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創作 演劇落語 2                  胸の肉

 山 茶 花 さ い た(さざんかさいた)

原作 ふたくち つよし
脚色   三遊亭 圓窓
口演   三遊亭 圓窓


時    江戸時代幕末
場所    江戸の根岸


            登場人物

隠居  (「おじいさん」と呼ばれる)実兵衛(六五歳)実
その女房(「おばあさん」と呼ばれる)お種 (六〇歳)種
女中                お梅 (四五歳)梅
その息子              藤太 (二五歳)藤
その許婚              お咲 (二四歳)咲


    芸人はよくファンから花束を貰いますが、役者なんざぁその数を競っている
   ようですな、まるで。でも、数の多い役者も少ない役者も腹で思っていること
   は同じなんだそうで。「花束より、札束のほうがいいや」って。
    噺家は花なんぞ、めったに貰いません。あたくしなんぞは、自分の葬式が最
   初で最後じゃないかと、思ってますが……。
実兵衛「ばあさんや。この山茶花はやっぱり駄目だな。咲く兆しも見せなかったもの。
 もう諦めようや」
お種「どうしてですか?」
実「だって、そうだろう。山茶花は秋の終わりか、冬の初めに咲くとされているだろ
 う。もう燕が飛んでるもの。咲くわけないやな。時期外れでもいいから、咲いてく
 れないかなと、思ってたんだがね」
種「あたし同様、役に立ちませんでしたね」
実「そういうわけじゃないがね。でも、文句は言うようなもんの、あたしは山茶花は
 好きなんだ。椿もいいが、花が首の落ちるように、どさっとくるから、どうも好き
 になれない。お侍は打ち首につながるから縁起が悪いって、屋敷には椿は植えない
 というのは本当らしい。そこへいくと、山茶花は花びらが一重ずつ散るから風情が
 あってなかなかいいもんだ」
種「そうですね。あたしも好きですよ」
実「確か、二年ほど前だったね。『庭がちょいと寂しい』と言ったら、ばあさんが買
 ってきてくれたんだったなぁ」
種「そうですよ。いい植木屋で、いいのを吟味して買ってきました。高かったんです
 よ」
実「けど、花は咲く様子もなし。山茶花も花が咲かなければ、ただの木だね」
種「角のお屋敷では毎年たわわと咲くんですから、いずれ、こっちも負けないくらい
 咲いてくれますよ」
実「そうしてもらいたいね」
種「角のご隠居さまがおっしゃってましたよ。毎年、冬は、家にいいことがあったな
 と思うと、山茶花が咲いてるんですって。だから、この家にいいことがあると、こ
 の山茶花も咲いてくれるんじゃありませんか」
実「だとすると、嬉しいな。山茶花の… 花待ち遠し…なんとやら」
種「なんです、それは?」
実「苦吟しているんだよ。花も咲かないと、句も作りにくい。待ち遠し…、うちの山
 茶花…、まだかいな…。こりゃ、変だな。朝の庭…、こりゃ、よさそうだな。朝の
 庭…、あ…、あ…、あ…、あー、あー」
種「句を作るんですか? 唄うんですか?」
実「いい句を作るには、喉の調子も大切なんだ」
お梅「ご隠居さま。お茶がはいりました」
実「はいはい、いただきましょう。{飲む}お梅さんのいれてくれるお茶はいつも旨
 いな」
梅「ありがとう存じます。そう言われますと、恥ずかしゅうございます」
種「{わざと咳払い}ウフン。どうせ、あたしのいれたお茶は」
実「不味いと言ってるわけじゃないよ、ばあさん。{独り言で}うっかり、人も褒め
 られないな。
 {お梅に}お梅さんもすっかりこの家の者になったようだ。まるで何十年といるよ
 うだな」
梅「早いもので、お世話になりまして、もう一年半になりますので」
実「そうかい。体もだいぶよくなったようだね」
梅「でも、ときどき風邪をひきまして、ご迷惑をおかけしております」
実「家へ来たときと比べれば、別人だ。それに、明るくなった」
梅「おかげさまで、ほっとさせていただいております」
実「ほっとしたと、いいますと?」
梅「はい。早くに亭主と死に別れまして、のんびりと人と話をすることもなく、この
 歳になってしまいまして…」
実「確か、倅さんが一人いると言ったね」
梅「はぁ…、いることは、いますが…、碌でなしで…」
実「あたしも若い頃は『碌でなし』と言われたもんですよ」
梅「まさか、ご隠居さまはそんなことはないでしょう」
実「本当だ。これでも道楽者でね。さんざ、親を泣かせましたよ。
