圓窓五百噺ダイジェスト(ね行)

          TOP

猫忠(ねこただ)/猫定(ねこさだ)/猫の皿(ねこのさら)/寝床(ねどこ)

圓窓五百噺ダイジェスト 64 [猫忠(ねこただ)]

 常吉は兄の友蔵と鎌倉で蒲鉾屋をやっていたが、仲違いをして親から初音の三味線
を貰って江戸へ出てきた。その三味線には兄から手を引け(弾け)の意が込められて
いることを覚った常吉は三味線堀で丼物屋を始めた。そして、常盤津師匠の文字静(
もじしず)と所帯を持った。
 そこへ只受(ただうけ)の信助が頻繁に稽古に通いに来ていた。ある日、稽古のあ
と、文字静と信助は酒を飲み始めた。
 これを塀の節穴から覗いたのが、次郎吉と六蔵。「兄貴分の信助はとんでもねぇ人
だ」と焼もちも手伝って、信助の女房へご注進に及ぶ。
 これを聞いた女房は笑いながら「そんな馬鹿なことがあるもんか。あたしの亭主の
信助は朝から隣の部屋で寝てますよ」と言う。なるほど、声を掛けると信介が出てき
たではないか。
 どういうことなのか? 信助と次郎吉と六蔵の三人で文字静の所へ向い、塀から中
を覗いた。なるほど、家の中では信助と文字静が差しつ差されつ酒を飲んでいる。信
助が内と外とに二人いるのだ。
 一計を案じた外の信助は次郎吉と六蔵を先に文字静の所へやらせた。部屋で四人で
酒を飲んでいる最中に六蔵が内の信助の耳に手をやると、ピョコピョコッと動いた。
 六蔵が「ピョコピョコッだ!」と声を上げると、外から信助が飛び込んできた。
 慌てて逃げようとする内の信助を外からの信助が取り押さえると、正体を現し大き
な猫になって、素性を白状し出した。
「今日が日まで隠しおおせ、人に知らせぬ身の上なれども、ただ今、外よりいらした
る、誠の信助どのにご不審かかり、難儀となるゆえ、まよんどころなく身の上を申し
上ぐる始まりは、それなる初音の、三味線ッ。
 村上天皇の御宇(ぎょう)、内裏(だいり)に家屋を荒す鼠つきしとき、大和の国
に千年功経(ごうふ)るメ猫、オ猫。夫婦(みょうと)の猫をとらまえて、その生き
皮をもって拵えたる、そそそ、その三味線。
 大黒の神を諌めの曲。内裏に向かいてこれを弾けば、三味線は元より屋鳴りの音。
猫は陰なる獣ゆえ、風を起こして鼠らを大和から追い出し。民百姓は喜びの、声を初
めて上げしより、初音の三味線と名付け、給う。給う、給う、給う。
 たとえ、鼠退治のためとはいえ、ふた親を捕らえられ、殺されたそのときはァ、親
子の差別も悲しい事も弁えなき、わずか百匁にも足らぬ、まだ仔猫。乳房欲しさに、
なんの頑是も泣くばかり。耳をこすりて雨を知り、目には時刻を知りながら、なんぼ
愚痴無知の畜生でも、孝行ということを知らいでなんと致しましょう。とはいうもの
の親はなし…。とはいうものの…、親はなし……。
 まだも頼みはその三味線。千年、子を思う威徳には、三味線の皮に魂とどまりて、
性根入れたは、即ち殺されし親猫。いつか、捜し当て、必ず付き添うて守護するは、
まだこの上の孝行と思えども、その三味線の行方も知れず。
 なんの因果と泣き明かし、ゴロゴロニャー、ゴロゴロニャーと尋ね、尋ねて幾歳月。
このほど、この家の屋根を通りしところ、師匠の弾きし三味線の音がこの耳には、親
が…、親がもの言う声と聞ゆるゆえ、親に会いたさ、三味見たさ。お出入りの只受(
ただうけ)の信助どのの姿を借り、度々通うた次第。
 あれ、あれ、あれあれ、あれに掛かりしその三味線は、わたくしが親。わたくしめ
はあの三味線の子で、ござりまするッ」
 そうだったのか、と一同は感心し、これで「義経千本桜」が揃ったと喜ぶ。
「猫が只受の信助に化けてただで酒を飲んでいたから、猫の忠信(ただ飲む)。それに、
こちらの旦那が吉野屋の常吉で、吉常(義経)。その兄さんが寄居屋の友蔵で寄友(
頼朝)。それに駿河屋の次郎吉で駿河の次郎。亀井堂の六蔵で亀井六郎。どうです、
揃ってますね。静御前は文字静師匠だ」
 師匠が「あたしは似合いませんよ」と言うと、猫が「ニャーウ(似合う)」
 文字静の旦那の常吉が出てきて、猫に「初音の三味線をやろう」と差し出す。
 受け取った猫が家を出ようとすると、犬がどっさりやってきて、ワンワンと吠え立
てるので、猫は宙乗りで家を出る。
 と、見ていた鼠たちが「猫のくせにチュー(宙)」

