圓窓五百噺ダイジェスト(か行)

          TOP

/蚊戦(かいくさ)/開帳の雪隠(かいちょうのせっちん)/火炎太鼓(かえんだいこ)/加賀の千代(かがのちよ)/鶴満寺(かくまんじ)
/景清(かげきよ)/掛取り(かけとり)/笠碁(かさご)/鰍沢(かじかざわ)/火事息子(かじむすこ)/笠の内(かさのうち)/片棒(かたぼう)
/かつぎや/金釣り(かねつり)/南瓜屋(かぼちゃや)/釜泥(かまどろ)/蝦蟇の油(がまのあぶら)/紙入れ(かみいれ)
/紙屑屋(かみくずや)/髪結新三 1(かみゆいしんざ いち)/髪結新三 2(かみゆいしんざ に)/髪結新三 3(かみゆいしんざ さん)
/亀の手足(かめのてあし)/瓶の中(かめのなか)/蛙茶番(かわずちゃばん)/替わり目(かわりめ)/癇癪(かんしゃく)/勘定板(かんじょういた)
/雁取り(がんとり)/堪忍袋(かんにんぶくろ)/から抜け(からぬけ)/看板のピン(かんばんのぴん)/雁風呂(がんぶろ)
/巌流島(がんりゅうじま)


圓窓五百噺ダイジェスト 201[蚊戦(かいくさ)]

 八百屋の八五郎は近頃、剣術に凝っていて商売を怠けているため、質に入れた蚊帳
を受け出すこともできない。
 女房からは「子供が蚊に喰われてかわいそうじゃないかッ」と強く言われた。
 八五郎は仕方なく「質屋から蚊帳が受け出せるまで稽古を休みたい」と剣術の先生
に申し出た。
 すると先生は「蚊が出てこなければ、稽古は続けられるであろうから、八五郎殿は
蚊と一戦を交えなさい」と作戦を授ける。
 長屋に戻った八五郎は女房に「この長屋を城。表を大手、裏を搦め手。俺は城持大
名、お前は北の方。子供は若君」などと説明をして、いよいよ合戦に入った。
「やぁやぁ、敵方の面々、よく聞け候らえ。当城においては蚊帳は吊らぬぞや。来た
れや来たれ」と怒鳴り始めた。
 どっさりの蚊が入ってきた。
 そこで「ときは頃合い」とばかりに蚊燻しを焚き出したので、蚊は一斉に逃げ出し
た。
 一家は「これで今晩は安心」と、寝ようとすると、ブーンと一匹の蚊がやって来た。
 八五郎は「どうやら、まだ落ち武者がいるようだ。大将への一騎打ちとはしゃら臭
い」とそれを叩き潰した。が、あとからあとから蚊の面々が襲い掛かってきて、手に
負えなくなった。
 八五郎は女房に言った。「北の方、城を明け渡そう」

(圓窓のひとこと備考)
 幕末の頃に出来た噺だろう。よく出来ているが、生活の中で蚊帳は使用しなくなっ
た今日、演りにくくなってしまった。しかし、昔を知るためには格好の噺である。
《掲載本》「圓生全集 五巻(青蛙房)1961(昭和36)刊」
《演者》 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》 比喩 継続
2007.5.19 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 159 [開帳の雪隠(かいちょうのせっちん)]

 昔は、大きな寺院のご本尊を遠方の人にも拝んでもらおうと、他の場所へ持って行
って公開をした。これを出開帳(でがいちょう)といって、江戸では回向院でよく行
われた。
 評判のいい出開帳となると、大勢の人が集まるので、付近の茶店や土産物屋も繁盛
したが、雪隠(便所)を借りに来る者も多く、この対応に煩わしさがあった。
 一休という茶店の主人は考えて、雪隠使用料を取ることにした。一回が四文。
 用を足す者は銭を払っているので、ただで借りたわけではない。だから、気を遣わ
ずに堂々と落ち着いて用が足せるので、評判もいい。行列ができるほどだ。おかげで
茶店も結構な収入となった。
 ところが、これに目をつけた永休という茶店で、数寄屋造りの綺麗な貸し雪隠を建
てた。と、客は新しいほうへ行くので、前にできた一休は客もまばらで、収入も減っ
てしまった。
 ある日、一休の主人は女房に弁当を作らせて、朝から出かけた。
 すると、その日は雪隠借りの客が引きも切らない有り様。女房一人でてんてこ舞い。
日が暮れて、主人が疲れ果てたような顔で帰って来た。
 女房はむかっとした顔で「今日は忙しかったんだよ。なのにどこへ行ってたんだよ」
と、主人は「朝から向こうの雪隠に入って、ずーっとしゃがんでいたんだ」

(圓窓のひとこと備考)
 平成の今日、「便所」と言っても若い者には通じないことがある。ましてや「雪隠」
はより死語に近い。いずれ「トイレ」も死語になる日がくるであろう。
2007.4.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 175[火炎太鼓(かえんだいこ)]

 道具屋の甚兵衛は普段から女房に「商売が下手だ」と馬鹿にされている。
 今日も甚兵衛が市で一分で仕入れた太鼓を女房は「馬鹿だね、お前さんは。こんな
汚い太鼓を一分も出して仕入れて」と、けちょんけちょんに言い放った。
 甚兵衛が小僧に言いつけて、ハタキで埃をはたかせていると、その太鼓はドドンド
ーンドーンと勝手に鳴り出した。
 ちょうど、お駕籠で通り掛かった赤井御門守というお大名の耳に入り、言いつかっ
た家来が「その太鼓を屋敷へ持ってこい。ことによるとお買い上げになるかもしれぬ」
と店にやってきて言った。
 その言葉に甚兵衛は大喜びしたが、女房は「そんなことはあり得ない。値段を訊か
れたら、仕入れた一分でいいと言いな。下手に儲けようとすると、『無礼者』って斬
られるよ」と言う。
 甚兵衛が屋敷へ持参すると、「これは火焔太鼓といって、世に二つという名器」と
いうことで、三百両で買い上げられた。
 三百両を懐に宙を飛ぶように帰ってきた甚兵衛は胸を張ってこのことを告げた。
 女房も「お前さんは商売が上手だ」と手の平を返したように褒め出した。
 甚兵衛も得意になって「音の出るものに限る。今度は、半鐘を仕入れる」と言う。
 女房は「半鐘はいけないよ。オジャンになる」

(圓窓のひとこと備考)
 ストーリーだけ読むと平凡で面白い噺とは思えないが、志ん生(5)の口演にかかる
と、甚兵衛と女房、甚兵衛と侍のやりとりに話芸の極致と言っても過言ではないくら
いの真価が湧き出してくる。
《掲載本》「古典落語 筑摩書房」「新風出版社」「落語名作全集 普通社」「落語
全集金園社」「文芸倶楽部」
《演者》 遊三(1) 志ん生(5) 馬生(10) 志ん朝(3) 円蔵(8) 圓窓(6)
2007.5.19 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 176[加賀の千代(かがのちよ)]

 人のいい甚兵衛の家はこの暮れにきて、金に窮して年を越せそうにもない。
女房のサキは甚兵衛に知恵を付けて、隠居の所へ金を借りに行かせた。
 女房から授かったその知恵とは、「隠居は俳句が好きだから、『加賀の千代の句に〈朝
顔やつるべ取られて貰い水〉というのがありますね』とそんな話から持っていくんだ。
 隠居が『あの句はああだ、こうだ』と言い出すから、感心して聞くんだよ。頃合いを
みて『実はあたしの家も財布を盗られましたので、お金を借りにきました』と言うん
だよ」というもの。
 隠居の所にやってきた甚兵衛は女房に教えられたことを言うのだが、しどろもどろ。
ところが、隠居は喜んで俳句の話をしだした。
 そして、甚兵衛は借金の申し込みをして借りることが出来た。
 甚兵衛はにっこり笑ってつぶやいた。「やっぱり、効き目があった……」
 これを耳にした隠居が「効き目ってなんだい? 加賀の千代のことかい?」
 すると、甚兵衛が「いいえ。かかの知恵」

(圓窓のひとこと備考)
 元のこの噺は、借金と句の引用の結ばれ方に無理があったので、少し改良してみた。
 三木助(3)が上方から東京に持ってきた噺。
《掲載本》「桂三木助集(青蛙房)三木助(3) 1963(昭和38)刊」
     「古典落語 四(角川文庫)」扇橋(9) 1974(昭和49)刊」
《演者》 三木助(3) 圓窓(6) 扇橋(9)
《落ちの要素》 地口 食い違い
207.5.19 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 177[鶴満寺(かくまんじ)]

 鶴満寺は小町桜という枝垂れ桜が有名で、花見時になると大勢の人がやってきて、
境内を荒らすことになる。そこで、「歌詠み以外、境内に入ることを禁ず」の立て札
を出してある。
 ある日、鶴満寺の住職は出掛けるにあたって、寺男にきつく言って聞かせた。
「境内が汚されるから花見の者を入れてはならぬ。しかし、歌を詠む風流人なら入れ
てもかまわぬ。いいな」
 言われた通りに寺男は花見に来た者を断り続けた。
 ところが、「あたしたちは歌詠みだから」と偽ってやってきた男たち四人が、寺男
に袖の下として百文出した。
 それに目がくらんだ寺男は、男たちを簡単に入れてしまった。
 男たちはそのうちに「踊りを踊って、三味線を弾く」と言い出した。
 寺男は「じゃぁ、あと一朱出しなさい」と要求して、貰ってしまった。
 男たちは「俺たちは歌詠みだから」と言っては寺男を仲間に入れて「花の色は移り
にけりないたづらに!」と大声を発しては唄い出したり、踊り出したり、さんざ境内
を荒らして帰って行った。
 あとに残った寺男は、多分に酒も馳走になったので、すっかり酔っぱらっていい気
持ちになって寝てしまった。
 そこへ住職が帰ってきた。境内は荒れているし、寺男は高鼾で寝ている。不審に思
った住職は起こして、その訳を訊いた。
 と、寺男は「歌詠みだから入れた。そして、馳走になった」と言った。
「どんな歌を詠んだ?」
「……、花に色は、移りにけりな……」 「それは小野小町だ」
「女じゃなかった。男だった」
「歌は百人一首だ」
「ああ、すみません。最初が百文で、あとで一朱もらいました」

(圓窓のひとこと備考)
 上方の噺だが、江戸に置き換えて演ってもいい作品。しかし、その作業をする噺家
がいなかったのは不思議だ。どんどん演るべき噺の一つだ。
《掲載本》「桂文楽全集 下(立風書房)文楽(8) 1973(昭和48)刊」
《演者》文楽(8) 圓窓(6)
《落ちの要素》地口 数の反復
2007.5.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 178[景清(かげきよ)]

 木彫り師の定次郎が俄かに盲目になり、赤坂の日朝様へ二十一日間通いつめた。
 二十一日目の満願の朝、眼が見えかかってきたようなので、一心に「南無妙法蓮華
経」を唱えていると、隣から女の声でやはり「南無妙法蓮華経」と聞こえてきた。
 身の上を聞くと境遇がよく似ている盲目の女。
 定次郎はつい出来心で、この女の手を握り、体に触れたりしてしまった。途端に見
えかかっていた眼が真っ暗になってしまった。罰が当たったのであろう。
 自暴自棄になっている定次郎に石田の旦那が諭した。
「定さん。もう一度、信心しなおしなさい。あんないい日朝様を怒らせたんだから、
行きにくいだろう。今度は上野の清水の観音様に願掛けをしたらどうだい?」
「こんな馬鹿な男でもご利益をくれますかね」
「平家の武将の一人、悪七兵衛景清は平家の滅びたあと、『源氏の世の中をこの目で
見るのは嫌だ』と言って、自分の両眼をくり抜いて京都の清水様へ納めた、という話
が伝わっている。上野はその清水様だから、眼の病には効くはずだ」
 定次郎は言われた通りに百日間通った。満願の日、石田の旦那と一緒にお参り。
 しかし、ご利益はなく、眼は見えないまま……。また、短気を起こして、観音様に
八つ当たりをする。
 石田の旦那が「百日で駄目なら、二百日でも三百日でも通ってごらん。信心とはそ
ういうもんなんだ」ときつく叱って連れて帰る。
 その途中、豪雨と共に雷落があって定次郎は倒れて気を失って伸びてしまった。
 しばらくたって、定次郎は気が付くと、ぼんやりとだが、周りが見えてきた。目が
明いたのだった。
 石田の旦那も喜び、定次郎も浮き浮きと、きょろきょろしながら歩き出した。
「石田の旦那。ここは大層な人通りですね」
「いつも通って日参していた道だよ」
「じゃぁ、今日から脇の道を通ります」
「どうしてだい?」
「せっかく目が明いたんですから、目抜き通りは避けます」