 {女房に}なぁ、ばあさん」
種「あたしも泣かされましたッ」
実「{独り言のように}話し掛けないほうがよさそうだな。
 {お梅に}倅さんに、なにかありましたかな」
梅「まことにお恥ずかしいことですが、大きくなるにしたがって、嘘をつくこ とが
 気な子になり、ずる賢くなりまして……」
実「腕白な子はそういうもんですよ」
梅「倅は十五の歳には、もう、あたしの意見なぞはまるっきり聞かなくなり、家を飛
 び出しました。さんざ悪さをしてお金に困ると戻ってきまして、無心です。あたし
 にお金がないと、わめく、暴れる。はなの頃は近所の手前もあり、随分と気を遣い、
 倅には『これが最後だよ』と、何度言いましたか。ずるずる引きずられるように無
 理な工面をしてはお金を渡してしまいました。こんなことが三年続きまして、あた
 しも疲れ果てました。もう意見する気力もなくなりました。
  あたしは倅から逃げることを考えました。居所を隠そうと、さる大店に住み込み
 に入り、店ではなく、奥で雑用をやらせてもらい、見付かるまいと思ったのですが、
 ある日、大店の裏の木戸から倅が入ってきました。案の定、無心です。やっと溜め
 た物も吐き出すはめになりました。
  奉公先を数え切れないくらい変えましたが、必ず、倅は嗅ぎ付けてくるのです。
  こちらへお世話になった、あの日です…。本所の奉公先で朝方、雑巾掛けをして
 おりましたとき、のっそりやってきた倅が目に入りました。わたしは倅に知れない
 ように、店の者にも、主人にも黙って、そのまま、そこを飛び出しました。
  どこをどう歩いたか、覚えておりません。やってきたのが、この根岸だったんで
 す。塀にもたれるようにして、角のお家の山茶花の花をぼんやりと立って見ており
 ました。そんなときでも、きれいな物には心を奪われることがあるんでございます
 ね。きれいだなと、思った途端に涙が出てきましたのを覚えております。その一瞬
 だけ、倅のことを忘れることができました……。
  そのあと…、こちらさまへふらふらと入って、女中奉公をお願いいたしましたの
 でございます」
実「そうそう。幽霊のように入ってきて、なにやら言ったかと思ったら、崩れるよう
 に倒れ込んだときはびっくりしましたよ」
梅「申し訳ございませんでした」
実「でもな、お梅さん。たとえ、どういう子でも、いるというのは羨ましいな」
梅「……?」
実「うちは三〇年ほど前に、やっともうけた男の子に先立たれましてね。生まれて五
 つだった。流行風邪がもとで、アッという間でした。もう、仕事をするのもいや、
 生きているのもいやになりましたよ、あたしは。そのあと、子はできませんでね…。
  そんなとき、このばあさんには随分とけつを叩かれ…、おかげで、なんとか、こ
 の歳になって、店は番頭に任せて、今は楽隠居をさせてもらってます。
  そうか、お梅さんには子がおありか……」
梅「でも、ご隠居さま。ない子には泣きをみない、と申します。いるだけ情けのうご
 ざいます。ここへまた、倅が来ましたら、あたくしは…、あたくしは……」
実「『こわごわ外へ出る人だ』とばあさんが言ってたのは、このことだったんだな。
 来たら、どうしますか、梅さん?」
梅「ご迷惑ですから、あたしはお暇をいただきます」
実「出ていくことはありません。いいですか、お梅さん。そんなときは、まず、こっ
 ちへ相談してくださいよ」
梅「ありがとう存じます。申し訳ございません。愚痴をお聞かせいたしまして。あの
 ぅ、『今晩はお豆腐を召し上がる』とおしゃってましたので、買ってまいります」
実「ああ、お願いしますよ。あ、それからね。隣町の豆腐屋のほうが旨いのだが、遠
 いから、町内の豆腐屋でかまいませんからね」
梅「いえ、あちらのほうへ行く用もございますので、美味しいのを買ってまいります
 {出て行く}」
実「そうかい。じゃぁ頼みますよ。
 {お種に}人にはそれぞれ苦労があるようだな、ばあさん」
種「そうですね」
実「{溜め息をついて}あぁ…。花の咲かない山茶花も、これで苦労をしているのか
 もしれないね。{外の様子に気が付いて}ばあさん。うちの庭の向こうの道をうろ
 うろしている者がいるようだが、気になるな」
種「そういえば、昨日もうろうろしてました」
実「あたしは三日ほど前にも見たような気がするな」
種「ことによると、お梅さんの」
実「ばあさん。お梅さんはいないから、ちょうどいい。声をかけて、家へ入ってもら
 いなさい」
種「あたしが声をかけるんですか。怖いですよ」
実「こういうことは女の方がいいんだ」


