圓窓五百噺ダイジェスト(つ行)

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鼓が滝(つづみがたき)/通夜の烏(つうやのからす)/鶴(つる)

圓窓五百噺ダイジェスト 9  [鼓が滝(つづみがだき)]

 有馬温泉の近くにある鼓が滝へやってきた旅人は、絶景を前にして筆をとり、一首詠ん
だ。
  伝え聞く 鼓が滝へ 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花
 そのあと、松の根方でひと寝入り。
 やがて、目を覚まし、歩きだしたが山道に迷ってしまう。疲れと空腹で、野垂れ死に寸
前、やっと、見つけた人家で粥を馳走になり、命拾いする。
 お礼かたがた、鼓が滝で詠んだ歌を披露すると、その家の三人(じじ・ばば・孫娘)がそ
れぞれ、褒めながら手直しを言い出す。
 内心、腹を立てたが、聞いてみると、
  音に聞く 鼓が滝を 打ち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花
 まさに、歌が生まれ変わった。
「ありがとう存じます。あたしは、もと禁裏北面の武士、名を佐藤左衛門尉矩清(さとう
さひょうえのじょうのりきよ)。二十三歳の折り、飾りを下ろし、名を西行と改め、歌行
脚に出た者にございます」
「おお、西行さんか…。よくぞ、手直しを受けてくれましたな。その素直な心が歌心じゃ」
「はい…。ありがとう、ございます…」
 何度も礼を言っていると、他の男の声…。
「これ、起きなはれッ」
 目を覚ましてみると、なんと、鼓が滝の前ではないか。夢を見ていたのである。
 起こしてくれた山男に夢の話をすると、
「歌詠みは同じような夢を見るようだ。同じ話をよく聞かされる。わしの考えでは、夢の
中の三人は住吉明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神ではなかろうか」
「たとえ夢の中とはいいながら、和歌三神に対し、数々の無礼の段。罰が当たりはしない
だろうか…」
「その心配はいらねぇ。この滝は[鼓]だ。ばち(罰)は、なしじゃ」
2000・1・10 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 61 [通夜の烏(つやのからす)]

 吉住万蔵は江戸の鳴り物師で、小鼓で身を立てている。ある年、上州へ巡業の帰途、
一人でのんびりと熊谷に宿をとる。
 その宿の娘お稲が弾く三味線の音に聞き惚れて、思わず小鼓を取り出して合いを打
つ。ほどなく、お稲は手すさびの三味線に合いを入れてくれた礼に万蔵の部屋を訪れ
る。両親も喜んで酒肴を差し入れる。
「三味線を弾きだすと、なぜか烏が集まって鳴くんです」と言うお稲の話から、万蔵
は「烏は芸がわかるんだよ。江戸に出て修行しないか」と誘う。
 お稲は「一人娘の身でそれはできません」と寂しそうに断わる。
 万蔵は「じゃ、あたしのほうから小鼓を打ちにくるよ。とりあえず半年後にはくる
から」と約束をして、その夜、ごく自然に懇ろになる。
 それから半年、そんな約束もすっかり忘れていた万蔵、旅の途中、熊谷にやってく
る。思い出してお稲の宿に泊まろうとするが、なんと、忌中。
 斜す前の宿に泊まって様子を聞くと、「お稲さんが亡くなり、今日が葬式です」と
いう。
 ほどなく葬列が出てきて宿の前を通る。二階からそれを腕組みをして見下ろす万蔵。
 その晩、その寺から小僧が使いが来て「二階にお泊まりの男の方に和尚が話がある、
とのことで、お迎えに来ました」と。
 妙だと思ったが、出かけると、和尚は「あなたは吉住万蔵さんではないか」と言う。
そうではない、と隠すが、帰りがけに和尚が「万蔵さんだったら、三日の命だ」と呟
くのを聞いて、身分を打ち明けて話を聞く。
 和尚は、葬列を二階から眺めていた万蔵を、それと間違いないと感じて呼んのであ
った。
 和尚は語り始めた。「実は、お稲は万蔵の子を宿していた。それから顔を見せない
万蔵を恨んでいた。お腹の子は誰だと両親に責められても、打ち明けられず、井戸に
身を投げてしまった。あとに万蔵恋しと書いた沢山の出せずに残した手紙が出てきた。
その怨念で万蔵は死ぬであろう」と。
 万蔵は「なんとか助けて貰えないか」と頼むと、和尚は「一つだけ手だてがある。
今夜から三晩、九つになったら、お稲の墓前で、一心に念仏を唱えて通夜をせよ。明
け六つには、烏も鳴くから、念仏を終えて寺の庫裏に戻り、休むがよい。但し、念仏
の間は念仏以外の言葉を決して発してはならない。それができれば祟りを払うことが
でき、命は助かるであろう」と答えた。
 万蔵、必死になってこれを実行する。三晩目。もう、体はふらふら。しかし一心不
乱の念仏。明け六つ。烏が鳴き出した。
 最後の南無阿弥陀仏を唱えて、万蔵は思わず「ああ、助かった」と言った。途端に
天候が急変し俄かの落雷。万蔵は打たれて絶命する。
 このあと、和尚と小坊主の話し合っている。
 和尚「どうして急に落雷があったのかな」
 小坊主「それはわかりませんが、今朝の烏は可変しかったです。夜の明けないうち
に鳴き出しました」

