままにしておいた。結局、今日まであたし
は一度も高座にかけてない。
 さん生は覚えたこの噺を圓生に聞いてもらい、その後、自分の高座でよく演ってい
た。その度に「変な噺だよね、これ」って、口癖のように言っていた。
 このさん生こそ、なにを隠そう、今の川柳である。
《演者》 圓生(六代)、小さん(二代)。
《別名》[雪とん]もこの噺の一場面。
2007.5.5




圓窓五百噺ダイジェスト 153 [お神酒徳利(おみきどっくり)]

 馬喰町の苅豆屋吉左衛門という大きな旅籠。暮の十三日の煤掃きのあと、この吉左
衛門の先祖が徳川様から拝領した大切なお神酒徳利がなくなった、という騒ぎになっ
た。店中の者が家中を捜し回ったがわからない。
 主は「また改めて捜しましょう。今日はこの辺で」とみんなを落ち着かせた。
 通い番頭の善六は橘町の自宅へ帰って、女房にこの話をしている最中に「アッ」と
声を上げて思い出した。
 それは大掃除の最中。善六が水を飲もうと台所に入ると、大事なお神酒徳利が転が
っている。女中の誰かが洗おうとして途中でその場を離れたのであろう。なんにして
も不用心。仕舞おうと思ったが、箱もないので、とりあえずあとで片付けようと、水
の張ってある水瓶の中へブクブクブクと沈めておいたのだった。
 善六は「でも、そんなこと、今さら主に言い出せない」と悩んでしまった。
 すると、女房が「これから店へ行って『生涯に三度しかできない占いをここでやり
ます』ともったい振って言って、水瓶から出せばいいじゃないか。あたしの死んだ父
親は占いをやっていたので、要領は心得ている。お前さんに算木、筮竹は無理だから
『算盤占いをします』と言ってさ。もっともらしくやってごらんよ、教えるから」
そこで、善六は女房に教えられた通りに、店に行って主の前で算盤をはじき「方角
は艮(うしとら)ですから、台所、土と水に縁のあるところに徳利はあるでしょう」
とやって、水瓶の中から徳利を取り出した。
 善六はみんなから「善六先生、善六先生」と大いに持て囃された。
 ちょうど、刈豆屋に泊まっていた大阪の豪商、鴻池善右衛門の番頭の芳兵衛が「鴻
池の娘さんが重病で、その原因が医者にもわからない。是非ともその占いを大坂へ行
って娘さんを助けてやって欲しい」と言い出した。
 善六は断り切れずに大坂へ同行した。

 途中、泊った神奈川の新羽屋源兵衛という定宿で、同宿のお武家さまの巾着が紛失
するという事件に出っくわした。
 鴻池の番頭の芳兵衛は「一つを大阪に取っておいて、二度目の占いをここでやって
おくれ」と善六に頼んだ。
 善六は仕方なく、占いをする風を装って、逃げ出す算段で離れの二階へいろんな品
々を用意させて逃げ仕度をしていると、そこへ女中が顔を出してきた。
「もう占いに出ていると思いますが、実は悪いことと知りながら、親の病気を治した
いために人さまの金を盗みました」という告白である。
 善六は女中に「その盗んだ金は庭のお稲荷さんの社へ入れて置け」と指示しておい
てから、みんなには「金は稲荷の社にある」と占ったので、女中にも傷を付けず、ま
すます名声も上がった。

 いよいよ、大阪へ乗り込んだ。
 しかし、手がかりも運も全くないので諦めていると、ある夜、善六の夢枕に神奈川
の稲荷大明神が立った。
「これ善六、よく聞けよ。先日『金は稲荷の社にある』と言われたときは驚いたぞ。
しかし、女中を助けて新羽屋を繁盛させて、おかげでこの稲荷大明神も昇進をさせて
もらった。そこで、この家の娘の病を治してつかわす。鴻池の大柱の下に観音像が埋
まっているから、掘り出してお祀りすれば娘は快癒するであろう」
 これを鴻池に伝えると、その通りに観音像が出てきたので、お祀りをした。もちろ
ん、娘は全快。
 善六は二千両の礼金を貰い、今までとは桁違いの暮らしをした。
 そうでしょう、算盤のおかげですから。