種「{戻ってきて}あなた。どうやら、お梅さんの倅さんのようですよ。上がっても
 らいましたよ」
実「やはり、そうかい。
 {その倅に}さ、お入りなさい。お梅さんに用がおありなんでしょうが、買い物に
 行ってて、おりませんよ。まぁ、お座りなさいな。名はなんといいなさる?」
藤太「藤太ってぇます」
実「どう書きなさる?」
藤「藤の太い」
実「名前はいいね、藤太か。そのいい名前、泣いてやぁしないかね」
藤「……」
実「金の無心に来なすったかい」
藤「……」
実「お前さんのことは、聞いているよ。{外を見て}おお、燕が飛んでいる。見てご
 らん、藤太さん」
藤「…{不承不承、外を見る}」
実「飛んでるが、あれは遊んでいるわけじゃないね、きっと。子燕たちのためにと、
 せっせと餌を捜しちゃぁ、運んでいるんだろう。雨の日も風の日も、飛んでるね。
  お梅さんはね。あの親燕のように、自分は二の次、三の次にして、せっせとお前
 さんに物を食べさせて育てたわけだ。で、お前さんは大きくなって、巣立ちをした
 んだが、ちょいちょい親の所におねだりにくるようだな。燕の子は大きくなると、
 もう、親におねだりはしないもんだよ」
藤「確かにおっしゃっる通り、わっちの母親は立派な親燕でさぁ」
実「その子燕がそれじゃァしょうがないね。いいかい。お梅さんは丈夫な質じゃない。
 女手一つでお前さんを育てた苦労がたたったんだろう。あの体で、己れに鞭を打つ
 ようにして、ここでの勤めを果たしている。出来るこっちゃないよ。こないだも、
 ばあさんが言ってました。『あたしはお梅さんの後ろ姿を見て、涙を流しました』
 って。本来なら、お前さんが面倒をみても当然なんだよ」
藤「なんで、なんで。親類でもねぇのに、いやに御託を並べるじゃねぇか。これじゃ、
 まるで、どっかの寺へでも修業にきたようだぜ。
  おう、ご隠居さんよ。さっきから聞いてると、『燕、燕』といやに燕を引き合い
 に出すじゃねぇか。確かに、燕の親は子の面倒を必死になってみまさぁね。こりゃ
 ぁどなたでもご存知だ。ことのついでに言っておくがね。大きくなった子燕は、親
 がどうなろうとも、その面倒はみねぇもんなんだ。こいつも、確かなこったよ。嘘
 だと思ったら、燕の巣に雁首を突っ込んで、訊いてみろってんだ」
実「……、{返事に詰まって}うん、そりゃ、そうだ…。確かに、そうだ。
 {お種に}ばあさん。確かに、燕は親の面倒をみないな…」
藤「ほぅら見やがれ。糞詰まりのチンみてぇな面をしゃがって。付き合っちゃいられ
 ねぇや。今日のところはこれでけつを持ち上げてやろうじゃねぇか。また来るから
 な、あばよ{立ちかける}」
種「お待ちなさいッ、藤太さんッ」
藤「ばあさんかい。なんでぇ」
実「{心配そうに}おい、ばあさん…。なにを言い出すんだ」
種「おじいさんは黙ってなさいッ。
 {藤太へ}藤太さんとやらッ。『燕の子は親の面倒をみない』とお言いだね」
藤「そうよ。それとも、そういう燕がどっかにいるってんですかい」
種「確かにいませんよ」
藤「じゃ、わっちみてぇな、こんな親の面倒をみねぇ倅がいたって、いいじゃねぇか
 い」
種「あなたが燕なら、文句は言いますまい。でも、あなたはお梅さんという立派な人
 間から生まれた人間なんです」
藤「当たり前だい。おらぁ人間だ」
種「だったら、人間のなすべきことをおやりなさい」
藤「おお。ばあさんまで、このわっちに、お説教かい。よし。どうせ、こっちは暇だ。
 聞いてやろうじゃねぇか。おれに涙の一つでも出させてみろってんだ。話ってぇの
 は、なんでぇ」
種「昔々、それも大昔です。すべての生き物、人間、鳥、獣、魚、みんな同じ生き方
 をしていました。その生き物は自分だけじゃなくて、子々孫々、長く長く生き続け
 られることだけを身に備えて生きていたんです。ですから、親はせっせと子を産み、
 その子らを必死になって丈夫に育てようとするのです。ときには、子を守るために
 敵と戦うこともあるんです。怪我をする親もいたでしょう。あるいは命を落とした
 親もいたことでしょう。おかげで、子は大きく育って一人前になります。
  その子は大人になると、今度は自分が子々孫々のことを考えて、動き回るわけで
 す。ですから、怪我をしたもの、患ったもの、年老いたものの面倒をみてはいられ
 ないのです。なぜならば、そんなことをしていたら、とてもとても、子作り、子育
 て、子孫の繁栄につながらず、その生き物はそこで絶えてしまうからです。
  これはすべての生き物の業なんですね。鳥もそうです。獣もそうです。魚もそう
 なんです。人間も昔はそうだったんですよ。何百年前…、何千年前…、いや、何万
 年前…、その、もっと、もっと、いくつもの何万年も前からそうだったんです……。
 鳥や獣や魚や人間も、同じようなことをして生き続けていたんです。
 {改めて強調するように}ですから、大昔は人間も鳥や獣や魚と同じように、親の
 面倒はみなかったんです。
  しかし、いつの頃からか、人間は知恵を授かるようになりました。ものを考えた
 り、作ったりするばかりではなく、優しさ、思いやりをも持つようになり、子作り、
 子育てをしながら、親や兄弟、知人友人の中に弱い者がいれば、その面倒をみるこ
 とができるようになりました。とりわけ、子が親の面倒をみるというのは、人間だ
 けが成し得たことだったんです。
  しかし、知恵はいい知恵ばかりじゃありませんでした。悪知恵というものもあり、
 欲がからんで、あれが欲しい、これが欲しい。人を傷付けたり、物を盗んだり。憎
 んだり、恨んだり。せっかく身につけた、優しさ、思いやりを失って、他の鳥や獣
 や魚と同じように親の面倒をみなくなってしまった人間が、近頃はどんどん、どん
 どん増えてきました。
  あたしは思うんですよ。本当は藤太さん、優しい人なんじゃないかしらって。親
 にお小遣いの一つもあげようと思っているんだが、どうしても、お金に不自由をし
 ていて、あげることができない。親に詫びたい心持ちもあるんだが、でも、照れ性
 なんでしょうね。素直にそれが口に出せない。で、拗ねて親に邪険にあたるんじゃ
 ないかって。そうですよね、きっと。ねッ、藤太さん」
藤「……」
種「人間の中の優しさ、思いやりは、形として目には見えませんでしょう。自分も見
 えない。他人からも見えない。そこで、昔の心ある人が考えたんでしょう。人間の
 良い心をなんとか形にしたのが、お釈迦さま、阿弥陀さま、菩薩さまなんです。
  またいつか、藤太さんが親に会いたくなったとき、まず、お寺さんへ行ってごら
 んなさいな。藤太さんの心のどこかに隠れていた、いい物がひょっこりと出てくる
 かもしれませんよ。
  生意気なことを言って、ごめんなさいね。小言は言うべし、酒は買うべし。{銭を
 出す}はい。これ、持っていきなさい」
藤「……」
種「おねだりに来たんでしょう? さ、遠慮なく、どうぞ。
  で、ねぇ、藤太さん。あなたが物思いにふけて、ふと、目を閉じたとき、仏さま
 が現れるようになったら、心に優しさ、思いやりを持った証拠です。そうなったと
 き、また、おいでなさい。そして、今度はあたしにその話を聞かせてくださいな。
 ね、藤太さん」
藤「……」
種「……、じゃ、こうしましょう。今日、来てくれたご褒美、お土産」
藤「……」
種「こういう物は素直に受け取るものですよ、藤太さん」
藤「じゃ、とりあえず、貰っていきます。おふくろによろしく言ってくんねぇ」
種「はいよ。よーく、言っておきますよ。いいですか、また、いらっしゃい。{立っ
 て送り出す}
 {戻ってきて}おじいさん。帰りましたよ」
実「ばあさん。今日はお前さんを拝ませておくれ。あんな難しいこと、よく言えたね」
種「毎月、死んだあの子の命日にお寺に行ってますでしょう。和尚さまがお茶を立て
 ながら、いろんなお話をしてくれるんですよ。それを繋ぎ合わせて言ってみたんで
 すが、自分でもよく言えたと思って。今、なんとなく怖くなって、震えてますよ」
実「あたしだって、怖かったぞ。『おじいさんは黙ってなさいッ』と言われたときは、
 どうしようかと思った」
種「いつも『ばあさんは黙ってろ』と言われてますんで、一度、仕返しをしてやろう
 と思ってまして」
実「お手柔らかに頼むよ。相当、寿命が縮まったよ。そうか、あの和尚の話だったの
 か。そうだろうな。ばあさん一人の知恵じゃねぇと思ったよ」
種「藤太さんはまた来ますかね」
実「さぁなぁ。心を入れ替えて来てくれればいいんだがなぁ」