(圓窓のひとこと備考)
 上方ではこのあと、芝居掛かりになって、景清の眼が乗り移ったか、定次郎が大名
の行列に出会ったとき、乱暴を働く。大名が「そちは気でも違うたか」「いや、眼が
違ぅた」という落ちが付いている。
 しかし、移入した東京では後半を削除して人情噺に仕立てている。
 あたし、この噺は演ったことないのだが、掲出の落ちは工夫した。だから、いつか
高座にかけてみようと思っている。

《原話》 「坐笑産(ざしょうみやげ)」の内[眼の玉]1773(安永2年)江戸板
《作者》 米沢彦八「軽口大矢数(かるくちおおやかず)」の内[祇園景清]1736
     〜(元文〜年)
《掲載本》「桂文楽全集 上(立風書房)文楽(8) 1973(昭和48)刊」
     「古典落語 十巻 上方ばなし(角川文庫)染丸() 1975(昭和50)刊」
《噺の系譜》 上方から圓馬(3)が移入。
《演者》 圓馬(3) 染丸() 文楽(8)
《落ちの要素》 縁語 良好継続
2007.5.29




圓窓五百噺ダイジェスト 179[掛取り(かけとり)]

 この暮にきて、八五郎の家では借金が嵩んでしまって、その処理に苦悩している。
 そこで考えたのは「好きな物には心を奪われる」という人間の心理を利用して、掛
取り(取立て)が来たらその借金取りの好きな事を話題にして、いい気分にさせて追
い返してしまおうという算段。
 狂歌の好きな家主がきたので「実は狂歌に凝って店賃を溜めまして、すいません」
と詫びながら狂歌を並べ立てた。
「春浮気夏は元気で秋塞ぎ 冬は陰気で暮がまごつき
 なにもかもありたけ質に置き炬燵 かかろう縞の蒲団だになし
 貧乏をすれば悔しき裾綿の下から出ても人に踏まるる
 貧乏をしても下谷の長者町 上野の鐘のうなるのを聞く
 貧乏をすれどこの家に風情あり 質の流れに借金の山
 貧乏の棒も次第に長くなり 振り回されぬ歳の暮かな」
 嬉しくなった大家も狂歌を詠んだ。
「貸しはやる借りは取らるる世の中に なにとて大家つれなかるらん」
 八五郎もこれは〈菅原伝授手習鑑〉からの本歌取りと知って、女房に言った。
「女房喜べ。狂歌がお役に立ったわやい」
 続けて大家も「時平(しへい・酷でぇ)ことは言わない。店賃は桜丸の散る自分ま
で松(待つ)王としてやろう」
 八五郎も喜んで「来春には必ず梅(埋め)王にしますから」
 これを聞いた大家は機嫌よく帰って行った。

 次に喧嘩が好きだという魚屋の金治がきた。
 八五郎が「ねぇものは払えねぇ」と言うと、金治は「勘定を貰わねぇうちはここを
動かねぇ」と啖呵を切った。八五郎はその一言を逆手にとって「じゃぁ俺も勘定を払
うまではそこを動かさせねぇ」と切り替えした。呆れ返った金治が「他にも掛取りに
行かなくてはならねぇ」と言って帰ろうとすると、八五郎は「今、動いたな。じゃ、
勘定は受け取ったんだな」とつけ込んだ。金治は仕方なく「貰ったよ」と言う。その
上、八五郎は「じゃ、受取りに判を押して置いて行け」と凄んだ。金治は泣く泣く受
取りを置いて帰って行った。

 その次に来たのが、義太夫好きの大坂屋の旦那。
 八五郎は蜜柑箱を前に置くと、衣紋竹や手拭いで即席の肩衣を拵えて太夫に扮して、
旦那と義太夫でやりとりをした。案の定、旦那はご機嫌で帰って行った。

 そのあと来たのが、芝居好きの酒屋の番頭。
 八五郎は番頭を上使(じょうし)に見立てて、近江八景の歌を芝居がかりで演り合
った。結句、番頭は立ち役を気取って帰って行った。

 そして、三河万歳が好きだという三河屋の旦那が来た。
 八五郎は旦那を才蔵に見立て、自分は太夫になり、万歳の調子で言訳を掛け合いで
始めた。
 旦那「待ってくれなら、待っちゃろか。待っちゃろかぁと申さぁば、ひと月ぃか、
ふた月か」
 八五郎「なかぁなぁか、そんなぁことでは勘定なんざぁできねぇ」
 旦那「できなければ、待っちゃろか。ずぅと待って一年か」
 八五郎「なかぁなぁか、そんなぁことでは勘定なんざぁできねぇ」
 旦那「できなければ、待っちゃろか。二年か三年か、はぁ五年べぇも待っちゃろか」
 八五郎「なかぁなぁか、そんなぁことでは勘定なんざぁできねぇ」
 旦那「できなければ、待っちゃろか。十年か二十年、はぁ五十年も待っちゃろか。
    こけぇらで、どうだんべぇ」
 八五郎「なかぁなぁか、そんなぁことでは勘定なんざぁできねぇ」
 旦那「馬鹿言わねぇもんだ。五十年も待ったら、おらぁ百歳になっちまう」
 八五郎「めでたぁく、百歳千歳重ねぇて、待ちなされぇ」
 旦那「じゃぁ、わしが幾つになったら払うだ」
 八五郎「あぁら、お好きな万歳になったら払いましょう」

(圓窓のひとこと備考)
 圓生(6)の落ちは「あぁら、百万年も過ぎてのち、払います」であるが、「百万年」
の語が三河万歳の台詞にちゃんとあるのか。あるいは単にオーバーに八五郎が「百万
年」と言ったのか。判断する資料が手許にないので、切歯扼腕している。
 とりあえず、あたしは落ちを変えた。〈三河万歳〉と〈年齢の万歳〉を掛詞(地口)
としてみた。どうであろうか。異論反論を聞きたい。
《原話》 「笑富林(わらうはやし)の内〈しゃれもの〉1833 (天保4)刊」
《作者》 林家菊丸(1)
《改作》 林家菊丸(2)
《掲載本》「明治大正落語集成 五巻(講談社)圓蔵(4) 1980(昭和55)刊」
     「圓生全集 一巻(青蛙房)圓生(6) 1960(昭和35)刊」
《演者》 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》地口 縁語 言訳
2007.5.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 180[笠碁(かさご)]

 還暦を迎えた駿河屋の旦那の道楽は碁。この好敵手になっているのが、町内の四十
歳になる美濃屋の主。
 この二人、下手の横好きというだけ。碁会所に行ってもみなが強すぎて打つ相手が
いないので、二人はいつも駿河屋宅で打って楽しんでいる。
 ある日、「待ったなし」という約束で碁を始めたが、駿河屋が「待ってくれ」と言
い出した。美濃屋が「待てない」と断ったので、終いに口喧嘩となり、お互いに「も
う金輪際、あなたとは打たない!」と捨て台詞で別れた。
 梅雨に入り、雨が続いたある日。
 美濃屋は我慢できなくなり、女房に「駿河屋へ様子を見に行ってくる」と言い出し
た。
 女房は「雨が降っているし……。また喧嘩になりますよ」と止めたが、美濃屋は「
どうしても出掛ける」と言ってきかない。
 ところが、人に貸してしまったか、傘が一本もない。仕方なく、お山参りをしたと
きの菅笠を被って出掛けた。
 一方、駿河屋の旦那も打ちたくて仕方がないのだが、美濃屋を呼びにやることは意
地にもできない。そこで、考えたのは「美濃屋はきっとこっちへやってくる。そのと
き、外から碁盤が見えれば釣られて入って気安いだろう」という一計。
 駿河屋は店先に碁盤を置いて、一人で石を並べて目立つように詰碁を始めた。
案の定、やって来た美濃屋。駿河屋の店先の様子を見たが、素直には入れない。店
の前を何度か行ったり来たりする。
 いらだった駿河屋が外へ「やい、ヘボ!」と声を掛けた。
 美濃屋が「なんだ、ザル!」と言い返したのがきっかけで、店の中に入った。
 が、二人は碁盤を挟んだが、すぐには「やろう」とは言い出せないでいる。
 美濃屋が「この碁盤は……、なかなかいいね……」 駿河屋が「そりゃそうさ……」
 駿河屋は碁盤上に水滴が落ちているのに気が付いて拭きながら話をする。
「盤の裏は彫り込みがあって、打った石の響きをよくしているだ」
美濃屋が「彫り込みは、待ったとか、イカサマをした者の首を取ってこの盤に晒し
たらしい」
 駿河屋が「なに、首を取る……? その前にお前さん、被り笠をお取んなさい」

(圓窓のひとこと備考)
 人間の心理を巧みに表現する演技力が必要な作品。落ちにも心理が絡んでいるので、
ドッという笑いはなく、弱い落ちと言われる所以であろう。
 過去、圓窓五百噺を聴く会で口演のとき、「心理が絡んでいるから弱い落ちではや
はり物足りない。なんとか改良したい」と思案しながら名古屋へ乗り込んだことを思
い出す。で、演ったのが掲出の落ち。

《原話》 「露がはなし」の内〈この碁は手みせ禁〉1691(元禄4年)刊」
《掲載本》「三遊亭小円朝集(青蛙房)小圓朝(3) 1969(昭和44)」
     「小さん落語集 上(旺文社文庫)小さん(5) 1987(昭和62)刊」
《噺の継承》桂文吾→小さん(3) 圓生(4)→小さん(3) 柳亭燕枝(3)→小さん(5)
《演者》 小さん(5) 圓窓(6)
《落ちの要素》 同語 理由 粗忽
2007.5.29 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 181[鰍沢(かじかざわ)]

 身延山にお参りした江戸の商人の新助は猛吹雪に道に迷ってしまった。明かりを頼
りに一軒の粗末な家を訪れた。
 親切に中へ入れてくれたこの家の女房は凄味のある美人。
 新助が粗朶(そだ)の火に浮き上がった女房の顔を見ると、昔、吉原で相方になっ
た月の戸(つきのと)花魁であった。
 新助が江戸の話をすると、女房は「心中のし損ないで、ここへ隠れ住んでいます。
今は熊の膏薬売りをしているのが亭主。亭主が戻ってきても吉原の話はしないように
してくださいな」と言った。
 新助はなにがしかの金を紙に包んで女房に渡した。
 新助は女房の作ってくれた卵酒を飲むと、眠くなって奥で横にならせてもらった。
 女房は亭主に飲ませる酒がなくなったので、買っておこうと外へ出た。
 その間に亭主が帰ってきた。土瓶に卵酒が入っているので、口にすると体が痺れて
激痛に教われて倒れ込んでしまった。
 そこへ女房が徳利を抱えて帰ってきた。亭主が喉元に手をやってもがいている。
「お前さんは残りの卵酒を飲んだね。これは奥で寝ている旅人に飲ませた痺れ薬入り
の卵酒だ。旅人がたんまり金を持っているようなので捲き上げてやろうと、作って飲
ませたのだ。その残りの毒の淀んだところを飲んじまって。成仏しておくれ。敵はと
るからね」
 奥でこれを聞いた新助は痺れた体を部屋の裏の戸にぶつけて外へ転がり出た。助か
りたい一心で、小室山でいただいた毒消しのご封を雪とともに飲み込んだ。すると、
いくらか体が動くようになったので、あとはこけつまろびつ雪道を必死に逃げた。
 女房は鉄砲を持って追い掛けてきた。
 新助の行く手は登りの雪の坂道。登り切ればなんとか逃げられるだろうと思い、這
うようにして辿り着いて、ひょいと前を見ると、崖っ淵。はるか下は鰍沢、釜ヶ淵の
急流。後は鉄砲、前は激流。「もう駄目だ」と思った瞬間、雪と共に崖を滑り落ちた。
 運よく下は筏がもやってあった。落ちたときに差していた道中差しが鞘走って、も
やった藤蔓を切った。動いて流れ出す筏。蔓が切れて、筏の材木が一本一本、離れて、
終いには自分の乗っている一本だけになってしまった。
 新助は一心不乱に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えた。
 女房は雪がやんで月明かりとなった崖の上で鉄砲を構え、流れて行く旅人を狙って
引き金を引いた。ダーン! 玉は旅人の頭をかすめて前の岩へ、カチーン!
 新助「ああ、お材木(お題目)で助かった」

