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創作・仏笑落語 2           「明日ありと」 / 写経猿


この[写経猿]の高座本は、去る平成11年11月6日に逝去し、
今、あの世の極楽にいらっしゃる、乙宝寺の若住職へ捧げます。

 若住職。
 この[写経猿]はインターネットで地球上を飛び回ってます。
 生前に読んでいただけなかったのが、とても残念です。
 あたしの夢の中へ読後の返事を届けてください。待ってます。

                           圓窓


 写  経  猿

作 六代 三遊亭 圓窓
口演 六代 三遊亭 圓窓
                                                                                 
   時
                      寛平六(八九四)年 宇多天皇

                      承平四(九三四)年 朱雀天皇
    場所
                    越後国蒲原郡中条 乙宝寺
          登場人物
            和尚 行門(四〇歳・八〇歳)和 オス猿 法華 ( 五歳)法
            檀家 茂十     (七〇歳)茂 後の国司   (四〇歳)夫
            小坊主 珍念    ( 八歳)珍 メス猿 経  ( 五歳)経
            小坊主 西念    ( 八歳)西 後の国司の妻 (四〇歳)妻


  今から千年前のこと。越後の中条に乙宝寺という寺がありました。そのお寺は現在、
 でも、新潟県北蒲原郡中条町あります。
  この噺は、そこが舞台になっております。
  和尚が毎朝、本堂で法華経をあげていると、きまって二匹の猿が縁側までやってきて、
 その経をジーッと、聞き入っております。
  昼過ぎ、檀家の衆が集まってきて、写経を始めると、また、二匹はやってきて、縁に
 上がってその様子をジーッと見ております。
  寺にきた檀家の人たちもそれを見て、「法華猿」と呼ぶようになった。
  どうやら、その二匹は夫婦猿のようで、毎日、毎日、やって来ました。

  ある日のこと。
和尚「これ。お前たちは腹でも減っておるのか」
オス「{オス猿は首を横に振る}」
和「遊び相手でも欲しいのか」
オ「{猿はまた首を横に振る}」
和「ならば、仏さまになんぞ、お願いでもあるのか」
オ「{猿は首を縦に振る}」
和「ホー。今度は首を縦に振ったぞ。仏さまにお願いがあるらしいぞ。なんじゃ」
オ「{メスとなにやら相談をしている}」
  そのうちに、二匹は庭に下りると、裏山のほうへ行ってしまった。そのうちに、戻っ
 て来ました。見ると、オスの手には木の皮が一枚。
オ「{和尚に差し出す}」
和「なんじゃ。これをわしにくれるのか。そうか、そうか。ありがたく貰っておこう」
オ「{指先でなにやら書く仕草}」
和「ほうほう。この木の皮になにか書けというのか。絵がよいか、字がよいか。お前たち
 の名前か? あったら、言いなさい。と申しても、こりゃ、無理かな」
オ「{猿は首を横に振る}」
和「名前ではないのか…? ならば、どのような字じゃ」
オ「{拝む形と字を書く仕草をする}」
和「おうおう、お経か?」
オ「{頷く}」
和「おお。これに写経をしてくれというのかな」
オ「{頷く}」
和「そうか。よしよし。書いてしんぜよう」
  和尚が法華経の出だしの一節を書いて、渡してやると、猿は嬉しそうに受け取る。
 すると、メスはお礼の印なんでしょう。和尚に、なにやら、木の実を差し出した。
和「おおお、お布施か。ありがたい、ありがたい。頂戴いたしましょう」
  夫婦猿は手に手をとるようにして、裏山に消えて行きました。
  翌日から、二匹はもちろん朝の読経にも来ますが、昼過ぎの写経が始まると、木の皮
 とお礼の木の実を持ってやってきて、写経をねだります。雨の日も風の日も、二匹はや
 ってきた。

茂十「和尚さま。おらたちで、猿に名前を付けやした」
和「ホー、茂十じいさん。みなさんで考えましたかな」
茂「二匹をまとめて、法華猿てぇのは可哀そうでございますで」
和「して、どのような?」
茂「オスを法華、メスを経といたしやした」
和「法華と経で、法華経。よい名じゃ。
 {猿に}これよ。お前たちによい名前が付いたぞ。法華と経じゃ。毎日、お写経に来て
 いる茂十じいさんは七〇になる。法華も経も、じいさんにあやかって長生きするのじゃ
 ぞ」
法華「キャッ、キャッ」
経「キャッ、キャッ」
和「おおお、喜んでおるわ」