(圓窓のひとこと備考)
 小さん(5)のこの落語は、刈豆屋に出入りの八百屋が主人公で、大坂の鴻池までは
着かず、途中の神奈川の宿で、「紛失物を当てる名人」という評判が立ち、依頼者が
殺到したために、主人公が雲隠れをしてしまう。そこで「先生が紛失した」と言うの
が落ち。
 他の者の落ちでは「善六が江戸へ帰って女房に話をする。『稲荷大明神のお陰だね』
『いやぁ、かかあ大明神のお陰さ』」というのもある。
 三木助(3)と圓生(6)のものは、同じ「桁違い」「算盤のおかげ」という落ち。

《掲載本》「圓生全集 八(合本・4)(青蛙房)圓生(6) 1962(昭和37)刊」
     「圓生古典落語 3(集英社)圓生(6) 1980(昭和55)刊」
     「明治大正落語集成 三巻(講談社)小さん(3) 1980(昭和55)刊」
《演者》 三木助(3) 圓生(6) 小さん(5) 圓窓(6)
《落ちの要素》 縁語 理由
2007.5.26




窓五百噺ダイジェスト 36 [お見立て(おみたて)]

 圓 吉原の喜瀬川花魁の許へ、春日部から杢兵衛大尽がやってきた。
 客としてとりたくない花魁は顔を出さず、若い衆の喜助に「花魁は病気だ」と言わ
せる。
 杢兵衛は「それなら病気見舞いをする」と言うので、花魁は面倒なので「本当は死
にました」と喜助に言わせる。
 すると、杢兵衛は「それなら墓参りに行くから案内しろ」と言う。
 仕方なしに、喜助は花魁と相談の結果、杢兵衛を山谷へ連れて行き、適当な寺へ入
り、墓石の字のわからなそうなのを「これが花魁のお墓です」と偽って、花や線香を
手向ける。
 それが百年前の墓であり、杢兵衛が怒り出す。
 喜助は慌てて「間違えました。お隣りでした」と花、線香を移すが、子供の墓。
「じゃぁ、こちらです」と移すと、軍人の墓。
 激怒した杢兵衛、
「喜瀬川の墓ァいってえ、どれだ!?」
「ずらり並んでおります。よろしいのをお見立てください」


(圓窓のひとこと備考)
 商品(接客をする女)である花魁たちは店のウインドウ(格子内)にずら〜りと並
んでいる。
 呼び込みの若い衆は店の前に立った客に「ずらり並んでおります。よろしいのをお
見立てください」と誘いの声を掛けたという。
 この「お見立て」は廓用語といってもいいであろう。
 落ちになっている喜助の台詞はそれを踏まえたもの。

2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 173[おもと違い(おもとちがい)]

 昔、質屋の満期は八ヶ月で、その前に利上げをしないと預けた品物が流れてしまい、
自分の所有ではなくなる。また品物を質に入れるのを「ぶち殺す」「放り込む」など
と言った。
 博打でさんざんに負けた駿河屋の若旦那の徳三郎は、なんとか金の工面をしなくて
はならなくなり、博打場の隅で博打仲間の半次に相談をした。
 半次は「こうしなせぇ。お父っつぁんの大事にしている万年青(おもと)を質屋に
ぶち殺したらどうです。あの質屋の主も万年青が好きなようだから、いい金になるで
しょう」と知恵を付けてやった。
 これを物陰で聞いてしまったのが、近頃この博打場へ出入りするようになった長太
という職人。本当の殺しだと勘違いをして、博打場を出た若旦那のあとを追っかけて、
近くの橋の袂で話しかけた。
「若旦那、いけませんね。お父っつぁんの可愛がっているものを手に掛けちゃぁ。ま
た質屋も質屋だ。人の持ち物を好きになっちゃぁいけねぇな」
 若旦那は意味がわからくてポカーンとしている。
 長太はなおも言った。「おもとさんの身になってみなせぇ。かわいそうだ」
 若旦那はまたも「?」
「名はおもとさんでしょう?」
「さん? いいえ、はち(鉢)です」