(圓窓のひとこと備考)
円朝作の三題噺で「小室山の御封」「卵酒」「熊の膏薬」がお題。旅人と元花魁との
会話は妖艶であり凄味があるという聞きどころ。落ちは[お節徳三郎下]と同じなの
が気に食わないし、また、命拾いをした瞬間に駄洒落を口にするのも不自然。
 あたしは以前、「卵酒を飲んだあと眠った新助の夢だった」と設定にして他の落ち
を工夫したこともあったが、成功したとは思えないので、それは捨ててしまった。い
つか、工夫したいと思案している。
《作者》 圓朝
《掲載本》「明治大正落語集成 一巻(講談社)圓生(4) 1980(昭和55)刊」
     「圓生全集 八巻(合本四巻)圓生(6) 1972(昭和47)刊」
《演者》 圓朝 圓生(4) 志ん生(5) 圓生(6) 正蔵(8) 扇橋(9) 圓窓(6)
《落ちの要素》地口
2007.5.22 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 34 [火事息子(かじむすこ)]

 質屋の若旦那の藤三郎、火事が好きで臥煙(がえん)の仲間に入ったがために、親
父から勘当された。
 ある、風の強い日。近火があり、番頭が蔵の目塗りをすることになった。
梯子で上に登って、主が下から投げる目塗りの土を受けようとするが、片手でこわご
わするのでうまく行かない。
 すると、屋根から屋根へひょい、ひょい、とん、とーんと、やってきた臥煙が番頭
の帯を蔵の壁の釘に引っ掛けて両手を使えるようにしてくれたので、なんとか目塗り
もすんだ。
 火事も無事に収まり、番頭が主に申し出る。
「実は、私を助けてくれたのは、勘当なさいました若旦那です。お会いになって下さ
いまし」
 主は「息子は親類一同協議の上の勘当した者。他人様だ。他人に会うこともなかろ
う」と厳しい返事。
 番頭は「他人ならば、なおさら会ってお礼を言うべきです」と諫言。
 この一言に折れた主は、台所の隅で小さくなっている息子に、よそながらに意見を
言う。
 息子が短めの詫び言をいって帰ろうとするので、番頭はおふくろ様に会わせようと
主に薦めるが、主は意地を張って会わせようとしない。
 ついに番頭が大声でおふくろさんを呼ぶ。
 息子を見た母親は嬉しさのあまり、「お前はいい子だ、いい子だよ」泣き出す。
 主は「そうやって甘やかすから、こういう息子になっちまったんだ」と怒り出す。
 母親はもう我慢はできないとばかりに「あなたも若い頃から火事好きでした。半鐘
がなると、この子を負ぶって火事場へ駆けつけました。この子に纏のおもちゃを買っ
てきたのは誰です。秋葉様のお札を剥がして、近くに火事があればいい思っていたの
は誰です」と半ば訴えるように狂乱気味に言う。
 もう父親には返す言葉もない。
 母親はなおも「虫干しのたびに息子の着物を見て、辛くてつらくて……」
 父親「辛いもんだったら、捨てちまいな」
 母親「捨てるくらいなら、この子にやってくださいな」
 父親「捨てれば、(息子が)拾っていくだろうから、さっさと捨てろ」
 母親はやっと軟化した心に、「箪笥ごと捨てましょう。お金は千両箱ごと捨てまし
ょう」と喜びを表す。
 母親「この子に黒羽二重の紋付の着物に羽織、仙台平の袴、白足袋に雪駄を履かせ、
小僧を付けて出かけさせたいですね」
 父親「こんなヤクザ者に、なんだってそんななりをさせるんだ」
 母親「火事のおかげで会えましたから、火元へ礼にやります」


(圓窓のひとこと備考)
 圓生のこの噺には、どう贔屓目に見ても許せないクスグリがある。
 母親が倅と会う場面だ。
 火事騒ぎで猫好きの母親は「猫が縁の下に駆け込んで、万が一にも焼け死んだら可
哀そうだから」とずぅっと抱いていたのだが、倅が来ていると知らされて、「本当か
い!」と、猫を放り出して「猫なんざ、焼け死んでもいい」と言い放つのだ。
 猫好きでなくとも、これを聞けば不快になるクスグリである。「圓生には残酷な部
分がある」と思うのはあたし一人ではあるまい。もちろん、あたしはいくら弟子でも
このクスグリは演らない。


[火事息子]の関連は、評判の落語会/各地の定期落語会/岐阜落語を聴く会
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 46 [笠の内(かさのうち)]

 平安朝の頃、茨田重方(まんだの しげかた)という舎人(とねり)が伏見の稲荷
神社へやってきたが、信心ではなく、女漁り。
 ひょいと目に付いた女は、笠の周りに絹を垂らした市女笠(いちめがさ)を被って
いる。顔は見えないが、男心をくすぐるのに充分な女だった。
 重方はそれとなく女に近づいて、持ち上げ始めた。
「素敵なお召し物ですな。お茶でも飲みませんか? あなたは『立てば芍薬、座れば
牡丹、歩く姿は百合の花』。あたしの妻ときたら、『立てば癇癪、座れば不満、歩く
姿がブス(附子)の花』って、妻はオカメを踏み潰したような顔で。あなたの美しい
お顔を拝ませてください」と並べ立てた。
 女は落ち着き払って「夜目遠目笠の内と申しますのよ。では、ゆっくりとご覧あそ
ばせ」と市女笠を取った。
 あッ! 驚くのは当然。それは重方の妻であった。
 妻は「あなたという人はッ。なんという男でしょうッ。別れましょう。家に帰って
こないでください」と殴りつけると去って行った。
 重方は悩んだ末、朝帰り。なんとか、家の中に入って、自分の部屋へ行こうと、通
らなくてはならないのが、母上の部屋の前。どうやら、寝ている様子。その先の妻の
部屋の前を通ると、明りがついたまんま……。
 ひょいと見ると、昼間、境内で見たあの市女笠を被ってこちらに背中を向けたまま、
座っている。
 重方はまた重ねて謝った。「それに、母上はなかなか口うるさい人。怒らせたら、
舎人の職も失ってしまうかもしれない。そこで、今日の一件は母上には内緒にしても
らいたい。いつまでも笠を被っていられると、針の筵に座らせられているようなもん
だ。笠を取っておくれ。顔を見せて許しておくれ」
「そんなに見たければ、ゆっくりと見なさい」と笠を取った。
 あッ! 驚くのは当然。それは重方の母であった。
 母は重方をきつく戒めた。「この母もオカメです。妻をオカメだと思ったら、己は
ヒョットコだと思うて振る舞え。夜目遠目笠の内だけで女を見るでないぞ。これから
は『嫁オカメ笠の内』だと思うのじゃぞ。常に妻のことを敬え。忘れるでないぞ!」
 しかし、当人が本当に心を入れ替えたかどうかは定かではありませんが、三年後、
重方はその罰が当たったか、体調を崩してそのままあの世に逝ってしまった。
 その後、その妻はそのまま母上と一緒に住んでいましたが、残されたその妻に縁談
が持ち上がり、そこへ嫁ぐことになった。
 喜んだのは、重方の母上。
「そのほうは辛抱という苦労の果てに、夫に見事に勝ったのですよ。オカメがヒョッ
トコに勝ったのです」
 妻が言った。
「オカメとヒョットコの諍いを少し離れたところから見守っていた母君のほうが強か
ったのでしょう。オカメ(岡目)八目と言いますから」

(圓窓のひとこと備考)
 永井路子著の「日本夫婦げんか考・浮気のいましめ」をあたしが落語化した。初演
の折、先生が客席で聞いてくださった。「他にも落語化したい先生の作品があるので
すが」と言うと「どうぞ、どうぞ」をおっしゃってくださった。どんどんやらなくて
は……。
2006・6・23 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 182[片棒(かたぼう)]

 赤螺屋吝兵衛(あかにしや・けちべえ)という有名なケチン坊が一代で大身代を築
いた。その赤螺屋にも悩みがある。身代を三人の息子の誰に譲ろうか、と考えると不
安でならないからだ。そこで、この三人に自分の葬式の出し方を訊いた上で判断する
ことにした。
 ある日、三人を呼んでこのことを打ち明けた。
 長男は「これだけの身代です。世間体もありますので、立派な葬式を出します。そ
のためにはたっぷり経費のかけます」と答えた。
次男は「今までになかったような破天荒な葬式を出したい。当日は花火を揚げます。
お父っつぁんかたどった山車の人形を作り、囃子、木遣りでお練りをします。遺骨は
神輿の中に納め、町内の若い者に担いでもらいます」と言い出した。
 上の二人があまりにも突飛なことを言い出すので、赤螺屋はがっかりした。
 ところが、三男は「お父っつぁんの意思を継いでごく質素な葬式を考えている」と
答えるので、機嫌が直ってきた。
「葬式は通知の時間より早くすませて、会葬者の参加を少なくします。それでも来た
者には菓子も出さずにすませます。棺桶も金は掛けず、菜漬けの空樽を使います。担
ぐのも人を頼むと金がかかるから、あたしが担ぎます」
 これを聞いて赤螺屋は大喜び。
 ところが、三男が「お父っつぁん。あとの片棒の担ぎ手がなくて困ります」と言う。
 赤螺屋はにっこりと笑って「心配するな。俺が棺桶から出て担ぐから」

(圓窓のひとこと備考)
 鑑賞者には、次男の言う祭囃子の場面も楽しみの一つ。この噺を得意として演って
いた文治(9)は私生活でもケチを通し続けた人なので、聞いていてまことにほほえま
しくていい。
《掲載本》「三遊亭金馬集(青蛙房)金馬(2) 1970(昭和45)刊」
《演者》 小せん(1) 小勝(5) 金馬(9) 文治(9)
2007.5.25 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 183[かつぎや]

 商売が呉服屋、名前が五兵衛。この人はとても縁起、御幣を担ぐ性格なので、〈か
つぎや〉という綽名が付いている。店の者にも常日頃から「忌み言葉は使わないよう
に」と言い付けているが、正月早々、奉公人たちは面白がって縁起の悪いことを言い
出すので、不機嫌そのもの。
「いいかい、権助。初水を汲むときは〈新玉の年立ち返る今朝(あした)より若やぎ
水を汲みそめにけり〉と言うんだよ」と教えても、権助は「〈目の玉のでんぐり返ぇ
る今朝より 末期(まつご)の水を汲みそめにけり〉」とやってしまう。
 食べている餅の中から釘が出てきて、ちょっとした騒ぎになったが、番頭が「ご当
家は〈金持ち(金餅)になる〉はいかがでしょう」と取り繕うと、権助は「この身代
は〈持ちかねる(餅金る)〉こともある」と混ぜっ返したので、主はまた不機嫌にな
った。
 手代が年始回りに来た人の名前を受付の帳付けに長々と書くので、主は「略して書
きなさい」と注意をすると、手代は天麩羅屋の勘兵衛を〈テンカン〉、油屋の九兵衛
を〈あぶく〉などと書いて、またまた主は不機嫌になる。
 そこへ、町内の早桶屋(葬儀社)がやってきて忌み言葉を並べ立てて、帰り際に〈
この家を七福神が取り捲いて 貧乏神の出どころもなし〉と狂歌を言い捨てて行く。
 翌日の二日。
 縁起直しにいい夢を見ましょうと、七福神の宝船売りを呼び込んで、おめでたいこ
とを言ってもらった。
 宝船売りが次々に縁起のいいことを言ってくれるので、すっかり機嫌がよくなり、
ご祝儀を弾んだ。
 喜んだ宝船屋は「娘さんが美人で弁天様、旦那は太ってにこにこしているから大黒
様。この家には七福神が揃って、おめでたい」と主を持ち上げた。
 主が「それでは二福ではないか」と問い質すと、宝船屋は「ご商売が五福(呉服)
でございます」