(圓窓のひとこと備考)
 芝居の「義経千本桜」を手本として登場人物をそれにより近いものとした。実際に
国立演芸場で宙乗りが出来るということを知って、猿之助の宙乗りも取り入れた。し
かし、宙乗りの安全ベルトを身に付けて、というより締め付けられて、高座でのこの
噺を口演するのは苦しかった。気が遠くなるように気分で、お終いまでもつかな、と
不安だった。
2006・7・28 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 57 [猫定(ねこさだ)]

 あるバクチ打ちは親が魚屋だったので「魚屋の定吉」といわれている。ある日、馴
染みの居酒屋で殺されようとしている一匹の黒の子猫を助けて家へ連れて帰る。その
猫を「チビクロ」と名付けた。
 定吉が面白半分にチビクロにサイコロバクチの仕方を教えてみると、伏せた壷の中
のサイコロの目を鳴きわけるのだ。「ニャー、ニャー」が偶数の「丁」、「ニャー」
が奇数の「半」。
「チビクロはこの俺に恩返しのつもりなのだろう」と悟った定吉は、チビクロを懐へ
入れて賭場へ行った。さり気なくチビクロは「ニャー、ニャー」、「ニャー」と鳴き、
定吉は確実に儲かった。連日、間違いなく儲かったので羽振りもよくなる。「魚屋の
定吉」から「猫の定さん」「猫定親分」と言われるようになった。
 ある年、定吉は二ヶ月ばかり地方へ旅することになった。しかし、その間に女房の
お滝は新吉という若い男と浮気をしてしまった。そして、二人は旅から帰ったばかり
の定吉を亡き者にする相談をする。
 定吉は今夜は愛宕下の薮加藤で開かれる賭場へ。ところが、この夜に限ってチビク
ロが鳴かない。博打も負けが続くので、早めに切り上げて、降りだした雨の中、賭場
で借りた傘を差して采女が原(うねめがはら)を通りかかった。
 そのあとを尾行してきた新吉は竹槍で一突き。定吉は敢えなく絶命。定吉の懐から
飛び出したチビクロは新吉の喉笛を掻き切った。
 一方、家では、帰りの遅い新吉を心配しているお滝が、引き窓から飛び込んできた
チビクロに喉笛を裂かれる。
 翌日、運び込まれた定吉とお滝、二人の弔いとなる。
「猫のチビクロが恩人の敵を討った」と評判も立ち、これがときの名奉行、根岸肥前
守の耳に入った。「畜生ながら、天晴っ。忠節を尽くした猫であるッ」と、二十五両
という大金を出して、両国の回向院に立派な猫塚を建立した。
 その場所が、また、面白い。鼠小僧の墓の隣にある。ですから、墓の下で鼠が感心
をしたそうで…。
「猫のくせに、チュウーッ(忠)」