  あれから、二ヶ月ほど経ちました。
  法華経の写経も四の巻の終わり近く。いよいよ五の巻の〔女人往生〕にかかろうとい
 う。
  冬に入って、冷たい風が吹き始め、そのうちに雪が散ってきた。その雪が吹雪に変わ
 った。
  と…、ぷっつりと、夫婦猿が姿を現わさなくなった。
  和尚も風邪をこじらして、このところ一〇日ほど、寝込んでおります。
  和尚、やっと風邪も治り、雪が弱くなったので、檀家の一人、茂十じいさんを伴って、
 裏山に捜しに行きました。
  雪を踏み分け、かき分け。
  和尚が足元を滑らせて倒れると、雪が崩れた。そのせいで、ポカーッと開いた穴。
  そこへ陽が入る。そんなに奥は深くありませんので、様子もぼんやりだがわかる。な
 にやら、黒い陰……。
和「おお、ここにいたのか。出なさい。雪はやんでおる。法華や。経よ」
  声をかけましたが、鳴き声もしない。和尚が手を差し伸べましたが、出てくる様子も
 ない。
和「茂十さんや。茂十じいさんや。何処へ行ったかな。三〇も若いこのわしよりドンドン
先へ行くわ」
茂「はい。和尚さま」
和「こちらへ来ておくれ」
茂「猿はいなさったか」
和「はっきりわからんがな。ここじゃ。どうやら、いるようじゃが、出てこんのじゃ。お
 前さん、腕を差し入れておくれ」
茂「わしがか?」
和「この村でいちばん、手が長い。それに指先が曲がっておる」
茂「泥棒でねぇぞ、俺は」
和「冗談じゃ、これは。これまでにも、屋根に上がった物を随分と取ってもらったからな」
茂「{手を入れて}ああ、ありやしたが、いやに冷やっこいでごぜぇます」
和「出してごらん」
  急いで引きずり出してみると、まさに、夫婦猿。抱き合うようにして、死んでおりま
 す。
和「おお、おお…。茂十じいさんや。見てやれ。この猿の手には、わしが書いてやった木
 の皮の写経をしっかりと握ぎられておる」
茂「和尚さま…。申し訳ねぇ…」
和「なにを謝る」
茂「俺は和尚さまに書いてもらったものを、こうまで大事にはしてこなかっただ。それを
 この猿は、しっかりと握って…。俺は和尚さまに書いてもらった物を、はばかりの紙に
 したことが何度もあります。罰が当たりはしねぇか…。勘弁しておくんなせぇ」
和「それでよいのじゃ、じいさん。ただ捨てられるよりも、ちゃんと役にたっておる。そ
 れでよいのじゃ」
茂「すんませんで…」
和「不憫なことをした。もう少し早く捜しにくれば、助けられたかもしれない」
茂「和尚さま。穴の奥には、木の皮がきれいに積まれてありますぞ」
和「法華経に見守られ、法華経を握りしめ、二匹の猿はあの世に旅立った。きっと、極楽
往生を遂げたことであろう」