(圓窓のひとこと備考)
 元の噺は流れがわかりにくいので、登場人物も削って、簡単明瞭に改良した。当然、
落ちも変えた。
《掲載本》「明治大正落語集成5巻 圓左(1)(講談社)1980(昭和55)」
《演者》 圓左(1) 圓窓(6)
2007.5.26




圓窓五百噺ダイジェスト 71 [親子酒(おやこざけ)]

 その店の旦那と息子はともに酒好き。ある日、親子で禁酒の約束をしたのだが、半
月たったとき、旦那は我慢ができなくなって、息子が出かけているのを幸いに、古女
房に「一本つけておくれ」と催促をした。
「息子と禁酒をしたんですよ。それも、あなたから言い出して」
「だから、少し…」
「飲んでいるところへ息子が帰ってきたら、どうしますッ!」
「飲んだらすぐ寝るから」
「いけませんよ」
 駄目だ、駄目だという古女房に三拝九拝して、やっと一本。女房から「一本だけで
すよ」と言われたものの、「もう一本」「あと一本」と執拗に頼み、終いには「どん
どん持ってこーい!」と、旦那はヘベノレケの泥酔。
 そこへ息子が帰ってきた様子。慌てた旦那は急いで辺りを片付けたが、寝る間もな
くなったので、座り直して素知らぬ顔をして息子を迎えた。
 息子はその部屋の襖を開けるやいなや「ただいま〜、帰りました〜」と呂律の回ら
ぬ口調で真っ赤な顔をして倒れこんだ。
「お父っつぁん。今日は川口屋さんで無理矢理飲まされました。二人で二升五合。好
きなものはやめられませんな、お父っつぁん」
 旦那は素面を装っていても、おぼつかない口調で「お前はなんと情けない男だ。あ
れほど飲まないと約束をしておきながら。ウィ〜ッ。半月も立つか立たないかのうち
に、もう酒を飲んで。ウィ〜ッ。お父っつぁんは酒を見るものいやですよ。ウィ〜ッ。
 あたしはな。この身代をお前に譲って、安心して隠居をしようと思って…、ウィ〜
ッ。いると…、言うのに……、ウィ〜ッ。」
 旦那はしみじみと息子の顔を見つめてから古女房に言った。「おい。伜の顔をみて
ごらん、伜の顔を。七つにも八つにも見えるよ。こりゃ、化け物だ」
 そして、息子に言った。「駄目だ、駄目だ。そんな化け物みたいなやつに、この身
代は譲れません」
 すると、息子も言い返した。「俺だって、こんなグルグル回る家は貰ったってしょ
うがねぇ」


(圓窓のひとこと備考)
 ほほえましい親子である。たぶんこの二人は、この先もこんなことを何度か繰り返
していくことだろう。
2006・7・30 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 78 [親子蕎麦(おやこそば)]