    この年の夏は異常に蒸し暑く、秋に入っても汗をかく日が続いた。そのせい
   でしょう。あっという間に肌寒くなり、体調を崩す人も多く、歳末に追われる
   ように、その年も明けて、なんとなく気ぜわしく、二月に入った。
実「ばあさん。お梅さんはちゃんと寝ているかい」
種「寝かしてありますよ。ときどき起き出しちゃぁ、なんだかんだ動き回りますので、
 さっき、きつく言いました。『風邪だからといって、軽くみてはいけませんよ。熱
 がとれるまで、ちゃんとこの部屋で寝ているんですよ』って。今、薬を飲んで横に
 なったところです」
実「根がそんなに丈夫じゃないからな。ちゃんと治さなくては。
 {障子の向こうのお梅に}お梅さんや。遠慮することないからね。ゆっくりと養生
 をおし。熱がとれたら、その障子を開けて、庭でも見なさいな。山茶花でも見てお
 くれな。でも、まだ、風は冷たいからね。開けるのは無理だ。ああ、いいんだ、い
 いんだ。気を遣わないで、寝てなさいな」
種「『山茶花を見ておくれ』ったって、咲いてないのに仕方ありませんでしょう」
実「そう言ってりゃぁ、山茶花だって、面目ないってあわてて咲くだろう」
種「{山茶花に}これ、山茶花さん。聞いての通りですよ。咲いてくださいね。おじ
 いさんが大喜びしますよ」
実「咲く見込みのない山茶花を買ってきて、『咲いてください』もないもんだ。{藤
 太がうろついているのを見て}おい、ばあさん。来たよ、来たよ。あの男、来たよ」
種「そうですか」
実「確か、燕の飛んでるときだったな、前に来たのは。早く声をかけてやれ」
種「お梅さんには…?」
実「そのまま寝かせておきな。で、倅には遠くへ買い物に行ってるってことにして、
 早く呼びな」