  和尚と茂十は二匹の亡骸を抱きかかえ、山を下りました。丁重に葬って供養をしまし
 ます。
  木の皮の法華経も大切に、供養しましたので、誰いうともなく、猿供養寺。
  参詣をしようという行列が延々と続きました。越後の乙宝寺から東京の池袋演芸場ま
 で続いたそうです。
  越後からの行列なんですから、素直に並べば、上野の鈴本演芸場のほうへ行くんです
 が、この行列は関越道を通ったもんで、池袋演芸場へという。なにが幸いするかわから
 ないもんですね。
  和尚は、木皮経を手に握って抱き合った法華と経の木像を彫りました。これがまた評
 判で、毎日、大変な参詣人で。茂十じいさんも張り切って案内をいたします。
茂「さあ、みなさん。ご覧あれ。法華と経が亡くなったとき、両の手にしっかりと握られ
 ていたのが、この木皮経。みなさんもしっかりと拝んでくだされ。
  恥ずかしながら、わしは七十になるまで仏様の物をこの法華と経のようにこれほどま
 でに大事にしたことはなかった。写経した紙をはばかりで使ってしまって、和尚に謝っ
 たことがある。『申し訳ありません』。すると、和尚はニッコと笑って、『それでよい。写
 経の紙が福(拭く)の紙になったではないか』と。当山の行門和尚もありがたいお方。
 法華と経もありがたい。木皮経もありがたい。当山はありがた沢山乙宝寺じゃ」
〇「それはいつの頃のことだ?」
茂「決まっておる。今を猿ことじゃ。さぁ、この木像も見なされや」
〇「なんだい、ゾウって?」
茂「猿の像じゃ」
〇「猿が象になるか?」
茂「偉い猿は像になる。これじゃ」
X「ああ、この像か。確かに猿じゃ、猿じゃ。はて? 見猿、言わ猿、聞か猿という猿の
 お像は見たことあるが、これはなんというんだい?」
茂「抱き合ってるから、〔離れ猿〕ってんだ。人間も夫婦はこれでなくちゃいけねぇの」
X「俺は別れたくてここへ来たんだぞ。これじゃ、別れられなくなっちまう」
茂「そのようがいい、拝め、拝め」
  この離れ猿がまた評判で、ズラーッという行列で、この行列が乙宝寺から…、どこに
 しましょうか。お好みの所へつなげますよ、こうなったら。

 あれから、四〇年経った、ある日。
 四〇歳前後の旅の夫婦連れがやってきた。
夫「ごめんくださいまし」
珍念「へーーーい」
夫「お写経をさせていただきたく、伺いました者で」
珍「どうぞ。本堂へお上がりくださいませ」
夫「ついでに、離れ猿と木の皮のお写経を拝観させていただきたいので」
珍「本堂にございますので、ご覧くださいまし」

珍「{本堂に案内して}こちらでございます」
夫「これが和尚のお彫りになった、離れ猿じゃ……」
妻「あなた。これが木の皮のお写経……」
夫「おお……」
  二人はしばらくの間、嗚咽で声も出なくなりました。
  長いこと、涙を流して拝んでおりました。
夫「法華経のお写経をさせていただきます」
  夫婦は机に向かうと、静かに筆をとり、書き始めました。

和「{庫裏の和尚が}これ。珍念や」
珍「へーい」
和「お写経の方にお茶を差し上げて、『ひと休みなされませ』と」
珍「へーーい」

珍「{本堂へ行って}あのぅ…。お茶を召し上がってくださいな。{二人を見て、異様な
 目をする}。驚いた…。他の者にも見てもらおう…。
 {廊下へ出て、西念に}ちょっと、付き合っておくれよ」
西「なにに付き合うの? いやだよ、もう、お菓子の盗み食いは。必ず見つかって、怒ら
 れるんだもの」
珍「そうじゃない。もっと凄いもの」
西「なに?」
珍「本堂へおいでよ。お写経に来た二人ね」
西「旅の夫婦連れでしょう」
珍「ところが、どっこい。猿なんだ」
西「猿…? 四〇年前にそういう猿がいたという話はあるよ。でも、それは本当なんだろ
 うか。猿がお写経をするって。あれは作り話だよ」
珍「本当さ、四〇年前も今も。この目で今、見たんだから」
西「本当?」
珍「付いてきな」

珍「{本堂へ来て}ほら、ごらんよ」
西「どこに?」
珍「どこにって、二匹の猿が筆を握ってお写経をしてるじゃないか」
西「目がどうかしたんじゃないの。あれはどう見たって、人だよ」
珍「嘘だよ。猿だよ」
西「人だいッ」
珍「猿だよッ」
和「{そこへ和尚が来て}これこれ、なにを騒いでおる。お写経の邪魔になるぞ」
西「この珍念が妙なことを言うんですよ。あのお写経をしている二人は猿だって。あたし
 はどう見ても何度見ても人なんですよ。それを珍念は猿だなんて、強情を張って」
珍「和尚さま。あれは確かに猿です」
和「よしよし、わしが見てしんぜよう。
 {本堂を見て}うん…。そうであったか……」
西「人ですよね」
和「西念には人に見えて当然じゃ」
珍「{泣き声で}いえッ、あれは猿です」
和「これこれ、珍念。泣くな。お前には猿に見えて当然じゃ」
西「どっちなんです?」
和「これでよい。珍念。西念。このことは他言するではないぞ。お写経の邪魔になる」
珍「どうしてですか」
和「いずれ、わかるであろう。それに、これからのあの二人のことはすべて、珍念がお世
 話するのじゃ。よいの」
珍「猿の世話を、あたしがですか?」
和「そうじゃ。いやか」
珍「いいえ。あたしは申年ですから、仲良くできると思います」
和「わしも申年じゃ。ご挨拶をしてくるでな」