(圓窓のひとこと備考)
 正月の出し物だが、忌み言葉ばかりが続出するので、縁起のいい落語ではない。が、
落ちが二と五を足して「七福」になって、なんとかめでたく納まるで、演られている
のであろう。
《掲載本》「八代目春風亭柳枝全集(弘文出版)柳枝(8) 1977(昭和52)刊」
     「明治大正落語集成 一巻(講談社)禽語楼小さん 1980(昭和55)刊」
     「古典落語 5巻(角川文庫)圓窓(6) 1974(昭和49)刊」
《演者》 禽語楼小さん 柳枝(8) 金原亭馬の助(1) 圓窓(6)
《落ちの要素》 地口 理由
2007.5.25 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 202[金釣り(かねつり)]

 金のない源兵衛と太助の二人が、なにか金儲けの法がないかと話し合った。
 源兵衛「与太郎は小判を持っているという噂だから、なんとか出させよう」
 太助「どうやって?」
 源兵衛「あいつは釣りが好きだから、『釣り針に小判を結んで塀越しに道に垂らす
と大判(十両)が釣れるから』と吹き込んでやらせるんだ。そしたら、お前は塀の側
にきて、その小判を取るんだ」
 太助「巧いことを考えたな。よし、やろう」
 源兵衛が与太郎の所へきて、吹き込んだ。
 与太郎は欲が絡んで、釣り針に小判を結んで塀越しに糸を垂らした。
太助がそーっと近付いて、小判を取ると逃げてしまった。
 与太郎が竿を上げると、小判がない。
 与太郎「小判を取られた!」
 源兵衛「大きな声を出すな。餌を取られただけなんだから」

(圓窓のひとこと備考)
 上方の前座噺。原話では「魚釣りに行って金を釣った話を聞いたので、それじゃぁ
と出掛けた男が大きな鯛を釣ったので『いまいましい、うぬじゃない』とストーリー。
《原話》「茶のこもち」の内〈釣〉1774(安永3年)江戸版。
《落ちの要素》 縁語比喩 食い違い 騙し
2007.5.19 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 184[南瓜屋(かぼちゃや)]

 与太郎は二十歳になるが、いつもポーッとしているので、父親も心配でならない。
 与太郎は父に言われて、八百屋をしている叔父の所へ行って商売を教わることにな
った。
 早速、かぼちゃを天秤の振り分け荷物にして、大小十個ずつ、計二十個持たされて
売りに歩くことになった。
 叔父に肝心なことを言われている。
「売値は、大きいのが一つ13銭、小さいのが10銭。それは元だから売る時は上を
見て売らなきゃいけない」と。
 ようよう担ぎ出したのはいいが、狭い行き止まりの路地に入り込み、戻ろうとして
天秤を担いだまま方向を変えようとした。すると、天秤が両側の家につかえて回れな
くなった。ガタガタと音を立てるだけで、二進も三進もいかなくなった。
 そこへその家の男が現われて「荷を一旦置いて体だけ回れ」と教えた。
 言われて与太郎はその通りして「なるほど、回れた」とひと安心。
 男は人情家なのか、与太郎に「南瓜はいくらだ?」と訊いた。
 与太郎は「大きいのが一つ13銭、小さいのが10銭」と答える。
 男は「安いから買おう」と言う。
 与太郎は「じゃ、上を向いているから、その間にいいのを選んで、銭はそこに置い
てくれ」と言う。
 男は近所の人を呼んで買うように頼んだので、全部売れてしまった。
 与太郎は荷を空にして勇んで叔父の所へ帰った。
 叔父さんは大喜びをして、売り上げを勘定すると、元手しかない。
「与太。上を見た分はどうしたんだ?」
「叔父さんに言われた通り、こうやって上を見ている内に売れたんだ」
「空を見ていたのか? 馬鹿やろう。『上を見ろ』というのは『掛け値をしろ』とい
うことなんだ。掛け値しないで女房子が養えるかッ」
「おいらに女房子はいないもん」
「いたら、という話だッ。もう一度行ってこい!」
 叔父に怒鳴られて与太郎は、また荷を担いでさっきの路地へやってきた。
 あきれた男は「そんなには買えないが、一つなら買ってやろう。いくらだ」と値を
訊いた。
 与太郎は「今度は大きいのが15銭、小さいのが12銭」と言った。
「さっきより高いな」
「さっきは、掛け値をするのを忘れて、空を見てたので」
「お前は歳はいくつだ?」
「うーん、六十だ」
「どうみても、二十そこそこだぞ」
「二十は元値。四十は掛け値」
「年に掛け値はいらないよ」
「でも、掛け値をしないと女房子が養えない」

(圓窓のひとこと備考)
 この噺、以前は[蜜柑屋]という題で演られていたのだが、小さん(4)が蜜柑を南
瓜に変えて[唐茄子屋]と題して演った。楽屋一同は「小さん(4)が[唐茄子屋政談]
を演るのか」と注目したという逸話が残っている。

《掲載本》 「柳家小さん集 下(青蛙房)小さん(5) 1967(昭和42)刊」
     「古典落語 四巻 長屋ばなし・下(角川文庫)さん助 1974(昭和49)刊」
《演者》 小さん(4) 小さん(5) 圓窓(6)
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 68 [釜泥(かまどろ)]

 江戸で釜ばかり盗まれる事件が続いている。石川五右衛門が京都三条河原で釜茹で
の刑にあったということから、泥棒たちが先祖の供養のために釜を盗むということを
始めたらしい。
ある豆腐屋も製造に使う大釜は何度も盗られている。そこで店の主は一計を案じて、
ある晩、釜の中に入った。泥棒が忍び込んできたら、釜から飛び出して捕まえようと
いう魂胆。釜の中で酒をチビチビやっているうちに寝込んでしまった。
 そこへ泥棒が二人やってきて、釜を盗み出す。
釜の中の主は鼾をかいて寝ていたが、寝言で「酒をもう一本ッ」と、釜から手を出
した。
泥棒はびっくりして釜を放り出して逃げだした。
主は釜が大きく揺れているので、「地震だ!」とばかりに慌てたが、空を見上げる
と、満天の星。
「しまった。今夜は家を盗まれた」


(圓窓のひとこと備考)
 江戸の小咄にある。小品だが貴重な作品でもある。
2006・7・29 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 185[蝦蟇の油(がまのあぶら)]

 浅草の奥山の大道で蝦蟇の油売りが「さぁ、お立会い。ご用とお急ぎでない方はゆ
っくりと聞いておいで見ておいで」と口上を始めた。
 客足を止める言語を並べ立ててから、蝦蟇から油を獲る方法を語りながら、蝦蟇の
油の効能を述べる。
「まず、第一番に火傷にいい。それにヒビ、アカギレ、シモヤケにもよく効く。他に
もある。金創(きんそう)に切り創。打ち身、捻挫、腫れ物一切。出痔(でじ)、疣痔(い
ぼじ)、走り痔、脱肛、横根、雁瘡(がんがさ)と、下(しも)の病にまで効くんだ」と言
いながら、刀を取り出して「効能は他にもある。刃物の斬れ味を止める」と言う。
 半紙を持つと「一枚が二枚、二枚が四枚」と刀でだんだん細かく切って見せた。そ
のあと、刀で己の腕の皮膚を切って出血を見せてから、蝦蟇の油を付けて、血がぴた
りと止まるところも見せる。
「いつもは一貝で百文だが、本日は披露目のため、小貝を添えて二貝で百文だ」
 口上の良さに蝦蟇の油は飛ぶように売れた。
 この油売りは商いを終えて、近くの店で酒を飲んだ。その帰り、もう一儲けしよう
と、口上を始めた。が、酒に酔っているので巧くいかない。
 口上も支離滅裂で、しどろもどろ。腕の皮膚を切るときに、深く切りすぎて、蝦蟇
の油を付けても血は止まらない。とうとう泣き出して「ううん、お立ち会い。どなた
か血止めはないか」
 
(圓窓のひとこと備考)
 大道芸として〈蝦蟇の油売り〉も活動しているが、口上の聞きやすさは噺家のもの
のほうが上だろう。
 元々、この落語家の演る口上は[両国八景]のマクラとして振られていたのもが[
蝦蟇の油]として独立した。この口上は[高田馬場][蝦蟇の娘]などにも使用され
ている。
《掲載本》「圓生全集 別巻 中(青蛙房)圓生(6) 1968(昭和43)刊」
     「おもしろ落語図書館 一(大日本図書)圓窓(6) 1996(平成8)刊」
《演者》 柳好(3) 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》 逆転
2007.5.23 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 186[紙入れ(かみいれ)]

 貸し本屋の新吉はある妾から手紙を貰った。「今夜、旦那は帰らないから、泊まり
に来て」という文面。新吉はその旦那にも商売のことで面倒をみてもらっているのだ。
 旦那の目を盗んではこっそりと妾といい仲になっている新吉は、その晩、その誘い
に乗って出掛けて行った。
 二人がしんみりと一杯やっていると、帰らないはずの旦那がとつぜん帰って来た。
 新吉は慌てて裏口から逃げ出したが、あの誘いの手紙の入っている紙入れを忘れて
きてたことに気が付いた。
「どうしよう……? 旦那の目に入れば二人の秘め事がばれてしまう。このままどこ
かへ逃げてしまおうか……? いや、今、逃げ出すこともないだろう。明日の朝、そ
れとなく顔を出して探りを入れてみよう。それから、また考えてもよかろう」
 その晩は自宅で悶々として眠れない一夜を明かした。
 翌朝早く、新吉は妾の家を訪れた。まだ旦那はいる。
「新吉。このあいだ頼んだ本はまだ持ってきてないな。どうしたんだ?」
 どうだら、昨夜のこと、紙入れのことは知らないようだ。
 新吉はほっとした。
「新吉。元気がないな。どうした?」
「へぇ……、実は……」
 新吉は「友達のことなんですが……」と、間男のこと、紙入れを忘れたことを旦那
に聞かせた。
「旦那。その友達の言うには、『旦那にその紙入れを見られたら、大変なことになる』
って、その友達は元気を失くしてんですよ」
 これを聞いた妾は新吉に言った。
「新さん。安心おしよ。旦那の留守に若い男を引き入れて楽しもうという女じゃない
か、そこに如才があるもんかね。若い男が帰ったあと、忘れ物はないかと辺りを見渡
して、紙入れを見付けて、誰にもわからないようにこっちに仕舞ってありますよ。
ねぇ、旦那。そうでしょう?」
 自分のこととは知らない旦那は答えた。
「そうとも。またそこいらに紙入れが放り出してあったとしても、自分の女を取られ
るやつだもの、そこまでは気が付くめぇ」

(圓窓のひとこと備考)
 ストーリーだけ読むと平凡で面白い噺とは思えないが、志ん生(5)の口演にかかる
と、甚兵衛と女房、甚兵衛と侍のやりとりに話芸の極致と言っても過言ではないくら
いの真価が湧き出してくる。
《掲載本》「圓生全集 一(青蛙房)圓生(6)1960(昭和35)刊」
     「古典落語 二巻 艶笑・廓ばなし・下(角川文庫)圓弥()1974(昭
      和49)刊」
《演者》 志ん生(5) 圓生(6)  圓弥() 圓窓(6)
《落ちの要素》 勘違い 間抜け
2007.5.25 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 187[紙屑屋(かみくずや)]