実「{入ってきた藤太に}さ、お座りなさい。お梅さんは買い物に行ってますよ。遠く
 で、遅くなるだろうな。
 {お種に}なぁ、ばあさん」
種「ええ、そうですね。
 {藤太に}で…、今日は、どういう用で? おねだりですか?」
藤「この前に来たとき…、『目を閉じて、仏さまが現れるようになったら、おいで』
 と言われました。こないだ…、ふと、仏さまが見えました…。それから何度か、見
 えるようになりました…。いろいろ、ありがとうございました」
種「そうですか。よござんしたね。
 {隠居へ}おじいさん。この子はいい子ですよ、間違いなく」
実「うん。そうだな」
藤「これまで、グサリッと刺してくるような小言はよく言われましたが、なぁにすぐ
 に抜いて平気の平左でした。ところが、こちらでいただきた、あの小言は抜こうに
 もなかなか抜け切れず、いつまでたっても、胸にありました。
  今まで素通りしていたお寺の前で立ち止まるようになり、いつしか、境内に入っ
 て、ご本尊に手を合わせるようにもなりました。
  いつの間にか、博打場から足も遠退いて、今じゃぁ、仕事に精が出せるようにな
 りました。
  今、あっしは、親方の許で櫛を拵えてます。これ…、使っておくんねぇ。あっし
 の作った櫛なんで」
種「あたしに? あら、嬉しいじゃないか。いただきますよ」
藤「で、おふくろ…、帰ってきたら、こいつを…、渡してやってくんねぇ。{同じ櫛
 を出す}同じ物ですが」
種「お梅さん、喜ぶよ。じゃ、あたしとお揃いだね。
 {隠居へ}あなた。お梅さんを起こ」
実「{制するように、お梅に聞こえるように}まだいい。お梅さんは買い物だ。
 {藤太に}女どもに櫛かい。男にはなしかい。暇なとき、耳掻きでも拵えておくれ
 よ」
藤「気が付きませんで」
実「いやいや、これは冗談だ」
藤「じゃぁ、これで{立とうとする}」
種「おや、もうお帰りかい?
{隠居に}あなた。お梅さんを」
実「まだ、買い物だよ。それも遠くじゃねぇか。
 {藤太に}なにか、言い残すことはないかい。この際、残らず言っちまいな」
藤「……、実は…、あっしを好いてくれる女がいまして。親方の所の女中をしている
 んです。飲みっぷりがいいの、遊びぷっりがいいのって、近づいてくる女はいまし
 たが、仕事をしている姿がいいって、言ってくれた女は始めてなんで」
実「真面目に付き合ってんのかい」
藤「『所帯を持ってもいい』とまで、言ってくれてんです」
実「そいつはよかった。
 {脇の部屋を見て、うっかり}お梅さん…、じゃない、{あわてて庭を見て}庭の
 山茶花よ。聞いたろう。今の話。
 {藤太に}見な。山茶花が枝葉をこう震わして。肯いてんだよ、あれは。お梅さん
 だって聞けば大喜びだぁな。その娘さんに会ってみたいな」
藤「実は…、角に待たしてあるんです」
実「なんだ、連れて来てんのかい。早く言いなさい。じゃ、いいから、呼んできな」
藤「はい」