 屋台の蕎麦屋の主が食い逃げにあい、売り溜めまで盗まれてしょんぼりしていると
ころへ、食いにきたのが歌舞伎の大部屋役者の中村安之介。
 安之介は元気付けに即興で蕎麦の口上をやって客を集めてやった。おかげで早くも
今晩は店仕舞い。蕎麦屋は残しておいた蕎麦の玉二つで、安之介とたぐりながら身の
上を聞き出した。
 安之介の父親は安之介が三つのとき、役者になりたいと言って、妻子を捨てて家を
飛び出した。母親は十のときに風邪をこじらしてあの世に逝った。そのあと下駄屋に
奉公へ行き、店の主が芝居好きの影響で、いつしか、役者になってしまった。
 安之介が蕎麦屋の身の上を訊いた。蕎麦屋は「女房もいなけりゃ、子もいない、一
人暮らしさ」と答えた。
 食べ終えた安之介が去ったあとを見送りながら、蕎麦屋はつぶやいた。「母親の名
前を訊くこともできなかった…。ましてや、父親が子に付けた名前も訊けなかった…。
もし、訊いて、お里…、長吉…、と言われたら…。役者にもなりきれず、転々として、
今じゃ、屋台の蕎麦屋。今さら、父親だと、名乗れやしねぇ……」
 すると、安之介が慌てて戻ってきて、「勘定払うの忘れた」と言う。
 蕎麦屋は「いらないよ、今晩は。口上をやってくれたんだし。それに口上をやりな
がら、どこかの婆さんに蕎麦代をやってたね」と。
「お年寄りを見ると、親に思えてしょうがないんです」
「この蕎麦屋も…、親に見えるかい…?」
「見えるよ」
「じゃあ、一言、言わせてくれるかい?」
「なんだい?」
「ありがとうよ、倅ッ」
「じゃぁ、あたしも言わせてもらいます。ちゃん!」
 蕎麦屋は嬉し泣きをしてしまう。
 安之介は蕎麦代のことが気になって言った。
「蕎麦代はこうしましょう。{見得をとって}ちゃん! {ツケを打つ真似をして}
付けにしておくれよッ」


(圓窓のひとこと備考)
 藤沢周平原作の「ちゃんと呼べ」の芝居に蕎麦屋の役として出演したとき、蕎麦の
口上を自作して台詞に入れてもらった。そんなことから、噺として創作してみたのが、
この噺。故今輔が得意としていた[ラーメン屋](金語楼作)に似てしまったが、蕎
麦の口上も聞かせ所としたいと思っている。
2006・8・15 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 164[泳ぎの医者(およぎのいしゃ)]

 ある村の庄屋の娘が病気になった。
 父親は「この村にはいい医者がいない」と悩んでいると、山の向こうの村には名医
がいると聞いて、自らが呼びに出掛けた。
 ところが、その留守に娘の容態が一段と悪化したので、母親が近所の医者を呼んで
診てもらった。
 医者が薬を飲ませると、娘の顔は見る間に血の気が引いて、そのまま死んでしまっ
た。
 医者も家族も途方にくれているところへ、父親が帰ってきた。
 父親はこの惨状を目の前にして、逆上して「この人殺し!」と叫ぶと医者に飛び掛
った。
 医者は驚いて逃げ出した。父親はあとを追った。
 医者はあっちへ逃げ、こっちへ逃げたが、追い詰められて、川へ飛び込んだ。泳ぎ
を知らない医者はアップアップして流された。
 父親はそれを棒で突いたり石を投げつけたりした。
 医者は右に曲がる流れにもがきながら向こう岸の草にしがみ付いた。岸に這い上が
ると、命からがら自宅へ逃げ戻った。
 部屋では十歳になる息子が大きな声で本を読んでいる。
 医者は訊いた。「お前はなにをしているのだ」
「はい。父上のような名医になりたいと思って、傷寒論を学んでおります」
「医者になりたかったら、泳ぎを習え」

(圓窓のひとこと備考)
「圓朝全集」には[畳水練]という題で載っており、また「圓生(二代)師匠が演った
のを聞いたことがある」と書いてある。圓生(二代)は圓朝の師匠である。
《別名》[畳水練]
《作者》
《原話》 中国の笑話集〈笑府〉
《演者》 圓生(二代)、圓朝、圓窓(六代)。
2007.5.7





圓窓五百噺ダイジェスト 155 [お若伊之助(おわかいのすけ)]