 親類から「遊んでばかりいないで、少しは働いたらどうだい?」と言われた居候が、
廃品の分別作業の仕事を世話をしてもらって、その作業場へやってきた。
 そこの主から「同じ紙でも白はハクシ、黒はカラスと言って用途が違う。煙草の空
箱は浅黄紙(センコウガミ)と言う。蜜柑の皮は陳皮(チンピ)と言って薬になる。
髪の毛はかもじになる。ちゃんと区分けするように」などと教えられた。
 居候は早速、掛け声をかけながら仕事を始めた。
「ハクシ(白紙)はハクシ、カラス(黒紙)はカラス、センコウガミはセンコウガミ、
チンピはチンピ、毛は毛」という具合だ。
 指示された以外の物は自分の物としてもいい、とも言われているので、「掘り出し
物はないか」と張り切って屑を選り分けるが、ろくな物は出てこない。
 珊瑚の五分玉だと思ったら、梅干しの種。ダイヤモンドだと思ったら、ドアの把手。
ハーモニカだと思ったら、入れ歯という按配。
 また、都々逸集、歌舞伎名台詞集、手紙が出てくると、つい読んでみたくなって、
 声に出して読み上げたり歌い出したりで仕事が捗らない。
 それどころか、主からうるさがられて叱られてばかり。
 それでも、うるさいので、主が作業場を覗いて言った。
「気でも違ったのかい」
「いいえ、屑をより違いました」

(圓窓のひとこと備考)
 上方版は作業中に隣の稽古屋の音曲につられて踊り出すという、見せる方にも力を
入れている演出。落ちは「お前はほんまに人間の屑やな」「へい、それで、選り分け
てまおりまんねん」

《掲載本》
《演者》 
《落ちの要素》同語 理由
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 138 [髪結新三 1(かみゆいしんざ いち)]

 初代の紀伊国屋文左衛門という人は紀州和歌山から江戸へ出まして、材木商で一代
のうちに百万両の身代を築いた。ところが、二代目の紀伊国屋文左衛門がその身代を
傾けている兆しが見えてきた。
 この二代目の紀伊国屋の番頭を勤めておりました庄三郎は、ここいらが見切り時と
判断して、独立を願い出て認められ、暖簾代として千両貰った。
 庄三郎は新材木町へ間口が十二間、奥行二十五間、三百坪の店を構えた。勢洲白子
の生まれなので、屋号を白子屋。三年経った頃には自宅を建て替え、蔵の数を増やし
て、大層な繁盛。
 一方、二代目の紀伊国屋は店もつぶれ、深川一の鳥居の裏長屋に住み、主が死んだ
とき、妻は途方に暮れて、白子屋へ相談に来た。
 応対に出た白子屋のお内儀お常(元 深川芸者)は、三分の金を出して追い払うよう
に帰したという。
 その後、白子屋はすることなすことが、どうも巧くいかない。子供が二人いて、上
が女で我儘なお熊。下が男で道楽者の庄之助。庄三郎が六十を過ぎた頃、中気にかか
る。帳場を任せた番頭に逃げられる。蔵に賊が入り五百両盗まれるという。困って懇
意にしている加賀屋長兵衛に「お熊に持参金付きの婿を捜してくださいな」と相談し
た。
 そんなことから大伝馬町の桑名屋の番頭の又四郎が婿として入ってきた。歳は四十
でぶ男だが、持参金が五百両なので庄三郎、お常は一安心した。
 ところが、肝心のお熊が承知をしていなかった。というのは、前々から奉公人の忠
七といい仲になっていたので、当然のこと。だから、又四郎との一つ寝を拒否し続け
た。
 五月の初旬、深川の富吉町に住む、回り髪結いの新三が店の奥へやってきた。お熊
の襟足を剃り付けながら、右の袂を見ると、手紙のようなものがのぞいているので、
それをわからないように抜き取った。
 撫で付けを終えて、新三は表へ出て、その手紙を読むと、お熊から忠七への色文。
 なにを思ったか、新三は店へ回ると、忠七に会い、「このまま又四郎がいたんじゃ、
二人は一緒になれませんよ。お熊さんを連れ出して駆け落ちをしなさい。あっしゃぁ、
お熊さんからお前さんへの色文を預かってます。あっしを信用なさい。日が暮れたら
二人で和国橋へおいでなさい。とりあえず、あっしの家に隠れていればいいやな」と
入れ知恵をする。
 夕方、和国橋に来た二人。お熊を駕籠に乗せて先に行かせ、新三と忠七は歩き出し
た。折からの雨。途中で番傘を一本買って、二人は相合傘で、また歩き出して、稲荷
堀(とうかんぼり)から新堀へやってきた。
 風も強くなり、雨も横っ降り。新三はさっさと足早に行こうとする。あとを追う忠
七はびしょ濡れ。
「新三さん。待ってくださいよ。あたしは新三さんの長屋は知りませんので」
「待ってくれだと? これ、忠七、よぉく聞けよ。二人の色(情人)の取り持ちをす
るような間抜けな新三じゃねぇや。お熊はこれから俺の色にするんだ」
 新三は忠七を蹴倒し、番傘で殴り付けた。
 騙されたと知った忠七は、雨の中で泣きくれた。

(圓窓のひとこと備考)
 この噺の作者は乾坤坊良斎という講釈師。乾坤坊良斎は万延六年に92歳で歿して
いる。はじめは初代の三笑亭可楽の門に入って菅良助と称した。だから噺家であった。
しかし売れなかったので、1840年頃、剃髪して乾坤坊良斎と改名して講釈師にな
った。創作に秀でていたため〈お富与三郎〉〈四谷怪談〉などを創作した。
 この噺も乾坤坊の作の〈白子屋政談〉であり、噺家が高座に掛けるようになった。
 明治時代になって歌舞伎の狂言作者の河竹黙阿彌が三代目の麗々亭柳橋の口演を聞
いて〈梅雨小袖昔八丈〉という芝居に書き上げました。この柳橋は後に改名をして春
錦亭柳櫻。春の錦で柳櫻という、大変に綺麗な名前で。〈見渡せば柳桜をこきまぜて
都ぞ春の錦なりける〉という歌からとった名前。その当時の三遊亭圓朝と、並び称さ
れた名人。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 139 [髪結新三 2(かみゆいしんざ に)]

 材木商では車力を抱えている。材木を大八車に乗せて運ぶ仕事をするのだが、その
一人に善八というお人好しの男がいた。
 勤めている白子屋のお内儀から事の顛末を聞かされた善八は、十両預かると、新三
の所へ示談に行った。ところが、新三から「こんな目腐れ金はいらねぇやい!」と脅
かされてしまった。お内儀は主が患っているし、倅は身を崩しているし、どうしてい
いのやら放心状態の日々である。
 善八が自分の女房に話をすると、女房は「葺屋町の弥太五郎源七親分に頼んでごら
んよ。お熊さんの弟の庄之助さんが居候しているそうだから、話は早いよ」と言う。
 早速、善八は親分の所へ行って、十両出して、お願いをした。
 話を聞いた親分は「相手は下っ端の新三。あたしが出るには小さ過ぎるから、他の
人に頼みなせぇ」とやんわり断った。
 脇でそれを聞いていた親分の女房は、善八が不憫と思って、「お前さん。承知して
おあげよ」と一言添えた。
 親分はしぶしぶ善八を伴って新三の長屋へ向います。

(圓窓のひとこと備考)
 芝居では〈梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)〉。この八丈の意味な
んですが、お熊は亭主を毒殺しようとしていたことが発覚した。今でいう未遂事件。
江戸時代は未遂でも死刑で、江戸市中引き回しの上、小塚っ原で処刑になった。その
とき、お熊が黄八丈を着ていたので、女たちが黄八丈を嫌ったそうで。
川柳にあります。〈反物にお熊一反けちをつけ〉と。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 140 [髪結新三 3(かみゆいしんざ さん)]

 善八を伴って新三の長屋へやってきた弥太五郎源七親分は、おだやかに話をして十
両出して「お前もこれから売り出す大事な体だ。ここはおとなしく、この俺に花を持
たせて、お嬢さんを帰してやってくれ」と言った。
 しかし、新三は口は丁重に「確かにお熊はこの押入れに放り込んであります。こう
なったら、三日でもいいからお熊を俺の女房にして帰すつもりだ」と言って断った。
 親分「お嬢さんを傷ものにしちゃぁ、お前の男もすたるぜ。無傷で帰してやれ。こ
うして弥太五郎源七が頭を下げているんだぜ」
 新三「誰に頼まれても、いやでござんす」
 親分「強情張るな、新三ッ」
 新三は「なにをぬかしゃがる!」と金包みを親分に投げつけた。
 とっさに親分は脇差を抜きにかかった。
 善八があわてて親分の腕にしがみ付いて泣きながら止めた。
 親分もあきらめて抜かずにすませた。
 二人は長屋を出た。路地を出た所で、ここの長屋の家主の長兵衛とばったり出会っ
た。二人は家主の家に寄って、この一件を話した。
 話を聞いた家主は「新三のことはわたしがなんとかしましょう。それについて、善
八さん。白子屋へ戻って『十両は少な過ぎるから、三十両にしてください』と頼んで
おくれ。それから、駕籠を一丁あつらえておくれ。お嬢さんを乗せて店へ戻すから」
と二人を帰した。
 しばらくして、支度ができたという善八が戻ってきたので、家主は新三の所へ出向
いた。
 新三は子分の勝三に言いつけて、買った初鰹を切らせているところ。
 家主が「店賃を溜めていて、初鰹か」と皮肉を込めて言った。
 新三は「ですから、お家主さんの所へ片身を差し上げようと思っていたところで」
といやに腰が低い。
 家主は「半分っこか。お前は話がわかるな男だな。その了見が嬉しいな。お前とあ
たしはなんでも半分っこの仲だ。お互いに話のわかる仲だから。そうだな、新三」
 新三は「へぇ……」とますます小さくなった。
「ところで、新三。あたしはなんでも知っている。十両じゃ少くねぇや。三十両に増
やしてやったから、お嬢さんを帰してやれ」
「五百両なら、帰してもいいと思っていましたが、三十両じゃ」
「いやだってぇのか!」
「いやですね。こう見えてもあっしゃぁ、上総無宿の入れ墨新三でがすから」
「入れ墨なんざぁ怖くはねぇ。どの長屋へ行っても相手にされねぇ無宿者を可哀相だ
と思って置いてやっていたんだが、今日てぇ今日は出て行ってもらおう。こう見えて
も、この家主は両御番所(南北の奉行所)、ご勘定(勘定奉行)、寺社奉行、火付盗
賊改め役の加役に至るまで、どこの腰掛けでも深川の長兵衛と言やぁ金箔付きの家主
だ。白子屋のほうに付いて召し連れ訴えを起こしてやるから、そう思え!」
 こう言われて新三は急におとなしくなって「ようがす。三十両で……」と折れてき
た。
 そこで、迎えに来ていた駕籠に乗ってお熊は帰って行った。
 そして、家主は懐から十五両を出して「受け取りな」と新三に言った。
 新三は不審そうに「三十両でしょう?」
 家主はニヤニヤしながら「話がわかるから、なんでも半分っこだって言ったろう?」
「それは鰹ですよ」
「いいや、なんでもだ。だから、金も十五両。お前は話のわかる男のはずだ。お互い
に話のわかる仲だから。文句あるかっッ」
「……」
「店賃もだいぶ溜っているから、五両引くぞ」
「あああ……」
 家主は意気揚々と引き上げて、路地へ出た。と、女房が飛んで来た。
「お前さん。あたしがつい昼寝してたら、泥棒が入って、箪笥を開けられて」
「残らず盗られたか?」
「箪笥半分開けられて、持ってかれたよ」
「泥棒も話のわかるやつだ」

(圓窓のひとこと備考)
 この噺、あたしの師匠の圓生は百花園という速記本に載っていた三代目柳枝のもの
を読んで拵え直したという。
 噺はもっと長くて、弥太五郎源七親分は悔しいてんで、閻魔堂で新三を待ち伏せし
て殺すことになる。
 講釈物ですから落ちのない噺なんですが、家主と新三の件は面白さもあるので、じ
ゃぁてんで、あたしは落ちを付けた。
2007.3.24 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 197[亀の手足(かめのてあし)]