実「{入ってきた二人に}さ、お入り」
お咲「咲と申します」
実「はいはい。おお、おお、可愛らしい子だね。この藤太さんと所帯を持つのかい」
咲「はい」
藤「お咲は、おふくろを引き取って、三人で暮らしてもいいと言ってますんで」
実「そうかい。お梅さんは今まで相当に苦労した人だから、病弱でね。お咲さん。し
 っかり面倒をみておやり」
咲「面倒をみるだなんて、そんなおこがましいことできません。あたしは藤太さんの
 おっ母さんとも一緒に住みたいんです。で、『おっ母さん』と大きな声で呼ばせて
 もらいたいんです。その代わり…、あたしに出来ることでしたら、なんでも、喜ん
 で……」
実「いいことを聞かせてもらった。『面倒をみる』『面倒を見られる』ってぇのは、
 お互いにおこがましいことなんだ。両方で『一緒に住みたい』と思う心が大事なん
 だ。ところが、それがなかなかそうは思えない親子が多いんだな。やぁ、あたしゃ、
 お咲さんに教わったよ」
咲「あたしのふた親はあたしが二つのときに亡くなったそうです。ですから、親の顔
 さえ知りません。親類を転々と回されて育てられました。物心ついた頃には奉公に
 出されました。今日まで、『お父っつぁん、おっ母さん』という言葉は、あたしに
 とっては一人で小さく呟くだけのものでした。
  ですから、今よりもっと貧乏してもいいから、本当に親と一緒に住みたかったん
 です。毎日、毎日、『おっ母さん』って、言わせてもらいたかったんです」
種「{隠居に}あなたッ。あたしゃ、もう我慢ができないよ。早くお梅さんに」
実「あいよ。わかってるよ。
 {二人に}隠していて、すまなかったな。お前さん方のおっ母さんはこの部屋で風
邪をひいて寝ているんだ。
 {ばあさんに}ばあさん。その障子あけてやんな」
種「あいよ」