 横山町の生薬屋の栄屋の一人娘、お若は十七歳で栄屋小町と言われる評判の美人。
 一中節を習いたいと言うので、出入りの鳶職の頭の口利きで菅野伊之助という師匠
が稽古に来るようになった。
この伊之助が二十六歳で美男子。いつの間にか二人は深い仲になってしまう。
 慌てた母親は頭を呼んで、伊之助に手切れ金を渡して二人の仲を裂くように頼み、
お若を根岸で剣道場を開いている叔父の長尾一角の所の離れ座敷に預けた。
 しかし、お若は恋患いになり悶々とした日々を過ごしていた。
 そんなある日、庭の隅に頬被りをした伊之助が立っているではないか。お若は早速、
伊之助の手をとって座敷に入れた。それから二人は毎晩のように密かに逢瀬を重ね、
ついにお若は妊娠したらしい。
 一角は二人の密会の様子をそれとなく確認した上で、頭を呼び寄せて問い糺した。
 頭は間に入ってうろたえて、伊之助の所へ行って「昨夜もお若さんの所へ行ったん
だろう!」と怒鳴り込んだ。
 しかし、伊之助は「昨夜は頭と吉原へ行って遊んでたじゃありませんか」と言う。
 そう言われて頭も「そうだよな。昨夜は根岸へは行けるわけないよなぁ。けど、一
角先生は伊之助を見たと言ってんだよ。どういうことなんだろう……」
 それから頭は伊之助と一角の家の間を行ったり来たりして事実を探ろうとしたが、
双方から、どうも納得いかないことばかり言われるので、すっかり困惑してしまった。
 そこで一角は「伊之助は今晩も来るであろうから、頭も見届けろ」と頭に言った。
 その晩、頭と一角が見張っていると、離れ座敷のお若の所に確かに伊之助が来てい
る。
 一角が鉄砲を持ち出して、伊之助に狙いを定めて、ダーンと撃ち放った。
 撃たれたのは伊之助と思いきや、それは古狸であった。毎晩、伊之助に化けた古狸
がお若の許に逢引きに来ていたのだ。
 お若は気を失い、狸の双子を死産した。
 お若には見せず語らず、その狸と子の双子を根岸お行(ぎょう)の松の側に小さな
塚を建てて埋葬した。
 その供養に日、に組の初五郎、菅野伊之助、長尾一角が集った。線香の煙がくゆる
中、どこからともなく聞こえてきた一中節。よく聞いていると、合間、合間に一中節
にはないはずの鳴物の音、スッポン、スッポン、スポポンポーン。
 頭は言った。「先生。この一中節は狸の伊之助の声ですよ」
 先生が言った。「さよう。腹鼓も打っておる」

 (圓窓のひとこと備考)
 圓朝の作と言われている作品。[根岸お行の松因果塚の由来]というタイトルもあ
る。平成2年に根岸の地元の人達がこの落語に因んでお行の松の傍らに狸塚を作った。
元々この落語はフィクションなのだが、虚を実にしようという遊び心からの建立であ
ろう。
2007.4.20 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 154 [音曲質屋(おんぎょくしちや)]

 町内に新しく質屋が出店した。そこの主人が芸事が好きで、とりわけ音曲が大好き
なので音曲質屋との異名も付いた。
 月に一度、音曲を質草として扱うというサービスをするようになった。客が店の主
人の前で音曲を披露すると、それに見合った金銭を貸すという次第。また、それを見
聞したいという人まで集ってきて、店の中と言わず外と言わず、大勢の人々で賑やか
になる。それも今では音曲に限らず芸事一切を扱うようになり、ますますの評判とな
った。
 今日はその日。義太夫、清元、常磐津、新内、小唄は申すに及ばず、踊り、曲芸、
手品、落語、講釈などを披露する者が列をなした。
 その日、最後の客が役者の声色を始めた。その巧いこと。主人も見聞の人々もすっ
かり感心してしまった。
 声色をやった客が言った。「旦那。いい役者は千両役者といいますので、千両貸し
てくださいまし」
 旦那はあきれて言った。「冗談言っちゃいけないよ。声色はたいそう巧いけど、千
両は貸せないね」
「じゃ、半分の五百両」
「お断りします」
「じゃ、三百両」
「いえ、あなたには一文もお貸しできません」
「おいおい。芝居に通って銭を遣ってきたんだ。役者の芸を盗んだんだぜ」
「ですから、手前どもは質屋。盗品は扱いません」