 飛騨市古川町の権爺と言われる古老はみなに親しまれている。
 ある日、権爺は旅人に問われて、先祖の話を始めた。
 それによるとーーー

   天正の頃。権爺の先祖は飛騨の小島城の姉小路、小島時光の家来で宇治原権野
  守と名乗って、西からの敵を防ぐために小谷に砦を築いて見張りをしていた。
   野口の正願坊と所に妖怪が出るという噂が広がった。
   ある旅人が川端の岩に腰をかけて、地酒飲みながら一休みをしていると、その
  岩が動き出して、あっという間に岩から落ちて、川の中に引きずり込まれた。
   牛追いが酒樽の地酒を越中へ通おうと、岩で休んでいると、岩が動き出し、牛
  追いは命からがら逃げ出したが、牛は酒樽ごと川に引き込まれた。
   いろんな話を調べてみると、どうやら酒が狙われているらしい。
   権野守は殿から「その妖怪を退治せよ」と命ぜられたので、毎日のように辺り
  を見張った。
   ある日、深淵という所へやってきて、淵の口の岩に腰をかけて貰い物の酒をち
  びちびやっていると、向こうに見かけない岩を見つけた。
   「はて? 昨日もここへやって来たが、あんな岩はなかったはずじゃ。出来立
  ての岩……? 可変しいな……。
   形は大きな亀のようじゃ。この淵の主は大亀と聞いている……。歳ふる大亀は
  岩に見えて当然。人々はそれをわからず、それに近づいたり乗ったりして一休み。
  酒をちびちび……。大亀はその酒を欲しさに動き出したのか……。
   今、なんとか退治できるかもしれない」
   腰の名刀岩切丸を抜くと岩のそばに近づいて、柔らかそうな脇のところを見定
  めて、エイッ! 大亀はウワォーという声とともに大きく動き出した。
   二の太刀、三の太刀と続けたから、七転八倒。そのたびに大地が揺れる。川の
  水が溢れる、という。まさに驚天動地。ついにドボーンという音とともに淵深く
  逃げ込んだ。
   それに何十日、何ヶ月たっても亀の死骸は揚がらなかった。
   さぁ、権野守が大亀退治をしたという評判がすぐに立った。殿様もお喜びで、
  「でかした、でかした。褒美を取らせる」。鶴の一声で飛騨古川小町と言われた
  飛騨女という娘を娶った。
   飛騨女は男の子を出産。庄蔵と名付けた。その子はすくすくと育ち、すぐにハ
  イハイをしだしたが、立つことをしない。五つになっても歩かない。ところが、
  大人たちが酒を飲んでいると、この庄蔵はそれを欲しがった。
   この庄蔵が端午の節句のとき、「刀が欲しい」と言い出した。
   父親の権野守は名刀岩切丸を出してくると、庄蔵の前に置いた。
   庄蔵は、それを握ってすーと立ち上がると、腰に差してよちよちと歩き出した。
   庄蔵は庭に下りて外へ出た。一度も転ばずに、すたすたすたすたと歩いている。
   そのあとを家族や近所の者がついてきて、その数も増えて、村中の者がぞろぞ
  ろぞろぞろ。
   庄蔵は深淵へやって来た。大きな岩にしがみ付くと、その上に立った。腰の伝
  家の宝刀岩切丸を抜くと、天に掲げた。そのあと、背中を向けると、飛び上がっ
  て、淵へ。
   飛び込んだ瞬間、その姿は大きな亀となって、ザブーン。
   伝家の宝刀はなくなってしまったが、それからは酒を欲しがって悪さをする妖
  怪の噂もなく、この一帯は平和な里となった。

 話を終えた権爺は旨そうに地酒を一口飲んだ。
 旅人が「それにしても、権野守はよくぞ刀一本で大亀を退治できたね」と質問をし
た。
 権爺はにっこりと笑って言った。
「寝ていたところを襲ったので、亀のやつは手も足もでなかったのじゃ」

(圓窓のひとこと備考)
 飛騨古川町の落語会に出演するとき、あたしは「地元落語を創って演りましょう」
と資料を貰って創作したのがこの作品。

《原話》 飛騨古川の民話。
《演者》 圓窓(6)
《落ちの要素》 縁語
2007.6.16 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 198[瓶の中(かめのなか)]

 肥後の菊地の古い大きな寺の和尚はけちんぼうで有名である。ある冬の寒の内。範
府(わいふ)のあるお屋敷の老婆の七回忌の法事へ出掛けた。
 読経のあと、「故人は薩摩芋が大好きだった」ということで、それがどっさりとふ
かされていて、芋好きな和尚は腹一杯に食べた。帰るとき、「お土産に」と三十個ほ
ど出されたが、とても重くて一人ではとても持ち切れない。
 すると、「この瓶に入れて、下男に背負わせますから」と言われ、貰うことにして
菊地へ帰ってきた。
 四人の小僧には「この瓶の蓋とるな」ときつく言って、早々に寝てしまった。
 小僧たちは「なんだろう?」と蓋を取った。いっぱいの芋。「ははぁ。和尚は人に
は食べさせたくないので『蓋とるな』と言ったんだ。でも、食べてしまえ」と四人は
芋を残らず食べてしまった。
 目を覚ました和尚が瓶の蓋をとってみると、芋がない。すぐに四人を呼んで問いた
だした。
 しかし、三人は「知りません」「存じません」「食べません」。もう一人の北念は
「瓶が食べたんでしょう」と空っとぼけた。
 和尚はそれ以上のことは言えず、それよりも空いた瓶の活用を考えて、こう言った。
「この寒の内に冷たい風を瓶の中に入れておく。夏になって暑くてやりきれないとき、
蓋をとって涼む。お前たち、手を貸しておくれ」
 瓶に寒の風を入れると、蓋をして台所に運ばせた。
 冬も越して、境内の桜に莟がついて春を迎えた。それが一気に満開になった。散る
と、五月の菖蒲。初夏になった。そのうちにじわじわと蒸し暑くなった。修行をして
いる小坊主たちやり切れなくなって、瓶の蓋を開けて涼をとってしまった。
 そのあと、四人は瓶の中におならをして蓋を閉じておいた。
 それから三日後、ますます暑くなった土用の丑の日。和尚は取って置きの涼をとろ
うと、台所にやってきて瓶の蓋を開ける。と、プーンときた。
「あぁ、そうか。あの薩摩芋はこの瓶が食ったんだ」

(圓窓のひとこと備考)
 平成17年だったか、熊本に公演に行ったとき、会場に隣接する図書館で地元の民
話の本を物色していて、巡り会った作品がこれでした。すぐに小咄にまとめてその日
の高座のマクラとして演った覚えがある。
《出典》 熊本の民話
《作者》 圓窓(6)
《掲載本》「圓窓高座本」
《演者》 圓窓(6)
《落ちの要素》頓知 仕返し 自業自得
2007.2.31 UP




窓五百噺ダイジェスト 188[から抜け(からぬけ)]

 与太郎は「五銭を掛けて、ナゾナゾをやろう」と辰吉に話し掛けてきた。
 辰吉が「イカサマのから抜けは、なしだぞ」
 与太郎が「そういうのは知らないから、やらない」
 辰吉が「よしやろう」と五銭出した。
 与太郎が「角があって、涎を垂らして、モウと鳴くものなぁんだ?」と問題を出し
た。
 辰吉が「牛だ」と答えて、与太郎の負け。
 すると、与太郎が「今度は十銭。足があって羽根があって、カァカァって鳴くもの
なぁんだ?」
 辰吉は「烏」と答えて、また与太郎の負け。
 そして、与太郎は「今度は二十銭。足があって尻尾があって、ワンワン鳴くものな
ぁんだ?」
 辰吉は「犬」と答えて、またもや、与太郎の負け。
 やおら、与太郎は「今度は一円にしよう。長いのもあれば短いのもあって、太いの
もあれば細いのもある。掴もうとするとヌルヌルしてなかなか掴めないものはなぁん
だ」
 辰吉は答えに窮して言った。「ああ、与太郎に引っかかったよ。両天秤を掛けると
いって、ずるいナゾナゾだ。『蛇』と答えれば『鰻』。『鰻』と答えれば『蛇』と言
うんだろう」
 すると、与太郎は「両方言ってもいいよ」と言う。
 辰吉は「じゃぁ、蛇に鰻だ」
 すかさず、与太郎は「穴子だよ」

(圓窓のひとこと備考)
 上記の落ちで終らずに継続するのがある。「穴子だよ」のあと、与太郎は同じ問題
を出す。辰吉は「蛇、鰻、穴子の三つがあるんだろう?」。与太郎が「三つ答えても
いいよ」と言うので、辰吉が「蛇に鰻に穴子」と答えると、与太郎が「なぁに、芋茎
(ずいき)の腐ったもの」と落す。
〈から抜け〉というのは博打の言葉にもあるようだ。「場の掛け金そっくり頂き」と
でもいう意味だろう。

《掲載本》「圓生全集 別巻 上(青蛙房)圓生(6) 1968(昭和43)刊」
《演者》 圓生(6) 正蔵(8) 圓窓(6)
《落ちの要素》 欺瞞 再度
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 189[蛙茶番(かわずちゃばん)]

 町内の伊勢屋の大広間で芝居好きが集まって芝居をやろうという話が持ち上がり、
出し物は「天竺徳兵衛(てんじくとくべい)」の「忍術譲り場」。
 籤引きで配役も決って稽古に入ったが、芝居の当日、厄介なことが起きた。〈蝦蟇〉
の役と〈舞台番〉の役の者、二人がやって来ないのだ。
 蝦蟇の役は店の小僧の定吉にやらせることにしたが、舞台番の役は手の空いている
者がいなくて決められなくて、困ってしまった。
 舞台番というのは、舞台の下手で客席に向かって座り、客が騒いだら注意をして静
める役。いわば、場内整理係。芝居の配役外の仕事なので、誰もやりたがらない。
 本来、〈舞台番〉を引いたのは建具屋の半次。しかし、それが嫌がって来ないので
ある。他に人もいないし、仕方ない。小僧に半次を迎えにやらせることにした。
 小僧は半次の家に行って、舞台番を嫌がっている半次に「仕立て屋のみーちゃんが
ね。『半ちゃんの舞台番の姿を早く見たい』って、客席に陣取っていたよ」と嘘を付
いた。
 半次は「支度してすぐに行くから」と機嫌を直して小僧を帰した。
 半次は舞台番に趣向を凝らそうと考えた。尻をはしょって座った時に、格好いい褌
を客席に見せようと、緋縮緬の褌を締めて家を出た。
 途中、きれい事になろうと、湯屋の暖簾をくぐった。大事な褌だからと、番台に預
けて湯を浴びた。
 店では来ることになった半次がまだ来ないので、再び、小僧を迎えにやらせた。半
次は家にはいない。どうやら湯屋に行っていると聞いて、湯屋に回ると、半次はいた。
 小僧が「みーちゃんが『半ちゃんが来ないんなら帰る』って」と言うと、半次は急
いで湯舟から出た。体を拭くのももどかしく着物を着たのはいいのだが、預けた褌を
締めるのも忘れて湯屋を飛び出した。
 駆け込んだ伊勢屋の大広間。舞台の下手、舞台番として座った。客席を見渡したが、
みーちゃんはいない。それどころか誰一人、舞台番を見ようともしていない。
 半次は自慢の褌を見てもらおうと、客席に向かって尻をはしょって足を開き気味に
して、妙な声を出し始めた。
 半次の様子に気が付いた客席の目が、股間の逸物に釘付けとなって、場内は騒然と
なった。
 半次は「やっと見てくれた」と喜んで、どんどん前へ迫り出した。
 一方、芝居の方はなんとか進行して、いよいよ小僧が扮した蝦蟇が登場する場面に
なったが、小僧がグズグズしてなかなか出ていかない。
「おい、定吉。蝦蟇の出番だよ」
「いいえ、出られません。あそこで青大将が狙っていますから」 

(圓窓のひとこと備考)
 落語という話芸はエロはよしとしても、グロは許さないという品位があるはず。こ
の噺はまさにグロ丸出し。賞賛すべきものではないが、作としてはよく出来ている。
(笑)

《掲載本》「圓生全集 二(青蛙房)圓生(6) 1961(昭和36)刊」
     「古典落語 一巻 艶笑・廓ばなし・上(角川文庫)金馬(3) 1974(昭和49)
      刊」
     「明治大正落語集成 三巻(講談社)圓喬(4) 1980(昭和55)刊」
《演者》 圓喬(4) 燕枝(1) 圓生(6) 金馬(3) 圓窓(6)
《落ちの要素》敵き物 理由
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 190[替わり目(かわりめ)]

