圓窓五百噺ダイジェスト(ぬ行)

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抜け雀(ぬけすずめ)

圓窓五百噺ダイジェスト 56 [抜け雀(ぬけすずめ)]

 東海道は小田原の宿でのこと。夫婦二人で営業している貧乏宿屋に粗末な衣服を身
につけた若い旅人が泊まった。朝一升、昼一升、寝酒一升、夜中に一升と日に四升の
酒を飲んで寝てばかりで、七日立った。
 女房に「心配だから内金を貰っておいで」と言われた亭主、客の部屋へ行って「お
勘定を」と言うと、案の定、客は一文なし。
 客は「自分は絵師であるから、そこの衝立に絵を描いて担保(かた)にしよう」と
羽ばたいている五羽の雀を描くと「はばたきて楽しく遊べむら雀」と讃をして「売っ
てはならんぞ」と言い残してさっさと旅立ってしまう。
 翌朝、その衝立のある部屋の雨戸を開けると、絵に描いた雀が抜け出して、向うの
屋根の上で餌をついばんで、しばらくすると戻ってきて衝立に収まった。
 これが評判になって、その雀の抜け出す衝立を見ようと、客が押しかけて宿屋はた
いそう繁盛する。小田原の城主も見にきて抜け雀を見ると、千両という値をつける。
が、勝手に売るわけにはいかないので、悔しがる。
 ひと月後、六十歳ほどの上品な老医師が泊り、その抜け雀を見た。雀に元気がない
のを気にして言った。「この雀には休むところがないので、雀はいずれ疲れて落ちる。
休むための所を描いてやろう」と。
 宿の主人は折角の絵が台なしになるのを恐れたが、雀が死んでしまうのも困るので、
「ちょいと描いてくれ」と頼む。
 老医師の描いたのは何本かの竹。それに「宿の憩いも時にとりつつ」という讃を付
けた。雀は元気を取り戻したようなので、またまた評判になり、城主のつける値段も
二倍の二千両にはねあがった。
 半年後、あの雀を描いた若絵師が今度は立派な身なりで旅籠にやってきた。老医師
が竹を描き加えた話を聞き、すぐさま衝立を見て、それに向かって平服して言った。
絵師「父上。ご不孝の段お許しください」
 主人「この竹を描いたのはお父上だったのですか?」
 絵師「父は絵師であったが『絵では人の命は救えない』と考えて医師になった人。
子供の頃、父から絵の手ほどきを受けた。医師になった父の絵を見る目は衰えていな
いようだ」
 主人「親子揃って大したものですね」
 若者は「俺は親不孝だ。父を藪(藪医者)にした」

(圓窓のひとこと備考)
 あの世に行ってしまった柳家つば女(平成16年6月13日没)が生前にこんなこ
とを言っていた。「雀は籠に入れて飼うような高級な鳥ではない。絵師として駕籠入
りの雀は描かないはずだ」と。
 つば女はムサビ(武蔵野美術大)の出身なので、あたしは信憑性を感じた。そこで、
本文のような落ちに直したのである。絵の讃は茅野大蛇作。
 既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭
かきにした」というのである。しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ない
ようだ。
〔双蝶々曲輪日記 六冊目 橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、
乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入
れられたものと思われる。本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉し
い。
 知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭か
きにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
 胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。その「駕籠かき」から「親不孝」と連
想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろう
が、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
 だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そ
のものなのである。
2006・7・6 UP