    障子を開けますと、今まで待っていたかのように庭の陽射しが部屋に飛び込
   んだ。
    床の上で正座をして聞いていたお梅さんが、ワーッと泣き崩れると、若い二
   人の声が一緒になって「おっ母さん!」と、抱き付いていった。
    二人を抱えるようにしてお梅は涙の顔を大きく肯かせた。
    何度も何度も「おっ母さん」という二人の泣き声。
    そのたびに、母親の涙の顔は揺れた。
    三人には他の言葉はいらなかった。
    若い二人の涙は母親の胸と膝を濡らし、母親の涙は二人の背中に流れるよう
   に落ちていった。


    隠居夫婦は声を堪えた分、涙は拭いても拭いても途切れず、その目から庭の
   山茶花の葉が歪んで、泣いているようにも見えた。


    十日後、お梅さんも元気になり、今日は大安だということで、お床上げ。
    隠居夫婦の粋な計らいで、迎えに来た若い二人のためにささやかだが、祝言
   の真似事。


    それがお開きになったお昼過ぎ。
    まだ少し冷たそうだが、小鳥たちの鳴き声の混じった澄んだ陽射しの中を、
   お梅さんを挟んで三人が何度も何度のお辞儀をしながら、去り難さを残して角
   を曲がって行った。
実「ばあさん。茶を入れておくれ」
種「……」
実「ばあさんッ。茶を入れておくれってんだよ」
種「はいはい」
実「なんだか、身内の者をとられたような気分だな」
種「まったくですね」
実「残ったのは、あたしとばあさんと、二人か…」
種「あたしとおじいさんと山茶花の三人です」
実「そうか…、山茶花か…。ここんとこ、久しく見てないが…{庭に下りて見る}ば
 あさんやッ。山茶花ッ、咲いたッ」
種「咲いたって、この季節外れに? まさか。だって、それはあたしが縁日で叩いて
 叩いて、買ってきた安物ですよ」
実「あれ? 前と言うことが違うな。『いい植木屋で、いいのを吟味して買ってきま
 した。高かったですよ』と言ってたな」
種「あら、そうでしたか。そりゃ、おじいさんの聞き違いでしょう。いやですよ、お
 じいさん、この節、耄碌して」
実「お前が耄碌してるんだよ」
種「こう見えても、耄碌はしておりませんよ。ちゃんと咲く山茶花を買ってきたじゃ
 ありませんか」
実「話が合わなくなったな」
種「そんなことはどうでもいいですよ。よれよりも、いくつ咲いたんです?」
実「一つ…、いや、二つだ。陰になっていた。見てごらん」
種「ほんとですね。可愛らしいのが、二つも。角の隠居さまが『家の山茶花はいいこ
 とがあると、咲くんですよ』とおっしゃってましたが、家の山茶花もそうだったん
 ですね」
実「そうか。家もいいことが重なったからな。だから、時期外れだが、山茶花はあわ
 てて咲いてくれたんだ」
種「そうかもしれませんね」
実「できたぞ、ばあさん。冬堪えて 痩せ山茶花の 心意気……。どうだ。いい句と
 いうものは、スーとできるものだな」
種「あら。今、作ったんですか?」
実「そうさ。即吟だ」
種「その句、去年の暮れ、おじいさんの机の上の紙切れに書いてあったのを、見たこ
 とありますよ」
実「見られたか…。実はな、山茶花が咲いたら、と思って、去年から作っておいたん
 だ。やぁ、すぐにしまっておくんだったな、あの紙」
種「耄碌しましたね」
実「こう見えても、耄碌はしておりませんよ。冬堪えて 痩せ山茶花の 心意気……。
 どうだ。この通り、すらすらと言えるんだから」
種「{笑いながら}でもまぁ、あたしたちは強がりを言ってますが、お互いに長生き
 をさせてもらいましたから、耄碌の一つや二つ」
実「いやぁ、数え切れないほどしているよ、耄碌は」
種「{また、笑いながら}この山茶花も時期外れに咲いて。家にいるものは、みんな
 耄碌をしてますね」
   と、木戸の向こうの雑木林の枝々を通り抜ける柔らかい陽射しをいっぱいに浴
  びた山茶花が、その花びらを小さく可愛らしく震わせながら、
山茶花「こう見えても、木瓜(惚け)じゃありませんよ」

[原作者]の公演案内は、
笑涯楽習ホール/芝居三昧/「オフィス樹」便り/「雨に映った空から」案内
2000・6・4 UP