 いい心地で酔っ払って、ふらふら千鳥足で鼻唄を歌って帰宅中の寅吉。客待ちの人
力車夫に呼び止められた。
 寅吉はそれを断るのになんだかんだと絡んだが、結局、乗り込んだ。しかし、車屋
が梶棒を上げると、車はまだ動かないうちに「待て、降りる。そこの家の戸を叩いて
くれ」と言い出した。
 車屋が戸を叩くと、そこの女房が出てきて「この人、家の人なの」と言う。
 車屋が事の顛末を話すと、女房は恐縮して「煙草銭として受取ってくださいな」と
いくらか渡して車屋を帰した。
 家の中に入った寅吉は「まだ飲みたい」と言う。
 女房はいろいろ理由を付けて早く寝かそうとしたが、寅吉は「どうしても飲む」と
言う。
 結局、女房は酒の肴のおでんを買いに行くことになり、家を出た。
 寅吉は女房は出掛けたと思い、日頃の女房への感謝の念を滔々と独り言で述べ始め
た。と、なんと、女房は入口で立ってそれを聞いていたのだ。寅吉は「元帳を見られ
た」と言って慌てる。
 女房がちゃんと外へ出たのを確認して膳の上を見ると、銚子が一本載っている。
「女房のやつは、ちゃんと酒の支度をしていても、飲ませまいとするんだから」とま
た独り言を始めながら、燗をつけようとしたが、火もないし湯も沸いてない。
 すると、表を荷を担いだ鍋焼きのうどん屋が流してやってきた。
 寅吉が呼び止めて「燗してくれ」と頼んだ。
 うどん屋が燗をして、「うどんはいかがでしょう?」と言うと、寅吉は「燗を頼も
うと呼んだんだ。うどんを食べようとして呼んだわけじゃない!」と言い放った。
あきれ返って、うどん屋は帰ってしまった。
 寅吉が一人でちびちびやっていると、女房がおでんを買って帰ってきた。
 女房は、寅吉がうどん屋を呼んでおいて、うどんを食べなかったことを聞いて、「
うどん屋に悪いから、あたしが食べるよ」と外へ出た。
 路地を出た所で、向うにうどん屋がいるのを見て、「うどん屋さーん」と声を掛け
た。
 うどんを食べていた客が「おい、うどん屋。あっちの路地で呼んでいるぜ」
 と、うどん屋が「ああ、あそこはいけません。銚子の替わり目なんです」

(圓窓のひとこと備考)
 普通の演り方は落ちの「銚子の替わり目」までは演らず、「元帳を見られた」の所
で高座を降りることがほとんど。
 元は音曲師が盛んに演った音曲噺。しかし、音曲の部分を削除して普通の噺になっ
た。

《掲載本》「名作落語全集 十一(騒人社)蔵之助 1929(昭和4)刊」
《演者》 志ん生(5) 馬生(10) 圓窓(6)
《落ちの要素》 思い違い
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 191[癇癪(かんしゃく)]

 ある大会社の社長、益田太郎は潔癖性で癇癪持ち。人のやることなすことすべてが
気に入らないので、常に怒鳴り散らしている。
 今日も乗用車で帰宅すると、「出迎えはいないのか!」「門前の掃除ができてない
!」「帽子掛けが曲がっている!」「蜘蛛の巣が張っている!」「座布団が出てない
!」と矢継ぎ早に怒鳴りだした。
 来客者がいた溜らずに帰ってしまった。それを「なぜ帰した!」「呼んで来い!」
とまた怒鳴る始末。
 たまりかねた奥方はとうとう実家へ帰って、社長の振る舞いを両親に訴えた。
 娘に同情する母親をたしなめてから父親はこう言った。
「社長は頭が良くて仕事の腕は立つ人。それに几帳面だから人のやることがじれった
くて、それが小言になるんだ。だから、お前は頭を働かせて、奉公人に仕事を分けて、
先へ先へとやって見なさい。煙くとものちに寝やすき蚊遣りかな、という句もある。
家を預かる者はそうでなくてはいけないよ」
 心を入れ替えた奥方は家へ戻った。
 翌日、父親に言われた通りに人に指示して、万事万端すませて、社長の帰宅を待っ
た。
 夕方、社長のお帰り。相変わらず、辺りを見回して「おぉ、出迎えておるな……。
掃除はできてるな……。帽子掛けもちゃんとして……、蜘蛛の巣はないな……、座布
団は、あぁ、敷いておる……」と、声も次第に小さくなり、終いに言うこともなくな
った。
 辺りを見回していたが、しばらくして社長は突然、「おい!!!」と怒鳴った。
 奥方がすかさず「はい!」と側へ寄ると、
「これでは、わしが怒ることできんじゃないか」

(圓窓のひとこと備考)
 こういう良質の創作がいくつも欲しい。笑わせればいい、という類のものではない。
 人情噺風でもあるので、そのレベルを保つ演技力も必要になってくる。
 やはり、文楽(8)のものは鳥肌が立つほどであった。

《作者》  益田太郎冠者
《噺の継承》圓左(1)→圓馬(3)→文楽(8)
《掲載本》 「桂文楽全集 上(立風書房)文楽(8) 1973(昭和48)刊」
《演者》  文楽(8)
《落ちの要素》自虐
207.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 192[勘定板(かんじょういた)]

 平成の今日では「トイレ」という横文字が全国に定着している。
 しかし、これまで日本ではいろんな言い方があった。閑静な所という意で〈閑所(
かんじょう)〉という土地があった。
 板の上に用便を足して、それを川の流れで処分する。用を足すことを〈かんじょう〉。
その板を〈かんじょういた〉と言っていた。
 この土地の者の田助、畑次の二人が江戸へ出てきて、馬喰町で宿屋をとった。
 田助がかんじょうをしたくなったので、宿の若い者を呼んで、「かんじょう場はど
こだ?」と訊いた。
 若い者は「勘定場」と解釈して、「下ですが、勘定はお立ちのときでかまいません」
と答えた。
 田助は「どうしても今したいから、かんじょう板を貸してもらいてぇ」と言う。
 若い者は「そうですか。では、少々お待ちを」と階下へ行って、裏が板になってい
る算盤を持って来た。
 田助はそれを受取って、しげじげと見ていたが「これではかんじょうしにくいから、
駄目だ」と若い者に返した。
 若い者が「これで誰でも勘定しますので、どうぞ」とまた差し出した。
 二人が算盤を手にしながら押し問答をしている内に、算盤が足元へ落ちて、板を上
にして廊下をコロコロコロと転がって行った。
 これを見た畑次が言った。
「田助よ。さすがは江戸だ。かんじょう板は車仕掛けだ」

(圓窓のひとこと備考)
 この噺の中で用便を足すとグロになってしまうので、それは避けたいと思っている
一人である。圓生(6)は算盤を跨いで用を足そうとして、着物の裾が算盤に引っかか
って動き出す、という演出にしていた。それでさえも、用便を連想させてしまってグ
ロになる。また、演者によっては堂々と用を足してしまう演り方もある。このほうが
客に受けるから、という安易な発想である。品がなくなったら芸ではない、というこ
と知らない証拠である。

《掲載本》「圓生全集 別巻 上(青蛙房)圓生(6) 1968(昭和43)刊」
《演者》 小圓朝(3) 文治(9) 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》 思い違い
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 193[雁取り(がんとり)]

 八五郎が隠居の所へ「なにか金儲けになることはありませんか」とやって来た。
 隠居は「夜、不忍の池の雁が寝ているところを生け捕りしたら、どうだい。売れる
ぞ」と、そのコツも教えた。
 八五郎は「あたしは捕った雁を売る前に、焼き鳥にして食べたいなぁ」と喜んで、
その晩、不忍の池へ出掛けた。
 なるほど、雁は寝込んでいる。
 八五郎は「いるいる。焼き鳥、焼き鳥」と浮き浮きしながら、それを捕まえては縄
で腰に結び付け始めた。腰の周りが雁三十羽になったとき、東が白んできて雁が目を
覚まして一斉に飛び立った。
 八五郎は高々と空に舞い上がった。その内に縄が緩んで解けると、雁が次々に抜け
て飛んで行ってしまった。
 八五郎は「あぁぁ、焼き鳥が飛んで行く」と残念がったが、あっという間に急転直
下。落ちた所が上野の五重の塔の天辺。命拾いはしたものの、どうやって降りたらよ
いか、思案にくれてしまった。
 下では事件を知った人たちが集ってきたのだろう、ワイワイガヤガヤと蠢いている。
 すると、四人の僧侶が分厚い布団の四隅をしっかりと握って、「この上に飛び下り
ろ」と合図をしている。
 八五郎は助かりたい一心で飛び下りた。運よく布団の真ん中にストーン。
 その弾みで、四隅の四人の僧侶の頭が真ん中にきて、ゴツゴツゴツーンとぶつかり
合った。四人の僧侶の目からパッと火が出た。その火が蒲団に移って燃え上がった。
で、八五郎が焼け死んでしまった。
 これを見ていた雁たちが言った。 「あいつが焼き鳥になったよ」

(圓窓のひとこと備考)
 大阪では[鷺取り]といって雁でなく鷺になっている。落ちも「飛び降りた一人が
助かって、坊さん四人が死んだ」というのもある、
 本文の落ちは、あたしの工夫である。

《原話》 「旧観雑話」の内〈八坂の塔〉1781(天明?年)刊」
《掲載本》
《演者》 つば女(4)
《落ちの要素》 逆転 自業自得
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 194[堪忍袋(かんにんぶくろ)]>

 熊五郎とおかつの夫婦には喧嘩の絶え間がない。
 ある日、仲裁に入った大家が教え諭して、こう言った。
「昔、唐土に常にニコニコ笑顔で腹を立てたことない男がいた。
 仲間が『一度、あの男を怒らせてみよう。あの男を呼んで酒を飲ませて、みんなで
出任せの悪口を並べ立ててやろうじゃないか。ニコニコ笑ってはいられないだろう。
 怒り出すに違いないよ』と相談をして、それを実行した。
 ところが、その男はみんなの話をニコニコ笑顔で聞いていて、怒るどころか『申し
訳ございません』とお詫びをした。その内に、『用を思い出しましたので』と帰って
行った。
 男は帰宅すると、大きな水瓶の蓋を取って、その中へ首を突っ込むと、『今日てぇ
今日は、もう我慢ができねぇ! 人のことをなんだと思ってやがんだぁ! もう勘弁
できねぇ!』と怒鳴り込んだ。それを終えると蓋をして、スーーッとしたのか、何事
もなかったように普段の顔になった。
 そんなことは知らない、たくんだ連中が『あいつは笑って帰ったが、今頃、自宅で
悔し泣きしているだろう』と男の家を訪ねた。
 と、男はニコニコ顔で出てきて、『先ほどはご馳走さまでした。どうぞ、お上がり
くださいませ』といつもと同じように振る舞った。
 連中は自分の行為を大いに恥じて、また、『この男なら』と上に立てるようになっ
た。その後、この男もどんどん出世をした。
 昔の書物の大鏡にも〈おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける〉と書
いてある。人に言わなくても、水瓶に怒鳴り込んでおけば、それでいいのだ。
 昔から言われている。〈堪忍の袋を常に胸に掛け 破れたら縫え破れたら縫え〉〈
堪忍のなる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍〉。堪忍袋の緒を切らないことが
大事なんだ。
 だから、水瓶でなくてもいい。布で袋を縫って紐を付けて、その中に、不平不満を
怒鳴り込んで、あとはニコニコ笑うようにしたらどうだい?」
 言われた夫婦はそれを実行した。
「今日てぇ今日は、もう我慢ができねぇ! ―――― ――――!」
「人のことをなんだと思ってやがんだぁ! ×××× ××××!」
「もう勘弁できねぇ! △△△△ △△△△!」
 なるほど、言われた通りにやってみると、気持ちがスーーッと落ち着いて、それ以
来、夫婦喧嘩にはならない。
 近所の者もその噂を聞いて、堪忍袋の中に不満を怒鳴り込みに来た。そして、「こ
れで、スーーッとした」と帰って行った。
 と、夫婦は妙なことに気が付いた。袋が日に日に膨らんできたようなのだ。もうこ
れ以上は入らないというくらいになった。
 夫婦がどうしようかと、思案していると、友だちの酔った男が来て「どうしても今
晩中に怒鳴り込みたいことがあるから、その堪忍袋を貸してくれ」と言う。 
 夫婦は「もういっぱいだから」と断るが、袋を強引に引っ張ったので、袋の緒が切
れて、中に詰まっていたものが、一挙に、
「今日てぇ今日は、もう我慢ができねぇ! ―――― ――――! 人のことをなん
だと思ってやがんだぁ! ×××× ××××! もう勘弁できねぇ! △△△△
△△△△!」
 と、段々と小さくなった堪忍袋が「あぁぁ、これでスーーッとした」