(圓窓のひとこと備考)
 この噺の基は圓生が講談の邑井貞吉に教わった[吉住万蔵]という長ったらしい作
品である。それをあたしが削り込んで演出を工夫し、新しい形の怪談噺にした。
 怪談は怨念が幽霊などの形で相手に取りつくというのが普通だが、この噺には幽霊
は出ず、無形の怨念のみが活躍する。形になれば却って演りやすいと思うが、無形の
ままの怨念を描くというのはちと難しい演出になる。
 和尚が葬列の先頭で宿屋の二階を見上げ、万蔵と目を合わせるシーンに迫力を出す
のが、噺の一つの山場。そして、謎めいた落ちも希少な形。
 以前、浄土真宗の関係者からのリクエストでこの噺を演ったことがある。その折、
「万蔵はちゃんとお念仏を唱えたのですから、死なないようにしてください」との感
想を貰ったことがある。
「ハッピーエンドで終らないものドラマの一つです」と返答をしたものの、信者側か
らしてみれば、救命を願いたいところだろう。[鰍沢]の落ちの「お材木(題目)で
助かった」の例もあるこったし……。
2006・7・9 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 51 [鶴(つる)]

 隠居宅へ遊びにきた甚兵衛、床の間の鶴の掛け軸を見ながら馬鹿っ話。
「どうしてツルと言われるようになったんですかね」という甚兵衛の問に隠居が答え
た。
「本居宣長の書いた本の中に載っている。昔はツルとは言わず、首長鳥(くびながど
り)と言ったそうだ」
「それが、どうしてツルになったんですか?」
「昔、白髪の老人が浜辺に立って、沖を見ていた。すると、一羽の雄の首長鳥がツ−
ッと飛んでくると、浜辺の松の枝にヒョイと止まった。そのあとから、雌の首長鳥が
ル−ッと飛んできて、同じ松の枝にヒョイと止まった。それから、その鳥はツルと呼
ばれるようになった」
 こいつは面白いとばかりに、甚兵衛は辰蔵の所へやってきて、その話をしだした。
「昔、百八(ひゃくはち)の老人がいた。沖を見ていると、雄の首長鳥がス−ッと飛
んでくると、浜辺の松の枝にヒョイと止まった。なおも見ていると、今度は雌の首長
鳥がス−ッと飛んできて、同じ松の枝にヒョイと止まった。それから、ス−ス……?
あれ?」
「ツルにならねえじゃねえか」
 急いで隠居宅へ戻ってきて、また教わって、再び辰蔵の所へやってきた。
「雄の首長鳥がツル−ッと飛んできて、枝にヒョイと止まった。そのあと、雌の首長
鳥が……、…?」
「どうしたい?」
 甚兵衛はまた隠居宅へ。教わって、再び辰蔵の所へ。
「雄の首長鳥がツ−ッと飛んできて、枝にルと止まった」
「なるほど」
「そのあと、雌の首長鳥が……」
「どうしたい、雌は?」
「黙って飛んできた…」

(圓窓のひとこと備考)
 軽い、まことにばかばかしい噺だが、狂言にもこの手の作品は多くある。わかり切
っている間違った愚かしさを表現するのはまことに難しいもので、これが噺の基本か
もしれない。
2006・6・29 UP