和「{夫婦のそばへ来て}お写経、ご苦労さまですな」
夫「和尚さまでござりますか…。この度はお世話になります」
和「拝見をしておりますと、お二人は経文を見ずに、書いておられまするな」
夫「夫婦共々、いささか、空んじておりますので」
和「さようか。感心なお方じゃ。お体をこわさぬよう無理せず、ひと月なりとも、ふた月
 なりともゆっくりかけて、お続けなされい」
夫「ありがとう存じます」

  近くに旅篭をとってあるのでしょう。毎日来ては少しずつ、写経をして帰ります。
  あれから、二ヶ月経ちました。
  四の巻が終わり、五の巻にかかって、二人の手がピタッと止まった。あと、筆が一向
 に運びません。
  ついに、二人は抱き合って、体を震わせて泣き出した。

珍「{庫裏へ飛び込んで}和尚さま。お二人が抱き合って泣き出しました。あたしがどう
 言っても、とりつくしまがないんです」
和「そうか。わしに任せなさい。お前も一緒に来なさい」

和「{本堂へ行って}おふた方。いかがなされた」
夫「どうしても筆が……。お写経の筆が、運びません…」
和「それにしても見事なお手。あとをお続けなされい」
妻「もう…、無理でございます…」
和「なぜじゃ」
夫「………、今日が日まで隠しおおせ、人に知らせぬ身の上なれども、今日、五の巻にか
 かり、よんどころなく身の上を申し上ぐる始まりは、それなる木の皮{太鼓のウスドロ
 が強く大きく鳴る}」
和「なんと……」
夫「{猿に変化して猿言葉になる}宇多天皇の御宇、この乙宝寺本堂に法華経の読経写経あ
 りしとき、二匹の猿が現われ出で、その経に耳を傾け、木の皮に写していただく経を指
 でなぞれば、経は元より仏の声、猿は知恵ある獣ゆえ、お礼の印と出す木の実に、村百
 姓は感心の声を度々上げしより、その二匹の猿を法華に経と名付け給う。
  その猿はわれらの前世。われら夫婦はその猿の生まれ変わりでござりまする{太鼓の
ウスドロを強く切り上げ、猿言葉を終える}」
和「そなたらは、やはり、あの折りの、法華と経ッ。そなたは法華か」
夫「はい」
和「そなたは経か」
妻「はい」
和「さようか。わしじゃッ、わしじゃッ。あの折りの、行門じゃッ」
妻「和尚さまでございますね。お達者でなによりでござります」
和「それだけが取り柄じゃ。そなたらは輪廻転生いたしたか…」
妻「われら二人は人間に生まれ変わり、和尚さまに会いたや、乙宝寺見たや。諸処方々訪
 ねました」
夫「申し遅れました。私は三年前、越後国司に任ぜられ、都より赴任いたしました藤原の
 子高の朝臣にござります」
和「なに。国司、越後守様でござりまするか。ウヘー{思わず平伏する}」
夫「どうぞ、お手をお上げくだされよ。
  この土地へ来て、このお寺のことを知りましたのが、二ヶ月ほど前。喜び勇んで、や
 っと、こうしてお写経に伺えたました次第でござりまする」
和「よくぞ、参られた。あの折りの法華と経か…」
 われら二匹は、その文字の上を指でなぞり、いつしか経も諳んじて、四の巻を終え、明
 日はいよいよ五の巻ぞ。入らば嬉しや女人往生。なれど……、法華経の『五の巻はとく
 習え』とは、誰が言うた……。
  翌日、われも妻も張り切って、吹雪にも負げず木から木を、渡って沢にかかりしが、
 わが妻足を滑らせて、深手を負って倒れ込み…。すぐさまに妻を背負うて穴へ戻り、手
 当いたせど悲しやな。いつしか大事の薬草も、食べる物さえ底をつき、唯一、頼みはお
 写経の木の皮。ふた月なぞりし威徳には、指に魂とどまりて、仏入れたは即ち法華経。
  妻を抱きかかえて守護するも、飢えと痛みのみならず、寒さに冷たくなる妻を、せめ
 てわれに残りし体温で、温めなさんと抱きしかど、ただただ途方に暮れるばかり。
  ついにその甲斐もなくわが妻は、しっかと握りし木の皮の、写経の上に指を置き、虚