(圓窓のひとこと備考)
 よく出来た噺である。原作の落ちは「袋が破裂して、酔っ払いが吹き飛ばされる。
 すると『なにするんだ』『堪忍袋の緒が切れたのさ』」であるが、なかなかいい落
ちだと思う。
 その落ちがいつしか、罵詈罵倒語で罵声を張り上げてお終いにする形になった。こ
れもなかなか洒落ているが、いい後味が出こないような気がする。
 そこで、新たにあたしが工夫したのが本文の落ちである。
 中国の故事にあるという、その人物名を知りたいのだが、未だにわからないでいる。
 作者は明治時代の帝劇の脚本家・演出家である益田太郎冠者の作。他に[癇癪][
女天下][宗論]などの良作がある。「コロッケの唄」は益田氏の作詞である。

《作者》 益田太郎冠者
《掲載本》「三遊亭金馬集(青蛙房)金馬(2) 1970(昭和45)刊」
     「八代目春風亭柳枝全集(弘文出版)柳枝(8) 1977(昭和52)刊」
《演者》 柳枝(8) 金馬(2)  金馬(3) 圓窓(6)
《落ちの要素》 逆転 繰り返し
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 195[看板のピン(かんばんのぴん)]

 若い者が集って小博打をやっているところへ、その世界から足を洗った老親分がや
ってきた。
 みんなから「やりませんか」と言われた老親分は「久しく壷皿は手にしてない。歳
をとると目が利かなくなるから、やりたくはねぇんだが、遊んでみるか。胴をとらせ
てもらうよ」と言いながら壷皿を伏せた。
 ところが、壺皿の脇に賽が転がり出ていて、一(ピン)の目がはっきり見えている。
 若い連中は「親分は目が悪くて、本人は気付いてねぇんだ」と判断し、みんなピン
に張った。
 みんなが張り終わったところで、老親分はおもむろに「では、看板のピンはこっち
へ仕舞って……」と転がっている賽を取り上げて「中の道を聞かせてやろう。壷皿の
中は三だ。勝負。ほぅれ、三だ」と老親分の総取りとなってしまった。
 みんなが唖然としていると、老親分は「『賽が飛び出しております』と言ってくれ
たやつは一人もいなかったな。弱みに付け込んで勝とうとする料簡だから、いつにな
ってもみんな三下奴なんだ」と小言を言ってから、掛けた金をみんなに返した。その
上、一同に小遣いも与えて、さっと引き上げた。
 あまりの恰好よさに感心した半次は、真似をしたくなって、他の博打場へ顔を出し
た。
 胴を取らせてもらって、さりげなく一の目の賽を壷皿の脇に転がせておいた。
案の定、みんながピンに賭けてきたので、浮き浮きしながら、
「さて、看板のピンはこっちへしまって。中の道を聞かせてやろう。中は三だ。勝負。
あッ、中もピンだ」

(圓窓のひとこと備考)
 三木助(3)には博打うちの生活もあったので、その道のこととは詳しい。小さん
(5)はいろいろと教えられたことが、「柳家小さん集・上」に載っている。
「三木助(3)には『〈中の目〉とは言わず〈中の道〉と言うこと』と教わった。また、
壺の振り方を教わって、巧くやって客には褒められたが、師匠の小さん(4)には『あ
あいう博打のことは、うますぎると噺に品がなくなる』と叱られた。それからあまり
念を入れてやらなくなった」と。
 安藤鶴夫氏の原作〈三木助歳時記〉は三木助(3)の実体験を基にした小説。そこか
らあたしが創作した噺が[丁半指南]。そこには佃島の博打場の情景がよく描かれて
いるので、一読していただければありがたい。

《掲載本》 「柳家小さん集 上(青蛙房)小さん(5) 1966(昭和41)刊」
     「圓生全集 追悼号(青蛙房)圓生(6) 1980(昭和55)刊」
     「おもしろ落語図書館 二(大日本図書)圓窓(6) 1996(平成8)刊」
《演者》 圓生(6) 小さん(5) 米朝(3) 圓窓(6)
《落ちの要素》 失敗 意表を突く
2007.6.4 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 199[雁風呂(がんぶろ)]

 遠州は掛川の宿。その宿外れにある休み茶屋。
 そこへやってきたのは、品のいい大店の隠居風という拵え、お供はその店の手代と
おぼしき二人。都合、三人連れは座敷で茶を飲みながら、窓から見る田畑の風情に疲
れを癒している。
 と、この茶店に老婆と孫がやってきて隣の座敷に入り、雁の絵の屏風を見入った。
 そして、老婆は屏風に因んだ雁のことを孫に語り始めた。
「秋になると、北の常盤という異国から日本へ雁が渡ってくるのじゃ。雁は国を出
るときに柴をくわえて飛び立ち、飛んでいて疲れるとこれを波の上に落とし、その上
に止まってその身を休ませながら函館の浜辺にある一木(ひとき)の松までやってく
るのじゃ。根元に柴を落として日本国中を飛び回る。春になり雁たちは常盤の国へ帰
るとき、落ちている柴をくわえて飛び立つのじゃ。
 しかし、土地の者が見ると、毎年いくつもの柴が残っている。『あぁ、これだけの
雁が日本で死んだのか……』と、追善供養のためにこの柴で風呂を焚き、旅人の疲れ
を癒したのじゃ。
 これが函館の雁風呂の由来じゃ。それがこの屏風の絵に残っているじゃ。取り合わ
せで〔雁に葦〕〔雁に月〕が普通なんだが、この絵を描いた狩野将監(しょうげん)
は〔雁に松〕とした。この屏風は本来は一双物。どこかに半双があるはずじゃ。それ
には紀貫之の歌が添えてあったはずじゃ。〈秋は来て春帰りゆく雁の羽がい休むる函
館の松〉〕じゃったかな…」
 この話を隣の座敷で聞いていた隠居はすっかり感心をした。主に頼んで、座敷にそ
の屏風を運んでもらい、老婆と孫も呼んでもらった。そして老婆を褒めた。
 老婆は恐縮して言った。「この孫は漁太と申します。ふた親はこの子が二つのとき、
沖に漁に出て波に呑まれて帰らぬ者となりました。それ以来、この子は沖からやって
くる鳥を見ては、『チャンではないか』と泣きました。
 あたしは、死んだ自分の倅にはこの雁風呂の話は聞かせましたが、その倅はこのわ
が子には聞かせぬうちにあの世に逝ってしまったわけで、あたしはこの孫にこの子の
親になりかわって聞かせただけのことでございます」
 隠居は手代に小声で言った。「助さん。格さん。悪代官に印篭を見せ付けるだけが、
能ではないぞ。日本各地に散らばる良い話を聞いて、書き残すのも我らの成すべき仕
事じゃ」
 すると、孫が言った。「おじさんたち、ことによると、水戸の黄門様の一行かい」
一行は「あぁ、ばれたかぁ」と頭を掻きながら真実を白状をした。
 やがて、黄門が言った。「助さん、格さんや。そろそろ店を出ましょう。この屏風
を元あった隣の部屋に戻しておきなさい」
 主が慌てて「いえ、それはよろしゅうございます。黄門様がお休みになったお部屋。
また、屏風を見ていただきました部屋ということで、自慢ができます。屏風はこの部
屋に置くことといたしますので、そのままで結構で」
 黄門が言った。「主。そうはいかんのじゃ。屏風の絵を見なさい。雁(借り)は帰
す(返す)ものじゃ」
(圓窓のひとこと備考)
 講釈からの移入なので落ちはなかったが、付けてみた。
 史実ではないのだが、大衆に浸透した漫遊記のパワーは相当なもので無視はできな
い。それと水戸黄門の業績の大日本史のことも含ませてみた。

《原話》 講釈。
《掲載本》 「圓生全集 六(青蛙房)圓生(6) 1961(昭和36)刊」
「圓生古典落語 1(集英社)圓生(6) 1979(昭和54)刊」
「明治大正落語集成 二巻(講談社)燕枝(1) 1980(昭和55)刊」
「おもしろ落語図書館 七(大日本図書)圓窓(6) 1996(平成8)刊」
《噺の系譜》三木助(2)→圓生(6)
《演者》 三木助(2) 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》理由 地口
2007.6.16 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 196[巌流島(がんりゅうじま)]

 隅田川の、お厩の渡し(今の厩橋)。浅草から本所へ向かう渡し舟は大勢の人。
 舟端に陣取った三十二、三の若侍が自慢の煙管で煙草をプカリプカリとやって、火
玉をはたこうとして、雁首を船べりでポンとやった。すると、雁首が抜けると川の中
へ落ちてしまった。
 よほど高価な物らしく、若侍は船頭に「船を返せ」と怒鳴ったが、船頭は「流れも
あり、船は同じ所にはいないもんで。おあきらめを」と舟をそのまま進めた。
 ちょうど乗り合わせていた屑屋が若侍に「お手元に残った煙管の吸い口を値よく引
き取りましょう」と申し出てきた。
 若侍は「無礼者。人の災難に付け込んで商売をするとは」と怒り出し「雁首と引き
替えに、その方の首を切り落そう。首を出せ」と言い出して、屑屋を押さえ付けて大
変な騒ぎとなった。
 艫のほうに座っていた六十前後のお武家が割って入って「この年寄りが屑屋になり
代わって詫びをいたすで、許してやってもらいたい」と言った。
 と、若侍は「それなら、屑屋に代わって勝負しろ」と無理難題を言い出した。
お武家は「舟中ではみなに迷惑がかかるから、舟を戻して陸で立ち合おう」と言い、
船を返させることにした。
 血気に逸る若侍は船が桟橋に着かないうちに「続けッ」と言うと飛び上がった。
 お武家は供に持たせている槍を取り、槍の石突きを返すと着きかかった桟橋にあて
てグーッ張ったので、舟は若侍を残して、また川中へ出て行った。
 同舟の者が「いい戦法ですね」と褒め上げると、お武家は「昔、佐々木巌流が絡ん
できた相手を小島に上げて舟を返したという、巌流島の故事に習っただけじゃ」と答
えた。
 喜んだ同舟の客は若侍に「ざまぁみろ!」「宵越しの天婦羅ぁ!」「揚げっ放しぃ
!」などと悪態をつき始めた。
 すると、若侍は急に着物を脱ぎはじめると、褌一つになり、小刀を背負うと、ざぶ
ーんと川へ飛び込んだ。
 舟の中は「舟底に穴でも開けられるのか……」と新たな騒ぎとなった。
 お武家は落ち着いて槍を構えて、水の面を見詰めていると、二、三間先に若侍の顔
が浮き上がった。
 お武家はそれへ槍を向けると、「こぉれ。拙者にたばかられしを残念に思い、舟の
底をえぐりに参ったか?」
「いや。落とした雁首を探しに来た」

(圓窓のひとこと備考)
 巌流島の謂れに触れれば、タイトルの意味もわかるのだが、そこまで触れないで演
る者が多い。
 この巌流島の故事は冬の噺の[夢金]にも使われている。


《原話》「理屈物語3巻の内〈佐久間一無兵法の事〉寛文7刊」
《別名》桑名船(上方)
《掲載本》 「名作落語全集 八 剣侠武勇(騒人社)文治() 1930(昭和5)刊」
     「落語名作全集 一期 四巻(普通社)小円朝(3) 1957(昭和35)刊・270円」
     「圓生全集 九(青蛙房)圓生(6) 1962(昭和37)刊」
     「落語名作全集 二期 一巻(普通社)圓生(4) 1962(昭和37)刊・370円」
     「古典落語 一巻(筑摩書房)小円朝(3) 1968(昭和43)刊」
《演者》 圓生(4) 小円朝(3) 圓生(6) 圓窓(6)
《落ちの要素》 言訳 転換(強から弱へ) (転換の)繰り返し
2007.6.4 UP