圓窓五百噺ダイジェスト(に行)

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錦の袈裟(にしきのけさ)/ニ十四孝(にじゅうしこう)/二番煎じ(にばんせんじ)

圓窓五百噺ダイジェスト 29 [錦の袈裟(にしきのけさ)]

 町内の若者たちが吉原へ遊びに行くについて相談をした。
「質屋に何枚か質流れの錦の布があり、『なにかの時は使っていい』と番頭に言われ
ているので、吉原へ乗り込んでそれを褌にして裸で総踊りをしよう」と決める。
 ところが、数が一枚足りない。仕方なく、与太郎には自分で工面させることにする。
与太郎は家へ帰って、女房に話す。
「行ってもいいが、うちに錦はないよ。じゃ、檀那寺の住職にお願いしておいで。『
褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐が憑いて困っております。和尚さんの錦
の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借
りてきなさい」
 知恵を授けられた与太郎、寺へやってきてなんとか口上をして、一番いいのを借り
ることができたが、和尚さんから「明日、法事があって、掛ける袈裟じゃによって、
朝早く返してもらいたい」と念を押される。
 承知して帰宅。褌にして締めてみると、前に輪や房がぶら下がり、何とも珍しい形
になる。
 いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女たちに与太
郎だけがえらい評判。
「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房。
小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」
 てんで、与太郎が一人でもてた。
 翌朝、与太郎がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ女と寝てい
る。
与太郎「みんなが呼びにきたから帰るよ」
女「いいえ、主は今朝は返しません」
与太郎「袈裟は返さない…? ああ、お寺をしくじる」
 

(備考)
 昭和30年代までは、毎日のように演られていた、と言っても過言ではないくらい
に演られた廓噺。廓がなくなり、花柳界もなくなりつつある今日、演りにくくなった
ことは確か。必然的に口演者、また、その口演回数も減少してきたのは寂しい限りだ
が事実。
[錦の袈裟]の関連は、評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓生物語/四の巻/紐解記4
2001・11・17 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 17 [二十四孝(にじゅうしこう)]

 隠居のところに八五郎が「離縁状を二枚書いてくれ」と飛び込んできた。
 理由を聞くと、「魚を猫に取られた腹いせに、女房を殴り、母親を蹴飛ばしてきた。
二人に叩き付けるから状を二本」と、八五郎は理不尽なことを言い出す。
 隠居は八五郎に親孝行の道を説き、唐土の二十四孝の内からいくつか聞かせる。
 王褒(おうほう)は雷から母の墓石を守るために裸になって墓石にとりついたので、
孝行の威徳によって天の感ずるところがあって、落雷がなかった。
 王祥(おうしょう)は冬、鯉が食べたいという母親のために氷の上に腹這いに寝て
腹の暖かみで氷を溶かして鯉を得て、母に与えた。これまた「孝行の威徳」「天の感
ずるところ」
 孟宗(もうそう)は冬、筍が食べたいという母親のために雪の積もる竹藪で落涙し
て筍を得た。「天の感ずるところ」である。
 呉猛(ごもう)は母親が蚊に攻められないように、体に酒を吹きつけ、蚊を自分の
所に来るようにした。これもまた「天の感ずるところ」で蚊は一匹も出なかった。
 郭巨(かっきょ)は母親に女房の乳を飲ませるため、子供を犠牲にして穴埋めにし
ようとすると、掘った穴から金のカマ(延べ棒)が出てきた。
「このようにおっかさんを大事にすれば、私がお前に小遣いぐらいやる」と隠居に言
われた八五郎、さっそく、帰宅して聞いたばかりのモロコシの親孝行の真似をする。
 八五郎の母親は「鯉も筍も嫌いだ」と言うので、その線での親孝行はできない。唯
一いますぐ出来そうなのは、呉猛(ごもう)のしたという蚊追っ払い作戦。酒は体に
吹きつけても、おなかに納めても同じだろうと、がぶがぶ飲んで寝てしまう。
 翌朝、母親に起こされて体を確認してみると、なるほど、蚊に刺されたあとが全く
ない。
「ゆうべすっ裸で寝ていたが、蚊が一匹も食ってねえ。これが天の感ずるところだ」
「おれが夜っぴて煽いでいたんだ」