 ろにわれの顔見つめ、目に溜まりたる涙さえ、無常に瞼に凍りつき、流れ落ちぬそのま
 まに、静かに息を引き取りましてござります。
  われには溢れる涙さえ、尽き果てし今、なすことは、石より硬きわが妻を、さらにガ
 ッシとかきいだき、木の皮握り法華経を、念じ念じてまた念じ。やがてのことに私も迎
 えに来たる眠りに包まれ、妻の後をば追いましてござります」
和「さようか……。それじゃによって、四の巻で写経の筆も止まったのじゃな。
  あの折り、抱き合ったあなた方を抱えて山を下りましたのが、わしともう一人。もう
 あの世に逝ってしまったが、茂十じいさんじゃ。そのじいさんの孫が、今、毎日、こう
 して、あなた方の世話をさせていただいております、この珍念じゃ」
夫「あなたがお孫さんッ……。よく似ておりますな」
妻「おじいさんもお写経によく通ってましたね」
珍「じゃァ、茂十じいちゃんがお写経をしてるのを見てたの?」
妻「あの当時、毎日、見ておりましたよ」
和「雪の山の中で、茂十じいさんはあなた方の手にしっかり握られた木の皮を見て、泣き
 出しました。『おれは仏さまの物を粗末にしてきた。罰が当たる』と言いましてね。
  縁というものはえらいものじゃ。あなた方お二人、他の者には人間としか見えません
 が、縁あるわしと珍念には夫婦猿もに見えたのじゃ。
 {珍念に}珍念。これが縁じゃ。縁は尊いものじゃ」
珍「あたしもお二人のように仏さまの物を大事にいたします」
和「そうじゃ、そうじゃ、その心掛けじゃ」
夫「このように、人間に生まれ変われましたのも、和尚さまと茂十さまのおかげでござり
 ます。また、こうしてお孫さまにお世話いただき、まさにご縁でございましょう」
和「それにしても、このお写経。お二人は見事なお手」
夫「いいえ。ほんの猿真似でございます」
和「いやいや、洒落を聞かされるとは思いませんでした。どうですな。この先、五の巻か
 らのお写経をなさいませ」
夫「はい。続けたいと思っております」
和「わしも、三宝のありがたさを改めて知りました。一緒に法華経を唱えましょうぞ」
夫「はい。ところが、三年の任期が切れましたので、明日、都へ帰らなければなりません」
和「さようか。それは無念じゃな」
珍「でも、折角、こうして縁のあることがわかったんですから、もう少しゆっくりしって
 ってくださいな。じいちゃんの話も聞かせてください」
和「これ、珍念。そう無理を言うでない」
珍「『猿(去る)者は追わず』と言いたいんでしょう?」
和「そんなこと言いたくはない。お前が思っているだけだ。
 {夫婦に}お二人さん。落ち着いたら、また、こちらへお越しくだされ」
夫「必ず、また、伺います」
妻「和尚さま。珍念さま。お元気で」
和「うん。気をつけて、行かっしゃれ」
珍「必ず来てくださいよ。お待ちしてますよ」
  本堂を出て参道を歩む二人は振り返り、振り返り、丁寧に何度も何度もお辞儀を繰り
 返した。
  そのたびに、本堂から手を振る和尚……。
珍「きっと、また……、来てくださいよ!」
  珍念は絶叫したとき、さっきからグッと堪えていたものが、目からあふれ出した。
  その涙の向こうに、都に戻る二人の姿が小さく、小さく、歪んで消えて行った。
  境内の鳥たちも名残を惜しんだのでしょう。高い杉の木の上で、コノハズクが、
コノハズク「ブッ ポウ ソー(仏法僧)」
和「おお。珍念、聞いたか。コノハズクが三宝を」
珍「和尚さま。向こうの梅の小枝で、ウグイスが」
鴬「ホー、ホケキョウー(法華経)」

1999・12・31 UP
      [写経猿]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/写経猿
      [写経猿]の関連は、圓窓HPクラブ/特報・急報/乙宝寺若住職逝去