(圓窓のひとこと備考)
 圓生しか演らなかった噺だが、どうも、圓生は猫を化け猫として扱っているので、
そのままでは演る気は起こらなかった。
 あたしは猫のチビクロに人間と同じ「情」を注入したつもりである。
2006・7・6 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 59 [猫の皿(ねこのさら)]

 骨董や古道具の掘り出し物を探して各地を歩く人を果師(はたし)という。店は持
っておらず、仲買の行商人といったところ。
 その果師が、ある日、青梅の街道筋の茶店で休んでいると、その店の飼い猫が餌を
食べているその皿に目がいった。なんと、高麗の梅鉢という三百両はする名器ではな
いか。きっと、主人はそれを知らずに猫の餌皿にしているに違いない。なんとか気づ
かれないようにせしめようと、猫に声をかけて膝に乗せて手なずけ始めた。
果師は主人に「この猫は俺になついているようだ。この猫を俺に三両で売ってくれ
ないか」と持ちかける。
 主人も喜んで「ようございます」と二つ返事。
「ついては、餌は慣れている器(うつわ)がいいというから、この使っている皿を一
緒に貰っていくよ」
「それはいけません。それは高麗の梅鉢といって高価な品。差し上げるわけにはいき
ません」
「なんだ、知っていたのかい? どうしてそんな高価な品を猫の皿にしてるんだい?」
「ときどき、猫が三両で売れるんです」

(圓窓のひとこと備考)
 小品という趣きだが、買うほうも売るほうも詐欺に近い言葉のやりとりが、第三者
である聞き手としてなんとも嬉しい。もちろん演り手としても楽しい。
2006・7・6 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 18 [寝床(ねどこ)]

 大店(おおだな)の旦那が義太夫に凝りはじめた。
 今日もまた、店子(たなこ)の者を集めて店で聞かせようと言い出した。
 使いに出た番頭の茂造が長屋を回って帰ってきたが、辛そうに旦那に報告する。
「提灯屋は『大量の注文』、金物屋は『無尽』、吉田の息子は『商用』、おっかさん
は『風邪』、小間物屋は『おかみさんが臨月』、豆腐屋も『仕事が忙しい』、町内の
頭は『講中のごたごたで成田へ』というわけで、店子は誰も来ません」
 そこで、旦那は店の者に矛先を向ける。
 しかし、茂造は必死になって、それぞれが聞かれない理由を並べる。
「二日酔い、脚気、胃痙攣、神経痛、眼病のため無理でございます」
 と、旦那は「茂造、そいうお前、どうなんだ」と諦めない。
 訊かれた茂造は「私は因果と丈夫で」とか、「覚悟を決めておりますから、伺いま
しょう」なぞと、半ば居直りの形相。
 とうとう旦那も怒りを爆発させ「店子は明日十二時限り、出て行ってもらう」と言
い出す始末。自分はふて寝をしてしまう。
 これはおだやかでないので、茂造がもう一遍、長屋を回って「こういうわけだから、
何とか聞きに来てください。料理も出ますから」と頼んで無理矢理きてもらう。
 一旦は「やらない」と言った旦那を、説得するのも一苦労。
 やっと、旦那の機嫌もなんとか直り、義太夫が始まった。
 ところが、店子の連中は食うだけ食い、飲むだけ飲んで、みんなごろごろ寝てしま
った。
 それに気が付いた旦那はカンカンに怒ったが、そんな中で小僧の定吉だけは、起き
てオイオイと泣いている。
 旦那は自分の語った義太夫を聞いて泣いていると思って「どこが悲しかった?」と、
義太夫の外題(げだい)を挙げて訊くと、
「そんなとこじゃない、そんなとこじゃない」
「じゃァ、どこだい?」
「あすこでございます」
「あすこはわしが義太夫を語った、床(ゆか)じゃないか」
「あすこはあたくしの寝床でございます」

[寝床]の関連は、圓窓五百噺付録袋/噺のような話/No1[寝床]
2001・01・04 UP