(備考)
 普段の寄席では時間の関係上、途中のクスグリで終えることが多い。
落ちはもう一つあって、王褒(おうほう)の真似をしようと父親の墓参りをする型
がある。と、墓の下の故人が喜んだか、墓石がグラグラッと揺れた。八五郎は「天の
感ずるところだ」とばかり、急いで家へ帰ってこのことを母親に告げると、「それは
よかったね。だけど、さっきの地震、どこであった?」


二十四孝]の関連は、窓門会(後援会)/窓門会文庫/落語の中の古文問答/古文楽習教本・問答03二十四孝
2001・6・1 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 43[二番煎じ(にばんせんじ)]

 ある町内の火の番小屋。夜回りの番太郎が雇われていたのだが、頼りにならないの
で、町内の旦那衆が火の用心の夜回りをすることになった。
 その晩、集まった人数を二つに分けて交代で回ろうということで、最初の組が回っ
ている間、後の組は番小屋で休むことになった。
 先の組は謡の先生、町内の頭(かしら)、三河屋や川口屋の旦那、駿河屋の番頭(
惣助)など。懐手のまま拍子木を打ったり、金棒を引きずったり、謡や新内の調子で
火の用心の声を出したりでまとまらなかったが、町内の頭は昔取った杵柄で乙な喉を
聞かせてなんとか恰好がついた様子。
 ともかくも一回りして番小屋へ戻り、後の組と交代し、冷えた体を炭火で暖める。
 謡の先生が「実は娘が、『寒いでしょうから』とお酒を持たせましてくれまして」
と瓢箪を差し出すと、三河屋の旦那が「ここは番小屋ですから、酒は飲むわけにはい
きません。見回りの役人に見付かったらえらいことになります」と苦言を呈するが「
土瓶の中に入れて、煎じ薬としてならいいでしょう」と、飲むことになった。
「だったら、わたしも一升持ってきた」「あたしも」「あたしはつまみ物を」「イノ
シシの肉をもってきました」とそれぞれがそのつもりだったようだ。中には「あたし
は箸だけですが」なんという人もいる。
 しかし、「ここは番小屋だから鍋がない」。ところが、「そうだろうと思って、鍋
を背中に背負ってきました。その上から着物を着て」と惣助さんが言い出して盛り上
がる。
 鍋も煮え、酒の酔いも回ってくると、もう宴会気分。しまいには都々逸まで飛び出
す始末。
 そこへ見回りの役人が戸を叩いたので、一同、見られてはいけない物を隠すのに大
慌て。
 役人に土瓶を見とがめられたので、「みな風邪を引いているので、煎じ薬を煎じて
いました」とごまかすが、役人は「みどもも風邪を引いている。その煎じ薬を所望し
たい」言い出す。
 仕方なしにこわごわと差し出すと、「良い煎じ薬だ」と言って飲みながら、「鍋の
ようなものを隠したな」と。
「煎じ薬の口直しで」とごまかすが、「それも所望いたす」と。
 煎じ薬を何杯もお代わりをするので、自分たちの飲む分がなくなってしまう。「煎
じ薬はもう切れましてございます」とやんわり断わると、
「さようか。拙者、一回りしてくる間に、二番を煎じておけ」


(圓窓のひとこと備考)
 先代可楽のこの噺が印象に残る。師の風貌、声から冬の寒そうな江戸の街を想像で
きて、聞いていて嬉しさが込み上げてきたものだ。役人に詰問されるたびに、みなが
責任を転嫁するため、ことごとに「惣助さんが」「惣助さんが」と言うその間と惣助
さんの困惑顔は他の噺家の追従を許さなかった。
2003・2・8 UP