(圓窓のひとこと備考)
 出典は江戸小咄。しばらく演り手が途絶えていたが、あたしが掘り起こして復活さ
せた落語である。舞台落語と命名して、歌舞伎の関所(大喜利)のように大勢で演っ
たこともある。
2007.4.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 35 [音曲長屋(おんぎょくながや)]

  音曲(三味線や歌や踊り)の好きな家主がまた新しい長屋を建てた。
 入居者は「芸の心得のある者」という厳しい条件をつけ、今日はその手見せ(オー
ディション)が開かれた。
 踊り、義太夫、落語、手品、物真似と芸の持ち主がやってきては、うまいのやら、
ひどいのやらを披露した。
 その一人ひとりに「いいですな、是非とも入ってください」「お前さんはこの長屋
に入るのは五十年早いな」などと批評しながら入居者を決めていった。
 最後の男が都々逸を唄ったが、その声のいいのなんのって。
「結構ですな。あなたは店賃はいりません。その代り、毎日、あたしの所へきて都々
逸を聞かせてくださいな」
「いくらなんでも毎日聞いてたら、飽きやぁしませんか」
「あたしは家主。空家(飽きやぁ)は禁物です」


(圓窓のひとこと備考)
 これはあたしの創作落語である。
 平成13年11月中席の国立演芸場の公演で、これを舞台落語にアレンジして[色
迷間借店・貸さねえ(いろまようちょっとかりだな・かさねぇ)]と題して披露した。
 あたしの演ずる落語の中から楽屋連中の踊り・歌・物真似が飛び出す歌舞伎仕立て
の構成で、あたしはこれを舞台落語と命名した。
 舞台落語になったものは、他に[夢の枕屋][ほうじの茶][音曲質屋]


   [音曲長屋]の関連は、寄席集め/国立演芸場/[色迷間借店・貸さねえ]/音曲長屋
[夢の枕屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/夢の枕屋
[夢の枕屋]の関連は、圓窓五百噺全集/創作落語/舞踊落語/寄席舞踊夢枕屋
[ほうじの茶]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/ほうじの茶
[ほうじの茶]の関連は、寄席集め/国立演芸場/[夢現実焙茶湯煙]
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 174[女天下(おんなでんか)]

 大工の熊五郎はいつも女房に尻に敷かれている。そこで、呉服屋の番頭の市兵衛に、
女房へ意見してもらおうと相談をした。だが、市兵衛も熊五郎同様、女房に頭があが
らない質なので、頼りにならないことがわかった。
 そこで二人は老学者の益田先生の所へ出向いて、女房の凄さ、怖さを訴えた。
 すると、先生は二人を一笑に伏し「意気地なし」「同じ男として恥ずかしい」「妻
は怒鳴りつけておけばいいんだ」「妻はおとなしくなるもんだ」などと叱りつけた。
ところが、そこへ奥さまが帰ってきたと知ると、先生の声の調子も変わり、奥さん
には平身低頭で丁寧な言葉で返答をしているではないか。奥さんのポンポン言う激し
い言葉遣いに二人は圧倒された。
 二人は早々に帰ろうとすると、あとを追ってきた先生が小さな声で一言。
「妻は人が来ると、目立ちたがり屋になるんだ」

(圓窓のひとこと備考)
 元の噺は流れがわかりにくいので、登場人物も削って、簡単明瞭に改良した。当然、
落ちも変えた。
《作者》益田太郎冠者
《掲載本》「百花園」「落語全集(講談社)」「三芳屋版」
《演者》 馬楽(6)
20007.5.17 UP